あらゆる創作の中で『何もかも完壁だと思った作品』教えて

  • 280
1: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 19:56:35
起伏に富んだストーリー、魅力的なキャラクター、オリジナリティーのある世界観、 感動的なドラマ、見事なラスト、百点!って感じの作品を挙げるスレ

漫画でも小説でもドラマでもゲームでもジャンルは問わない
人の挙げたものにケチつけるのは禁止
2: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 19:57:40
FF10はマジでこんな感じだった
3: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 19:57:54
じゃあこれで
4: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 19:58:09
空の境界
7: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 19:58:49
これ系真っ先にハガレン思い浮かぶ
10: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:00:44
機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争
12: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:02:08
名探偵コナン 瞳の中の暗殺者
13: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:02:56
寄生獣
14: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:03:44
モブサイコ100
マジで漫画に求める要素全部ある
15: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:04:36
天元突破グレンラガン
16: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:05:15
アニメゾイド無印
17: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:06:41
月並みだけどUNDERTALE
18: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:06:51
是枝裕和の怪物
19: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:08:38
魍魎の匣
27: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:15:35
月曜日の友達はいいぞ
漫画の究極型のひとつだと思う
20: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:09:18
醤油を借りにいくだけで死ぬことがある世界の中級サバイバルガイド
21: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:10:34
蟲師
22: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:11:43
サクナヒメ
23: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:11:52
HELLSING
24: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:11:55
グノーシア
25: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:13:44
MAD RAT DEAD
28: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:18:46
銀河の死なない子供たちへほど味わい深いラストの漫画は見たことない
29: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:19:37
ここまでからくりサーカスないとかマジかよ
34: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:38:46
>>29
他の作品も良すぎて迷ってんじゃないみんな
うしおととらもいいよね
30: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:21:12
金色のガッシュ!!
138: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 20:28:06
>>30
王道オブ王道のバトル漫画ってイメージだったけどそういえば世界観はクセ強だったわ
31: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:35:51
めだかボックス
32: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:37:16
ゴールデンカムイ!!!
33: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:38:29
BLACK BLOOD BROTHERS
35: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:39:48
ポポロクロイス物語
36: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:43:04
チキタ★GuGu
37: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:44:18
ブラッドハーレーの馬車
38: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:54:02
マルドゥック・ヴェロシティ
39: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:58:44
このテのスレではハイパーインフレーションを挙げると決めてるんだ
40: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 20:59:58
ゲームの大神
41: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 21:01:57
戦闘城塞マスラヲ
42: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 21:03:52
ゲーミングお嬢様
43: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 21:04:22
原作っていうか元ネタありだけど大河ドラマ「新選組!」

幕末の治安維持人切集団っていうイメージの強かった新選組を今でいうベンチャー企業みたいなノリで描いた青春群像
涙あり笑いあり悲劇ありの三谷幸喜大河ドラマの第1作にして後の真田丸、鎌倉殿の13人に通じる源流が垣間見える傑作

もしこのスレ見てる十代、二十代、三十代の方がいたらぜひ一度ご視聴されることをお勧めします、きっと誰かを好きになってるはずだから
もちろんそれ以上の方も普通に楽しめるのでぜひどうぞ!
44: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 21:19:22
“オリジナリティーのある世界観”って表現が適切かは怪しいが俺には凄く新鮮で魅力的だった
45: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 21:24:13
ほんまゴメン、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
46: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 21:33:34
彼方のアストラ
まだ読んでいない人はネットで何も調べず今すぐ読んでくれって言いたい
47: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 21:34:01
進撃の巨人
48: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 21:42:27
ピンポンかなぁ
49: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 21:53:42
これ
初代には全部ある
50: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 21:55:10
こういう言い方あれだけど色んなアレコレをなろうでマネしたの全然見ないの凄いと思うは
51: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 21:57:05
灼眼のシャナ(原作)
未だ1番好きな作品
52: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 22:00:24
議論の必要はあるが猿世界はオリジナリティあると思うよ
TOUGH
やっぱ名作だよ
53: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 22:23:22
暗殺教室
54: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 22:29:27
楽園追放
昨日今更見たけどすごい良かった
55: 名無しのあにまんch 2024/05/24(金) 22:32:35
破壊神マグちゃん
56: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 00:03:51
千と千尋の神隠し
57: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 00:09:42
封神演義(藤崎版)
58: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 01:46:46
まだ完結はしてないけど僕のヒーローアカデミア
王道ヒーロー物として最高
59: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 06:58:35
機動武闘伝Gガンダム
60: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 07:21:27
複数の時系列から光を当てることで登場人物や作中事件の真実を紐解いていくストーリー
昭和40年代に実際にTVで活躍していたヒーローたちをモデルとしたキャラクター
もしも昭和40年代のTVヒーローたちが実在していたらという架空の元号の時代、神化40年代
それぞれの正義を追い求め足掻くヒーローたちの織りなすドラマ
そして感動と希望のラスト
やっぱコンレボは最高だな!
61: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 07:22:46
thisコミュニケーション
62: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 10:27:11
あまりにもありきたりだけどドラゴンボールかなやっぱ
なんだかんだ一番好きなんだよねこの漫画
63: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 10:34:22
Dr.STONE
64: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 10:36:52
スーパーダンガンロンパ2
65: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 10:37:46
起伏に富んだストーリー、魅力的なキャラクター、オリジナリティーのある世界観、 感動的なドラマ、見事なラスト、百点!
それはドロヘドロ!
66: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 10:38:18
キルラキル…
67: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 10:40:43
チェンソーマン1部
2部はまだ完結してないので
68: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 10:43:08
スーパーマリオ
オリガミキング

オリビアちゃんとの旅路がね
このゲームに欲しいもの全部くれました
100%クリアで全部やり切った
69: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 10:54:36
トライガンマキシマム!!!!!
70: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 11:12:51
クロノトリガー
71: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 11:19:15
俺はあのラスト見せられて100点以外つけられねぇよ
74: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 11:35:31
>>71
私の怒りを吸い上げるヴィーナス~♪
72: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 11:19:36
長谷川裕一「マップス」
73: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 11:23:40
テイルズオブグレイセスかな
あまり王道RPGをやってこなかっただけかもしれないけど、プレイした後の満足感は中々のものだった
75: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 11:40:04
スピリットサークル
この作品を月刊で読めて本当に良かった
毎月次の話が楽しみで仕方なかった
76: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 11:47:13
ブギーポップシリーズ
ライトノベルというジャンルそのもののあり方を変えた作品。セカイ系の始祖とする声もあるほど
西尾維新や奈須きのこ、時雨沢恵一など多くのクリエイターが創作を始めた理由にこれを挙げている
77: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 11:47:48
いのちの人形 中盤からのワクワク感と後半の伏線回収がいい
78: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 11:50:16
ディスカバリー
舞台である新世界の設定が斬新
カービィと人類の文明っていう絶対合わなそうものをめちゃくちゃ上手に調理した例だと思う
79: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 11:50:17
それこそダンジョン飯
80: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 12:16:42
デスメシア編ラストで完全にサムネになったけど
よく考えたらまだ終わってなかった
でも展開の予測不能さと完成度の両立が異次元的にうまい
81: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 12:24:29
双亡亭壊すべし
82: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 12:32:49
シュガー・ラッシュ
83: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 12:40:02
色々考えたけど『バカとテストと召喚獣』だなぁ
元々すげぇ面白いのは勿論だけど電撃大賞の応募者が隣に置いて文体と文章パクって提出した作品が最終選考まで残った挙句に発刊したら初版が数日で完売する位売れちゃった……みたいな事があったりしたせいでポテンシャルとんでもねぇなってなる

作者も今はぐらんぶるの原作者かプリヤの構成脚本の人って方が周知されてるんかな…ぐらんぶるに嵌った人が居るならマジでお勧めしたい
84: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 12:40:13
魔術士オーフェンを挙げとく
85: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 12:45:06
スクライド
86: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 12:51:24
Switchで遊べるゼノブレイドシリーズ全般
DE、2、3どれをとっても100点満点
87: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 12:56:14
ちょくちょく「オリジナリティーのある世界観」を満たしてないやつがあるな
89: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 13:05:20
>>87
スレタイの条件を全部満たす作品って相当限られた傑作だよな
自分がパッと浮かんだのはハリーポッターとハガレンくらいだったよ
97: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 14:50:40
>>87
「本当にお題全部満たすと思って挙げてるの?」と疑問に思うレスもあるが


世界観って元々は「作品の舞台の設定」じゃなくて「世界をどうみるか」って意味みたいなんで「作品の空気感や哲学が独特で好き」で挙げてもOKなはず
90: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 13:09:22
ガンソード
囚人惑星っていう世界観もキャラもストーリーも面白い
あのラストも最高
88: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 12:58:29
銀の匙
91: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 13:22:37
ウォレスとグルミットペンギンに気をつけろ!
見るたびにこの内容の濃さで30分未満!?って驚かされる
92: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 13:30:32
ラストはまだだけどワンピース
103: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 15:16:51
やはりワンピースはすごいな
164: 名無しのあにまんch 2024/05/26(日) 07:56:09
>>103
各長編の締めがいいって点で見事なラストも満たしてると思うワンピ
ちょっと強引かな?
94: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 13:49:23
1984年

これ以上1冊で完結しているディストピア作品もない
95: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 14:22:46
>>94
sf小説の繋がりでディックの電気羊が原作のブレードランナーも素晴らしいな
ロイバッティが滅茶苦茶カッコいい
100: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 15:05:22
>>94
感動というか情緒めちゃくちゃになるわ…
96: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 14:37:32
幻想水滸伝1.2
マジで面白いからKONAMIは早くリメイクを出せ
98: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 15:04:36
ぼくらのって現代日本が舞台だと思われてるけど割と違った歴史歩んでるんだよね
随所で見られるから結構ちゃんとそういう設定練られてそう
99: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 15:05:17
鬼滅の刃
101: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 15:05:55
トリコ
欠点いっぱいあるけどトリコ
102: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 15:11:37
最近最終巻が出た信長のシェフはいいぞ!
104: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 15:20:21
アニメ版爆走兄弟レッツ&ゴー~GPまで
原作漫画より面白いアニメあるの?って質問に自信持って挙げられる 
105: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 15:21:09
漂流教室
106: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 15:22:15
エイリアン
エイリアン2
107: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 15:25:29
男女逆転大奥
大奥ものだからオリジナリティと言われたらアレなんだけど歴史ものとしてもジェンダー逆転SFとしても医療ものとしてもとにかく心揺さぶられたし面白かったしあのテーマをやり遂げたことが凄いわ
108: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 15:37:27
銀河英雄伝説
109: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 15:37:27
「轟世剣ダイソード」

学校ごと異世界に召喚! 先生たちは職員室ごと潰されて生徒だけしか残っていない!!
巨大ロボットの姿に変わる神の武器、ダ・イスォウド!
ダイソードほか七つの神の武器によって戦乱渦巻く神に呪われた世界、泡の中央界!

異世界召喚もののファンタジーの金字塔だよ
110: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 15:47:00
名前変えて続編やってるけど一応こっちは終わってるから挙げさせてくれ
「問題児たちが異世界から来るそうですよ?」
壮大な世界観とシンプルに興奮するストーリーで、ギャグ要素多めに見えて大事なところはしっかり決めてくれる
そしてこれのアジ=ダカーハより魅力的なラスボスを俺は知らない
112: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 16:13:49
ジョジョの奇妙な冒険
まだ続いてるけど1部から8部は完結してるんで
113: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 16:42:25
嘘喰い
114: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 16:48:55
鉄鼠の檻
115: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 16:49:21
コードギアス
116: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 17:36:46
人類は衰退しました

原作もアニメも良かった
学舎の話泣いちまったよ……
117: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 17:43:40
ドラマ「アンナチュラル」
118: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 17:48:59
獣の奏者
アニメじゃなくて原作小説の完結編まで
119: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 17:54:27
これはWA2だと思う
120: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 18:06:59
ファンタジー要素の神話や魔法周りのだけじゃなくてあの世界の貴族や平民の生活様式までしっかりと練り込んでるのが好き
121: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 18:18:41
これは十二国記
初めて読んだ時すごい作品と出会ってしまったと思ったのを今でも覚えてるよ
122: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 18:31:23
アキラ
ナウシカ
寄生獣の三点セット
123: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 18:40:43
ポケットモンスタースカーレット・ヴァイオレット
歴代最高のシナリオだとおもう
124: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 18:43:54
これ以降の作品がずっとこれを超えることが目標になっちゃった作品
125: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 18:59:05
完結してないのもあるし、シンプルに自分の好きな作品あげるスレになってやがる!?
まぁいいか!!よろしくな!!
自分は仮面ライダーW
ダイ大とか書いてる三条陸先生が脚本してるだけあってクドすぎないけど濃さのある魅力的な探偵たちやサブキャラ
隠された謎を解き明かすストーリー
シンプルに麻薬と拳銃を混ぜた兵器としての完成系なファンタジーアイテムのガイアメモリ
視聴後の爽快感が素晴らしいラスト
映画が概ね名作揃いと完璧だぞ
完結してないから元の方出したけど、アニメや漫画もある風都探偵から入っても全然楽しめるよ
126: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 19:13:25
ディスコミュニケーション 植芝理一
128: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 19:22:25
もんむすくえすと!
129: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 19:39:22
これは「スーパーペーパーマリオ」
絶対にRPG形式じゃないと嫌!って人以外はネタバレ無しで是非やってほしい(wiiだけど…)
テーマが「愛」なだけに色々な愛の話があるし、敵キャラは皆魅力的でEDはメチャクチャ泣いたし、シナリオすごく良い
世界観というかシステム要素でもあるけど、和風世界や天国地獄等の色々な世界を2次元3次元で行き来できるのが好きすぎる。他のゲームでも次元ワザ使いたいくらい
130: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 19:39:45
リトルウィッチアカデミア!
トリガー作品は割と見たけど一番好きかも!
131: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 19:45:04
いだてん
鎌倉殿の13人
一年通して見られて幸せだった
132: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 19:53:17
マーダーミステリー「エイダ」はいいぞ
133: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 20:03:50
ド級編隊エグゼロス

おれはすきだぞ!
134: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 20:10:12
色々ネタ扱いされることもあるがニンジャスレイヤーは百点満点の傑作よ
一人の男が復讐を果たしエゴのまま抗い続けるストーリー
共に戦う仲間も敵もどれも魅力的
世界観も従来のサイバーパンク作品の要素を取り入れつつコトダマ空間やニンジャの設定でオリジナリティ要素満載
各部のラストはどれも心揺さぶられる最高の作品
135: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 20:12:05
クレヨンしんちゃん雲黒斎の野望
戦国時代でハッピーエンドかと思ったら、まさか続いたのびっくり
136: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 20:18:03
っぱスターウォーズよ
137: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 20:27:01
プラネット・ウィズ
142: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 20:53:03
>>137
水上作品は完成度高いからみんな好き~
139: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 20:33:27
最近なら『かくして少年は迷宮を駆ける』だわ
ストーリーの盛り上がりもやばいし、まず主人公からして魅力的だし、世界観もかなり独特、キャラ同士の掛け合いも楽しいし、ラストバトルもめっちゃ魅力的だった(月曜からエピローグ予定とのこと)
取りあえず34話まで、可能なら黒炎砂漠編まで読んでくれ
ちなみに小説カテでずっとスレが続いてる位語られてる

https://ncode.syosetu.com/n8799hu/
140: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 20:37:37
やっぱ最近だとダンジョン飯だろ
141: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 20:51:34
サムライ8
チートスレイヤー
144: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 21:41:07
仮面ライダー龍騎
145: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 21:43:28
戦う司書が好き
全10作、ポンポンとすごいのを連続して撃ち出してくる
146: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 21:44:40
遊戯王かな
147: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 21:46:08
終わりのクロニクル
148: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 21:46:29
キルビルvol.1
149: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 21:48:24
最遊記
150: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 21:50:36
漫画
うえきの法則
惑星のさみだれ

小説
虐殺器官
甲賀忍法帖

ゲーム
すばらしきこのせかい
装甲悪鬼村正
151: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 21:53:43
漫画だと邪眼は月輪に飛ぶ

小説なら煌夜祭かなぁ

邪眼はもう語る人が多いから割愛して

煌夜祭は未読の人はぜひ読んで欲しい
年に一度冬至の夜に人を喰らう魔物がいる世界で冬至の夜に夜通し語り合う祭り 煌夜祭
島民がいないその島で二人の語り部が話した話は
魔物の存在意義、なぜここへ来たか、全てのことに意味がある
152: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 21:57:56
Theビッグオー(アニメ)

このスレとても助かる
次に読みたいマンガがいっぱい増えた
153: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 21:58:38
刀語のファンタジー江戸時代すき。尾張に幕府があるの
154: 名無しのあにまんch 2024/05/25(土) 22:33:39
幻水2
157: 名無しのあにまんch 2024/05/26(日) 00:28:28
今際の国のアリス
ドラマ版の方も素晴らしい出来だった
158: 名無しのあにまんch 2024/05/26(日) 01:16:13
海外ドラマのLost
めちゃくちゃ叩かれたりもしたけど創作物の中で一番面白いんじゃないかと思ってる
159: 名無しのあにまんch 2024/05/26(日) 02:06:24
ジョジョの奇妙な冒険
160: 名無しのあにまんch 2024/05/26(日) 02:54:07
最近見た作品ならやっぱりゲゲゲの謎

起伏に富んだストーリー→伏線の張り方と既存作への繋げ方がえぐい。裏設定も作り込まれている。
魅力的なキャラクター→出番の少ない岩子ですら印象深い。
オリジナリティーのある世界観→こればっかりは水木神の作った下地があるから最強と言わざるを得ない。
感動的なドラマ、見事なラスト→鬼太郎の前日譚目当てで見に行ったのに映画キャラのためにボロ泣きしたよ。
Twitterがなければこの名作を見逃すところだった
161: 名無しのあにまんch 2024/05/26(日) 03:07:43
ひとりぼっちの地球侵略
https://gekkansunday.net/work/475/
162: 名無しのあにまんch 2024/05/26(日) 03:30:13
サンダーボルトファンタジー
163: 名無しのあにまんch 2024/05/26(日) 06:11:45
逆転裁判、特に1
123纏めてもいいけど、単品なら1が1番綺麗に纏まってるし完成度高いと思う
165: 名無しのあにまんch 2024/05/26(日) 08:00:00
狂四郎2030
近未来SF冒険SEXYバイオレンスラブロマンスせんずりコメディち○こ漫画
166: 名無しのあにまんch 2024/05/26(日) 08:01:58
エグゼイド

TV本編での締めも見事だったけど時系列的にその後の作品であるトゥルーエンディング、ファイナルステージ、平ジェネfinal、Vシネ三部作、マイティノベルXもそれぞれいい締めだった
他の条件も自分の中では文句なしに満たしてる
167: 名無しのあにまんch 2024/05/26(日) 08:23:00
まだ完結してないが大規模侵攻もB級ランク戦も締めが良かった、他の条件はすでに満たしてると思ってるのでワートリあげます
168: 名無しのあにまんch 2024/05/26(日) 12:36:24
少女⭐︎歌劇レヴュースタァライト

アニメを見てから劇場版を見てみな、トブぞ
171: 名無しのあにまんch 2024/05/27(月) 00:23:27
ウソツキ!ゴクオーくん

嘘という一つのテーマからあんなに多種多様な面白い展開が作れて、バトル展開も日常ミステリー回もどっちも面白いの凄すぎる。
169: 名無しのあにまんch 2024/05/26(日) 22:41:39
新世界より
アニメ版も小説版もあるから好きな方でどうぞ
あの世界観も終わり方もね…ドロッとしてて好き

元スレ : 起伏に富んだストーリー、魅力的なキャラクター、オリジナリティーのある世界観、 感動的なドラマ、見事なラスト、百点!

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コメント一覧

1. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:03:51 ID:MwMzI0Nzc
ボーボボかな
0
56. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:57:24 ID:I5NTU5NQ=
>>1
最高にハジケてた作品だな
0
130. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 23:26:24 ID:g0MDc2NTM
>>1
鼻毛をテーマにしたマンガの中ではぶっちぎりで一番面白いよな
0
132. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 23:43:16 ID:E1ODI4MzM
>>130
他に無いだろ(迫真
0
2. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:03:53 ID:IxMjA3MjY
月曜日の友達はAmazarashiが新曲とPVを出して存在を知った。
当時、コミックスも購入した。まだ、読んでないけど。
0
70. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:14:15 ID:Y1NTkwMDQ
>>2
ニーアレプリカントも買ってそう
0
3. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:04:14 ID:U0MDkyNTI
封神演義は無駄なエピソードの無さも締め方も完璧だった。
太乙真人のミイラ化回以外は。
0
4. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:05:10 ID:U1ODk2MjM
最近だとオッドタクシー
0
5. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:05:11 ID:YxNjk2OTY
大河の新撰組は面白いところや感動するところ沢山あったけど、一番涙腺に来たのは勇が母親と話をする序盤のシーンだった
女優ってすげぇわ
0
85. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:38:12 ID:E3NTA0MTY
>>5
初めて全話見た大河が小学生だわ
当時新撰組だったけどめっちゃ面白かった
0
152. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 08:51:46 ID:YxOTM4MDA
>>5
土方歳三最後の日とかいう特別ドラマが邪魔だった。大河は最終回以降は描かなくて良い
色々蛇足があって、三谷が大河初脚本だったからツッコマレていたけど、三谷幸喜がホンマに大河ドラマが好きだったのが分かる演出もあるから叩きにくい。
近年の駄作だと、去年の脚本家がキムタク映画やドラえもんやエンジェルフライトの片手間にとった駄作大河や、三年前の偉人の生涯をほとんど活躍しなかった幕末を描くために無駄遣いした実質女大河というクソ例があるからね

個人的にここ20数年大河の白眉は『平清盛』
父と子の対立と和解、家族の絆(平家は常に一蓮托生)、武家と公家の相違、若く青い夢と年老いた野心
テーマがブレずに最終回を迎えた近年では稀有な作品。初期の海賊王云々で離れた人は是非観直して欲しい。最終回の海の底の平家の都は涙無くしてみれない
0
6. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:05:55 ID:kxODYzNjQ
アンダーザローズ 冬の物語
ただし春の賛歌の連載状況には目を瞑るものとする
0
153. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 08:52:50 ID:YxOTM4MDA
>>6
エマを読んだあとの漫画キッズに薦める最良の作品
0
7. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:06:07 ID:k0MjYyNA=
最近だとドクターストーンと金カム
0
8. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:06:24 ID:kxNTY5Njk
オリジナリティーのある世界観はナシでもいいよな
自分はスラムダンクを推したいので
0
73. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:17:33 ID:MxNTQyOTA
>>8
現実世界舞台の作品はダメって、そんなわけなかろうて
どんどん推してけ
0
101. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:58:38 ID:Y0OTg4NTk
>>8
第二部を待ってるから完結したとは認めないよ?
0
9. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:07:09 ID:E5MTI4ODg
猫の地球儀
くすぐりーもちあげてー叩き落とす!
魅力的なキャラクター、起伏がありすぎて胃がひっくり返る展開、オリジナリティあふれる世界観、ラストの余韻
そこに吸引力あふれる文章まで加わって加点法なら100点満点で200点あげちゃう出来
0
154. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 08:54:31 ID:YxOTM4MDA
>>9
アレ読むと、その後のEGコンバットやミナミノミナミ、ドラゴンバスターに行き着いて、脳を燃やされて苦しみながら待つ人生がくるからオススメできない
0
10. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:07:40 ID:k5MzE4MjQ
古小説 神仙酒コンチェルト
禁酒法の時代の3人の悪党の話
私は百点 オリジナリティはきついので、スレッド的には80点
0
11. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:08:12 ID:EzNTc0MDY
昔の作品だけど「魔女っ娘姉妹のヨヨとネネ」を推したいな。笑いあり涙あり、淡い恋愛ありで小さな子ども向きのジュブナイル作品として完成度がとんでもなく高い。
0
12. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:09:12 ID:AyMzQ5ODM
ストーリーも面白いし伏線回収も良かったのは、進撃の巨人と黒執事かな
0
27. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:19:34 ID:A3MTQ4OTc
>>12
黒執事は周りが無能なだけ
主人公を有能に見せかけるために
その道のプロのはずのやつらが一話から無能になって
おまけに訪問客の知能も低下してた
枯山水舐めてんのか
0
43. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:39:37 ID:g2Mjg2MTg
>>27
>人の挙げたものにケチつけるのは禁止
0
76. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:19:35 ID:k0MzgwMjM
>>27
17年も前の話にケチ付けるとか過去に囚われすぎだろ
登場人物全員が有能な漫画とか面白くないだろ
0
102. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:59:45 ID:E3Mjc5NzM
>>76
明らかに不自然なんだよ
こんなもん完成度高いと言えん
進撃と同列に語るな
格が違うわ
0
112. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 20:53:17 ID:cwNDk1NDQ
>>102
なんか...ドンマイ
0
120. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 21:54:46 ID:c1ODk3NTA
>>102
なんかキモい
0
166. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 12:22:49 ID:kzNzM5ODA
>>27
その道のプロのはずのやつらが一話から無能になって

Q:なんでこんな無能な奴等雇ってんの?
A:シェフやメイドは表向きの姿で本職は殺し特化の戦闘員です。戦闘能力の高さが雇用理由なので他はポンコツでもよし。というより雇用前は碌な生活してなかったからできません。

多分最初の方読んで自分には合わんと切ったと思われるから仕方ないけど「これなんで?」というのがあとあとわかる事多いのよ黒執事
0
13. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:11:59 ID:k1MDM0OTA
これはチ。だわ
最近読んだ作品の中で一番良かった
0
155. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 08:55:59 ID:YxOTM4MDA
>>13
リアル路線の歴史モノかと思いきや、考証間違いすぎていて、作者が「たまたまこの地域だけ迫害凄かったんです!」から「パラレルワールドの話でしゅ」って逃げて畳んだ漫画じゃないですか
0
14. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:12:02 ID:c4MTkzNTY
完璧というのは作品を隅々まで理解できて読み取る力のある人が言うから意味があるのであって、
粗や矛盾があっても気付かない人が完璧と言っても何も意味がないことを教えておく
0
75. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:18:24 ID:MxNTQyOTA
>>14
粗はあって良いが矛盾はアカンなw
0
140. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 00:07:56 ID:g2NjE5NjA
>>14
その人にとって価値があればいい
価値は人の数だけある

というか『意味』って何だ
0
143. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 03:04:05 ID:QwMzM5MjA
>>140
個人の評価に意味なんてないよ
意味付けをするためには文化的に評価ができる人たちが評価したという権威が必要
だから世の中には色んな賞があるんだ
0
145. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 07:09:40 ID:MwNzYyNDA
>>143
箔はつくかもしれんが箔に興味がない人にとって意味はないな
0
146. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 08:20:48 ID:AzNjQ4MA=
>>143
他人が評価してるから、専門家が評価しているから面白い作品だとでも言いたそうな論調の貴方にこそ勧めたい作品がある
Q.E.D.証明終了の32巻収録のレッドファイル
他人の評価で自分の価値基準が左右されるのも個性や価値観の1つではあるけどね
それだけが正解や真理みたく思うなら参考までに聞きたいんだけど貴方にとって一番美味しい食べ物はコーラとハンバーガーですか?

専門家の箔付けが無意味って話ではないよ。そういう評価や前評判は詳しくない人間の指針となり得る可能性はあるから
0
160. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 09:28:58 ID:QwMzM5MjA
>>146
何もかも完璧だと思った作品を挙げるんだろ?だったら文化的な評価だと思うので正しく目利きする能力が必要なんではないか
面白い作品挙げろって話なら誰が評価してもいいけどね
完璧な食に置き換えたときにハンバーガーを例に出してくる奴には残念だが評価する資格がないんだよ
0
167. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 13:59:29 ID:AzNjQ4MA=
>>160
改変された記事のタイトルだと完璧‘だと思った’で主観を語れと示唆されていて
元記事でも‘って感じの作品を挙げる’と個人の主観に委ねる一文はあるよ
他ならぬ自分で文化的な評価‘だと思う’っていう主観からの言葉だと自認した上で本文や記事を正しく読みとれず、気づかずに粗のある意見を出しているんだけどそれでもこの記事と元記事は文化的な評価の議論を提唱したものだと強弁するかい?
そういう絶対評価の議論なら他人の挙げたものへケチをつけるな(物言いするな)とは言わないんじゃないかな

貴方の主張は世間的評価と目利きを混同して世界で一番売れてるハンバーガーこそが世界一美味いと言っているようなものだよって示唆で、加えてこちらがまるでハンバーガーこそが世界一と言っているかのような粗に気づかず得意気なんだから
つまり他人に資格があるかどうか評価する資格が貴方自身にこそ無かったってオチだね
0
173. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 20:20:10 ID:QwMzM5MjA
>>167
記事のタイトルに主観で語ることを推奨しているのは確かだね
そこは俺がちゃんと読んでなかったところだからすまぬ
ただ俺の意図はツリーへの返信で、その前に語られてた作品評価の「意味」について回答している
俺は意味=社会的価値と捉えていて、目利きができる専門家の評価はアカデミー賞をはじめとした色んな文化的評価に繋がるものなので社会的価値があると言っている
これは素人への指針としての価値ではなく作品に文化的価値を生み出すプロセスへの尊重
ようするに価値は人の数だけあるというのは間違ってて社会的価値が重要だと言いたいわけ
ちなみにハンバーガーどうこうはビジネス評価という別軸の社会的価値なんだが文化的評価と混同してないか?
0
174. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 21:15:35 ID:AzNjQ4MA=
>>173
作品評価の文化的観念に関しても批評家の当たり外れがあるから社会的価値の絶対保証は個人的には不可能だとは思うかな
単純に評判の悪い批評家もいれば近年だとスーパーマリオやソニックは大衆人気と批評家の認識のズレも大きかったり、ポリ コレなどの属する社会や文化への忖度などで利益を重視した批評と思わしきものもあるんだから
それこそアカデミー賞なら本場ではなく日本アカデミー賞だけど今年3月の最優秀主演女優賞と最優秀助演女優賞の件で炎上した訳で
それでも社会的文化的価値を認めるのは個人の自由だけど他人に共有を強要できるものではないのは専門家の評価と大衆の評価との捻れで明らかなように思うけれど
ただ全く無意味とも思わないし真っ当な評論家もいると思うけどね

ただまぁその辺りはあくまで互いの持論の違いだから「お互いそう思うなら、自分達の中ではそうなんだろう」って事でもいいんだけど。自分にとっての作品の意味=社会的価値だから他人にとっても価値観が共有されていて作品の意味も全員同じという前提が根本から間違ってないかな?って話をしたいんだけど

>ビジネス評価という別軸の社会的価値
つまる所、そういう別(軸)の価値観があるのに自分の価値観だけが正しいと言わんばかりに他者に評価の資格無しを判定する資格が貴方にあるのか?って点が主題なんだよ
主観で語ってる場で社会的価値が云々で「個人の評価に意味は無い」って言い出して貴方が論じた社会的価値に対してハンバーガーの例えを持ち出すのは「経済的評価の前では文化的評価に意味は無い」と言ってるのに等しい訳だ
現に貴方もこちらに対して何を言っているんだ?となったでしょう。貴方の言動がそういうものだったという一例として挙げたんだからそりゃそうよ

>俺がちゃんと読んでなかった
まぁただ究極的にはこれがあるから他人に資格どうこう言えるの?個人の評価を無意味と言えるの?に尽きるんだけどね
0
175. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 22:59:33 ID:QwMzM5MjA
>>174
まず最初に俺が意味がないと言ってるのは個人の評価、これは相対的だからこそ社会的価値になりえない
個人の評価は自分が面白いものが面白いで終わりでいいし、個人同士でぶつけ合うのは自由だけどそこに意味はないんだ
意味と言うのは何かしらの評価軸がないと成立せず、文化的評価やビジネス評価というのは社会的価値たりうるから別軸の価値として並び立つし意味がある
そういうレイヤーの違いなんだよ

それで文化的評価の方法だけど映画に限って言えば国際映画祭の評価システムは良く出来てる
あれは認定制度があって下の映画祭で評価されることが上の映画祭へのステップアップに繋がって評価を段階的に定める仕組みになっている
これは審査する評論家たちの当たり外れを小さく出来る工夫と言える
例であったスーパーマリオは国際映画祭に出品されていないので文化的評価が得られなかったということになる
一方で大衆から好意的に受け止められて高い興行収入を記録したことでビジネス的評価は高くなったので、文化的評価が低くともビジネス評価が高い作品として社会的価値が定められた
ちなみに個人的にはアカデミー賞の業界関係者の投票で決める方式自体に懐疑的だが、日本アカデミー賞に至っては会員の範囲と水準に問題があるので疑念は尽きない
ちょうど今やってるアヌシーの選考なんかはちゃんとしてるよ
0
176. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 23:24:50 ID:AzNjQ4MA=
>>175
社会的価値があっても個人に響かなければ何の意味もない場合も存在する以上、社会的価値が意味の有無を絶対的には保証しない
これは個人の好みに左右されるばかりではなく属する社会が世界共通でなく国や地域、文化圏で区切られているからでもある
日本語の言語能力しか有さない者にとって日本語翻訳されていない特定国家でのみ社会的価値を認められた作品は意味を成さない
あるいはお隣のK国では叛日が社会的評価を生むがこちらの国ではその限りではない
所属する社会で揺れ幅が生じる以上は個人の価値観や意味合いから完全に分離できないように思うけれど

個人の価値観による意味合いは「好きだから対価(金)を払って買って所有する」という金銭を使用するか否かの評価軸と意味合いを発生させたり「好きな作品から着想を得た」という意味合いを創造しうる。あるいはそこから社会的価値観を生む作品が派生し得る
個人の価値観や評価に意味合いは無いという持論ありきの前提でその辺りを無視してない?

>映画に限っては
では他のジャンルは?という問題と
>日本アカデミーには疑念
ダメな例が存在する以上は成功例もあるから絶対性があるとするには粗や矛盾になりえるのでは?

個人の指針とする分には許容できる振れ幅だろうけど他人にまで口出しするにはその辺りが脆弱性にならない?
0
15. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:14:35 ID:IwNTkwMDY
ピンポン
ハガレン
fateSNUBWルート
0
16. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:14:45 ID:U2NzI1NDM
マッドマックス怒りのデスロード
開始10分で登場人物を紹介して目的を設定してあとはひたすら突っ走ってその中にドラマを構築するというやり方が完璧だと感じて
普通映画は1回しか見ないけど3回見た
0
48. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:45:39 ID:Y4MzU2MzA
>>16
野蛮で下品なようでいてとても上品でお洒落な映画なんだよな

同時期に放映されてたキングスマンとはあらゆる意味で対照的
0
74. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:18:15 ID:UyNDYwNjM
>>16
今やってるフュリオサ見た後だと最後マックスと別れるシーンのカタルシスが半端ねえ
0
157. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 08:57:39 ID:YxOTM4MDA
>>16
マッドマックスシリーズだと、唯一過去作観たことない、世界観知らない人におすすめ出来る良作
昔のはいろいろ粗が目立つし、今やってるのはちょいポリユレ汚染が激しいのよ
0
17. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:14:58 ID:c4NTY3NTM
進撃の巨人
0
18. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:15:28 ID:I1OTY0NzM
洞窟物語 プレイヤーが関わってないところでも物語の歴史があるんだなってところがとてもすき
ホロウナイトも世代交代の観念が俺ら人類とは違うんだなって気づいた時はえ〜ってなった
0
19. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:15:53 ID:Y4MzU2MzA
ARMS

結構昔の作品だが、今でも全然通用するというか今ならもっとウケると確信できる漫画。マジで、創作に求めてるものが全部詰まってる傑作だと思う。
0
20. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:16:28 ID:UwMTQ4MTg
せ、戦争と平和…
0
21. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:16:34 ID:k4NDE4MjM
アイアンマンの最初の映画だわ
あれほんと完璧な映画と思う
0
22. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:17:05 ID:A2NTE4Nzk
カブトボーグかな
0
37. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:31:31 ID:YwNjM3OQ=
>>22
ネタとして有名だけどジョニーとの決着回みたいにちゃんと熱い話もあるの好き
0
94. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:50:32 ID:I4NjMxNjI
>>22
あれは無駄な部分も多いけど無駄な部分が楽しい作品
0
109. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 20:30:28 ID:kyNDczNTk
>>22
これを書きに来た
欠点が何故か加点部分になる作品はこういう話題で強い
0
23. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:17:29 ID:gxNjY0Njc
ヒカルの碁は18巻までは完ぺきだったな
0
24. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:17:32 ID:U2Mzc3Ng=
ブギーポップ・イントレランス オルフェの方舟
逆セカイ系というかセカイの敵系というか、かつて死者のように舟に流されるまま消え行こうとした少女を迎えに来た少年という組み合せの幼馴染みカップルが二人で死神に挑む淡い恋物語が個人的には100点満点

無傷姫事件
異世界戦記ミステリーとでもいうべき事件シリーズにおいてある主要組織の設立背景も語りつつ、歴代の無傷姫達の鮮烈な生き様も語った作品
誰にも傷つけられないから無傷姫。そんな彼女達がどう生ききったのか

戦車のような彼女たち
戦闘兵器として世の裏側で暗躍する戦車のような彼女達の恋や家族愛や戦いの果てに行き着く先は死か、異邦の地か?
0
25. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:17:55 ID:AyNDI1NjU
ダンジョンでお花摘みなんか許しません‼︎
0
26. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:18:30 ID:M5OTM4MzM
なにもかもなのに絵の点数が落ちる作品をあげるんじゃありません
0
28. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:22:01 ID:UwNTUxMTA
人それぞれの価値観や評価の基準とかがあるから、「完璧」だとか「最も面白い」なんてのは基本的に決めようがないんだけど……
それを分かってでも、限りなくそれに近いものとしてなら……
個人的には「ドラえもん」を挙げます
0
29. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:24:25 ID:QxMjYxMzg
幻想水滸伝IIかな
0
30. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:27:27 ID:MyMjY3OTY
ダンジョン&ドラゴンズにはクソな前作があるんすよ
ガキの頃に見た一作目がガキにもわかるほどダサくて
え?D&Dやんのって不安になったけど そんな不安は不用だった
因みに二作目は見てないが 一体何作あるんだか
0
138. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 00:04:17 ID:g2NjE5NjA
>>30
何作あってもいいじゃない
だってD&Dなんだから

シリアスなハイファンタジーだってアホみたいなドタバタ珍道中だってOKさ
0
31. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:27:53 ID:IwNDkzMTU
まだそういう作品に出逢えたことが無いから羨ましい。
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32. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:30:10 ID:A1MDE5NzY
どこが完璧なんだよって言いたくなるような作品ばっかりで笑ってしまう
0
121. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 21:55:49 ID:c1ODk3NTA
>>32
?「じゃあ代案出してくださいよ!」
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33. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:30:14 ID:QwMjkzMzU
スレにもコメント欄にもちらほら湧いてるけど、

>人の挙げたものにケチつけるのは禁止

とりあえずこれ守ってない奴には何も言う資格ないし何の説得力もないわな
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55. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:54:00 ID:U2Mzc3Ng=
>>33
そういう人達は他人の完璧にはケチをつけるけど自分にとっての完璧は挙げないんだよね
「その人にとっては完璧」という事が解らない自己と他者の境界が曖昧な人なら危ういし、煽る為だけに言ってるのなら寂しい話だと思う
0
142. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 00:11:50 ID:g2NjE5NjA
>>55
叩こうと思えばなんだって叩けるのだから
作品を挙げて
わざわざ自分から叩かれる隙を見せるわけない

叩きたいのであって議論や喧嘩がしたい訳じゃない
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148. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 08:32:03 ID:AzNjQ4MA=
>>142
・人の挙げたものにケチをつけるの禁止を無視して自分は文章が読めないアピールでアホと思われる
・ケチつけた時点で叩かれる隙をさらしてるのに無自覚なアホと思われる
・完璧である事に言及すれば自分にも返ってくるのに気づいていないアホと思われる
それすら解っていないのかそれを甘受してでも叩きたい、あるいは反応してもらいたいのだとするとこうカワイソウが先にきてしまってせつない話だ
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165. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 12:14:41 ID:I0NTUyNDA
>>148
読んでないというよりそもそも注意書き守るつもりもないんじゃね?
俺なんかはせっかく掲示板形式なのに異論反論ない方がつまらんわって思うし>1の言うこと絶対遵守なんてわけでもないので
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168. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 14:07:25 ID:AzNjQ4MA=
>>165
その辺りはディベートをしてる訳でもないし必ずしも厳密に厳守しなければならないとは自分も思わないけど、ただ言い方ってあるよなぁとは思うのがね
単にやりとりや反応を期待しているだけにしても、もう少し柔らかい言い方や提示の仕方もあるだろうになって
0
169. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 14:46:04 ID:I0NTUyNDA
>>168
俺は上の>32とかかなあ
ルール守って楽しく盛り上がるつもりもなく
ルール破ってまで否定的に出るけど、じゃあその内容はというとなーんもない。ののしってるだけ。
当然内容がないので返ってくるレスも罵るだけになるよな、こんなの
どんなリアル生きてたらこんな風になるんだ?って、青葉とか山上のこととかあるし、ネットの向こうが怖くなるね
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170. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 14:50:26 ID:Y3MjczODA
>>168
ルールを厳密に守る必要は無いが
マナーは守れってことだな
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34. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:31:03 ID:IwNDkzMTU
どんなに好きな作品でも中々完璧って評価は出来ないな。
完璧じゃ無い部分も許容範囲として受け入れられるって感じ。
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35. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:31:07 ID:Y5NDI4MjM
記事内でも出てるけどガン×ソードかなぁ
2クールアニメで無駄回なし、細かい設定に則したメカ描写、ジャンルで言えばSFだけど痛快娯楽復讐劇の名に相応しくスッと入ってくるストーリーでとっつきやすい
勇者ジジイたちなどの裏設定も漁ると面白い
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36. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:31:23 ID:MwMTc1MzU
いやーしかしスレタイ程とは言わないけど考えると素晴らしい作品はいっぱいあるね
0
38. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:31:40 ID:g4NTYyMTA
プラネット・ウィズ
ただし思想強いと言われるとそうだったりするし
他の作品も考えてみたら自分は完璧でないものが好きなんだとわかった
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39. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:36:20 ID:Y2MzQ2MDg
個人的にはARIAかな
設定に合った絵もあって説得力がある世界観と青春と成長と切なさと癒し全部入りでしっかりまとまってて綺麗に締められてる
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40. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:36:44 ID:U3MDg1NDk
今見たらつっこみ入れたくなる人の気持ちも凄くわかるけどそういうのを差し引いても起伏に富んだストーリー、魅力的なキャラクター、オリジナリティーのある世界観、 感動的なドラマ、見事なラスト、百点!!って銀河英雄伝説は叫びたくなるんだ。
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41. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:38:06 ID:U1NTc3NDg
まだ始まったばかりの作品なのに使い勝手いいなスレ画…
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42. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:39:12 ID:g3NTI1MTc
蜘蛛の瞳とかCUREの時期の黒沢清作品は本当に完璧だったな…
後のアカルイミライみたいな欠落のある作品もまたいいと思うけど
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44. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:43:09 ID:M0Mjg3MTc
火ノ丸の学生編
最短距離で無駄なく全てを回収しきった
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62. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:03:19 ID:Y1NTkwMDQ
>>44
さらに第1巻の完成度を言えば全漫画とおしてみてもトップだと思うわ
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136. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 23:53:19 ID:M1NTk1MTY
>>44
始まる前は蛇足と思えた大相撲編も負けずと出来が良かったのが素晴らしい
終わりかけの駆け足でダイジェストや、いいとこなし力士もちゃんと描写できる余裕があれば完璧だった
さらにプラスアルファのラブコメ談義も良し
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45. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:44:28 ID:A1MjgxNTc
ダン飯がないな
著名すぎるか
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46. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:44:49 ID:QxMDY3ODI
どんな有名で人気でもクソみたいな展開に陥ってしまう作品の多いことといったら
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47. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:45:28 ID:U1Mjg4NDQ
スーパードクターK
他に好きな作品はいくらでもあるけど欠点が無いのはこのマンガくらいだと思った
続編で過去の医療知識が時代遅れになった事すら「だが今は違う(ギュ」とネタにするから凄いよ
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49. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:46:33 ID:I3Nzk1NTE
うしおととら
金色のガッシュ
ARMS
マップス
ダイソード
寄生獣
クロノクルセイド
ワールドエンブリオ
ハーメルンのバイオリン弾き
機動武闘伝Gガンダム
TIGER & BUNNY
この辺全部大好き
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50. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:46:35 ID:c0MTU5MjM
ブレイキングバッド

末期がんになり家族に金を残すために麻薬密造密売に手を染めた男がいつしか手段と目的が入れ替わり
家族から見捨てられ「楽しかったからやっていた」と自覚するに至り己の犯した罪に対する報いを受け死んでいく
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69. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:13:15 ID:MxNTQyOTA
>>50
個人的な感想と思って聞いてほしいけど、主人公って報いを受けたわけじゃないよな 割りかし好き放題やり続けて望んだ形で最期を迎えた気がする 伝説の麻薬王がパートナーの裏切りで死亡みたいな
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51. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:47:28 ID:k0MzkzNzU
パンプキンシザーズ
カルッセル編は神
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52. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:50:39 ID:c0NDI4ODI
要するに好きな作品挙げるスレでは…?
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57. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:57:43 ID:U2Mzc3Ng=
>>52
人の数だけ完璧があるので実質そうだと思う
好きなものを語るキラキラとした感情は健康に良い
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67. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:10:02 ID:A1MjgxNTc
>>52
まあでも一部展開とか〆方がひどいとは思うけど好き!な作品も結構あるよ俺
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79. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:21:27 ID:MyNDQ2NzI
>>52
ぶっちゃけそうなんだが好きな物を語れるって良いことだと思うぞ
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93. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:49:02 ID:I4NjMxNjI
>>52
好きでも完璧とは思えない作品だってあれば
設定とか完璧だろ…って思える好きな作品もある
お題で決めて語ることで方向性を絞るのは無駄では無い
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95. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:51:21 ID:Y0OTg4NTk
>>52
採点者が100点を付けるんならそれでいいのでは?
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53. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:50:48 ID:kxOTA5ODM
トイ・ストーリー3かな
いい完結作だった
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54. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:52:16 ID:IwNDkzMTU
よく見たら元のスレタイに完璧って言葉入っていないじゃん。このスレタイ改変は許されない。
0
58. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 18:57:49 ID:MwMzk2ODU
完璧を知ってるならそれを言語化したら世界的に評価されると思うよ
「欠点がない」が正しいと思う
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59. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:01:12 ID:MxNTQyOTA
>>58
言葉遊びしたいわけじゃないけど、世の中の名作は欠点含めて完璧なんよ
0
92. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:49:01 ID:gyMjE4Mzc
>>59
いい言葉を聞いた
あがってる作品の中に最高に愛してはいるけど欠点もあるよな・・・それも含めて愛してるんだけど・・・って作品もあったから
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90. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:47:27 ID:Y0OTg4NTk
>>58
欠点がないなんて無いよ
将棋と同じで最初の盤面が完璧、駒が動く事によって布陣が変わりストーリーが進行し同時に隙も多くなっていくがそこで生まれる攻防や新しい局面に魅せられていくのよ
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60. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:02:16 ID:I1NTIyMjM
マブラヴオルタ
0
61. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:02:47 ID:E1NDIyMTg
らっきょは嫌いじゃないけどオリジナリティーある世界観か?
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63. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:03:54 ID:cwNzI0NDk
ワイルドアームズ3 完璧なシナリオだった
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64. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:04:04 ID:QxNzYzOTk
嘘喰い
0
65. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:04:33 ID:EzNDkwODc
シャドウハーツ2が一番好き
0
66. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:04:39 ID:Y1NTkwMDQ
ここはRRRを推しておくぜ
0
68. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:10:35 ID:AwNTYzNjY
ガールズ&パンツァーはテレビ版も劇場版も完璧だったな
美少女×ミリタリーはよくあるが戦車で青春スポコンをやるのは新鮮だった
最終章も期待しているが完結まで生きてるかどうか…
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137. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 00:02:17 ID:M1MDE2ODA
>>68
たった10年も生きられたら最終章見届けられると考えたら
持病持ちでもなければ楽なもんじゃいか
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144. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 03:34:25 ID:QzMTk5NjA
>>137
つうかなんであんなに時間かかってるんだ?
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150. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 08:44:40 ID:YxOTM4MDA
>>68
1回目の劇場版は良かったけどテレビ版は...
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71. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:14:26 ID:g1MTYwODc
鋼の錬金術師と寄生獣は出てるので、

ドラゴンクエスト ダイの大冒険

仮面ライダークウガ

をば。

ドラゴンボールとかブラックジャックも好きなんだけど、真っ先に思いついたのは上記。

ダイの大冒険は読み切り時代からの付き合いだし、クウガは今までのライダーの伝説を塗り替えたから自分の中で特にインパクトデカ過ぎる…。
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72. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:16:25 ID:MxNTQyOTA
12人の怒れる男たち

みんな見てくれな ダラーっとラジオドラマのように楽しんでも良い
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86. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:39:07 ID:I3Nzk1NTE
>>72
会議室という超狭い空間から舞台を一切動かさないにも関わらず、わずかな時間の間に各人にきっちり見せ場を設けて怒涛のドラマに仕立て上げたのは実に完成度高いよね
しかも新たな解釈を加えることで違う結末にできる余地まであるときた
0
105. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 20:09:32 ID:g1NzYwMTI
>>72
ナイフを机に刺すシーンマジで好き
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77. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:19:42 ID:MzMDkyNDk
BLACK BLOOD BROTHERSはいいぞ
この物語には、これ以上に付け足すところも削るところもないと断言できる
0
78. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:20:26 ID:AyNjEwNzM
ざくざくアクターズ!フリーゲームの枠は優に超えてる
フリゲの上澄みはそんなんばっかりだけど、これは特に本当に心に刺さった
0
80. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:24:24 ID:I3NDMzMzA
こういうスレでは機械仕掛けのイヴを挙げることにしている
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81. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:27:53 ID:IwMzY2NzU
寄生獣
こと隙の無さであれを超える作品は思いつかん
0
82. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:29:25 ID:g0Mzg5MjA
そりゃコマンドーよ
0
83. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:32:30 ID:g2ODgwNzY
龍が如く0
ストーリーやキャラの魅力も
戦闘の爽快感もシリーズ随一だと思う
0
84. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:33:55 ID:Y0OTg4NTk
続編やTV版無視していいなら
ブレアウィッチプロジェクト
劇場版機動戦艦ナデシコ
あとソシャゲだがきっちりストーリー完結させたシノアリスを挙げておこう
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87. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:40:11 ID:k1ODMyMzQ
「ゴールデンカムイ」
いや、結構無駄なこともあったな
しかし、その無駄も含めて好き作品だった
0
88. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:40:32 ID:gwMzc3MTQ
好きな作品をあげるだけになってる感がすごいな

俺はARIAを推そうかと思ったけど、起伏に富んだストーリーかって言われると微妙か
じゃあ無難に寄生獣とかかなあ、全てが完璧ってなるとどうしても美人投票みたいになるわね
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89. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:41:18 ID:QyMzYzNzM
ターミネーター2上がってないとかマジか…
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91. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:48:22 ID:AxNzQ3ODA
日本の漫画史上最も完成度が高いのは、
諸星大二郎先生の『暗黒神話』(+孔子暗黒伝)
一応異論は認めるが、読めば誰もが納得すると思う
0
96. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:52:08 ID:I2ODMzODI
ヒート
最初から最後まで全部好き
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97. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:54:32 ID:gyMjE4Mzc
バジリスク 甲賀忍法帖

20人が上からの命令で殺し合う「愛する者よ死に候え」ただそれだけの物語でこれだけのテンポのよさでこれだけのキャラを立てながら最初から最後まで面白くて我慢できなくて漫画の連載途中で原作読んじゃってそれでも面白いまま完走する作品があろうとは
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139. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 00:05:31 ID:M1MDE2ODA
>>97
完成度の高い悲劇でありながら、それ以上の悲劇が
無理やり続編を作るために最後に死んだ二人が実は生きていて子供まで作っていたという
台無し感を煮詰めたようなパチスロのための後日談という悲劇
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98. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:54:37 ID:YxNTg5NjA
宇宙よりも遠い場所
0
99. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:56:27 ID:E4NzkwNjQ
まだ挙がってないのだと
the TRUMAN show(邦題:トゥルーマン・ショウ)

ストーリーに無駄がなく、良質なエンタメだけど切れ味鋭い風刺でもあり、そのまま医学用語になるぐらい独自性も豊か
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158. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 09:01:09 ID:YxOTM4MDA
>>99
スタジオ出て行った後のトゥルーマンのその後は一切描かないことで、結末を視聴者に投げるのは良い終わり方だったと思うわ
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100. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 19:56:53 ID:kxNDUxOTU
うえきの法則はラストの展開に唸った
うしおととら、からくりサーカスも候補にしたい
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103. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 20:05:44 ID:UwNjIxODU
同意する作品が沢山あってよい
何故かまだ挙げられてないみたいなので
魔法少女まどか☆マギカ アニメオリジナルにしてここまで完成度の高いのは見たことがない
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108. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 20:28:51 ID:IwMDI4NDA
>>103
スレ1の要素ももちろん満たしているけど個人的には不要なシーンや設定がなくて無駄も隙もないのがポイント高い
続編以降やスピンオフもまどマギ外伝作品としては好きだけど完璧な作品って言ったらもうアニメ本編の一話から最終話までの一連の流れよ
0
104. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 20:08:41 ID:Y0OTg4NTk
オーディンスフィア
沙耶の唄
ワンダと巨像
0
106. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 20:19:36 ID:E3ODAzNzI
これは白昼夢の青写真
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107. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 20:23:06 ID:IwMDI4NDA
好きな作品って言うと加点方式だけど100点とか完璧とか言われると減点もするじゃない
感動的なドラマとかオリジナリティーのある世界観は加点要素だけど減点防止って感じはしないので必須ではないかな

それよりも個人的には完璧な作品と言えば無駄もなく不足もないというのを
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110. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 20:37:58 ID:kzODgxNjE
地球防衛軍5~6かな
ああいう世界をゲーム化できてストーリーも凝ってた
唯一不満点があるなら6のラスボスくらいか
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111. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 20:40:41 ID:g3MzA4Mjk
こんなんダンジョン飯だよね
ストーリー画力キャラデザ世界観ユーモア
どれをとっても一級品だもん
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180. 名無しのあにまんch 2024年06月21日 00:29:00 ID:QwNzY2OTA
>>111
ないわー…
あんなご都合主義の塊作品好きな奴って、詐欺にコロッと騙されそうな印象がある
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113. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 21:02:20 ID:M2NzE3NTg
ヒカルの碁
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114. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 21:03:19 ID:M4NzUwODk
挙がってる中で自分も完璧だと思う作品:寄生獣、ゴールデンカムイ、進撃の巨人、スクライド、エイリアン2、アキラ、ナウシカ、ARMS、コマンド―、ターミネーター2

挙がってないけど挙がっててもおかしくないと思う作品:DQ3,FF5,サガ2秘宝伝説、ロマサガ2、けものフレンズ1期、バーンブレイバーン

挙がらないと思うけど個人的には100点と思う作品:宇宙x兵衛、アベノ橋魔法☆商店街
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115. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 21:20:16 ID:Q5MTk0ODk
ウソツキ!ゴクオーくん面白かったなあ
ここで全話無料を知ったおかげで読めた
0
116. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 21:29:40 ID:M5MjgzODU
漫画だと半神、寄生獣、大奥(よしながふみ)
アニメだと宇宙よりも遠い場所

アニメは1年物だとどうしても無駄な部分があるので
完璧となると1クールになってしまうな
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117. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 21:37:58 ID:M5MjgzODU
1年アニメで最も完璧に近いのはボンバーマンジェッターズかな
あるいは3クール+αだけどコメットさん
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118. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 21:49:45 ID:UyNzc4NTM
漫画版のニンジャバットマン。
0
119. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 21:51:40 ID:Y4NTY1MjE
羊たちの沈黙やな
映画の構成としては教科書に載せろと思うくらい完璧やと思う
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122. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 21:59:26 ID:k4ODE1Mzk
PSYCHO-PASSかな。
軽い気持ちで見出したらどんどん引き込まれて映画までコンプリートしちゃった
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123. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 22:16:55 ID:QyNjY5MzY
デスノート
0
124. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 22:22:27 ID:g0MDQzNzI
問題児は続編が出版社のせいで打ち切りになってしまったのが非常に残念

ただ、今年になってから作者がネットで色々と書き始めてるから再開に期待
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125. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 22:22:53 ID:kwNjkwMjE
デジタルデビルサーガ アバタールチューナ1と2
特に2のOPとEDの繋がりは感動だし旨い演出だと思う
ブサイクのマイブラと蟲愛はシナリオ分岐がすごい緻密でチャート見てるだけで感動する
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126. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 22:28:15 ID:M0NTg1MjI
ガルパン劇場版だな
とことんやりたいことを詰め込んだ内容を
2時間になんとか収めるために(数秒ぎりぎりで2時間いってない)
作画と撮影が終わった後も公開直前まで尺調整を詰めてたので
無駄なシーンが1秒たりとも無い
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127. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 23:01:51 ID:M4OTI5NDY
覚悟のススメ
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128. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 23:07:01 ID:A1MjU1MzY
挙がってないのだとサモンナイト3が個人的に最高だった。

キャラもいいし、ストーリーもマジでよかった
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129. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 23:14:43 ID:ExNDMyNDM
頭から終わりまでしっかり計算されてて無駄がないなと思ったのは暗殺教室だな
個人的に面白さでこれ上回る作品はいくつもあるけど、完成度ではかなり隙がない
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131. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 23:35:12 ID:AxMzcyODU
欠点含めて全て愛せる作品…となるとゲームはデモンズソウル、漫画だとHUNTER×HUNTER、映画はショーシャンクスの空に、かな
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133. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 23:48:29 ID:A3ODgyNTI
刀語
キャラ、バトル、会話、1話毎のボリュームの満足感、締め方
個人的に全てがクリティカルだった
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134. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 23:50:26 ID:gxNTEwMDQ
大河もいいなら青天を衝け
観た者に笑顔で徳川万歳!徳川万歳!と言いたくならせる凄い幕末ドラマ笑
後半短縮されたけど、だからこその良さが逆にあったと自分は思う
ガンダムの初代がそうだったように

話が明治に入ってから、どうせこの後はただ栄一があれもこれも成功するだけじゃんと言う声がネットでも実際あった
でも回数減らされた分、渋沢栄一の成り上がり成功物語ではなく人間栄一の色々な内面のドラマに焦点がより当たっていたと思う

イケメンの印象が強い吉沢亮が余りにも演技達者なのも驚かされるよ、本当におすすめ
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162. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 10:40:27 ID:AxNzgzMDA
>>134
・明治、大正、昭和にかけて活躍した偉人 渋沢栄一の生涯を描く大河のはずなのに、秋までほとんど渋沢が活躍しなかった幕末を描いて、明治以降の渋沢の功績をほぼカット(徳川視点で幕末大河描きたいなら、小栗か勝か慶喜でやっとけ!)、おそらく尺の取り方では最悪の部類の大河。史実で一度も出会ってない土方のパートいるか?

・渋沢栄一の女部分のだらしなさをほぼカット。謎の純愛男として描き、嫁とのラブラブ話とかいう架空のストーリーを展開。タイトル回収が「幼馴染に告白したいけど勇気出ないンゴ...せや!登山して気持ち切り替えたろ!」なのは渋沢侮辱に過ぎる

・おそらく一番面白いであろう明治大正の政治闘争で、渋沢の暗躍部分をカット。明治十四年の政変とか、渋沢が福沢諭吉と組んで大隈重信を騙くらかして権力握ろうとした、いわば一番の見せ場なのにフルカット。何これ?

・渋沢の晩年のアッサリ感。自分が好き放題生きたのに、孫に土下座して学者人生捨てさせる畜生感は良かったけど。『論語と算盤』で儒教による家父長制の復活を唱えたり、「帰一協会」を結成して新興宗教と協力して政治に信仰宗教の力で介入して、保守的な存在になった晩年の渋沢を出さないのはおかしい

総評すると、偉人大河の皮を被った中身のない実質女大河やった
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179. 名無しのあにまんch 2024年06月21日 00:19:26 ID:QxNDA2MTI
>>162
言いたいことは分かるが最後の「女」大河は要らん一言だな
男が男向けに作ったか知らんがどうする家康のような駄作も普通にある
鎌倉殿も正直脚本の理想の女性像なのか、主人公の永遠の恋人のように仕立てられたほぼオリキャラ八重の存在は全体的に尺の無駄だった
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181. 名無しのあにまんch 2024年06月21日 00:45:45 ID:k0MDgyMzE
>>179
ごめん、説明省いてたわ
ワイの頭の中では、女大河(駄作)の定義って以下の点
・人気がある幕末や戦国に視点を置く
・主人公は知名度がそこまでないので、史実では主人公と接点のない三傑や有名人となぜか知り合いになり、主人公は彼らの起こした歴史的事件に巻き込まれる
・もちろん、主人公に活躍の場などないので中盤は45分の大河で主人公の出番5分、三傑などが主軸のありきたりの大河ドラマになる
・架空の恋愛パートに序盤や中盤は時間を割く

青天をつけはまさにそれを踏襲したんや。途中、渋沢の出番5分回や有名人物の回想ばっかりの回もあった。幕末を夏までに終わらせたら、明治、大正がメインの重厚な大河になったはずだったのに、構成を女大河にしたためよくある幕末題材の女大河の焼き増しになってしまった
正直作り直して欲しい
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263. 名無しのあにまんch 2024年08月10日 07:31:35 ID:g1MDI0MA=
>>162
>社台だったね
そこがあやふやで何で当時の事情を断言したの?

>吉田と他の馬産では高評価に対してのアクションのハードルがかなり違う

そもそも吉田氏は他が見向きもせずとも個人で高額輸入してるんだからその時点で個人の価値観が周囲の社会的価値観と大きく異なっていた証左であり、ハードルが違う事自体が馬産社会の価値観に反する個人の価値観が強く作用した事実に他ならない

>近い例だと任天堂とかソニーが自社ハードにいいタイトル供給するのとサードがどこのハードに展開を選ぶかが同じくはできないようなもの

リスク回避の為説は最近だとコントみたいに初年度からバンバン申し込まれてる奴がいるって反例あるやん
加えてその例えと違って馬産は産駒や孫が自社種牡馬(ハード)に成り得る

>個人の内部で上下が変わる話であって、この前段にあった個人の価値観の強弱によって偏りが出るという話とは繋がりがないという意味だ

だとしても平準化と称して個人が作品等にどんな感想を抱くか未知数なのに「社会的な正しい評価を持て」と勝手に押しつけて侵害していいとはならん

>量が多いから個人間で出現頻度の高くはなるけどその価値が高まるわけではないということだよな

多数意見相手だろうと価値の高い低いは個人による
共感や自分にはなかった気づきを得たと高くなり得るし、正しいか正しくないかはさておき非共感から低くなったり

>しかしこれは価値で言えば平準のままだけど量では偏りがある状態

そもそも平準って平均的な意味合いで使ってるの?
その場合で答えると価値で言えば平均的なものかは統計を取らないと解らないのでは?
多数派であるなら平均以上になりそうだけど

>上の方で「実際世の人々はそういう考えだと思う?違うから「そうである」と定義付けられてないんじゃないの?」と問われたが、これも世の人々の価値観は数の面で偏りが生じるということだよな
>こうした共通する価値観は数以外での偏りを生じさせるかについてはどう考える?

断言はできないがほぼ個人の数だけ価値観がある以上は遠く離れれば偏って水平な直線に見えても近づけば実際は凸凹してるんじゃないかな多分
世の人々が違くともそちらは「そういう考え」な以上はそれも含んだ上で世界は在るんだから少なくともこちらとそちらで凹凸が存在している。同じように多数的な部分で意見が一致しようと細かい部分で意見が不一致なら厳密には同じ意見とは言えなくなる
そもそも根本的に数の偏りだって極めて限定的であるか大雑把であるか普遍性が作品側にあるかでないと生まれにくいんじゃないか?

改めて問うけど「実際世の人々はそういう考えだと思う?違うから「そうである」と定義付けられてないんじゃないの?」

>それは前にも述べたように道端に生えている花がどこかで上位レイヤーの個人に影響を与えるかもしれないということでも同じで万物のすべてに影響しあう価値があるという話だ

社会ってそういうものだし一番上の理屈通りだから個人とその価値観に価値があるとこちらは主張している

>まず発言や記述というのは表現の自由に含まれる

だから他人を意図して不快にしていいという保証は表現の自由に含まれていない

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。 又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

「この憲法が国民に保障する‘自由及び権利’は」とあるように12条は表現の自由にも適用されるにも関わらず他人を害する為に用いるのは不断の努力を放棄し、濫用し、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を放棄しているからだ

加えて某所からの抜粋になるが

>日本国憲法の下でも、表現行為が他者とのかかわりを前提としたものである以上、表現の自由には他人の利益や権利との関係で一定の内在的な制約が存在する。内在的制約とは、第一には人権の行使は他人の生命や健康を害するような態様や方法によるものでないこと、第二には人権の行使は他人の人間としての尊厳を傷つけるものであってはならないことを意味する

他人を意図して不快にする言動は第二の要項に該当して制約される


>そのうえで公共の福祉において「一定範囲の人々が不快に感じるという理由では表現の自由を制限することはできない」というのは既に述べた

いやパワハラで訴えられたり軽犯罪法で逮捕されたり制限される実例を挙げてきたろ
他人を不快にする言動は上記の12条に反する為に「表現の自由」を逸脱するので刑法に訴える事が可能であり制限されている為に「他人を不快にしていい権利」は存在しない


>つまり俺の発言により不快にされたとしても俺の表現の自由は権利として保護されている

12条に定められた公共の福祉に反し、逸脱した権利の主張が濫用にあたるので保護されない


>またちょっと刑法による感情の保護に関する論文をいくつか見てきたが、現状の日本刑法学においては不快等の感情の侵害を理由として刑法は適用されていない

誹謗中傷による侮辱罪、名誉毀損等と同じく他者の権利の侵害が本質だから感情の侵害を理由とした刑法の適用前例が無い事は何も保証しない
「不快にさせるだけ」と矮小化させるなと何度も書いたが


>またこうした感情侵害を刑法にて位置付けるべきだと主張して

いやだから権利の侵害が本質だと何度も書いてるのに自分に都合が悪いと何でスルーするんだ?


>「他者を不快にすること」については法的にも制限がない

結果的に不快にさせたと意図して不快にするでは大きく違うと何度も書いたが?
意図せず他者を不快にさせる過失が許されないとは一度も言っていない筈だが?

「意図して他者を不快にすること」については軽犯罪法を始めに法的に制限がある事例は上に挙げた以外にも性的発言による名誉毀損や侮辱罪にあたったり場合によっては条例違反。騒音罪や、虚偽申告、称号詐称・標章等窃用の罪などに引っ掛かるおそれがある

自分が言っている事が「セクハラだろうとパワハラだろうと誹謗中傷だろうと脅迫だろうと他人を不快にする権利で許された表現の自由の範囲内」であるとしている自覚はある?

余談だがロ出による嫌悪(不快)を相手に覚えさせる事で軽犯罪法に引っ掛かるので他者を不快させることでの法的制限の事例もあるぞ
人間は所詮獣である事の表現として人前で肌を出します!なんてのを表現の自由の権利がある!で許されやしないんだよ


>ちなみに12条の話は感情侵害が自由及び権利に含まれるとしてこれを濫用しているとの解釈?

感情の侵害などと矮小化するなよ
相手を不快にしようという害意は権利の侵害だ
仮に感情侵害だろうと不快にさせた内容によって何故不快なのか?で引っ掛かる


>それでも公共の福祉では不快を制限ができないのは上記通り

いや何を理由に制限できないと言っているんだ?
意図して他人を傷つける言動は公共の福祉に反するし
最高裁判所による「憲法21条1項も,表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく,公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものである」とも判示した前例(最高裁判所第二小法廷・平成20年4月11日判決)があるのどのような表現行為でも常に許されるというものではなく、また公共の福祉による制限はできないというそちらの言説への反証が実例として在る


>11条では何度も言うが幸福追求権の中に不快の排除が示されていなければ適用できない

11条は

第十一条
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利

とあるんだから寧ろ「公共の福祉に反する相手を不快にする意志による言動で人権を侵していい保証」をそちらが提示できない時点で論外
不快の排除とそちらは言うが排除以前に最初から侵すなと11条は言っているんだが?

加えて抜粋だが

>憲法第13条では「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定されています。

>憲法では、この規定を根拠に、「個人の人格的生存に不可欠の利益」または「広く一般的行為の自由に関する権利」を「幸福追求権」として保障しているものと考えられています(どちらであるかは、解釈によって分かれます)。

>そして、個別に規定された権利でないものであっても、憲法上の保障の対象になり得ると考えられているのです。

幸福追求権の中に不快の排除という一文が示されていなくとも「個別に規定された権利でないものであっても、憲法上の保障の対象になり得ると考えられている」ので適用される


>業務に差支えがなくとも人権侵害であれば不快であるだけで排する権利があるはずだろう

「公共の福祉に差し支えない範囲で」という制限は被害者にだってあるのまで説明しないと解らないものだろうか?
被害者なら加害者に何をしてもいい訳でもないのは他の話題でそちらも同意した筈では?

好き勝手に幸福追求権で誰にでも何にでも不快にされたくないと喚くのと、不快にしようという害意に対して自由を侵害されたくないから幸福追求権に訴えるのとでは違う


>また、故意であるかや忙しさが人権侵害の要件に関わるのか?

相手の故意が確認できたなら上記の制限を取っ払って排する権利が生じる。相手が公共の福祉に反するのが明らかだからだ

あまりに忙しなく身心に異常が出た際に健康に生きる権利から健康上の理由や業務への差し支えから業務状態の見直しを上に訴える権利が生じる。それで故意に忙しなさに追い込んでいたなら肉体的、あるいは精神的健康面での人権侵害でもあり幸福追求権の侵害でもある
まぁ身心壊す前に相談した方が業務上は良いんだが

故に適正と言えない業務状態なら働きたい男の方が制限される
そこまでいかなくともキャパオーバーかそれに近い状態に追い込んで他者の作業能率に悪影響を及ぼす個人がいるなら業務上の観点だろうと改善が必要なのは明らかでは?


>業務への差し障りを理由とした排除は人権ではなく業務上の理由での排除だよな?

差し障りの理由にもよるだろ。セクハラで仕事にならない、自分のキャパシティを越える仕事を割り振られるパワハラなどで兼ねるケースは枚挙に暇がない。というか人権を侵害されるから、された側に業務上の差し支えが出る事が多いのでは?

故に働きたい男は程度次第で人権の侵害も業務上の差し障りも両方兼ね得る


>なので不快を制限するのであればそうした特殊な感じ方をする例であっても人権は守られることになるのでは?

繰り返すが故意の侵害による不快と、過失や相手に落ち度のない言動で覚える不快感は全く扱いが違う
なのに「不快」と一括りにして大した事のないかのように扱うのは恣意的だ

後者であれば過失には改めるよう訴えかければいいし相手に落ち度が無いなら自身も「公共の福祉に反しない」言動に制限されなければならない
前者である「相手を不快にしていい権利の表明」は11条を理由に排する権利がある

また、これも繰り返すが「公共の福祉に反しない」は不快に感じた側にも適用される
自由にしていい権利であって、好き勝手にしていい権利ではない


>これは意味に曖昧さを持った言葉に対しては適用できない場合があるということのようなんだが、具体的に適用できない場合はどんな言葉でこの場合は当てはまるのか?

上にも書いたが改めて書くが
『第13条の幸福追求権は第11条によって妨げられてはならないとされている』
であり対偶にはならんやろ

強いてなる形で言えば
『第11条によって守られていないならば第13条の幸福追求権ではない』
か?


>ただ古物商持ってたとしたら詐欺にあっても警察行けないという理由はわからん

古物商持ってても悪用してたら警察に駆け込んだ件は解決しても悪用した件で逮捕され得る
本質的には「駆け込めない」ではなく「助けてもらえない」だ。あるいは「駆け込む方が損する」
駆け込んでもいいが詐欺の被害分は取り戻せるかもしれないが悪用して得た利益ならその限りになるかは怪しいし悪用した件で刑罰もありうる

というか古物商持ってる持ってないの話はしてないだろ
悪用するな、悪い事するなとしか言ってない筈だが


>それは犯罪と道徳の混同だ

混同じゃないぞ
情報開示請求をされているかされていないかで、され得る言動を自分がしている自覚をしてくれ


>どちらの話の段階であってもボールを持っているのは俺じゃないってことだ

なのに何でボールを持っているかのようにこちらが認めたと言い出したのか

>社長以上に親の影響
社長は成人後に養って執筆させた事実が強すぎる
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135. 名無しのあにまんch 2024年06月19日 23:51:45 ID:c4MzI1MjM
時計仕掛けのオレンジ
シンメトリー、最小の視線誘導、奥行きを作るためのごく自然な謎の明かり、無駄のない台詞
病的なくらいに作り込んでる気がする
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141. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 00:09:46 ID:M1MDE2ODA
アニメならよりもい
同じ年のゾンサガも並べたいけど、二期の最後の最後が蛇足どころかムカデ足をつけて台無しにしたので並べられなくて悲しい
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147. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 08:26:08 ID:EyODc0NDA
漫画だと
医龍、スラダン、ハガレン、デスノあたりがストーリー、キャラ、絵とか含めて完成度高くて完璧に近い
映画だとショーシャンクの空に、ボヘミアンラプソディー、きっとうまく行く辺りも完璧
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149. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 08:43:55 ID:YxOTM4MDA
無駄がない(長すぎない)、起承転結しっかりしてしてる、テーマがぶれていないってのは大事だよな。漫画とかだと何回も読み直してると色々粗が気になるし

漫画だと『寄生獣』ストーリー漫画はこういうのでいいんだよの典型
月刊誌と週刊誌比べちゃだめだけど、寄生獣読んだ後だと、ワンピは無駄に話広げすぎてるし、テーマがブレすぎている。逆に鬼滅は尻切れトンボというか、作者の限界で一気に話を閉めてしまった閉塞感を感じる。
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151. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 08:49:19 ID:g5MjczMDA
寄生獣は実は途中で方針転換してるんだけど、
それを感じさせず完璧に計算されているように思わせるのが凄い
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156. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 08:56:34 ID:c3NDg0MjA
火の鳥未来編と鳳凰編
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159. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 09:12:19 ID:E0MDc1MjA
彼方のアストラ
絵、ストーリー、独創性はかなり高いと思う。
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161. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 10:25:10 ID:gzMDQ5NDA
大きな粗が目立たない、エンタメとして完成度が高く非の打ち所がない、的な意味で言えばバック・トゥ・ザ・フューチャーと宇宙よりも遠い場所と無印トイ・ストーリーが自分の中ではそれかな
ぶっちゃけ単に好きというか刺さった作品は他にあるけど、誰が見ても基本面白いだろみたいな意味では「完璧」と言っていいと思う
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163. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 11:02:36 ID:QzNDc2MjA
ギャラリーフェイク
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164. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 11:08:03 ID:AzODM1NDA
任侠ヘルパー
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177. 名無しのあにまんch 2024年06月21日 00:10:29 ID:QxNDA2MTI
>>164
あれは連ドラ後のスペシャルと映画まで含めて完璧だと思うわ
まず草彅が凄すぎる
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171. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 15:21:15 ID:g1NzMyMTY
トライガン/無印とトライガン・マキシマムかな
アニメ版もよかった
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172. 名無しのあにまんch 2024年06月20日 19:29:47 ID:QzODE4MDA
曲良し、ストーリー良し、世界観良し、キャラ良し、ラスト良しだった遊戯王5D's。
しかもネットの感想に影響されて、再放送時は笑えるシーンの多い作品になった。
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178. 名無しのあにまんch 2024年06月21日 00:14:22 ID:QxNDA2MTI
ハガレンアニメ一期
好みはあるだろうがあれはあれだけで一つの完璧な物語だと思う
絵も声も音楽も素晴らしかった
一期のための、一期だからこそ完璧に合う挿入歌ブラーチゃの存在も大きい
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182. 名無しのあにまんch 2024年06月21日 09:16:35 ID:M3NDcxMzY
>>176
文化的評価の目的は作品価値を決めるものだから社会的価値があっても個人に響くかは別問題
本来の文化的評価の目的は個人の偏りや属する社会の違いの影響を受けないように普遍性を保って評価することなんで国際映画祭などでは審査員に人種の多様性も持たせてる
ただし大衆が文化的評価の重要性を認識もせず、個人的評価を絶対視する考えが広がってることは作品評価軸が相対化されるんでやばいとおもってる
だから他人にも個人的価値よりも社会的価値が圧倒的に重要だと言い続けるのが俺の結論
全く価値がないと言うのは言い過ぎかもしれないんで比べると極めて価値が小さいぐらいにしておく
ちなみにマンガとかの歴史が短い文化の賞は大衆向けの人気投票とビジネス目的のものと作品評価が混在しているが、去年終わった文化庁メディア芸術祭では様々なジャンルの文化の評価軸を示していて後に続くモデルにもなっている
日本アカデミー賞のような粗については、しっかりと目利きが評価することの意義が伝わっていくことを期待したい
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183. 名無しのあにまんch 2024年06月21日 10:35:11 ID:UwOTE4NA=
>>182
映画祭での受賞に文化的価値が無いとは言わないけどそもそもとして応募しなければノミネート候補にすらなりえないという意味では受賞等がなければ文化的価値が無いかのような論調にはやはり疑問がある
最近でもゴジラ-1はどうせ無理だろうであやうくアカデミー賞に応募しないところだったという話は記憶に新しいけどそういう取り零しも起きうるから

>審査員に人種の多様性
その一例をもって文化的価値の決定において全体がそうであるかのように言うのは恣意的では?

176に書いた文化的源流になりえる点からの個人的価値のついての見解は?

そもそもとしてパトロンによる支援のみでの創作活動が現代ではほぼ不可能な点から文化的価値を生み出すには経済的価値の付随は不可分なのだから社会性と文化性は別問題と論じるにはパトロンである個人の価値を小さいとするのは何度も言うように持論ありきでは?
ビジネス評価も社会的価値であると175で一旦認めた上でビジネス評価に直結する個人の価値を低く見積もるのは、周り周って個人の集合である社会や文化の価値も認めていないと受け取られかねない言説になりかねないと思うのだけど
175では個人の評価は社会的価値になりえないとしているけれど個人の評価からの経済活動の集合である興業収入というビジネス面での社会的価値は認めているのだから、転じて後の時代で当時の世相や風潮などを推し量る文化的価値になりえるのに個人の価値観を認めないは持論ありきでの恣意的なもののように感じる

また、個人的評価の絶対視は文化的価値の評価も含まれると思うのだけどそこの所はどう?貴方の基準が文化的価値にあるのならそれもまた(貴方)個人の評価基準として無闇に否定すべきではないと思うし。今回は他人に同調を強要するので否定できる部分もあるから拒否する旨を挙げさせてもらっているけれど

なんにせよ個人の価値観が無意味とか文化的評価に比べて意義が低い等という話の入り方は個人的にはお勧めしかねるよ。喧嘩腰とも上から目線ともとれる持論の押しつけでは自分のような素人にすら気づける脆弱性があるから「こういう考え方もある」で部分的な同調を求める方が目的には沿うんじゃないかな
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184. 名無しのあにまんch 2024年06月21日 13:21:58 ID:AxMzY5OTc
完璧かどうかは知らんが、文句の付けようがない作品と言えば
ボボボーボ・ボーボボ
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185. 名無しのあにまんch 2024年06月21日 20:21:42 ID:U4NTM5Mzk
RRR
ズートピア
リメンバーミー
スターダスト
全部映画だけど
0
186. 名無しのあにまんch 2024年06月22日 17:46:36 ID:M0NjAzNTI
>>183
アカデミー賞に応募しないから評価されないとかの紛れは賞単位では起きるが文化的評価全体では起きにくい
実際にマイゴジは色んな賞に応募して受賞してるので総体で価値が認められてて、おもには映像表現の評価であって脚本の評価ではないことがわかる
ちなみにこうして色んな賞で受賞すること自体が普遍性についての担保となる
作品に個人が影響を受けて次に繋がる可能性というのは、例えば進撃はマブラヴオルタの影響を受けているが、ガンパレ、エヴァ、ナウシカ、諸星大二郎と遡れる
進撃が継承したものはマブラヴオルタ以前から継承されている要素なので、そこを評価するよりも作品ごとの独自性を評価するべきものであって、その新規性の評価のためにカンヌの「ある視点」部門等が設けられている
経済活動の話では、個人が集合した大衆の評価はビジネス評価の一部たりえるが、これは収入という数値的な評価に内包されていてこれを超えるものではない
もしも一人のパトロンに向けて作られた作品があってそのパトロンがイーロンだったりして100億払ってたとしたらビジネス価値は100億と言っていいが、それでもイーロンの評価と文化的価値は関係ないだろ?
当然、俺がいいと思うものと文化的評価も無関係
適切な手法で評価されたものの評価が正しいのであってどんな立場であっても個人の評価では駄目だ
あと歴史を推しはかる材料になるのは文化的価値ではなく資料的価値
議論に対しての持論では相手は一人に絞って喧嘩腰にした方が食いついてくれる確率が高い
そんくらいしないとこっちの価値観を打ち込めるとこまではいかんし、自分の考えを深掘りする必要もあるので有益よ
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187. 名無しのあにまんch 2024年06月23日 01:24:06 ID:Q1NDU5Mg=
>>186
その文化的全体評価の価値を認めながら個人の価値を認めないのはやはり結論ありきなのでは?
調べてみれば様々な映画賞での受賞を確認できたけれど結局は世間での認知に置いて自分のような素人ですら知ってるカンヌやアカデミー賞のような主要かつ最重要とも言える評価の選考外になりえるという問題点はカバーしきれていないし場合によっては「でもアカデミー賞とか取る程ではなかったんでしょ?」という誤解すら生みかねなかった(幸いにもエントリーしてくれたけど)
他で取っているからいいんだでは正確性はやはり担保されない点は解決していない

>作品ごとの独自性
つまる所その総体として受容の器になるのが個人の価値観であり取捨選択の末にどう出力するかも個人に委ねられているのだから、個人の価値観を無価値や価値が低いとするのは詭弁だ
例に挙げた作品全てを履修して我々が進撃の巨人を創造し得る事は不可能なのだから。それとも貴方は同じ作品を先に履修していれば自分だって進撃の巨人を描けたとでも言うつもりか?
個人の価値観や評価無しに独自性も発生しえない点において創作活動の観点から新規性を生み出すのに個人を不要かのように言うのは創作者への侮辱とすら言える
ふざけるなよ、と言わせてもらう。それっぽい言葉で誤魔化そうとしてるだけで「血統が如き系譜がある」という当たり前の事を言ってるだけでそれに持論を結びつけただけの詭弁ではないか

意図的に話をズラしてないか?現代においては個人の総体こそをパトロンに例えてその価値を小さいとするのは無理があるという話にイーロンという個人を持ち出してその評価と文化的価値は関係無いとするのは別問題の筈だ。加えてその100億出した事実が「ならそれだけの価値がある作品に違いない」と後付けで文化的価値も発生し得る。あるいはその100億を基準に投機として作品が幾人かの間を渡り歩けば後付けで歴史的大作として文化的価値になりかねない危険性がある

先に挙げたマイゴジは仮にアカデミー賞にエントリーせずとも他に賞を取っているから全体評価に問題無いという全体評価や総体評価を認めた上で個人の価値観の総体による評価の目安であるビジネス評価を今更収入という数値的評価として社会的価値から切り離すのは都合が悪くなっての逃げじゃないの?
歴史を推し量る価値に関しても資料的価値というのは記録としての価値だ。評論家や専門家だろうと個人の主観評価であれば文化的価値から切り離す事はできのでは?清少納言の枕草子は当時の価値観や嗜好を窺い知る資料的価値と共に随筆として文化的価値を併せ持つ。資料的価値の一面しかないとするには反例がある

>俺がいいと思うものと文化的評価は無関係
そこは論点じゃないね。個人の評価ではダメという価値観が認められるのも個人の価値観が認められるからこそであって、貴方がそれを主張する事こそがまさに個人の価値観でなければ何だというのだ?という指摘であってその矛盾を解明できないのであれば「個人の価値観は無意味」という貴方自身の持論で「文化的価値が絶対で個人の価値は無意味」という価値観や主張がそもそも無意味になる訳だけど、思想の自由において安易に否定すべきではないからこそな成り立つ持論なのに一方的に相手の思想を認めないのはアンフェアであり自身が持論を持つ事の矛盾にもなるのでは?
繰り返すけど貴方の基準としてなら好きに考えればいいが他人の考えを変えようというのなら攻撃的態度はお勧めしかねる。それでは侵略であり否定を招く

>こちらの価値観を打ち込める
それにはまず他人に喧嘩腰で語る前にもっと持論をブラッシュアップしてからにしてもらいたいね
寧ろ議論を通してその価値観に賛同できない理由の方が自分の中では湧いてきているし
こちらの持論として他人の持論を安易に否定すべきではないと個人的に思っているけど、それを尊守できない感情論も混じってきている疑惑すらある。そういうマイナス面から有効性には疑問がある
0
188. 名無しのあにまんch 2024年06月23日 12:59:32 ID:MxNzM1Njg
>>187
まず俺はおおむね文化的評価と言っていてお前は文化的価値と書いている
この定義が俺とお前で違う気がしてきた
俺が言ってる文化的評価は、世界全体で共通認識となっている西欧知性主義に基づいた作品内容の評価だ
ゆえに作品が与えた影響とか歴史的意義といった作品内容の外の話をされることに食い違いを感じる
お前は文化発展への寄与とかそういう意味で使ってないか?
とりあえずこの定義を前提に回答する
>マイゴジとアカデミー賞について
完璧に正確な評価ができないのは当然ですべての作品を賞にかけるとか人類に不可能なことを要求してどうする
評価手法の方向性自体は間違ってないだろ
>作品ごとの独自性
何度も繰り返すように個人の評価(「受容の器になる個人の価値観」から出力されたもの)は相対的であるからどんな評価も成立する
冒頭述べた定義から作品の持つ文脈ではなく作品の中の新規性や独自性への評価を文化的評価としている
そこに創作者への価値観への敬意の話されてもまったくズレているとしか言いようがない
>パトロン
別に個人でも大衆でもどちらでもいいが、後付けの影響があろうが作品内容に変化はないので文化的評価は発生しない
>ビジネス評価と収入
マックの話から「売上が世界一」であることがビジネス評価であって社会的価値を持つというのが前提だと思ってたけどね
お互いにマックの味の大衆評価の話をしてないのでこの認識は共通と思ってたんだけどな
>資料的価値
最初に述べた定義から内容以外の要素を文化的評価としていないので食い違ってる
>個人の評価の価値観
ここも繰り返しだが個人の価値観は相対的であり賞などの文化的評価は世界での普遍的な評価
これは売上で測るビジネス価値と同様に世界的に共通する指標であって社会的価値がある
まずここまでは世の実情であって俺個人の価値観ではない
論点は普遍的な文化的評価と個人の評価の間に上下関係があるかだけ
>攻撃的態度
お前の中に反発があるからこそ続いてるので今の状況は成功だよ
思想の自由があるからこそいくら否定されても平気だろ?
俺には自分の思想に基づいて外側から言葉でアプローチする以上のことはできんからお前が何考えようが自由だ
これこそ個人の価値観が相対的であって社会的価値を持たないことの証左だけどね
0
189. 名無しのあにまんch 2024年06月23日 14:22:26 ID:Q1NDU5Mg=
>>188
>西欧知性主義
1つ確認したいんだけどこれ造語じゃなくて実在するにしても普及してる概念なの?
仮に主知主義(知性主義)に西欧をつけただけにせよ元の知性主義と芸術分野への結びつけがまず一般的と言えないように思うんだが
加えて言えば世界全体での価値観が統一されていないのに前提条件にするのは正気ですか?
国が変われば言語によるニュアンスの変化や文化・歴史からくる価値観の相違で評価や受け取られ方が異なるなど今更言わないとダメですか?

>人類に不可能な要求
160にて「文化的な評価だと思うので正しく目利きする能力が必要なんではないか」という主張が崩れるから反証としてそれを突きつけての話なんだからそれはそう

>評価手法の方向性は間違っていない
その点は認めるけれど、あくまで正解の1つであり上記のように取り零しも出る以上は絶対性はなく他の方向性全てを否定しえるものではない

>そこに創作者への価値観への敬意の話されてもまったくズレているとしか言いようがない
であれば今回のスレの話題で最初から口出しをすべきではなかったし、安易に他人の価値観を否定すべきでもなかった。個人の主観に基づいた価値観の話であると気づいた時点で勘違いを認めて
創作者、消費者、作品全てへ敬意が無い
というか

>作品の持つ文脈ではなく作品の中の新規性や独自性への評価を文化的評価としている
この点においてすら葛飾北斎等の浮世絵からジャポニスムに影響を受けた代表的な画家として、ゴッホ、モネ、マネ、ドガ等の画家達が文化的評価を発生させている実例があるのに個人の価値観を認めないという結論ありきすぎる

>パトロン
それこそ世界での統一された価値観のみを基準とするなら金額という物差しによる唯一世界基準での共通評価可能な要素で文化的評価になってしまうけれど

>ビジネス評価
「売り上げが世界一」は極論が過ぎるし、そもそも元々その主張は極論がすぎるという一例であってビジネス評価としては利益が発生するかどうかであって個人の価値観に訴えかけて対価を払わせられれば「儲かる」という点で社会的価値が発生するという話だったと思うけど
ちなみにマックは好きだよ。特にサムライマックとテキサスとハッシュドポテト挟んだやつと月見が
そうでない人もいて他の店でハンバーガーを買う人もいる。個人の価値観を基準にね。個人の価値観に意味が無いのであれば店の選択は起き得ないけれど現実的にはそうじゃない。自分も状況によってモスもロッテリアもバーキンも食べる

>資料的価値
ところが源氏物語などは世界的評価も受けている訳だから
つまり反証として文化的評価も資料的価値も兼ねる存在はある

>個人の評価の価値観
文化的評価は世界での普遍的な評価というけれど件のマイゴジがお隣のK国で戦争賛美かどうか、特攻賛美かどうかで賛否両論で割れてるように世界的な統一された価値観とするには飛躍しているし、時代によって倫理観の変動等で後の世で評価が変わる可能性もあるのは普遍性を語る上で脆弱性ではないのかな?

>まずここまでは世の実情であって俺個人の価値観ではない
であれば何言ってんだお前と突っ込まれてないし、貴方も現状を憂慮して他人を変えたいとは思ってないのでは。世の実情がその通りならわざわざ言わんでもその通りになってるでしょ

>論点は普遍的な文化的評価と個人の評価の間に上下関係があるかだけ
そもそもレイヤーというか分類が違う。専門家が評価しての受賞はその事実や属する業界での権威や箔付けとして有効である事やその分野に属する個人の価値観に於いて意味は有る
けれど消費者個々人の好嫌や関心・無関心に対してそれが必ずしも意味を成すかと言えばそうではない。権威や箔よりも体験から来る自己評価が優先される場合が多い
無論、権威や箔が無意味という訳ではなくそれを導線に関心を持ったり自身がその分野の業界に属するなどで横に重なる部分はあれど縦に重なっての上下関係はそういう主義主張の個人の中にはあれど普遍的とは言い難い
上下が普遍的と言うのならば何故貴方が憂慮しなければならない事態になっている?

>お前の中に反発があるからこそ続いてる
いや単に僕の性格的な問題なので攻撃的でなくとも議論であれば続いたと思うよ
というか納得や説得に寄与していないのに成功と言えるかが疑問なんだけど

>個人の価値観が相対的であって社会的価値を持たないことの証左だけどね
個人の価値観に基づいて経済活動が発生するので社会的価値はありますね
加えて言えばボランティア活動してる人達もいる

ただまぁテロや○○活動と言われるような不の社会的影響を及ぼしている場合もあるのでその点は個人の価値観によるネガティブな面ではあるけどね
0
190. 名無しのあにまんch 2024年06月23日 17:46:50 ID:MxNzM1Njg
>>189
>西欧知性主義
実際に学術の場で語られた言葉ではあるが、正確にはもっとひどくて西欧エリート知性主義だ
全ての芸術分野は西欧エリート層による知性主義の生み出した評価軸にて評価が行われていてこれが世界の芸術評価のルールになっていることは確か
傲慢で差別的な面があるとは思うが、普遍性を目指して世界で主流の価値観であるゆえに世界共通の価値基準たりえてる
国ごとの価値観の違いは普遍性を持たせるために考慮されているが、時代での倫理観の変動による文化的評価の異なりはたしかに課題で今のところ解決策もない
普遍性の脆弱性と言う言葉は的を得ていると思うよ
>ジャポニスム
ジャポニスムの評価にも軸は色々あって、西洋絵画への影響と分けて日本絵画自体の表現に対して分析がされている
代表的なものに1800年代のエルネスト・シェノーの講演では「非対称性」をはじめとした日本美術の独自性が評価されている
>パトロン
金と文化は別の尺度があるだけだ
世界で共通する尺度であれば社会的価値は色々あっていい
>マック
「売り上げが世界一」はQEDにそう書いてあるのでそれを前提とした引用ではないか
俺はビジネス評価は売上としていたところに大衆の価値観はビジネス評価になると言われたので売上に含まれると返したらマックの話をされた
ちなみに俺はサブウェイ派でオリーブは必ず増量する
まぁ言いたいのはこういう個人の好みは味の評価では意味がないってだけだ
>源氏物語
マイゴジがCGは評価されたけど脚本は評価されていないということと同じように文化的にも資料的にも評価されるものは当然ある
>目的
俺の目的はこうした価値観の認知を高めることで、これに対しての反発はいくらあってもいい
ただし作品の価値は個人それぞれと言う考えを否定するのは世界にはちゃんと価値基準があるからだ
>論点について
この部分はたぶん認識がかなり近い
違いとしては、俺は賞などの専門家の評価=作品の文化的評価そのものであると言っていて
お前は消費者の価値の集合=作品の文化的評価だとして、あくまで専門家の評価はそれに影響を与えるものとしている
俺は消費者の価値感というのは良いも悪いも自由で相対的だと言っていて、その集合はビジネス評価の一部でしかないとしている
確かに多くの消費者が褒めたたえる作品はあるが、なぜこうした声が文化的に優れた作品だということに繋がるのかがわからない
正直、散漫になっているのでここにトピックを絞りたい
>個人の価値観の影響
それは文化的評価とは無関係で社会には強制力はないというだけだ
0
191. 名無しのあにまんch 2024年06月23日 19:45:15 ID:Q1NDU5Mg=
>>190
>西欧エリート知性主義
お手数おかけしてすまないけど全っっっっっく検索に引っ掛からないので提唱者とかそれに基づく学術書か何かの具体例教えてくれませんか?

>世界の芸術評価のルールになっていることは確か
なってたら貴方が無理に広めようとしていないのでは?

>普遍性を目指して
西欧の知的エリートに都合が良い、という点で一部の社会や文化圏に偏ってる時点で世界共通の価値基準たりえる資格喪失してますよね?

>普遍性の脆弱性と言う言葉は的を得ていると思うよ
これも解決していないし

>ジャポニスム
日本美術の独自性が評価とは別軸にせよ西洋絵画への影響を認めてますよね

>世界で共通する尺度であれば社会的価値は色々あっていい
それを認めてしまえば自身の持論である西欧知的階級の評価に限るという根幹が崩れるだけでは?

>「売り上げが世界一」はQEDにそう書いてあるのでそれを前提とした引用ではないか
結局肝心なのは実際にマックが世界一かどうかではなく、世界一かどうかの100か0かの貴方の論調に疑問があるという話

俺はサブウェイ派ならトマト抜きのオリーブとピーマン増量派かな

>個人の好みは味の評価では意味がない
普遍的な味の評価としてならそういう側面があるにせよ、それを理由に個人の評価を無価値や価値が低いと貶めるのは一側面からだけの極論では?

>マイゴジがCGは評価されたけど脚本は評価されていない
脚本賞受賞もゼロではないようだけど。賞の有無のみが評価を左右するならその発言は良くないのでは?

>俺の目的はこうした価値観の認知を高めることで
あまり酷い事を言いたくないんだけど共感を得られずに認知されれば良くて過激な事をするってのは先日ストーンヘンジに塗料まいた環境保護団体と同レベルというか志が低いという謗りは免れないし
結果として生まれた自分と貴方のこの頭おかしい長文のやりとりから健常な皆は目ぇ逸らすんじゃないかな
認知を目的にするなら喧嘩せず単文を忍ばせる方が目につきやすいと思う

>ただし作品の価値は個人それぞれと言う考えを否定するのは世界にはちゃんと価値基準があるからだ
そんなものは無い。あるなら貴方は否定されていないしわざわざ訴える必要すらなくそれが共通認識として浸透している筈だ

>賞などの専門家の評価=作品の文化的評価そのものであると言っている
そういう価値基準を持つ事もそれを基準とした消費活動も日本においては自由があるからね

>消費者の価値の集合=作品の文化的評価だとして、あくまで専門家の評価はそれに影響を与えるものとしている
少し違う。思想や持論においては専門家の評価がそれに留まらないケースも認める。人によっては反対に全く影響がないケースもあるだろうけど

>確かに多くの消費者が褒めたたえる作品はあるが、なぜこうした声が文化的に優れた作品だということに繋がるのかがわからない
>それは文化的評価とは無関係で社会には強制力はないというだけだ

そりゃ違法サイトで覗き見してるとか○時間単位で立ち読みでもしてるんじゃなきゃ金銭の支払いを経由して作品の消化がされてるからだよ
大袈裟に極論を言えば殆んどの場合において対価を払ってこそ文化の消費が可能だからだよ
映画なんかは特にだ
図書館だって税金で買った本だし、図書館で購入する本も売れていたり評判が高かったりリクエストがあってのもの
絵画なんかも美術館へ入館料を払うか、ネットで写真を見るにせよ回線に対価を払っている

故にこそ現代社会、現代の消費文明という文化に沿う形で大量に購入された作品は一定以上の評価を受けた作品足り得るしそれが何らかの賞の受賞に繋がる可能性を生む
売れた作品がアニメ化されて更に映画化されて鬼滅の刃やスラムダンクのように受賞したりね
その上で決して売れた作品でなかろうと購入した人間がいるならば創作者にとって自身の作品が他者の心を動かしたという意味が生じる。経済を動かしたという社会的な意味が生じる。あるいはその作品を通して後年に別の創作者に影響を与えた場合に文化的意味が生じる。購入者、消費者にとって作品の消化で心が揺らぐという意味も生じる。それが心を豊かにする場合もあれば知識を授ける場合もあり、笑いや安らぎをもたらす事もあるだろう。自分に最も効果的な作品の選出を裏付けるのは文化的評価を基準にする場合も含めて個人の価値観だ
貴方からは創作者へも作品へも消費者にも何に対しても敬意を感じない。それで文化的評価など笑ってしまう

就学率が年々高まる現代社会では一部の知的階級のみが文化を消費する時代ではなく、概ね資本主義経済が主流である以上は批評家の評価だけではなく社会を構成する民衆、個人を除いて文化的評価を語るの片手間ではないかと逆に問いたいね
学術的専門家、アカデミックな見地、言葉はどうあれ専門家の研究としての価値だけを文化的評価とするには今はもう2024年の令和だよ?

強制力ではなく影響力であり、それは決して無視できないものだ
資本主義の結果としてゴジラシリーズの続編が重なった結果、貴方の言う所の文化的評価を得たマイゴジが作成されたように創作者が作品を作りというトライ&エラーを続ける為に必要なパトロンが現代では貴族などの一個人ではなく無数の個人の集合である社会に置き換わったのだから
0
192. 名無しのあにまんch 2024年06月24日 01:16:52 ID:I4ODY3ODQ
>>191
>西欧エリート知性主義
いつから提唱されていたかというとハイ・アート/ロウ・アートという概念が19世紀に生まれたときからで、この概念が批評されるなかでで知性主義やエリート主義という言葉が使われてきた
西欧エリート知性主義というのはこうした言葉のバリエーションの一つでしかない
芸術の評価方法に触れるなら、ノエル・キャロル「批評について」では、芸術の鑑賞の在り方を、好むこととしての鑑賞、測ることとしての鑑賞と分けていて後者の鑑賞手法はまさに評価をするためのもので、これがエリート主義ではないかとの指摘が書かれている
時代の価値観とかの脆弱性は解決しえない話なんで置いといて、あくまで今の世界の芸術評価においてはこれが歴史的に正しい価値基準とされているということを前提としてくれ
>頭おかしい長文のやりとり
こんなとこでやるのは珍しいが下手なアカデミズム的論争でしかないので大層なことじゃない
結構こっそりと見て楽しんでる奴とかいるんじゃないかと思うよ
>世界に価値基準はない
ここがこの話の本質だね
お前は無いと言って俺は大衆は知らないだけという
俺は世界で通用する価値基準が映画祭システムで構築されていることを示し、その歴史的文脈も示した
その反論としてお前が書いたのは中々おもしろい
この意見は大量消費産業と化した文化産業においてはビジネス波及がもたらす文化的影響力こそを評価すべきものだと提唱してると捉えた
その考えではビジネス規模が大きいものほど多数に影響を与えるので文化的評価(区別するために文化影響力評価とする)も高くなるということだな
これなら相対的ではないし価値基準はないなどと言わずにこれが新しい価値基準だと言ってはどうか
ポピュリズムによる文化評価というのは指標化されれば社会的価値になりうるぞ
もっとも芸術におけるエリート主義対ポピュリズムというのは長年続くテーマではあって、アート分野の教育における主義の対立の話もあれば映画産業ではサイレント映画の時代から大衆評価とエリート主義評価の対立の話もある
>敬意
失礼な、敬意はあるぞ
ただし一般的に働いている人々に対するのと同じくらいにだが
創作者というのも仕事であって受け手も消費者だ
作品への思い入れで敬意の量が変わらないのは俺がフェアな人間だからだ
0
193. 名無しのあにまんch 2024年06月24日 03:39:45 ID:kyNzI5Ng=
>>192
>西欧エリート知性主義
こちらは不勉強の門外漢故に的外れなら申し訳ないんだけど、ハイ・アート/ロウ・アートと知性主義を結びつける記述がこれと言って見つからないのだけれど
適当に言っているのでなければ第一人者や取り扱っている著書を具体的に教えてくれませんか?

>概念が19世紀に生まれた
>知性主義やエリート主義
軽く調べた限り主知(知性)主義やエリート主義も古代には成立していたようなのだけど、その食い違いから西欧エリート知性主義とやらの実在が根本から怪しくなってきているのだけれど

>ノエル・キャロル「批評について」
一応裏取りとしてこちらでも上記を読んだ幾人かの記述を確認した所、主題として共通していたのは著書において芸術批評の主たる目的は「理由にもとづいた価値づけ(reasoned evaluation)」にこそあるという主張で、その手法として「作品Aにはaという特徴があるから良い作品である」では終わらずに「作品Aには作者がBという効果を鑑賞者に及ぼす為のaという特徴がある」→「作品Aには作者がBという効果をCによる影響で鑑賞者に及ぼす為のaという特徴がある」といった具合に創作者の意図を読み取った上でそれが十全に発揮されたかという基準において価値を明確にするという方法論であり

>芸術の鑑賞の在り方を、好むこととしての鑑賞、測ることとしての鑑賞と分けていて後者の鑑賞手法はまさに評価をするためのもので、これがエリート主義ではないかとの指摘
その上で読み比べても上記のような見解を示すものは見当たらなかったんだけど
故に申し訳ないが西欧エリート知性主義ともどもこちらが出された単語を鵜呑みにして確認も裏付けもしないアホだと思ってそれっぽい誤魔化しを言ってるだけという疑いが濃厚になってきているんだけど

>時代の価値観とかの脆弱性は解決しえない話なんで置いといて
置いてはダメだろ。そちらの持論の正しさを崩すものを是正しないのであれば最初から間違っていたという話なんだから

>あくまで今の世界の芸術評価においてはこれが歴史的に正しい価値基準とされているということを前提としてくれ
それを仮定だとしても無条件ではい解りましたと受け入れる理由が無い
保証するソースや具体的な学術的裏付けを示すものを教えてほしい

>結構こっそりと見て楽しんでる奴とかいるんじゃないかと思うよ
議論を続けてる自分が言うのもなんだけど僕がちょっとよくない方向におかしいから苦にならないだけで客観的に見たらこの文章量を直接の関わり合いがない余人が追うのは苦ではなかろうか
というか貴方と僕がおかしい奴すぎて関わり合いになりたくないと思うのが普通だと思う

>俺は世界で通用する価値基準が映画祭システムで構築されていることを示し
日本のそれが不完全であると前に認めたよね?
加えて仮にそれが正しいとしてもそれは映画に限った話で他の分野にも当てはまる話ではない
自分に都合の良い部分だけ切り取って一部を見せて全体がそうであるかのように言うのは詭弁だよ

>歴史的文脈も示した
その歴史的文脈とやらの西欧エリート知性主義の実在性が疑わしくなっているのだけど

>ビジネス波及がもたらす文化的影響力こそを評価すべき
正確にはそれも価値の基準の1つであり、売れたから万人に認められた側面はあれど全人にとって是である事は保証しない

>ビジネス規模が大きいものほど多数に影響を与えるので文化的評価(区別するために文化影響力評価とする)も高くなる
>新しい価値基準だと言ってはどうか
上記の理由から私個人の持論としてはあくまで物差しの1つとして留まらせていただく

>ポピュリズム
俺には興味が無い事なのでノーコメント。敵でなければ大衆だろうとエリートだろうと憎くもなければ敵愾心も無い
エリート主義にせよ反エリート主義にせよ実害をもたらしたり、こちらの思想の過度な侵害をしないのであれば各自の持論や思想の自由はできれば尊重したい

>作品への思い入れで敬意の量が変わらないのは俺がフェアな人間だからだ
根本的にそういう問題ではない。エリート主義だの何だのを持ち出して啓蒙のていでマウントの為の道具にしたり個人が作品に抱く価値を不当に無価値と断ずるのは敬意が無いと言っている
0
194. 名無しのあにまんch 2024年06月25日 01:32:57 ID:I2MDAwMDA
>>193
>西欧エリート知性主義
知性主義やエリート主義という言葉が使われてきたと言っていて生まれたとは言ってないぞ
そんでエリート主義とハイ・アートの関連ぐらい見つかっただろ?
つまり歴史的に関係性があることはわかったよな
ここ踏み込むのは本筋とは違うしさらに遡ると単純にアート史総ざらいみたいな話でめちゃくちゃきついからやらない
現在のエリート主義による文化評価の話は新潟アニメーション映画祭で文化庁の見解が語られた記事があるから読んできてくれ
>ノエル・キャロル「批評について」
文脈評価の面はあったかもしれない
ただ価値を明確にするために測るというのはまさに評価だろ
この部分がエリート主義ではないかとの指摘はあるぞ
>時代の価値観とかの脆弱性は解決しえない話なんで置いといて
これは無理だろ、将来的な価値観を考慮できないから過去の尺度が変わってきてるんだから
>今の世界の芸術評価においてはこれが歴史的に正しい価値基準だと言うソース
世界的な数々の賞での受賞が国際的評価であると認識されているからというので不足なのか
完璧な尺度は人間には作れないが、きわめて現実的な手法で世界的な作品評価を定めていて、それが世界的に認められていることは確かだろ
(アートを除けば)映像以外の分野は評価が未成熟だけども方向性が変わらないと言うのも前に書いた
それこそアートの文脈を総ざらいしてなぜ権威が成り立ったのかという話までいかないといけないものか
こういう枝葉のつっこみで前提をつつくんでなく、俺はお前と主義主張の根っこで話したい
>文化的影響力は価値基準の一つ
多くの価値基準があるとして、その価値基準には上下はないのか
万人に共通する価値基準と一人だけの価値基準は対等なのか
大きな物差しの方が社会という大きな視点から見たときに有用であるのは間違いない
逆に個人の視点から見たときには社会的価値なんて意味ないと言っていい
>ポピュリズムについて
ポピュリズムに興味がないと言ってはいけない、お前が語る大衆の価値観が重視される思想こそポピュリズムだ
もしくは大衆はどうでもよくてお前個人が価値観が脅かされることを許さないゆえにポピュリズムを持ち出したかだ
>論点の整理
ここで論点を整理する
・「作品の評価」を決めるのは何か?社会的評価か、それ以外の何かか?それとも評価不能なものなのか?
・仮に社会的評価で「作品の評価」決めるならば対比するエリート主義とポピュリズムの評価軸のいずれがふさわしいのか?または別の評価軸があるのか?
・仮に「作品の評価」は評価不能とするのであれば、全ての作品に優劣はないのか?それとも「作品の評価」以外で評価がされるのか?
これを話そう
>敬意
個人が作品に抱く価値は自由で社会的に無価値なだけと俺は言っている
これを貶められているとするならば、個人が作品に抱く価値は社会的に価値があるということになる
>僕がちょっとよくない方向におかしい
そんなことはないぞ俺は面白い奴だと思ってる
議論好きでもっとヤバい奴はいくらでもいる
俺は普段はここまで好き勝手しないのもあるがまぁ普通の奴だ
0
195. 名無しのあにまんch 2024年06月25日 04:57:12 ID:QwMDAwMA=
>>194
>西欧エリート知性主義
マテマテマテ
西欧エリート知性主義の実在性の疑わしさを流すな
根本から議論の価値があるかどうかすら怪しいんだから

>知性主義やエリート主義という言葉が使われてきたと言っていて生まれたとは言ってないぞ
発生時期考えれば19世紀以前から使われていたと考える方が自然というか普通に取り扱った哲学が発生した頃からあるのにその頃から使われだしたは無理がありすぎだろ

>エリート主義とハイ・アートの関連
エリート主義とハイ・アートに限定すれば確かに検索に引っ掛かるようにはなって主に1930年代末期と、1950年代から1960年代にかけて。飛んで1990年代で幾つか言及したものは確かに見つかった
ただしそれ等を統合すると前者は「エリート主義的なハイ・アートと大衆的なロウ・アートという二元論的な状況への批難」
「アンディ・ウォーホル(アンドリュー・ウォーホラ)がポップアートという形で両者の境を破壊した事でエリート主義的な風潮が強かった当時のアート界に一石を投じた事への言及」「ポップアートの流れからラップ音楽等がポピュラー芸術の正統性を得た」という話になり
つまり歴史的な関係性は一応確認できたと言えなくはないが寧ろ現在ではエリート主義的価値観は否定された側として確認できたんだが

>現在のエリート主義による文化的評価の話は新潟アニメーション映画祭で文化庁の見解が語られた記事があるから読んできてくれ

正直に言えば、実在した事に感動すらしてるよ
貴方以外にもエリート主義による文化的評価と言っている人がいたなんてと

けど新潟国際アニメーション映画祭の記事内ですら僕のような素人が口にするまでもなく商業的評価という別軸による対比構造語られてんじゃねーかよーええー!
しかも貴方が言う所の西欧的エリート知性側のサビン氏が「価値づけの意味合いは時代とともに変わることを指摘」してんじゃん
僕が言わんでもそもそも貴方がその判断を仰ぐべきとした側の人が認めてんじゃん

>文脈評価の面はあったかもしれない
それを持論に有利なようにやられたら偏向報道や捏造、詭弁の類いになって議論が成り立たなくなるんだが

>ただ価値を明確にするために測るというのはまさに評価だろ。この部分がエリート主義ではないかとの指摘はあるぞ

誰の指摘?


>これは無理だろ、将来的な価値観を考慮できないから過去の尺度が変わってきてるんだから
だからエリート主義による文化評価のみに限定する、それだけが正しいというのは限界があるから別軸からの評価も平行・並列して取り入れる柔軟性が必要なんじゃないかって話をしていて、それこそ僕のみならず件の新潟アニメーション映画祭で文化庁の見解でも商業的評価という軸も挙げられているのでは?

>世界的な数々の賞での受賞が国際的評価であると認識されているからというので不足なのか
それが個人に委ねられた判断基準の1つとしてなら不足とは思わない
ただそれだけが、オンリーワンの絶対基準というのであれば不足と言わざるをえない

>完璧な尺度は人間には作れないが、きわめて現実的な手法で世界的な作品評価を定めていて、それが世界的に認められていることは確かだろ
であれば商業的評価という別軸での評価が世界的に認められているのも確かでは?
国外に対する漫画作品や小説作品などの認知度で言えば流通や言語の問題から商業的評価の方が影響力が強く、アニメ映画も同じ
特撮含めて一般的な映画であれば芸術的評価の方が触れる機会が多く認知度が高いのは事実にしても

>映像以外の分野は評価が未成熟
ノーベル文学賞などもあるのに未成熟?
持論の為に映画を贔屓するのは公平とは言えないね

>なぜ権威が成り立ったのかという話までいかないといけないものか
権利や利権絡みという見方をした場合に現代語訳で商業的価値に還元されるケースもあるのでは?
純粋に芸術へ心血を注いだ人もいるだろうけれど権威となれば芸術性へ不純物が混じる疑念は避けられない

>主義主張の根っこで話したい
個人の価値を無意味と断じて歩み寄る姿勢がそちらになければこちらが前提への懐疑で迎撃に終始するのも道理では?
一方的に話したい、と話し合いたいは別物だよ

>多くの価値基準があるとして、その価値基準には上下はないのか
その点は189で先に書いた通り属する業界や分野によっては発生しうる
ただ犬猫に会社での階級など無意味なように、当然上下ではなく横に平行して存在する場合もある

>万人に共通する価値基準
そもそもこれに該当するものがあるのか?

>一人だけの価値基準は対等なのか
仮にあると仮定しても個人と万人の価値観が一部に於いて共通しうる事は起き得るけれど、それが全てにおいてそうであるのは不可能だよ
全人類の価値観が一部共有できても全ては共通しないからこそ自我があり、自身と他人という区別があるんだから

>大きな物差しの方が社会という大きな視点から見たときに有用であるのは間違いない
それが工業製品や医療品、食品の栄養素などの生活の利便性に直結するものであればそうだろうね
ただし芸術や娯楽、食品の味などの個人毎の嗜好の差異に左右される分野においては小さな物差しも必要では?

>逆に個人の視点から見たときには社会的価値なんて意味ないと言っていい
個人の嗜好性が社会的価値に直結していればその限りではないよ
見栄っぱりだったり承認欲求が強いならボランティアや寄付などの社会的ステータスが意味を持つ場合がある
あとアメリカだと単純に寄付すれば節税になったり

>大衆はどうでもよくてお前個人が価値観が脅かされることを許さない
再三に渡ってそうだと言っているが?

>ゆえにポピュリズムを持ち出した
繰り返すが僕に関わらないならエリート主義でも芸術的価値でも好きに標榜するなり信奉するなりしてくれ
自分の価値観を侵害されたくないから他人の自由も認める
反エリート主義ではなく、エリート主義だから否定するのではなく、侵略に対して断固として拒否しているのをレッテル張りはよせ

>論点の整理
・「作品の評価」を決めるのは何か?社会的評価か、それ以外の何かか?それとも評価不能なものなのか?
こちらからは気取った言い方をするならそのどれでもありどれでもないと言い続けているよ
触れた作品に対して何を重視するかは人によって異なるし、評価は多層的なものでもあるだろうから
少なくとも俺に限れば社会的評価はあまり優先度が高くないのは確かだね

まぁ強いて言うなら現代社会だと民主主義・資本主義社会の観点から経済性による社会的評価が一番認知されやすいし数値として比較しやすいんじゃないか

・仮に社会的評価で「作品の評価」決めるならば対比するエリート主義とポピュリズムの評価軸のいずれがふさわしいのか?または別の評価軸があるのか?
俺には興味がないというかそもそも資格がない
その時の審査員が自分の物差しで決めるんじゃないか?
事前に全ての作品に一律で定められるものではないだろうし専門家が勝手に決めてくれとしか言えない

・仮に「作品の評価」は評価不能とするのであれば、全ての作品に優劣はないのか?それとも「作品の評価」以外で評価がされるのか?
こちらは社会的評価とやらの完全否定をしているのではないから勝手に決めてくれとしか言えない
その決められた評価に対して「でも好き」「でも嫌い」「自分も好き」「自分も嫌い」と個人の評価が後に続く事もあれば「何も知らないが好き/嫌い」という自分だけの評価しか存在できない事もあるだろう
相対評価ではなく絶対評価を求めるのであれば人間にではなく作品に求めろ。誰が見ても是であり優である作品なくして相対評価を否定できるものか

優劣においては発生せざるをえないと思うけどね。ただ何を基準にした優劣かで評価なんて変わって当然だろう?
例えとしてある作家の最高傑作の完全な贋作と稚拙な初期の作品とで前者の方が芸術性は勝り優であるが、美術品としての価値も後者後者に勝るのか?評論家が贋作と気づかず前者を本物と誤認して価値を認めたならば美術性も社会的は担保されているが本当に優れた作品なのか?
極論こんな問題も起きうる

>敬意
社会的評価の有無で自分の中の評価に影響が無いのは心が動いても社会的な価値が無いから無意味とするのは不当に貶めているし、心が動かない作品でも社会的評価があるから価値があるとするのも前者に対する不当な扱いで公平性が無く敬意が無いと言っている
作品外の要素で作品の良し悪しを語るなら作品を読まずに批評を読めば十分と言っているようなものだ
極論を言えば「この料理美味しいけどミシェランの星がないからクソですね」「この料理美味しくないけどミシェランで星3だから素晴らしいですね」なんて言うような事もありえるのに公平?敬意?流石におかしくないか

>個人が作品に抱く価値は自由で社会的に無価値なだけと俺は言っている
SNS全盛のこの時代ではそうとは断言できないのでは?
新潟国際アニメーション映画祭の記事でも価値付けにおいて【誰が?】の項目で有名人としてユーチューバーや芸能人、スポーツ選手を挙げている
そういう個人のポストや写真を介して発信された価値観がトレンドを生み経済軸の社会的価値を商品に付与した事例は暇がない

>個人が作品に抱く価値は社会的に価値があるということになる
社会的価値に関しては既に経済的評価による寄与を話したと思うけど

>俺は普通の奴だ
その認識は改めた方がおそらくいい
改めろとも改めなさいとも言う資格が私には無いけれど
>俺は面白い奴だと思ってる
褒め言葉として受け取り、ありがとうと謝辞は述べるけど客観的に見た時に私も貴方も近寄りたくない人間だと思うよ。少なくとも掲示板では
0
196. 名無しのあにまんch 2024年06月25日 15:08:13 ID:IwODQzNzU
物語に完璧なんてあるわけねーだろ
こんなスレ普通に好きな作品挙げろと変わらん
冗長性の低い美術品でも完璧なんて無理だろうに
0
197. 名無しのあにまんch 2024年06月26日 00:53:49 ID:IxNjQ3ODQ
ペルソナ4
まさか親友に告白されるパターンまであるとは
0
198. 名無しのあにまんch 2024年06月26日 01:47:30 ID:IzMTMyMTY
>>195
>前半
ずっとビジネス評価と文化的評価は並び立つと書いてるじゃん
ビジネス的評価=売上であり共通の尺度という話は結構前にした
また、文化的評価軸にエリート主義と言う言葉が多く使われてきたことは示した
ただしエリート主義みたいな言葉はブレが結構あって、俺が聞いた中では西欧エリート知性主義だったし、知性による評価と言う言葉もあったんで定義されたものではない
歴史を遡ると古典主義からロマン主義への移行でも知性から感覚に評価軸を変える流れがあったんで、きっと同様の対立があったことは想像にかたくない
現在ではエリート主義的価値観は否定されたというか、いまだエリート主義的価値観と大衆の評価は対比されつづけている

>新潟国際アニメーション映画祭の記事
商業的評価ってビジネス評価のことで、これとは別に文化的評価は並び立つって話だから俺が言ってることと変わらないはずだが
それで「価値づけの意味合いは時代とともに変わることを指摘」ってのも将来的な価値観の変化に合わせてこの価値づけも変えていくと言う話なので、ちょうど俺が無理だと言ったことだよな
この話は日本のコンテンツが海外でのエリート主義による文化評価をどうやって得ればいいのか?って話であって、別軸の評価を加えるなんて全く言われてないぞ

>ノエル・キャロルについて
これは本の中に本人が書いている指摘だけど、まあ枝葉なんでどうでもいい

>世界的な数々の賞での受賞が国際的評価の一つ、商業的評価という別軸もある
上に書いたように商業的評価=売上としたうえで、最初から社会的価値はこの二つが並ぶと言っている
またはお前の書いたポピュリズム評価のようなものは商業的評価と少し違う軸として並ぶかもしれないし、他の軸もありえる
いずれにせよ世界全体の共通軸であるものを評価するのが俺の立場

>映像以外の分野は評価が未成熟
例えばマンガだと文化主義の賞はアングレーム国際漫画祭とかが代表的で、日本だと手塚治虫文化賞等があるけど、映画ほどは世界にヒエラルキーが構築されてるわけではないので未成熟とした
文学は詳しくは知らないが確かにこの分野にはヒエラルキーがあるな

>前提への懐疑で迎撃に終始するのも道理では
せめて迎撃の部分は絞ってくれ、散漫になってて時間がかかる
答えきれんぐらい浴びせかけて言葉尻をつくのが目的っぽかったらその部分は無視するぞ

>価値基準の上下
レイヤー・分類された価値基準は横並びではない
別に工業製品にも個人毎の嗜好による小さな物差しもあると思うが、いずれにせよ社会的な視点からの有用性だけでいえば大きな物差しの方が重要だと言うことを言いたい
この上下があるかどうかの議論は論点に移したほうがいいな

>個人の視点への社会的価値の影響
社会的価値が個人の嗜好に影響してもいいししなくてもいいと言う意味で意味ないと言っている

>自分の価値観を侵害されたくない
こうなってくるとお前がどういう背景から自分の価値観への攻撃を認めないのか興味でてくる
人生において創作作品が占める重要性が高ければそうなるのだろうかとか知りたくもあるが、まぁここは無視してくれていい

>論点の整理
・「作品の評価」を決めるのは何か?社会的評価か、それ以外の何かか?それとも評価不能なものなのか?
どれでもありどれでもないというのは、個人の「作品の評価」だよな
個人ではなく社会における「作品の評価」についてはどう考えるのか
現代社会では売上こそが唯一の社会的な基準だと言っているようにも取れるが
・仮に社会的評価で「作品の評価」決めるならば対比するエリート主義とポピュリズムの評価軸のいずれがふさわしいのか?または別の評価軸があるのか?
ここは最初の項目が決まらんと何とも言えんが、審査員が決める社会的評価もあると認めると思っていいか?これが売上と並ぶ価値基準であるというなら俺としては納得なんだが
・仮に「作品の評価」は評価不能とするのであれば、全ての作品に優劣はないのか?それとも「作品の評価」以外で評価がされるのか?
俺も個人の感性は否定していない
ただ個人が決める優劣とは別に社会における優劣はないのか?
個人が決める優劣が全てで社会的な価値は売上だけだなんてのは寂しすぎやしないか
贋作の問題とかは評価の粗でしかなくて、エラーが起きるから価値基準は作れないというならAIにでも評価を任せるしかないんじゃないか
と書いてて思ったが近い将来は本当にそうなる可能性があるな

>敬意
俺が好きな店よりもミシュランの星を取った店の方が価値があることを認めてるんだ
極論の例で返すが「この料理美味しいけどミシェランの星はないので評価は低いことを認める」「この料理美味しくないけどミシェランで星3だから評価が高いことは認める」という立場で、これはミシュランの評価を尊重するからだ
そのうえでできれば評価された内容を見て「確かにこの部分は評価されるべきことだが自分の好みが違ったのでそうは受け取らなかった」と自分の感じ方を内省できることがミシュランの役割だと捉えている

>SNS全盛のこの時代での発信
むしろそれはインフルエンサーがメディア化しているというだけでは
インフルエンサーの感想が巨大な影響力を持つからこそ案件でゲームをやるわけで、これを個人として捉えるのは機能が違い過ぎる
個人と言うのは大衆のなかの一人と考えるべきだ
ちなみに新潟国際アニメーション映画祭の価値付けの有名人の話はここだけ軸が違って気になるんだがレポが足りなくてわからんな
この講演の元となってる調査報告書も見つかったんだがここには「有名人」が発信した事例が小説家による1件しか書かれてない

>社会的価値に関しては既に経済的評価による寄与
つまりは文化的影響力と俺が呼んだものは物差しの一つに留めると言っていたが、やはり社会的価値になるということじゃないか

>資格
俺からすれば資格なんて誰にもいらない
差別や強制を含めなければ誰もが好きに言えばいい

>客観的に見た時に私も貴方も近寄りたくない人間だと思うよ
めんどくさいからな、でもそれだけであって陰謀論を語り続けるわけでもないからヤバいわけではない
0
199. 名無しのあにまんch 2024年06月26日 03:51:59 ID:g3MjcwNA=
>>198
>西欧エリート知性主義
そもそもこれが実在しないなら前提から崩れて議論が成立しないのでソースを求める

>ビジネス評価と文化的評価は並び立つ
であるのに個人の価値観を無意味とするのがおかしくないかという指摘だけれど

>文化的評価軸にエリート主義と言う言葉が多く使われてきたことは示した
いや今の所は新潟のアニメ映画祭の一例しか確認できていないのだけど
それでは「多く使われている」というには誇張表現であり無価値と言った個人の価値観の域を出ない疑いがある


>定義されたものではない
であれば存在しえないかごくごく限られた個人の唱える持論であり貴方がこれまで主張していた世界規格であるという前提から崩れる

>いまだエリート主義的価値観と大衆の評価は対比されつづけている
その点は認めるけれど対比が存在する以上はエリート主義的価値観のみが優位とは言えないのでは?

>商業的評価ってビジネス評価のことで、これとは別に文化的評価は並び立つって話だから俺が言ってることと変わらないはずだが
上記のように並び立つのであればそちらの主張の前提が根本から崩れる

>ちょうど俺が無理だと言ったことだよな
それを他ならぬ貴方が従うべきと言ったエリート側が認めているのに貴方が別軸の評価を考慮に値しないとする捻れが問題だと言っている

>ノエル・キャロルについて
>これは本の中に本人が書いている指摘だけど
具体的には何ページ目?
引用は?

>他の軸もありえる
いずれにせよ世界全体の共通軸であるものを評価するのが俺の立場
であるのに個人の価値観を認めないと断ずるのは結論ありきにすぎる

>映画ほどは世界にヒエラルキーが構築されてるわけではないので未成熟とした
であれば賞などによる社会的評価のみが価値を決めるという前提の枠組に無いものへ個人の価値観を認めないとしたのは早計では?

>せめて迎撃の部分は絞ってくれ
それだけ貴方の持論に粗があるからなのをこちらに責任転嫁するな
他人を否定するならせめてまずは持論のブラッシュアップを終えてからにしてくれ

>言葉尻をつくのが目的
責任転嫁するな
持論に穴があるという指摘に答えきれないのに何故自分だけが正しいと言える

>レイヤー・分類された価値基準は横並びではない
であれば独立していて上下ですらない

>別に工業製品にも個人毎の嗜好による小さな物差しもあると思うが
有用性に関してはという自分の言葉も忘れたのか?
いずれにせよ工業製品にすら認めるならば嗜好品においては尚更だろう

>いずれにせよ社会的な視点からの有用性だけでいえば大きな物差しの方が重要だと言うことを言いたい
嗜好品にまでそれを適用するのは極論だろう
経済の経済の自由競争の否定にも繋がる

>社会的価値が個人の嗜好に影響してもいいししなくてもいいと言う意味で意味ないと言っている
それは無意味と言わない
意味を‘自分は’問わないという
影響を及ぼした時点で意味を持つのだから

>どういう背景から自分の価値観への攻撃を認めないのか興味でてくる
ありきたりな話でどこにでもあるような劇的でない理由だよ
あまり褒めない親に育てられたから代わりに自己肯定感を自分で強く持つ事にしている
あとは気質的に可能な限り公平で自由でいたいだけ

>人生において創作作品が占める重要性が高い
その通り。だからこそ創作への敬意に欠ける同調へは断固拒否する

>現代社会では売上こそが唯一の社会的な基準だと言っている
>審査員が決める社会的評価もあると認めると思っていいか?
繰り返すけど私に個人の価値観は無意味であると押し付けなければ別の評価軸でもなんでもご自由に

>個人ではなく社会における「作品の評価」についてはどう考えるのか
社会学者じゃないから素人意見にすぎないと前置くし個人的見解の域は出ないけれど、「売れているから見る、買う」「○○賞を取ったから見る、買う」「○○賞受賞をメディアが宣伝したので認知した」「流行っているから見ない」「どうせ○○に配慮・忖度の受賞だから見なくていいや」等の形で実体験する前に個人に対しても商業的価値へも影響を及ぼし得る為に、良きにせよ悪しきにせよ対比のみならず相互に絡み合うケースも存在する以上は各人の基準次第では必ずしも対立しないものと考えている
なのにポピュリズム的見地に立っているだのなんだの言われてもナンセンスだ

>俺も個人の感性は否定していない
であれば無価値や無意味という言葉を使うべきではないね
専門家等の評価には寄与しないとでも言うべきだ
というより審査員とプライベートな付き合いでもない限り個人の感想等が伝わる訳がないのだから口にする必要性が無いはずだ

>個人が決める優劣が全てで社会的な価値は売上だけだなんてのは寂しすぎやしないか
繰り返すけど個人の優劣が社会的価値の全てとは言わないし、私には社会的価値の優先度が低いだけで他の人は優先度を高く持つ自由がある
その上で社会的価値の定義も各人で自由に持てばいい
前述するように属する社会によって優先度が変わると言ったように創作者であれば受賞や学術的評価の方に価値の重きを置く事もあるだろうし

>価値基準は作れない
違う。価値の基準をどこに置くかをまず定める必要があるという話
美術性だけなら最高傑作の贋作の方が優れる事になるがオリジナリティは無い
逆にオリジナリティは有るが美術性に劣る初期作品はどちら創造性と美術性どちらを優先するかで優劣の逆転を生むのだから

貴方は価値基準という言葉で乱暴に色々と簡略化しすぎていませんか?


>敬意
>自分の感じ方を内省できることがミシュランの役割だと捉えている
>これはミシュランの評価を尊重するからだ
ミシュランに対してはなるほど、立派な態度だと思います
ただそれで店への個人的評価を意味がないとしては食事を提供してくれた店へは敬意には欠けるという話ですよ
そもそも店に対しての言及ではなくミシェランへ言及している等の点から料理を作ってくれた作り手への軽視で公正や敬意を謳うのは無理があるのでは?

>むしろそれはインフルエンサーがメディア化しているというだけでは
発信元が流行らそうという意図があるならメディア化と言って差し支えはないのはそう
だが意図なく好きなものを好きと発信しただけなら後を追うかは結局は受け取った側の個人の選択、自由意思によるものだ

インフルエンサーに限らず大衆のなかの一個人の発言が「バズる」事で近年は蘇やタピオカ、あまびえ等の流行を生んだ実例がある以上は必ずしもメディア化による恩恵とするのは結論ありきの暴論だ
加えてインフルエンサーにしてもVのンゴが志摩スペイン村の賑わいに寄与した件は最初はあくまで自分語りからファンの後追いを受けての案件化である以上は個人とみなさないのは恣意的にすぎる

>毛色が違う
新潟国際アニメーション映画祭特集第二回分の記事で椎名氏が言及したとされる
・どこで発表/展示/出版されるか
・どこで情報発信されるか
・誰がそれについて語るか
・その他
誰がそれについて語るからの引用だよ

>やはり社会的価値になるということじゃないか
複数の価値観による多層構造への言及や並列・平行しての運用を提唱している以上は根本的な価値の否定までは最初からしてないだろ
それしか認めないのは歪ではないかという指摘なんだから
その上で重要視する部分の大小が個人で異なる以上、こちらとしては物差しの1つに留めるという表現にもなろうよ
貴方にとっては柱なのかもしれないが

>差別や強制を含めなければ
迎合しないからといってこちらをポピュリズム扱いしたのはレッテルを張っての差別なのでは?

>陰謀論を語り続けるわけでもないからヤバいわけではない
元記事へのコメントから外れた話を延々と語り続けるのがヤバくないわけねーだろ
それも元記事の趣旨にそぐわない発言だったとそちらが認めた上で
0
200. 名無しのあにまんch 2024年06月27日 02:18:53 ID:IwMjY0MzI
>>199
>西欧エリート知性主義
これはエリート主義と同義、これは表記にブレが色々あって俺が聞いた時はそういう言葉だっただけだ
新潟の話も、海外ではエリート主義で評価されてるなかで日本の作品はそこでどうやって評価を得ればいいのかって話だから論拠に十分だ
不足ならelitismとartとかで調べてくれ

俺の主張は最初からシンプルで、
「文化的評価と売上は社会的に尺度になるものなので社会的価値として並ぶ、個人一人の評価は社会的尺度ではないから並ばない」
というものだ
ただし社会的尺度になりうる尺度(途中で示された文化的影響力評価など)については一考の余地はある
俺はこれを繰り返しているので「並び立つのであれば主張の前提が崩れる」とかの指摘には困惑している

こうした言葉の無意味という言葉が気にくわないなら「個人の価値観は社会的評価に寄与しない」と捉えればどうだ

>価値の基準をどこに置くかをまず定める必要があるという話
???
これこそ順番が全く逆で、社会的な作品の評価を決めようとしたときにその次に基準を考えるものだ
この場で決まるような価値基準が先に存在するならそれに沿った評価もおのずと決まる
したがって作品評価の手続き自体が不要になる

>ミシュラン評価
店に対しては俺はうまいと思ってるから通う、うまくないと思った店には通わないというのが消費者の評価行動だ
全ての店に対して等しい価値判断を行う以上に公平な態度はない
この店=この作品が好きだと思うこと以上に何の敬意がいる?

>インフルエンサー
インフルエンサーを大衆の中の一個人とするのはやはりおかしくないか
その評価が正しい、正しくないに関わらず、影響力が強いということがインフルエンサーの条件だ
大多数に一斉に思想を発信する機能というのは従来はテレビ等のメディアが持っていた機能であって、有名人がテレビで発言したのと同じことだ
SNSが進化した中で、大衆の中から同じ機能をもった個人が出現した時代に、これをこれまでの大衆を構成する個人として扱うのはやはり違う
少なくとも俺が想定していた個人というのは隣人にまでしか自分の思想を伝えられない立場だ
それゆえに大衆に多くの思想が広げる機能を持った作品であれば文化的影響力価値を持つと言うことに納得したんだ
個人間でバズって広がる作品はこの文化的影響力価値を持っていると言っていい

>毛色が違う
そこはわかるが有名人が語ることについては羅列に含まれるだけであって説明がないので元の報告書を読みに行ったが書いてなかったってことだ

>差別や強制を含めなければ
別にポピュリズムは別に差別語じゃないぞ
お前の主張を読み解いてポピュリズムと呼んだことが差別なのか

で、俺が多分お前の主張を理解しきれていないので、回答を飛ばしたところを含めてお前の考えを理解するために全体をまとめてみた
違ったらまとめなおしてくれ
「個人の評価は対立するだけでなく複雑に絡み合う構造を持っていて、この構造ゆえに影響が社会に広がっていく
この影響が拡大する場合には個人の評価の集合でありながら社会的な作品評価となる場合もあるが、そうでない場合もあるので社会における尺度にはならない
この他にも専門家による評価や権威による評価などが多数あるが、個人は自身の価値観によってしか作品の評価を決められないので、そうした他の評価軸も個人に影響する構造の一部でしかない
そのため作品評価は個人の中にしかなく、社会における評価は存在しない」

書かれていた中で納得できないのが「社会的価値の定義も各人で自由に持てばいい」というところで、個人がそれぞれ社会的価値の定義を持つならそれは個人の価値観だ
これは社会的価値というのは存在しないと言っているに等しく、むしろ個人の価値感が社会よりも優位にあると読み取れる
0
201. 名無しのあにまんch 2024年06月27日 04:30:24 ID:M0NTQwOA=
>>200
>海外ではエリート主義で評価されてる
このエリートが必ずしも批評家を指す訳ではないから世界的な共通認識扱いとするには新潟のアニメ映画祭の一個人の発言のみを論拠とするのは恣意的選択にすぎる
アートを購入するのは白人富豪(エリート)であり作品評価も彼等の気に障らないものでなければならないとする経済的評価軸に依った意見も散見された

百歩譲って西欧知性エリート主義という呼称が実在したとしてそれが世界基準であるとするには実例に乏しい

>俺の主張は「文化的評価と売上は社会的に尺度になるものなので社会的価値として並ぶ、個人一人の評価は社会的尺度ではないから並ばない」
では誠に遺憾ながら強い言葉を使わざるをえないが作品への評価に個人の価値観は無意味というのは適切ではなく国語力に疑問があるので語彙を増やしてくれと言わざるをえない
そもそも他人に個人の価値観や思い入れは無価値と断じる無礼さで何故、困惑などという被害者面ができる
なによりもそんな主張であれば作品への好意を語る場によくも土足で踏み荒らしてくれたものだ

>無意味という言葉が気にくわないなら「個人の価値観は社会的評価に寄与しない」と捉えればどうだ
エリート主義であろうと批評家毎に基準が同じ訳ではないからその人物毎の個人の価値観で社会的評価に影響が出るのは避けられないのでは?
同じ作品を別の批評家が評価した際に異なる見解が出るケースは個人の価値観が左右した事例になるのでは?

>社会的な作品の評価を決めようとしたときにその次に基準を考えるものだ
まず作品があって、その作品をどの軸から評価するかによってはそもそも社会的な評価を論ずるに値しない事例もある
贋作を美術館に本物として飾る物はいない。だが制作者が名のある画家で贋作展などで飾るなら話は別だ
最初から社会的な作品はなく、それが値するか論ずる所から始めるべきでは?

>全ての店に対して等しい価値判断を行う以上に公平な態度はない
それは悪平等であり現実的ではない
よく行く店、よく食べるメニュー。そうした偏りや思い入れに対して他と同列に扱うのは「なんでもいい」と蔑ろにするようなものだ。個別固有の価値を相手に認めないのだから
偏りに対する差異を計上しないで好きな物を好きだと言っている、思っていると言えますか?

>この店=この作品が好きだと思うこと以上に何の敬意がいる?
それを無価値だとそちらが今まで言っていたから敬意が無いと言っていたのに掌を返しなさる

>インフルエンサー
だが貴方の定義する専門分野に対して批評可能なだけ精通したエリートからは外れる可能性が高いのに沢山の人間に見られるから一個人では無いは恣意的すぎる
社会的価値としての知性主義は知名度に対して無価値か等価と認めるようなものではないか

>少なくとも俺が想定していた個人というのは隣人にまでしか自分の思想を伝えられない立場だ
それは貴方の個人の価値観による想定ですよね
自分の持論に都合の良い条件設定でなければ認めないという個人の価値観による選別ですよね
自分の想定からは外れるから認めないなどと言い出すのは他ならぬ貴方が個人の価値観を社会的価値観に適用しようとしている

>大衆に多くの思想が広げる機能を持った作品であれば文化的影響力価値を持つと言うことに納得したんだ
ニンジャスレイヤー
旧ツイッターで連載された小説作品
ツイッターで見掛けた個人達が自然発生的に集まってニンジャというネットミームを生んだ実例

>有名人が語ることについて
文化的評価を作る際の誰がどこで、で誰に該当するかで挙げられている

>ポピュリズムと呼んだことが差別なのか
エリート主義への敵対者であるというレッテル張りを差別でないというのであれば無知の無理解と言うべきか?
自分はそんな存在ではないと説明した私へいいやお前はそうだと決めつけたのにしらばっくれると?

私に敵がいるとすればそれはエリートじゃない、自由と価値観を侵害する者だ
それとも自分はエリートであり迎合しないものはポピュリズムであると自惚れるか?

>個人の評価は対立するだけでなく複雑に絡み合う構造を持っていて、この構造ゆえに影響が社会に広がっていく
個人の評価は社会の評価を取り入れて多重構造を形成する
その状態で改められた個人の価値観に基づく行動が社会評価に影響を及ぼす場合があり、相互に循環する事で影響は拡大する場合もあれば収縮する場合もある
個人の価値観が社会における尺度として作用するの現代社会においては主に経済分野となる

専門家による評価や権威による評価などが尺度として作用するのは属する分野となる

個人が作品の評価を決める際の基準となる自身の価値観においては、そうした他の評価軸を参考に取り入れて影響を受けた上で最終決定がなされる場合もある

そのため作品評価は流動的且つ個人毎に異なる為、社会における一定評価に寄与する場合は専門家として第一人者の立場で臨める立ち位置に居なければならない

>個人がそれぞれ社会的価値の定義を持つならそれは個人の価値観だ

であれば逆に、現状で全ての人に共通する社会的価値の定義を持つ存在はあるのか?
多層構造である以上は併せもつ、あるいは不可分に混ざり合う事もあれば片方が極端に小さくも大きくもなっている可能性に対してある程度の擦り合わせの為の話し合いなどさして珍しくもなかろうよ

>個人の価値感が社会よりも優位にあると読み取れる
その結果、法治国家である筈の日本の中から犯罪に手を染める者が出る
残念ながらその一線を越える奴はいる
では各人好き勝手していいのかと言えばそんな事は無い。社会に守られる為には自身を律し社会のルールを守るという価値観を持つ必要がある。つまりは切り離せるものでもなければどちらか一方だけが優位でもバランスが悪い

>個人の価値感が社会的価値よりも優位にある
経済的評価に基づいてつけられた値段を個人の価値観は左右しない為に必ずしもそうはならない
加えて芸術的評価は異なる専門家が個人の価値観で別の見解を述べたのであれば左右しうる
ケースバイケースで変動し相対的評価になりうる可能性を排除して一律に語りすぎでは?


ところでノエル・キャロルは?
0
202. 名無しのあにまんch 2024年06月28日 02:29:00 ID:E3Mzk2NDg
>>201
>個人の発言のみを論拠とするのは恣意的選択
この講演はヒットの有無という数値的なものとは別の価値づけを探る調査報告で海外で8人の専門家へのインタビューを通じて海外における価値づけの手法を探ったものだ
その結果<エリート主義的評価(知識人による“文学的”もしくは“芸術的”面への評価)>と<商業的評価(商業的成功、大きな売り上げ達成を裏付けとする評価)>の2点の対比が報告されている
調査、検証、報告の手続きをしっかりと取って、文化庁も承認の上で発信しているものは一個人の意見と言えるものではない

>個人の価値観は無意味というのは適切か
あるレイヤーで比較するときに他のレイヤーの情報を並べるのはおかしい
大衆の価値観であれば同じレイヤーだが個人の価値観はレイヤーが違うので無意味としている

>困惑
いや、最初から売上も別の指標だと繰り返しているのに、ほら別の指標もあるって言われたら困惑するだろ

>批評家による見解のブレ
批評家毎の違いをできる限り小さくするための方式が映画祭システム(多様な批評家の評価と段階的に上の映画祭に登る方式)であり、これは社会的に作品評価を作ることが機能となっている

>贋作
これはどちらかというと応募基準の話だな
また映画祭を例にすると応募基準と審査基準とは明確に分けられている
例えば実写の映画賞にアニメーションは出せないが、オリジナル作品であることなどは条件だ

>悪平等であり現実的ではない
完璧に偏りがないと言える人間はいないさ
ただ偏りを重視するか、偏りをできるだけ排除しようとするかのスタンスはある
俺は偏りないスタンスを目指しているし、そのうえで好きな物を好きだと言える
当然、この好みは俺個人にしか価値がない
逆に聞きたいんだが、思い入れがある店と同じ系統でより良い店が見つかってもそっちに行かないのか?

>敬意が無いと言っていたのに掌を返しなさる
反語だろ、だから敬意はいらないと言っている

>インフルエンサー
専門家じゃない人は大衆に含まれるというのは暴論だろう
論理的にどちらにも含まれないというのは当然ありうる
これは本来は定義を決めていかないと水掛け論になる話だ
あと知性主義は知名度に対して無価値か等価というのは、エリート主義とポピュリズムのどちらが大衆に浸透しているのかという話でこれはまた別の話だ

>大衆に多くの思想が広げる機能を持った作品であれば文化的影響力価値を持つと言うことに納得したんだ
ニンジャスレイヤーは確かに文化的影響力を持ってると言える、近年ではちいかわとかもだな
ちなみにニンジャスレイヤーのアニメは好きだ

>有名人が語ることについて
それはわかるって、それ以上の記述がないんだよ

>ポピュリズム
お前は大衆の価値観を大切にしてるんだろ、ポピュリズムと呼んで何が悪い
別に俺をエリート主義者と呼んでもいいぞ

>お前の主張
短くまとめてみた
・個人の評価は社会の評価と多重構造を形成して経済の一部となる
・個人の価値観は社会において経済分野の尺度になる
・第一人者の立場に立つ専門家は専門分野の作品評価において尺度になる
ということで合ってるか
この上で「作品の評価」を決めるのは何か?という論点に戻るが
これは個人の価値観を含む経済尺度と専門家の尺度の二つがあると言っているのか?
前者は何度もお前が言っていたものだし納得できている
(個人一人一人の評価を集合した大衆の評価という意味でだが)
後者の方が俺は疑問で、専門家であっても評価の手続きを経なければ個人の評価でしかなく、映画祭や賞のようなシステムがなければ尺度にはならない

>現状で全ての人に共通する社会的価値の定義を持つ存在はあるのか?
完璧な存在はないが、必要だから近いものがたくさん作られているんだ
例えば国連とか核不拡散条約とかベルヌ条約とかだな
作品評価においてこれを目指すのが世界的な賞の評価システムだ
そして映画祭が一番よく出来ていると思っている
ただし大衆の認知度は低く、世界三大映画祭よりもアカデミー賞の方が権威が高いのが実状

>社会のルールとバランス
個々のバランスのレベル感が俺とお前で大きく違うんだろうな
俺は社会のために個人を考慮する必要はないと考えている
多くの人が自分がいいと思うものがいいものだから比べるものじゃないと言っている状況はバランスが崩れていると感じる

>相対的評価になりうる可能性を排除して一律に語りすぎでは?
社会で共通する作品評価とは何か?ということを追求しているつもりだ
そのために社会は個人よりも上だという主張がまずある
そもそも相対的評価ってどっちもあり得るから決められない以上にならなくないか?
ノエルキャロルは本筋じゃないからスルーする
0
203. 名無しのあにまんch 2024年06月28日 08:33:48 ID:gxODExMg=
>>202
>その結果<エリート主義的評価(知識人による“文学的”もしくは“芸術的”面への評価)>と<商業的評価(商業的成功、大きな売り上げ達成を裏付けとする評価)>の2点の対比が報告されている
では2つの軸のうち前者のみが重要とするのは貴方の個人的価値観であり恣意的誘導だろう

加えて言えば調査、検証、報告の手続きをしっかりと取って、文化庁も承認しようとあくまで一人の個人の名義で発表されたものは個人の見解を越えるものではない
日本の、国家の正式な見解だとするには無理がすぎる
日本のみでさえそうなのにあまねく世界全てで同じルールや考え方が適用されているとするのはもはや夢想家の域だろ

>あるレイヤーで比較するときに他のレイヤーの情報を並べるのはおかしい
個人の価値観はレイヤーが違うとするなら誤解を招くような言葉の選択が適切とはとてもじゃあないが言える訳がない
加えて批評家等の選択基準に個人的価値観が一切混じらないとするかのような思想も現実的じゃあない
AI審査員を採用してる訳じゃあないんだぞ

>最初から売上も別の指標だと繰り返している
いや嘘吐くなよ
経済的指標はこちらが指し示したものだろ

>映画祭システム(多様な批評家の評価と段階的に上の映画祭に登る方式)であり、これは社会的に作品評価を作ることが機能となっている
結局はその時の審査員に選ばれた批評家達の意見で選ぶ以上、面子次第では結果が変わりうる以上は個人の価値観が全く入らない、無意味と断言できるものじゃない
加えて世の全てが映画祭方式ではないのに全ての芸術や娯楽も同様に処理できる・されているかのように騙るのは詐欺のやり口だ
あくまで映画の一例であって他の全てもエリート主義で対応・対処されているかのように語るのはもはや騙るだろ

>これはどちらかというと応募基準の話だな
つまる所、売り上げを目指した商業的なエンターテイメントに振り切った作品と受賞を目指した芸術性や学術性に振り切った作品とでは同じ応募基準を満たそうと判断基準やどこに価値を置くかで取り扱いが異なってくるのだから製作側の個人の価値観(意味)に左右される領域が存在し得る

>俺は偏りないスタンスを目指しているし
その点は自由にする権利がある

>当然、この好みは俺個人にしか価値がない
故に意味がある。一人にしか価値がないという意味が
量産品とオーダーメイトとでは後者の方が高額になるように

>思い入れがある店と同じ系統でより良い店が見つかってもそっちに行かないのか?
おそらく「そっちに‘も’行く」だろう
ただ、思い入れの質や差にもよる。味だけではなく想い出や店の雰囲気、ようは店への愛着という「自分に限る」個人的価値や意味で思い入れがあるのならば味に大差がない限りそもそもよりよい店になりえない
また、完全な互換性というのは余程の事がない限りはありえないので状況に合わせた併用が現実的だろう。どちらかの店にはない品やサービス、同じ品でも具材や味付けが異なる等で差異が生まれるのだから

あと優劣ではなくとにかくソレが食べたい、○○の口になってるなんて事になればどちらの店も選びうる

>敬意はいらない
敬意は有るが敬意はいらない?
随分と都合が良い事を言う
あっても使っていないのなら無いのと同じだし、敬意を感じられないというこちらの指摘の通りではないか
不敬である
つまる所、相手に伝わらない不敬で失礼であるという事を認めたに等しい

>専門家じゃない人は大衆に含まれるというのは暴論だろう
だが貴方の標榜するエリート知性主義ではそうでなくてはならない筈だ
貴方の持論でこれを暴論とするのはこちらの意見へ反射的にただ反対してるだけになるが?
知性ではなく有名だからで知性エリート側に含んでいいという暴論になるぞ

>知性主義‘は’知名度に対して無価値か等価というのは
論旨を捻曲げるな
上記の理由から貴方が非専門家のインフルエンサーを個人としないのであれば知性主義“が”知名度に対して無価値か等価と認めるようなものという指摘なのにこちらが無条件で「知性主義は知名度に対して無価値か等価」と主張してるかのような改竄はよせ

>ニンジャスレイヤーのアニメ
個人的には好きだが一部のファンが振り落とされたのは残念だ

>有名人が語ることについて
>それはわかるって、それ以上の記述がないんだよ
それ以上の記述の必要無く貴方が根拠としている側の人間が価値を決める側の人間と認めたという話だろう

>お前は大衆の価値観を大切にしてるんだろ、ポピュリズムと呼んで何が悪い

悪い。全てが悪い。最悪だ
抜粋になるが
ポピュリズムとは政的変革を目指す勢力が既成の権力構造やエリート層を批判し、人民に訴えてその主張の実現を目指す手法

ポピュリズムの意味を理解せず使っているのが悪い
必ずしも批判的・敵対的立場にいるという決めつけも悪い
何よりも大衆ではなく個人の価値観を大切にしている事を理解していないのが何より悪い
最悪だ

>・個人の評価は社会の評価と多重構造を形成して経済の一部となる
・個人の価値観は社会において経済分野の尺度になる
・第一人者の立場に立つ専門家は専門分野の作品評価において尺度になる
ということで合ってるか
概ね合っている

>後者の方が俺は疑問
>映画祭や賞のようなシステムがなければ尺度にはならない
社会的権威と結び付かない場合もあるから。ようは特定の狭い社会、その専門分野内でいわゆる業界人の尺度ともなりうるのもあって専門分野の作品評価としている
それを経由して培われた認識が映画祭や賞のようなシステムの審査員に備わりうるので挙げた

>国連・核不拡散条約・ベルヌ条約

結局は目指しているだけで実在はしていないのに実例かのように挙げるのは恣意的だ

>そして映画祭が一番よく出来ていると思っている
「思っている」のであれば個人の見解であり、個人の価値観から映画祭に意味を見出だしているのでは?

>ただし大衆の認知度は低く、世界三大映画祭よりもアカデミー賞の方が権威が高いのが実状
なのに世界基準の評価法とするの持論ありきだろう
一部の識者のみで通じる権威に意味がないとは言わないが社会的権威であれば識者のみならず大衆が信じないのでは社会的の部分が引っ掛かる

>社会で共通する作品評価とは何か?ということを追求しているつもりだ
>そのために社会は個人よりも上だという主張がまずある
社会が存在する為にはまず個人が複数人、最低でも二人必要。個人なくして社会が形成されない以上は、まず社会が先にありきも社会が個人よりも上も仮定の時点ですら疑念がある
ただし一人で生きる事が実質的に不可能な以上は個人もまた実質的に社会から不可分だけど
なんにせよ追求の為の仮定を現実がそうであるかのような前提で話されては認識の差異で話が成立しない

というか根本的に社会で共通する作品評価にまずは社会が上になければならないという必然性が無い。現状の社会に通じるものであるべきだろう
そうではなく仮定した社会に通じるものでは作品の評価基準が異なってくるから仮定社会に適応した評価基準をさも現実的な話みたく語るなら話をすり替えるペテンだ

単に個人の思想として人よりも社会ありきだというのならこんな所に書き込んでいないで社会主義国家に移住して社会を讚美してくれ。その方が早い

>そもそも相対的評価ってどっちもあり得るから決められない以上にならなくないか?
だから個人的価値観や個人においては意味があるという枠組みがある
加えて相対的評価の多数決による統計で「大多数が良いとする要素」を割り出す事で批評家や評論家達も社会的評価に繋がる万人に受ける近似値へ向けた加点方式の基準になりうるのでは?

その上で賞等を選定する立場に立った人間に左右されうるという指摘にどっちもあるから決められないでは貴方の称賛するシステムの脆弱性そのものではないか
貴方はマイゴジを脚本が評価されていないと言ったが映像賞を取れず脚本で賞を取っているケースがある
評価される場と面子で相対的に変動しうる実例では?

>ノエルキャロルは本筋じゃないからスルーする
いいや、君の主張が本当かどうか確かめる為に必要だろう
0
204. 名無しのあにまんch 2024年06月29日 03:17:53 ID:E0NTI4NjQ
>>203
>2つの軸
俺は173の段階で「ビジネス評価という別軸の社会的価値」と言っている
そして175では「文化的評価やビジネス評価というのは社会的価値たりうるから別軸の価値として並び立つし意味がある」と言っていてマリオの評価を例にだしている
この段階からずっと同じことしか言ってないのにいつの間に俺はエリート主義的評価だけを唯一の評価だと言っていたことになっているんだ?

>一人の個人の名義で発表
講演のもとになった報告書は文化庁予算で作られた文化庁と大学・研究機関との共同研究でしっかり組織名義で発表されている
なのでここはお前が間違いだ

>批評家等の選択基準に個人的価値観が一切混じらないとするかのような思想
これも175で賞の審査について「審査する評論家たちの当たり外れを小さく出来る工夫」と書いてある

>その時の審査員に選ばれた批評家達の意見で選ぶ
同上

>加えて世の全てが映画祭方式ではない
182に「マンガとかの歴史が短い文化の賞は大衆向けの人気投票とビジネス目的のものと作品評価が混在している」と書いた
逆にエリート主義での評価が存在しない芸術分野ってなんだ?

>これはどちらかというと応募基準の話だな
応募基準というのは事務的なものだ
作品の媒体、発表時期、尺、著作者の許諾の上での応募か、など最初に応募できるかどうかの基準がある
ここで内容について触れることはまずない(SF賞とかジャンルを絞ったものは別)
商業的なエンターテイメントだろうが芸術に振り切った作品だろうが審査基準は同じだ

>量産品とオーダーメイドでは後者の方が高額
そりゃあオーダーメイドの方が生産コストがかかるから高額なんだ

>敬意は有るが敬意はいらない?
200の「この店=この作品が好きだと思うこと以上に何の敬意がいる」だ
敬意はあるがそれ以上の敬意はいらない
あえていうならごちそうさんと言うぐらいだな
わざわざ店で褒めたたえる客は余計だ

>エリート知性主義では専門家じゃない人は大衆に含まれる
なんでそうなるかマジでわからん
論理で言えば「専門家ならば大衆ではない」「インフルエンサーならば専門家ではない」があって
この対偶をとっても「大衆ならば専門家ではない」「専門家ならばインフルエンサーではない」になるからインフルエンサーと大衆に結びつきがない

>ニンジャスレイヤーのアニメ
テレビ版は普通のアニメになると思ってたが変わらなかったのは残念だった

>貴方が根拠としている側の人間が価値を決める側の人間と認めたという話だろう
その可能性もあるが根拠がレポにも報告書にもないのでどちらも推測しかできん

>ポピュリズムの意味を理解せず使っているのが悪い
これは全面的に俺が悪いな、すまない
大衆主義程度で使ってたのでポピュリズムに含まれる悪い意味を込めたつもりはなかった

>概ね合っている
これでスタートに立った気がする

>専門家の評価が専門分野内での尺度ともなりうる
言っていることはわかるが社会的な尺度に繋がりうる一つの要素に留まるものでもあるな
優れた専門家であってもその時の評価に当たり外れが起きうるので多くの審査員によって評価を平均化したうえで国際的に承認する手続きがなければ社会的な尺度には昇華しえない

>結局は目指しているだけで実在はしていない
人間に完璧なものは作れないからな
それでも社会に共通するルールを作り出すことは人間が社会を構築しているから必要だ
国連・核不拡散条約・ベルヌ条約は不完全であっても存在が世界に貢献している
それらが守られることの重要性はお前が201で語った通りだ

>「思っている」のであれば個人の見解
意味があるとしているのは「社会的な作品評価」とそれを生み出す機能だ
それを導き出す機能の中で国際映画祭システムを評価しているところだけは俺個人の価値観だ

>社会的権威であれば識者のみならず大衆が信じないのでは
現実的には各国の政府が承認しているかだ
個人の群れの最大単位が国で、その国が認めたことは国内での評価になり、そうした国々が承認したものは世界の評価となる
この構造では社会は個人の上に立ち、これは民主的な手続きの繰り返しで成り立っているが、大衆の意見と食い違うのは政策とかでも同じだ
国に属する個人は「私はその評価を支持しない」とは言えても「その評価は承認されていない」とは言えないはずだ
しかし実際には個人は「その評価は承認されていない」と言えてしまう
なぜなら間違ったことを主張するのも個人の自由だからだ
しかし、そうした個人を尊重しすぎると社会のルールは無意味化するし「社会的な作品評価」も空虚になる

>相対的評価の多数決による統計で「大多数が良いとする要素」を割り出す事
ここは意味が読み取れないが、審査員が最終的には多数決をするということか?そのうえで大衆的なビジネス評価を選ぶこともできるということ?
マイゴジの話は映像面で多くの記録的な受賞し、ブラムストーカー賞で脚本賞を受賞したと言う総体が社会的な作品評価だ
こうした評価ができることが映画祭を俺が評価しているところ
あと多分ブラムストーカー賞に映像の賞はない

>いいや、君の主張が本当かどうか確かめる為に必要だろう
エリート主義という言葉が使われた一例にすぎず新潟の例とかでカバーしているのでいらない
気になるなら本読めばいい
0
205. 名無しのあにまんch 2024年06月29日 08:29:49 ID:I5MDgxNg=
>>204
>2つの軸
そういう意味で言っているのならこちらの勘違いだったようで、強い言葉で非難して申し訳ない。ごめんなさい
ただ、「俺はエリート主義的評価だけを唯一の評価だと言っていたことになっているんだ?」これ言うなら個人の価値観を無価値と断ずるべきではないのでは?

>一人の個人の名義で発表
講演のもとになった報告書は文化庁予算で作られた文化庁と大学・研究機関との共同研究でしっかり組織名義で発表されている
なのでここはお前が間違いだ
どうにも話が噛み合わないな
申し訳ないが貴方の言うそれがどこで確認できるかもっと具体的に教えてもらえないか?

>その時の審査員に選ばれた批評家達の意見で選ぶ
>これも175で賞の審査について「審査する評論家たちの当たり外れを小さく出来る工夫」と書いてある
だが小さくしようとしているだけで無くせていないのが実情では?

>逆にエリート主義での評価が存在しない芸術分野ってなんだ?
そもそもこちらの論旨を理解していないだろ
エリート主義的評価が無いとも無くせとも言ってるんじゃないぞ。それが全てとして個人の価値観は排除されている、無意味とするのは持論の為に極論を言っているだろうという指摘なのだから

>商業的なエンターテイメントだろうが芸術に振り切った作品だろうが審査基準は同じだ
そういう話ではなくまず作品ありきで、作品に合った審査基準を選ぶ。価値へ合わせに行く逆算も選択できるという話だ

>そりゃあオーダーメイドの方が生産コストがかかるから高額なんだ
個人の価値観に基づく意味合いはそうしたオリジナリティであり、独創性も評価対象なんだろ?

>あえていうならごちそうさんと言うぐらいだな
まぁこれは敬意以前の礼儀だからね。自分も言う

>敬意はあるがそれ以上の敬意はいらない
いやならつまり程度の差こそあれ不要とは言えないだろ

>わざわざ店で褒めたたえる客は余計だ
いやなんでさ。なんで店内で褒め讃えるなんて奇行想定してんだよ
お皿下げてもらったり丼をカウンターに上げる時に美味しかったですと口にする事はあるけど

>論理で言えば「専門家ならば大衆ではない」
これがそもそも間違いでこちらの論旨を理解していないだろ
専門家である事と一個人である事は並び立つ

>「インフルエンサーならば専門家ではない」があって
これも間違い
「対象の分野において専門家ではないインフルエンサーならば個人の範疇」
って話だろ
エリート知性主義においてはインフルエンサーかどうかではなく専門家かどうかを基準にすべきなのにインフルエンサーだから個人ではありませんと言うのは非専門家を知識等の有無に関わらず専門家のように扱うのがおかしくないかって話なんだから
仮に対象の分野において専門家であるインフルエンサーが対象の分野に於いて発信した(例えば大谷が野球関連で特定の野球道具を褒めた)なら個人の範疇に納まるかと言えば経済面での影響や場合によっては他の商品との比較が始まって野球道具の分野における再評価が始まるかもしれないから、そうとは言えんにしろ非専門分野の特定のハンバーガーチェーン褒めたからって味の分野の見解を深めようとはなってないやろ

>ニンジャスレイヤーのアニメ
まぁ、今も定期的にアニメになるぐらい人気だったらなとは思う

>その可能性もあるが根拠がレポにも報告書にもないのでどちらも推測しかできん
いや記事に例として挙げてるだろ

>大衆主義程度で使ってたのでポピュリズムに含まれる悪い意味を込めたつもりはなかった
であれば
こちらも経済軸に関して勘違いしていたので申し訳ない

>専門家の評価が専門分野内での尺度ともなりうる
言っていることはわかるが社会的な尺度に繋がりうる一つの要素に留まるものでもあるな
その辺りは「社会」の認識の違いによる所が大きそうだ
おそらくそちらは国際社会のみを想定してるのかもしれないが自分はそれ以外にも会社やグループ等の狭い社界、特定分野における比較的狭い社界、一国を範囲とする比較的広い社会なども含めてそれぞれ社会として想定している
個人の集合が社会で、更にその社会の集合がより広い社会(世界)だと

>優れた専門家であってもその時の評価に当たり外れが起きうるので多くの審査員によって評価を平均化したうえで国際的に承認する手続きがなければ社会的な尺度には昇華しえない
だが結局はその類例として映画祭のみを重点して挙げるのは持論ありきで都合の良いものをピックアップしてるだけでは?と指摘もされようよ
映画分野はそれでいいかもしれないがじゃあ他はそうじゃないのに全て上手く言ってますでは詐欺の手法だろ

>それでも社会に共通するルールを作り出すことは人間が社会を構築しているから必要だ
>国連・核不拡散条約・ベルヌ条約は不完全であっても存在が世界に貢献している
その点は同意する
ただ完全性の実例であるかのように挙げるのは不適ではないか?という話でもある

>国際映画祭システムを評価しているところだけは俺個人の価値観だ
であればそちらの論旨の前提として了解した

>その国が認めたことは国内での評価になり、そうした国々が承認したものは世界の評価となる
だが一方でポリのように一部の活動家や政治家がゴリ押しで国に承認させた「良い物」に対して大衆からの評価とで捻れが生じている実例もある
その世界評価を真に受けた今のディズニーの凋落は洒落になってない

本筋と関係なく1つ確認するがそうした政治色が強い背景から忖度ありきで生み出されたものも貴方は「素晴らしい作品」とするのか?

>国に属する個人は「私はその評価を支持しない」とは言えても「その評価は承認されていない」とは言えないはずだ
この点は同意する。今の沖縄みたいなものだな

>しかし、そうした個人を尊重しすぎると社会のルールは無意味化するし「社会的な作品評価」も空虚になる
故に自分は多層構造を訴えている。個人の好悪による個人的価値観と社会的な評価は直結しうるが必ずしも影響するものではないと
先にも挙げた
「社会的には○○だが好き/嫌い」「社会的な評価は知らないが好き/嫌い」などの形で

ただそれ等を踏まえても最初の争点であった現実的な捻れが現に生じてる点のクリアを理論上

>審査員が最終的には多数決をするということか?
いや、つまる所なにをもって「良い」とされのか芸術的美点・評価されるべき点の基準となる学術的な論拠の割り出しの過程の話だ
まさか批評家の直感だけで何が良いのか決まるとすれば個人の価値観だけで全てが決まる事になる
それは個人の価値観を大事とする自分ですら暴論に思う
そうではなく美‘術’とされるように美を訴える術として系統化された、技法や人が美しいと感じる点の言語化の洗い出しの話

>新潟の例とかでカバーしているのでいらない
それと実際に書かれているかは別だろう
裏取りは必要だ
0
206. 名無しのあにまんch 2024年06月29日 09:40:30 ID:I5MDgxNg=
>>205
抜けがあったので補足

ただそれ等を踏まえても最初の争点であった現実的な捻れが現に生じてる点のクリアを理論上↓

ただそれ等を踏まえても最初の争点であった現実的な捻れが現に生じてる点のクリアを理論上する為に社会的評価のみに限定するのは恣意的すぎないか?
0
207. 名無しのあにまんch 2024年06月30日 08:55:20 ID:ExNjYwODA
>>205
ちょっとNGワードがどこにあるかわからんので分割投稿する
>個人の価値観を無価値と断ずるべきではないのでは?
社会的な視点(国際的な視点)に立てば個人の価値観は無価値というのは俺の主張でもある
これは社会を何と捉えているかの認識が異なっている話ので後半へ

>一人の個人の名義で発表
元の報告書はこれだな
令和4年度文化庁と大学・研究機関等との共同研究事業「海外におけるメディア芸術作品の評価をあげるための「価値づけ」経緯の実体調査・研究」
この報告書は単純に海外の事情が色々わかってすごく面白い
有名人の扱いもここに載っているかと思ったんだが見つからなかった

>審査員の差を小さくしようとしているだけで無くせていないのが実情では?
他の所でもそうだが完璧さの要求水準に違いを感じる
お前は実際に機能しているかどうかを重視しているが俺は仕組みに込められた意図を重視している
ジョジョで言えば「真実に向かおうとする意志」だ
0
208. 名無しのあにまんch 2024年06月30日 08:57:53 ID:ExNjYwODA
>個人の価値観は無意味とするのは持論の為に極論を言っているだろう
これも社会の定義のズレと関わる

>作品に合った審査基準を選ぶ。価値へ合わせに行く逆算も選択できる
それは確かにそうだ
インディペンデント作品の方が評価されやすい賞には商業作品よりもインディペンデント作品の方が応募されやすいと言うのは実際ある
なので色んな賞を経た総体での評価がもっとも社会的な評価軸に近くなる

>オーダーメイドの価格決定
価格は基本的にビジネスの理由で設定されていて、様々な要因が影響を与えるが少なくとも独創性よりも圧倒的に生産と流通の影響が大きいかと

>敬意
まぁもともとは作品の話で他の産業の生産者と同程度にしか敬意はないということだ
俺は一消費者に過ぎないし作家も一生産者に過ぎない

>インフルエンサー
言いたいことがわかった
まずエリート知性主義で賞の審査を行う場合には専門家の集合による判定を行うために専門家は大衆と区別される
この時にはインフルエンサーも大衆に含まれる
しかし、大谷がハンバーガーを褒めてテレビがこれを拡散するというケースを想定すると別の話になる
大谷が発信を行って大衆が影響をうけるのは実績などのバックボーンを問わず「人気」という指標で大谷に価値づけがされているからだ
仮にマックの新商品はおいしくないという声が日本で大衆に広がっている状態があったとして、大谷がおいしいと発信したら一気にメディアが拡散して大衆と異なるおいしいと言う評価が支配的になるかもしれない
これは対象を選ばず大谷が人気によってインフルエンサーとなっていることの影響力が生み出した評価だ
この評価においては人気による価値づけが行われるのでインフルエンサーは大衆と区別されるが、今度は専門家の影響力は極めて小さいので大衆に含まれる
評価軸が異なるとそれ以外の人という意味での大衆の範囲は異なるわけだ
あとお前は個人と書いているが俺は大衆と書いているのでズレがあるかもしれない
0
209. 名無しのあにまんch 2024年06月30日 09:00:22 ID:ExNjYwODA
>「社会」の認識の違いによる所が大きそうだ
その通りだと思う
俺は国際社会が社会であり、最小単位の社会であっても国だと考えていた
小さな範囲も社会とするのであれば、それが小さいほどに個人の意見に意味があることは確かだ
ただし、それでも広い範囲の社会が重要視されるべきだとは考えているが

>国際承認の例が映画祭しかない
マンガであれば日本・フランス・アメリカぐらいしか産業がないこともあってそうした国以外には文化的評価が乏しいのが現状
割と近いうちにアジア圏ではそうした評価が発展しそうではあるが、現状はこの範囲でしか国際的に共通する指標は存在しえない
ゆえにこの範囲で普遍化された評価が社会的な価値となる
社会に共通するルールに完全性を求めているところも同じだが、ここでも機能と意図のどちらを重視するかという違いがズレを生んでいる気がしている
ただここでは人間に不可能な完全性を要求する理由もわからんが

>活動家や政治家がゴリ押しで国に承認させた「良い物」に対して大衆からの評価とで捻れが生じている
俺は捻れていても認めるべきだと考えている
前にも書いたがまず将来的な普遍性というのは不可能である
それゆえに社会的な作品評価とは今の時代における普遍性の追求の意図であり、今の評価軸を定める手続きが行われた結果として配慮や多様性が求められたのであれば認めるべきだ
本当に一部の人間によって無理矢理ねじ込まれたなら評価軸の見直しがされるべきだが、疑念というだけでは手続きを尊重して評価軸を変えるべきではない
そうして選ばれた作品に対しては「私はその評価を支持しない」と俺個人は言えるしね

>多層構造
その構造には納得しているが俺は「個人の価値観は自由」の一言でまとめているな
主が個人に置かれている概念なのでその多層構造が個人に内包されている
国以下の社会を考えても段階的な拡大の構造には不可逆性があり、小さな範囲においては個人の価値観は重要な構成要素だが、層が上がるにつれて個人の価値観が影響を及ぼす範囲は極めて小さくなっていく
これが目的を国際的な作品評価を定めることとすると国家等の上位の層における社会的価値でなければ構成要素にならない
捻れについては先ほど回答したように個人的に否定してもよいが、認められはするべきという立場だ

>基準となる学術的な論拠の割り出しの過程の話
その抽出されたものが大衆の価値観だとしても、それが文化的評価の要素たりえているのかの証明が不可能ではないだろうか
手続きとしてはコンテンツメーカーがやるSNS分析でヒットに繋がる要素の抽出に近く、その中には「技法や人が美しいと感じる点の言語化」は含まれるだろうがそうではない要素と見分ける術がないというか
0
210. 名無しのあにまんch 2024年06月30日 11:09:01 ID:c2MzUyMA=
>>209
>報告書
確認できて拝見させてもらった。確かに個人名義ではなかったのでこちらの誤りだ。申し訳ない
こちらが挙げた、どの場で誰が~は件の新潟の映画祭のインタビュー記事からの抜粋になるのでそこで食い違いが生じたものだと思う

ただその上で、文化庁のバックアップを受けたとはいえ一大学の一チームの研究調査とその報告書であるならば日本の国家的最終結論とするには持論補強が先行した強弁になるように思う
「こうした調査結果から私達はこうした方が良いと思う、こうできたら良いと思うという事を報告します」
という話と
「こうした調査結果から私達は今後こうしていきます」
とでは話が違うのだから
この報告書を以て日本国民はこの価値観を前提にしろとは言い難いと思うが

>実際に機能しているかどうかを重視しているが俺は仕組みに込められた意図を重視している
個人の価値観に於いては後者で十分と思うし、他者に「こういう考えもある(できれば同調してほしい)」なら十分だと思う
けれど「この考えに改めろ」とするならば前者による実例を伴わずに強要するならばブッチの覚悟の方が近い。この考え方こそが幸福なのだと同意の無い同調を求めるのは思想の正しさとは関係無く「テメーの都合で喋ってんじゃねぇ」と心の億泰がザ・ハンドが右手振る準備されるという話だ
自分の中の基準はこう、で納まるなら実際に機能しているかまではこちらとて問わない

>オーダーメイドの独創性
故に個人的価値観(顧客の求める独自性)を満たせる職人が独創性、独自性を持つマイスターとして尊敬される
賞のようなラベリングとは違うベクトルで個人の価値観に意味が見出だされる軸があるのに社会的に無意味と言うのは持論に基づく狭義ありきでは?

>敬意
個人としてはその程度ではいいとも思う
別にこちらも皆に食べたらご馳走様だけでなく美味しかったですと言えとは言わない
けれどそちらが自分も自分の基準で他人もそうあるべきと言っているから話がそれで終わらない

>インフルエンサー
その理論はしかしそちらが主張してはダメなものでは?
賞等の知性エリート評価をインフルエンサー評価が駆逐し得ると認める事になるのだから
どんなに権威ある賞を会得しようとインフルエンサーが駄作と称したらメディアによりその評価が支配的になりえるとしては持論の脆弱性に繋がる

というか今更それ言い出すのは根本的に個人の範疇の話に終始してたこちらが大衆どうの言い出したそちらがこう、あまり言いたくないがちょっとアレな事言い出し始めてたって話にならないか?

>ただし、それでも広い範囲の社会が重要視されるべきだとは考えているが
それ自体は構わない
だが他人もそうすべき、自分だけが正しいと接してくるならば侵略的であるとして反論せざるをえない
あるいは感銘し同調してくれる相手もいるかもしれないが逆に拒否されるケースも現にこうして存在している

>ただここでは人間に不可能な完全性を要求する理由もわからんが
そもそもこちらは個人の価値観という不完全の極みを重視している以上、本来なら他人にもそれを求めはしないよ
ただしこちらの思想・信条を変えようと言うのなら明確な優位性として完全性は要求する。不完全同士であるならばどちらを選ぶかはそれこそ個人の価値観に由る選択となる

>今の評価軸を定める手続きが行われた結果として配慮や多様性が求められたのであれば認めるべきだ
これに関しては利権や利益による、評価軸によるものとは言えない偏りだからこちらも問題点として挙げている

>本当に一部の人間によって無理矢理ねじ込まれたなら評価軸の見直しがされるべきだが
明らかに人種的優遇や配慮が問題で貴方言う所の「大衆」が疑念を呈しているのが現状だろう
実写リトルマーメイドのアリエルを黒人女性にしたりしたのがオリジナルに対しての独創性を発露した結果の配役と言えるだろうか?

>疑念というだけでは手続きを尊重して評価軸を変えるべきではない

歴史の考証を重視していると謳うアサシングリードがおかしな日本観や明らかに文化的理解から程遠い物を商品として販売しようとしたり、侍には黒人の血が流れているとか侍の起源は黒人にあると文化盗用を目論む人間まで実害が出る水際にまできていて疑念に留まるとするのは無理があるのでは?

個人的見解としてはその捻れによって殺されている独創性・独自性・表現の自由がある以上は好ましくないと切に思う

>層が上がるにつれて個人の価値観が影響を及ぼす範囲は極めて小さくなっていく
だが昨今では人種問題や心的性差問題にかこつけて個人の価値観やアイディンティティが小さくない影響を及ぼしているのは無視できないのでは?

>これが目的を国際的な作品評価を定めることとすると国家等の上位の層における社会的価値でなければ構成要素にならない
上記のように良い意味だけでなく悪い意味でも個人的価値観の関与は無視できない影響を及ぼしうる
レイヤーとして大きく広い社会であれば個人の価値観が影響を及ぼす余地が狭いのは確かにそうだが、捻れによって大きな影響を及ぼしている現状はそちらの持論としても望ましくはないのではないか?

いずれにせよ一方的に無価値として無視するのはどちらの立場であれ喜ばしくないように思うが

>それが文化的評価の要素たりえているのかの証明が不可能ではないだろうか
いや誰が見てもとまでは言わないがおおよその人間が美しいと感じる文化的評価の要素であると定義付けし、ある程度の保証ができる人材こそ貴方が言う所の知性エリートではないのか?

>「技法や人が美しいと感じる点の言語化」は含まれるだろうがそうではない要素と見分ける術がないというか
それを可能にして、あるいは言語化して大衆に普及させる芸術と大衆の間を繋ぐHUBとでも言うべき知性や技術を以てエリートと定義する立場に立つのではないか?
では逆に何を以てエリートが文化的評価の要素を提唱・保証し得るというのか。専門知識とそれを他者に説明できる言語化能力を有してこその専門家ではないのか?
0
211. 名無しのあにまんch 2024年06月30日 23:41:48 ID:ExNjYwODA
>>210
>報告書
報告書を役所に納品する仕事したことあるが役所は文章を修正してくるんだ
あと委託事業ではなくて共同研究事業になってるんである程度は文化庁の見解として見ていいはずだ
まぁこれはどうでもいい

>自分の中の基準はこう、で納まるなら実際に機能しているかまではこちらとて問わない
この部分の流れとしては、俺が世界的な作品評価システムや条約とは世界的な共通ルールだと言ったところ、お前に完全性がないから共通ルールとして機能していないと返され、そこに俺が意思があれば不完全でも共通ルールになると返した形だ
見直してみると自分の中の基準で主張しているのは意思のとこだが、その前の機能が十全じゃないから「ない」とされることはやはりおかしい
条約なんかの共通ルールになっているものは国家規模の承認手続きがされていてるので「ある」ことは確かだ(映画祭は厳密にいえば国際組織が認定している)

>オーダーメイドの独創性
個人の価値観というのが何を指しているかあいまいだが、
購入者の価値観であるなら価格決定は独創性の有無が基準ではなく需要と供給の関係だ
生産者の価値観である場合には独創性があってもヒットしていなければ価格には影響しない
独創性が評価を得て知名度に繋がってはじめて価格を上げることができる(上げなくてもいい)

>敬意
最初に戻れば「創作者への侮辱」と言われたから普通の敬意はあると返しただけだ
そしてそれは「フェア」だからそうしているだけでこの部分では他人もそうあるべきとは言っていない
そうあるべきだと言っているのは「個人の評価の上に社会的評価を認めること」だ

>知性エリート評価をインフルエンサー評価が駆逐し得る
これはとても残念だが現実的には人気の方が圧倒的に強い
ただそれは賞などの作品の文化的評価が存在しないわけではなく影響力が小さいというだけなので別に主張は崩れない
またインフルエンサー評価の価値づけは対象物ではなく、インフルエンサー個人に対して行われているので直接並ぶ評価軸でもないのでちょっと比較が難しくて混乱している

>明確な優位性として完全性は要求する
上にも書いた「個人の評価の上に社会的評価を認めること」という要求は個人より社会(国際社会)の方が大きいから社会の方が大切だという主張でもある
社会の評価軸をつくるためには普遍化の手続きが必要であるが、その手続きが不完全なことを指摘されても社会が大きいということは変わらない

>配慮や多様性の問題
何故そんな要素を作品に入れたって話とそんな要素を持った作品が賞をとって認められたというのは分ける必要がある
リトルマーメイドはそんな要素が入っているが文化的にも商業的にも評価されていない
一方でエブエブはアジア人種をメイン起用してテーマに多様性の尊重を据えているがアカデミー賞のほかに多くの批評家賞で受賞している
このようにうまいことやってる作品もある
お前さんが問題しているのは、不自然にポリ要素を取り入れて大衆目線でつまらなくなっている作品が量産されていることだろう
実質的な表現規制によって独創性・独自性・表現の自由が殺されている状態は俺も個人的には好ましくないと思う
ただしアメリカで映画の表現が規制されていたヘイズ・コード時代には規制を超えた表現なんかも生まれているから悪いだけとも言い切れない

>昨今では個人の価値観やアイディンティティが小さくない
作品内容の評価においては「個人の価値観の重視」という要素も評価される
しかし社会的集団による評価という視点に立ったときには例えばトランス女性のみによる評価は母集団の小ささと普遍性の欠如から社会的な評価になりえないと考える

>捻れによって大きな影響を及ぼしている現状はそちらの持論としても望ましくはないのではないか?
本当に個人的価値観から生じた思想が世界を席巻した状態=捻れた状態なのかは疑念なので何とも言えない
そのため配慮と多様性を取り入れた審査にて選ばれた作品評価は認めている
個人的にはエブエブはいい作品だったし面白かった

>おおよその人間が美しいと感じる文化的評価の要素を定義付けする人材が知性エリートでは
ここは単に抽出という手法に疑問があっただけで専門家にそういう機能を期待したい気持ちはあるよ
HUBのような専門家もいるが深く潜るだけの専門家もいるんで共通するのは専門知識があるかどうか
例えば直近の作品でガルクラを抽出したら狂犬とかばっかり出てきそうだし普通に専門家同士で集まって話したほうが定義づけしやすそうだし手続きとしてもよさそう
0
212. 名無しのあにまんch 2024年07月01日 01:57:44 ID:MyNTUwNA=
>>211
>報告書
>まぁこれはどうでもいい
そう流すのであれば報告書は社会的評価の一例であって実際にそれを前提に全てが稼働している訳ではないという事でよろしいか?

>完全性がないから共通ルールとして機能していない
何故そうなる
完全性がないから社会的評価が個人の価値観に必ずしも取って変わる、あるいは上にあるものではないという話だろう

>そこに俺が意思があれば不完全でも共通ルールになると返した形だ
であれば個人の価値観という意思に基づいた共通ルールを認めないのはおかしい

>機能が十全じゃないから「ない」とされることはやはりおかしい
論旨として存在しえないという事ではないだろう
必ずしも個人の価値観に替わるものではないという話なのだから

>独創性が評価を得て知名度に繋がってはじめて価格を上げることができる
価格の問題に話を逸らさないでいただきたい
あるいは職人としての独自性・創造性が個人価値観に基づく評価の積み重ねとして社会的評価を得うる事を価格という形による証明を以て認めるのだな?

>「個人の評価の上に社会的評価を認めること」だ
繰り返すがこちらは必ずしも社会的評価は上に存在しないという立場だ
個人の評価の上に社会的評価を置くものがいるのは認めるがそうでない者を認めないのは貴方の個人の価値観による狭量だろう
多層性や多様性において社会的評価がどのレイヤー、どの階層にあるかが個々人毎に違うのは当然だろう

今もって忌憚なく言えば個人の評価の上に社会的評価があるからと創作に対する敬意を欠くのであれば許しがたい
「個人であればその程度の敬意で十分」としたが持論をブン投げて強要を良しとするならば受賞等の無い作品に対してであろうと心動かされたならば動かされただけの敬意は抱くべきだと強く思っているのは変わらない

正直に言えば感情のみならばその一点において貴方をブチ転がしたいと殺意すら覚え始めている

>影響力が小さいというだけなので別に主張は崩れない
いいや、必ず「個人の評価の上に社会的評価を認めること」として社会的評価が上でなければならないとするならば認めた事で崩れている

>またインフルエンサー評価の価値づけは対象物ではなく、インフルエンサー個人に対して行われている
>直接並ぶ評価軸でもない
論点の恣意的すり替えでは?
インフルエンサーからの評価は対象物への付加情報であってあくまで主体は対象物に残ったままだ

>比較が難しくて混乱している
つまる所、その混乱が生じる脆弱性が「個人の評価の上に社会的評価がある」事の絶対性への反証そのものでは?

>個人より社会(国際社会)の方が大きいから社会の方が大切
どちらも大切だろう。個人なくして社会は成り立たず、個人が寄り集まれば社会は形成される
なのにそちらは個人を軽視しすぎていてバランスが悪い
人命・人格・人権を蔑ろにしている

1つ確認だが貴方は社会主義者なのか?

>社会が大きいということは変わらない
だが歴史として崩壊したソ連のように社会の方が間違っているとして消えた実例がある
個人よりも社会を大事とする社会主義国家ですらだ
個人が社会のルールを無視するのも良くないが、社会の方が大きいとして個人を蔑ろにすれば破綻を招く

>一方でエブエブはアジア人種をメイン起用してテーマに多様性の尊重を据えているがアカデミー賞のほかに多くの批評家賞で受賞している
申し訳ないが視聴していないので受賞に関しては僕に限れば大きな意味は持ちえない。社会的評価が意味を成さない実例だ

映画好きな人や製作に携わった方にとっては大きな意味を持つだろうし、今こうして説明されればそれは凄いと称賛するけれど視聴していないのに受賞の肩書きだけで素晴らしい作品と決めつける不敬も俺にはできない

というか多少調べたが最初からテーマとして扱っているものと不要であるのに入れざるをえず不自然になった作品とで状況が違って当然では?
テーマにそぐわないで上手くいかなかった作品に対して、最初から取り入れた作品では成功例がありますでは詭弁のように思うが

>このようにうまいことやってる作品もある
実例があるのは認める
けれど全ての作品がそうではないし上に書いたように
最初からテーマにした作品とテーマ外なので歪んだ作品は同列にできないのでは?

>お前さんが問題しているのは、不自然にポリ要素を取り入れて大衆目線でつまらなくなっている作品が量産されていることだろう
それも問題だが創作者に制限が生まれているのも、文化盗用や歴史の歪曲を試みる者も現れているのも問題だ

>規制を超えた表現なんかも生まれているから悪いだけとも言い切れない
その点は認めるが好ましくない状況を生み出している以上は歓迎すべきでない状況なのも確かでは?

>しかし社会的集団による評価という視点に立ったときには例えばトランス女性のみによる評価は母集団の小ささと普遍性の欠如から社会的な評価になりえないと考える
多様性コンサルタントを自称する会社がゲーム会社から億単位の報酬を得て、コンサルティングを依頼しなかった会社へはネガキャンによる風評被害をもたらす実害も既に起きている
事はもうトランス女性のみだの黒人のみだの特定の集団による評価に収まっていないのが実情だ
普遍性の欠如から社会的な評価になりえないという結論ありきで社会性に及ぶ規模の実害を無視するのはいかがなものか

>本当に個人的価値観から生じた思想が世界を席巻した状態=捻れた状態なのかは疑念なので何とも言えない
>個人的にはエブエブはいい作品だったし面白かった
それを言い出すのならば個人の価値観は無価値とするのはやはり恣意的ではないか
自身が認める個人の価値観ならば良いという貴方の価値観による選別なのだから

ちなみにどういった点を面白いと感じた?

>ここは単に抽出という手法に疑問があっただけ
では何を基準に専門家が評価を決めると?

>深く潜るだけの専門家もいる
居るのは否定しない
しかしそれではそちらが提唱する社会的評価に寄与しない以上、個人の価値観同様意味が無いと断じるべきなのにそうしないのは恣意的ではないか?

>専門家同士で集まって話したほうが定義づけしやすそうだし手続きとしてもよさそう
深く潜るだけならばそれも起こりえないのでは?
0
213. 名無しのあにまんch 2024年07月02日 01:34:42 ID:A1MTc2MzI
>>212
>報告書
いや?海外ではそのように評価されているということを調べてきましたって報告書を日本政府が出してんだから一例ではないだろ

>完全性がないから社会的評価が個人の価値観に必ずしも取って変わる、あるいは上にあるものではないという話だろう
完全性の有無が社会的評価と個人的評価の構造に影響を与えるのはなぜだ?

>個人の価値観という意思に基づいた共通ルールを認めないのはおかしい
これはどういうものを指しているかわからん

>必ずしも個人の価値観に替わるものではないという話なのだから
替わるとは言っていない
社会構造では上位に広く社会的評価があって、社会の中で生きる個々人はそれぞれの評価を持つ
構造における上下があるとともに並び立つとも言える

>価格の問題に話を逸らさないでいただきたい
ここは量産品とオーダーメイドで後者の方が高額ってことから始めたのに途中から価格の話してなかったのかよ
俺ずっと価格の話しかしてないから食い違ってるぞ

>必ずしも社会的評価は上に存在しないという立場だ
もはやここだけ話せばよさそうだ
俺は社会的評価が上位にあると言う考えを以下のように書いた
204「個人の群れの最大単位が国で、その国が認めたことは国内での評価になり、そうした国々が承認したものは世界の評価となる
この構造では社会は個人の上に立ち、これは民主的な手続きの繰り返しで成り立っている
209「国以下の社会を考えても段階的な拡大の構造には不可逆性があり、小さな範囲においては個人の価値観は重要な構成要素だが、層が上がるにつれて個人の価値観が影響を及ぼす範囲は極めて小さくなっていく」
ここから社会的評価とは、民主的なプロセスによる評価決定を繰り返して拡大していく構造であるとしている
先ほども書いたように社会的評価と個人的評価の上下は構造の話だ
誰がどの評価を重視するかは全く別だ
社会的評価があることを認めるのと社会的評価の内容を認めるのも全く別だ
ゆえに影響力が小さかろうが、完全性がなかろうが構造は厳然と存在するし持論にはいささかの翳りもない

>インフルエンサーからの評価は対象物への付加情報
ここはまじで構造化が難しいんで思考を整理する
大衆⇒インフルエンサー⇒対象と評価があって、インフルエンサー⇒対象と評価する
インフルエンサーは大衆からの人気があるから発信力が高い
だからインフルエンサー⇒対象の評価は広く伝わる
だが大衆によって人気という尺度で価値づけされたのはインフルエンサーであって対象ではない
ヒカキンがセイキンを紹介したからセイキンは知られた
その後にセイキンが人気が出たのは本人によるものである
大衆⇒インフルエンサーは常に評価だが、インフルエンサー⇒対象は評価に限らずあらゆる発信ができる
つまり評価でなく発信こそがインフルエンサーの機能
ではインフルエンサーが評価するということはどうか
インフルエンサー個人がインフルエンサーの機能を使って個人の価値観を発信したということになる
これは別に発信するものが個人の評価でもいいが、他の誰かの評価でも案件でも何でも同じだな
個人の評価との異なりはこの機能によって拡大されたと言うことだけであり、そこに付加価値が生じていないのでやはりメディア機能と呼ぶべきものだ

>そちらは個人を軽視しすぎていてバランスが悪い
これはたぶん擦り合わせ不可能
あと俺は民主主義のプロセスについて話してきたんだから社会主義者なわけがない
全体主義までいくと明確に間違いのラインを超えてるな
この間でどこがバランスがいいとかは水掛け論になる

>視聴していないので受賞に関しては僕に限れば大きな意味は持ちえない
だから個人はそれでいいと繰り返しているって
今そういう作品があって色んな賞を受賞してることを知っただろ?そしたら「社会的評価が高い」ことを認めるだけでいいんだ
見たいと思わなくていいし、見てないから評価できないでもいいし、見たけどつまらなかったでもいい
ただしつまらなかった時に「自分としては」と枕詞を付けずに駄作だとするのはおかしい
これは個人的評価と社会的評価が同じレイヤーにないからそうなる
自身の評価とは関係なくお前が「それは凄いと称賛する」のであれば十分に機能しているので俺は満足だ

>ポリ関係
論旨では明確に歪められたのに受賞した作品を示す必要があり、さらにはこの価値観が民主的プロセスを踏んでいないのに世界を支配していることを示す必要がある
それでも構造の問題というよりも、構造をぶっ壊す手法があると言うことの問題になるが
あと前提として評価と作品作りを混同してはだめだ

>文化盗用や歴史の歪曲を試みる者も現れているのも問題だ
>好ましくない状況を生み出している以上は歓迎すべきでない状況なのも確かでは?
俺の趣味としては好ましくないな

>多様性コンサルタント
社会に悪影響が出ていることは評価の構造とは関係ないがあえて答える
これはネガキャンを盾に脅迫的な手法に出たことが問題であって、まっとうにコンサルするなら問題ないことではある
ただし俺は社会の変革を目指すにあたって民主的プロセスを重視しない活動家は好きではない

>それを言い出すのならば個人の価値観は無価値とするのはやはり恣意的ではないか
だから社会の影響とは関係なく個人の評価は自由にしていい
「個人的には」と付けている理由がそこにある
エブエブは多様性がテーマではあるんだがそこらの狭量な多様性と一線を画してカオスを肯定する
実質ボーボボと言われるくらいめちゃくちゃなのにその全てを認めていてそれを家族の中での承認という個人的な事柄に繋げていく
あとすごい笑えた

>では何を基準に専門家が評価を決めると?
それぞれの持つ専門知識のすり合わせじゃないか?
おそらくはそれぞれが少しずつ違う視点をもって普遍化していく作業が行われていると推測できる
そうした知識と多様性をもって社会的評価の決定プロセスに関わりうることが社会的評価を生み出すにあたっての専門家個人の価値だ
一人で延々と研究して何一つ発信しなければ社会的に価値は生じないがそれは極論なのでそんなやつはいない
0
214. 名無しのあにまんch 2024年07月02日 04:51:28 ID:c5ODIwOA=
>>213
>報告書
それが海外での評価の全てという報告でもないだろ

>完全性の有無が社会的評価と個人的評価の構造に影響を与えるのはなぜだ?
完全性に保証された唯一無二の価値観ではないからだ
代替や互換によるどちらを重視するかの選択の余地を生んでいる

>個人の価値観という意思に基づいた共通ルールを認めないのはおかしい
個人の価値観の集合であるネット上での概ねの作品評価と専門家が受賞させた作品との評価の捻れや売り上げ等で形にされた作品評価
面白い、美しい、素晴らしいと自身が感じたか否かという原始的なルールだ
その集合による社会的評価を認めず必ず下とするのがおかしい

>構造における上下があるとともに並び立つとも言える
では上下に並び立たないとも言える

>オーダーメイドで後者の方が高額ってことから始めたのに途中から価格の話してなかったのかよ
こちらは最初から独創性に対しての評価があり、それが価値の付与(価格の上昇)にも職人としての評価にも繋がる話をしていた筈だ
食い違いではなく話を逸らしていたと謗りを受けても仕方ないのでは?
というかこちらが途中で話を変えたみたいに責任の転嫁をするな

いいか、流さず答えてくれ
数多の個人の価値に応える独創性を以て職人として社会評価を得ている実例があるという話だ

>ここから社会的評価とは、民主的なプロセスによる
一部の知性エリート主義主導による決定と民主的なプロセスとで並び立つとするのは無理があるだろ

>先ほども書いたように社会的評価と個人的評価の上下は構造の話だ
>誰がどの評価を重視するかは全く別だ
であれば上下ではなく別レイヤーの話だろ
読んでいない作品の感想は述べる事ができないがそれと関係無く売り上げにせよ評価にせよ他人の評価が存在するように、別個で存在していると考える方が自然だろう
個人の価値観において繋げる自由はあっても

>社会的評価があることを認めるのと社会的評価の内容を認めるのも全く別だ
つまりは上下ではなく分けて考えるべき事項だろう

>ゆえに影響力が小さかろうが、完全性がなかろうが構造は厳然と存在する
存在する事と意味を持つかは別だ
この議論に関係ない概念や構造が存在する事は確かであってもそれ等がこの議論においては意味を成さないように

>持論にはいささかの翳りもない
貴方の中ではそうなのだろう、貴方の中では
問題はそれを他人に強要する事だ

>インフルエンサーからの評価は対象物への付加情報
>大衆→インフルエンサー→対象への評価
>大衆によって人気という尺度で価値づけされたのはインフルエンサーであって対象ではない
つまり対象が人気になるかどうかは大衆→対象への評価の過程を経るので一旦インフルエンサーは切り離される
流行った、人気になった場合は理由や要因として後から取り上げられる事はあるが

>ヒカキンがセイキンを紹介したからセイキンは知られた
>その後にセイキンが人気が出たのは本人によるものである
つまり人気が出た要素に対象(セイキン)の自助努力や魅力があった事を無視するのは持論の都合悪い部分を流してるだけだろ

これ言うとすぐにそちらは「間を仲介したインフルエンサーの助力の存在を無かった事にした」と極論振りかざすが
その大衆と対象を繋げてからどれだけ対象に興味や好意が残るかは対象自身の比重が大きいという話だからな
インフルエンサーが良いと言っても対象に地力がなければ大衆は悪いと言う

>大衆→インフルエンサーは常に評価だが、インフルエンサー→対象は評価に限らずあらゆる発信ができる
>つまり評価でなく発信こそがインフルエンサーの機能
発信を主題にしていないインフルエンサーもいるのに何を言ってるんだ
観測してる側が勝手に意味を見出だしてる事も多いのに
発信はソーシャルメディアの機能であって職業的に発信しているのでなければインフルエンサーは受動的観測対象。能動的なのは観測する側の大衆側では?
大衆とて評価に限らずあらゆる発信ができるから、時に大衆発の流行が生まれるのに大衆は発信する側に含まないのは恣意的すぎる

>インフルエンサーが評価するということはどうか
>インフルエンサー個人がインフルエンサーの機能を使って個人の価値観を発信したということになる
上記のようにまさにこれこそが勝手に意味を見出だす一例だろうよ
インフルエンサーではなくソーシャルメディアの機能による発信なのに

>個人の評価との異なりはこの機能によって拡大された
機能による拡大ではなく単に観測者の母数が大きいから影響を受けた人間も多くなるだけの話だろ
メディア化だのなんだのは企業で配信する務め人が案件で宣伝したり専門家が専門知識の流布を意図したのなら該当するだろうけれど

>そこに付加価値が生じていない
つまりは個人の域を出ない訳だ
商業的価値の付与等を目指した呼び掛けでもないのだから

>やはりメディア機能と呼ぶべきものだ
この結論ありきじゃねーかよ

>俺は民主主義のプロセスについて話してきたんだから社会主義者なわけがない
個人よりもまずは社会が大事としながら民主主義的なプロセスについて話しているから社会主義者ではないは欺瞞を感じるのだが
まず社会があって個人は大事ではなく、一部のエリートを上に据えてその決定にのみ個人は従うべきでは民主主義側の人間を騙っているのではと疑いもしようよ

>バランスがいいとかは水掛け論になる
調度良いバランスの協議ではなくそちらのバランスが悪いというという指摘への反証があるならば示せばよかろうよ

>今そういう作品があって色んな賞を受賞してることを知っただろ?そしたら「社会的評価が高い」ことを認めるだけでいいんだ
物凄く失礼な事を言うし作品への敬意を欠くので本当はこんな風に思いたくないが、貴方がそう迫っているという点とポリの風潮を前提に配慮を評価されての受賞の可能性もあるんじゃないか?というバイアスが掛かっている
ネット上での賛否両論の否以上に賛の意見を読んでの感触もあって学術的、芸術
的点から見て本当に優れているのか観もせずに「高い社会的評価が相応しい」かの確信がもてない
経済面で見れば社会的評価が高い成功した作品なのは間違いなさそうだけど

>これは個人的評価と社会的評価が同じレイヤーにないからそうなる
いやつまりだから必ずしも上下関係ではなかろうよ

>自身の評価とは関係なくお前が「それは凄いと称賛する」のであれば十分に機能しているので俺は満足だ
申し訳ないがお世辞とまでは言わないが建前というかよく知らない作品だからこそ礼儀として知った情報のみで暫定的に褒めたのを心からの称賛と受け取られるのも心苦しくはある
それでも満足ならかまわないが

>ポリ関係
論旨では明確に歪められたのに受賞した作品を示す必要があり
調べた限りではそちらが例に挙げた作品は同性愛者の娘との和解を盛り込んで意図してテーマに据えられてるように思うが?
最初から意図して取り込んだものを歪められたとは言わないだろ

>価値観が民主的プロセスを踏んでいないのに世界を支配していることを示す必要がある
製作体制に影響を及ぼすポリに対するいい加減にしろという世界中の個々人の反応がネット上に無数転がってるにも関わらずそれを言うのか?
日本のマクドが作った家族で食べようというアニメCMへ「俺達の国では黒トランが自分達を殺さないでというハンバーガーに関係ないCMを流していてウンザリする」と海外ニキネキがウンザリしてた実例もあるが?

>評価と作品作りを混同してはだめだ
ポリ讚美だから受賞したのではないか?と大衆が評価に疑問を呈する歪みも生んでるが

>文化盗用や歴史の歪曲を試みる者も現れているのも問題だ
>好ましくない状況を生み出している以上は歓迎すべきでない状況なのも確かでは?
不の面ではあるが個人の価値観であるポリ関係が事実として社会評価に影響を及ぼしているのを無視する

>多様性コンサルタント
社会に悪影響が出ていることは評価の構造とは関係ないがあえて答える
いや、評価の構造の悪用なんだから無関係ではないだろ
悪用する奴が悪くて必ずしも責任があるとは言えないだけで

>まっとうにコンサルするなら問題ないことではある
されてないから話に挙げたんだろ

>だから社会の影響とは関係なく個人の評価は自由にしていい
それに対して必ず上下の関係にあるとするのは個人の評価の自由を認めていないのでは?

>エブエブ
観ていないので言及は控えるが、貴方にとっては意味のある作品だったようで何よりだ

>それぞれの持つ専門知識のすり合わせじゃないか?
進次郎構文じゃないんだぞ
「専門家の専門知識の基準とは。専門知識の擦り合わせです」
その「それぞれの持つ専門知識」が何に根差し何に由来するかという話をしていたのに

>おそらくはそれぞれが少しずつ違う視点をもって普遍化していく作業が行われていると推測できる
その話はもうこちらがしていた筈では
大衆が良いと感じる部分の言語化と体系化として

>それは極論なのでそんなやつはいない
深く潜るだけの専門家もいると言い出したのはそちらなんだが?


総じて兎に角こちらに反対意見出せばいい、あるいは話を逸らせばいいで二転三転ばかりで話にならない
0
215. 名無しのあにまんch 2024年07月03日 01:33:09 ID:AyMzA4NDg
>>214
>それが海外での評価の全てという報告でもないだろ
では他の実証を示せ
なければないでいいぞ

>代替や互換によるどちらを重視するかの選択の余地を生んでいる
それは個人の選択であって構造ではない

>個人の価値観の集合であるネット上での概ねの作品評価
ネット民の評価を指標化できればネットコミュニティという範囲では価値になる
ただし消費者という枠にはネット民以外にも多くいて、消費者には売れてないけどネットの評価が高いとかはありえる
ゆえにネット民の価値観は個人の価値観よりも大きいレイヤーだが、消費者の価値観のレイヤーよりも小さい
例えば各国のネット民の評価を集約するプロセスがあってそれを世界規模で標準化する構造があれば社会的評価になると思うが

>では上下に並び立たないとも言える
大小がある以上は構造上そうならない

>こちらは最初から独創性に対しての評価があり、それが価値の付与(価格の上昇)にも職人としての評価にも繋がる話をしていた筈だ
203読んでこいよ
一行目「一人にしか価値がないという意味が」
二行目「量産品とオーダーメイトとでは後者の方が高額」
と一行目の意味を示す言葉が価格しかない
そもそもここじゃ独創性とは言ってないな

>数多の個人の価値に応える独創性を以て職人として社会評価を得ている実例があるという話だ
それは大衆が独創性を評価したことでヒット商品となって商業的評価が高まるということか?独創性が評価されたというのは何をもって実証されているんだ?
みんなそう言っているからとか感覚値ではなく独創性が評価されたのか他の部分が評価されたのかを区分できているのか?

>一部の知性エリート主義主導による決定と民主的なプロセスとで並び立つとするのは無理がある
文章に対象が入っていないんで何とも
何が何と並び立つとするのはどう無理があるといっているんだ?
ちなみに審査員は社会から評価を得た人たちで、その人たちが作品を選ぶ、選出結果を組織・国家が承認するという多層の承認プロセスがあるから社会的評価になると言っている

>であれば上下ではなく別レイヤーの話だろ
なんで上下じゃないんだ?多層の承認重ねた評価と個人が一人で考えた評価が同じか?上にあったような世界的ネット民評価でもあれば近しいレイヤーに位置すると思うが

>つまり対象が人気になるかどうかは大衆→対象への評価の過程を経るので一旦インフルエンサーは切り離される
いや、この場合に大衆はインフルエンサーを評価しているので対象を評価していない
大谷評価してる奴がマック評価してるわけではないだろう

>つまり人気が出た要素に対象(セイキン)の自助努力や魅力があった事を無視するのは持論の都合悪い部分を流してるだけだろ
そもそも本人によるものであると書いてる

>インフルエンサーは受動的観測対象。能動的なのは観測する側の大衆側では?
観測した側が意味を見出すとしてもインフルエンサーが拡大する機能は同じだ
テレビは視聴者が見にいくものって言うのと変わらんぞ

>インフルエンサーではなくソーシャルメディアの機能による発信なのに
インフルエンサーではなくSNSの機能だと言い切るのはなぜ?
SNSの機能は誰かの投稿をフォロワーのタイムラインに表示することだ
これによって個人が発信ができるようになったことは間違いない
しかし、多くのフォロワーに情報を届けることまでSNSの機能か?
それはインフルエンサーと個人の間にフォロワー人数に差があるから生じる機能だろう

>個人の域を出ない訳だ
Aさんのツイートをインフルエンサーが拡大してもAさんは個人の域を出ないな

>この結論ありきじゃねーかよ
お前が言う「受動的観測対象で観測者の分母が大きいから影響を受けた人間も多くなる」でも同じ結論だぞ、テレビのことか?
俺はこのインフルエンサーの構造の理解がまじで難しかったからフラットに機能を分解したら情報を拡大する機能と意見を発信するという機能が分かれていることに至っただけだ

>一部のエリートを上に据えてその決定にのみ個人は従うべきでは民主主義側の人間を騙っているのではと疑いもしようよ
個人は従うべきとは言ってないぞ?

>そちらのバランスが悪いというという指摘への反証があるならば示せばよかろうよ
じゃあバランス悪いという根拠を示してくれ

>貴方がそう迫っているという点とポリの風潮を前提に配慮を評価されての受賞の可能性もあるんじゃないか?というバイアスが掛かっている
評価軸のバイアスに疑念を持ってしまうのはしょうがない
後述するが大衆と社会のズレは民主主義においても起きてしまう

>よく知らない作品だからこそ礼儀として知った情報のみで暫定的に褒めたのを心からの称賛と受け取られるのも心苦しくはある
社会的評価なんてのはその程度でいい
個人にとっては自分の評価の方が大事で当然だ
社会的に作品評価を決めるためだけに国際的な仕組みが作られてるんだから社会にそういう評価があると認識はしてもらいたいだけだ

>最初から意図して取り込んだものを歪められたとは言わないだろ
エブエブはその通りだ
後から歪められたことが明確だけど賞を受賞したって聞かないからそういうのがあれば課題になる

>製作体制に影響を及ぼすポリに対するいい加減にしろという世界中の個々人の反応がネット上に無数転がってるにも関わらずそれを言うのか?
民主主義的に決められた政権のやることだって大衆の声とズレがある
ただしこれは多数の承認と勝利によって作られる民主主義のプロセスが歪められていることを意味しない
民主主義では集団が意見を個人に委託することを繰り返す形で段階が上がるごとに合議が必要な仕組みになっているものの、階層が進むごとに最小単位の個人とは意見が違ってしまう
ポリの問題がそうしたズレでないと何故言える?
もちろん大衆が疑念の声をあげることは当然の権利だが正当なプロセスを踏んだ要求をするべきである
例えばポリをやめろといって炎上騒ぎを起こして政府の多様性を推進する方針を変えさせるというやり方には正当性はない

>ポリ讚美というにはだから受賞したのではないか?と大衆が評価に疑問を呈する歪みも生んでる
この疑念も大衆の声とのズレが起きている状態なので上記の通りの見解だ
ちなみにエブエブはポリ賛美にしてはやりすぎてるから楽しい
下半身裸の男がジャンプして尻にディルドを突っ込むと強くなるんだぞ

>個人の価値観であるポリ関係が事実として社会評価に影響を及ぼしているのを無視する
本当にポリが個人の価値観かどうか確証はないだろう
ポリ全般はともかく黒人問題は白人がやり過ぎてきてるから社会全体で揺り返しがあるのは自然ではある
70年代まで黒人に梅毒人体実験やってたとかアメリカやばすぎる

>上下の関係にあるとするのは個人の評価の自由を認めていないのでは?
レイヤーの上下と個人がどう受け止めるかは別だ
作品評価に関係なく社会構造の上下で言えば会社の価値観と自分の価値観では会社が上だろ
だけど個人は最終的にその価値観が別に気に入らなきゃ辞めればいい
ただ会社よりも俺の価値観が上だとか俺と会社の価値観は並び立つとは社会的視点からは言えない

>進次郎構文じゃないんだぞ
まてまて、何を基準に専門家が評価を決めると?の返事だろ
「専門家が評価を決める基準とは。専門知識の擦り合わせです。それぞれが少しずつ違う視点をもって普遍化していく」だ
ここで大衆の価値観は扱っていない

>深く潜るだけの専門家もいると言い出したのはそちらなんだが?
いたからなんだ?もしいても社会的価値はないと言っただろう

>二転三転ばかりで話にならない
俺は構造のことしか主張していない
それ以外はお前がワンセンテンスごとに角度変えて否定しようとするのでそれぞれに適切に反論しているだけだ
おまえ自身が絶対に認めないという結論ありきだからそうなるんだ
0
216. 名無しのあにまんch 2024年07月03日 09:09:34 ID:I3MDkxMg=
>>215
>では他の実証を示せ
なければないでいいぞ
それこそ散々話してきた経済的評価があるだろ
商業的評価が存在する事はそちらも認めていた筈では?

加えて言えば映画に限定しなければ漫画やアニメが海外でアニメエキスポ、ジャパンエキスポの盛況という形で高い評価を受けてもいる
だが件の報告書ではそういう場で扱われるメジャーな作品を不自然に文化的価値から引き離している
それに対して個人的に思う部分はあるが、であれば文化的価値とは違う軸で評価されている実証だ

アートであれば個展の開催でもいい。現代アートなどそれこそ規範の評価軸から外れてアイディア、コンセプト、テーマ性、自己表現性による評価が重視されがちだ

○○的評価であれば歴史的評価、技術的評価でもいい

あと根本的に悲しい事だが「自分が好きなら良い作品。嫌いなら悪い作品」なんて輩も少なくないからな

参考になるかは解らないが東京オルタナ写真部というサイトのコラム「ロラン・バルトとケネス・クラーク/個別性と普遍性について」も興味深い

というか映画に、あるいは持論の主張に使えるからと映画祭に傾倒しすぎてその他の創作を軽んじてないか?

>それは個人の選択であって構造ではない
選択の余地が構造的に生じているという話だろ

>ゆえにネット民の価値観は個人の価値観よりも大きいレイヤー
いや勝手に別レイヤーに変換するなよ。集合的な総体として対立する意見も内包するんだから

>集約するプロセスがあってそれを世界規模で標準化する構造があれば社会的評価になると思うが
レビュー収集サイトという集約するプロセスがあるだろ

>大小がある以上は構造上そうならない
大小の大を必ず社会的評価とする前提があっての話だろ。個人より社会という社会主義的前提で社会的評価が優位であるという結論ありきの
その価値観を個人が持つ自由から上下が存在する事もその信条を持つ者の為に否定はしないが、社会的評価が上に来ない構造を持つ者もいる以上は並び立たない
とも言える

積木やブロックのようなものだ
社会的評価の積木と個人的評価の積木。大抵の者は両方持っているだろうが上下に積む者もいれば横に並べる者
あるいは片方を放り投げる者すらいるだろうよ

>一行目「一人にしか価値がないという意味が」
>独創性とは言ってないな
一人にしか価値がないという意味がある、を恣意的に区切るな
独創性に対しては一人にのみ適用される価値としてここで触れてるだろ

>二行目「量産品とオーダーメイトとでは後者の方が高額」
だから恣意的に区切るな
量産品とオーダーメイトとでは後者の方が高額のように、から「のように」で比喩として用いている部分をわざと消すな

>それは大衆が独創性を評価したことでヒット商品となって商業的評価が高まるということか?
オーダーメイドであれば一点ものなのにヒット商品とはならんだろ
商業的評価としては商品の吟味を介して職人の腕前や独創性の評価に繋がるのだから寧ろ狭い範囲で深く追及した結果の総和だ
同一品の100と個別の1×100の違い……と言って通じるは解らないが

>独創性が評価されたというのは何をもって実証されているんだ?
それこそ価格や評判の話だろう。生地の原価のみならず腕前に対する評判・評価で紙幣という物差しが意味を成す
付加価値として高額という形で実証が伴う
あるいは単純に生業として生活が成り立っている事でも一定の評価が顕になっている

>何が何と並び立つとするのはどう無理があるといっているんだ?
選挙に見立てて民主主義の政治形体に見立てて審査員(政治家)、大衆(有権者)の構図に並び立たせるのは制度が違うのだから無理があるだろ

>審査員は社会から評価を得た人たちで、その人たちが作品を選ぶ
自分達で作品を選ぶ「その人達」を大衆が選んだ訳じゃないんだぞ
この時点で民主主義とは解離している
そちらの主張は政治家なら専門家だから誰が立候補者でも同じというようなものに加え、民衆が選出した訳でもない政治家が政治家を選ぶ選挙を民主的と言うようなものだ

>選出結果を組織・国家が承認するという多層の承認プロセスがあるから社会的評価になると言っている
それと民主主義に例えられるかは別だ
良し悪しは別にして寧ろ大衆が委託者を決められない点では社会主義寄りでは?

>多層の承認重ねた評価と個人が一人で考えた評価が同じか?
同じじゃないから別レイヤーの話なんだろ
どんなに受賞しようと個人の感性にそぐわないという理由で駄作扱いするクソが厳然と存在してるんだぞ
逆に受賞などの社会的評価を受けていない作品を世界一好きな作品とする人間もいる
前者は問題だが後者の価値観を認めないというのはそちらの言葉を借りるなら寂しい限りだな

ひょっとしてそんな作品との出会いが無かった寂しい人間なのかアンタは?

>世界的ネット民評価でもあれば近しいレイヤーに位置すると思うが
上記のようにレビュー収集サイト等もあるが

>大谷評価してる奴がマック評価してるわけではないだろう
ではそもそも評価対象がマックに移行せず繋がらないのであればメディア的機能として機能していない事になるが
というか根本的に無理があるだろ。インフルエンサーを介して知った物への評価は全てインフルエンサーに帰属するなんて
大谷を経由してマックに興味が移ってマクドへの個人的批評が始まるってプロセスが成立していない

それとも大衆は大谷が良いと言ったら全員が無条件で良いと思う衆愚だとでも思ってるのか?

>そもそも本人によるものであると書いてる
なのに上記ではインフルエンサーに帰属するとしているが?

>テレビは視聴者が見にいくものって言うのと変わらんぞ
実際似たようなものだろ。興味の無いフォローしていないインフルエンサーから発信された情報は届かない
わざわざ摂取しに行った人間にのみ意味を持つ。テレビも見ない自由がある
まさかインフルエンサーはネットやってる全員に影響力があるとでも言うつもりか?

>インフルエンサーではなくSNSの機能だと言い切るのはなぜ?
卵が先か鶏が先かと違いSNSの隆盛が先にあってその中で注目される存在であるインフルエンサーという概念が生まれいているからだ

>多くのフォロワーに情報を届けることまでSNSの機能か?
それはフォロワーの能動性によるものだろ
個人とインフルエンサーを繋ぐ情報の発信源がSNSなんだから
というかトレンド等で今の流行っている事を機能
として多くのフォロワーに情報を届けることまでSNSはやってるがな

>Aさんのツイートをインフルエンサーが拡大してもAさんは個人の域を出ないな
インフルエンサー自身もな

>「受動的観測対象で観測者の分母が大きいから影響を受けた人間も多くなる」でも同じ結論だぞ
いや違うだろ。それで対象を評価する人数は増えても対象に対する評価の是非はインフルエンサーと同調しうるとは限らないんだから

>情報を拡大する機能
>意見を発信するという機能が分かれている
情報そのものは拡大されていない。それともフォロワー数何人以上なら拡大されたと言える定義があるのか?

>個人は従うべきとは言ってないぞ?
であれば無理矢理にでも上下で個人を下に置こうとするのは何故か

>じゃあバランス悪いという根拠を示してくれ
社会優位の考え方に対してソ連崩壊の前例を示したろ
上記への反証とは別にバランスが良いという証明もしてくれ

それとは別に個人を蔑ろにして軽視しているのも自分のみが正しいとばかりに持論以外の論理を無意味と断ずるのも調和の取れたバランスの良い思想とは言えない
前者は社会上位に偏って社会的評価を思考停止して礼讚しかねない危うさがあり
後者は他人への侵略を生むだけで話し合いや議論ではなく傲慢な押しつけに堕する危うさを含むからだ

>評価軸のバイアスに疑念を持ってしまうのはしょうがない
というかこういうバイアスを生む時点でポリの害悪さの一例足り得る

>社会的に作品評価を決めるためだけに国際的な仕組みが作られてる
これは流石に過言じゃないか?
あるいは文化的に語り継ぎたい作品の選別や良くない話だが既得損益の問題等も絡むと思うが

>社会にそういう評価があると認識はしてもらいたいだけだ
その点は認めるというか認識の欠如とは別問題ではないか?

>賞を受賞したって聞かないからそういうのがあれば課題になる
これに関しては聞かない事を祈る

>ポリの問題がそうしたズレでないと何故言える?
ポリの場合はズレで済ますには最近では特定の主義趣向や人種に対する配慮という形で実害や歪んだ権利の発生を生んでいるからだ
あるいは悪用する個人の登場と言ってもいい
特にアルファベット四文字関連で指向性を持ち始めている

>疑念も大衆の声とのズレが起きている状態なので上記の通りの見解だ
作品を貶めるようで言いたくはないがポリに迎合したから受賞したのではないかと批評への信頼が揺らぐ要因になってる時点で実害が出ていないか?

>ポリが個人の価値観かどうか確証はないだろう
性自認や性愛に関しては個人と切り離せるものでもないし、人種的なものにしても個人の総体である側面もあるのでは?

>揺り返し
復讐心の想起が人間として自然だからと言って被害者が加害者になっていいと認めていい訳ではないだろ
特に個人よりまず社会ありきのそちらは

>作品評価に関係なく社会構造の上下で言えば会社の価値観と自分の価値観では会社が上だろ
>だけど個人は最終的にその価値観が別に気に入らなきゃ辞めればいい
会社であれば辞めずに自分がトップに立って価値観を自分に合わせるという選択肢があるだろ
あるいは自身で起業するか
能力的な実現性はひとまずおく事になるが

>会社よりも俺の価値観が上だとか俺と会社の価値観は並び立つとは社会的視点からは言えない
良くも悪くもそう考えない人間もいる事まで否定できると?
経営方針を巡っての争いは大小問わず起きてるだろ

>ここで大衆の価値観は扱っていない
最終的には社会を構成する大衆が是とする価値観を専門家がいかに創出するかという点に帰結する問題だろう
専門家だけが良いと思う要素のみが芸術的に素晴らしいとでも?

>もしいても社会的価値はないと言っただろう
では何故居るかのように言った?

>俺は構造のことしか主張していない
>お前がワンセンテンスごとに角度変えて否定しようとする
いや勝手に流してはならん話を流したり都合悪い部分無視したりしてるのそちらだろ
ノエル・キャロルの件や西欧知性主義の実在性やら何やら

>絶対に認めないという結論ありきだからそうなるんだ
そっくりそのままお返しする
0
217. 名無しのあにまんch 2024年07月04日 02:21:54 ID:k5NDQwNjQ
>>216
>経済的評価があるだろ
商業的評価とは別の価値観を示すことを目的とした報告書の話で別の例を求めたんだぞ
経済的評価って商業的評価と同じ意味だろ
アニメエキスポの集客って商業的評価だろ
あと詳しくはないが現代アートはわりと文化的な承認プロセスをとってると思うぞ
それと歴史的評価、技術的評価は商業的評価とか文化的評価と並び立つ社会的評価軸になると俺も思う

気になったんだが「自分が好きなら良い作品。嫌いなら悪い作品」というのも個人的評価においては自由だと思ってるんだが、もしかしてお前の中の個人的評価って俺と概念が違ってないか
俺は「個人が作品を総括した評価・感想であり、他の評価とは切り離されたもの」という認識だが

>「ロラン・バルトとケネス・クラーク/個別性と普遍性について」も興味深い
読んできて興味深かった
「明るい部屋」は今度読んでみるわ
ただ現時点での感想ではバルトの個人的評価の価値化もクラークの評価のイデア化も理想過ぎると感じた
あとこの書き手の主張には疑問があって、個人的評価を美術批評が否定ことに問題があるように書いていたが、そもそも美術批評ってあえて決まった尺度で差をつけるためのルールなんだろうから何も問題なくないかと思った

>映画祭に傾倒しすぎてその他の創作を軽んじてないか?
一番うまいことできてるから例としやすい
前にも上げたが、マンガとかアニメで話すと説明が面倒
マンガは産業となってる国が少ないのと「このマンガがすごい」とか商業的評価のものも多い
アニメは劇場版に限るが映画祭で評価されてるので映画とあまり違いがない

>選択の余地が構造的に生じているという話だろ
命題に対しての回答を並べる
A1「完全性の有無が社会的評価と個人的評価の構造に影響を与えるのはなぜだ?」
B1「完全性に保証された唯一無二の価値観ではないからだ。代替や互換によるどちらを重視するかの選択の余地を生んでいる」
A2「それは個人の選択であって構造ではない」
B2「選択の余地が構造的に生じているという話だろ」

B1では完全性がないことがどのように上下構造に影響を与えているかが言及されておらず、完全性がないから個人が価値観を選択できると答えているだけだ
しかし、個人が価値観を選択できることはこれまで何度も語ってきており、個人が構造の中で社会的評価を選ぶこともできるし、個人的評価のレイヤーでは友人等の評価を選ぶこともできる
そのため、この選択の自由は構造から生じているものではないと言える
なので、B2の選択の余地が構造的に生じるというのは、どのような状態を指すのかがわからない
また、完全性の有無が構造に影響を与える理由についても不明だ

>集合的な総体として対立する意見も内包するんだから
ネット民の対立する意見もあるまとまってない総体とするなら、それって評価を下す機能があるのか?

>レビュー収集サイトという集約するプロセスがあるだろ
数だけ集まっても評価にはなりえないぞ
それぞれの評価軸が共通していて、その評価の結果を承認するプロセスがないとどうにでもなる
例えば好きなキャラが死んだから0点とかの票がどうしても含まれるわけで

>社会的評価が上に来ない構造を持つ者もいる
個人の視点での構造の話を俺はしてないぞ
社会的視点から見て社会が上で個人が下というのは成立しないのか?

>恣意的に区切るな
どちらにせよ独創性って言葉が出てきてないだろ
これを独創性で読み解けって無理言うな
「一人にしか価値がないという意味ってなんだ?あ、オーダーメイド商品を一人が高い値段で買うってことか」と読んだんだよ

>商業的評価としては商品の吟味を介して職人の腕前や独創性の評価に繋がるのだから寧ろ狭い範囲で深く追及した結果の総和だ
すまんが理解しきれている自信はない
個人が色んな椅子を見て、ある独創的な椅子に心ひかれた
すごく高かったけどいろんな商品を比較しても独創性が価格のマイナスを上回ったのでそれを買ったという行動を想定すればいいのだろうか
ちょっと想定が難しいのが最初から値付けされているものなのか、オークションのような形で後で価格が決まるのかで考え方が変わる気がする
あと椅子の独創性の評価と職人の評価を区分する必要もありそうだ

>それこそ価格や評判の話だろう。
それだと独創性の評価ではなく、品質がいい、長持ちする、使いやすい、とか区分ができないはずだ
文化的評価による審査とかなら「独創性」を認定する機能はあるが、大衆評価での認定はどうすればいい
さっきのレビューで言えば9割が独創性を褒めてると言う状況がありえるが、ユーザー間のすり合わせができないので独創性に対するそれぞれの評価基準が不明であると言う課題は残る
あとはオンラインレビューだと工作は危惧される

>審査員(政治家)、大衆(有権者)の構図に並び立たせるのは制度が違う
>この時点で民主主義とは解離している
民主的プロセスとは言っているが大衆が専門家を選ぶとは言っていない
ひとつ前で書いたのは「審査員は社会から評価を得た人たちで、その人たちが作品を選ぶ、選出結果を組織・国家が承認するという多層の承認プロセスがあるから社会的評価になる」だ
誤解を生むのであれば承認プロセスとだけ呼ぶことにする

>良し悪しは別にして寧ろ大衆が委託者を決められない点では社会主義寄りでは?
審査員になるような専門家はアカデミズムをはじめとした実績を評価されるからのが一般的だ
これは大衆が選ぶというものではないが別途の承認プロセスを経ているものなのであんまり独裁的ではないんじゃないか
あと現実には独裁だが本来の社会主義は平等を目指す思想であるのでちょっと気になる

>同じじゃないから別レイヤーの話なんだろ
社会的な視点では上下レイヤー、個人的視点なら別レイヤーなら完全に同意するぞ
駄作扱いは頂けないが嫌いならOK、同様に社会的評価を受けていない作品を世界一好きもOKだ
また映画かよと言われそうだがB級パニック映画にも好きな作品はいっぱいある

>大谷を経由してマックに興味が移ってマクドへの個人的批評が始まるってプロセスが成立していない
評価がインフルエンサーに帰属するとは言っていない
機能があると言っていて理解の仕方が違う
まず大衆に評価されて価値を得ているのは大谷だ
大谷という拡大機を使うと多くの人に情報を伝えられる
大谷が「ヌートバーがマック新商品おいしいと言った」と発信したら、これはヌートバーの評価だが大谷が拡大している
この場合の大谷の機能はテレビ同様にメディアとなる
このヌートバーの評価をどう受け止めるかは個人次第ではあるんだが、
受け取り手には何もなければ与えられなかった評価決定の余地が生まれる
新商品を食べてなかった人であればおいしいものと認識する人もたくさん出てくるだろうし、自分の評価を変える人もいるだろう
セイキンは評価をされたわけではなく紹介されただけなのでそのあとの評価は本人が得たものだ
ただしヒカキンの紹介がなければ現在の地位はなかった

>SNSの隆盛が先にあって
後先で概念が生まれたこととどのような機能を持つかは無関係だ
100人に届けるか、100万人に届けるかの差をつけているのはフォロワー人数だろ?
フォロワーが能動的に見にいくかどうかはその中の誤差の範囲だ
トレンドの拡散はSNSの機能でいい

>対象を評価する人数は増えても対象に対する評価の是非はインフルエンサーと同調しうるとは限らないんだから
テレビでこれすごくおいしいと発信されるのと同じだな

>情報そのものは拡大されていない。それともフォロワー数何人以上なら拡大されたと言える定義があるのか?
フォロワー100人とフォロワー100万人がそれぞれ発信したら100万人の方が情報を拡大してる
この差に定義は不要だ
個人と比較してフォロワーが多いからインフルエンサーって呼ばれてるんだろう

>であれば無理矢理にでも上下で個人を下に置こうとするのは何故か
社会的視点から見て構造がそうなっているからだ

>社会優位の考え方に対してソ連崩壊の前例を示したろ
それは俺の考えじゃない、ソ連という社会優位から独裁政権に走った国の話だ
俺は社会構造を尊重するとともに個人の思想の自由を認めている
ゆえに反社会とされるほど外れた位置にはいない
別に社会的評価を絶対視するほどは礼讚してないし、今やってるのは議論だと認識している

>これは流石に過言じゃないか?
作品評価決めることが第一義だとは思うが、文化的に(あるいは歴史的に)語り継ぎたい作品の選別というのはたしかに
いつかは知らないが最初に賞を作ろうと思った奴は既得損益を狙ったわけじゃないと思うが

>その点は認めるというか認識の欠如とは別問題ではないか?
すまん、認識の欠如で検索したがどの話題かわからない

>ポリについて
ポリ作品は俺も別に好きじゃなくてスターウォーズとかキレそうになったしトイストーリー4に至っては怖すぎてみてない
けどそういう世界的評価になってるなら好きじゃなくても認める
逆に好きな作品でもポリ迎合での受賞だろと言われてもしょうがない
時代を超えて普遍的な評価が不可能だからこそ、10年後、20年後に別の価値観に変わることで総体として評価が見えることもあるはずだ

>ポリが個人の価値観かどうか確証はないだろう
個人や集団から拡大していった側面はある
そういう声をどこかの国が承認していって今世界に広がっているのであれば不当に個人の価値観が植え付けられたわけではないと思うのだ

>揺り返し
「黒人には梅毒感染させて殺してもいい」が「黒人を尊重しよう」に変わったのは社会的価値観の揺り返しとしては自然に見えるという意味だった
かつて名作だった「風と共に去りぬ」が差別映画になったが、これも評価の移り変わりとして見える

>会社であれば辞めずに自分がトップに立って価値観を自分に合わせるという選択肢があるだろ
まぁできなくはない

>良くも悪くもそう考えない人間もいる事まで否定できると?
社会的視点に立てば、だ
個人的視点に立ってそう考えない人間がいることは否定していない
というか基本的には俺とお前はそんなに考えが違わない
社会的視点で見てるか個人的視点で見てるかで食い違い続けている
俺は個人的視点に立てばお前の主張は別に間違ってないと言えるぞ、お前はどうだ?

>ここで大衆の価値観は扱っていない
そのジャンルの深い知識を認められた専門家が評価してできるだけ普遍的な評価を下し、それを国家などの権威が承認する
他の場所でも同様に評価・承認をされていくことでより普遍化されていくというプロセスを経ることで総体として社会で価値が認められる手続きだとしている
ゆえに大衆とズレると言っているし専門家は別に大衆を意識する必要はない

>では何故居るかのように言った?
HUBじゃない奴もいるなと思ったから挙げただけで特に意味はない

>いや勝手に流してはならん話を流したり都合悪い部分無視したりしてるのそちらだろ
ノエル・キャロルの件や西欧知性主義の実在性やら何やら
どちらも一例としたものなので他の例があればよかったはずだ
主に新潟でクリアできてるはずだぞ

>そっくりそのままお返しする
俺は上で認めてるぞ
0
218. 名無しのあにまんch 2024年07月04日 08:09:48 ID:c0MzYxNg=
>>217
>商業評価とは別の価値観を示すことを目的とした報告書の話で別の例を求めたんだぞ
幾ら兎に角こっちの意見に反対しようってのがありきとは言え言ってる事が無茶苦茶だぞ
報告書は文化的評価を目指しましょうって論旨でそれを振りかざして海外で価値のある評価が文化的評価以外無いかのように語るから、他ならぬ報告書自身が対の評価として挙げてるだろって指摘に何を言っているんだ

>アニメエキスポの集客って商業的評価だろ
では何故商業的評価を受けているかと言えば日本のアニメの魅力的なストーリーやキャラクター、美しいアートワークなどが評価されてるからだろ
そうしたそちらの持論では文化的評価に含まれない大衆の評価や感性がカートゥーンの画調をアニメ的に変えたり影響を及ぼしてるのなら、文化的でも商業的でもない別の価値観が働いている事になるのではないか?

>あと詳しくはないが現代アートはわりと文化的な承認プロセスをとってると思うぞ
異論を挙げたい所だが自分も門外漢であるから、~だと思うという所感に反対できるだけの持論はないかな
その辺りは先に挙げたポップカルチャーのくだりで少し触れたけど

>「自分が好きなら良い作品。嫌いなら悪い作品」というのも個人的評価においては自由だと思ってるんだが
いや何遍も言ってるけど思想の自由があるからその辺りは押しつけてこなきゃ自由だと自分も思うよ
まぁ上記の基準を口にすると喧嘩になりやすいから上手い言い回しが望ましいとも思うけど

>もしかしてお前の中の個人的評価って俺と概念が違ってないか
こちらは「個人の基準や感性による好悪であり、信条や持論によっては他の評価等も場合によって総括した、あるいは比較しての評価・感想になりうる」という認識だね
そもそも相手は大方、自分と異なる基準や規格で判断しているという推定が先にある

私自身の評価法であれば自分は好きだけど他の人はこういう部分は嫌いかもしれないとか客観視を経てから「でも好き」という再確認は多いかもしれないな

>ただ現時点での感想ではバルトの個人的評価の価値化もクラークの評価のイデア化も理想過ぎると感じた
つまりは私の個人の価値観の重視だけでもそちらの知性エリート主義の重視だけでも記事の書き手がクラークとバルトに感じたように第三者から見てバランスが悪いんじゃないか?という鏡代わりとして話題に挙げさせてもらった

>あとこの書き手の主張には~
その辺りは、私は書き手の一意見と留めるにする

>一番うまいことできてるから例としやすい
それが持論に都合の良いものを取り扱う恣意的な意見の出し方ではないか?とこれまでも指摘してきた

>マンガは産業となってる国が少ないのと「このマンガがすごい」とか商業的評価のものも多い
つまりは現状として必ずしも文化的評価が上とは言えない事例がある訳だ

>アニメは劇場版に限るが映画祭で評価されてるので映画とあまり違いがない
劇場版に限ると持論に有用な部分のみを事例であるかのように語るのはやはり恣意的だ

持論に都合の悪い部分を避ければあらゆる主張を正しいかのように言えてしまうだろうさ

>B1では完全性がないことがどのように上下構造に影響を与えているかが言及されておらず、完全性がないから個人が価値観を選択できると答えているだけだ

不完全であるから完全に代替不可能な上位互換ではないという旨で指摘している
自分であれば個人的価値観を主軸に「ここはこうだから他の人はこう考えるかもしれない、こうした方が好まれるかもしれない」「自分は好きだがここはこういう理由で好まれないかもしれない」等の客観的視点を選択している

>個人が構造の中で社会的評価を選ぶこともできるし
言い飽きたがこちらに強要しなければ自由にすればいい

>個人的評価のレイヤーでは友人等の評価を選ぶこともできる
>そのため、この選択の自由は構造から生じているものではないと言える
いや、例えば上下2層の羊羹やゼリーはその形で固められたという構造的な仕様で選択の余地無く上下2層ある事が完全な形として在る
だが実際にはにニコイチではなく分かれて存在する以上は構造として単体の運用も想定されている
単体同士で上下に置くか横に置くか、あるいは独立して1つだけ置くかは人によりけりでそれぞれの価値観次第になるだろうけど

>また、完全性の有無が構造に影響を与える理由についても不明だ
不完全だから他のものを置いてもいいし下に置いてもいい
「上に置かねば完全とは言えない」
という完全性に欠けるのだから

>ネット民の対立する意見もあるまとまってない総体とするなら、それって評価を下す機能があるのか?

だからこそ意味がある
もしかしてだが貴方には0か100しかないのか?
あるいは自分と他人という区別や境界がないのか?
余程酷ければ総批判はあるかもしれないが傑作と呼ばれる作品だろうと95:5や85:15だったり偏りはあれどほば賛否両論になる
明らかに的外れでなければ異なる視点が解釈を深める
逆に全体では否寄りの作品から美点を見出だされたり

>数だけ集まっても評価にはなりえないぞ
その数の集合が意味を成す事は商業的評価という形でも現れる

>それぞれの評価軸が共通していて、その評価の結果を承認するプロセスがないとどうにでもなる
>例えば好きなキャラが死んだから0点とかの票がどうしても含まれるわけで
だから対立意見も含めた総体である事に意味がある
個人の価値観においてはある意味でふざけてるとしか思えない理由での死に対する不満とそうでない意見とでもあるいは擦り合わせる事で発展性に繋がる可能性も捨てきれない

というか好きなキャラが死んだから0点だって個人の感想であり物語を面白くしてるかどうかの判断基準になりうるのでは?
死に方次第では死んだから0点も妥当になりうる

>社会的視点から見て社会が上で個人が下というのは成立しないのか?
これだってもう何遍も言ってるが所属する社会によっては成立するという話は既にした筈では?
例えば映画製作に携わる者なら賞の受賞は上に来やすいだろうとも

>これを独創性で読み解けって無理言うな
いや申し訳ないがこれに関してはそちらが難癖の為にわざとやったし文句つけてるとしか思えないんだが

あまり挑発的な事は言いたくないけどさもなくば比喩や例えを理解しないか文章の理解力に難があるのかと困惑すらしている

>「一人にしか価値がないという意味ってなんだ?あ、オーダーメイド商品を一人が高い値段で買うってことか」と読んだんだよ

いや本当に申し訳ないが言わせてもらう
正気か?難癖つけてるだけと言われた方がまだ納得できる
文脈からもそうはならんやろ
その一人が何故に高い値段をその商品に払うのかってのが主題やんけ

>個人が色んな椅子を見て、ある独創的な椅子に心ひかれた
順々にいこう。椅子を湯飲みや壺に置き換える方が解りやすいかもしれない

>すごく高かったけどいろんな商品と比較しても独創性が価格のマイナスを上回ったのでそれを買ったという行動を想定すればいいのだろうか
独創性も含んだ総合的評価であるけど概ねその通りとして話を進める

>独創性の評価と職人の評価を区分する必要もありそうだ
なんて?
その職人でなきゃ作れない独創性がその作品にはありますよって話だよ
あるいは主体を逆転して、作品を見る者が見れば誰が作ったのか判別できる程の独創性を持った職人という話でもいい

>それだと独創性の評価ではなく、品質がいい、長持ちする、使いやすい、とか区分ができないはずだ
例えばテイラーだったら品質の良さならスーツの着心地となるがゲームの数値じゃないんだから着心地の良さも一律じゃない
言葉だけなら同じ着心地でもテイラーによってどう着心地がいいかの差異(独創性)が生じる事になる

互いに机上の空論での議論かもしれないが、数値や額面の単語ままではない世界に生きてるのを忘れられては議論が成り立ち難くならざるをえない

>文化的評価による審査とかなら「独創性」を認定する機能はあるが、大衆評価での認定はどうすればいい
前提としてオーダーメイドや一点物の話なのだから「この一品しかない」「この人にしか作れない」「この人にしか扱えない技術で作られている」
で十分では?

>民主的プロセスとは言っているが大衆が専門家を選ぶとは言っていない
>承認プロセスとだけ呼ぶ
故に民主主義とは解離していると指摘したし、呼び方の問題ではなく則していないのであれば民主主義側の証左とは言えないのでは?という指摘になる

>これは大衆が選ぶというものではないが別途の承認プロセスを経ているものなのであんまり独裁的ではないんじゃないか
誤解させたのなら申し訳ないが独裁的な意味で社会主義的と言った訳ではないんだ
つまりは大衆を介さず社会性を重視した人員を選出しての決定ではないのか?っいう指摘になる

>あと現実には独裁だが本来の社会主義は平等を目指す思想であるのでちょっと気になる
基よりここでの指摘はそういう意図での引用ではないよ
だから‘良くも’悪くもとつけた

>社会的な視点では上下レイヤー、個人的視点なら別レイヤーなら完全に同意するぞ
社会的な視点に関しては繰り返すが帰属する社会や社会への関わり方で必ずしも上下に存在しない
極端な話、自分だけが正しいと思ってる人間には意味を成さないように

>駄作扱いは頂けないが嫌いならOK
こちらとしては「社会的評価を受けていても『自分にとっては駄作』と思うのは自由」「マイナス評価であればその自分にとってはを軽々しく口にするのは控えるべき」「マイナス評価であれば無理に同意を求め強要するべきではない」
という出力になるかな

>まず大衆に評価されて価値を得ているのは大谷だ
大衆が評価しているのはおおよそ大谷の選手としての能力だ

>大谷が「ヌートバーがマック新商品おいしいと言った」と発信したら、これはヌートバーの評価だが大谷が拡大している
>評価決定の余地が生まれる
そもそも興味が湧かないという選択肢が何故無いんですか?
ヌートバーに興味が無い、野球選手以外の大谷に興味が無い、マクドに興味がない
興味を持つ人もいれば持たない人も居るのでは?

>新商品を食べてなかった人であればおいしいものと認識する人もたくさん出てくるだろうし、自分の評価を変える人もいるだろう
つまりは貴方は大衆を衆愚であると見下している訳か
発信された情報を鵜呑みにするアホと
それも味の専門家でもないヌートバーの評価を同じく味の専門家ではない大谷が発信したから自分で食べてもないのに美味しい筈と信じると、自分で食べた筈なのに評価を左右されてしまうと
他人をバカにするのはいい加減やめたらどうです?

>ただしヒカキンの紹介がなければ現在の地位はなかった
だからこそ商業的な案件は別と言っていたんですよ

>概念が生まれたこととどのような機能を持つかは無関係だ
機能の問題だから関係ありますよ
先にSNSという機能があってインフルエンサーが利用、あるいは活用しているのだから
大谷が使わなくなっても別のインフルエンサーがSNSで発信しますが、SNSが使えなくなれば大谷は発信できない。機能ってこういう事では?

>フォロワーが能動的に見にいくかどうかはその中の誤差の範囲だ
根本的にそれより以前にインフルエンサーをフォローするという行為に能動性が必要だろう
勝手に登録される訳でもあるまいに

>テレビでこれすごくおいしいと発信されるのと同じだな
テレビ(SNS)の機能によってね

>個人と比較してフォロワーが多いからインフルエンサーって呼ばれてるんだろう
だから何人からインフルエンサーなのかという定義はあるのかと問うたのだけど
人より多ければいいだけならフォロワーが一人の人間と比べて100人の人間ですらインフルエンサーだ

>社会的視点から見て構造がそうなっているからだ
いいや、必ずしもそうではないよ
社会への関わり方は一律ではないんだから

>それは俺の考えじゃない
だが社会優位性が崩れ得る実例ではある

>個人の思想の自由を認めている
では何故こちらの思想を認めない
異なる構造を持つ人間もいる事を受け入れない

>別に社会的評価を絶対視するほどは礼讚してないし、今やってるのは議論だと認識している

正直に言えば終始のお前よばり含めてこちらは不愉快ですらあるよ
強要ではなく議論の範疇という認識をされているのを含めて許されるならブチ転がしたいぐらいにね

>作品評価決めることが第一義だとは思うが
>最初に賞を作ろうと思った奴は既得損益を狙ったわけじゃないと思うが
だが今はどうだ?言っちゃなんだが食うためだったりポジショニングだったりって側面がデカイ奴の方が大半なんじゃないのか?

>認識の欠如
(社会にそういう評価/受賞という権威がある)その点は認めるというか(「社会にそういう評価があると認識はしてもらいたいだけだ」と言われてしまう)認識の欠如(している間抜け扱いされる事)とは別問題ではないか?
怒りを抑えて文章も押し込みすぎて伝わり辛かったみたいで申し訳ない

>けどそういう世界的評価になってるなら好きじゃなくても認める
>逆に好きな作品でもポリ迎合での受賞だろと言われてもしょうがない

その点は貴方は立派な人だと思いますよ

>不当に個人の価値観が植え付けられたわけではないと思うのだ
そういう話ではなく総体であるって話でしたが
特に性自認は他人の干渉で歪む事もあれど個人毎にしか発生しえないから

>「黒人を尊重しよう」に変わった
流石に尊重で片付けていい状況でなくなってきたかのように思う

>社会的視点に立てば、だ
その社会的視点に個人の視点を据えようとするヤベー奴も限られた一握りながらいるって話だよ

>俺は個人的視点に立てばお前の主張は別に間違ってないと言えるぞ、お前はどうだ?
こちらの個人的視点ならそちらの主張も間違ってはいないと言える
だがそもそもこちらは社会的視点が根本的に無い。あるいは立つ気が無い。だから構造的に絶対上下にあると言われてもこれまでも言ってきたように「貴方にはあるのだから貴方は貴方で自由にすればいいではないか。僕には無いから強要するのでなければ」に尽きる
社会的視点ではなく客観的視点として他者が学術的評価や芸術性や体系立てに伴って映画祭等のコンペで作品へ受賞というラベリングをするのも「そう考える人達もいる、そう評価した人達もいる」で受け入れるが、「だから貴方はこう思うべきです」となれば話は別だ
というか「好き」や「傑作」は沢山あるが余程度が過ぎない限りは「興味がない」「合わない」だし、度が過ぎてようやく「苦手」「嫌い」「駄作」に段階を踏む

客観的視点としては他に「特定の誰かなら」「不特定の人達なら」などの推定を横並びに置いた上で自身の考えと比較、対比させて個人的評価をくだす場合もある

>できるだけ普遍的な評価を
であれば世に溢れた最も普遍的で一般的な感性の人間達が誰かと言えば大衆では?

>ゆえに大衆とズレると言っているし専門家は別に大衆を意識する必要はない
専門家や研究者でなければ気づけないような点の評価や批評も大事だけれど、それとは別に大衆が好み良い作品とされる要素の洗い出しも不要と言えないのではないか

>HUBじゃない奴もいるなと思ったから挙げただけで特に意味はない
こういうその場凌ぎの兎に角反対意見を言うので議論の相手として、あるいは議論の内容に信用が置けないと繰り返し言ってきた
これ以外のやりとりも「いや意味は無かった」と卓袱台を返されかねないんだから

>どちらも一例としたものなので他の例があればよかったはずだ
嘘が無い事の確認は大事だろう
裏取りしなければ持論に都合が良い放言をされる危険がある相手との議論は根本から無意味である事を疑い続けなければならないのだから

>そっくりそのままお返しする
部分的なものでいいならこちらも幾つか認めたものもあったのでは?
0
219. 名無しのあにまんch 2024年07月06日 03:03:43 ID:kzNzA0OTY
>>218
まず話したいのは「社会的視点が根本的に無い。あるいは立つ気が無い。」というところ
「社会的視点に立たないのでわからない」と言われるとこちらとしては立ってくれないとどうしようもないので困った
客観視点は持てても社会的視点は何故持てないんだと思った
しかしお前の個人的評価の概念を見てようやくわかった
「個人の基準や感性による好悪であり、信条や持論によっては他の評価等も場合によって総括した、あるいは比較しての評価・感想になりうる」
これは俺の「個人が作品を総括した評価・感想であり、他の評価とは切り離されたもの」と比べると視点を変えた評価も個人の価値観に取り入れるものになってる
最終的な出力が個人の価値観になるので社会的視点に立たないことを主張していると理解した
ここでは社会的構造の中で認定された評価であっても個人の価値観に内包されれば他の評価と一律で横並びになるのは当然だと思うよ
だが、評価を出力するのは個人だけなのだろうか
社会的構造の中で認定された評価というのは組織や国が出力した評価と言えないだろうか
また、国家が相互に認めたものは国際社会が出力した評価になるが、これらは出力の主体として認められないのか?

あと単純に興味だが逆におれは客観的視点をどこに置くのかがよくわからない
俺の個人的評価では「好き」「傑作」「嫌い」「駄作」はあるが割と雑食で「合わない」があまりない
しかし別に俺が良いと思ったものが客観的に良いものかというとそれはわからない
他人の価値基準は色々だしネット評価とかは偏りもありそうなので客観的視点をどこに立てればいいのかが社会的視点よりもよくわからん
「特定の誰か」は推定できるが「不特定の人達」は難しくないか

>他ならぬ報告書自身が対の評価として挙げてるだろって指摘
いや、そんなん俺だってもともと商業的評価は評価軸だって挙げてるし
他にないのかって聞いてるのに前提部分引っ張ってくるのは主旨が違う
ざっくりこんな流れだぞ
「主食には米と対になるパンがあります」「パンが全てではない」「ほかには何がある?」「米がある」
そのあとで歴史的評価、技術的評価を挙げたから別にいいけどさ

>では何故商業的評価を受けているかと言えば日本のアニメの魅力的なストーリーやキャラクター、美しいアートワークなどが評価されてるからだろ
アニメエキスポが集客しているという情報からは日本のアニメが一定の人気がある以上のことはわからん
実際、MARVELと比べてどうなんだとかも測れないし、具体的にどこが評価されているのかはもっとわからん
レビューの仕組みが発展して何が大衆に評価されているのかを測定できれば、新しい大衆評価による社会的評価になると思う

>第三者から見てバランスが悪いんじゃないか?という鏡代わりとして話題に挙げさせてもらった
十分に参考になるというかすごい視点もあるもんだとは感銘は受けた
ちなみにバランスの悪さは今みたいにぶつけ合って角を取ってくのが一番いいと個人的には考えている

>それが持論に都合の良いものを取り扱う恣意的な意見の出し方ではないか?とこれまでも指摘してきた
都合が悪い部分ってなんだ?まず現実的に全てを並べるのはめんどうというか無理だろ
世界での産業発展のバランスや文化的評価の進み方を考えても一番適切なのは映画だ
別にアニメーションでもコミックでもいいけどファン賞の話をしてもノイズになるぞ
テレビ作品で言えばエミー賞とかあるが日本で受賞してるのはポリゴンピクチュアズとトンコハウスぐらいなんで見てない作品が多すぎて例を出せん

>不完全であるから完全に代替不可能な上位互換ではないという旨で指摘している
ここからしばらくというか上下問題は言いたいことがわかってほぼ冒頭に含んでいる返すことはない
羊羹やゼリーの話とかもよくわかった

>評価を下す機能
相対的な評価の集合としては見られるが結局はその相対の重みがわからん
好きなキャラが死んだから0点というのはその人にとってはすごくマイナスだったことはわかるんだが、
ある人が同じ気持ちで-10点しかつけないところを-80点にするかもしれない
どうしても基準となりえるのかに疑問が残る
擦り合わせができれば発展すると思うがレビューはそれぞれが独立したものだから本当に総体として見るしかないという

>これを独創性で読み解けって無理言うな
本当だよ、読み解けなかったんだからな
まず前提として「一人にしか価値がない」ってのは俺の考えの社会的視点では本当に価値がなかった
なので何の価値の話なのかわからんところに次の行に価格の話が出てきてるんだ
誤解するだろう
独創性って言葉をここで入れてくれれば俺だって理解したさ

>独創性と職人について
例えば作家に置き換えたときに宮崎駿の作家性への評価と千と千尋の評価は別物
宮崎駿の作家性である動きの表現や日本的神話の取入れなどは千と千尋にも入っているが
千と千尋には他の宮崎作品と比べての評価もある
なので厳密にはこの二つは分けて考えたい

ともかく椅子を湯飲みや壺に置き換えて独創性にこだわらず総合評価で考えよう
テイラーの話も総合評価として理解できる
その上での大衆評価はオーダーメイドを購入したユーザーの評価の総和と捉えればよいのか
着心地とか独創性ではなく、ここで「この一品しかない」「この人にしか作れない」という価値が総和するという理解でいいのか?

>故に民主主義とは解離していると指摘した
審査員評価も結局は投票と議論になるわけで民主主義的な要素はあるぞ
大衆を介さず社会性を重視した人員を選出されているのはその通りだが、
多くの場合にはアカデミズムでの評価から選ばれるわけで
実際の政治ではないため民主主義的とも社会主義的とも言い切れないのではなかろうか

>「マイナス評価であればその自分にとってはを軽々しく口にするのは控えるべき」
ここはちょっと俺は違うな
評価は賛否発信されるべきだ

>大谷問題について
興味が湧かない奴もいる、おいしいものと認識する奴もいる、評価を変える奴もいる
メディアの発信によって情報を受けてどのように影響されるかには違いはあるだろうよ
しかし絶対に一定の割合では発信内容に影響を受ける
例えばテレビでマツコが紹介したから人気になった例なんてたくさんある
こんなんは見下しとかじゃなくて事実でしかない

>機能ってこういう事では?
大谷の代わりに一般個人が発信しても情報は拡散しない
Xを追放された大谷がインスタやテレビで発信すれば拡散する
というのが成立するぞ
能動性については人気を獲得してインフルエンサーになるまでの過程の話じゃないか?
インフルエンサーとSNSのどちらがフォロワーへの情報発信の機能=発信力の主体かという話と関係ないと思うが

>テレビ(SNS)の機能によってね
マツコがいうのとやす子が言うのでは影響力に差が出ると思うが

>だが社会優位性が崩れ得る実例ではある
そんなん言ったらアテナイなんて紀元前に崩壊してるわ

>では何故こちらの思想を認めない
異なる構造を持つ人間もいる事を受け入れない
上にも書いたように個人以外が出力した評価があると考えているからだ

>正直に言えば終始のお前よばり含めてこちらは不愉快ですらあるよ
残念だがただのレスバなんでお前は俺と話すこと以上はできない
お前が言うように自分以外の思想に触れるのは自分の鏡になるのでその不愉快もお前から生じているものだ
俺は自分の考えの整理とともにお前の思想からも掘り下げることができて有意義だ

>だが今はどうだ?
正直言えば胸の内なんてわからん
そりゃ仕事でやってるんだろうがそんな仕事にわざわざ就く奴はそのジャンルが好きなんだと思うぞ

>ポリ関連
個人から生まれた性自認の総体があってそれが優遇されすぎる、黒人の尊重で片付けていい状況でなくなってきたというのは偏りの一つだとは思うよ
ど真ん中ってのが人間に作れるなら今の状態はよくないだろうけど前が偏ってたんだから揺り返すのは当然だ
日本がそうでもないが世界的には極端から極端に変わる体制は多いし今ちょうど各国でこれまでの政治と真逆に政権変わってるんで気長にみてはどうか

>であれば世に溢れた最も普遍的で一般的な感性の人間達が誰かと言えば大衆では?
概念的には専門家+承認プロセスによる評価とは別に存在しうるはず
日本という単位ならレビューから発展して大衆評価を作ることもできそうだが、国際的には人口比とか考えないといけない
なのでやっぱりその国ごとの売上も測れる売上=商業的評価は大衆の評価にかなり近い尺度と言えるのではないか
その中で「大衆が好む要素」というものが抽出できるのであれば面白い

>議論の内容に信用が置けないと繰り返し言ってきた
間違ってると思ってる内容に反対意見が言えちゃうんだからしょうがないだろ

>嘘が無い事の確認は大事だろう
この場合には俺側から例を出したわけではなく本当に存在するのか要求されて出したものだ
そしてその他の要素で少なくとも「ある」ことは提示したわけだ
であれば本筋としてそれ以上は不要である

>部分的なものでいいならこちらも幾つか認めたものもあったのでは?
うむ、だいたいすり合わせは終わっていると思っている
0
220. 名無しのあにまんch 2024年07月06日 08:50:08 ID:Y4OTAyNA=
>>219
>「社会的視点に立たないのでわからない」
>客観視点は持てても社会的視点は何故持てないんだと思った
こちらはただのあにまん民やぞ
たまにいるインテリまん民と違って一握りの知性エリートの筈もなく社会的影響力なんぞ皆無じゃい

>国家が相互に認めたものは国際社会が出力した評価になるが、これらは出力の主体として認められないのか?
個々人の信条や持論に関わらないならどうでもいいというかだったらどうなのだ?という話になるが
その意見を取り入れるも聞き入れるも基準が千差万別すぎてそういう人間もいるんかもしれないんだから

>客観的視点をどこに置く
おおよその傾向、空気感
場合によって条件を限定する

>「合わない」
嫌いに近いが、作品側に過度の落ち度が無い場合は「合わない」に分類している
自分には合わずともその作品が好きな人が嫌いという言葉を見たら嫌な気持ちになるかもしれないから

>「不特定の人達」は難しくないか
そもそも特定する気がない
おおよその傾向はあっても外れ値もあれば例外もある
他人の価値観を把握しきれると思うほど自惚れてもいない
あくまである程度の目安であり、だからこそ個人的には動員数や発行部数に売上げなどの数字を重視している

>「主食には米と対になるパンがあります」「パンが全てではない」「ほかには何がある?」「米がある」
いや
「主食には米と対になるパンがあります。でもお菓子じゃなくパンだけ食べればいいじゃない」「パンが全てではない」「ほかには何がある?」「自分で米があると言ったろ。麺類もあるし餃子だって国によっては本来は主食だ。それらも食べたい」

>実際、MARVELと比べてどうなんだとかも測れないし
アメコミと漫画の現場での売れ行きの差やカートゥーンにアニメ的表現技法が加わってアニメ化してる事への言及は海外の反応などを取り扱ったその手のサイトの記事としては珍しくも無い。著名人がアニメや漫画好きを公言したりアーティストであれば作品に取り込んだりした事への言及も希にあるが後者は形として目に見えた影響だろう

>ちなみにバランスの悪さは今みたいにぶつけ合って角を取ってくのが一番いいと個人的には考えている

ぶつけ方に問題ないか?とは改めて提唱させていただく
ぶしつけなぶつけ方では感情のバイアスが混じる

>まず現実的に全てを並べるのはめんどうというか無理だろ
だからと言って恣意的に自分に都合の良い意見にのみ終始されたら「お前の中ではそうなんだな」にしかならん
だから自分は余程倫理観を欠くか実害をもたらす害悪でもなければ「それも有りだね。でも押しつけはしないでね」である程度は認めた上で距離取ろうとしてんのに「いやこれだけが正しい」と迫ってくるならその持論ではカバーしきれない点は指摘するし答え切れないのに正しいのか?とも問い掛ける

>世界での産業発展のバランスや文化的評価の進み方を考えても一番適切なのは映画だ

そもそも映画こそ適切が私情による偏り以外の何物でもない
たかだか約130年の幼い文化に対して文学は約4000年前にはギルガメッシュ叙事詩が存在し日本国内ですら1000年前には源氏物語が存在し、それより前にたけとり物語が存在した
音楽などはいつからを始まりとすればいいのか想像すらできない

賞に拘っているようだが「当時はそんな枠組みが無かった」だけの文化的傑作など無数にある
寧ろ文化的評価を進めて洗練の途上という見方をすれば娯楽の1つとして他と合わせて取り扱うならまだしも漫画も映画もアニメも代表とするには幼い部類だ

>評価を下す機能
>ある人が同じ気持ちで-10点しかつけないところを-80点にするかもしれない
その差分の是非や妥当性の裁定の擦り合わせの先が客観的な基準となりえる
あるいは外れ値として除いていいかの比較対象にもなる
総体からの統計からある程度の傾向として読み解く形になるので「だいたいこう」であり絶対的でない事は留意する必要があるが

>まず前提として「一人にしか価値がない」ってのは俺の考えの社会的視点では本当に価値がなかった
>なので何の価値の話なのかわからんところに次の行に価格の話が出てきてるんだ誤解するだろう

こちらが何に価値を置いているか留意していなかったのはそもそも理解する気も歩みなく無くひいては議論する気がないのではないか?と言われても仕方ないと思うが
0
221. 名無しのあにまんch 2024年07月06日 09:04:08 ID:Y4OTAyNA=
>>220
>例えば作家に置き換えたときに宮崎駿の作家性への評価
作家性に内包されるパターンに於いては他の宮崎作品と並べて千と千尋の神隠しも評価の一部として切り離せない
逆に作家性に内包されないパターンでは千と千尋の神隠しのどこに宮崎駿の独創性が盛り込まれているか?という話になる
主体をどちらにするかで話が変わるのだから明確に切り分けられるものではない

>その上での大衆評価はオーダーメイドを購入したユーザーの評価の総和と捉えればよいのか
概ねあっている

>着心地とか独創性ではなく
いや、どう着心地がいいかが作り手次第という話。美味いと書けば「おいしい。びみ」という一律の情報でしかないが実際にどう美味しいかは一律とは言えない。極端な話、同じチェーン店内ですら美味しい店美味しくない店との比較や類別が評判として立つ。そうした言葉に現れない揺らぎや固有性を独創性と表した

>「この一品しかない」「この人にしか作れない」
その上でこれ等が加味される

>審査員評価も結局は投票と議論になるわけで民主主義的な要素はあるぞ
それは民主主義ではなく身も蓋もなく言えば多数決という制度・システムの話では?

>大衆を介さず社会性を重視した人員を選出されているのはその通りだが、多くの場合にはアカデミズムでの評価から選ばれるわけで
>実際の政治ではないため民主主義的とも社会主義的とも言い切れないのではなかろうか
であればそもそもそちらが民主主義的に取り決められていると言い出す前にそこに気づいてほしかったよ

>ここはちょっと俺は違うな。評価は賛否発信されるべきだ
不特定多数にあくまで自分の評価として発信する場合、ないし他者に自身の評価を押しつける相手に対して反論としてなら同意する
軽々しく「他者に自身の評価を押しつける」なと言っている

>しかし絶対に一定の割合では発信内容に影響を受ける
その一定の割合っていうのは常にだいたいその前後と言える基準があるのか?

>例えばテレビでマツコが紹介したから人気になった例なんてたくさんある
商業的案件や専門家が専門分野について語る場合は別とすると言ったろ。ゲストがまさに後者じゃねーか
なんで必ずしも広める意図があるかも解らないSNSの個人的発信と広める意図はあるテレビによる発信を同一視するのか
加えて「紹介したから人気になった」は「紹介された物を試したら良かったので人気になった」であって受信からの試行というプロセスが間にある
紹介されただけで良い物という認識になったとは話が違う

>こんなんは見下しとかじゃなくて事実でしかない
見下しでないならそれはそれで根本的に人間を何だと思ってるんだ?
額面上の単語で動いていると思っているのか?

>大谷の代わりに一般個人が発信しても情報は拡散しない
一般人発でバズったりミーム化した事例がありますね

>Xを追放された大谷がインスタやテレビで発信すれば拡散するというのが成立するぞ
結局はメディアや別のSNSという外部に依存しますね
0
222. 名無しのあにまんch 2024年07月06日 09:26:49 ID:Y4OTAyNA=
>>221
>能動性については人気を獲得してインフルエンサーになるまでの過程の話じゃないか?
インフルエンサーの立場は永続する訳じゃない。ユーザーにはフォローの解除やミュートでキャンセルできる能動性がある
インフルエンサー側にあるとすれば、立ち位置の維持の為に「ウケる」発信を続ける事

>インフルエンサーとSNSのどちらがフォロワーへの情報発信の機能=発信力の主体かという話と関係ないと思うが
まずSNSがインフルエンサーの情報を発信し、ユーザーの評価により情報への一次的評価が決まる為に能動的な主体性はインフルエンサーから離れる
二次的、三次的になればより主体が手元を離れるインフルエンサーに対し情報を拡散するSNSの割合が増す
インフルエンサーは源流であれど大衆が発信する側に切り替わるのもSNSを介してとなる

>マツコがいうのとやす子が言うのでは影響力に差が出ると思うが
結局はどちらもテレビやネットという機能が必要って話

>そんなん言ったらアテナイなんて紀元前に崩壊してるわ
そもそもこちらは民主主義を至上としていないし完璧とも思っていないので「そういう事もよくある」で終わり
大衆でも民衆でもなく個人を重視しているから相手の信義や信条次第では社会主義国家に移り住むのも勧める

>上にも書いたように個人以外が出力した評価があると考えているからだ
それが全てではないとこちらは突きつけている

>お前が言うように自分以外の思想に触れるのは自分の鏡になるのでその不愉快もお前から生じているものだ
不快なのは単純にお前呼ばわりとこうあるべきという侵略が無礼だからだが
自分以外の思想に触れるだけなら「そういう考え方もあるね」で終わる
自身が他者を害してるのに「お前から生じている」と責任転嫁するな

>そりゃ仕事でやってるんだろうがそんな仕事にわざわざ就く奴はそのジャンルが好きなんだと思うぞ
好きなのに台無しにするのか?

>揺り返すのは当然だ
そのかつての被害者同士ですら意見が対立する時がある以上、不の面ではあるが個人の価値観が意味を成している事例ではある

>気長にみてはどうか
それしかないが、個人の価値観を無意味とするそちらとしてもよくない状態ではあるな

>その中で「大衆が好む要素」というものが抽出できるのであれば面白い
まぁこの辺りは客観的評価による抽出者として大衆を客観視できる専門家も必要ではある
そういう意味でも俺自身は
個人を重視するが社会性を重視する価値観とも併せないとバランスが悪いと思っている

>間違ってると思ってる内容に反対意見が言えちゃうんだからしょうがないだろ
詰め将棋の如くその反対意見がどういう意味合いや議論の先に繋がるか吟味してもらわねば建設的とは言えないというか建築したものを「地震起きたからやっぱ無しね」に付き合わされる方はたまったもんじゃない
打ち込む時間のリソースだってあるんだぞ

>であれば本筋としてそれ以上は不要である
嘘の無い相手である事の確認ができねば他の部分にも影響が出るだろ
裏取りもリソースゼロじゃないんだぞ
0
223. 名無しのあにまんch 2024年07月07日 03:07:14 ID:kwODM3MTI
>>220
>社会的視点
試しに考えてみてもいいのでは?と思うがここは答えなくてもいい

>個人以外の出力について
個人の価値観での受け取り方の話を返してきているが、ここでは受け手の話はしていない
個人以外の出力を認めるのかどうか答えてくれ
ここが一番の主題なので放り出されたらたまったもんじゃない

>客観的視点
まぁ空気感は結構ズレるぞ
数値は俺も指標として大事だと思う

>米とパン
俺はパン(文化的評価)だけ食べればいいと言っていない
社会的価値になるものは並び立つとずっと言ってるのでそこは改変されている

>アメコミとマンガ
影響は断片的でありアメコミとマンガのどっちが売れてるかは数値がないはずだ
色々としっかり測るには足りないと認識している

>ぶつけ方に問題ないか?
個人の価値観同士が触れるときの当たり方の強さって多分それぞれ違うし、俺は当たり方も個人の価値観であり自由だと考えている

>「お前の中ではそうなんだな」にしかならん
じゃあ何を例に挙げればいい
悪いが文学も音楽もジャンルごとに色々ありすぎて話せんぞ
俺が映画ほど詳しくないしな
後かこの名作に評価付けを行うことは専門家の意義だな
誰かが評価する論文書いて、それを引用しながら反論して、補強しての繰り返しで評価が固まっていく

>総体からの統計からある程度の傾向として読み解く
それがレビューからできるのであれば俺も異論ないぞ
評価の擦り合わせができないと指摘しているのはそこを課題だと考えているからだ
あとは注目度が高いものほどレビューの点数が低くても実は評判がよかったとかのズレは感じる

>主体をどちらにするかで話が変わるのだから明確に切り分けられるものではない
そういう意味では主体が物なのか職人なのかが混じってたので乗り切れていなかった
職人の話をするということであれば問題ない
オーダーメイドを買った人たちが職人を評価するときには、言語化が難しい感覚も含めて評価が行われて、さらにその職人でなければ作れないという希少性が加わるということか
何かここから価値が決められてそうだと言うのはわかったが言葉にするのが難しいな

>審査員評価
多数決でも別にいいぞ
繰り返すが民主的プロセスって言葉使っただけで政治との関りには触れていないので気付くもなにもない

>軽々しく「他者に自身の評価を押しつける」なと言っている
単純に世間の声としてもあらゆるものが賛成ばかりってどうなんだ?
面白かっただけじゃなくて否定意見も飛び交うほうが健全だと俺は思うんだ

>その一定の割合っていうのは常にだいたいその前後と言える基準があるのか?
基準はなぜ必要だ?広告代理店とかなら把握してると思うぞ
ユーザーの反応率とネガポジ分析の指標とかは持ってるはず

>商業的案件や専門家が専門分野について語る場合は別とすると言ったろ
たしかに見直して来たら商業的案件を発信するのはすでにお前もメディア機能であると認めてたわ、すまん
じゃあ思いついたのはもぐもぐタイムの菓子とかだ
商業的目的ではなくて紹介されたことで人気になった
ただこれはおいしいといったわけじゃないかもしれんのでその場合には大谷がテレビで「ヌートバーがね…」って言った場面でも想定してくれ

>なんで必ずしも広める意図があるかも解らないSNSの個人的発信と広める意図はあるテレビによる発信を同一視するのか
情報を拡大するという機能が同じだからだ
そもそもだが、インフルエンサーが発信した「おいしい」という情報に誰一人影響を受けないのか?
興味出る奴は少なくともいて、試す奴もいるよな
試さずにおいしいんだなと認識する奴がいておかしいのか?
そいつは「あれはおいしいらしい」って誰かに言う状況もありえるだろ
そうした反応を一斉にぶつけることができるものをメディアだとしている
あと別にSNSだろうとテレビだろうと案件だろうと個人の意思だろうと受け手の受信後の行動は同じじゃん
それと商業と個人的感想で効果が変わるとも思ってない
散歩番組とか台本があっても偶然のフリしてるけどさ、これが案件であっても本当にぶらりとやってきたのであっても視聴者にとっては同じだろ

>見下しでないならそれはそれで根本的に人間を何だと思ってるんだ?
言いたいことがわからん。ここではインフルエンサーがメディアとして機能しているかの話をしてるだけだが

>一般人発でバズったりミーム化した事例がありますね
インフルエンサーと個人の違いは結局は拡散力の差だから小さな拡散から広がることもあるだろうな

>結局はメディアや別のSNSという外部に依存しますね
でも個人が同じ動きするよりも大谷の方が拡散しやすいぞ
これはSNSから離れて大谷自身に付随しているものが情報拡散に影響を与えているということでは

>インフルエンサーの立場は永続する訳じゃない。
それはその通りだな、大谷だったら発信しなくても野球してれば続くが
でもこれは別に機能と関係ある話ではない

>SNSがインフルエンサーの情報を発信し、ユーザーの評価により情報への一次的評価が決まる為に能動的な主体性はインフルエンサーから離れる
俺の認識はインフルエンサーがSNSの機能を用いて自身のフォロワーに情報を発信する、だな
そして上に書いたように受け手が何らかの影響を受けるものであればメディアだ
というところで、ここまでの話にしたほうがいい

多重の拡散構造を考えるとその発信主体による他インフルエンサーへの到達率なども考慮する必要が生じる
つまり誰が一次情報の発信元かでひろゆきとか拾って発信する確率が変わる
それも含めれば100人と100万人の差以上に個人とインフルエンサーの情報拡散力の差は大きくなると想像できるが、複雑すぎてこの話をするのは無理だ

>結局はどちらもテレビやネットという機能が必要って話
発信する機能が必要と言う意味では同意する
というかこの話はわざわざ区分せずにインフルエンサー+SNSはメディア機能を持つってことでよくないか

>「そういう事もよくある」で終わり
であればお前が言った「社会優位性が崩れ得る実例」というのも「どのような体制も崩れえる」でしかない

>(個人以外が出力した評価に)それが全てではないとこちらは突きつけている
いや、そもそも個人以外の出力を認めるか回答していない

>自身が他者を害してるのに「お前から生じている」と責任転嫁するな
俺はこうやってぶつけることを良いことだと思っているからな

>好きなのに台無しにするのか?
台無しにしたやつがいたのか?

>不の面ではあるが個人の価値観が意味を成している事例ではある
いや、個人の価値観発によらず国とか国際社会がそういうのだめだよねって決めたからそうなってるんだろう
社会風潮の揺り返しだって

>気長にみることについて
時間的な価値観の移り変わりというのはどうしてもあるので、それを総体として見るのも悪いことではない

>客観的評価による抽出者として大衆を客観視できる専門家も必要ではある
めちゃくちゃ難しそうだけどそれができれば文化的評価の大衆とのズレの緩和もできそうだと思うよ

>反対意見がどういう意味合いや議論の先に繋がるか吟味してもらわねば建設的とは言えない
俺が議論で話すべきだと思ってるのは一番上の話だけだ
それ以外は本筋じゃないからどうでもいいけど反論を続けているだけだぞ
本筋から言えばインフルエンサーの話とかどうでもいいじゃん?

>嘘の無い相手である事の確認ができねば他の部分にも影響が出るだろ
そこまで疑うのはお前の勝手だ
俺は回答してそれ以上は不要と判断した
0
224. 名無しのあにまんch 2024年07月07日 09:26:03 ID:E2MTcyOA=
>>223
>社会的視点試しに考えてみてもいいのでは?
そちらが「個人の価値観は無意味」を撤回するなら検討する

>個人以外の出力を認めるのかどうか答えてくれ
もう何回も何遍も言ってくるが
俺の物差しには含まれていないのと存在するかは別の話だから押しつけずに自分の基準として扱うなら好きにしてくれ
ただし「世の全員、万人が認めるべし」であれば話は別だ。今まさにそうだから否定意見を出している

>空気感は結構ズレるぞ
おおよその目安だからな
自分以外の思想の存在を想定する事が肝になる

>社会的価値になるものは並び立つとずっと言ってるのでそこは改変されている
個人の価値は無意味と断じてよくもまぁいけしゃーしゃーと
無意味な個人的評価(米)を食べずに社会的評価(パン)を食べろと言ってきたのが始まりだろ

>アメコミとマンガ
おそらくコロナの巣籠り需要が切っ掛けとなり北米のポッカルチャーマガジン「ICv2」による調査で2020年北米アダルトグラフィックノベルの年間トップ20のうち第1位に『僕のヒーローアカデミア』の第1巻、第3位に『僕のヒーローアカデミア』第2巻を筆頭にベスト20のうち8冊までをヒロアカが占め、同「ICv2」の調べによると2022年にコミック市場で売られた作品の45%が日本の漫画だそうだ

米国図書館協会(ALA)によるティーンエイジャーの読書活動を支援する団体、ヤングアダルト図書館サービス協会(YALSA)が毎年ティーンエイジャーに向けた発表する「優れたグラフィックノベルTOP10(Great Graphic Novels for Teens Top Ten)」では2016年の聲の形を皮切りに例年翻訳出版された日本のマンガも選出され、2023年では葬送のフリーレン、僕らの色彩がTOP10入り
数値がないんじゃなく調べる気が無いが正確じゃないのか?

>個人の価値観同士が触れるときの当たり方の強さって多分それぞれ違うし、俺は当たり方も個人の価値観であり自由だと考えている

それは自由だが金カムのガンテツは殴り合いでしかコミュニケーションできずに投獄されてるからな
思想の自由を免罪符に他人を傷つけていいと思ってるのか?

>じゃあ何を例に挙げればいい
そもそもそんな偏った知識で他人の基準を断ずるのが根本的な間違いでは?

後世で評価付けにあたう名作かどうかに関して専門家が決める前に名作として残る過程で人々に個々人の評価で愛されて伝え続けられた経緯も無視できるものじゃない

>レビューからできるのであれば俺も異論ないぞ
>あとは注目度が高いものほどレビューの点数が低くても実は評判がよかったとかのズレは感じる
だからレビューに限らず個人の感想なども自分は見て回っている

>何かここから価値が決められてそうだと言うのはわかったが言葉にするのが難しいな
そちらが好きな社会的評価で言えば極端な話、人間国宝や無形文化財などの形で価値づけられる場合もある

>多数決でも別にいいぞ
ポピュリズムもだが政治性を含む言葉の濫用が根本的問題じゃないか?

>面白かっただけじゃなくて否定意見も飛び交うほうが健全だと俺は思うんだ
健全を謡うのならば他人へ攻撃的でない言い回しで穏やかに議論をできる国語力や出力を身につけるか、貴方の言葉に重みを感じて相手の側から耳を傾けてくれるよう批評に対する信頼を得るかのどちらかの努力は必須に思うが

今の貴方がやってるのは自由を言い訳に相手を不快にしても知らん顔の辻斬りだ

>基準はなぜ必要だ?
貴方個人に基準があって区分けできないのに何故、インフルエンサーか個人かを決められると

>もぐもぐタイムの菓子とかだ
繰り返すが「認識する→実体験→再発信過多(人気)」の過程を経る為に実体験での印象が悪ければ寧ろネガティブになるので無条件に人気になる訳ではない

>情報を拡大するという機能が同じだからだ
であれば部分的に共通する点がある、ではないか?

>そもそもだが、インフルエンサーが発信した「おいしい」という情報に誰一人影響を受けないのか?
>興味出る奴は少なくともいて、試す奴もいるよな

影響自体はあるだろ。それによる影響が一律であるかのように言うのがおかしいという話で

>試さずにおいしいんだなと認識する奴がいておかしいのか?
>そいつは「あれはおいしいらしい」って誰かに言う状況もありえるだろ

美味しいらしい、ならいい
情報を受けた側が一律美味しいと断定するかのように言ってるからんな訳ねーだろと言っている

>あと別にSNSだろうとテレビだろうと案件だろうと個人の意思だろうと受け手の受信後の行動は同じじゃん

いやそもそもインフルエンサーが個人か否かの話で結果や効果が主題ではないだろ
案件であれば個人とは言えないって話で

>それと商業と個人的感想で効果が変わるとも思ってない

宣伝なら受け付けないという反骨精神を発揮する輩もいるぞ

>言いたいことがわからん。ここではインフルエンサーがメディアとして機能しているかの話をしてるだけだが

その話の前提として非インフルエンサーを持論に都合の良い衆愚に設定しているのか、本気で人間が解らないのか?と聞いている

>でも個人が同じ動きするよりも大谷の方が拡散しやすいぞ
話がズレてる。拡散の為に根本的にSNSやマスメディアを用いない訳にはいかないという指摘なんだから

>インフルエンサーの立場は永続する訳じゃない。
>でもこれは別に機能と関係ある話ではない
だからSNSという機能の側に主体があるという話だろ。どちらがより替えが利かないかの

>俺の認識はインフルエンサーがSNSの機能を用いて自身のフォロワーに情報を発信する、だな
その一次的な部分より以降はSNSとフォロワーに主体性が移るという話で

>多重の拡散構造を考えるとその発信主体による他インフルエンサーへの到達率なども考慮する必要が生じる
>つまり誰が一次情報の発信元かでひろゆきとか拾って発信する確率が変わる

場合によっては、拾った人間によっては個人の発信から案件や専門家の批評に変異しうるがそうした変異があったからと言って根もそうかは別の話

>というかこの話はわざわざ区分せずにインフルエンサー+SNSはメディア機能を持つってことでよくないか

だからインフルエンサーは個人じゃないとかそちらが言い出したからややこしい話をしているんだろう

>「どのような体制も崩れえる」でしかない
故に自分だけが正しいみたいに押しつけてくれるなよと言っている

>いや、そもそも個人以外の出力を認めるか回答していない

何度も言わせてまだ飽きたらないのかな?
押しつけず自分の基準に用いるなら好きにすればいいと答えているのに
ただし他人が持つ個人の価値観を無意味とするような土足で踏み躙る行為を伴う、免罪符として振りかざす目的なら認めない

>俺はこうやってぶつけることを良いことだと思っているからな

それはテロリストや加害者の卑怯で卑劣な理屈だよ

>台無しにしたやつがいたのか?
いなかった、いないと断言するのか?

>国とか国際社会がそういうのだめだよねって決めたから
ある日突然、皆に天啓が降りて一斉に同じ思想に目覚めたとでも?

>めちゃくちゃ難しそうだけどそれができれば文化的評価の大衆とのズレの緩和もできそうだと思うよ

というよりそれをやってるのから専門家と認定されているのだと思う

>本筋から言えばインフルエンサーの話とかどうでもいいじゃん?

いいやよくないね。個人の価値観の意味を否定するのならば否定しきる義務がある。でなければ何故断じられる
できない、したくないなら軽薄に否定するな

>そこまで疑うのはお前の勝手だ

持論の為に嘘を吐く相手であれば議論以前の問題だ
そこはおろそかにすべきではない
0
225. 名無しのあにまんch 2024年07月08日 01:37:01 ID:g3OTY5Mjg
>>224
>そちらが「個人の価値観は無意味」を撤回するなら検討する
それは交換条件になってなくね
お前に提案したのはスタートだけど俺に提案されたのはゴールだ

>俺の物差しには含まれていないのと存在するかは別の話
存在することを認めるのか、認めないのか、それを答えてくれよ
それをどう扱うかという価値観の話を聞いてない

>社会的価値になるものは並び立つとずっと言ってるのでそこは改変されている
この話での米(商業的評価)とパン(文化的評価)がいつのまにか米(個人的評価)とパン(社会的評価)に変わってるやん

>アメコミとマンガ
元々のアメリカでの発表ではアメリカにはコミックスとグラフィックノベルがあって、日本のマンガはグラフィックノベルの45%を占めたというものだ
ついでに言えばコミックスとグラフィックノベルの比率は不明でデジタル売上がどこに区分されているのかも不明なんで何とも言えない微妙な発表なんだ
日本の記事は翻訳した奴がはしょりすぎてる
賞はまぁ色々とってるな

>思想の自由を免罪符に他人を傷つけていいと思ってるのか?
しょせん言葉だ、何の立場もなければ対等でいい
差別ワードとか使わなければ傷つけるまではいかん

>そもそもそんな偏った知識で他人の基準を断ずるのが根本的な間違いでは?
俺は全知全能じゃないからな
この話って基本的にロジックの話では全てを網羅する必要もない
その中で例が必要になったときに知識があるところから引用しているだけだ

>過去の名作
歴史的に愛されてきたという記録は時代ごとの評価の参考になるので重要だ
専門家による再評価とどっちも必要ということだろう
鳥獣人物戯画なんて評価が高かった時代があるらしいが現存するのはバラバラのものを修復したものだったりするんで作品としては専門家による再評価ができないものもある

>そちらが好きな社会的評価で言えば極端な話、人間国宝や無形文化財などの形で価値づけられる場合もある
そういう社会的評価が付けられる手続きはわかるんだが、この場合には大衆とコレクターの間ぐらいの人たちによる評価なんで大衆評価とも言い切れない評価にもなりそうだが…

>ポピュリズムもだが政治性を含む言葉の濫用が根本的問題じゃないか?
それはその通りだ、もともと俺が誤解を生んでいるので申し訳ない

>健全性について
これまた同じ話になるが、世の中の健全性と個人の健全性だ
だが世の中には色々あったほうが幅ができて健全だと思うが、俺個人は健全である必要はない
ここは主張ではなくて趣味の話だから「思う」とつけている
辻斬りというわりにはバリバリ斬りあってると認識している

>インフルエンサーの基準について
言葉の定義があることと数値の基準があることは別だろう
数値の基準を満たさなければ言葉の定義に当てはまらないわけではないだろう

>インフルエンサーの影響について
反応としては「認識する→実体験→再発信過多(人気)」の過程をたどることもある
お前が言うように影響は一律ではない
俺もいくつか例を出したように一律とは言っていないので祖語はない
「美味しいらしい」も含めて「反応を一斉にぶつけることができるものをメディアだとしている」

>いやそもそもインフルエンサーが個人か否かの話で結果や効果が主題ではないだろ
メディア機能があるから個人扱いは微妙だと俺は言っていて、効果こそがメディアである実証じゃないのかって話に繋がっていた

>案件なら個人じゃないについて
反骨精神はインフルエンサーに対して示す奴もいるだろうし色んな反応のひとつ程度だと思うぞ

>非インフルエンサーを持論に都合の良い衆愚に設定しているのか、本気で人間が解らないのか?と聞いている
受け手の人間に色んな反応があるって言ってんじゃん
しかも俺はどういう反応が愚かだとは言ってない

>拡散の為に根本的にSNSやマスメディアを用いない訳にはいかないという指摘なんだから
SNSの発信する機能については認めている
ただしそれ以外にも拡散に貢献するものがあって、それを「大谷自身に付随しているものが情報拡散に影響を与えている」と答えている

>だからSNSという機能の側に主体があるという話だろ。どちらがより替えが利かないかの
発信という機能が根幹のものでインフルエンサーの発信力はそれによって活かされる価値なので主体はSNSでいい
ただその論法だと俺は社会と個人のどちらがより替えが利かないかって言うぞ

>一次的な部分より以降はSNSとフォロワーに主体性が移るという話で
ここはRT、引用RT、RTつけずツイートで変わる
RTは一次情報、引用RTは微妙なライン

>拾った人間によっては
複雑だろ、この話はやめようぜ

>だからインフルエンサーは個人じゃないとかそちらが言い出したから
巨大な情報拡散機能を持った個人ならいい
ただそれを大衆に含むとするなら続けるぞ、含まないなら終わる

>故に自分だけが正しいみたいに押しつけてくれるなよと言っている
お前はもともとそういう意味で言ったわけじゃないだろう?
社会の方が個人より大きいという構造があると言ったことへの反論として社会優位は崩壊するとしてソ連崩壊を出してきた
それが「どのような体制も崩れえる」になるのであれば社会が個人より大きいと言う構造の主張は否定されていない状態に戻る

>免罪符として振りかざす目的なら認めない
それもまたYESともNOとも答えてないな
最初書いたのと同じだが、その先の価値観とかどう使うとか抜きで回答を求めるよ

>それはテロリストや加害者の卑怯で卑劣な理屈だよ
それはレッテルだね
俺はお前と対等だと思ってるよ
お前もこの話を通じて思索に繋がった面はあるだろ

>台無しにしたやつがいたのか?
知らんから教えてくれ

>ある日突然、皆に天啓が降りて一斉に同じ思想に目覚めたとでも?
国際会議やったり国連決議したり色々あったんだ
それで国家間でそういうことにしましょうってなったんだろ

>というよりそれをやってるのから専門家と認定されているのだと思う
専門家はアカデミズムに立っているので大衆を客観視する専門家もいてしかるべきだけどそうでない専門家もいると思うぞ

>いいやよくないね。個人の価値観の意味を否定するのならば否定しきる義務がある
そんな義務はないというか誰が決めた義務だ
否定を気楽にしてはいけないのか?
否定してみて反論されて論が間違ってると納得出来たら認めるぜ

>持論の為に嘘を吐く相手であれば議論以前の問題だ
俺は疑ってないし嘘でも間違いでも気付けば指摘する
主題と関係なければアメリカのマンガ売上の話みたいに間違ってても指摘するだけであげつらったりはせん
なので、そこまで疑うのはお前の勝手だ
0
226. 名無しのあにまんch 2024年07月08日 04:29:18 ID:YzNDQzMg=
>>225
>お前に提案したのはスタートだけど俺に提案されたのはゴールだ
こちらはスタートからゴールまで辿る労力があるのにそちらはゴールだけで済む
寧ろ破格の条件だが?

>存在することを認めるのか、認めないのか、それを答えてくれよ
>それをどう扱うかという価値観の話を聞いてない

もう何度も言ってる筈だが?
そちらの中には存在するんだろう。そして存在しようとしまいと個人の価値観は意味を持ち、個々人の評価基準や好悪、信条・持論・視座に影響を及ぼす

そこまで要求するならまずはそっちが先に譲歩してみせればいいだろ
人にばかり要求するな、自分でも差し出せ

>この話での米(商業的評価)とパン(文化的評価)がいつのまにか米(個人的評価)とパン(社会的評価)に変わってるやん

どうあれ「その他の要素で少なくとも「ある」ことは提示したわけだ」なら問題ないんだろ?
元々
商業的評価=個人的評価
文化的評価=社会的評価
で結びつけていたのはそちらなのに何故問題視する

>アメコミとマンガ
>日本の記事は翻訳した奴がはしょりすぎてる

割合は不明だが約21億6000万中、約5億7000万でおおよそ1/4の売上ならばどうあれ無視できない影響の現れでは?
少なくとも専門家が評価した以上はそちらの持論上、認めるべきではないのか?

>差別ワードとか使わなければ傷つけるまではいかん

いいや、現に不快感を覚えたと俺は何度も訴えているが?
お前呼びでこちらを下に見る差別的な物言いもしているよね?

そうそうポピリュズム主義者扱いもされたね

>この話って基本的にロジックの話では全てを網羅する必要もない

であれば関わり合いになられる方は迷惑だからSNSで一人で壁打ちすればいい。共感する者がいればレスポンスを返してくれるだろうさ
自己完結すらしていないロジックならば他人に突きつける前に同好の志か自身の内省で突き詰めてからにすべきだろ

>作品としては専門家による再評価ができないものもある

であればこそ個人の価値観を不要とはできまいよ

>そういう社会的評価が付けられる手続きはわかるんだが、この場合には大衆とコレクターの間ぐらいの人たちによる評価なんで大衆評価とも言い切れない評価にもなりそうだが…

であれば無形文化財や人間国宝という文化的・社会的価値の発生はどうなる?
「大衆とコレクターの間ぐらいの人たちによる評価」
なんて恣意的に言い出したら、事実かはさておき映画とて批評家の批評も「大衆とマニアの間ぐらいの人たちによる評価」とすら言えてしまうぞ

コレクター等の単語を急遽持ち出してまで無理矢理に非大衆化させて否定するとかいい加減にしてくれないか

>俺個人は健全である必要はない

いいや、付き合わされる側にバイアスが生じるので議論だと思っているなら自身の健全性を蔑ろにしていい理由にはならない

付き合わせて悪いとも思っていなければ相手への敬意も感謝も無い

>辻斬りというわりにはバリバリ斬りあってると認識している

手元に武器があれば命惜しさに応戦するのは道理だろ

>数値の基準を満たさなければ言葉の定義に当てはまらないわけではないだろう

通常であればその通りだがインフルエンサーを非個人として定義付けするなら明確な基準として数値という具体性は必要だろう

>「美味しいらしい」も含めて「反応を一斉にぶつけることができるものをメディアだとしている」

だが大谷であれば「野球関連にしか興味が無い」などでハンバーガーがどうのは見逃すフォロワーも出るだろう
暇じゃないんだからTLを全て追えるとも限らないしな

個人での発信であれば「一斉にぶつけることができる」という点において不完全と言える

>メディア機能があるから個人扱いは微妙だと俺は言っていて、効果こそがメディアである実証じゃないのかって話に繋がっていた

大衆も個人のままバズったりして効果を生み出すので必ずしもインフルエンサーがメディアとは言えないのでは?

>色んな反応のひとつ程度だと思うぞ

であればインフルエンサーを非個人とそちらが定義していた反応も、反応の中の
一つ程度の範疇で機能とは言い切れないのでは?


>受け手の人間に色んな反応があるって言ってんじゃん
>しかも俺はどういう反応が愚かだとは言ってない

おいおいおい
「仮にマックの新商品はおいしくないという声が日本で大衆に広がっている状態があったとして、大谷がおいしいと発信したら一気にメディアが拡散して大衆と異なるおいしいと言う評価が支配的になるかもしれない」
支配的になると様々な反応とは真逆の事を言ってたろう
大谷一人の意見で評価や認識が覆されてしまう脳死の暗愚扱いしておいて愚かだとは言ってないは「その単語は使っていない」ってだけだろ

>ただしそれ以外にも拡散に貢献するものがあって、それを「大谷自身に付随しているものが情報拡散に影響を与えている」と答えている

だが付随しようとしまいと情報拡散の第一段階として発信媒体に依存するのも確かだ
電源がなければテレビもスマホもPCも根本的に起動できないように
0を掛けられたら0になるように

>ただその論法だと俺は社会と個人のどちらがより替えが利かないかって言うぞ

それとSNSとインフルエンサーの関係性では対応しないので違う話持ち出してますね

あと国籍変えたり住む国変えたりで社会は替えが利きますね

>RTは一次情報、引用RTは微妙なライン

RTはパクツイではなく「こいつこんな事言ってます」という提示や引用の二次情報、引用RTは前記+個人評の二次情報

>拾った人間によっては

拾った人間次第で二次情報且つ一次情報にも変化しうる
インフルエンサーを必ずしも非個人とするには拾った側もインフルエンサーだった場合に片方が情報に対する分野に対する専門家であれば情報の拡散力に格差を生む
であれば非専門家側は大衆の側であろうよ

>ただそれを大衆に含むとするなら続けるぞ、含まないなら終わる

当然、分野や状況によっては含むだろ
大谷も野球を離れれば一個人であり大衆だ

>社会の方が個人より大きいという構造があると言ったことへの反論として社会優位は崩壊するとしてソ連崩壊を出してきた

なんでそうなるんだ?「社会の方が個人より大きいという構造があることへの反証」ではなく「社会優位の社会も崩れえる実証」だった筈だが

>「どのような体制も崩れえる」
それを言い出したのはそちらだ
その上で「であるから社会が個人より大きいと言う構造の主張も、どのような体制も崩れえるから個人を残して消滅した際は社会の方が小さくなる」とも言えるんじゃないか?

>最初書いたのと同じだが、その先の価値観とかどう使うとか抜きで回答を求めるよ

こちらは個人の価値観に趣を置いている以上、価値観や使用法抜きの回答を求めるのが根本的な間違いでは?
どうしても答えさせたいならまずはそちらがこちらに合わせたらどうだ?

>俺はお前と対等だと思ってるよ

その自認と加害者である事は並び立つ

>お前もこの話を通じて思索に繋がった面はあるだろ

それ以上に不快であり使わされた時間の浪費が勿体無く腹ただしい
別の知見に時間を使いたかった
可能なら損害賠償請求を申請したいよ


>知らんから教えてくれ

ではいないとも断言できないな

>国際会議やったり国連決議したり色々あったんだ
その色々に個人の活動が含まれてるんだろう

>そうでない専門家もいると思うぞ

異なるアプローチの専門家もいるのは道理である


>そんな義務はないというか誰が決めた義務だ
しきれないのなら、自分でも一概に否定しきれないのに相手の信条を曲げようという軽率な行いだからだ
では逆に否定ではなく「その考えのこういう部分はどう思う?」という問い掛けにできない理由がどこにある

>否定を気楽にしてはいけないのか?
>否定してみて反論されて論が間違ってると納得出来たら認めるぜ

相手を不快にさせない話術があれば話は変わるが、そもそもそこを気遣うなら気楽とは言えない
そこに気を回さず相手を省みない理屈が自分本意であり卑劣で卑怯なテロリストの理屈だと言っている

>俺は疑ってないし嘘でも間違いでも気付けば指摘する
こちらも同じように指摘しているだけだが?
0
227. 名無しのあにまんch 2024年07月09日 00:26:15 ID:g1MTAxNDQ
>>226
>寧ろ破格の条件だが?
同じ意味だが言葉を変えよう、俺は前提を検討してくれといったらお前は代わりに自分の主張を全面的に認めろと言った
つまり議論が続く限りは前提を検討すらする気はないということで、これは交渉条件として破綻しているだろう

>人にばかり要求するな、自分でも差し出せ
何度も言うが質問への回答になっていない以上繰り返すぞ
これが議論であればYESかNOで答えるべきであり、
答えられないならYESかNOで成り立たない理由を述べる必要がある
俺が要求している「個人以外に発信主体はあるかどうか」はただの前提の確認なので、この回答で合意を得てはじめて、じゃあ個人の発信や価値観とくらべてどうなの?とかの話になるはずだ
お前は随分と気の早い話をしている

>何故問題視する
俺の発言が改ざんされて、それをもとに「よくもまぁいけしゃーしゃーと」なんて言われたら改ざんされてないことを指摘しないといけないだろう?
だから反論したまでだ
元の話はお前が歴史的評価、技術的評価を挙げたから219で俺も問題ないといって終わってる
ちなみに俺の主張は以下の通りなのでお前もそのように認識できてるならいいが
個人的評価の集合=大衆評価(指標に欠ける)=商業的評価の一部
商業的評価=社会的評価の一つ
文化的評価=社会的評価の一つ

>割合は不明だが約21億6000万中、約5億7000万でおおよそ1/4の売上ならばどうあれ無視できない影響の現れでは?
その割合どこから出たんだ?
いずれにせよ数値が曖昧なので元々の話のMARVELと比べてどうなんだ?ってのはわからないし、マンガの方がアメリカの書店でよく売れているってのが一部だけの話なのか全体の傾向なのかもわからない
もともと俺が数値がないって言っていた意味がわかっただろ?
「専門家が評価した以上は」ってのは賞の話か?それであればどのような選考がされているかにもよるが文化的評価の承認プロセスを取っているなら認めるぞ
念のためだが専門家一人が評価しただけとかファン投票は文化的評価だと別物だ

>お前呼びでこちらを下に見る差別的な物言いもしているよね?
俺とお前は対で使っている
お前って言ったら下に見ることになるのか?
差別的なものいいってどれだ?ポピリュズムは謝ったしお前も誤解だって認めたろ
ちなみにお前の口調が悪くなりつつあるぞ
俺は別に不快でないのでお前自身が気にしないならそのままでもいいが

>自己完結すらしていないロジックならば他人に突きつける前に同好の志か自身の内省で突き詰めてからにすべきだろ
自己完結するならば議論は必要ない
違った相手と議論をするから思ってもいない発想がでてくるんだ
ここまで付き合って話してきたのに急に迷惑だなんて言われても悲しいな、どしたん?

>であればこそ個人の価値観を不要とはできまいよ
今の個人にも評価不能だろ
鳥獣人物戯画はもはや原型を留めていないのだから資料的価値や絵の評価はできても物語としての評価は誰がやっても不可能だ

>無形文化財や人間国宝という文化的・社会的価値の発生はどうなる?
そこには文化庁での認定に向けて様々な審査や手続きがあるので迷いはない
ただオーダーメイドを買った人からの評価が定めきれないと言っている
商業的評価で見ても売上だけなら圧倒的に量産品の方が大きいんだが単価が高いものを生み出せる職人の価値ってのを文化的評価だけで見るのも片手落ちだと思っていて、そこの商業的評価の指標となるものが分からず、それを何と表現すればいいのかもわからんというだけだ

>俺個人は健全である必要はない
悪いが元々は世の中の健全さの話だ
お前が言っているのは議論においては相手が健全な方がやりやすいというだけだろう
ちなみに長らく付き合ってくれたおかげで色々と頭使えたから感謝はあるぜ
最初はこれぐらいよくあるって言ったがここまで長いのは珍しいのでいい経験ができている

>インフルエンサーを非個人として定義付けするなら明確な基準として数値という具体性は必要だろう
逆にこの場合の方が数値の定義あるとおかしくないか、例えば1万人としたら1万人超えた瞬間に個人じゃなくなるんだろ
グラデーションで推移して個人からインフルエンサーに徐々に濃くなっていく印象だが

>個人での発信であれば「一斉にぶつけることができる」という点において不完全と言える
テレビつけてて野球を見たいのに食番組やってたから見つつも紹介内容をスルーする奴もいるってのと何が違うんだ?

>大衆も個人のままバズったりして効果を生み出すので必ずしもインフルエンサーがメディアとは言えないのでは?
バズをちょっとケースに分けてみる
・同時にいいと思った人がたくさんいてバズる=対象が文化的影響力価値を持っている
・個人のツイートの面白さがあって段階的に拡大してバズる
後者のバズの場合には多層の発信になるので、1人の発信が100万人に届くと言うことに再現性がないということがメディアとの違いと考えている

>インフルエンサーを非個人とそちらが定義していた反応も、反応の中の一つ程度の範疇で機能とは言い切れないのでは?
インフルエンサーを非個人と定義したのはたくさんの人に反応をよびかける機能であって、具体的な反応の中身で定義していないぞ

>大谷一人の意見で評価や認識が覆されてしまう脳死の暗愚扱い
良く読め
「仮に~として、発信したら~かもしれない」だ
冒頭も結論も仮定なのはわかるな?
既に世間でプラスとされているものにプラスの意見を当てる状況を想定しても意味ないのでマイナスとされているものにプラスの意見を当てる状態を想定した
なのでその結果の仮定として「支配的になるかもしれない」としか言っていないわけだ
何も発信がなければプラスのままであるかもしれない状態にも一斉に反応を起こさせることでマイナスに変えうる可能性があることを示唆している

>だが付随しようとしまいと情報拡散の第一段階として発信媒体に依存するのも確かだ
それはその通りだ
ゆえにインフルエンサーに付随した拡散力だけではメディアにならず、拡散力の高いインフルエンサー+SNSはメディアになるでいい

>あと国籍変えたり住む国変えたりで社会は替えが利きますね
それ俺が言ったインスタいけばいいと同じじゃね

>RTはパクツイではなく「こいつこんな事言ってます」という提示や引用の二次情報、引用RTは前記+個人評の二次情報
RTはそのまま表示するだけとも取れるが解釈次第でどうにでもなるからどっちでもいいや

>拾った人間次第で二次情報且つ一次情報にも変化しうる
拡散力の格差は専門家かどうかではなく人気=フォロワー人数じゃないか?

>大谷も野球を離れれば一個人であり大衆だ
続けるか

>「社会の方が個人より大きいという構造があることへの反証」ではなく「社会優位の社会も崩れえる実証」だった筈だが
212で「社会が大きいということは変わらない」に対して「だが歴史として崩壊したソ連のように社会の方が間違っているとして消えた実例がある」とお前が言ったところから始まっている
「だが」って言って繋げてるじゃないか

>それを言い出したのはそちらだ
たしかに223で俺が「であればお前が言った「社会優位性が崩れ得る実例」というのも「どのような体制も崩れえる」でしかない」と言っている
そして224でお前は「故に自分だけが正しいみたいに押しつけてくれるなよと言っている」と回答した
「故に」とは223の発言に合意して次につなげる言葉だ
なので俺は225では「「どのような体制も崩れえる」になるのであれば社会が個人より大きいと言う構造の主張は否定されていない」と返した

>個人を残して消滅した際は社会の方が小さくなる
そこまで現実と違った世界を想定するならパラレルワールドの話もできるぞ

>どうしても答えさせたいならまずはそちらがこちらに合わせたらどうだ?
ここは最初の話と合わせる

>その自認と加害者である事は並び立つ
話しているだけで加害者になるのか?

>それ以上に不快であり使わされた時間の浪費が勿体無く腹ただしい
それ以上ということはいい面もあったと判断した

>ではいないとも断言できないな
疑わしきは罰せずだ

>その色々に個人の活動が含まれてるんだろう
個人の活動は90年代からずっとあったな
そこから繋がっていって国際会議やったり国連決議したり色々あって国家間で承認されたということで社会が認めたんだ
まぁお前の立場でその結果が間違っていると言うのは自由だが、個人が歪めたものだと決めつけるのは良くないと思うぞ

>軽率な行いだからだ
だからって義務にはならんだろう
そういう話し方もありだしお前がそうしてもいいんだぞ
俺はこういう話し方ってだけだからその個性の発揮を束縛される必要はない

>そこに気を回さず相手を省みない理屈が自分本意であり卑劣で卑怯なテロリストの理屈だと言っている
無理に気遣うよりもお互いに気楽になろうぜ
論旨の手続きがまっとうであれば卑劣も卑怯もないだろう
むしろ議論においては人間性を持ち出すのは卑怯と言われるらしい
ついでにYES・NOの質問に答えないこともね
0
228. 名無しのあにまんch 2024年07月09日 03:08:08 ID:EwNzEzNg=
>>227
>つまり議論が続く限りは前提を検討すらする気はないということで、これは交渉条件として破綻しているだろう

いいや、自分以外の他人の前提条件もまず認めろという話だから破綻しない

>これが議論であればYESかNOで答えるべきであり、答えられないならYESかNOで成り立たない理由を述べる必要がある

正直にYESでもNOでもないと答えているのにそちらがそれ以外の答えをくれと無為に要求し続けているだけだろ

>「個人以外に発信主体はあるかどうか」はただの前提の確認なので、この回答で合意を得てはじめて、じゃあ個人の発信や価値観とくらべてどうなの?とかの話になるはずだ

そちらの持論の中には「個人以外に発信の主体はある」んだろう。こちらの持論を認める気が無いなら、だったらその前提で今まで通り勝手に話せばいい

>お前は随分と気の早い話をしている

むしろ驚くほど気が長く忍耐強くそちらに付き合っていると思うが

>だから反論したまでだ
であれば西洋知性主義だのエリート主義の記述などの実在性が怪しいものの是正をこちらが求めるのは道理だろうよ

>元の話はお前が歴史的評価、技術的評価を挙げたから219で俺も問題ないといって終わってる

上記に同じくこちらにも正す権利がある


>その割合どこから出たんだ?
正気か?小学生の割り算だぞ?

>いずれにせよ数値が曖昧>全体の傾向なのかもわからない
いや北米のコミック市場の2022度の売上の数値だぞ?
全体か解らないとか数値が曖昧とか否定ありきにしたっておかしいだろ

>「専門家が評価した以上は」ってのは賞の話か?

224で
米国図書館協会(ALA)によるティーンエイジャーの読書活動を支援する団体、ヤングアダルト図書館サービス協会(YALSA)が毎年ティーンエイジャーに向けた発表する「優れたグラフィックノベルTOP10(Great Graphic Novels for Teens Top Ten)」
ってちゃんと書いてたろうが
こっちの話をロクに読まず脊髄反射で反対意見出すのいい加減やめろ

>お前って言ったら下に見ることになるのか?

今時、場合によっては夫婦間でのモラハラも成立する呼び方だが?
少なくと友人でも何でもない相手に初対面の時から使って角が立たない可能性が高いとは言い難い、柔らかい口調ではないね


>ちなみにお前の口調が悪くなりつつあるぞ

「こちらはそういう物言いに怒っているんですよ」という意思表示だからな
そちらの口調相応に応対するという意味もある

>違った相手と議論をするから思ってもいない発想がでてくるんだ

だったら他人を否定するんじゃなく自己の否定を求めろ

>ここまで付き合って話してきたのに急に迷惑だなんて言われても悲しいな、どしたん?

最初から怒りを露にしていたし度々不快感を表明していたが?なんで今、急に言われたみたいな物言いをしているんだ。煽っているのか?ロクにこちらの話を読んでいないのか?

>であればこそ個人の価値観を不要とはできまいよ

そういう話じゃないだろ
時代時代の人々が「好き」だから残してきて今に続いているという話だ

というか、だから模写とかで補われてるんだろ

>それを何と表現すればいいのかもわからんというだけだ

そこに疑問を持つなら映画はどうなる
各種の受賞をした作品よりも限られた受賞に留まりながら売上げが上回る作品も数多あるだろ

>お前が言っているのは議論においては相手が健全な方がやりやすいというだけだろう

世の健全さを謳うなら尚更個人の健全さは必要だろう。議論であるならば感情のバイアスを排したものでなければそもそも議論であるかが疑問になる

というか根本的に礼儀の欠如は議論以前の社会の健全性維持の観点から無視が許される問題ではない
社会ありきの社会優位を信条としながら社会秩序を乱す個人の不健全を是とするのはムシが良すぎないか?

>逆にこの場合の方が数値の定義あるとおかしくないか、例えば1万人としたら1万人超えた瞬間に個人じゃなくなるんだろ

だからそもそもインフルエンサーを個人ではないとするのが無理のある主張だと言っている


>テレビつけてて野球を見たいのに食番組やってたから見つつも紹介内容をスルーする奴もいるってのと何が違うんだ?

なんで別の番組に替えたりテレビを消すって選択肢がないんだ?
加えて言えば紹介内容をスルーしているなら届いていないって事だろ

>1人の発信が100万人に届くと言うことに再現性がないということがメディアとの違いと考えている

いいや、別の個人が1人の発信から100万人に届く事で「大衆が個人のままバズる」現象は繰り返されている

>インフルエンサーを非個人と定義したのはたくさんの人に反応をよびかける機能であって、具体的な反応の中身で定義していないぞ

商業的インフルエンサーでもなければ必ずしも呼びかける訳ではないだろ
発信全部が他人を意図的に動かす為だと思っているのか?

>冒頭も結論も仮定なのはわかるな?

その仮定が世の人間を暗愚に設定して持論は正しいとしているのは結局は世の人間をそう思っているという事だが?って指摘なんだが

>既に世間でプラスとされているものにプラスの意見を当てる状況を想定しても意味ない

であれば持論の為にインフルエンサーの影響が出た状況を恣意的に仮定した願望にすぎなくなるが?

>何も発信がなければプラスのままであるかもしれない状態にも一斉に反応を起こさせることでマイナスに変えうる可能性があることを示唆している

マイナスになりうるなんて言ってなかったろ
加えてベクトルが逆なだけで結局大衆はインフルエンサーの影響1つで良いから悪いに脳死反転する暗愚想定ではないか

>それ俺が言ったインスタいけばいいと同じじゃね

生命活動とSNSの発信を同一視は流石に無理矢理すぎると自分でも思わなかった?
その言い分を敢えて当て嵌めるなら「発信先を変えたり違う機能を使いたくてSNSを移行する」であって「移行せざるをえない」は亡命や難民として移住しなければならないぐらい違う

>拡散力の格差は専門家かどうかではなく人気=フォロワー人数じゃないか?

性質が変化しうるだろ
場合によってはインフルエンサーが炎上するケースもある
インフルエンサーの最初の発言がいい加減なもので、拾った専門家が正当な見解を示した場合は二次情報であり、正しい情報を発信する一次情報として間違った情報を駆逐し得る

>「だが」って言って繋げてるじゃないか

211で
「個人の評価の上に社会的評価を認めること」という要求は個人より社会(国際社会)の方が大きいから社会の方が大切だという主張でもある

とそちらが言っていた流れでの

「社会が大きいということは変わらない(から社会の方が大切)」
「だが歴史として崩壊したソ連のように社会の方が間違っているとして消えた実例がある」

だろ
自分の論旨の主旨を忘れられては困る

>「「どのような体制も崩れえる」になるのであれば社会が個人より大きいと言う構造の主張は否定されていない」と返した
>そこまで現実と違った世界を想定するならパラレルワールドの話もできるぞ

いや現実でも無政府状態に陥った国や個人の価値観が何よりも優先される独裁国家は歴史的に存在してるだろ

>話しているだけで加害者になるのか?

なりうるからモラハラやパワハラで訴えられる奴がいるんだろ
あるいは炎上するインフルエンサーがいる

言い回しや相手への配慮、敬意を持たない人間が社会の優位性を今まで語っていたのだとしたら笑えない話だ

>それ以上ということはいい面もあったと判断した

だから許されると考えているならふざけるなよ
トータルでは圧倒的にマイナスだ

>疑わしきは罰せずだ
その疑念が権威の裏付けを揺るがしているがね

>個人が歪めたものだと決めつけるのは良くないと思うぞ

個人が歪めたものではないと決めつけている人間がそれを言うのか?

>だからって義務にはならんだろう

相手を付き合わせている事への責任と義務だろ
相手の時間を使わせているんだぞ.

>俺はこういう話し方ってだけだからその個性の発揮を束縛される必要はない

個性の問題ではない
それを重視したいのなら個人の価値観やその意味を重視する信条であるべきだ

否定ではなく問い掛けにできない理由がどこにある?

>無理に気遣うよりもお互いに気楽になろうぜ

気遣いの無い側がそれを言う資格がどこにある?
社会の健全さや社会の秩序はそういう気遣いで成り立っているのに、相手にだけさせて自分は気楽に好き勝手やりたいなどという浅ましさが卑劣でなければなんだ

>論旨の手続きがまっとうであれば卑劣も卑怯もないだろう

手続きが真っ当ではないな
他人への一方的な否定なんだから

>むしろ議論においては人間性を持ち出すのは卑怯と言われるらしい

議論の以前の問題だろ
それともまさか「議論の在り方の議論」だとでも言うつもりか?
不躾さへの糾弾を都合良く解釈しないでくれ

>YES・NOの質問に答えないこともね
答えているのに無視していてお前の方が卑怯だと言える卑劣さに比べれば俺は正々堂々としているよ

そもそも質問に答えないことが卑怯なら、勝手に答えなくていいや、流すぞでこちらの問い掛けを多々スルーしようとしたそちらにこそ相応しい
0
229. 名無しのあにまんch 2024年07月10日 02:13:56 ID:gyMjMzNjA
>>228
>いいや、自分以外の他人の前提条件もまず認めろという話だから破綻しない
ではそちらの前提とゴールは?
俺の前提は「社会的視点に立つ」でゴールは「社会の中の多様な価値評価には社会構造の中で上下がある」だ

>そちらの持論の中には「個人以外に発信の主体はある」んだろう
発信主体になるかどうかは俺の持論に関係なくこの論旨においては確認されなければならない
なぜなら俺が219でまとめた内容ではあるがお前の主張が「最終的な出力が個人の価値観になる」ことに立脚している状態だ
226の「存在しようとしまいと個人の価値観は意味を持ち、個々人の評価基準や好悪、信条・持論・視座に影響を及ぼす」というのも同じ立ち位置からの主張だ
であればそれ以外の出力主体があるかどうかが争点になるのでそれを明らかにする必要がある

>正直にYESでもNOでもないと答えている
答えないのであれば回答しない理由を明らかにするべきだ
まぁお前はインフルエンサーの話でSNSが発信の主体であると主張していたので実はすでに個人以外の出力を認めてる状態だけどな

>であれば西洋知性主義だのエリート主義の記述などの実在性が怪しいものの是正をこちらが求めるのは道理だろうよ
そこは表記ブレがあることと新潟の話でクリアしたよな
ちなみにここでは改ざんは認めるんだな?

>正気か?小学生の割り算だぞ?
まさかコミックスとグラフィックノベルが半々とかで計算してんのか?この中の割合一切不明なのにそうしてるとしたら流石にマズイだろ
1:9とか9:1とかもありえるのに売上測れるわけがない

>こっちの話をロクに読まず脊髄反射で反対意見出すのいい加減やめろ
売上の話とセットになってるから念のために確認をしたまでだ
その賞のことだろうなとは想定はできたので評価方法について触れてるんだぞ

>お前
俺は対等の意を込めてお前と言っていると言うのは冗談だが少なくとも攻撃の意は一切ない

>「こちらはそういう物言いに怒っているんですよ」という意思表示だからな
それでお前の中に矛盾がないならいい
柔らかい言葉を使えと言う奴がそれ以上に荒い言葉を使ってるのはどうなんだと俺が感じているだけだ
自分の価値観への攻撃への対抗という意図はわかるが最初の頃はもう少し取り繕ってたように見えたぜ

>自己の否定を求めろ
それも一つの手段だな
だが誰かと意見をぶつけ合わせることで新しい発想を引き出すのも一つの手段だ

>最初から怒りを露にしていたし度々不快感を表明していたが?
繰り返すが最初の方は反発はあってももう少し抑えていたと感じていたんだが俺の勘違いか

>時代時代の人々が「好き」だから残してきて今に続いているという話だ
そうして残されたものの意義は認める
ただし時代の変化で廃れたものも同様に現在の視点から評価されるべきだ
ちなみに鳥獣人物戯画は欠けた所に別の場所から貼りなおして修復されているので補われるどころか別物になっているらしいぞ

>各種の受賞をした作品よりも限られた受賞に留まりながら売上げが上回る作品も数多あるだろ
映画は売上と賞が別々だからわかりやすいんだよ
たくさん見られたら売上上がるし、賞とっても売上上がるとは限らないし、チケット代は一律だ
一方でオーダーメイドの話だと評価がそのものの価格に影響を与えることで同じ類の量産品よりも圧倒的に単価は高いのに総合的な売上では低くなる
いや、これは経済的評価が売上以外に単価という指標があるのかもしれない
0
230. 名無しのあにまんch 2024年07月10日 02:24:14 ID:gyMjMzNjA
>世の健全さを謳うなら尚更個人の健全さは必要だろう
俺が思う世の健全さは、世の中に色んな奴がいて色んなことを言っても許される状態だ
肯定も否定もといったのはそういうことだ
なので双方の願う健全さが異なっている

>だからそもそもインフルエンサーを個人ではないとするのが無理のある主張だと言っている
言葉の定義だけで進められると思うんだが

>なんで別の番組に替えたりテレビを消すって選択肢がないんだ?
テレビでもSNSでも見ないこともできるし見てもスルーすることもできることに変わりない
なので「反応を一斉にぶつけることができる」という機能に違いはないと言っているんだが
0
231. 名無しのあにまんch 2024年07月10日 02:28:52 ID:gyMjMzNjA
>いいや、別の個人が1人の発信から100万人に届く事で「大衆が個人のままバズる」現象は繰り返されている
すごい考えだわ、マジで驚いた
発信する個人を交換可能な集合として見るってことだろ
たしかにその考えに立てばメディアであるのはSNSだし、インフルエンサーもSNSの機能の一部だ
それであれば個人もインフルエンサーもSNSにとっては小さいパーツ(個人)か大きいパーツ(個人)かの違いでしかなく、専門家も同じだ
視点をSNSに置く場合ではあるが全面的に認める

>発信全部が他人を意図的に動かす為だと思っているのか?
呼びかけであれ感想であれ否が応でも情報受信した受け手は反応があるだろう(スルーもあるが)

>その仮定が世の人間を暗愚に設定して持論は正しいとしているのは結局は世の人間をそう思っているという事だが?って指摘なんだが
論理を考えるための仮定で普通そこまで考えてないよ

>であれば持論の為にインフルエンサーの影響が出た状況を恣意的に仮定した願望にすぎなくなるが?
それは恣意的な仮定とは言わないぞ
論旨が顕著に発揮される状況を仮定しているだけだ
プラスにプラス載せたら例として分かりにくいだろ?ってだけだ

>マイナスになりうるなんて言ってなかったろ
すまん逆だったわ、マイナスをプラスにする例出してたわ
で、なりうるってのは論理的な可能性の話だぞ
実際そうなるなんて一言もいってない

>生命活動とSNSの発信を同一視は流石に無理矢理すぎると自分でも思わなかった?
論理的には同一視できるぞ
・SNSが主、個人が従だが個人はSNSを変えられる
・社会が主、個人が従だが個人は国を変えられる
この移動の理由は論理においては問われない

>場合によってはインフルエンサーが炎上するケースもある
専門家が正しいこといってもインフルエンサーの作った流れに埋もれることもあると思うぞ
どっちもある

>自分の論旨の主旨を忘れられては困る
その話はアテナイを例に民主主義の崩壊に触れたことで、社会優位だから崩壊したは成り立たず「どのような体制も崩れえる」になってるんだぞ
だから211の主張は生きてるはずだ

>いや現実でも無政府状態に陥った国や個人の価値観が何よりも優先される独裁国家は歴史的に存在してるだろ
地球規模でしか考えてなかったから思い至ってなかった
その場合には国という単位のコミュニティがなくなって都市や町などの小さな社会が最大単位の社会になるだろう

>なりうるからモラハラやパワハラで訴えられる奴がいるんだろ
対面の個人間であればそうだろうな
では俺が価値観を否定することは何ハラなんだ?
ちなみに炎上したということだけでは加害をしたのかされたのかも決められないぞ

>言い回しや相手への配慮、敬意を持たない人間が社会の優位性を今まで語っていたのだとしたら笑えない話だ
ここは上の方に書いた通り多様であることを健全と考えている

>トータルでは圧倒的にマイナスだ
俺はプラスだ
とくにさっきのSNS論はめっちゃ新鮮だった
あれだけでもお釣りがくる、ありがとう

>その疑念が権威の裏付けを揺るがしているがね
そこは地道に追及されていくことを望む

>個人が歪めたものではないと決めつけている人間がそれを言うのか?
これも疑わしきは罰せずだ
確実な証拠があればそういっても言いけど想像でしかなければ陰謀論まっしぐらだろ

>相手を付き合わせている事への責任と義務だろ
ここまで長く話しているのは双方ゆずらないからだ
そこではお前にも主体はあるだろうに

>否定ではなく問い掛けにできない理由がどこにある?
ぶつけ合うことで切磋琢磨できるというのは割と俺の信条かもしれん

>相手にだけさせて自分は気楽に好き勝手やりたいなどという浅ましさが卑劣でなければなんだ
だからお前も気遣わなくていいって
相手にだけさせてって言われても俺はそんなものを要求していないし健全な社会の要素としても求めていない

>手続きが真っ当ではないな
相互に論を交わしてどちらの主張が正しいのかを論理的に決めることがまっとうな手続きだ

>議論の以前の問題だろ
不躾であることは認めるがそれが信条であるとしたら糾弾される謂れのないものではなかろうか

>答えているのに無視していてお前の方が卑怯だと言える卑劣さに比べれば俺は正々堂々としているよ
じゃあYESとNOのどちらで答えたのだっけ
または答えなかった理由は?

>多々スルーしようとしたそちらにこそ相応しい
俺はその都度、回答をしない理由を主張しているぞ
主には主題と関係ない、すでに別途に回答を満たしているので不要と答えている
それを答えさせるのであれば主題においての重要性を語って追求するべきだ
今、俺が回答を求めているのは主題ど真ん中の質問で代わりになる回答も提示されていないので看過できん
0
232. 名無しのあにまんch 2024年07月10日 10:13:50 ID:U3OTg0MA=
>>231
>前提とゴール
前提「個人の価値観に意味はある」
ゴール「そちらの個人の価値観は全ての人間にとって無意味であるという意見の撤回」

>「最終的な出力が個人の価値観になる」ことに立脚している状態だ
その個人を俺一人と限定した想定をそちらがしているのが間違いだろ
俺以外の価値観において条件が変化し得るのだからこちらの持論上、「ある」とも「ない」とも固定すべきではない

>答えないのであれば回答しない理由を明らかにするべきだ
そちらが主旨を理解していないだけだろ

>そこは表記ブレがあること
他に同じ表記ブレが確認できないから聞いていたんだが?

>新潟の話でクリアしたよな
だからノエル・キャロルも書いたという証拠にはならない

>ちなみにここでは改ざんは認めるんだな?
そちらの論理では本意が合えば改竄にあたらないだろ?
改竄になるならそちらがそもそもこちらに対して意図して本意を歪めた改竄が多々あった事になるが

そうでなくとも「お前の主張はこうだ」と決めつけ(改竄)がままありすぎる

>まさかコミックスとグラフィックノベルが半々とかで計算してんのか?
全体の売上げの中の日本のコミックスの売上げを割ったものだって数値見れば解るだろ

>売上の話とセットになってるから念のために確認をしたまでだ
売上げの話と解ってて何で数字の意味が解らない?

>その賞のことだろうなとは想定はできたので評価方法について触れてるんだぞ

百数十人前後の推薦者が推薦した著作から協会員が特に優れているとする10作にまで選出する形式だ

>俺は対等の意を込めてお前と言っていると言うのは冗談だが少なくとも攻撃の意は一切ない

その「だから許せ」と言わんばかりの態度含めて不快だと言っている
友達でも長い付き合いでも敬意のある間柄でも何でもないんだぞ

>柔らかい言葉を使えと言う奴がそれ以上に荒い言葉を使ってるのはどうなんだと俺が感じているだけだ

それに値しない相手へは相応の態度になるし、そういう態度での応酬にならないよう柔らかい言葉で議論を始めるべきだという主旨を理解できていなかったそちらの不理解だろ

>だが誰かと意見をぶつけ合わせることで新しい発想を引き出すのも一つの手段だ

それは否定から入り強い言葉をぶつけ相手の同意無く議論に巻き込む事を正当化しない
「お互い喧嘩すれば強くなれるから殴り合おうぜ」で人に殴り掛かる犯罪者の理屈だよ

>繰り返すが最初の方は反発はあってももう少し抑えていたと感じていたんだが俺の勘違いか

「抑えている」と感じたと言ってる時点で伝わっていなかったかのように言うのは無理があるだろ

>ただし時代の変化で廃れたものも同様に現在の視点から評価されるべきだ

具体的には?

>チケット代は一律だ
いや前売り券や劇場次第で変化するだろ。特にイオン系列は○○デーで
今だと4D、4DXもある

>俺が思う世の健全さは、世の中に色んな奴がいて色んなことを言っても許される状態だ

明らかなら倫理感の欠如や実害をもたらすものも居ていい、許されるべきはそちらの掲げる個人より社会優先の持論に反するだろ
反社会思想であれ容認するのは寧ろ社会よりも個人の自由を認める個人の価値観を容認する側の思想だ
でなければ自由と自分本位の好き勝手を履き違えているかだ

>言葉の定義だけで進められると思うんだが
商業的な活動をしているもの、あるいは専門家として影響を及ぼすものも混在しているのにだから全員非大衆というのが乱暴だと言っている

>テレビでもSNSでも見ないこともできるし見てもスルーすることもできることに変わりない
>なので「反応を一斉にぶつけることができる」という機能に違いはないと言っているんだが

見ない、見てもスルーした場合ぶつかってはいないだろ

>呼びかけであれ感想であれ否が応でも情報受信した受け手は反応があるだろう(スルーもあるが)

発信した者にその意図があるかは別問題では?と言ってるだろ
独り言に誰かの反応があったから他人に伝える為の発信だったとはならん

>論理を考えるための仮定で普通そこまで考えてないよ

その都合の良い論理が構築できた時点で思考を止めるのが持論ありきだと指摘している
あるいは根から無意識に他人を見下しているか自分の都合に合わせて存在するべきと見ているか

>論旨が顕著に発揮される状況を仮定しているだけだ

それがまさに恣意的だと言っている
上手くいった事例を挙げてそれが全てかのように扱うのが

>すまん逆だったわ、マイナスをプラスにする例出してたわ

こうやって卓袱台返しが起きるから議論にならんと言ってる

>マイナスをプラスにする例出してたわ

仮定であれ結局は大衆をインフルエンサーが白を黒と言えば黒と認識する暗愚と見ているかインフルエンサーの影響力を非大衆とする為に過大評価していないか?

>論理的には同一視できるぞ
>・SNSが主、個人が従だが個人はSNSを変えられる
>・社会が主、個人が従だが個人は国を変えられる
>この移動の理由は論理においては問われない

こういうのは論理的思考ではなく箇条書きマジックという
社会においてはそもそも所属しないという選択肢がまずない
対してSNSは変える変えない以前にやらない事を選択できる

>専門家が正しいこといってもインフルエンサーの作った流れに埋もれることもあると思うぞ
>どっちもある

であればそれはインフルエンサーという個人の価値観が社会的正しさより意味を持ってしまうのでは?
もっとも炎上せずとも指摘があった時点で二次情報の発生事態はしていると思うが

>社会優位だから崩壊したは成り立たず「どのような体制も崩れえる」になってるんだぞ
>だから211の主張は生きてるはずだ

こちらが言っているのは社会優位‘ですら’、だぞ。いわんや民主主義も選ばれた代表という個人の価値観次第で崩壊の危機があるのは前提の上だろ
211の主張が生きるというなら体制の崩壊そのものを否定すべきじゃないのか?

>地球規模でしか考えてなかったから思い至ってなかった

なら尚更、地球に含まれる他国やその過去も考慮におかれていた筈では?

>その場合には国という単位のコミュニティがなくなって都市や町などの小さな社会が最大単位の社会になるだろう

都市や町などの行政が機能不全を起こすからこその無政府状態では?
仮に都市や町単位で秩序ある行動をとる善意ある人間の集合はおそらくあるだろう(国家再建後を見越しての打算含め)、だが社会より個人の方が大きくなり略奪者が出るのも避けられまいよ
諸外国では国家が機能していても災害時には略奪者が出るように

>対面の個人間であればそうだろうな

掲示板越しとはいえ個人間でのやりとりですね

>では俺が価値観を否定することは何ハラなんだ?

某モラルハラスメント被害
女性の離婚専門中央区の女性行政書士の発言の抜粋と要約になるが


人間の価値観は、一朝一夕に出来上がるものではありません。
その人の生まれた場所、友人関係、学んだ学問や頑張ってきたスポーツ、選んだ仕事、そして家族、こう言った、その人にとって大切ないくつもの人、物、ことが折り重なって、そうしてひとりの「人」、その人の「価値観」が出来上がるのだと思います。

ですから、自分の価値観を否定される事はまるで「これまでの自分」を全て否定されるようで、辛いと思います。

しかしモラ夫は、そう言った他者の価値観や育ち、その人を育てた全てを、いとも簡単に否定してきます。

それは、その人の事を思い愛情を持ってされる「指摘」「注意」とは全く異なるものです。

とにかく、自分の意見や考えと異なる人、事、ものは
全否定。
自分が見下しターゲットにした人間の事も、全否定。


上記の専門家に従うなら普通にモラハラじゃないっすかね

いやまずお前呼びやめたら?謝罪もないし

>ちなみに炎上したということだけでは加害をしたのかされたのかも決められないぞ

前提としてそういう加害で炎上した事例があるって話に何を言っているんだ

>ここは上の方に書いた通り多様であることを健全と考えている

それを健全とするのは社会優位ではなく個人優位の価値観だ
社会の秩序維持に反しても良いとしているのだから

だから謝らなくていいなんて言われてる側が納得できるものかよ

>俺はプラスだ

煽ってるのか?
俺にはマイナスであるのにそちらがプラスだからなんだと言うのか

>確実な証拠があればそういっても言いけど想像でしかなければ陰謀論まっしぐらだろ

社会的な意図で歪められた、絵図を描いた黒幕がいるとする方が政府主体の陰謀論だろ
個人の価値観によるものでないという確実な証拠があるのか?

>ここまで長く話しているのは双方ゆずらないからだ
そこではお前にも主体はあるだろうに

相手に譲れとねだるのか?
殴りながら反撃されたらお前も主体的に殴っただろ!って言ってるようなもので、そもそも殴りかかってくるんじゃねぇとなる

>ぶつけ合うことで切磋琢磨できるというのは割と俺の信条かもしれん

巻き込まれる側の事情を考えなくていい理由にはならん

>だからお前も気遣わなくていいって
>相手にだけさせてって言われても俺はそんなものを要求していないし健全な社会の要素としても求めていない

健全な社会の要素としてなら相手の信条も認める立場ではないのか?
相手の信条を「俺はそんなものを要求していない」で曲げさせるのはそちらの謳う社会の健全性基準でも不健全だろ

>相互に論を交わしてどちらの主張が正しいのかを論理的に決めることがまっとうな手続きだ
合意の上で始まったのならな
一方的に難癖つけて否定して相手が付き合わなければ自身が正しいとするやり方が真っ当なものかよ

>信条であるとしたら糾弾される謂れのないものではなかろうか

社会秩序の観点から見て「他人を他人を不当な暴力・暴言で従わせる事が信条です」って奴が糾弾されず許されるか?
不躾な態度で害された側が信条だから仕方ないで許すべきは繰り返すが犯罪者やテロリストなどの反社会側の理屈で、それを個人よりも社会が優先されると主張する側が言っているのは噴飯ものだろ

社会の方が優先されるなら秩序を、人の和を自分(個人)本位の理屈で乱すな

>じゃあYESとNOのどちらで答えたのだっけ
または答えなかった理由は?

どちらでもないと答えていたろう
個々人の価値観においてその視点が介在されるかは人それぞれなんだから

>俺はその都度、回答をしない理由を主張しているぞ
主には主題と関係ない、すでに別途に回答を満たしているので不要と答えている

それを一方的に勝手に決めようとしているからだろ
こちらの同意なく「別途に回答を満たしている」と勝手に決めて
そうやって自己で勝手に決めるなら上記だが一人で自己批判してればいい

>今、俺が回答を求めているのは主題ど真ん中の質問で代わりになる回答も提示されていないので看過できん
解答を理解できていないのをこちらが答えていないみたいに言うのはいい加減よせ
0
233. 名無しのあにまんch 2024年07月11日 03:03:23 ID:c5MzY1NzY
>>232
>前提とゴール
それ前提に立った瞬間にゴールするじゃないか
これは一歩たりとも議論をする気はなくて俺の主張を絶対に認めないことを示していると受け取ってよいのか

>その個人を俺一人と限定した想定をそちらがしているのが間違いだろ
まずこの場合の個人とは人間一人の単位であってお前のことを指しているわけではない
個人の価値観は環境や状況に応じて変化する(条件の変化とはこういうことと推察した)ものとしても、すでにお前の主張において「個人の価値観」に既に様々な評価が内包される可能性があることは既に話されている
今話しているのは個人以外の出力があるのかであり、これは個人の価値観に内包されるものではないので、個人の価値観によってある・ないが変わるものではない
また、SNSを発信主体としたことについて反論が見られないということはこれはお前も認めたとして次の話に進めていいのか?

>そちらが主旨を理解していないだけだろ
そのように言うだけなら簡単だ
どのようなことが主旨となっていて、どのように理解していないのか説明を求む

>表記ブレ
俺が以前に聞いた言葉は西欧エリート知性主義だった
例として出したテキストではエリート主義とされていて、海外とくにイギリス・フランスでの価値基準について言及されている
俺は西欧エリート知性主義はエリート主義の表記ブレでしかないと言っており、上記からその概念が近いものであることは示している

>だからノエル・キャロルも書いたという証拠にはならない
そこまで気になるなら本読めば載っていると言った
ちなみにこの話はエリート主義による文化評価軸が本当に海外にあるの?って話なので新潟の例で回答を満たしているので俺はそれ以上の回答は不要と言っているのだが

>そちらの論理では本意が合えば改竄にあたらないだろ?
本意が合えばってどういう意味だ、そういう言葉遣いがないので意図が読めん
単純に間違えたものや分かりやすくするためにまとめなおしたものはあるが俺が意図して改竄した内容には心当たりがない
お前の主張をまとめなおした部分については俺の読み取りが間違っていると指摘されていれば修正しているはずだぞ

>全体の売上げの中の日本のコミックスの売上げを割ったものだって数値見れば解るだろ
じゃあ約5億7000万はどこから出てきたんだ?
わからん

>百数十人前後の推薦者が推薦した著作から協会員が特に優れているとする10作にまで選出する形式だ
なるほど

>その「だから許せ」と言わんばかりの態度含めて不快だと言っている
つまりは態度が気に入らないというだけだな

>それに値しない相手へは相応の態度になるし、そういう態度での応酬にならないよう柔らかい言葉で議論を始めるべきだという主旨を理解できていなかったそちらの不理解だろ
気に入らない相手にはそれ以上に攻撃的な態度をとるのは当然の権利と言いたいわけだ

>それは否定から入り強い言葉をぶつけ相手の同意無く議論に巻き込む事を正当化しない
議論というのは一方的に成立する暴力と異なって相手の応答なくしてありえない
つまり議論に参加するかは主体的判断である
さて双方が主体的に進める議論ではどのような手法を取ろうか、やはり意見をぶつけ合わせるのがいいだろうな

>「抑えている」と感じたと言ってる時点で伝わっていなかったかのように言うのは無理があるだろ
正確に言えば怒りを抑えながらも理性が上回って論理的に話せていると感じていた
つまりお前に議論し続けることを選ぶモチベーションがあったと認識していた

>具体的には?
坂田金時ものとかマカロニウエスタンとか
坂田金時ものの舞台は江戸時代は一世を風靡したが明治以降は一気に消えた
一部残っているが失われているものもあるだろう

>いや前売り券や劇場次第で変化するだろ
それがあるのはわかるがオーダーメイドは評価に基づいた価格差だがチケットは安売りや付加価値による価格向上じゃないか?

>社会優先の持論に反するだろ
犯罪はルール外なので社会で許されないが道徳を縛るルールはない
その範疇において個人の自由は認められる
口調程度で制限しだすのはディストピアじゃないか

>インフルエンサーまわり
先に書いたようにインフルエンサー論はお前が正しい
インフルエンサーは大衆に含まれるで納得した
一つ前のレスで先に書いてた回答を送ったせいで無駄に回答をさせてしまったことは謝る
希望するなら追加で回答してもいいがこの部分全体では結論は出ている

>こちらが言っているのは社会優位‘ですら’、だぞ。
社会優位ですら、とは言ってなくねーか
検索したがなかったぞ

>なら尚更、地球に含まれる他国やその過去も考慮におかれていた筈では?
地球規模で社会が崩壊したイメージだ

>だが社会より個人の方が大きくなり略奪者が出るのも避けられまいよ
無政府状態で調べて出てきたソマリアでは「氏族集団からなる軍閥が各地で群雄割拠」とあったぞ
結局は人は社会的動物でありコミュニティに所属するのではないか

>掲示板越しとはいえ個人間でのやりとりですね
掲示板越しのモラハラって聞いたことないや

>某モラルハラスメント被害
価値観の否定の意味が違う
読んだけどここで言われている価値観の否定とは、
「その頭はかざりなのか!?」とかの罵倒によるものだった
一方、俺の価値観の否定とは社会的価値と比較した時の否定であって、むしろ個人レベルにおいては個人の価値観は自由であると繰り返している
つまりは全く違うことを一つの言葉に押し込めることで同じものとして扱われているわけだ
俺がお前をめっちゃ罵倒してるとかあれば謝罪するよ

>煽ってるのか?
感謝してると言ってるが?

>社会的な意図で歪められた、絵図を描いた黒幕がいるとする方が政府主体の陰謀論だろ
何言ってんだ、合意で決定されてると言っているのにいつ黒幕がでてきたんだ
ちなみに国際会議等の合意があったことは少し触れたが、個人の価値観によるもので「ない」ことは証明できない
それは悪魔の証明だから不可能だ
お前は個人が歪めたという証明は出せるだろ

>相手に譲れとねだるのか?
んなことは言ってない、義務はないと言っている
殴るという一方的に成立するものと双方が返信を繰り返す会話を混同するのがおかしい
会話は双方合意がなければ成り立たんのに一方のみに生じる義務なんてあるわけない

>健全な社会の要素としてなら相手の信条も認める立場ではないのか?
誰もが自分の信条に沿って行動していて何が問題なんだ?
お互いの信条が違うならぶつけ合わせてもいいし衝突をさけてもいいし曲げてもいいだけだろ

>合意の上で始まったのならな
議論であるならばどのような状態であれ論理的なものが正しい
合意うんぬんは感情の話だから議論の正しさには影響はない

>社会秩序の観点から見て「他人を他人を不当な暴力・暴言で従わせる事が信条です」って奴が糾弾されず許されるか?
それは極論だろう、俺が不当な暴力・暴言を使ってから言ってくれ
会話でしかないものを暴力と同一視することがなぜできるのか

>個々人の価値観においてその視点が介在されるかは人それぞれなんだから
視点の話は聞いていない、出力の話だ

>それを一方的に勝手に決めようとしているからだろ
その結論が違うというならば要件を満たしていないとする理由を述べて追及するべきだろう
例えば西欧エリート知性主義がエリート主義と同義ではないとする理由を示すとかだ

>解答を理解できていないのをこちらが答えていないみたいに言うのはいい加減よせ
最初に細かく書いたので俺が理解できてない部分があるなら指摘してくれ
0
234. 名無しのあにまんch 2024年07月11日 09:48:38 ID:A1MjU0NA=
>>233
>これは一歩たりとも議論をする気はなくて俺の主張を絶対に認めないことを示していると受け取ってよいのか

何故そうなる?
こちらの主張上、そちらの主張を無闇に他人に当て嵌めようとせず自分の信条とするなら好きにすればいいと言っているだろ

>今話しているのは個人以外の出力があるのかであり、これは個人の価値観に内包されるものではないので、個人の価値観によってある・ないが変わるものではない

俺には社会的視点がないように個人以外の出力がある・ないも「人によって備わった前提がそもそも異なる可能性がある」のでYesでもNoでもないと言っている
唯我独尊で自分基準の解釈しかない人間もいる

>また、SNSを発信主体としたことについて反論が見られないということはこれはお前も認めたとして次の話に進めていいのか?

SNS中毒のように主体性をそこに置く人間もいる以上はそういう価値観の人間もいるという意味では認めている

>どのようなことが主旨となっていて、どのように理解していないのか説明を求む

上記参照

>俺が以前に聞いた言葉は西欧エリート知性主義だった
例として出したテキストではエリート主義とされていて、海外とくにイギリス・フランスでの価値基準について言及されている

では何故テキストに準拠してエリート主義のみで書かなかった

>俺は西欧エリート知性主義はエリート主義の表記ブレでしかないと言っており、上記からその概念が近いものであることは示している

表記ブレなら西欧エリート知性主義そのものの例を提示してくれと言ったが

>そこまで気になるなら本読めば載っていると言った

本誌の何頁に記載があるのかと聞いた。後から「すまん記憶違いだった」と言わせない為に
金を出して本を買ってからそんな事を言われてはたまったもんじゃない

そちらは手元に本があるんだろう?

>新潟の例で回答を満たしているので俺はそれ以上の回答は不要と言っているのだが

そんな事を問題にしていなかったろ

>本意が合えばってどういう意味だ、そういう言葉遣いがないので意図が読めん
単純に間違えたものや分かりやすくするためにまとめなおしたものはあるが俺が意図して改竄した内容には心当たりがない

上記のように「ノエル・キョロルは実際に記述したのならどこにどう書いてあるんだ?」「新潟の件で確認できるからいいじゃん」という解答でこちらの質問の意味を根本から捻り歪め続けられてるんだが?

>指摘されていれば修正しているはずだぞ

そもそも最初から理解した気になって勝手に代弁するなよという話でもあるんだが

>じゃあ約5億7000万はどこから出てきたんだ?
発表された資料見ろよ

>その「だから許せ」と言わんばかりの態度含めて不快だと言っている
>つまりは態度が気に入らないというだけだな

態度‘含めて’なのに何で「態度だけの問題」「態度が主体の問題」に勝手にそちらが決める
こちらの考えを勝手に決めるな

お前呼びするなと伝えて不快とも伝えてそんな間柄でもないと伝えて「態度が気に入らないだけだろ?」で勝手に総括されて許せるものかよ

>気に入らない相手にはそれ以上に攻撃的な態度をとるのは当然の権利と言いたいわけだ

そもそも「それ以上に攻撃的」というのが疑問だし、当然の権利以前にそういう自体を招いた側が殴り返されたら、相手を暴力的と訴えるのは滑稽だろ
自分だけが相手を殴るのが当然の権利と言っているようなものだから

>議論というのは一方的に成立する暴力と異なって相手の応答なくしてありえない

応答しなければそちらが間違っていると一方的に言える否定から入った時点で一方的に成立する暴力同様であり

繰り返すが「お互い喧嘩すれば強くなれるから殴り合おうぜ」で人に殴り掛かる犯罪者の理屈だ

>つまり議論に参加するかは主体的判断である

故に主体的判断というのは欺瞞だ

>さて双方が主体的に進める議論ではどのような手法を取ろうか、やはり意見をぶつけ合わせるのがいいだろうな

それを他人に強制させるようなやり口が辻斬りや一方的に殴りかかるが如きで卑しい

>正確に言えば怒りを抑えながらも理性が上回って論理的に話せていると感じていた
>つまりお前に議論し続けることを選ぶモチベーションがあったと認識していた

モチベーションと不快感に何の関係が?
相手に怒りを感じる程の不快感を与える権利がそちらにあると?
モチベーションになるから許せと?
「殴ったら殴り返す気になったからいいでしょ」ってのは自己正当化の言い訳だ。そもそも殴るな

>坂田金時とか
だが坂田金時を取り扱ったものが今後出ないと決まった訳じゃないのでは?

>それがあるのはわかるがオーダーメイドは評価に基づいた価格差だがチケットは安売りや付加価値による価格向上じゃないか?

まぁそれはそう

>口調程度で制限しだすのはディストピアじゃないか

こちらに実害出てるから言ってんだろ

>希望するなら追加で回答してもいいがこの部分全体では結論は出ている

了解した

>検索したがなかったぞ

211
>社会が大きいということは変わらない だが歴史として崩壊したソ連のように社会の方が間違っているとして消えた実例がある 個人よりも社会を大事とする社会主義国家ですらだ

文字検索ならF3使うといい

>地球規模で社会が崩壊したイメージだ

アッハイ

>無政府状態で調べて出てきたソマリアでは「氏族集団からなる軍閥が各地で群雄割拠」とあったぞ

だから無政府状態になれば全ての国で全部そういうものみたいに扱うのは恣意的だろ

>掲示板越しのモラハラって聞いたことないや

聞いた事ないから何?
自分が見聞きした事がないものは世に存在しないと?

>一方、俺の価値観の否定とは社会的価値と比較した時の否定であって

自分の標榜する社会的価値観を絶対として他者の人格に根差した社会的価値観を否定しているので正当化されない

>むしろ個人レベルにおいては個人の価値観は自由であると繰り返している

であればそもそも『「個人の価値観は無意味」という価値観』を押し付けてくるなよ

>俺がお前をめっちゃ罵倒してるとかあれば謝罪するよ

お前呼びやら何やら不快だと伝えた上でこちらの価値観を否定するなともう何度繰り返したが

>感謝してると言ってるが?
それがこちらのマイナスの何の慰めになる
真意がどうあれ「お前はマイナスだが俺はプラスだよザマァwww」と受け止められかねない発言をした自覚がないのか?
言葉使いや言い回しが与える影響を考慮できないなら議論に向いていないんじゃないか?
議論する気がなくて相手を否定したいだけだからそもそも最初から考慮する気がないだけか

との謗りを受けておかしくないおかしなか事を言った自覚がないのか?

どうせ「悪意はなかった」
と開き直るだけだろうけどな

>それは悪魔の証明だから不可能だ
>お前は個人が歪めたという証明は出せるだろ

その理屈が通るならそもそも人種問題はともかく性自認は個人毎による問題である以上、合議に至るまでに訴え続けた大衆という個々人の呼び掛けや働きかけも無視できないだろ

>殴るという一方的に成立するものと双方が返信を繰り返す会話を混同するのがおかしい

・一方的に否定して殴って
・その直後に殴り返されて殴り合いに発展した

両立するぞ

>会話は双方合意がなければ成り立たんのに一方のみに生じる義務なんてあるわけない

そもそも最初に一方的な否定から入った分の義務を追求している

>誰もが自分の信条に沿って行動していて何が問題なんだ?

それが他人を害するなら大問題だろ
特に害される側は

>お互いの信条が違うならぶつけ合わせてもいいし衝突をさけてもいいし曲げてもいいだけだろ

お互い合意の上ならな
やむをえず応戦したこちらに対して勝手に合意したみたいにそちらの都合を押しつけるんじゃない
「殴り掛かったら殴り返してきたので合意の上での試合でした」なんて言い訳が通じるなら傷害罪で起訴される奴は余程一方的じゃないと成立しなくなる

>それは極論だろう、俺が不当な暴力・暴言を使ってから言ってくれ

こちらの価値観を認めずに否定するという暴力を振るっているが?
お前呼びやめろと言われても使い続ける暴言もあるな

>会話でしかないものを暴力と同一視することがなぜできるのか

その理屈が通るならモラハラで訴えられる奴はいない

>視点の話は聞いていない、出力の話だ

視点の有無で出力の有無も変わるだろ
SNSを引き合いに「ある」とそちらは言ったがそもそもSNSをやっていなければそのケースには該当しなくなるように

>例えば西欧エリート知性主義がエリート主義と同義ではないとする理由を示すとかだ

西欧エリート知性主義がそちらの発言以外に確認できないからそもそも造語でこちらの指摘を受けてエリート主義に含まれる標記ブレという事にした疑いがあるから、他に同じく西欧エリート知性主義と書かれた物、言った人がいないか確認してるんだろ
標記ブレなら他に同じ使い方をした類例がある筈だ
0
235. 名無しのあにまんch 2024年07月13日 02:46:31 ID:czNjMwMDg
>>234
>何故そうなる?
前提とゴールが一緒だと話せることがないだろ
「個人の価値観に意味はある」は「個人の価値観は無意味という意見の撤回」とイコールじゃないか
ただよく見たら「そちらの個人の価値観は全ての人間にとって無意味であるという意見の撤回」と言っているが「全ての人間にとって」という意見は俺は述べていない
俺は自身にとっての意味や個人間・小さなコミュニティの範囲での意味はこれまでに認めている

>人によって備わった前提がそもそも異なる可能性がある
それってこの世界には自分しかいないとか、自分が認識しないものは存在しないとかの哲学も考慮するってことだろ
そこまでいくと何の基準もないので何一つ意味がないぞ
俺が聞いているのは現実においての発信主体に人以外が成りえるのかという話だ

>SNS中毒のように主体性をそこに置く人間もいる以上はそういう価値観の人間もいるという意味では認めている
多分、その回答は主体の意味が食い違っていてきっと価値観をどこに置くかという主体性と発信主体が混ざってるな
それは置いといてSNSには運営がいるが発信主体はその運営個人ではなくシステムであるということで進めると、これは会社や国と言った色んな組織もシステムと同様の構造を持っていて運営する個人ではなく組織が発信していると捉えられる
とりあえずここまでは問題ないか

>(下から移動)視点の有無で出力の有無も変わるだろ
SNSであればトレンド情報は個人ではなくSNSが出力するだろ
会社が発表する案内は広報個人の出力ではなく会社としての出力になる
仮に個人的視点にだけ立つとしてもこの形は変わらないんじゃないか

>上記参照
何にも伝わらなかったぞ

>では何故テキストに準拠してエリート主義のみで書かなかった
西欧エリート知性主義は「語られた」言葉だからだ
俺は聞いただけだと最初から言っている
なので俺が作った言葉でもなければ、なぜそのような表現で使われたかも知らんが文脈はエリート主義とほぼ同じ意味だった
そのものの言葉は俺も検索して出ないが検索自体の精度がここ1年ですごく悪くなっているので本当にないのかもわからん
ついでに一番下のテキストもくっつけて話すが「標記ブレなら他に同じ使い方をした類例がある筈だ」と言われても知らんとしか言えん

>金を出して本を買ってからそんな事を言われてはたまったもんじゃない
手元にないから買ったけど51ページでエリート主義による評価をもっとわかりやすく示してる
芸術批評は正典に基づくことが芸術世界の仲間入り条件になっていて、それによって批評家がエリート主義者となり、芸術的価値の大規模な合意を生み出している
と批判的に書いてるぞ

>そんな事を問題にしていなかったろ
その部分の目的はエリート主義と芸術に関係があるのか証明せよ、というだけだろ
例Aでも例Bでも関係するものを示せば証明されるだろ

>こちらの質問の意味を根本から捻り歪め続けられてるんだが?
それはお前の質問が上記趣旨から無意味だから答えてないだけだ
歪めるというのは言ってないことを言ったことにするとかそういうのだ

>そもそも最初から理解した気になって勝手に代弁するなよという話でもあるんだが
散漫でわかりにくいと感じたときにはまとめなおして確認取らんと読み取りの意図がズレる

>発表された資料見ろよ
見つからないから聞いてるんだ
北米のコミックとグラフィックノベルが合計で約21億6000万ドルはわかる
約5億7000万と1/4がわからん

ちょい順序入れ替える
>だが坂田金時を取り扱ったものが今後出ないと決まった訳じゃないのでは?
どっかで再ブームとかあるかもしれないな
まぁ昔のものも今の目線で評価するのも必要ってだけ

>オーダーメイド
なんかブランド価値とかも説明できそうだから勝手に考える

>文字検索ならF3使うといい
「社会優位ですら」ではなく「社会主義国家ですら」か
OK見つかった、確かにそのように主張していたので下の話に繋げる

>だから無政府状態になれば全ての国で全部そういうものみたいに扱うのは恣意的だろ
このパターンの手続き決めないか
Aと主張した、Aとは違う形になるBという例を出したは反証だろ
その場合にはAを満たす例を出す義務があると思うんだ
BもあるCもあるって並べてもAがないことは証明できねえ

>合議に至るまでに訴え続けた大衆という個々人の呼び掛けや働きかけも無視できないだろ
個々人の動きから段階を踏んで正当に国際的な手続きで承認されるところまで至ったのだから問題にならなくないか
特定の個人活動→いきなり全世界の首脳が一斉に性自認を認めると宣言!とかだとヤバそうな気がするが

以下はお前の怒り諸々への返信
>こちらの考えを勝手に決めるな
細かいな、けど悪いがお前に合わせる理由がないんだ
「不快なのか、そうなんだ」以上に感じる間柄でもないし話の内容には関係ない

>そもそも「それ以上に攻撃的」というのが疑問だし
俺は攻撃的な言葉を使っているか?
お前が使う表現の攻撃性はどんどん高くなっているぞ
ちょっと前だと卑怯とかそういうの
あと俺はお前を暴力的だと訴えているわけではない
以前も書いたようにお前の中で矛盾はないのかと言っているだけだ

>応答しなければそちらが間違っていると一方的に言える否定から入った時点で一方的に成立する暴力同様であり
まず全体の流れを振り返ろう
俺が個人の価値観による価値を否定する内容の意見表明をしたことで始まった
この時に俺がレスした相手がお前なのかと言うことは今でも俺は知らない
更に言えばこの相手がお前だったとしてもその主張がどれだけお前にとって重要なのかというのは知る由もない
あくまでネット上に書かれた一つの意見への反論としての意見表明だ
つまりこのときに俺には誰かが大切にしている価値観というものを否定する意はどこにもない
そのため誰かを殴りに行く行為、一方的な暴力とは大きく異なっていると言えるし俺に何かしらの義務が生じることもない
それに対してお前が返答をして、さらに俺が返答して今に至るわけだが、ここでお前は公衆から対面する個人になることを選ぶ主体性があった
さらには俺は会話のスタイルについては何ら強制しておらず、強制をしているのは健全であれと言うお前だけだ
そしてその健全さを俺が備えないことに怒り、お前は「卑しい」などの攻撃的な言葉を使うようになった
この背景にはお前がこの会話で感じた不快感があることはわかる
そして俺に不快感を与える権利があるかとも問うたが、答えは「ある」だ
誰しも他人と接触して不快感を与えることはあるだろうが、それを修正するかどうかは個人の価値観に委ねられるべきだ
犯罪であれば制限されるが倫理・道徳に基づいた強制こそ許されない
その先はディストピアだというのは再度繰り返す

まぁようするに俺の最初の意見表明は暴力と同じだというのがお前の言ってることだと思うんだが、これは経緯からも明確におかしいということを俺は示した
なのでお前はこれに対しての反論として俺の最初の意見表明が暴力とイコールであることが示す必要がある

>自分が見聞きした事がないものは世に存在しないと?
これは上で言った証明できないやつだ
モラハラじゃないよと主張する以上は無理だな

>自分の標榜する社会的価値観を絶対として他者の人格に根差した社会的価値観を否定しているので正当化されない
正当化うんぬんではなく某モラルハラスメント被害で扱われている価値観の否定とは意味が違うと言っているんだが

>であればそもそも『「個人の価値観は無意味」という価値観』を押し付けてくるなよ
俺は自分が正しいとする主張をしてはいけないのか?
ちなみに論が間違っていると納得したら考えを変えることはやぶさかではない

>お前呼びやら何やら不快だと伝えた上でこちらの価値観を否定するなともう何度繰り返したが
罵倒があれば謝罪すると言っているがそれ以上は言っていない

>それがこちらのマイナスの何の慰めになる
慰める気もないしお前の感情を考慮してもいない
色々と考えが深まったことへの感謝を示しただけだがこれも含めて感情と議論内容はなんの関係もないからな
そもそも俺は自分の主張をして相手の主張は否定してもお前という個人を否定している自覚はないぞ
0
236. 名無しのあにまんch 2024年07月13日 05:19:28 ID:k5Nzk1Mg=
>>235
>前提とゴールが一緒だと話せることがないだろ

そちらが社会的視点を持ってみないかと言うからこちらも「個人の価値観に意味はあるという視点を持って思考してみるなら考える」と言っているのに、前提とゴールが一緒になるとは何事か

であればこちらが社会的視点での考察をした時点で「認めたな」と言う気だったのか?

>俺は自身にとっての意味や個人間・小さなコミュニティの範囲での意味はこれまでに認めている

であればこちらにした断定を撤回するか?

>それってこの世界には自分しかいないとか、自分が認識しないものは存在しないとかの哲学も考慮するってことだろ

そりゃするだろ
実害がなきゃ自由だ

>そこまでいくと何の基準もないので何一つ意味がないぞ

当人には意味や価値が在りその人生哲学や信条がその人間の基準だ
俺はそれを他人を害さない限りは認める
ずっとそう言ってるだろう

>俺が聞いているのは現実においての発信主体に人以外が成りえるのかという話だ

繰り返すが条件が成立すればそりゃ成り立つだろ

>多分、その回答は主体の意味が食い違っていてきっと価値観をどこに置くかという主体性と発信主体が混ざってるな

であればまずはそちらが話したいように話してまずは前提してくれないか?

>これは会社や国と言った色んな組織もシステムと同様の構造を持っていて運営する個人ではなく組織が発信していると捉えられる
とりあえずここまでは問題ないか

話したい事があるのなら進めてくれ
こちらがどう考えるかはそれを受けてになる

>SNSであればトレンド情報は個人ではなくSNSが出力するだろ
>会社が発表する案内は広報個人の出力ではなく会社としての出力になる
>仮に個人的視点にだけ立つとしてもこの形は変わらないんじゃないか

極論、そもそもSNSをやってなければSNSの情報を受けて個人からの出力は無い
会社の発表が番組にせよ広告にせよテレビを持っていなければ、新聞を取っていなければ出力もない
そういう意味合いだったのでそりゃ会社でもSNSでも(擬人化表現になるが)自身の視点においては出力を持つのはそうだろ

>何にも伝わらなかったぞ
正直わざと惚けているのか?と思ったのはもう一度や二度ではないんだが

>なぜそのような表現で使われたかも知らんが文脈はエリート主義とほぼ同じ意味だった

ではそもそも188の
>世界全体で共通認識となっている西欧知性主義
が過言ではないか

>検索自体の精度がここ1年ですごく悪くなっているので本当にないのかもわからん
>「標記ブレなら他に同じ使い方をした類例がある筈だ」と言われても知らんとしか言えん

では本当にはないのではないかと疑われて当然では?
改めて問うがそんな曖昧ならどうしてテキストに準拠してエリート主義のみで書かなかった?

>51ページでエリート主義による評価をもっとわかりやすく示してる

ちょっと待った。買った?
手元に無いのに書いてあると断言したのか?

>その部分の目的はエリート主義と芸術に関係があるのか証明せよ、というだけだろ

こちらが聞いてる意図を何故そちらが勝手に決める?

>それはお前の質問が上記趣旨から無意味だから答えてないだけだ
>歪めるというのは言ってないことを言ったことにするとかそういうのだ

こちらが聞いてる意図と関係無い意図だと決めつけて答えないのは歪めているだろ

>散漫でわかりにくいと感じたときにはまとめなおして確認取らんと読み取りの意図がズレる

だから勝手にこちらの意図を決めていいとはならんだろ

>約5億7000万
約21億6000万ドルのうち、日本のコミックの売上げ

>1/4
21.6を5.7で割ったら約1/4
厳密には3.8ぐらいだけどおおよそで小半

>このパターンの手続き決めないか

こちらからはそもそも一例で全てにケリがつくみたいな丼勘定やめないか?って話なんだよなぁ
映画祭の評価システム1つとって世の娯楽の評価は同じようなシステムで決裁されているかのように語ったり

>個々人の動きから段階を踏んで正当に国際的な手続きで承認されるところまで至ったのだから問題にならなくないか

それで社会的に法令などの具体性を持ったという点で社会的視点での影響力がある、ならこちらも同意する
ただその成立過程を無視して個人の価値観により発生する歪みを無いものとして扱うにはLGBT関連のトラブルのうち性自認問題の多くが個人毎のものという点は看過できなくないか?
女子の大会に出たがるT女性だの女子更衣室使いたがるT女性だの

>けど悪いがお前に合わせる理由がないんだ

こちらとてお前呼ばわりされる所以も理由も無い

>俺は攻撃的な言葉を使っているか?

人の嫌がる言葉を、嫌がられていると自覚した上で使うのは十分攻撃的では?

あと煽っているのか?とこちらが聞いた「俺はプラスだが」もあるな

>ちょっと前だと卑怯とかそういうの

これでもマイルドに配慮した方だよ

>以前も書いたようにお前の中で矛盾はないのかと言っているだけだ

もう既に解答した筈では?

>その主張がどれだけお前にとって重要なのかというのは知る由もない

否定から入る事への想像力の欠如を「80kmで轢けば人が死ぬのは解っていたが40kmでは死なないかもしれないから気にしなかった」と言わんばかりに正当化しようとよくもぁ居丈高と

>つまりこのときに俺には誰かが大切にしている価値観というものを否定する意はどこにもない

悪意が無かったからやった事を許せ、と社会優位の思想を持ちながら言うのか?

>そのため誰かを殴りに行く行為、一方的な暴力とは大きく異なっていると言えるし

いや「こういう考えもあるけど、どう思う?」とか「その考え方でこういう点はどう思う?」とか否定から入らない言い回しも選べただろ

>俺に何かしらの義務が生じることもない

否定から入らない事もできた筈なのに自分本位に他人を傷つけるかもしれない言い方をすれば、それに対する義務を求められる事もあるだろうよ

>ここでお前は公衆から対面する個人になることを選ぶ主体性があった

その最中に俺が個人の価値観を大事にしている事を認識して知らず否定という暴力を最初に振るった事に気づいた時点で謝罪や撤回をする主体性がそちらにもあった訳だ。なのに「気づかず轢いてしまったが生きてるから別にいいだろ?」とばかりにグダグダと自己正当化を重ねていると

>強制をしているのは健全であれと言うお前だけだ

君の中に矛盾はないのかと問いかけるのなら問題ないんだろ?
社会優位の思想なのに社会維持の基礎である和を乱さない事を心掛けないのは、健全でいないのは矛盾しないのか?

>犯罪であれば制限されるが倫理・道徳に基づいた強制こそ許されない

その開き直りを卑怯卑劣と評するのは寧ろ逆に不適切なまでに甘く見積もった言葉だよ
他人を不快にしていい権利があるなら犯罪は存在しないしそれを認めるのは法治国家の、ひいては社会性の否定だ

>ディストピアだというのは再度繰り返す

自由と好き勝手を履き違えた人間にとってはこの世はディストピアだろうよそりゃ

>俺の最初の意見表明が暴力とイコールであることが示す必要がある

傷つけられた被害者がいるので暴力ですね
故意でなくとも過失傷害は成立するので
「その気がなかったから許されるなんて事はない」と君の好きな社会的視点が保証している

>モラハラじゃないよと主張する以上は無理だな

であればこちらとしても「万人漏れなく個人の価値観は無意味」の撤回を求めるのみだ

>正当化うんぬんではなく某モラルハラスメント被害で扱われている価値観の否定とは意味が違うと言っているんだが

現に俺は価値観を君に否定されているが?

>俺は自分が正しいとする主張をしてはいけないのか?

それ自体は当然の権利だろ
ただその過程で必ずしも必要ではないこちらの否定をするなら、当然害されたなりの対応になるのも自明の理だろ

>罵倒があれば謝罪すると言っているがそれ以上は言っていない

お前呼びが罵倒相当という話を散々してきた筈だが

>慰める気もないしお前の感情を考慮してもいない

では会話の最中に脈絡無く関係無い話をしだした訳だ
一方通行で議論をする気がなく絶対に認めないという結論あり気なのはそちらではないか

でなければ会話する能力そのものに疑問を抱かざるをえないが、それよりはまだしも解っていた煽る為に言ったと考える方が余程自然なんだが?

>そもそも俺は自分の主張をして相手の主張は否定してもお前という個人を否定している自覚はないぞ

自覚がないんだから許せという居直りはもう聞き飽きたよ
0
237. 名無しのあにまんch 2024年07月15日 01:58:20 ID:Y3ODk0NDA
>>236
>「個人の価値観に意味はあるという視点を持って思考してみるなら考える」と言っているのに
だったら最初からそう言えよ
「個人の価値観に意味はある」だと省略しすぎて主張を認めることが前提と読めるぞ
あと意味が指すものが曖昧なのでどういう意味があるという視点を持つのか提示してほしい

>俺は自身にとっての意味や個人間・小さなコミュニティの範囲での意味はこれまでに認めている
撤回するまでもなくレイヤーで分かれてとか言っているときから認めているぞ
ぱっと出てきたとこだと「ネット民の評価を指標化できればネットコミュニティという範囲では価値になる」とかね

>そりゃするだろ
そういう考えが存在することや個人の思想としては問題ないが、それを前提とするのはこれまでの話は成立しないだろう
例えばもう終わったSNSとインフルエンサーの話とかも、SNSも大谷も存在するか不明なので発信主体として認められないという意見を含んで考えるわけで、SNSの機能がとか言ってた意味もないわけじゃん
これこそ議論の大前提が全部変わるレベルの卓袱台返しではないか?

>条件が成立すればそりゃ成り立つだろ
この場合の条件は何を指している?

>こちらがどう考えるかはそれを受けてになる
本当は段階的に同意を取りながら進めないと論点が散らかるので避けたいが組織は発信主体となるということを前提に進める
お前の主張は「社会的構造の中で認定された評価であっても個人の価値観に内包されれば他の評価と一律で横並びになる」というものだ
ここで組織も発信主体になるのであればどのような評価も個人の価値観に取り込まれるから上下が存在しないと言う考えは成り立たなくなる
ではどのように上下が決まるのか
組織と言っても会社、国、国際組織など様々な規模がある
ここには人間社会の構造から層があり、そのため発信された情報の重さが異なる
例えばアニメの待遇を何とかしろって話はよくあるが、個人、会社、国の誰が発言するかによって重さが違う
国は会社に指導することができるし、会社は社内であれば個人に指導ができるのでこの権限から重さが生まれている
こうした構造によって個人の意見と組織の意見は異なる層に属するし社会的な重みも変わる
0
238. 名無しのあにまんch 2024年07月15日 02:08:41 ID:Y3ODk0NDA
>極論、そもそもSNSをやってなければSNSの情報を受けて個人からの出力は無い
受信あっての出力か
俺は個人視点においても他が受信していて「出力するもの」として認識があれば自分が受信しなくとも成立すると考えた

>正直わざと惚けているのか?と思ったのはもう一度や二度ではないんだが
具体的に指し示してくれれば助かるのだが

>世界全体で共通認識となっている西欧知性主義 が過言ではないか
この段階では一般的な表現が何なのかしっかりは認識してなかったからな
英語も調べたが翻訳としてエリート主義が日本では使われていたので最終的にエリート主義に統一して話を進めたが俺の意図する言葉の意味は変わっていない

>改めて問うがそんな曖昧ならどうしてテキストに準拠してエリート主義のみで書かなかった?
だって聞いた言葉が普遍的かどうかは問題でもなければ検証しないだろ
疑うのはしょうがないと思うが、そこで問題視されたおかげで言葉を検証したとも言える

>手元に無いのに書いてあると断言したのか?
昔図書館で読んだんだよ

>こちらが聞いてる意図を何故そちらが勝手に決める?
俺はそういう意味のトピックと理解して質問に答え続けていたが
違う意図があったならそれは伝わっていなかった可能性もある
というか一連の会話でもそうだが定義とか意図は確認しながら進めないと双方の理解がすれ違うのはいくらでもあるんでお互いに意味が分からなければ確認作業を取った方がいい

>だから勝手にこちらの意図を決めていいとはならんだろ
上記ゆえの確認作業だ

>約21億6000万ドルのうち、日本のコミックの売上げ
探したがマジで見つからない
申し訳ないが探し方か出典を教えてくれ

>こちらからはそもそも一例で全てにケリがつくみたいな丼勘定やめないか?って話なんだよなぁ
もともと提示されたのは「無政府状態では行政が機能不全を起こし、個人の方が大きくなり略奪者が出る」だろ
それに対しては俺側はソマリアは違うと示すことは反論としては十分なはずだ
頑張れば他にも同じように無政府状態で集団が社会を形成する例をいくらか並べることはできるかもしれんが正直めんどうだ
どこで納得するんだって話でもあるし少なくとも悪魔の証明までいくと無理だ

>ただその成立過程を無視して個人の価値観により発生する歪みを無いものとして扱うにはLGBT関連のトラブルのうち性自認問題の多くが個人毎のものという点は看過できなくないか?
なるほど、問題視してる部分を理解した
国際的な承認された先の国ごとの問題については言う通りだわ
多くの国が曖昧な施策で進めてるせいで具体的ルールについては個人の価値観による歪みが取り入れられて問題が生じているのは認める(誰もやってきてないからすぐに最適なルールが作れないと言う面はあるが)
そういう意味では方針自体は認められるべきだと考えるが、具体的ルールに対して民衆が声を上げるのはとても効果的だと思う

>こちらとてお前呼ばわりされる所以も理由も無い
お互いの意思が対立したらそれぞれが思う通りにすればいい

>人の嫌がる言葉を、嫌がられていると自覚した上で使うのは十分攻撃的では?
結果として攻撃的に受け取ったかではなく、一般的に攻撃的な言葉を使っているかを聞いていたんだ
受け手次第で攻撃的かの基準があるんなら例えば俺が敬語使わないことが攻撃的だとも言えるだろ
問題視された「俺はプラスだが」も一般的にはただの感想だ
それが受け手によっては文脈から攻撃と捉えられているわけだ

>もう既に解答した筈では?
ここを返されても困る
まるで俺がお前のことを暴力的だと訴えているような解釈をされたからそのような意味ではないと説明を戻しただけだろ

>否定から入る事への想像力の欠如
え、否定から入ることは何か禁止されているのか?
掲示板じゃ日常茶飯事だし日常的な会話にすらいくらでもある
不快に思う奴はいてもそれを禁止したり制限していいなんて定めはない
こんなんよくで貼られる「エスパー魔美」の「あいつはけなした!ぼくはおこった!それでこの一件はおしまい」ってやつだろ

あと何度か俺が社会優位の思想だからというが、前にも述べたように俺の考える健全な社会はそれぞれが制限されない社会だ
当然、犯罪などを定める一定のルールはあっても道徳まで定められる社会は健全ではないと考えている

>否定から入らない言い回しも選べただろ
最初は気軽にレスしただけだぞ
普段からそういう言葉遣いの奴じゃないと無理だ

>それに対する義務を求められる事もあるだろうよ
それは義務ではなくて要求だ
義務までいくと従う必要が生じる

>謝罪や撤回をする主体性がそちらにもあった訳だ
そうだな、ここで謝罪や撤回をすることはできた、今でもできる
ただし俺はそうするべきではないと考えている
なぜなら上記のように否定の意見は暴力と同一視するべきではなく制限されるべきものでもないからだ

>社会維持の基礎である和を乱さない事
社会の基本は競争による発展だ
少なくとも今我々が属する資本主義社会では

>他人を不快にしていい権利があるなら犯罪は存在しない
不快にすることと犯罪には明確に法の線引きが存在する

>自由と好き勝手を履き違えた人間にとってはこの世はディストピアだろうよそりゃ
法と道徳は同一視するのはマジでヤバいぞ
ここは本当にお前のためを思って言うが実社会とのギャップで生きづらくなるだけだから考え直せ
社会に怒りが無限に沸くだけだぞ

>故意でなくとも過失傷害は成立するので
それは暴力の話だろ
否定意見の表明(not暴言)と暴力がイコールであることを示さなきゃ同一視できないぞ

>であればこちらとしても「万人漏れなく個人の価値観は無意味」の撤回を求めるのみだ
順序で言えばお前は掲示板越しのモラハラが成立するかを説明すべきだ

>現に俺は価値観を君に否定されているが?
そこじゃねえ、モラハラの基準の話だ
某モラルハラスメント被害で使われた言葉と俺が使った言葉を並べたときに「価値観の否定」に含まれてる意味が明確に違うと言っている

>当然害されたなりの対応になるのも自明の理だろ
怒るのは当然の権利で要求するのも権利だ
だがそれにどう応えるかは俺の権利だ

>お前呼びが罵倒相当という話を散々してきた筈だが
それを示すにはまず掲示板越しで成立するかを証明する必要があるな

>一方通行で議論をする気がなく絶対に認めないという結論あり気なのはそちらではないか
いやいや、議論で得るものがあったかの話だし、SNS論でのお前の新しい意見を認めたうえで学びに感謝すると言ったんだぞ
議論してお前の主張を俺が認めてんだから結論ありきじゃなかったな?
0
239. 名無しのあにまんch 2024年07月15日 14:34:49 ID:k0MzM2MA=
>>238
>だったら最初からそう言えよ
最初からそう言ってるものへの不理解をこちらに転嫁するなよ

>あと意味が指すものが曖昧なのでどういう意味があるという視点を持つのか提示してほしい

重視しない人間にとっては受賞したかも知らん可能性がある賞だの批評家の称賛より鑑賞した事で抱いた実際の感想の方が作品に抱く想いの重さや、自作の創作物へ影響を及ぼしたり信条や価値観、嗜好などを決定づけて未来を左右しうるなど「その作品を鑑賞したからこそ得られたもの」にはそれがなければ起き得なかったかもしれない事を起こした意味がある
極論、人格や人生観すら左右するものだ

>俺は自身にとっての意味や個人間・小さなコミュニティの範囲での意味はこれまでに認めている

であれば個人の価値観は無意味と評すべきではないだろ

>それを前提とするのはこれまでの話は成立しないだろう

俺がそういう人間、そういう価値基準の人間なのとそういう価値基準の人間の人間を認めているのは別の話だろ
そういう人もいるから実害が無い限り個人の信条や価値観は自由にすればいいという主張には変わりない

改めて聞くが他人は全員自身と同一規格と考えているのか?
あるいは彼我に境界があるという認識がないのか?

>SNSも大谷も存在するか不明なので発信主体として認められないという意見を含んで考えるわけで

‘俺が’そんな主張をしたか?
俺は議論においてはそういう主張を“相手が”するのを容認するって話がなんでそんな論旨になるんだ?

>この場合の条件は何を指している?
寧ろ俺が聞きたいよ。存在すると主張してるのはそちらはなんだから

とはいえ大雑把な話になるが「仮説にしろ実際そうにしろ成立しうる為に必要な条件として主張されているもの」辺りが強いて言語化すると近いか?
あるいは、結論(持論)とそれに至る理由(持説)を提示してもらった上でそれが成立しうる前提条件の共有として「条件次第ではどんな仮説も成立し得る(から逆説的に論旨に関わる)」のでまずは一旦条件を聞かなくては否定は早い

>お前の主張は「社会的構造の中で認定された評価であっても個人の価値観に内包されれば他の評価と一律で横並びになる」というものだ

いやだから勝手に決めるなよ
「社会的構造の中で認定された評価であっても個人の価値観に内包された際には個人の信条や基準といった理由から他の評価と一律で横並びになる場合も上下どちらにも、あるいは存在すらしない事も起き得る」


>組織は発信主体となるということを前提に進める
>ここで組織も発信主体になるのであればどのような評価も個人の価値観に取り込まれるから上下が存在しないと言う考えは成り立たなくなる

もう既に言った事を繰り返し言うのもあれなんだが「個人の基準によってはそれも起きうる」と既に言っているが

>ではどのように上下が決まるのか

抜粋を意訳した形になるが

2017年の文化芸術基本法改正で
「我が国の文化芸術の振興を図るためには、文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重することを旨としつつ、文化芸術を国民の身近なものとし、それを尊重し大切にするよう包括的に施策を推進していくことが不可欠である。」というかたちに変わり

国は助成を行う場合も採択をピア・レビューの専門家に委ねるという姿勢であり、「内容不関与の原則」として強調されている

必ずしも国が関与できるものでもない
加えて会社からの関与も携わった人間次第では地位の関係でそもそも指導側そのものもありうる

>俺は個人視点においても他が受信していて「出力するもの」として認識があれば自分が受信しなくとも成立すると考えた

受信した他人を媒介と判断する価値観の持ち主の場合はこちらも出力と認める

>具体的に指し示してくれれば助かるのだが
痺れを切らしてわざとか?と確認したものだけでもオーダーメイドから「のように」を消した前提で話した件と、独創性で読み解けというのは無茶だと言った件がある

>この段階では一般的な表現が何なのかしっかりは認識してなかったからな
こちらより識者である筈のそちらすらしっかりとした認識が確認できていなかった時点で、最初から世界全体で共通認識となっているがやはり過言だったのではなかろうか
その点からそちらの持論の根本的な部分から疑問が生じるのだが

>聞いた言葉が普遍的かどうかは問題でもなければ検証しないだろ

その、なんだ。聞いた時点では検証しなかったのか?裏取りとか確認とか深掘りとか

>昔図書館で読んだんだよ
正直、物凄く釈然としないが了解した。確認でき次第追記する

>俺はそういう意味のトピックと理解して質問に答え続けていたが

何度も違うって訂正していたと思うが

>というか一連の会話でもそうだが定義とか意図は確認しながら進めないと双方の理解がすれ違うのはいくらでもあるんでお互いに意味が分からなければ確認作業を取った方がいい

いやだからこちらは基本的には「~ではないか?」「~じゃないのか?」「~なのか?」と疑問系で聞いているんだが
確認作業を取った方がいいと言いながら何故、度々こちらを勝手に断定したんだ?

>上記ゆえの確認作業だ

だったら断定口調で書かず疑問系で書けばいいのでは?

>申し訳ないが探し方か出典を教えてくれ

自動ニュース作成Gというサイトの記述からの抜粋においては

北米(アメリカ・カナダ)んのコミック市場売上21億60百万ドル(約3200億円)の詳細はグラフィックノベル15億70百万ドル+コミックブックス4億35百万ドル+デジタルコミックス1億55百万ドル(定額読み放題収入や広告収入は含まれていません)の合計です
そのうち、乱暴な単純計算だと日本の漫画が45%含まれるグラフィックノベルの売上げ15億70百万ドルに対して45%(グラフィック)で計算すると約7億0650万ドル
ただ45%が売上げなのか出版の割合なのかで不明なので(後者だと単価の違いからズレが生じる)

なので元の記事ICv2: Covid Surge in Comics and Graphic Novel Sales Crested in 2022に飛んでmangaで検索して翻訳にかけて
Manga, Author, and Superhero sales all grew about the same amount, 9-10%.
マンガ、作家、スーパーヒーローの売上はすべてほぼ同じ量、9 ~ 10% 増加しました。

この記述から2021年の売上げを調べれば逆算できるので次に2021年の売上げを調べて引っ掛かったジャーナリストのnoteから抜粋

(2022年の)The NPD Group/NPD BookScanの正式なマンガ売上げの発表数字を手にいれました。
伸び率は前年比160%増(2.6倍)で「Comics Beat」の記事より小さめです。
また売上げ金額が出ていました。前年比2億1800万ドルの増加、逆算しますと2021年の売上高は3億5400万ドル(約400億円)になります。700億円よりはだいぶ小さいです。ただこの数字は北米でなく米国のみ(カナダを除く)、またNPDのカバーしない流通が含まれていません。(NPDのカバー率は8割程度) ですが700億円に届いてない可能性も高そうです。


3億5400万ドル(逆算結果)+2億1800万ドル(に対する増加分)で低く見積もって5億7200万ドル
記事の文脈的に北米全体比で見て700億円の売上げがあるかどうからしいので当時のレートで約8850(35400÷4)×7=約6億1900万ドル
これが2021の話なら前述の翻訳結果からおおよそ10%増なら約6億9000万ドルで最初に売上げの45%で計算した約7億0650万ドルにかなり近い数字なので円とドルの推移による誤差の範囲として推定売上げの45%
ただし700億円が2022の話なら売上げではなく発行部数の45%と推定される為に幅が出る
なので21億6000万ドルに対して最低保証として5億7200万ドル
低く見積もっても1/4以上の市場となる

>それに対しては俺側はソマリアは違うと示すことは反論としては十分なはずだ

そうでないケース‘も’あるとしてなら確かに十分だ
ただし反例があるからそうでないケース“しか”ないみたいに言うのは止めないか?って話なんだが

>国際的な承認された先の国ごとの問題については言う通りだわ

その上で先にも書いたが国家や社会が問題を受けて法令や州法等の形で影響力がある事をこちらも否定はしていない

>お互いの意思が対立したらそれぞれが思う通りにすればいい

それでも最低限度の道徳や倫理から外れるのを良しとするのは社会的と言える範疇ではないだろ
社会優位を謡いながらそこを尊守せず意図して他人を傷つけるのをよしとするのだね?
であれば個人の思想で社会が上位に来るという構造論に反するではないか

>結果として攻撃的に受け取ったかではなく、一般的に攻撃的な言葉を使っているかを聞いていたんだ

そもそも最初に「ハンバーガーを例に出してくる奴には残念だが評価する資格がないんだよ」というそちらの攻撃的な言葉に始まり

抜粋になるけど
『議論に対しての持論では相手は一人に絞って喧嘩腰にした方が食いついてくれる確率が高い』

>攻撃的態度『お前の中に反発があるからこそ続いてるので今の状況は成功だよ


攻撃的で喧嘩腰であると自認した上で意図的に使っていたと自分で認めているようだけど

>俺がお前のことを暴力的だと訴えているような解釈をされたからそのような意味ではないと説明を戻しただけだろ

こちらが暴力的ではないとそちら認識している前提で話を進める

>え、否定から入ることは何か禁止されているのか?

言い回しや言い方を考えようねという話だけど

>こんなんよくで貼られる「エスパー魔美」の「あいつはけなした!ぼくはおこった!それでこの一件はおしまい」ってやつだろ

それは芸術とそれに対する評価の話だね。ケースが違う。エスパー魔美、読んだ事や観た事はある?
もしかしてコマだけ見て前後を把握してないんじゃないか?

創作者が責任持って自己の作品への評価を悪いものであれ真摯に受け止めるのと(作中)、相手が怒ればそれでもうこちらの知ったこっちゃないという無責任(誤用)とでは全然違う
原作の本意を捻曲げて都合良く使いすぎだ

>あと何度か俺が社会優位の思想だからというが、前にも述べたように俺の考える健全な社会はそれぞれが制限されない社会だ
>当然、犯罪などを定める一定のルールはあっても道徳まで定められる社会は健全ではないと考えている

では何故、道徳の授業があると?
貴方の持論であれば『俺の考える健全な社会』ではなく『皆の考える健全な社会』、あるいは『知的エリートの考える健全な社会』でなければ普遍的な社会的評価や社会的価値が上位に来るという根本が崩れる
それともまさか、自分こそが普遍性を定義できる知的エリートだと?

>普段からそういう言葉遣いの奴じゃないと無理だ

車の免許は所持してる?
かもしれない運転という概念はご存知?

>それは義務ではなくて要求だ
他者を傷つければ義務が生じる事があるという普遍性の話だけれど?
服役や罰金も義務ではなく要求なのかい?

>否定の意見は暴力と同一視するべきではなく制限されるべきものでもないからだ

否定の仕方には制限があるという普遍性の話でもあるが?
上記のように自分の目的の為に攻撃的で喧嘩腰な否定は暴力だよ

>社会の基本は競争による発展だ。少なくとも今我々が属する資本主義社会では

資本主義による消費文明と社会維持の為に和を尊ぶ事は矛盾しない
競争、発展の為の暴力は物理であれ言葉であれ認められていない

少なくとも日本は発展の為には他人を殺して良い、害して良いと認められている社会ではない

ひょっとしてあれか。何故人を殺してはいけないか答えられないタイプなのかい?

>不快にすることと犯罪には明確に法の線引きが存在する

仮に、だとしても他人を不快にしていい権利はない
相手の不快にされたくないという主権の侵害だからだ

>法と道徳は同一視するのはマジでヤバいぞ

暴言だね
加えて法と道徳を同一視はしていないよ。他人を害してでも自分本位に目的を果たしたい好き勝手とルールを守ってやれる範囲で自由に過ごす事の違いを指摘しているだけなのに

>実社会とのギャップで生きづらくなるだけだから考え直せ

こちらが何年それを抱えて生きていると?

>社会に怒りが無限に沸くだけだぞ

俺は常に怒り狂ってる。理不尽に、不条理に、不合理に
怒りながら可能な限り他人も尊重できればそれが一番良いと思っているが


>それは暴力の話だろ。否定意見の表明(not暴言)と暴力がイコールであることを示さなきゃ同一視できないぞ
>順序で言えばお前は掲示板越しのモラハラが成立するかを説明すべきだ
>それを示すにはまず掲示板越しで成立するかを証明する必要があるな


某弁護士事務所のサイトからの抜粋と共にまとめて解答するが


名誉毀損・侮辱罪

一方、SNSやインターネット上の掲示板への投稿、ブログのコメント欄への投稿などでされた侮辱行為などは誰もが見ることができるため、侮辱罪の成立要件を満たす可能性が高いでしょう。

>掲示板越しで成立するか
もちろんメチャクチャ成立する
書き込み(言葉)であっても


>言葉の暴力の行使があった場合、以下の犯罪が成立する可能性があります。まずは一覧表でみてみましょう。傷害罪・名誉棄損罪・脅迫罪・強要罪・恐喝罪・威力業務妨害


先んじて書いておくが
>強要罪は、相手を脅迫して義務のないことを強制的にさせる犯罪です。脅迫にプラスして何らかの義務のないことを強要した場合に強要罪となると考えましょう。
強要罪の成立は脅迫も伴う場合だからな?

加えてモラルハラスメント(モラハラ)の定義に関しても抜粋するが
>倫理や道徳に外れた、反する、精神的な暴力や、言葉や態度による嫌がらせのことです。

道徳や法律を同一視してるんじゃない。道徳に反する事が結果的に法律に反する事と重なるケースもあるから避けるべきだと言っている

その上で
>モラハラ行為の悪質性によっては、脅迫罪や強要罪、侮辱罪、名誉棄損罪が成立し、刑事責任を問える可能性があります。 刑事責任を問いたい場合は、準備のうえ告訴しましょう。

『法と道徳は同一視するのはマジでヤバいぞ』とも侮辱を受けたし、個人の価値観に意味はあるという主張へ『評価する資格がないんだよ』という侮辱も受けた
害意があったのも上記の喧嘩腰と攻撃的な言動を手段として用いたとしてそちらも認めている
予め断っておくが侮辱か否かを決めるのはそちらではなくこちらだ

君の好きな社会の定めが保証してくれている


>某モラルハラスメント被害で使われた言葉と俺が使った言葉を並べたときに「価値観の否定」に含まれてる意味が明確に違うと言っている

違わないね。個人の価値観に意味を見出だし創作に敬意を。こちらの人格や人生観に根差した持論なのは既に述べのを受けてもそちらが撤回しないのだから

>だがそれにどう応えるかは俺の権利だ

上記に対してその答えだから暴力なんだよ

>議論してお前の主張を俺が認めてんだから結論ありきじゃなかったな?

一部でも認めれば結論ありきでないとするならばそちらはこちらを結論ありきと言ったのがおかしくなるが?
0
240. 名無しのあにまんch 2024年07月17日 00:49:27 ID:YyMTU4NzI
>>239
>最初からそう言ってるものへの不理解をこちらに転嫁するなよ
いやいや、言葉が省略されてるでしょ
穴埋めして読み取れなかったことを不理解と言われても困る

>極論、人格や人生観すら左右するものだ
前提は「個人の価値観に意味はあるという視点を持って思考してみるなら考える」だな
個人の価値観(評価・感想)に(その後の人生に影響をおよぼす力があるから)意味はあるという視点に立つならば、まず俺個人にとっては最大級に意味があると思う
また、小さなコミュニティーについては同様に自分の価値観が影響を及ぼせるので意味を持たせようとするだろうし、実際に評価を伝道するので意味はあるだろう
それ以上の大きな範囲についてはネット経由などで評価を伝えることで遠くの誰かが影響を受けてくれたりしたら嬉しいがあくまで期待に留まり、それ以上に社会に影響を及ぼすとか大それたことまでは思わない
つまり社会に影響は求めず個人間までの範囲では個人の価値観は意味を持つということになるので基本的にはこれまでの考えと変わらない結果となった
違いとしては周囲への影響力がめちゃくちゃ高くなるイメージは湧いた

>であれば個人の価値観は無意味と評すべきではないだろ
すごく思い入れがあるからこれが最高だって言っている個人がそれぞれ好きな作品挙げても優劣ってつけられないじゃん
社会が評価をつける際にはとても引いた視点に立ってこうした個人の思い入れというのは考慮外にする必要がある
なので社会的な評価においての無意味を主張している
個人にとって意味はあることが、社会的は無意味と言うのは両立するはずだ

>そういう価値基準の人間の人間を認めているのは別の話だろ
そういう価値基準の人間がいることは俺も認めている
普通に哲学であるやつだし
俺が疑問を呈しているのは、そういう人がいるから個人以外が発信するというのをYESともNOともできないとしたことだ
全て個人の発信になるのか、それとも個人以外を発信主体とするのかという前提について双方の合意を目指したのであって、世界が存在しないレベルの思想を考慮すると前提条件が何も定められない
また米とパンとか出すけ「米は主食だがパンは主食になるのか?」という質問にまずパンは実際には存在しえないという思想を持った個人がいるから決められないと答えられても困るだろ

>「仮説にしろ実際そうにしろ成立しうる為に必要な条件として主張されているもの」辺りが強いて言語化すると近いか?
トピックは「発信主体に人以外が成りえるのか」だからその場合には合意で発せられた意見を個人の意見の集合ではなく組織の意見とすることが条件になるか
まぁこのトピック自体が前提として出したものなので何処まで遡る必要があるのかはそちらの反論次第だ

>「社会的構造の中で認定された評価であっても個人の価値観に内包された際には個人の信条や基準といった理由から他の評価と一律で横並びになる場合も上下どちらにも、あるいは存在すらしない事も起き得る」
そうだな、一律でもなくて重みも変わるということは記述漏れした

>もう既に言った事を繰り返し言うのもあれなんだが「個人の基準によってはそれも起きうる」と既に言っているが
まず上の哲学を考慮するかどうかであれば何も前提が出来んので避けたいがここは上とくっつけたほうがよいかもしれん
文化芸術基本法改正の話は「専門家の判断に任せることを国が定めた」と理解した
最終的な決定自体はその専門家によるものであっても、専門家の選出は国によるものであり、この手続き自体は国が承認した流れと思える
この評価(助成を決定すること)の責任で言えば国にあると思うぞ

>受信した他人を媒介と判断する価値観の持ち主の場合はこちらも出力と認める
「媒介と判断する価値観の持ち主」としたところに考え方の違いが出ているな
全ての個人を考慮する徹底的な個人視点主義か、総体としてしか個人を見ない社会視点主義か
これをどう擦り合わせるかだが、上に書いたように個人視点主義にたっても俺は「個人にとって、または個人が寄与できるコミュニティ内では価値がある」以上を認めるのは無理だ

>痺れを切らしてわざとか?と確認したものだけでも
ここは「上記参照」で何処を指しているのか分からないと言う意味だ
今は話が進んで突飛な個人も考慮するからYESNOでは答えられないという意味だと理解できた

>最初から世界全体で共通認識となっているがやはり過言だったのではなかろうか
実際に海外に行って聞いたわけでもない立場から芸術評価の世界での共通認識がそうであると聞いただけで本当にそうであると断定したのは過言だったことは認める
とはいえエリート主義による文化評価がある程度は大きなウェイトを占めているのはこれまでに出したもので認識はできるだろ?

>聞いた時点では検証しなかったのか?
へーそうなんだって受け止めたよ
全部検証するのは現実的に厳しいのでよほどおかしくなけりゃ正しそうな場で聞いた話の裏取りはしていない

>何度も違うって訂正していたと思うが
違うとは言われたが具体的に何を問題視しているのかがわからない
単に嘘がないかってことか?

>確認作業を取った方がいいと言いながら何故、度々こちらを勝手に断定したんだ?
まず俺が多用している「だろ」「だな」は確認の意が込められている
「~~ということになる」とかも同じだ
断定は多分俺が理解したと認識した部分だと思うが断言はできない

>だったら断定口調で書かず疑問系で書けばいいのでは?
疑問形は基本的には回答が欲しいときに使っていて上記のようなものは問題なければ回答はいらないということだったんだが、まぁ伝わってないのであれば意味はなかった

>自動ニュース作成Gというサイトの記述からの抜粋においては
よくこんなの見つけられたな
教えてもらったところから遡って色々と見ても他の日本語サイトだと内訳金額は載ってなかった
しかも原文のサイトの記事本文にもこの数値が載っていなくておまけの画像にだけこっそり掲載されてる
細かい計算も確認させてもらってこちらでも考えてみたが1/4~1/3程度なのはズレてないと思う
ちなみに2022年の45%は「Around 45% of all the graphic novels sold in the U.S」なので発売数と読み取れる
正直、よく探してきたと思うし算出したことにも敬意を表するわ
なので議論だと思う部分は続けるがお前呼びはやめる、すまなかったな

>ただし反例があるからそうでないケース“しか”ないみたいに言うのは止めないか?って話なんだが
わかった、意図は変わらんがこういうパターンの時は言い方を配慮して、「そうでないケースも見つかった」と表現する

>その上で先にも書いたが国家や社会が問題を受けて法令や州法等の形で影響力がある事をこちらも否定はしていない
このように会話で擦りあわされてお互いに納得できるのはとても良いと思う

ここからはダブってるところがいくつかあるので全体をまとめさせてくれ
■道徳について
>最低限度の道徳や倫理から外れるのを良しとするのは社会的と言える範疇ではないだろ
>では何故、道徳の授業があると?
>服役や罰金も義務ではなく要求なのかい?
>好き勝手とルールを守ってやれる範囲で自由に過ごす事の違い
まず道徳自体には法的強制力はない
そりゃある程度の道徳を多くの人が備えたほうが暮らしやすい
だけどもそれを遵守しないことを咎める権限は誰にもない
なぜなら道徳はマナーであってルールではなく、ルールは法のことだからだ
たしかに反道徳が行き過ぎれば法に引っかかって捕まって罰を受けるが、そこにはラインがあって法に引っかからなければ現実的にはお咎めなしだ
服役や罰金についても法のラインを超えたから義務が生じているのであってそうでなければ要求に留まる
つまり最低限度の道徳は法のライン以上ということで、これについては「法は最小限の道徳」という言葉もある
参考までに「ハート・デヴリン論争」では道徳の非犯罪化についての見解が争われ道徳の法的強制を唱えたデヴリンが負けたことが影響を与えている
現在の社会ではこのように法が設定されているので『健全な社会』とは法規制までであって道徳を強制しない範囲に留められている

■暴力と否定の意見について
>否定の仕方には制限があるという普遍性の話でもあるが?
>相手の不快にされたくないという主権の侵害だからだ
>名誉毀損・侮辱罪
否定の仕方にはたしかに制限はあり、例えばだが「脳なし」とか「浅はか」とかの言葉を使えば侮辱になるだろう
ただし、俺はそうした言葉は一切使ってなくてむしろそちらが多用している状態だ
俺の言葉で当てはまるとしたら「ハンバーガー」のところぐらいだがここもそちらが先に皮肉ってる流れだ
ちなみに前にも言った通りここは経済的評価と文化的評価を混同していると読み取れたのでそういう返しになっている
その他の言葉も多少は攻撃的であれ侮辱に当たるものではなかろう
俺の言葉は明確に罵倒・侮辱とされるラインを超えたのかが疑問だ
また、不快にされないという主権というのは存在するのだろうか

>違わないね。
>上記に対してその答えだから暴力なんだよ
並べると以下の通りだ
・「その頭はかざりなのか!?」等の罵倒による価値観の否定
・「個人の価値観に意味はない(個人間等は認める)」という価値観を否定する意見表明
言葉の意味においては明らかにこの二つは違うものだ
また、個人の価値観の重視がそちらの持論であることは認めているものの俺が表明した意見の中には社会的視点における個人の価値観の否定が含まれる
なので納得がなければこちら側も持論を撤回できない

>言い回しや言い方を考えようねという話だけど
>かもしれない運転という概念はご存知?
そこまでいくと口調を強要していることになって道徳の強制になると俺は考える

>創作者が責任持って自己の作品への評価を悪いものであれ真摯に受け止めるのと(作中)
意見の否定に対して怒ったうえで真摯に受け止めようではだめなのか?

>こちらが何年それを抱えて生きていると?
個人的な事情には介入しないが世の中にクソがたくさんあるのはわかる
それでも個人的には許容した方が楽だと思うが

>『法と道徳は同一視するのはマジでヤバいぞ』とも侮辱を受けた
これはマジで善意からの言葉だぞ
侮辱と受け取られるなら俺は不本意で残念だ

>一部でも認めれば結論ありきでないとするならばそちらはこちらを結論ありきと言ったのがおかしくなるが?
流れ見直してみたら俺が「結論ありき」って言ったのすごい前の全然別の話じゃないか?
この部分では煽った疑惑をかけられて議論に関係ない話をしてるから「結論ありき」だとされたんで議論して認めてるだろと答えた
まぁどっちも結論ありきじゃないでいいだろ
0
241. 名無しのあにまんch 2024年07月17日 14:04:20 ID:g4ODc2OA=
>>240
>いやいや、言葉が省略されてるでしょ
寧ろわざわざ省いて前提としての価値観の撤回というゴールと全撤廃は分けて示したろ

>社会的視点
その上でこちらも社会的視点に立った話をすると、仮に何かの審査を依頼された場合にそのレギュレーションに添って可能な限り私情を排するべきとは思うけれど、どうしても主観による良し悪しが混じる気がするのでそれでもよいか先方に確認を取る事になると思う
そういう意味ではそちらの言う上下構造にそぐわないのではないか?

こうした個人の思想で全体を否定できるのであればこちらが社会的視点を仮定して出した結論でそちらも間違っているとしてしまえるのだから根本的に「自分がこう思うのが根拠で正しくない」を認めてしまうなら社会的評価が上にあるというのも間違いになってしまうだろ

>つまり社会に影響は求めず個人間までの範囲では個人の価値観は意味を持つということになるので基本的にはこれまでの考えと変わらない結果となった

奈須きのこが武内社長にブギーポップを差し出されて「お前がやりたいのはこれだ」と価値観・作品の方向性を示された結果、作家活動を続けて今では社会に影響を与えている
個人が社会に影響を与えないという前提、イメージありきで前例がないか調べないのは結論ありきではないか?

そもそもずっとそちらは返答を避けてるけど会社の社長などの社会的立場の人間が持つ個人的価値観は影響を及ぼし得るというか創作に限らず新たなスタンダードを作ってきた経営者達という先例が居るのでは?

>すごく思い入れがあるからこれが最高だって言っている個人がそれぞれ好きな作品挙げても優劣ってつけられないじゃん

優劣を必ずつけなければならない場でのレギュレーションとは別問題では?
加えて言えば貴方の信奉するアカデミー賞も部門毎に「これが最高!」と言っている個人の同業者達がそれぞれ好きな作品挙げて選出している訳だけど

加えて繰り返すけど個人がそれぞれ好きな作品挙げてお金出して購入してセルラン等で経済的側面から社会的評価の優劣を生んでるのでは?

>なので社会的な評価においての無意味を主張している

であれば尚更に個人の価値観をいたずらに無意味と断ずるべきではなかったのでは?
このコメント欄が社会的評価を決める場でなかった事が解らないほど理解力が乏しい訳ではないだろ?

>個人にとって意味はあることが、社会的は無意味と言うのは両立するはずだ

レギュレーションによっては同意するがその反面、両立する事と必ずしもそうなるという事は別だ
極論、競馬において血統などの競馬社会での評価に対して個人にとっての意味や価値を優先して残した血統からGⅠ馬(優秀な結果)が発生し得た例も、アメリカやイギリスの社会的評価で低い価値とされた馬を輸入して優秀な血統が新たに生まれ得た例もある
個人の価値観から新しい価値観が生まれたのは他の分野においても数多ある。PCに対するOSしかり、通販の流通システムしかり

>世界が存在しないレベルの思想を考慮すると前提条件が何も定められない

だからと言って相手の前提条件を無視したり勝手に決めたら議論にならないのでは?
それこそ場合によっては互いに『話にならない』と議論以前に合意に至るかもしれないのに

>「米は主食だがパンは主食になるのか?」という質問にまずパンは実際には存在しえないという思想を持った個人がいるから決められないと答えられても困るだろ

その例えで言うならこちらは「パンや米を主食としない文化圏がそもそもあるしパンや米が存在しない食文化もあるから、相手の前提に合わせる」という話だろ
アフリカには牛乳を主食とし、最近ようやくトウモロコシ粉の蒸しパンらしきものやオートミールらしきものを食べ始めた部族がいるらしい
だから前提として相手にまずパンや米の概念があるか確認するまでイエスともノーとも言わないし、そちらが話したい事があるなら「在る前提でひとまず進めてくれ」と言ったろう

それが悪いって話じゃないが社会に個人(自分)の価値観は影響を与えない、パンも米も食べ物としてある。そちらはそうした自分視点の前提のみで話しすぎる
こちらは自分以外の視点もある前提で話している

>トピックは「発信主体に人以外が成りえるのか」だからその場合には合意で発せられた意見を個人の意見の集合ではなく組織の意見とすることが条件になるか

ひとまずは了解した
とはいえその条件なら民主制の政治形態が近いか?
選出された議員等の意見を投票した段階で有権者の合意とみなすかによるが

>この評価(助成を決定すること)の責任で言えば国にあると思うぞ

それは助成に限定した話で全てではないだろ

『加えて会社からの関与も携わった人間次第では地位の関係でそもそも指導側そのものもありうる』
これに対する返答も無い

>個人視点主義にたっても俺は「個人にとって、または個人が寄与できるコミュニティ内では価値がある」以上を認めるのは無理だ

それはその個人の設定を自分に限定するからでは?

>とはいえエリート主義による文化評価がある程度は大きなウェイトを占めているのはこれまでに出したもので認識はできるだろ?

権威的な、あるいは専門性の必要な社会評価におけるウェイトは認める
というか個人の基準次第では個人の価値観の上にある場合もあると認めてる旨は何度か書いたはずだけど

>全部検証するのは現実的に厳しいのでよほどおかしくなけりゃ正しそうな場で聞いた話の裏取りはしていない

まぁこの辺りは性格の違いか

>単に嘘がないかってことか?

論旨としては新潟の件で言葉の実在性が証明された事とノエル・キャロルが実際に著作で使用したかの因果関係は何も繋がっていなかっただろうという指摘

>まず俺が多用している「だろ」「だな」は確認の意が込められている
釈然としないが、一応は了解した。個人的にはその意で使うのであれば「?(ハテナマーク)」を末尾に付けた方が誤解を招かずいいと思うけれど

>すまなかったな
であれば
0
242. 名無しのあにまんch 2024年07月17日 14:23:43 ID:g4ODc2OA=
>>241
■道徳について
>社会優位を謡いながらそこを尊守せず意図して他人を傷つけるのをよしとするのだね?であれば個人の思想で社会が上位に来るという構造論に反するではないか

これに何故、返答が無いのか

>まず道徳自体には法的強制力はない

とはいえ先に示した通り、外れすぎれば法的強制力が発生する
騒いで相手を不快にしていい権利を主張しすぎれば軽犯罪法の静音妨害の罪に抵触して軽犯罪法違反、程度が酷ければ傷害や暴行になる
地続きではあるんだよ

>だけどもそれを遵守しないことを咎める権限は誰にもない

程度が過ぎれば被害者側には咎める権利が発生する

>なぜなら道徳はマナーであってルールではなく、ルールは法のことだからだ
たしかに反道徳が行き過ぎれば法に引っかかって捕まって罰を受けるが、そこにはラインがあって法に引っかからなければ現実的にはお咎めなしだ

そのラインに片足の爪先をかけているとこちらは指摘した

>参考までに「ハート・デヴリン論争」では道徳の非犯罪化についての見解が争われ道徳の法的強制を唱えたデヴリンが負けたことが影響を与えている

不勉強故に初耳だったので少し調べさせてもらったが

「同性愛という合意であれば他者を害さない行為」に対しても当時の価値観として不道徳であるから他者を害していなくても取り締まるべきとしたデヴリンの主張に対するハートの反論は「その道徳観はキリスト教的な価値観であってそれに反するのが社会を崩壊させる、社会を崩壊させる行為なのか?今現にある道徳の実定道徳とあるべき道徳の批判道徳のうち、そちらの唱える前者に後者の視点から同性愛が本当に不道徳か現在の価値観で考える必要があるだろ」という指摘であって、ハートにしても他者に危害を与えないならば、そのような行為は禁止すべきでないという主張を含むのだから今回の件やそちらの訴える他者を害して良いという意見とは根本から異なるではないか

ようは「他人に実害が無いなら道徳持ち出すのダメですよね?貴方の言うような社会崩壊には繋がりませんよね?」って話をこちらという被害者がいる案件で用いるのは『道徳の法的強制を唱えたデヴリンが負けた』という一文を利用したいだけの印象操作目的での例示かさもなくば、よく読まずに字面だけで飛びついたのかと疑問を抱かずにはいられないのだけど

それが意味するのは中身をよく確認せず用いたか、中身を確認したが論旨を捻曲げて自己の意見に都合が良いように意図的に抽出したかの流石に悪質な2択になるんだが

>現在の社会ではこのように法が設定されているので

法と道徳に関してはハート・フラー論争でも論じられている上に道徳が不要という論調ではないようだけど
加えて今現在もハート・デヴリン論争は英国でたまに論文が出たりしてるらしいのに、自分に都合の良い一例だけでさも全体的にそうであるかのようによく調べもせずに挙げて騙るのをいい加減本当にやめてくれないだろうか

>『健全な社会』とは法規制までであって道徳を強制しない範囲に留められている

今回は俺という被害者がいるので話は別です

‘自身が他者を害してるのに「お前から生じている」と責任転嫁するな’
“俺はこうやってぶつけることを良いことだと思っているからな”

こちらを害しているという自認がそちらにあり
上記のハート氏も寛容し難い有害で他者危害を含む不道徳に対しては罰する立場です
加えて言えばこちらは道徳の強制ではなく道徳のラインを越えるなという指摘です

■暴力と否定の意見について

>名誉毀損・侮辱罪
否定の仕方にはたしかに制限はあり、例えばだが「脳なし」とか「浅はか」とかの言葉を使えば侮辱になるだろう

論ずる資格の無い(脳無し・浅はかな)人間と侮辱されてますね

>ただし、俺はそうした言葉は一切使ってなくてむしろそちらが多用している状態だ
例えば?加えてそちらは不快でない(実害が無い)という言質をいただいたが

>俺の言葉で当てはまるとしたら「ハンバーガー」のところぐらいだがここもそちらが先に皮肉ってる流れだ

「専門家の箔付けが無意味って話ではないよ。そういう評価や前評判は詳しくない人間の指針となり得る可能性はあるから」皮肉や否定ではない説明はちゃんとあった筈だけど
なのにそちらが資格云々言い出した

加えて謝罪を受けたから改めて挙げなかっただけでポピュリズムのレッテル張りも途中にあったよね
一度謝罪を受けた案件だから再度言及する気はなかったけど流れという話なら「お前は○○だ」というそちらからの攻撃を受けての流れもあったけどと再び挙げざるをえない

>その他の言葉も多少は攻撃的であれ侮辱に当たるものではなかろう
>俺の言葉は明確に罵倒・侮辱とされるラインを超えたのかが疑問だ

それを決めるのは言われた側だ
こちらの意見を勝手に決めるなともう何度も言ったが


>相手の不快にされたくないという主権の侵害だからだ
>また、不快にされないという主権というのは存在するのだろうか

基本的人権のうち自由権における思想の自由を背景に、ミルの自由論における危害防止原理から抜粋させてもらうが「他人に危害を加えないかぎり、個人は何をしてもよい」 というこの原則の背後には、 「各人は自分の幸福についてだれよりもよく知っているのだから、 自分のことは自分で決めるのが一番だ」 という前提がある。 すなわち、 人々は基本的には他人に干渉されない方が、 自分の幸福をよりよく追求することができるという仮定である

この考え方を下記に基づいてこちらの主権として主張させていただく

【日本国憲法第十三条】

日本国憲法第3章「国民の権利及び義務」の条文の一。個人の尊重と幸福追求権について規定する。

[補説]日本国憲法第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

【幸福追求権】

個人が幸福を追求する権利。憲法は、公共の福祉に反しない限り、最大の尊重を必要とする権利であるとしている。→日本国憲法第13条

公共の福祉に反して他者を不快にするという事は、不快にされた被害者の幸福追求権への侵害であり、自由論における危害防止原理の考えに於いても「‘他人に危害を加えないかぎり’、個人は何をしてもよい」他者へ危害を加えるという点で自由である資格を喪失している

>「個人の価値観に意味はない(個人間等は認める)」という価値観を否定する意見表明

それをこちらに『認めない』と強要するのが暴力だと言っている
「個人の価値観に意味はないと自分では思っている」
なら好きにすればいいとも散々言っているのに

>言葉の意味においては明らかにこの二つは違うものだ

『だからセーフ』かを言った側が決められるものではない
言われた側の判断によるものだ
でなければモラハラで訴えられて負ける奴はいない

>そこまでいくと口調を強要していることになって道徳の強制になると俺は考える

注意しなければ他人を傷つける犯罪者になるかもしれないという指摘だろう
「直せ」と「他者を害したり、その事で責任が生じる危険性があるから直した方がいい」は違う

>意見の否定に対して怒ったうえで真摯に受け止めようではだめなのか?

それを何故、侮辱された側が他人を不快にしてもいいと思っている相手に示さなければならない
であればそちらがしているのは不道徳の強制ではないか

>それでも個人的には許容した方が楽だと思うが

だからそちらを許せと?それこそ強制ではないのか?

>侮辱と受け取られるなら俺は不本意で残念だ

本意を理解しないままヤバイとレッテルを張る侮辱を受けた以上、後から善意と言い繕った自己保身の弁護でないと誰が保証してくれる?

>この部分では煽った疑惑をかけられて議論に関係ない話をしてるから「結論ありき」だとされたんで議論して認めてるだろと答えた

何を認めたと?


>社会の基本は競争による発展だ
>資本主義による消費文明と社会維持の為に和を尊ぶ事は矛盾しない。競争、発展の為の暴力は物理であれ言葉であれ認められていない。少なくとも日本は発展の為には他人を殺して良い、害して良いと認められている社会ではない

これに対する返答が無いようだが


>思想の自由を免罪符に他人を傷つけていいと思ってるのか?
>しょせん言葉だ、何の立場もなければ対等でいい。差別ワードとか使わなければ傷つけるまではいかん

傷つくつかないを決めるのは言う側じゃない、言われた側だ

>実社会とのギャップで生きづらくなるだけだから考え直せ

これはそちらの持論では道徳の強制ではないのか?

>某モラルハラスメント被害で使われた言葉と俺が使った言葉を並べたときに「価値観の否定」に含まれてる意味が明確に違うと言っている
>違わないね。個人の価値観に意味を見出だし創作に敬意を。こちらの人格や人生観に根差した持論なのは既に述べのを受けてもそちらが撤回しないのだから

そもそもこちらが創作に重点を置いてる価値観を持っている事はこの一ヶ月で延々と伝えて否定に対する高ストレスを伝えているのに続けているのだから害意以外の何だと言うのか

その上で問うけど、一応の謝罪とお前呼びの撤廃を受けて道徳関連の話を手打ちにするのも続行するのもこちらはどちらでも構わないけれど、どうする?
0
243. 名無しのあにまんch 2024年07月18日 23:56:18 ID:U5MjkwODg
>>241
>寧ろわざわざ省いて前提としての価値観の撤回というゴールと全撤廃は分けて示したろ
省略せず最初から全部書いてくれれば伝わってその視点にすぐ立つことはできた

>どうしても主観による良し悪しが混じる気がするのでそれでもよいか先方に確認を取る事になると思う
主観が混じるのはどんな専門家であってもしょうがないことだろう
俺が主張していた承認プロセスは、評価を普遍化する手続きとして専門家が複数で審査してそれが承認されると言う流れを示し、こうした手続きが取られなければ社会的に価値のある文化的評価は生まれないとしていた
そのためどこかで書いたと思うが専門家個人の意見は社会的評価ではないとしている
ちなみに社会的視点というのも社会全体や国全体という大きな規模で物事を考えて「社会全体で見てプラスなのか」等を考えるものなので、この視点にも極力個人的な事情を入れないことが望ましい
そして、この視点において価値だと確定できるものは社会的に指標足りえるものでなければならず、上記のプロセスを経た文化的評価は社会的な指標になるので価値を持つとしている
基本的には完全に脱個人のマクロな視点だ

>会社の社長などの社会的立場の人間が持つ個人的価値観は影響を及ぼし得る

>選出された議員等の意見を投票した段階で有権者の合意とみなすかによるが
はとても近い話だ
というか何を組織として何を個人とするかということだ
政治家が選出された立ち位置であるように社会的な立場というのを選出されたと捉えることができる
例えば会社の社長でとても名前が知られていては発言が影響力を持っている人がいたとして、裏側には組織の中にたくさんの社員がいて、そこで行われている事業の成果が個人に集約されたことで偉大な個人というブランドが形作られる
きのこの例はまず前提としてブギーポップはきのこの方向性に影響を与えたのであって能力に影響を与えたわけではないということは区分する必要がある
そのうえできのこが社会的影響を持っているのは、作品がヒットしてその作品の影響下にあるファンが多くいるからだ
一番ユーザーが多いFGOで200万人くらいで、きのこはその層に対しての影響を持つと言えるが、FGOは型月だけでなくアニプレやラセングルのたくさんの社員が関わる巨大なプロジェクトで、このブランドがきのこに集約されている面がある
月姫の頃は個人でPCのFateは少数の組織で影響力もそんなに大きいものじゃなかった
それが今や巨大な影響力は持つようになったのは上記のように組織の力が個人のブランドに転嫁されているからだ
ちなみにきのこは表に出てこないので微妙なところもあるがもっと端的な例ではカラー庵野で、他の関係者がほぼ表に出ず全てを庵野個人のブランドに載せている
これは漫画家も同じで、ワンピースを通じて尾田が世界的に影響を持つかと言えば、集英社、東映アニメーション、バンダイの名もなき社員たちが世界中に作品を流通しているからだ
まぁ元の話に戻ると組織とその代表格の発信には分けがたいところがあり、こうした組織の権力集約の結果を個人として扱うのかは色々考える必要があると思っている

>優劣を必ずつけなければならない場でのレギュレーションとは別問題では?
社会が評価をつける=上に書いた承認プロセスによって賞を選ぶということで考えていたのでそこでは優劣をつけられることを想定していた
ちなみに前に映画祭はいいものだがアカデミー賞に懐疑的と言ったが、これはアカデミー賞が同業者投票賞でこうしたプロセスが取られていない部分があるからだ(会員資格はシビアだが)

>個人がそれぞれ好きな作品挙げてお金出して購入してセルラン等で経済的側面から社会的評価の優劣を生んでるのでは?
それは総体としての経済的評価として社会からみても有益な指標となっている
ただ社会から見たときにはそこに寄与した個人個人までは見ていない

>このコメント欄が社会的評価を決める場でなかった事が解らないほど理解力が乏しい訳ではないだろ?
いやぁ、繰り返すが主米をちゃんと読んでなかったんで…

>個人の価値観から新しい価値観が生まれた
競馬については統計と分布の問題だと思うよ
近年ではユーバーレーベンが岡田総帥の自家配合でクラシック取った例もあるが一方でカレンモエは重賞取れなかったしヒヒーンは今もなかなか勝てん
思い入れが機能することの方が確率が低いがうまくいくこともある
OSと流通の件は詳しく知らないから分からん

>それこそ場合によっては互いに『話にならない』と議論以前に合意に至るかもしれないのに
話はしたいだろ
その場合に俺はまずは前提条件の共有を目指すだろうな
どのような条件なら認められるのかを問うと思う

>その例えで言うならこちらは「パンや米を主食としない文化圏がそもそもあるしパンや米が存在しない食文化もあるから、相手の前提に合わせる」という話だろ
目的をどこに設定した議論なのかが異なっているんだろう
個人哲学の議論であればアフリカ人等の異なる前提も考慮する必要があるだろう
一方で、世界的に主食を議論する場では一定数のアフリカ人は考慮する必要はあるが少数部族の認知を前提で考えることはなく、米とパンといった基礎的な知識は前提となる
今回の話は、個人的視点と社会的視点なのでこれが真っ向から対立しているが、こうなるとこの二つの視点は両立して成立するかが論点になると思う

>それは助成に限定した話で全てではないだろ
文化芸術基本法改正のテキストを意訳しても「文化芸術の振興では表現は自由、自主的に自由に作ってね、それで国民は身近に感じてね、国は支援をするよ」ということなので評価には触れていない
なので評価については助成の話のみで返した

>『加えて会社からの関与も携わった人間次第では地位の関係でそもそも指導側そのものもありうる』
ここは会社から何に関与しているのか、何の指導側そのものなのかの意味が読み取れなかったので回答が出来ずスルーした

>それはその個人の設定を自分に限定するからでは?
「個人視点主義」の個人は俺個人だな
「個人にとって」の個人は概念の個人だ
どちらの個人を指していてどう設定すると良いだろうか

>個人の基準次第では個人の価値観の上にある場合もあると認めてる旨は何度か書いたはずだけど
そこはいいんだよね?と確認の意味を込めて疑問形にしていたので問題ない

>論旨としては新潟の件で言葉の実在性が証明された事とノエル・キャロルが実際に著作で使用したかの因果関係は何も繋がっていなかっただろうという指摘
そこは当然因果関係はないだろうな
俺からすれば著作で使用したことの確認を取る目的はよくわからなかった

ここからが長いのでまたまとめる
漏れてるのは指摘があれば答える

■漏れ
>社会優位を謡いながらそこを尊守せず意図して他人を傷つけるのをよしとするのだね?であれば個人の思想で社会が上位に来るという構造論に反するではないか
最低限度の道徳や倫理を法としているからだ
一定以上に道徳を要求するのは不健全だ、ということで前回の回答に含んでいると認識している

>資本主義による消費文明と社会維持の為に和を尊ぶ事は矛盾しない。競争、発展の為の暴力は物理であれ言葉であれ認められていない。少なくとも日本は発展の為には他人を殺して良い、害して良いと認められている社会ではない
競争・発展のための経済的競争においては暴力的とも言える企業の振る舞いもあり、この結果として生活に困窮する個人も出るが許されている
また、言葉においても一定以内は攻撃的言動は認められている
例えば最近の都知事選は攻撃的な発言のオンパレードだった
そのため一切許されないことが規定されている殺人、暴力を例とするのは不適切

■道徳について
全体にわたってまず一つ、ラインを決めるのは当事者ではなく法と法律家による判断だ
どのような言葉に対しても被害を訴えることは自由だが、その先で実際に法と道徳を区分しているのは法とそれに基づいた法律家による判断だ
道徳と法が地続きであることは否定しないが、法の解釈が下るまでは法的問題は認定されない
それまでは法的に被害者であるかも決まらない
これは以下への回答でもある
>とはいえ先に示した通り、外れすぎれば法的強制力が発生する
>そのラインに片足の爪先をかけているとこちらは指摘した
>今回は俺という被害者がいるので話は別です
>加えて言えばこちらは道徳の強制ではなく道徳のラインを越えるなという指摘です

>程度が過ぎれば被害者側には咎める権利が発生する
これはすまん、咎める権利は誰にでもあるわ

>「ハート・デヴリン論争」
膨大な論争の端となる重要事例であり、法と道徳の強制の考え方において現代に影響を与えているものとして「参考までに」と書いただけだ
少し反論すると、キリスト教的道徳観からすれば自分たちの価値観への攻撃であり実害があったといえる
あとハートの不快原理では「公的な行為」かつ「公序良俗の冒涜とみなされる行為」が加害で、人々の「不快の感情」を抑制するために不道徳な私的行為を罰する権利は個人の自由を尊重する社会では認められないとされている
言いたいのは道徳の被害と犯罪の被害は違っていてそちらの立場は価値観を傷つけられたキリスト教徒に近いということだ
ただこの時の法律やハートの思想がそのまま今あるわけではないのでこの話に入り込んでも意味ないので参考としてくれ

>こちらを害しているという自認がそちらにあり
俺が良いと言ってるのは意見をぶつけることだ
少し前に害しているという自認はないと答えている

■暴力と否定の意見について
こちらについても同様で侮辱や言葉の暴力を認定するのも法と法律家による判断だ
モラハラで訴えられて負けたのはこの手続きで法に引っかかったからだ
これは以下への回答でもある
>論ずる資格の無い(脳無し・浅はかな)人間と侮辱されてますね
>それを決めるのは言われた側だ
>言われた側の判断によるものだ

>傷つくつかないを決めるのは言う側じゃない、言われた側だ
これについては言われた側で当然だ
だがその先の判断はまた別の話だ

>例えば?加えてそちらは不快でない(実害が無い)という言質をいただいたが
卑怯卑劣浅ましいテロリストとかそんなかんじか
別に実害があったかどうかと侮辱は関係ないらしいぞ

>皮肉や否定ではない説明はちゃんとあった筈だけど
全体だと「自分で評価ができなくて他者の基準だけでしか考えられない君はコーラとハンバーガーが一番おいしいんだね。ああ、それも無意味じゃないよ詳しくない人には意味あるから」と読んだから「お、煽ってきたな」と思ったぜ

>加えて謝罪を受けたから改めて挙げなかっただけでポピュリズムのレッテル張りも途中にあったよね
それは誤解だと言うことで一度納得したのに今更侮辱カウントはどうなんよ

>ミルの自由論における危害防止原理
国が制限する範囲を狭める目的の定義ではあるが、ミルの危害原則における危害は自然状態(生命、健康、財産が害されない状態)に対する物理的危害に留めて語られていると思うけども
あと幸福を追求していい=不快にされないは論理的に成り立たないぞ

>「個人の価値観に意味はないと自分では思っている」なら好きにすればいいとも散々言っているのに
俺個人が思ってるかどうかじゃなくて社会視点では認められないだ
社会的視点で個人の価値を認めたら俺の持論は破綻するぞ

>「直せ」と「他者を害したり、その事で責任が生じる危険性があるから直した方がいい」は違う
「否定から入る事への想像力の欠如」とか非難されたしな
非難には直したほうがいいより強い意図があると思うんだが

>それを何故、侮辱された側が他人を不快にしてもいいと思っている相手に示さなければならない
別に示さない自由もあるが「エスパー魔美」の話をそのまま置き換えたらそうなるので原作の本意に沿うならこの例は間違っちゃいないんじゃないか?

>だからそちらを許せと?それこそ強制ではないのか?
俺相手じゃない、社会への怒りについての文脈だ

>後から善意と言い繕った自己保身の弁護でないと誰が保証してくれる?
ここでは最初から善意であることは示してそうと伝わるようにしているつもりだが
まぁそこまで信じないのであればしゃあない、ここは終わろう

>何を認めたと?
SNSの話の主張

>これはそちらの持論では道徳の強制ではないのか?
人の生き方を改めさせようとしたんだから当然道徳の強制になるな

>そもそもこちらが創作に重点を置いてる価値観を持っている事はこの一ヶ月で延々と伝えて否定に対する高ストレスを伝えているのに続けているのだから害意以外の何だと言うのか
俺だって社会的視点の価値観に重点置いてるわ
そちらの主張を認めたらこちらの論は否定される
お互いの論を交わしてぶつけ合って落としどころ探るしかないだろ

>手打ちにするのも続行するのもこちらはどちらでも構わないけれど、どうする?
俺は続行で構わんが主題ではないから終わってもいい
ただ全体的に長いのは大変なのでいずれにせよトピックは絞っていきたい
できるだけ俺は各トピックをまとめにかかるのであんまり広げずにいてくれると助かる
0
244. 名無しのあにまんch 2024年07月19日 02:55:14 ID:gzNDE3Ng=
>>243
>省略せず最初から全部書いてくれれば伝わってその視点にすぐ立つことはできた

そちらとて勝手に省略したり流したりしながらそれを言うか

>俺が主張していた承認プロセスは、評価を普遍化する手続きとして専門家が複数で審査してそれが承認されると言う流れを示し、こうした手続きが取られなければ社会的に価値のある文化的評価は生まれないとしていた

だが現代社会では既に経済性という個人の好悪が直結する社会的価値・文化的評価の軸がある以上はそれのみが上にあるとするのは現代社会の価値観にそぐわないのでは?

>ちなみに社会的視点というのも社会全体や国全体という大きな規模で物事を考えて「社会全体で見てプラスなのか」等を考えるものなので、この視点にも極力個人的な事情を入れないことが望ましい

敢えてそちらの主張に合わせるが映画祭の審査に個人の主観は混じっていないとする根拠や担保はどこに?
ポリへの配慮や忖度がある時点で無いとは言えないんじゃないか

>というか何を組織として何を個人とするかということだ

いや勝手に違う話を一まとめにして同列扱いしないでくれないか?
社長の個人的価値観が意味を成してるという話から逸れてるだろ

>政治家が選出された立ち位置であるように社会的な立場というのを選出されたと捉えることができる

いや自分で興した、創業した会社の社長なら社会的立場を選出された訳ではないだろ

>例えば会社の社長でとても名前が知られていては発言が影響力を持っている人がいたとして、裏側には組織の中にたくさんの社員がいて、そこで行われている事業の成果が個人に集約されたことで偉大な個人というブランドが形作られる

その方向性を個人の価値観が決めているのであればその事業形態と両立しますね
というか武内社長の場合は自分でもイラスト・キャラデザ描く人なので社員関係なく個人としてもブランド力を持つが

>きのこの例はまず前提としてブギーポップはきのこの方向性に影響を与えたのであって能力に影響を与えたわけではないということは区分する必要がある

作家の作風に影響を与えた以上は区分できまいよ
優れた恋愛小説家が優れたホラー作家でもあるとは限らないように(例外的に兼ねる場合もあるが)『小説家』になれるような人間であれば何書いても売れると言わんばかりなのは執筆を、創作を舐めていないか?
創作への敬意が欠けると前にも書いたがそういう所だよ
具体的にどう能力が変わらないんだ?

>それが今や巨大な影響力は持つようになったのは上記のように組織の力が個人のブランドに転嫁されているからだ

その為に養って会社まで興した武内社長の『きのこの作品が好き』という根底にある個人の価値観が生み出したものである事は変化しない

というか那須きのこが書いた作品への評価があってこそ規模が拡大されてから他のライターによる作品も取り扱うようになったのであって型月に限ればまずブランドがあってその影響力に合わせて会社の規模が巨大化したのでは?
最初から複数の作家を抱えていたのとは話が異なるように思うが

>こうした組織の権力集約の結果を個人として扱うのかは色々考える必要があると思っている

それは経済性における発展の為のメカニズムであって作家が個人である事とも、その作家性を好んで支えた個人がいた事も否定する材料にはならない

というか繰り返すけど型月に限れば起業した社長が月姫やFateのイラストも描いて那須きのこがシナリオを書いて集中も何も個人ありきでスタートした「だがここに例外が存在する」枠では?(だからこそ挙げたのだけど)

>社会が評価をつける=上に書いた承認プロセスによって賞を選ぶということで考えていたのでそこでは優劣をつけられることを想定していた

そもそも社会評価に関して国宝や文化財の選出で優を決めこそすれ劣を決めないケースもある以上は、社会的評価が価値観に於いて必ず上にあるという持論ありきの前提では?

>アカデミー賞に懐疑的と言ったが
いやそれは日本アカデミー賞に対してだったろ

>それは総体としての経済的評価として社会からみても有益な指標となっている
ただ社会から見たときにはそこに寄与した個人個人までは見ていない

それと個人の価値観が実際に寄与したかは別の話だろ
一々洗い出さないだけで買った個人がいる事実は消えない

>いやぁ、繰り返すが主米をちゃんと読んでなかったんで…

いやまぁこれ言ったら終わりだけど、だからこそこの場で『万人にとって個人の価値観に意味は無い』という主張がそもそも成立していないので?というのはある
別に自分に限るとかなら貴方はそうなのねで終わったのに

>思い入れが機能することの方が確率が低いがうまくいくこともある

だが前例が1つでもある以上は万人の個人の価値観を無意味とはできないし、上手くいった例でサンデーサイレンスに触れないのもどうなんだ?

>話はしたいだろ。その場合に俺はまずは前提条件の共有を目指すだろうな。どのような条件なら認められるのかを問うと思う

なのに相手がまずどんな前提かを確認せずに自分の中にあるものだけが世界の全てであるかのように扱い過ぎではないか?
『かもしれない』という疑いや好奇心が足りないように思えるが

>一方で、世界的に主食を議論する場では

主食が芋とかもトウモロコシもあって、そういう場ならパンではなく小麦だろ
というかそも『世界的な主食を議論する場』というのが後付け且つ限定的なシチュエーションではないか

>一定数のアフリカ人は考慮する必要はあるが少数部族の認知を前提で考えることはなく、米とパンといった基礎的な知識は前提となる

いやでもそれ後付けで条件限定してるやん
加えて基礎的な前提ならパンじゃなく小麦でないとおかしいだろ

>今回の話は、個人的視点と社会的視点なのでこれが真っ向から対立しているが、こうなるとこの二つの視点は両立して成立するかが論点になると思う

する人間もいればしない人間もいるんじゃないかとしかならん

>なので評価については助成の話のみで返した

であればその一例が全体の全てに適用されるとはならない

>ここは会社から何に関与しているのか、何の指導側そのものなのかの意味が読み取れなかったので回答が出来ずスルーした

いや会社からの関与も指導側も言い出したのはそちらだろう

>どちらの個人を指していてどう設定すると良いだろうか

それこそこちらは地球上のあらゆる個人を想定して設定している

>そこはいいんだよね?と確認の意味を込めて疑問形にしていたので問題ない

改めて書くけどそういう個人がいないとも俺は考えていない
あくまで万人全ての価値観において社会評価が最上位にはならないという主張であってそういう価値観が存在しえないと言っている訳ではない

というか身も蓋も無い話、俺が居る時点でそちらの主張は崩れていないか?

■漏れ
>一定以上に道徳を要求するのは不健全だ、ということで前回の回答に含んでいると認識している

こちらは攻撃を受けていた以上は一定以上とは言えない

>競争・発展のための経済的競争においては暴力的とも言える企業の振る舞いもあり、この結果として生活に困窮する個人も出るが許されている

結果的にそうなる事と意図してそうするとでは話が違う
意図的な攻撃を同列に扱うのは不適切だ

>また、言葉においても一定以内は攻撃的言動は認められている。例えば最近の都知事選は攻撃的な発言のオンパレードだった。そのため一切許されないことが規定されている殺人、暴力を例とするのは不適切

違うのは被害者が許した(あるいは見逃したか)許していないか
今回の件は撤回と謝罪を受ける前は被害者のこちらが許していなかったので違った(誤解無いよう過去系で記す)

■道徳について
>全体にわたってまず一つ、ラインを決めるのは当事者ではなく法と法律家による判断だ

とは言え勝つにせよ負けるにせよ「実際に訴えに出るライン」はまず被害者側の中に存在する

>それまでは法的に被害者であるかも決まらない

これは下記の「程度が過ぎれば被害者側には咎める権利が発生する」を含んでの話になる
勝敗は別としての話になるけれど

>「ハート・デヴリン論争」

>ハートの不快原理では
>そちらの立場は価値観を傷つけられたキリスト教徒に近いということだ

キリスト教的価値観に基づいて被害者のいない案件を道徳的な理由のみで追求する事の否定と、価値観の直接的な否定で被害者が生まれたこのケースとで似ているとするのは恣意的というかこう、参考までにと言いつつこちらが思った以上に突っ込んできたからそれっぽく言った風の無理矢理感ないか?

>俺が良いと言ってるのは意見をぶつけることだ。少し前に害しているという自認はないと答えている

いやおもっくそ、相手を話に引き込む為には傷つけのもやっていいって書いてるやん

■暴力と否定の意見について

>こちらについても同様で侮辱や言葉の暴力を認定するのも法と法律家による判断だ

「論ずる資格の無い(脳無し・浅はかな)人間と侮辱されてますね」

結局はこういうのの積み重ねで最悪、法と法律家に任せる事になったかもしれない、訴えられたかもしれないという危険を無闇に冒す必要は議論するだけなら無いだろ

>別に実害があったかどうかと侮辱は関係ないらしいぞ

であれば実害有りと判断したこちらは十二分に資格を有していた訳だ

>「お、煽ってきたな」と思ったぜ

それがOKなら「こちらはマイナスだが」「おれはプラスだ」をこちらが煽りと判断したのも理解できなかったとは言えなくなるのでは?

>それは誤解だと言うことで一度納得したのに今更侮辱カウントはどうなんよ

その下に書いたようにそれ事態を侮辱カウントではなくそういうそちらからの皮肉や侮辱の流れもあったよねという話だよ。流れというならと注釈もある

>自然状態(生命、健康、財産が害されない状態)

だいぶ睡眠面で健康は害されている、という冗談はさておき

>あと幸福を追求していい=不快にされないは論理的に成り立たないぞ

不快さが幸福である人間がいないとは言わないけど、流石にそれを成り立たないとするのは無茶だろ
幸福を追求していい=不快にされたくない
とすべきだろそこは

加えて言えば「人々は基本的には他人に干渉されない方が、 自分の幸福をよりよく追求することができるという仮定である」という点からも不快にされない(干渉されない)方が、 自分の幸福をよりよく追求することができるという話でもある

>俺個人が思ってるかどうかじゃなくて社会視点では認められないだ
>社会的視点で個人の価値を認めたら俺の持論は破綻するぞ

ではその社会的視点や社会視点は誰が持つものなんだ?
擬人化された社会がいる訳ではないし、代弁を任された代表がいる訳でもない
加えて経済面という個人の価値観が直結する評価軸もあるのにそちらは社会視点では認められていないとするのは無理がないか?

>「否定から入る事への想像力の欠如」とか非難されたしな
>非難には直したほうがいいより強い意図があると思うんだが

それこそ「否定する事で責任が生じる危険性がある」という指摘の部分だろ

>別に示さない自由もあるが「エスパー魔美」の話をそのまま置き換えたらそうなるので原作の本意に沿うならこの例は間違っちゃいないんじゃないか?

原作で貶した側は仕事での批評であってそれこそ、そちらの言う社会的評価の話だ
個人の悪意や害意からでもましてや思想の違いからでもない
加えて否定されたのは創作物への出来であって個人の思想や人格ではない(思想やらを多分に含む創作物もあるにはあるが)

そちらは社会的立場でこちらを批評しているのか?

>俺相手じゃない、社会への怒りについての文脈だ

どちらにせよそちらの基準であれば道徳の強制では?

>SNSの話の主張

であれば互いに結論ありきではないか?と指摘した部分が違ったという話になりそうだ

>人の生き方を改めさせようとしたんだから当然道徳の強制になるな

であれば矛盾になるのでは?

>俺だって社会的視点の価値観に重点置いてるわ

だからそういう価値観の人もいるよねでこちらは全く認めていない訳ではないんだけどなぁ
自分と違う人間もいる。寧ろ沢山いてその総体か社会である以上は自分の思惑と異なる認識外の『社会』と自分の認識に近い『社会』が混在するっていう簡単な話だと思うんだが

>俺は続行で構わんが主題ではないから終わってもいい

こちらもどちらでもいいので一旦続けた
0
245. 名無しのあにまんch 2024年07月21日 03:42:25 ID:UwNjg3MzY
>>244
>現代社会では既に経済性という個人の好悪が直結する社会的価値・文化的評価の軸がある
経済性は社会的評価であるが、これは文化的評価とはまた異なる別途の経済的価値であることを主張している
個人の好悪はレビューの話のときに触れたようにそれぞれの基準がバラバラで評価の擦り合わせができないままにヒットしたという一点に集約される
また、ヒットしたということだけで見ると、前作の評価がよいと次作は内容が悪くても売れることがあるなど作品評価以外の要素が入ってくることも否めない
仮に評価のすり合わせの課題がクリアされれば大衆評価も一つの指標となると思うが、大衆にとってよい要素と文化的に良いとされる要素は大きく異なるのでこれもまた別軸の評価だと考えられる
例えば「つみきのいえ」とかエンタメとして評価される要素がない作品であっても別軸で評価される必要があると思うんだよ
現代社会の価値観においてこそ色んな社会的な指標は並び立って良いと思う

>映画祭の審査に個人の主観は混じっていないとする根拠や担保はどこに?
個人が審査するということであればこれは絶対に混じる
ゆえに主体となる組織から基準が示されているなかで、広い知見を持ったことが担保されている複数人が審査をして合議を図って選考することで普遍化を目指す手続きが必要となる
更に言えば色んな賞で受賞したという結果は更に普遍的に認められたとも言える
ちなみに審査においてポリへの配慮や忖度をするのが一人だけならそうした意見は通らないが、審査員全員がポリに配慮するようになってるならもうそういう賞だし、それが世界中の色んな賞で行われるならもうそういう世界なんだろう

>自分で興した、創業した会社の社長なら社会的立場を選出された訳ではないだろ
会社の実績によって個人が社会に認められるという手続きが取られている
それこそそういう社長がなんかの委員とかやってるのは実績の評価がついてきているからだ

>その方向性を個人の価値観が決めているのであればその事業形態と両立しますね
役員会とかで合議して発信してるのか社長が好き勝手してるのかって外から見たら分からなくないか?好き勝手している社長を想定して話すことはできると思うが
この後の型月の話も同じだが武内ブランドは個人に限ればhollowまでで、そこから先は周りの力が集約したブランドと主張する
それこそアニプレufoと組まなければきのこも武内も今より圧倒的に知名度・影響力は小さかっただろう

>具体的にどう能力が変わらないんだ?
ブギーポップと同年に「空の境界」書いてるのでどこの部分(異能力、伝記形式、雰囲気)で影響を受けたが厳密には不明で特に異能力ではイマジネーターは時期が近すぎると思うし、他にも影響を受けた作品は多数述べられている
(一方でブギーポップの影響は電撃文庫全体に波及しているが)
また、おそらく誤解されていることとして、売れることと作家の能力をイコールとはしていない
・奈須きのこはブギーポップに影響を受けた(影響)
・奈須きのこは月姫でヒットしてFateもヒットして、その後はメディアミックスでもっとヒットした(ヒット)
・奈須きのこは面白い話や設定が作れる(能力)
というのはそれぞれ別の話だとしているのでブギーポップに影響を受けたこととヒットの因果関係は不明だ

>その為に養って会社まで興した武内社長の『きのこの作品が好き』という根底にある個人の価値観が生み出したものである事は変化しない
個人作家とそのパトロンを否定するわけじゃなくて、それを支えた熱意みたいなものはすごいと思うぞ
ただ武内と同じように作家を養って失敗した例はあるだろう
これは競馬の話と同じで思い入れでうまくいくこともあるし失敗することもある
歴史的には蔦谷重三郎はたくさんの作家を擁立して大成功ばかり知られているが失敗もあった(写楽も当時だけで見れば失敗)
思い入れが確実に成功のファクターになるわけではない

>型月に限ればまずブランドがあってその影響力に合わせて会社の規模が巨大化したのでは?
個人的な感覚としては月姫からhollowまでならそうだと思う
ただそのあとはメディアミックスでの巨大化だろう
まほよとか当時あんまり受けなかったし

>「だがここに例外が存在する」枠では?
型月の関係は近年でも新海・川口の関係でもあるので同様の例はあるんだが、それを含めてもその個人の影響力ってほんとに個人のものかとも思うし、あとはその個人の価値観がそのまま社会的評価になるわけではない
そういう実績があるから審査員とかやることはあると思うけど上記のように一人の意見だけで全部決める形にならないので

>優を決めこそすれ劣を決めないケースもある
いやまぁ、選ばれなかったということは優劣がつけられているんだろうと思うぞ

>いやそれは日本アカデミー賞に対してだったろ
じつは「個人的にはアカデミー賞の業界関係者の投票で決める方式自体に懐疑的だが」と書いている
日本アカデミーは懐疑的どころか良くない

>それと個人の価値観が実際に寄与したかは別の話だろ
個人個人をしっかり見ていくのであればそれぞれの評価を取りまとめていく必要がある
売上としてまとめてしまうということはその裏にある個人の価値観を見ないということになる
上の話でも書いたんだが、この個人の価値観をしっかりとまとめて指標化するならそれは社会的にも意味があると思う

>この場で『万人にとって個人の価値観に意味は無い』という主張がそもそも成立していないので?
これはこの後の話と関わるが万人と社会を別物としている

>上手くいった例でサンデーサイレンスに触れないのもどうなんだ?
サンデーは当時の日本血統からすればすごい実績馬だし普通に子が走ると思ったから買ってきたのでは
ノーザンファームからすればノーザンテーストで得た売上をもとにサンデーサイレンスを買って更に成功したわけだが、当然失敗する可能性もあったわけでこれは確率だ
実際、サンデー後に代わりを期待されて買われたウォーエンブレムは斜め上すぎる大失敗となる
この場合の個人の価値観というのは賭けのベット対象を選ぶもので、思い入れはベットを続ける行為にあたる
うまくいって大きな影響を与えたというのは目利き能力と結果論だ

>なのに相手がまずどんな前提かを確認せずに自分の中にあるものだけが世界の全てであるかのように扱い過ぎではないか?
まず仮想した視点に立って相手と自分の立場を確認したうえで議論をするというだけだ
そういう意味では全ての視点を考慮するという考えはそもそも持っていなかった

>それ後付けで条件限定してるやん
これは例でしかないからパンでも小麦でもどっちでもいいよ
ただどんな議論であってもテーマを決めて立場を取って話すという手続きは必要だ

>する人間もいればしない人間もいるんじゃないかとしかならん
社会視点について後述する

>であればその一例が全体の全てに適用されるとはならない
助成の話に答えたのであって全体の話されていないのでそれはそうなる

>いや会社からの関与も指導側も言い出したのはそちらだろう
「国は会社に指導することができるし、会社は社内であれば個人に指導ができるのでこの権限から重さが生まれている」から来ているとは思うんだが、
会社からの関与(会社からどこへの関与だ?)も携わった人間(役所?会社?)次第では地位の関係(社内の地位とかか?)でそもそも指導側そのもの(政府か会社かどちらかか?)もありうる
というように俺が文章が読み取れていない

>それこそこちらは地球上のあらゆる個人を想定して設定している
ここは俺が個人的な価値観に立つとしてどんな視点を想定すればいいかという話だ

>あくまで万人全ての価値観において社会評価が最上位にはならない
個人の視点ではどんなものもありえるだろう
ここで上記の万人と社会の違いだが、まず万人全てに共通する価値観はありえないと思っている
世界は現実に存在するという人と世界には自分しかいないと言っている人がいるという例を挙げるまでもなくすべての人の価値観は前提から相対的であり、ゆえにこの万人の価値観の中では個人の価値観は自分一人のものとなる
一方、前提を共有しつつ個人が影響を及ぼせる範囲のコミュニティーにおいては個人の価値観は影響を評価軸も明確にすることができるので価値観を共有することができて意味を成す
ここで俺が述べている社会はそうした個人が影響を及ぼせないほど大きく、加えて人格を持たないものであり、違う考えの個人がいても影響を受けない

ここで下から文章を移動する
>ではその社会的視点や社会視点は誰が持つものなんだ?
社会には誰かが合議して決めた基準がたくさんあって、それは誰の意思で作られたものなのかすらわからないことが結構ある
先で例になっていた文化芸術基本法改正だって超党派の議員の決議で最終決定されているが、その裏側では官僚たちが資料作って議員に素案の説明していてさらに裏では有識者とか法律家へのヒアリングがあって様々な変更案が盛り込まれていたんだろうと推測される
それは法だけでなくて会社内の意思決定も同様で、セクシー田中さん事件の報告書とか読んでも会社の慣例がこうだったからこうしたみたいな話が問題につながった面は結構あるように見えた
社会や組織という誰かではない存在の価値観というのがあり、そうして決定された様々な基準に沿うことは個人の価値観以上の縛りとなる
なので仮想的に社会という視点を設けることも必要なことではあるし、サラリーマンが「弊社の立場では~」とか話すのはその一つと考えている
それと経済評価はそれはそれで社会視点で認めているが、個人の価値観の集合としてどう見るかは上の方を参考にされたし

>その総体か社会である以上は自分の思惑と異なる認識外の『社会』と自分の認識に近い『社会』が混在するっていう簡単な話だと思うんだが
俺の考えは「混在」ではなく社会が大きくなるほどに個人から距離が広がっていくというものだな
だから範囲が大きくなればなるほど個人の価値観の影響は小さくなりその意味は失われ、代わりに組織や社会自体が有している価値観の意味が増していく

■道徳と暴力と否定について
>こちらは攻撃を受けていた以上は一定以上とは言えない
>違うのは被害者が許した(あるいは見逃したか)許していないか
>「実際に訴えに出るライン」はまず被害者側の中に存在する
>「程度が過ぎれば被害者側には咎める権利が発生する」を含んでの話になる
>であれば実害有りと判断したこちらは十二分に資格を有していた訳だ
咎める・訴えるラインというのはそれこそ個人の道徳観次第で変動するがそれは法のラインとは異なり、共通する道徳の最低限のラインは法だというのがこちらの主張だな

>結果的にそうなる事と意図してそうするとでは話が違う
半澤でも描かれてたけど銀行の貸し剥がしでの倒産とか明らかに分かっててやってるから悪質だと思うんだよね、損をしろとも言えんが

>訴えられたかもしれないという危険を無闇に冒す必要は議論するだけなら無いだろ
こちらの基準だと全然安全ライン走ってるわけで、それこそ個人の道徳観の違いがあるからだと思っている

>「こちらはマイナスだが」「おれはプラスだ」をこちらが煽りと判断したのも理解できなかったとは言えなくなるのでは?
それについては煽りじゃないと俺が主張することまでは問題ないだろう
最終的にそれを受け止めるそちら側が認めるかには関与できないけども
この話だと双方意図は違ったって主張だし曖昧な部分はどうしてもある

■「ハート・デヴリン論争」
>キリスト教的価値観に基づいて被害者のいない案件を道徳的な理由のみで追求する事の否定
当時のキリスト教徒は自分たちの価値観を傷つけられたと感じたと思うぞ
ちょい調べてみたがイギリスでは男性の同性愛は長年犯罪で死刑、終身刑と移り変わってきていて、女性同士の同性愛の犯罪化が1920年代に検討されてた
ちなみに国は違うがアメリカでは1950年からホモ狩りが行われてる

>いやおもっくそ、相手を話に引き込む為には傷つけのもやっていいって書いてるやん
喧嘩腰と傷つけるのはちょっとだけど違わねーか

>だいぶ睡眠面で健康は害されている、という冗談はさておき
それはすまんが俺も同じだ
一日おきにしたがそれでも量がきっつい

>不快さが幸福である人間がいないとは言わないけど、流石にそれを成り立たないとするのは無茶だろ
幸福を追求=自分が幸せになろうとすること、幸せを目指すこと
不快にされない=感情を害されないこと
であるので、不快な状態であっても幸せになろうとすることはできると思うのだが
当然、幸せになるのはダメだとされるなら権利の侵害だと思う
定義とかは調べてないので間違ってたら謝る

>加えて否定されたのは創作物への出来であって個人の思想や人格ではない(思想やらを多分に含む創作物もあるにはあるが)
たんに置き換えているだけではあるんだが作品への言及も価値観への言及も個人から発信されたものが否定されたという形は違っちゃいないんじゃないかというだけだ

>どちらにせよそちらの基準であれば道徳の強制では?
ここは楽だと思うという考えの表明だけだな

>であれば矛盾になるのでは?
こっちは言い訳しようもなく強制にあたるので俺が不道徳に片足突っ込んだということだ
道徳の強制はないほうがいいと考えても自分が遵守しきれていないということもある

>こちらもどちらでもいいので一旦続けた
返したけど下半分はだいたい合意が見えてる気がしている
0
246. 名無しのあにまんch 2024年07月21日 12:19:44 ID:c3OTU4NA=
>>245
>経済性は社会的評価であるが、これは文化的評価とはまた異なる別途の経済的価値であることを主張している

現代では文学・美術・演劇(2.5含む)・音楽・映画・テレビ番組・ゲームなどのメインカルチャーとサブカルチャーの境界、そうでなくとも技術の進歩と共にかつてハイ・カルチャーとされたものが大衆化し大衆文化に含まれるようになった現代で文化的評価ではないとするのは恣意的であり大衆文化の否定である
経済性は文化的評価を含まないとするのは消費文明にそぐわない

>基準がバラバラで評価の擦り合わせができないままにヒットしたという一点に集約される

それこそ恣意的であり良い点のある程度の収束は起きるだろ
例えば鬼滅なら概ね共通するのが『人間讃歌』『台詞回し』『キャラクター性』『ストーリーのテンポの良さ』『無情さや厳しさと一抹の救い、優しさの対比』。逆に絵柄やアクションシーンは評価が分かれるので好悪で判断されやすく評価点として相対的。ストーリーの独創性やオリジナリティは声に上がらないのでそういう意味では評価されていない部分。意見がバラけるからこそ浮き彫りになるものもある。無限列車に関しては加えて『老いの肯定や家族の絆を描いたのが家族で見に来た祖父母や父母も取り込んだ』等の分析もされていた。経済性が絡んだ場合、再現性の為に何故良いとされたのかの要因を探る分析は切り離せない

>前作の評価がよいと次作は内容が悪くても売れることがあるなど作品評価以外の要素が入ってくることも否めない

批評家の意見とて忖度(今現在だとLGBT)や主観要素や作品評価以外の要素が入っているにそれを言い出すのは恣意的だ

>大衆評価も一つの指標となると思うが、大衆にとってよい要素と文化的に良いとされる要素は大きく異なるので

大衆文化の概念の否定であり大衆にとって良いものが文化的に良いと言えないとするのは前時代的ではないか?

>例えば「つみきのいえ」とかエンタメとして評価される要素がない作品であっても別軸で評価される必要があると思うんだよ

それこそ主観的な好悪での選出では?
加えて別軸評価をこちらは否定していない上に『現代社会の価値観においてこそ色んな社会的な指標は並び立って良いと思う』のであれば経済的面から大衆文化の隆盛を推し量るのを文化的評価の指標としないのは結論に邪魔だから意図的に排除を試みてるとしか思えないが

とはいえエンタメ性ではない評価軸も必要な作品がある事は間違いないしそちらにとって「つみきのいえ」がそれに該当する事も否定されるものではない

>ゆえに主体となる組織から基準が示されているなかで、広い知見を持ったことが担保されている複数人が審査をして合議を図って選考することで普遍化を目指す手続きが必要となる

それが正常に行われている保証は?
理想論と現実的にどうかは別の話ではないか

>ちなみに審査においてポリへの配慮や忖度をするのが一人だけならそうした意見は通らないが、審査員全員がポリに配慮するようになってるならもうそういう賞だし、それが世界中の色んな賞で行われるならもうそういう世界なんだろう

であれば経済性によって『良い』とされる事が売り上げで証明されるのもまた『そういう世界』である筈だ

>会社の実績によって個人が社会に認められるという手続きが取られている

であれば社会的立場を選出された訳ではなく社会的立場を築いたとすべきでは?
どちらにせよそちらの提示したものではないと思うが

>役員会とかで合議して発信してるのか社長が好き勝手してるのかって外から見たら分からなくないか?

これに関してはFGOの実装キャラで本来きのこが描く気の無かったデミヤ(エミヤ・オルタ)を社長が説得した経緯等で例外的に外に発信されている
というか社長自身も創作に密接に関わる為に型月に限れば「きのこを説得できる数少ない人間」「竹箒日記 による創作の裏事情の公開」等で余人に知れ渡る背景がある

>それこそアニプレufoと組まなければきのこも武内も今より圧倒的に知名度・影響力は小さかっただろう

だから個人の価値観が作用した事は一度も無いとは言えないのでは?

>また、おそらく誤解されていることとして、売れることと作家の能力をイコールとはしていない

それも能力というか売れる物を作る事も能力の一つではあるが、こちらがそれに限定して問うてる訳ではないだろ文脈的に
寧ろこれまでの話的にどう考えても創造性とか作家性とかそういう話では?

>奈須きのこは面白い話や設定が作れる(能力)

その方向性に影響を与えたって話をしているのはホラーや恋愛小説に例えてジャンルというもので説明していたように思うが
影響を受けた一人であっても特に影響を受けた一人である事に違いは無いし、空の境界以降の作品も能力が変わらなかったと何を比較して断言できるんだ?

>ヒットの因果関係は不明だ

いやそんなものは問うてないだろ最初から
だからなんで勝手に解釈して勝手に決めるんだ?

>ただ武内と同じように作家を養って失敗した例はあるだろう
>思い入れが確実に成功のファクターになるわけではない

この場合は個人の価値観が無意味でない一例として成功例の提示なのだから失敗した例がある事とも並び立つ
確実な成功のファクターという主張がそも最初から存在しない

>個人的な感覚としては月姫からhollowまでならそうだと思う

そうした時期まで無かった、個人の価値観が無意味であったとはできなくないか?

>それを含めてもその個人の影響力ってほんとに個人のものかとも思うし

それでは主観による疑問に留まり具体的な否定とするには弱くないだろうか

>あとはその個人の価値観がそのまま社会的評価になるわけではない

1~10まで同じ評価にならないのはそちらが提示する映画祭等による普遍性も同じではないか?
賞の受賞を知って個人の抱く映画への感想・評価が暫定的な社会的評価として審査員の提示したものと一致しないように。というか同じにせよ別の映画祭にせよ審査員同士ですら合致するとは限らないように

>そういう実績があるから審査員とかやることはあると思うけど上記のように一人の意見だけで全部決める形にならないので

こちらはそういう話をしてなくないか?

>いやまぁ、選ばれなかったということは優劣がつけられているんだろうと思うぞ

1~10まであって上位3つを選出して以下の7~10までの劣を選出しないのと、1~10まで1位から10位まで明確に優劣を付けるのとでは話が違う

>じつは「個人的にはアカデミー賞の業界関係者の投票で決める方式自体に懐疑的だが」と書いている

確認できたのでその点はこちらの記憶の欠如で申し訳ない
ただ
173
目利きができる専門家の評価はアカデミー賞をはじめとした色んな文化的評価に繋がるものなので社会的価値があると言っている

202
世界三大映画祭よりもアカデミー賞の方が権威が高いのが実状

同時にこうも言っている以上は現実的には個人の価値観を無意味とするのはやはり持論を有意とすべく恣意的になっていないか?

>売上としてまとめてしまうということはその裏にある個人の価値観を見ないということになる

見えなければ無いという訳ではないだろ
空気が見えないから存在しないと言うようなものでは?

>上の話でも書いたんだが、この個人の価値観をしっかりとまとめて指標化するならそれは社会的にも意味があると思う

それこそマーケティングの一部として資本主義社会的には重要な意味を持っているし実際に活用されているのでは?

>サンデーは当時の日本血統からすればすごい実績馬だし普通に子が走ると思ったから買ってきたのでは

サンデーサイレンスはダート(土や砂)の活躍馬、対して日本の主戦場は芝

実績は確かに凄いがアーチェリーの名手が和弓の名手を育成できるかと言えば疑問だし血統という観点からも母親側の血統に疑問があった(当人のみ優れた突然変異の可能性もあった)ので当時時点では血統的な魅力には乏しい、寧ろ問題視されている状態で

当初の評価は高くなく種付料が高額であったため、期待されていたほどの交配申し込みはなく最も多く交配したのも自社の繁殖牝馬だったという

言っちゃなんだけど(子が走ると思ったのなら他にも、特に生産者であり馬主でもあったアーサー氏等も居たにせよ)「子が走ると思ったから買ってきた」のは吉田氏ぐらいだったのが当時の話で、その個人の評価・価値観が無ければ現代競馬がどうなっていたかは想像もつかない

>うまくいって大きな影響を与えたというのは目利き能力と結果論だ

だが現実的に個人の価値観が社会に影響を及ぼした実例であり、加えて仮に失敗していてノーザンファームが消失した場合もマイナスであろうと個人の価値観が社会に影響を及ぼした事に変わりは無い

>まず仮想した視点に立って相手と自分の立場を確認したうえで議論をするというだけだ

その仮想した相手が自分に近い条件にしかならないのなら自問自答と大差無いのでは?

>ただどんな議論であってもテーマを決めて立場を取って話すという手続きは必要だ

であれば後付けで「牛乳(それ)はダメだろ」がおかしくないか?
あくまで最初の例に限れば主食足り得るかだけの話だったのに

>助成の話に答えたのであって全体の話されていないのでそれはそうなる

であれば最初から助成金に限ればとなるのでは?

>俺が文章が読み取れていない

型月で例えるなら
会社(型月の商業的な面)からのFGOへの関与も携わった人間次第では地位の関係(社長)でそもそも指導側そのもの(社長)もありうる
趣味と実益兼ねて指導側(社長)がセイバー顔増やすからなあの会社

>ここは俺が個人的な価値観に立つとしてどんな視点を想定すればいいかという話だ

それこそひとまず自分から切り離した想定をしてみてはどうか
ただ、どう考えても大多数の人と同じ考えになる部分まで解離させる必要は無いというのは大前提として

普遍性の追求ならば自分の主義主張と解離していてもおおよそ他の人が考えそうな事を基準にしてはどうか

>個人の視点ではどんなものもありえるだろう

最初からこちらはそう言っている


>個人の価値観は自分一人のものとなる

故にこそ代替が不可能なので価値がある

>ここで俺が述べている社会はそうした個人が影響を及ぼせないほど大きく、加えて人格を持たないものであり、違う考えの個人がいても影響を受けない

>社会には誰かが合議して決めた基準がたくさんあって、それは誰の意思で作られたものなのかすらわからないことが結構ある

であれば一纏めに、いっしょくたに全てを「社会的視点」「社会的評価」とするのが乱暴ではないか?
それこそ個人と同じように社会に内包される存在がケース毎に千差万別すぎる
映画界(社会)とかもっと細かく区分する言葉は幾らでもある

>仮想的に社会という視点を設けることも必要なことではあるし

それ事態はそう
ただあまりに大きく大雑把に括りすぎではないか?

>サラリーマンが「弊社の立場では~」とか話すのはその一つと考えている

これは社会ではなく企業というある意味での個人的視点ではないか?
擬人化、あるいは会社を1つの生命に見立てての

弊社内の話なら一種の狭い社会だけど弊社の立場とあるように弊社外と関わっての話なら社会ではなく弊社という個と他の個との話し合いになるわけだし

>俺の考えは「混在」ではなく社会が大きくなるほどに個人から距離が広がっていくというものだな

それ自体はそういう考えもある、という事で間違っていない前提で話を進めさせてもらう

>だから範囲が大きくなればなるほど個人の価値観の影響は小さくなりその意味は失われ、代わりに組織や社会自体が有している価値観の意味が増していく

こちらの考えではこの大きく知覚から離れた領域を認識外の社会として提示した

ただ知覚能力に個人差があるように組織や社会への影響力を持つ個人であればそうした領域も遠く離れた範囲とは言えない為に、個人の価値観が作用するとも主張している

■道徳と暴力と否定について

>咎める・訴えるラインというのはそれこそ個人の道徳観次第で変動するがそれは法のラインとは異なり、共通する道徳の最低限のラインは法だというのがこちらの主張だな

その最低限のラインが我々が普段思っている以上に低い、という話をこちらはしていたつもりだ
流石に掲示板やSNS越しでは前例を聞いた事は無いけど、場合によっては「不快にさせる」というだけですら軽犯罪法違反に引っ掛かりうるので普段は他者の寛容に生かされているというのは意識してもいいんじゃないかという

>半澤でも描かれてたけど銀行の貸し剥がしでの倒産とか明らかに分かっててやってるから悪質だと思うんだよね、損をしろとも言えんが

その例えだと貸された側が見込んだ通りの成果を上げられなかったという結果的なものと、最初から返せないと解っていて融資する詐欺とでは話が違ってくる、が近いか?

>こちらの基準だと全然安全ライン走ってるわけで、それこそ個人の道徳観の違いがあるからだと思っている

だからこそ先に挙げた「かもしれない運転」のように注意が必要とこちらは訴えている
他人の地雷やラインは解らない

>それについては煽りじゃないと俺が主張することまでは問題ないだろう

問題はないが客観的に苦しいと判断されないか?という指摘ではある
まぁ謝罪を受けたのでこれ以上は追求するのものではないか

■「ハート・デヴリン論争」
>当時のキリスト教徒は自分たちの価値観を傷つけられたと感じたと思うぞ

間接的に傷ついたであろう事はおそらくそうであろうと思うけど、個人が直接的に否定から入られた今回とでは状況が違くないか?

>喧嘩腰と傷つけるのはちょっとだけど違わねーか

188にて
思想の自由があるからこそいくら否定されても平気だろ?

否定という傷つける攻撃の肯定と意図が確認できるけど

>幸福を追求=自分が幸せになろうとすること、幸せを目指すこと
不快にされない=感情を害されないこと
>であるので、不快な状態であっても幸せになろうとすることはできると思うのだが

幸福を追求していい=不快状態を解消したい、は当然成り立つがそれが全てではないし
こちらが今回言っているのは繰り返すが幸福を追求していい=不快にされたくないという話であって不快な状態を排除したい、ではなくそもそも不快な状態に最初からなりたくないという話なんだが

魚の小骨が刺さってから抜くのではなくそも小骨が無い魚を食べたいって言えば伝わるだろうか?
小骨がある魚を食べる自由もリスクを許容できる範囲内と判断した人間なら好きに食べればいいって話でもある(魚の小骨が刺さったなら小骨を抜くという選択をしてもいい)

>定義とかは調べてないので間違ってたら謝る

それを言うならそもそもそちらが提唱した他人を不快にしていい権利が何に保証されたものなんだ?

>たんに置き換えているだけではあるんだが作品への言及も価値観への言及も個人から発信されたものが否定されたという形は違っちゃいないんじゃないかというだけだ

それを良しとするのは構わないが、それではそちらの言う社会的評価・価値も個人的評価・価値で否定されうるのでは?
「作品への言及(社会的評価)も価値観(個人的評価)への言及も個人から発信されたもの(個人の価値観)が否定されたという形は違っちゃいない」になりうるのだから

>ここは楽だと思うという考えの表明だけだな

それが通るならばこちらもより安全で気兼ねなく楽に議論し合える考えの表明で通るが

>自分が遵守しきれていないということもある

それ自体はこちらも人間である以上は避けられない
0
247. 名無しのあにまんch 2024年07月24日 01:47:29 ID:QyMDgzODQ
>>246
>経済性は文化的評価を含まないとするのは消費文明にそぐわない
サブカルチャーなどの大衆文化については経済評価の対象であり、また文化的評価の対象にもなっている
経済評価のなかに文化的評価は含まれておらず別途に成り立っている

>それこそ恣意的であり良い点のある程度の収束は起きるだろ
良い点の基準化ができればそれもありだけど、ヒット要因が人間賛歌なのかエモさなのかは厳密にはわからない
マンガのときはともかくアニメではアクションも評価されてるしね
というかマンガの初期にピカピカとか言ってた層と無限列車をヒットさせた層は別なので、ヒットを基準にするのであれば無限列車の新規参入層を区分してその声を分析する必要がある
ただそれもネット民の声に限られる気はする
またヒット分析であれば作品内容とは別の視点から見ることもできる
テレビシリーズはコロナの巣ごもりで配信で見る人が増えていたときに19話のアクションで一気に話題になって、映画はコロナ禍がちょうど落ち着きだしたタイミングに運よく公開となり、このタイミングでは劇場も売上減に苦しむなかでヒット作に集中する動きを見せていたが他に大作もなく、フジテレビも一挙放送など全面的にプロモーションしたことで全面的に後押しされたヒットと言える
ただしこうした要因がどれだけ影響を及ぼしたのかもわからんのと同様に内容分析とヒットの因果関係もとても難しいと思う

>批評家の意見とて忖度(今現在だとLGBT)や主観要素や作品評価以外の要素が入っているにそれを言い出すのは恣意的だ
忖度は社会的に見て今の評価基準がそこにあると判断して作品評価を下す工程なので審査に作品評価以外の要素が入っているという状況とは異なっている

>大衆文化の概念の否定であり大衆にとって良いものが文化的に良いと言えないとするのは前時代的ではないか?
そもそも評価の方法も違って評価される部分が違うものは別尺度としたほうがいい
例えば平家物語とかの仏教からの引用が山ほどあってそれ知らんと分からん作品(分からんかった)とドラゴンボールブロリーみたいな最初から最後まで殴り合ってるだけの作品を同じ軸で評価するのは変だ

>経済的面から大衆文化の隆盛を推し量るのを文化的評価の指標としないのは結論に邪魔だから意図的に排除を試みてるとしか思えないが
単に経済評価も大衆評価も文化評価も別ってだけよ
ただ大衆評価だけは適切な評価方法があるのかもしれないが一般には公開されておらず、経済評価にも大きく影響を与えるので内包される部分がある

>それが正常に行われている保証は?
これは前にも話したと思うが承認プロセスの手続きを取ることでで担保されている
現実的にすべて正しいことを証明することは不可能だが、社会的視点に立てばそうした組織的な手続きを取って認められたことによって価値が認められる
裁判が歪められてたとしても判例になったらそれが前提になるようなものだ

>であれば経済性によって『良い』とされる事が売り上げで証明されるのもまた『そういう世界』である筈だ
今の世界は資本主義なので売上が最も評価される世界となっている

>であれば社会的立場を選出された訳ではなく社会的立場を築いたとすべきでは?
いや、築くだけじゃなく認められる手続きは必要なんだ
ホストグループがアート展に協賛しようとして認められなかったということがあったが社会的な立場には承認が必要だ

>社長が説得した経緯等で例外的に外に発信されている
デミヤってそういう経緯だったのか

>だから個人の価値観が作用した事は一度も無いとは言えないのでは?
ある程度は多くの人への影響は与えているだろうよ
ただこの話は元をたどれば個人の価値観が社会の価値観には影響は与えているかだろう
ただし多くの人に影響を与えることと、様々な承認プロセスによる価値観を集積したことで構築される社会の価値観に影響を与えることは異なる
ただし、書いていて思ったが、社会的評価と個人の関係をそちらの考え方に近く落とし込むこともできる
文化芸術基本法改正の話では政治家とか官僚とかヒアリング先の有識者とか色々な登場人物の意図が絡み合いながら改正がされただろうと書いたが、こうした物事に絡める個人は僅かであり、そうした個人がそもそも社会的基準に寄与していると考えることができる
つまり例外的にレイヤーの高い個人が存在するという考え方だ
その考えに立てば社会的な価値観に影響を与える個人も存在するしクリエイターもここに入る場合がある

>寧ろこれまでの話的にどう考えても創造性とか作家性とかそういう話では?
細分化するとその能力こそ社会的視点でしか測れなくなる
作家性を測るとなれば何かしら基準は必要だ

>空の境界以降の作品も能力が変わらなかったと何を比較して断言できるんだ?
ブギーポップに影響を受けたことが何に影響を与えたかが不明だと言っていて能力に影響を与えたかも不明だと言っているだけだが
あとらっきょや月姫のときの文章力に比べると後々はすごく上手くなったと思う

>いやそんなものは問うてないだろ最初から
「何書いても売れると言わんばかり」という表現があったのでヒットさせる能力と判断した

>この場合は個人の価値観が無意味でない一例として成功例の提示なのだから失敗した例がある事とも並び立つ
この場合に成り立つのは養ってヒット作家を生み出したということまでだぞ

>そうした時期まで無かった、個人の価値観が無意味であったとはできなくないか?
10万人までは影響を与えることができただろう

>それでは主観による疑問に留まり具体的な否定とするには弱くないだろうか
前にも書いたが組織の力が乗った個人の影響力は本当に個人だけのものかという疑問だ

>1~10まで同じ評価にならないのはそちらが提示する映画祭等による普遍性も同じではないか?
これは社会的評価が合議によって生まれるものであるため個人の意見は社会的評価にそのままなることがないという話だ
映画祭等は専門家による複数人の意見の合議で決められるからこそ普遍性を探る手続きになっている

>こちらはそういう話をしてなくないか?
そういう話でなければ多くの人の意見=社会的意見と読んでいるのでは

>1~10まであって上位3つを選出して以下の7~10までの劣を選出しないのと、1~10まで1位から10位まで明確に優劣を付けるのとでは話が違う
話は違っていても選ばれなかった7~10は1~3に対しては劣だろう

>同時にこうも言っている以上は現実的には個人の価値観を無意味とするのはやはり持論を有意とすべく恣意的になっていないか?
アカデミー賞は映画業界身内賞ではあるが世界で最大の権威になっている
これは売上の方が評価基準として力を持っているのとあまり変わらない

>見えなければ無いという訳ではないだろ
測れれば指標になるが見えない=測れないのであれば社会的視点では考慮されるものにならない

>それこそマーケティングの一部として資本主義社会的には重要な意味を持っているし実際に活用されているのでは?
上にも書いたがあるかもしれないが一般には公開されていない
少なくともMAL分析の記事とか見るとそこまでいってなさそう

>サンデーサイレンスはダート(土や砂)の活躍馬
それまでダート活躍馬の買い付けがなかったわけじゃない
前年だがブライアンズタイムも買われてる
両用だったがナイスダンサーとかもダート実績は強い
あとは当時からどれだけ適正が分かってたかは微妙だが、芝・ダートの適正差って結構微妙なところがある
個人的には欧州適正よりは差が小さく見える
現代ではゴールドアリュールからナランフレグ出たし、オルフェーヴルからウシュバテソーロとか出るわけで
むしろ当時のアメリカ生産と日本生産の基礎能力には絶望的なくらい差があって、仮にサンデーがダメでも他の輸入種牡馬に席巻されてたと思う

>個人の価値観が社会に影響を及ぼした事に変わりは無い
社会に影響は及ぼしているな
ただ俺が言っている社会的評価とはそうした影響とは別途に評価されるものだ
競馬で言えばレーティングが一番近い

>その仮想した相手が自分に近い条件にしかならないのなら自問自答と大差無いのでは?
議論のテーブルに上がってる条件がまず前提だ
前提に立って話をするのでそれ以外の条件はまず考慮外ではないか?

>であれば後付けで「牛乳(それ)はダメだろ」がおかしくないか?
「ダメだろ」が検索で引っかからないのでどこの話かよくわかっていないが、まず前提が曖昧ならば議論はできない
主食の段階から先で双方が想定するイメージが異なるのであればそこを合わせに行く必要がある

>であれば最初から助成金に限ればとなるのでは?
なので最初から「この評価(助成を決定すること)の責任で言えば国にあると思うぞ」と答えているぞ

>会社(型月の商業的な面)からのFGOへの関与も携わった人間次第では地位の関係(社長)でそもそも指導側そのもの(社長)もありうる
すまん、まったく読み取れん
ただセイバーに限らず桜もコンパチ多すぎる
なぜ遠坂はイシュタル系しかいないのか

>それこそひとまず自分から切り離した想定をしてみてはどうか
多分これはどんな人の価値観も大切にするという視点だとは思うんだが、仮想であっても大多数の平均値というのは捉えがたい

>故にこそ代替が不可能なので価値がある
ここが分からない
俺からすれば「個人の価値観は自分一人のものとなる」というのは価値基準を自分の外に置いた場合には自分以外にとっては価値がないになるんだ

>であれば一纏めに、いっしょくたに全てを「社会的視点」「社会的評価」とするのが乱暴ではないか?
前にも言ったが多数の国を構成要素とする国際社会が一番適切だな
社会という時には最低でも国単位を想定している
これより小さい場合にはコミュニティとか使ってる

>これは社会ではなく企業というある意味での個人的視点ではないか?
ここは言葉足らずだった
組織であれば「弊社の立場では~」で国だと「我が国では~」だな
国際社会では国と国という個があってその合議が物事を決定づけるという考えだ

>ただ知覚能力に個人差があるように組織や社会への影響力を持つ個人であればそうした領域も遠く離れた範囲とは言えない為に、個人の価値観が作用するとも主張している
であれば結構上に書いたような個人にレイヤーがあるという考えはどうか

■道徳と暴力と否定について
>その最低限のラインが我々が普段思っている以上に低い、という話をこちらはしていたつもりだ
>だからこそ先に挙げた「かもしれない運転」のように注意が必要とこちらは訴えている
それこそ俺は多分このラインがかなり高くてきっと個人で千差万別だろう
なので健全な社会は誰もがそのラインを自由に維持して許容することだと考える
多分、ここら辺の流れはだいたい性格の違いでしかないので終わる

>貸された側が見込んだ通りの成果を上げられなかったという結果的なもの
まぁなので損をしろとは言えないが、いざという時には貸し剝がしをして倒産させることも視野に入れて貸す判断をしてるんだろう

■「ハート・デヴリン論争」
>個人が直接的に否定から入られた今回とでは状況が違くないか?
「公的な行為」かつ「公序良俗の冒涜とみなされる行為」よりは価値観の否定という意味で近いと思った

>否定という傷つける攻撃の肯定と意図が確認できるけど
188の頃から否定を強制することは不可能なので所詮は意見の表明でしかなく相手がどのように受け止めようが自由だというスタンスは崩していないんだ

>そもそも不快な状態に最初からなりたくないという話なんだが
「不快になるならば幸福を追求できていない」が成立するかだろ?
対偶だと「幸福を追求できているならば不快にならない」となる
なので成り立たないと思うのだが

>それを言うならそもそもそちらが提唱した他人を不快にしていい権利が何に保証されたものなんだ?
あらゆることは禁止されていなければそうしてもよい権利は最低限あるという立場だ
なので定義で人権に引っかかるなら謝罪する

>「作品への言及(社会的評価)も価値観(個人的評価)への言及も個人から発信されたもの(個人の価値観)が否定されたという形は違っちゃいない」になりうるのだから
いや、作品への言及は個人である限り個人的評価だ
あと別に社会的評価を個人が否定することもできる
例えば審査の結果を個人が否定することもできるし、審査に寄与した審査員が怒ることもできる
0
248. 名無しのあにまんch 2024年07月24日 14:00:45 ID:E5NzY5Ng=
>>247
>サブカルチャーなどの大衆文化については経済評価の対象であり、また文化的評価の対象にもなっている
>経済評価のなかに文化的評価は含まれておらず別途に成り立っている

その点に関しては先んじてハイカルチャー、メインカルチャーとサブカルチャーの境界が現代では曖昧だからこそ経済評価と文化的評価が直結し得ると指摘しているのに根拠を添えず別途に成り立っているとするのでは結論しかないのではないか?

>ヒット要因が人間賛歌なのかエモさなのかは厳密にはわからない

いやエモさを生んでるのが人間讃歌では?
人間讃歌がエモさの理由なのか解らない、ならまだしも文脈として理解するが
いずれにせよそれはそちら個人の主観でありその反論を是とするなら個人の価値観が無意味とはできまいよ

>マンガのときはともかくアニメではアクションも評価されてるしね

アニメと漫画では別ジャンルとしてそれぞれの評価になるというだけでは?
アニメには音楽や声優の演技も伴われる

>マンガの初期にピカピカとか言ってた層と無限列車をヒットさせた層は別なので、ヒットを基準にするのであれば無限列車の新規参入層を区分してその声を分析する必要がある

それこそ映画レビューサイトとあにまんを始めとした漫画の感想サイトで区分できる話では?
あるいはあにまんであればアニメに関しても取り扱っている

>ただそれもネット民の声に限られる気はする

映画とてそれは変わらないのでは?

>要因がどれだけ影響を及ぼしたのかもわからんのと同様に内容分析とヒットの因果関係もとても難しいと思う

そのヒットの分析とそちらが言い出した基準が無いという主張は無関係では?
強いて言えば売れた要素として運が良かったのは前提に、何がウケたのかを改めて概ね良い点として挙げられた物を集束させて核となる基準は割り出せるよねって話なんだから
要約すれば運は良かったが、運を掴めるだけの地力がどこにあったのかはよく挙げられる点がおおよその基準と言えるという話

>忖度は社会的に見て今の評価基準がそこにあると判断して作品評価を下す工程なので審査に作品評価以外の要素が入っているという状況とは異なっている

社会的に見て今の評価基準がそこにあるというのが審査するという立場において根本的におかしいし、仮にそれを認めるなら前作が受けた=今の社会的に見て評価基準上良いものであるという判断がされる事を否とするのは公平とは言えない

>そもそも評価の方法も違って評価される部分が違うものは別尺度としたほうがいい

上記の通りメインカルチャーとサブカルチャーの境界が曖昧な現代において「評価の方法も違って評価される部分が違う」とするのがそちらの持論の前提ありきでまず疑問だ
前時代的としたのはメインカルチャーとサブカルチャーがハッキリ区別できるかのように取り扱っている点にある

>例えば平家物語とか
アニメ化されたあれ?それとも原典?
後者ならジャンルもメディアも違うんだからただの当たり前体操でしかないので下記はアニメ前提で話すけど

>知らんと分からん作品(分からんかった)

いやそれは個人的事情すぎないか?
それが許されるなら知らんくても楽しめる奴は楽しめるが成立するんだが

あとアニメ化された事で前知識が無くても楽しめる人がいる点こそがメインカルチャーとサブカルチャーの境界が曖昧になっているという現象の要因の一部だろうね

>ドラゴンボールブロリーみたいな最初から最後まで殴り合ってるだけの作品を同じ軸で評価するのは変だ

区分次第では?
平家物語とドラゴンボールブロリーを「アニメ」で括るなら同じ軸で評価するべきだし
平家物語とドラゴンボールブロリーを「大河ドラマアニメ」、「バトルものアニメ」で細分化して区分けするなら別の軸で評価するべきだし

度々指摘しているが乱暴というか大雑把というか、大き過ぎる枠に全部を一纏めに押し込め過ぎではないか?

>単に経済評価も大衆評価も文化評価も別ってだけよ

別であるという結論だけで、では具体的にそれぞれどう独立していると?
現代では切り離すのが難しいと思うが?

>大衆評価だけは適切な評価方法があるのかもしれないが

これを具体的に提示せず上記の三種を別々と断言するのは早計ではないか?

>これは前にも話したと思うが承認プロセスの手続きを取ることでで担保されている

不正や非芸術的意図が介在していない担保にはならないだろう?
仮に賞を取らせたい作品を選ぶという忖度があって選ばれたとした場合は文化的な評価とは言い難い

>裁判が歪められてたとしても判例になったらそれが前提になるようなものだ

仮に不正があったならそれに文化的価値を認めるのは冒涜的だ
そのような事が起きても個人の好悪において好きでい続ける自由はあるが

>今の世界は資本主義なので売上が最も評価される世界となっている

であれば消費文明という文化における文化的価値を経済性に見出ださないのはひどく限定された話なのではないか?

>ホストグループがアート展に協賛しようとして認められなかったということがあったが社会的な立場には承認が必要だ

これも繰り返し言ってるいるがその一例をもって全体がそうであるかのように言うのはマスコミの偏向報道的で、どちらかと言えば騙しや誤魔化しに分類される手法なのでどうかと思うのだけど

というか根本的に
>ホストグループがアート展に協賛しようとして
畑違いの、ジャンルが全然違う分野でそもそも芸術界隈での社会的立場が築けていなかったという話では?
加えて商業的に企業の社長である事と特定分野における狭い社会での話を混同させるのは話が違くない?
そのホストグループの成り立ちも型月のそれと同一視していいのか解らんし

>ただし多くの人に影響を与えることと、様々な承認プロセスによる価値観を集積したことで構築される社会の価値観に影響を与えることは異なる

具体的には?

>つまり例外的にレイヤーの高い個人が存在するという考え方だ

個人単体で社会に影響を及ぼせるのは例外的存在である事は認めている
ただそれをレイヤーの高い個人として別枠に置こうとするのは力業すぎなくない?

>作家性を測るとなれば何かしら基準は必要だ

だからこちらは最初からジャンルで例えていたと思うけど

ついでに同年と言っても
ブギーポップ 1998年2月刊行で空の境界 1998年10月WEB上で発表の約八ヶ月の期間の空きがあり

>どこの部分で影響を受けたが厳密には不明
に関しては推測するなら時系列のシャッフルによる叙述トリック的な錯誤、少年的な喋り方をする二重人格の女性主人公、特殊な能力を持った怪物との対峙、宇宙から観測し干渉する超越存在、忘却録音で描かれた学園に潜む男女ペアとの対決

後年のFateとの共通点になるが己の心中に内在する世界に君臨する弓道部のシロウと誰に頼まれたでもなく事件を解決する正義の味方という概念

影響が全く無いとするのも考えにくい程度には要素は見受けられると思うよ

ちなみに類似性がたまに挙げられるイナズマと直死の魔眼は空の境界の発表時期的には直死の方が先と判断するべきだろうね

>ブギーポップに影響を受けたことが何に影響を与えたかが不明だと言っていて能力に影響を与えたかも不明だと言っているだけだが

少なくとも空の境界は断言できないけど士郎のキャラクター造型には意識したか潜在的にかは解らないけど影響はありそうだね
加えて「書きたいものはこれだ」という社長の言葉からモチベーションや方向性に関するものであるのも推察できる

>「何書いても売れると言わんばかり」という表現があったのでヒットさせる能力と判断した

文脈的に少しズレてないかな?

「世に広く受け入れられるのに書き手は自身適性の認識が必要(書きたいものと書くべきものが合致するとは限らない)。(那須きのこは武内社長によってもたらされた訳だけど)小説家に分類される人間は何書いても売れると言わんばかりの認識は創作作業を甘く見てないか?=小説家の能力を数値みたいなものだと思ってない?」
に対して
「ヒットさせる能力を作家の能力とは言っていない」

だと「何書いても売れると言わんばかり」だけで判断していて文脈ガン無視なんだけど

>この場合に成り立つのは養ってヒット作家を生み出したということまでだぞ

その背景に個人の価値観があったという話では?
まさか既に当時社会的評価があったとは言えないのだから

>10万人までは影響を与えることができただろう

それは何を参照しての10万人?

>前にも書いたが組織の力が乗った個人の影響力は本当に個人だけのものかという疑問だ

組織的な個人の介在しない仕事は当然ある、しかし
ではこのケースは組織単独のものか?違う筈だ
組織の力が乗ったにせよ混在するにせよ個人の信条、持論、好悪、欲求それら価値観に基づくもので動かした核となる個人がいる

戦争で軍人が人を殺した際に国が保証するケースと、殺人に使われたナイフや銃などの道具ではなく個人に責を求められるようなものだ
組織は常にシステムなのではなく状況次第で道具になる

>まほよ
どちらかと言うとウケなかったのではなく当時社会が震災で大変だったのと、きのこが続き出さなくて買うに買えなかった感じでないかなぁ

>映画祭等は専門家による複数人の意見の合議で決められるからこそ普遍性を探る手続きになっている

だが同じ作品が違う映画祭で受賞する部門にバラつきが生じる事は現実問題発生している
であれば映画祭にのみ頼るそちらの持論では普遍性に脆弱性が生じる

というか複数種類の映画祭が存在する点から普遍性ではなく解釈の多様性が導き出されてるんじゃないか?

加えて根本的にそちらの言う「文化的評価の普遍化になっている」が「俺はそう思います」の域を出ないのでは?

researchmapでPDFとして配布されている広島の大学教授が論文として書いた 映画祭における3つのマーケティング からの抜粋になるけど
「映画祭には、映像産業の振興と発展のほか、映像産業に関連する人材の発掘と育成、 開催地の観光振興や街づくり、地域活性化、文化振興などのさまざまな波及効果が期待されている。」
とはあるように文化的評価の普遍化に関しては触れられておらず、また、映画祭の意義や開催目的で調べてみた限り文化的評価の普遍化に触れたものはなかった

一応そうという前提で今まで話を聞いてはいたが、そちらの思想や思考以外に何に根ざしたものなんだ?

>そういう話でなければ多くの人の意見=社会的意見と読んでいるのでは

いやそういう話ですらなくて
「個人の価値観において見出だした作家とその作品がサブカルチャーにおける文化評価のある種の社会的評価・文化的評価の基準を生み出した例外側では?」
「でもそういう実績から審査員として社会的評価を個人で決定づける立場になった訳ではないし」

なんで無理矢理、審査員とか社会的評価を決める方向に力業で持っていこうとするんだ?
こちらが知る限りでは確かに何等かの公的な審査員になった話は聞かないけど
この場合、論点は実績の肯定か否定かでは?

>話は違っていても選ばれなかった7~10は1~3に対しては劣だろう

だが7~10の間で明確に劣が明らかになった訳でもなく、1~3と比べて相対評価で劣とするなら絶対評価で劣と決まったものでもないのでは?

>アカデミー賞は映画業界身内賞ではあるが世界で最大の権威になっている
これは売上の方が評価基準として力を持っているのとあまり変わらない

だというのに個人の価値観を無意味とするのは「社会的評価至上主義」とでも言うべき個人の価値観によるもので、個人の価値観を無意味とするなら個人の価値観に基づいた「社会的評価至上主義」も無意味で、個人の価値観を認めるなら個人の価値観に基づいた「社会的評価至上主義」も成立はするが万人に適用されるものではないのではないか?

>測れれば指標になるが見えない=測れないのであれば社会的視点では考慮されるものにならない

それでは235でそちらが否定的した「それってこの世界には自分しかいないとか、自分が認識しないものは存在しないとかの哲学も考慮するってことだろ。そこまでいくと何の基準もないので何一つ意味がないぞ」の自分が認識しないものは存在しないという哲学的考慮になるのでは?
社会的視点で話すのならブラックボックス化されて観測はできていないが影響力自体はある領域という話だと思うが

>上にも書いたがあるかもしれないが一般には公開されていない

だから存在しないとするには自己の主観を第一としすぎるのでは?

>前年だがブライアンズタイムも買われてる

全米芝牡馬チャンピオンであり当然、芝GⅠ勝利の実績を持つサンシャインフォーエヴァーが交渉決裂で購入できなかったから母が全姉妹、さらに同じ父を持つ全兄弟も同然の血統構成の従兄弟であるブライアンズタイムが代替購入されたのだから寧ろ血統的には購入者個人に限らず競馬社会で走る芝馬が出てくるのを期待されてその通り走ったケースやん

>両用だったがナイスダンサーとかもダート実績は強い

ノーザンダンサー、ノーザンテーストの実績が既にあった状態で血統的裏打ちがあっての輸入だからやはり個人の価値観による購入への反証とするには違くない?
ノーザンダンサー→ニジンスキー→マルゼンスキーの流れやノーザンテーストで日本の芝適性が見込める前例はあったんだから

>芝・ダートの適正差って結構微妙なところがある
個人的には欧州適正よりは差が小さく見える

日本の芝とアメリカのダートって話ならそれは日本の芝馬がアメリカのダート勝たないと何とも言えないんじゃないかな

>現代ではゴールドアリュールからナランフレグ出たし、オルフェーヴルからウシュバテソーロとか出るわけで

調べたらナランフレグは母系にタマモクロスやそれこそ前述のブライアンタイムズがいるんで母系の血が出たで寧ろ説明つくのでは?

ウシュバは言うてそもそもオルフェ当馬がSS直系且つ実はダート馬説を冗談か本気かしらないけど挙げられるような奴で産駒には他にもギルデッドミラー、ショウナンナデシコ、マルシュロレーヌがいるので「まぁアンタ程の三冠馬が出す産駒なら…」の範疇では?

>仮にサンデーがダメでも他の輸入種牡馬に席巻されてたと思う

それと仮にサンデーがダメで社台が倒産したケースに繋がるのとでは話が違う

>ただ俺が言っている社会的評価とはそうした影響とは別途に評価されるものだ
競馬で言えばレーティングが一番近い

SS直系にジャスタウェイおるやん

>議論のテーブルに上がってる条件がまず前提だ。前提に立って話をするのでそれ以外の条件はまず考慮外ではないか?

それが許されるなら持論に有利な条件の出来レースでどんな結論も成立してしまう
故に先に相手とのレギュレーション決めるのが先決で、一方的に自分の視点だけを先にテーブルに置いては議論にならない

>「ダメだろ」が検索で引っかからない

「それはダメだろ」というタフ語録が通じない悲哀を感じますね

>主食の段階から先で双方が想定するイメージが異なるのであればそこを合わせに行く必要がある

だから上記のようにまず自分の視点だけをテーブルの上に置くのではなく双方で取り決める必要がある

>なので最初から「この評価(助成を決定すること)の責任で言えば国にあると思うぞ」と答えているぞ

であるのにその一例で全て国の関与下にあるかのように言ってしまえば過言ではないか?

>すまん、まったく読み取れん

そりゃ会社から指導される側のクリエイターが指導する側の経営者も兼ねてりゃ売れるとさえ思ってりゃ自分の出したい物を出すのを容認する出来レースが起きうるよねって話

>桜もコンパチ多すぎる
きのこが桜好きだからですね
CCCは初代へのリベンジもあると思うよ

まぁつまり社長のセイバーと同じくクリエイター側の(個人の価値観における)意向よ

凛は凛でエルメロイ2世シリーズに本人として出てるし

>多分これはどんな人の価値観も大切にするという視点だとは思うんだが、仮想であっても大多数の平均値というのは捉えがたい

だからと言って自分の視点を大多数の平均値に据えるのも違くない?

>俺からすれば「個人の価値観は自分一人のものとなる」というのは価値基準を自分の外に置いた場合には自分以外にとっては価値がないになるんだ

その価値を認めないなら「自分だけが正しい」とせずに他人と議論しようとするのが間違いでは?
自分には解らない価値の解析や比較による自省に繋がらないなら自己問答を繰り返す方がよほど有意義だ

加えて言えば「自分に取って価値がある」と「他人に取っても価値がある」は両立し得る

>社会という時には最低でも国単位を想定している

であれば国や文化の垣根を越えた普遍性を映画祭に求めているのに国単位で考えるのは寧ろ範囲を限定してしまわないか?

>国際社会では国と国という個があってその合議が物事を決定づけるという考えだ

国際法や貿易などはそれでいいかもしれないけど文化的な取り決めに対しては芸術や娯楽方面に対して国の干渉を認めるかのような話にならないか?

>であれば結構上に書いたような個人にレイヤーがあるという考えはどうか

こちらも重ねるが例外的な個人である事は認めるがレイヤーを別におくのは持論に合わせて力技で押し込めてない?

■道徳と暴力と否定について
>ここら辺の流れはだいたい性格の違いでしかないので終わる

いや実は結構、意外に法的に低い位置にあるんですよって話
高いのは手間と費用による敷居

>いざという時には貸し剝がしをして倒産させることも視野に入れて貸す判断をしてるんだろう

抜粋になるが
>貸しはがしを迫られても、借り手に応じる義務はありません。民法136条1項で「債務は期限が到来するまでは履行しなくてよい」と定められているためです。これを「期限の利益」と言います。
 
銀行側が貸し剥がしを行うには
・一度でも、一日でも返済の遅れがあった時
・借り入れ時に契約書の内容に虚偽の申告があった場合
・債務者が破産宣告を受けたり何等かの理由で担保を供するのが困難になった場合

などの条件が必要で「いざという時には倒産させてでも貸し剝がしをすればいい」みたいな気楽な話ではないそうだ

■「ハート・デヴリン論争」
>「公的な行為」かつ「公序良俗の冒涜とみなされる行為」よりは価値観の否定という意味で近いと思った

個人の判断の話であればやむなし

>188の頃から否定を強制することは不可能なので所詮は意見の表明でしかなく相手がどのように受け止めようが自由だというスタンスは崩していないんだ

だから自身の目的の為に喧嘩腰でいい、はされた側はたまったものではないという点で危ういように思うが

>対偶だと「幸福を追求できているならば不快にならない」となる

「他者から不快にされて幸福を追求できる状態にない」に対しての「他者から不快にされず、幸福を追求できる状態にある」ではないか?

>あらゆることは禁止されていなければそうしてもよい権利は最低限あるという立場だ

いやつまりそれ何かに正しさを保証されていない「よく解らんけど多分良いでしょ」っていうだけでは

>なので定義で人権に引っかかるなら謝罪する

第12条【自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任】
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第13条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


第12条に於いて他人を不快にするという公共の福祉への責任に反する濫用の該当並びに、第13条においては「公共の福祉に反しない限り」に抵触しての権利喪失ですね>他人を不快にしていい権利

>いや、作品への言及は個人である限り個人的評価だ

それは流石に選択的すぎないか?
であれば型月の例で言うなら発刊や製作に組織の手も加わっていようと個人が書いた作品も個人の評価とすべきになる

>あと別に社会的評価を個人が否定することもできる
例えば審査の結果を個人が否定することもできるし、審査に寄与した審査員が怒ることもできる

であれば寧ろ社会的評価に何の意味も無くなってしまうのでは?
個人の否定で覆る決定に何の普遍性があるのか?
0
249. 名無しのあにまんch 2024年07月26日 03:32:50 ID:M2MzQ4MTY
>>248
>ハイカルチャー、メインカルチャーとサブカルチャーの境界が現代では曖昧だからこそ
メインカルチャーでもサブカルチャーでも経済的評価と文化的評価は別軸で評価できるだろう
カルチャーの境界が曖昧だからこそ直結するという理由がわからない

>いずれにせよそれはそちら個人の主観でありその反論を是とするなら個人の価値観が無意味とはできまいよ
>アニメと漫画では別ジャンルとしてそれぞれの評価になるというだけでは?
>そのヒットの分析とそちらが言い出した基準が無いという主張は無関係では?
どの要因かにはこだわっていない
どの要因が重要かが指標化できないと言っているだけだ
俺が適当に書いた分析もウケた要素の抽出もどちらが大きな影響を及ぼしたのかが分からないって話だ

>それこそ映画レビューサイトとあにまんを始めとした漫画の感想サイトで区分できる話では?
例えばあにまんと映画ドットコムのレビューを分けるというのもできるだろうがその正当性をどうやって担保するかだ

>社会的に見て今の評価基準がそこにあるというのが審査するという立場において根本的におかしい
何故これが根本的におかしいと言い切れるんだ?
その審査員たち全員がそう評価基準を判断するならば多くの同様の立場の人間はそのように判断するということだろう
ちなみに前作がウケたから今作もヒットしたというのは経済的評価においては問題ないが文化的評価において考慮される要因になりえない

>前時代的としたのはメインカルチャーとサブカルチャーがハッキリ区別できるかのように取り扱っている点にある
メインカルチャーとサブカルチャーの区分をどこに設けているのかが分からないんだが、例えば映画なら映画というジャンル、アニメならアニメというジャンルの中で評価される
それぞれのジャンルの中にも様々な軸の評価が存在するというだけじゃないか?
平家物語はアニメで挙げたので、そちらが言うようにドラゴンボールブロリーと同様にアニメという枠の中で評価されるが、経済的評価のような一つの評価軸だけで評価されるのではなく社会的評価としていくつかの評価軸によって評価されると言いたい

>別であるという結論だけで、では具体的にそれぞれどう独立していると?
売上による経済的評価と賞などの文化的評価
大衆評価は指標化が厳密にはできていないが口コミなどによる評判
経済的評価と大衆評価は切り離すのは難しいが、FILM REDとかアマレビュ低かったこともあり位置付けは難しい
別に俺としては大衆評価は経済的評価の一部でしかないと言ってもいいし、社会的評価として他に並び立つものがあればそれも問題ない

>不正や非芸術的意図が介在していない担保にはならないだろう?
不正を前提とするのであればあらゆる評価はできない
極論、任天堂が世界中で金を配ってマリオをヒットさせていないことを証明することはできない
個人目線でこれを疑うことは自由だが社会的視点では指標の結果は受け止める
当然、不正があれば結果は正される

>消費文明という文化における文化的価値を経済性に見出ださないのはひどく限定された話なのではないか?
消費文明だからこそ経済的評価は独立して評価足りえるのでは
なんか言葉の定義の話な気がするが文化的価値という言葉に別の意味を持たせようとしてないか?
それこそ大衆評価=文化的価値みたいな

>一例をもって全体がそうであるかのように言うのはマスコミの偏向報道的
「社会的な立場には承認が必要だ」についてホストグループの話は一例だ
主張は築くだけでなく承認されないといけないというところだ
これが森ビルとかでなく国だともっとシビアだろう

>具体的には?
1万人のファンに影響を与えるのと国や国際基準の審議に関わるのは違うとかそんなかんじ

>それをレイヤーの高い個人として別枠に置こうとするのは力業すぎなくない?
社会的な決定や評価に関わる個人が一定数いるのだからこそそうした人たちはレイヤーを分けなければおかしいだろう
社会的に認められた立場でない個人がある日急にこうした手続きに関わる可能性は正直ゼロだ

>作家性を測る基準
そういうことでなく、能力としての作家性をどうやって測るかだ

>ブギーポップ 1998年2月刊行で空の境界 1998年10月WEB上で発表
それらの要素ならびにちょっと淡々とした雰囲気とかには近しいものは感じるがどこまで影響を受けたかは推測にしかならないだろう
菊地秀行の影響下にもあるということでより区分が難しい
なんというかきのこは学んで取り込んで自分のものにしてるので影響があったから能力が上がったと言い切れないと思うのだが
あと個人的にではあるが奈須きのこのオリジナリティで一番すごいと思うのがインパクトがあってわかりやすい能力設定なんだが、仮に直死が影響を受けたとすればイナズマではなくイマジネーターのストレンジ・デイズだろうがこれは8月刊行なので怪しいと思ってる

>「書きたいものはこれだ」という社長の言葉からモチベーションや方向性に関するものであるのも推察できる
そうした推測が成り立つことには同意する
個人的予測としては学生キャラクターによる異能力を扱った伝記サスペンス風バトルというジャンル自体を指すのではないかと思う

>文脈的に少しズレてないかな?
「優れた恋愛小説家が優れたホラー作家でもあるとは限らないように」に続いて「何書いても売れると言わんばかり」だから恋愛小説もホラーもヒットさせる能力と文脈を読み解くのは自然だろう

>その背景に個人の価値観があったという話では?
個人の価値観によってヒット作家を生み出したの先は組織の力が合わさったからだと考えている
アニプレ岩上の(ufotableを評価した)個人の判断があってらっきょができてそこからソニーグループとしての決済もおりて3社プロジェクトがはじまってFatezeroのアニメが当たってFGOが当たった

>それは何を参照しての10万人?
だいたい当時の売上規模から買ったけどファンにならなかった人も差し引いて

>核となる個人がいる
その全てが核となる個人のものとすることへの疑義だ
当然逆に全てが組織のものとも言っていない

>まほよ
すまん、当時は延期で俺自身も冷めてしまって周りやネットの反応からもFateのときのような熱を感じなかったのだが、これも大衆評価の基準不在みたいなもんでほんとにそうなのかは分からない

>だが同じ作品が違う映画祭で受賞する部門にバラつきが生じる事は現実問題発生している
それこそが普遍性を担保していると考えている
評価軸が少しずつ異なる中で分野が偏るか、それともまんべんなく評価が分かれるのかによってもその作品の総体的な評価が定まる

>映画祭における3つのマーケティング
だってその先生は地域創生学部だからなぁ
視点がそもそも映画祭による地域活性だぜ
賞や映画祭が作品評価を第一義とするのは当然だと思うが、賞が何のためにあるのかってとこまで遡るのか?

>個人の価値観において見出だした作家とその作品がサブカルチャーにおける文化評価のある種の社会的評価・文化的評価の基準を生み出した例外側では?
そもそもだが奈須きのこは何の文化的評価の基準を生み出したんだ?
俺は社会的な視点から承認プロセスを取ったものを文化的評価としているのでそれに当たらないと言っているのだが

>1~3と比べて相対評価で劣とするなら絶対評価で劣と決まったものでもないのでは?
その選出の際の基準では劣となっている

>万人に適用されるものではないのではないか?
世界で最も力を持つ映画業界たるハリウッド映画業界によって認定される身内賞なのでアカデミー賞自体も社会的評価ではある
なので売上と同様に評価基準として力を持つと言っており、個人の価値観はこれに類するものではないという話だ

>自分が認識しないものは存在しないという哲学的考慮になるのでは?
存在するかどうかでなく指標として見る中で考慮対象とするかの違いとなる
個人の影響力の積み重ねという構造は否定しない

>それでは235でそちらが否定的した
これは上で

>だから存在しないとするには自己の主観を第一としすぎるのでは?
大衆評価については俺はとくに主張していないぞ
概念上それがあることは認めていて、ただし俺はそれを測るいい方法を知らないと言っているだけだ

>血統的には購入者個人に限らず競馬社会で走る芝馬が出てくるのを期待されてその通り走ったケースやん
それ言うならサンデーの父のヘイローも芝勝ってるわけでそれを目的に買ったと言っても不思議はない
ここら辺の話はサンデーサイレンスのみダートの活躍馬だから芝では産駒が走らないとするのは不自然だというだけだ

>ナランフレグとウシュバ
正直、血統って遡れば大体すごいのいるから何とでも言えるんだよ
適正見極めもウシュバをずっと芝で走らせ続けるくらいなんで割と境界を見分けるのが難しいぐらいの違いだと思うぞ

>SS直系にジャスタウェイおるやん
ここはレーティング決める手続きのことを指している

>故に先に相手とのレギュレーション決めるのが先決で
言っている意味は同じだが、例でしかない主食の話だとこのレギュレーションが決まってないので決めないといけなかったということだ

>「それはダメだろ」というタフ語録が通じない悲哀を感じますね
そういやタフは尊鷹が生きてたあたりでなんか読まなくなったわ
ゴリラが強いのは知っている

>その一例で全て国の関与下にあるかのように言ってしまえば過言ではないか?
ここでは例に出された助成の話しか回答してなくないか?全てとか言った記憶がないのだが

>そりゃ会社から指導される側のクリエイターが指導する側の経営者も兼ねてりゃ売れるとさえ思ってりゃ自分の出したい物を出すのを容認する出来レースが起きうるよねって話
あーそういうことか理解した
ただその場合には社長としての地位がある時点で被指導側には立てないんじゃないか?

>きのこが桜好きだからですね
FGOでも多いとおもうんだよな
エルメロイ2世シリーズは凛はいるけどメインはやはりセイバー顔ですな

>だからと言って自分の視点を大多数の平均値に据えるのも違くない?
ここはそちらの言っている前提に立とうとしてるんだがどうも上手くいかないという試行錯誤だ

>その価値を認めないなら「自分だけが正しい」とせずに他人と議論しようとするのが間違いでは?
納得できるロジックがあれば理解できるはずだ
万人の価値観の中で「自分一人の個人の価値観」が他から見て価値あるものとなる理を示してほしい

>「自分に取って価値がある」と「他人に取っても価値がある」は両立し得る
これは小さなコミュニティとかであればそうだろうからわかる

>であれば国や文化の垣根を越えた普遍性を映画祭に求めているのに国単位で考えるのは寧ろ範囲を限定してしまわないか?
メインは国際社会よ
社会という言葉を使うときの最低範囲は国だ
(前にあった無政府状態とか例外的状況はあるだろうが)

>国際法や貿易などはそれでいいかもしれないけど文化的な取り決めに対しては芸術や娯楽方面に対して国の干渉を認めるかのような話にならないか?
また映画の話になるが国際映画祭を認定する国際映画製作者連盟のような国際組織はそれぞれの国単位で組織加盟がされている
音楽ではIFPIなど他ジャンルでも色々ある
なので国単位であっても実際には国そのものじゃないこともある
とはいえ国からの干渉もあると思うが、そこから脱却するのは国際的な企業体の連合とかしかありえず、その方がより干渉は強そうに思える

>こちらも重ねるが例外的な個人である事は認めるがレイヤーを別におくのは持論に合わせて力技で押し込めてない?
一流クリエイターとかだけなら例外になると思うが、審査員になる専門家とか役人とかが寄与するとなると例外というよりは寄与できる立場に選ばれた人々という方が適切ではなかろうか

■道徳と暴力と否定について
>いや実は結構、意外に法的に低い位置にあるんですよって話
訴える行為自体はたしかに低いところにあるな
そのアクションにおよぶ心理には上下はあっても

>貸しはがしを迫られても、借り手に応じる義務はありません
勉強になった
「一度でも、一日でも返済の遅れがあった時」というのはきついだろうな

>だから自身の目的の為に喧嘩腰でいい、はされた側はたまったものではないという点で危ういように思うが
まぁこれをどう受け止めるかも性格だ

>「他者から不快にされず、幸福を追求できる状態にある」ではないか?
それは裏じゃないか?
「a⇒b」の裏が「¬a⇒¬b」
対偶が「¬b⇒¬a」
対偶は真だが裏は真とは限らない

>いやつまりそれ何かに正しさを保証されていない「よく解らんけど多分良いでしょ」っていうだけでは
道徳を正しさだとしても、それは遵守が必須ではなく個人には正しさと異なる意向を優先される権利はあると言い換えてもいい
個人的には好きではないが法に引っかからない範囲でポケカ売る権利は認められる方がより正しく、これが良くないなら法で規制するほうが適切だと考える

>公共の福祉への責任に反する濫用の該当並びに、第13条においては「公共の福祉に反しない限り」に抵触
公共の福祉は他人の「人権」を侵害するような自由及び権利は制限されるという解釈が通常で、この場合の人権が基本的人権および新しい人権のうち規定されたものであれば引っかからなくないか
幸福追求権については上の通り

>型月の例で言うなら発刊や製作に組織の手も加わっていようと個人が書いた作品も個人の評価とすべきになる
なんか食い違ってる気がしているが
こちらが言っているのは批評家であっても誰か個人が評価したのは個人的評価だということで、社会的な組織が連名で評価したら社会的評価になるということだ
型月の例に置き換えると、テキストはきのこで絵は社長というように役割が明示されていればその部分は個人を評価できる部分であり、作品全体は組織によるものとして評価の対象になる

>であれば寧ろ社会的評価に何の意味も無くなってしまうのでは?
社会的評価になったものであってもそれを個人が自分の価値観で否定する権利はあるし、別に個人の価値観で否定されても評価が覆るわけではないだけじゃないというか
前だとエブエブ納得できないみたいな話
0
250. 名無しのあにまんch 2024年07月26日 16:58:05 ID:E0MzEwNA=
>>249
>カルチャーの境界が曖昧だからこそ直結するという理由がわからない

現代の消費文明において資本主義という指標の元に経済性を生み出すという点がを文化的評価とは別と言い切るのも難しくはないか?
売れたもの、文化的に良いものは関連商品が生み出され後追いのフォロワーも生む
その上でハイカルチャーは消費するのにも教養ないし資本が必要だった立場から現代では消費の敷居が低くなった為に上記の枠に取り込まれる分野も今や少なくないという話

>どの要因が重要かが指標化できないと言っているだけだ

いや複合的なものだろ
特定の要因‘だけが’重要なんじゃなく複合されて出されたものが作品の味なんだから

>その正当性をどうやって担保するかだ

その辺りはある程度の共通見解を客観的意見として取り入れつつ、最終的には自分の価値観に基づいた自身の見解や好悪を出す過程で消費される部分なので「概ねの傾向」という扱いで取り回す、正しさの証明ではなく世間的にはそういう声が多いというだけの話であるのを扱う側が注意するって話になりそうだ

>その審査員たち全員がそう評価基準を判断するならば多くの同様の立場の人間はそのように判断するということだろう

それは後世の人間が当時(我々に取っての現代)の文化的背景を理解する必要がある部分で「今(当時)はこれが受けて売れる」という消費的経済評価による良し悪しの判断基準であり普遍的文化評価ではなくないか?あるいは消費文明的な尺度では文化的評価に含まれるとするなら下記の前作がウケたからという要因は省くのは選択的ではないか?
文化的背景でそういう作風が生まれた学術性と美術性では話が別ではないか?という話でもある

>ちなみに前作がウケたから今作もヒットしたというのは経済的評価においては問題ないが文化的評価において考慮される要因になりえない

上記のようにそう判断するのであれば忖度と同じく「沢山の人が消費するという形で、そう評価基準を判断するならば多くの同様の立場の人間はそのように判断するということだろう」とするか忖度を芸術性においては(それをテーマとして昇華していない限りは)評価の基準に無いとすべきなのでは?

>それぞれのジャンルの中にも様々な軸の評価が存在するというだけじゃないか?

そういう意図ならそもそも必ずしも社会評価が上とは言えないのでは?
映画祭のシステムは映画祭にしか使えない

>アニメという枠の中で評価されるが、経済的評価のような一つの評価軸だけで評価されるのではなく社会的評価としていくつかの評価軸によって評価されると言いたい

その社会的評価とは具体的に?

>売上による経済的評価と賞などの文化的評価
>大衆評価は指標化が厳密にはできていないが口コミなどによる評判
>別に俺としては大衆評価は経済的評価の一部でしかないと言ってもいいし、社会的評価として他に並び立つものがあればそれも問題ない

そちらはそう定義しているとしてひとまず話を続ける

>不正を前提とするのであればあらゆる評価はできない
>個人目線でこれを疑うことは自由だが社会的視点では指標の結果は受け止める

だからこそ他人の評価ではなく自身の価値観や好悪に意味がある
それはそれ、これはこれとして自分が触れて感じたままの評価に

>消費文明だからこそ経済的評価は独立して評価足りえるのでは

それと経済性を通して大衆からの文化的評価が反映されるのとでは別の話では?

>それこそ大衆評価=文化的価値みたいな

サブカルチャーが大衆文化である以上は大衆評価≒文化的価値であるのはそりゃそうでは?
故にサブカルチャーとメインカルチャーの境界が曖昧になった現代では特定のエリート層のみならず個人の集合としての大衆も「この時代(我々にとっての現代)の文化」においては文化的価値の寄与に無関係と言えないのでは?

>主張は築くだけでなく承認されないといけないというところだ

だとしてもホストグループの例はそもそも築く段階に行ってないし、承認が必要という例もあるに留まる話で根本的な反例にならなくないか?

>1万人のファンに影響を与えるのと国や国際基準の審議に関わるのは違うとかそんなかんじ

その基準でもアカデミー賞があるのでは?

>社会的な決定や評価に関わる個人が一定数いるのだからこそそうした人たちはレイヤーを分けなければおかしいだろう

だとしても、百歩譲ってレイヤーを分けたとしてもそういう個人がいる以上は個人の価値観が無意味とはできないのでは?

>社会的に認められた立場でない個人がある日急にこうした手続きに関わる可能性は正直ゼロだ

だがある日、急にでなければ可能性がゼロではないのでは?

>そういうことでなく、能力としての作家性をどうやって測るかだ

それに悩むぐらいならそも影響を受けても能力は変わらないと表したのが早計だったのでは?
ジャンルが違えば能力を発揮できる範囲が違うのでは?という指摘であった訳だし

>どこまで影響を受けたかは推測にしかならないだろう

だが影響を受けているのは確かなのでは?

>菊地秀行の影響下にもあるということでより区分が難しい

まぁそもそも上遠野先生も菊地秀行の影響(ブギーポップの二重人格と糸使いと最強的立ち位置と秋せつらの類似性という形で)受けてるので間接的にも直接的にもきのこが影響受けてるのは間違いない

というか菊地秀行を摂取したのも武内社長が先に読んでた影響あってだし

>能力が上がったと言い切れないと思うのだが

いや最初から能力が上がったなんて話をしてなくないか?
こちらがしたのは少なくとも現状程には評価されている作家性の方向性、指向性を社長が示したって話であるから

後述から持ってくるが

 「書きたいものはこれだ」という社長の言葉からモチベーションや方向性に関するものであるのも推察できる
 そうした推測が成り立つことには同意する

という話であって

>仮に直死が影響を受けたとすればイナズマではなくイマジネーターのストレンジ・デイズ

248のように直死に限ればブギーポップの影響はないかなとこちらも考えている

>「優れた恋愛小説家が優れたホラー作家でもあるとは限らないように」に続いて「何書いても売れると言わんばかり」だから恋愛小説もホラーもヒットさせる能力と文脈を読み解くのは自然だろう

こちらの改行が足りずそこを結びつけたのは理解したけど、それで言うなら
『「何書いても売れると言わんばかり」だが、「優れた恋愛小説家が優れたホラー作家でもあるとは限らないように」示された優れた方面の方向で能力を扱うのが大事』って話で
そちらが恋愛小説もホラーもヒットさせる能力と文脈を読み解くに至ったのは理解したけど自然かと言われると「優れた恋愛小説家が優れたホラー作家でもあるとは限らないのに、何書いても売れると言わんばかり」を「優れた恋愛小説家が優れたホラー作家でもあるとは限らないけど何書いても売れる」とするのは妙な繋げ方して意味反対になってんなぁとはなる。自然かと言われると納得はしがたい

>個人の価値観によってヒット作家を生み出したの先は組織の力が合わさったからだと考えている

そもそもアニメ化の話が来た時点できのこはヒット作家ではなかったか?
出来はノーコメントだけどアニメは月姫でもあったけど、アニメが売り上げにあまり寄与してないだろうに月姫もメルブラもアンソロジー本や同人が当時エグい量出ていたし

それこそアニメ化による爆発的跳ね方なら近年だと鬼滅、スパイファミリー、フリーレンだけどそれら3作品のアニメ化前後を比較しても

鬼滅が350万部から1200万部(そこから昇り続けて一億)

スパイが1500万部から3500万部

フリーレンが1000万部から2000万部

強いて言えば初期値が一番低い鬼滅が「漫画読む層には大ヒットしている」ってレベルだけどそれでも話が来た段階ではヒットしていると言っていいだろうし、それこそきのこがコミックスの帯に推薦文を寄稿してたりする

いずれにせよ、より跳ねたのは確かにせよそれ以前がヒット作家ではないとは言い難いんじゃないか?

>だいたい当時の売上規模から買ったけどファンにならなかった人も差し引いて

買ったけどファンにならなかった人は何を参照して?

>その全てが核となる個人のものとすることへの疑義だ。当然逆に全てが組織のものとも言っていない

とは言え繰り返すが型月に限れば諸々が武内社長に起因するのは確かでないか?
その上で核となったコンビの出発点に武内社長の価値観が在ったという話で功績を核となる個人に集約するというものではない

>Fateのときのような熱を感じなかったのだが、これも大衆評価の基準不在みたいなもんでほんとにそうなのかは分からない

それは大衆評価の基準不在ではなく自己主観(冷めたという自身の価値観)によるバイアスと一作品で完結したFateと続編前提ながら続き待たされたまほよとの相対評価で後者が下回った話ではないか?

>それこそが普遍性を担保していると考えている
>評価軸が少しずつ異なる中で分野が偏るか、それともまんべんなく評価が分かれるのかによってもその作品の総体的な評価が定まる

であれば上記のレビューサイトやあにまん内で無数の意見の中で評価軸が少しずつ異なる中で分野が偏るか、それともまんべんなく評価が分かれるのかによってもその作品の総体的な評価が定まり普遍性を担保されてる事になるが

>賞や映画祭が作品評価を第一義とするのは当然だと思うが、賞が何のためにあるのかってとこまで遡るのか?

言うてその地域創生学部の先生の論文ぐらいしか学術的な定義付けが見当たらない上に非学術的な記事ですら作品評価や映画の売り買い、優れた作品の喧伝に関しては触れても普遍化に言及したものは見当たらなかったんだが

映画祭が賞や作品評価を第一義とするのに異はないがそれが普遍化を目指したものとまで言ってしまうのは過言というか、そう定義づけてしまうのはそちらの個人的価値観(ロマン)によるものではないか?

>そもそもだが奈須きのこは何の文化的評価の基準を生み出したんだ?

少なくとも今現在のサブカルチャーにおいては俺式魔界転生であった筈のFateが終末のワルキューレ等の後続作品を魔界転生フォロワーではなくFateフォロワー扱いされる状況を生むに至り、運命構図の浸透や宝具という概念から

神話の見直しによるこれまで埋もれていた存在の再評価

実際にそうかは別として領域展開と固有結界を類似性から推測レベルでなら呪術廻戦への影響を示唆されるなど事実かは別として比較や引き合いの対象として持ち出される基準になっているのは否めないのでは?

>俺は社会的な視点から承認プロセスを取ったものを文化的評価としているのでそれに当たらないと言っているのだが

また、その視点から見ても奈須きのこ・TYPE-MOON評論誌「Binder.」を発刊している型月伝奇研究センター(型伝研通信 Vol.1と型伝研通信 Vol.2の無料配布もあり)の記述から抜粋・意訳しただけでも

青土社が刊行する月刊芸術総合誌ユリイカにて

2008年5月号にてインタヴュー「さらに時代の先へ行くために アニメ版 『空の境界』 の挑戦」(語り手・奈須きのこ、聞き手・さやわか)が掲載され、「幾原邦彦」特集と「梶浦由記」特集にはきのこがインタヴュイー、寄稿者として参加。「ソーシャルゲームの現在」特集では中川大地が「Pokémon GO」と「Fate/Grand Order」の比較検討がされていて

他に著:坂上秋成による TYPE-MOONの軌跡 の発刊もされている

社会的権威としては疑問もある組織だけど特定非営利活動法人 日本PBMアーカイブスの対談でコメントを残していたり崩壊:スターレイルのプロデューサーとの対談相手に選ばれていたり宇山日出臣追悼文集の執筆者の一人に選ばれていたり、『ダヴィンチ 2017年12月号』にて奈須きのこ・虚淵玄両名のFate/Zeroに関する対談も記載されている
ある程度は第一人者として評価する側として見られているんじゃないか?
同人とはいえ型月伝奇研究センターなるサークルが形成されて個人評論の寄稿があるのだから

また、個人の発表になるが幾つか評論があり社会的承認を受けた存在であると言えるのではないか?

よるとり「「物語を消費する」ことへの痛烈な問いかけ Fate/GrandOrder Cosmos in the Lostbelt No.6「妖精円卓領域アヴァロン・ル・フェ」感想【後編】」

Boyd, David John (2019) Soulful bodies and superflat temporalities: a nomadology of the otaku database of world history at the ends of history. PhD thesis, University of Glasgow.

Soulful bodies and superflat temporalities: a nomadology of the otaku database of world history at the ends of history - Enlighten: Theses
theses.gla.ac.uk

九鬼「空の境界 考察」

北出栞「現代批評としての『直死の魔眼』——2021年に『月姫』を読むということ」

藤村シシン×ゲームさんぽ/ライブドアニュース「古代ギリシャ研究家と見る『FGO』の英雄たち」

古代ギリシャ研究家の藤村シシン氏は著書『古代ギリシャのリアル』(2015)が〈奈須きのこ本棚〉にも収められている古代西洋史研究家でありそちらの定義でも社会的価値のある評価だと思うが?


あと根本的に『社会的な視点から承認プロセスを取ったものだけが文化的評価』みたいなのもどうなんだ?

>その選出の際の基準では劣となっている

あくまで相対的な劣ではないのか?という指摘だが
選ばれなかったものが優れていないとする根拠が無い

>なので売上と同様に評価基準として力を持つと言っており、個人の価値観はこれに類するものではないという話だ

身内賞とした時点でその社会に属する個人の価値観からの選出では?

>存在するかどうかでなく指標として見る中で考慮対象とするかの違いとなる

それが自分に見えないから指標足り得ないとするのは自己認識本位で基準として不確かではないか?

>ただし俺はそれを測るいい方法を知らないと言っているだけだ

だから無いものとして扱うのは自身の判断基準としてはいいかもしれないが他人にも適応されるものではないだろうと指摘している

>それ言うならサンデーの父のヘイローも芝勝ってるわけでそれを目的に買ったと言っても不思議はない

吉田氏が個人の価値観でそれを目的にするのと、馬産という社会が芝馬としてのヘイローの子であるサンデーに価値見出だすかは別の話として既に当初はSSの種つけ数が奮わなかったのは示したと思うけれど

>ここら辺の話はサンデーサイレンスのみダートの活躍馬だから芝では産駒が走らないとするのは不自然だというだけだ

そんな話をこちらはしていない
ブライアンタイムス等は馬産という競馬社会で評価される点や価値を認めれる点が産駒が走る前からあったが、SSに関しては生産牧場と関係者並びに吉田氏ら個人の価値観が先行していて後から実績を理由に社会の評価もついた形のはず
それとも馬産において社会的にSSが最初から認められていたとする何かがあると?

>正直、血統って遡れば大体すごいのいるから何とでも言えるんだよ

そういうブラッドスポーツだからこそ競馬社会における血統重視や社会的評価が成立しているのに反して母系を疑問視されたSSに大金を出したという個人の価値観を無視できないという話をこちらはこれまでしてきたつもりだ

>適正見極めもウシュバをずっと芝で走らせ続けるくらいなんで

そりゃテソーロのオーナーが芝至上主義という個人の価値観から走らせてたって話だよ。騎手からの提言を受けて試してなかったらと思うとゾッとする

芝、ダートの見極めなんてちょっと難しいだけだろっての現場の方々に対して敬意に欠くんじゃないか?
そんなに簡単とも思えないが

>ここはレーティング決める手続きのことを指している

だいぶこう、なんだ
んんんんん?ってなってるんだけど
ちなみに具体的にどういう想定でどう近いの?

>このレギュレーションが決まってないので決めないといけなかったということだ

その点で言うなら度々言ってるけどこちらの想定を勝手に決められては困るという話にも通じる

>ここでは例に出された助成の話しか回答してなくないか?全てとか言った記憶がないのだが

言い回しの問題として「国は関与している」では全てそうと受け取られかねない切り取り方になっていないか?という話

>ただその場合には社長としての地位がある時点で被指導側には立てないんじゃないか?

言うて会社としては他に会長とか相談役とかがいないとか、そもそも株式ですらないとかだと兼務せざるをえないのでは?

>FGOでも多いとおもうんだよな

そりゃ大事な話はきのこ書いてるし

>どうも上手くいかないという試行錯誤だ

なるほど

>万人の価値観の中で「自分一人の個人の価値観」が他から見て価値あるものとなる理を示してほしい

いや繰り返しになるが他人と比較されるものだから、同じ部分もあれば違う部分もあるからなのだけど
比較の物差しになる事やある人に取っては好ましくなくとも他の誰かにとっては好ましいかもしれないという多様性に対してそちらは相手に迷惑がられても自己に有益だから他人と議論を交わすべきとしたのではないのか?

上記を良しとしないなら目を瞑って耳を塞いで黙って生きても差し支えは無い筈だ

違うから、自他共に見えるものもあるとして議論を求めたのではないのなら前にも言ったが自己批判と自己問答により内々で思索をしてくれ

>これは小さなコミュニティとかであればそうだろうからわかる

身も蓋もない話、物質としての金などの大きなコミュニティでも通じるものはある

>メインは国際社会よ
社会という言葉を使うときの最低範囲は国だ

あーいや「普遍性を問うなら人種や文化、国家等の枠組みに囚われない感性に訴えかけるものであるべきではないから寧ろ進んで国の枠組みに押し込むのは逆行ではないか?」という話をしたかったんだ

>とはいえ国からの干渉もあると思うが、そこから脱却するのは国際的な企業体の連合とかしかありえず、その方がより干渉は強そうに思える

いや根本的に芸術性の追求に観点をおくなら鑑賞した個人の感性に国家等の枠組が小さい方がいいのではないか?という話
特定の文化に対する習熟性が高い方が楽しめる作品を否定はしないが普遍性という点では脆弱性でもあるという

>一流クリエイターとかだけなら例外になると思うが、審査員になる専門家とか役人とかが寄与するとなると例外というよりは寄与できる立場に選ばれた人々という方が適切ではなかろうか

クリエイターが感性(価値観)で決めるのと役人が公的立場からマニュアル的に審査するのとではまた違うのでは?
専門家が立場や状況に寄ってどちらの基準に寄るか(そも選択の余地があるか)はその時々によるだろうけど

>「一度でも、一日でも返済の遅れがあった時」というのはきついだろうな

倒産させてでもとういより倒産しそうだから、倒産したからの対処という話なのだろうね

>まぁこれをどう受け止めるかも性格だ

まぁわざわざ地雷埋めなくてよくない?って俺は思ってしまうな

>それは裏じゃないか?

生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする

とある中で「最大の尊重を」を求めている話なんだから裏ではないだろ
そもそもとして流れを纏めると

其・幸福を追求していい=不快にされないは論理的に成り立たないぞ

此・幸福を追求していい=不快にされたくない
とすべきだろそこは


其・幸福を追求=自分が幸せになろうとすること、幸せを目指すこと。不快にされない=感情を害されないこと。であるので、不快な状態であっても幸せになろうとすることはできると思うのだが

此・幸福を追求していい=不快状態を解消したい、は当然成り立つがこちらが今回言っているのは繰り返すが幸福を追求していい=不快にされたくないという話であって不快な状態を排除したい、ではなくそもそも不快な状態に最初からなりたくないという話なんだが


其・対偶だと「幸福を追求できているならば不快にならない」となる。

此・(そもそも不快な状態に最初からなりたくないという話に返答がないがその例で言うなら)「他者から不快にされて幸福を追求できる状態にない」(という現状)に対しての「他者から不快にされず、幸福を追求できる状態にある」(事をこちらは望んでいる)ではないか?


其・それは裏ではないか?

此・裏も何もこちらの本意歪めた時点で表も裏もあったものではないから根本から再提示してる話では?

対偶と主張する「幸福を追求できているならば不快にならない」もそもそも対偶だから逆説的に真として成り立つと結論ありきで、それに対していやこちらはそもそもこういう話してるんだが?という再提示であり

というか「幸福を追求していい=不快にされたくないという話であって不快な状態を排除したい、ではなくそもそも不快な状態に最初からなりたくないという話なんだが」はどこ行った?と改めて問うものでもある

幸福の追求の形の1つとしてそもそも最初から不快にしてくる相手と関わり合いになりたくないって話に裏だの対偶だの持ち出してこちらの本意を歪めるのは思想の自由の侵害と最大の尊重に反するのではないか?という話でもある

マジレスすると「というかよく考えたらこちらの幸福の形を何でそちらが定義づけしようとしているんだ?」って点から見ても何を言ってるんだ?って話でもある

>個人的には好きではないが法に引っかからない範囲でポケカ売る権利は認められる方がより正しく、これが良くないなら法で規制するほうが適切だと考える

それは逮捕・起訴されないなら人を殺してもいいと言うようなものだ
法に引っ掛からなければ良いというのは極論そういう話であり
ポケカの問題も「公共の福祉に反する」から良くない
まだ規制されていないからやって良いは自分が法に守ってもらえないという事でもある

>公共の福祉は他人の「人権」を侵害するような自由及び権利は制限されるという解釈が通常で、この場合の人権が基本的人権および新しい人権のうち規定されたものであれば引っかからなくないか
>幸福追求権については上の通り

上記の通り現在進行形で幸福追求権に対する思想の自由という人権への侵害と幸福追求権の「そもそも不快にされたくない」という幸福追求の営みを侵害されている
加えて第12条に於いて他人を不快にするという公共の福祉への責任に反する濫用の該当もクリアしていない

というか相手が不快に感じる事を意図的にやろうとする時点で結果的に被害者がいないとかでもない限りは公共の福祉に反するだろ

>こちらが言っているのは批評家であっても誰か個人が評価したのは個人的評価だということで、社会的な組織が連名で評価したら社会的評価になるということだ

だとしてもエスパー魔美のコマが他人を害して良い権利の根拠とはならんやろ
害された側に「個人感同士の話でそっちは怒ったんだから相子ね」とする道理が無い

そもそも仕事での批評を個人のものとするなら先の型月の話に対して批判はあくまで個人だが成果は組織から切り離せないとするのは恣意的じゃないか?

>社会的評価になったものであってもそれを個人が自分の価値観で否定する権利はあるし、別に個人の価値観で否定されても評価が覆るわけではないだけじゃないというか
>前だとエブエブ納得できないみたいな話

であれば個人の価値観が無意味であり社会的評価が構造上必ず上とも言えんやろ
0
251. 名無しのあにまんch 2024年07月29日 03:25:19 ID:I3NzQ0NjQ
>>250
>売れたもの、文化的に良いものは関連商品が生み出され後追いのフォロワーも生む
「文化的に良いもの」の定義を示さなければその話はできないと思う
俺が一つ前で定義とした「賞などの文化的評価」とは意味が違っていて、他の作品に影響を与えてフォロワーを増やしたものを良いものとしている気がするが、これは前にも文化的影響力として別途の社会的評価としたものじゃないか?
というか後追いを生むことはハイカルチャーでも同じでは

>特定の要因‘だけが’重要なんじゃなく複合されて出されたものが作品の味なんだから
それこそヒットの再現性の為と言うのであれば複合ではなく要因の分解と分析が必要では

>世間的にはそういう声が多いというだけの話であるのを扱う側が注意するって話になりそうだ
「概ねの傾向」の中の偏りは結構気になる
前にもFILM REDのアマレビュが低いというのは挙げたが、多分あにまんから評価を出せば割と評価は高くなる気がするんだがこれは特定のコミュニティにおける共通意見までしかなっていないと考えていて世間の声とは乖離があると感じている
その場所ではそういう声が多いだけの話として受け止めるのであれば納得できる

>「今(当時)はこれが受けて売れる」という消費的経済評価による良し悪しの判断基準であり普遍的文化評価ではなくないか?
「今(当時)はこれが受けて売れる」じゃなくて「当時はこれが良いものとして評価された」だな
売れた売れないは関係なく作品評価がされることがこの時代の普遍的文化的評価じゃないか?背景については学術性と美術性のどちらでも扱われて、美術性でいえばその上での独自性が評価になりうるんだと思うぞ
消費的経済評価による良し悪しの判断基準であればヒット分析であり大衆評価に近いものになる

>忖度を芸術性においては(それをテーマとして昇華していない限りは)評価の基準に無いとすべきなのでは?
賞の審査で行われている忖度は評価基準のすり合わせなので必要な工程で、前作ヒットの話は消費にはつながっても作品単体の評価の工程に関わっていない
ただし前作ヒットによる消費選択はブランドとしての評価には関わりがあると思う

>その社会的評価とは具体的に?
これまでも繰り返しているが国際社会や国といった規模で指標となる作品評価のこと
社会的評価は経済や文化、資料価値など様々あって並んでいる
社会視点においては個人的評価であったり小さな組織の評価よりも上に立っている

>だからこそ他人の評価ではなく自身の価値観や好悪に意味がある
不正を疑うのであれば個人の評価も信用できなくないか
というか歪められてない評価が出力されることの意味を価値とすると評価軸の話からズレていくような

>それと経済性を通して大衆からの文化的評価が反映されるのとでは別の話では?
経済性=大衆からの文化的評価として扱うってことか?

>サブカルチャーが大衆文化である以上は大衆評価≒文化的価値であるのはそりゃそうでは?
その話をするにはちょっと文化的価値という言葉のすり合わせをしないと話が食い違う
社会的価値の一つに文化的価値があって、これは社会が認めた文化的評価によって認定されると俺はしている
そちらの考えでは文化的価値は他のプロセスでも認定されると主張しているのか、それとも別の意味で使っているのかがちょっと分からない
前者だとすると、大衆評価が社会によって認められる指標になっているかということが論点になる
例えばレビューサイトでトップ評価とかファン投票のアワードは文化的価値になるのか?って話になると思う

>ホストグループの例はそもそも築く段階に行ってないし、承認が必要という例もあるに留まる話
築くことは別にどの段階かは問うてなくて承認が必要という例だ
元の話に戻ると創業した会社の社長も何かしらの承認をされないと社会的立場は得られないという話

>その基準でもアカデミー賞があるのでは?
アカデミー賞は社会的評価であるし関わる個人も選出された人たち

>百歩譲ってレイヤーを分けたとしてもそういう個人がいる以上は個人の価値観が無意味とはできないのでは?
そういう個人がいるから個人の価値観に意味があるとするか、それとも限られた個人の価値観にのみ意味があるのだからそれ以外の個人の価値観は無意味と言うかってのはもはや表現の違いでしかないと思うんだがどうよ
「個人の価値観」の全体が価値を持つとも言い切れないが、一方で全てが無意味とは言えないわけで

>ある日、急にでなければ可能性がゼロではないのでは?
その間には何らか認められることがあれば可能性は生まれる

>そも影響を受けても能力は変わらないと表したのが早計だったのでは?
俺は能力は変わらないとは言ってないぞ
俺は最初からブギーポップはきのこの方向性に影響を与えたことと能力に影響を与えるということに区分が必要だと言っていて、そのうえで能力に影響を与えたのかは分からないと言っているだけだが

影響を受けたことが何を成すことに繋がったのかが分からなければ文化的影響力がどの程度あるのかを測るのは難しくないか
影響下にある作家数であったり、影響下にある作家の売上合計とかそういうのは測れると思うけど
ここで挙げられてる作家3人のなかでは菊地秀行の影響が圧倒的に大きくなると思うが、それは古くて源流に近いからと言えなくもない

>いや最初から能力が上がったなんて話をしてなくないか?
こちらは上記のように方向性と能力を区分する必要があると述べたところ、作家の作風に影響を与えた以上は区分できないと返されたんだ
なので能力にも影響を及ぼしたとの意図が読み取れた
方向性の話だけであれば双方の意見は合致していると思われる

>自然かと言われると納得はしがたい
まぁ意図としては優れた恋愛小説家が優れたホラーを書けるかは定かではないって話なんだろう
この優れたってのも人によって異なるからこそ、よく売れたとか賞を取れたとかの指標が必要なんだとは思うが

>そもそもアニメ化の話が来た時点できのこはヒット作家ではなかったか?
あの頃はかなりニッチな人気であったと思う
俺は一部のオタク層にとっては大ヒット作家だったがそれ以外の大多数には認知されていない
それこそ人気マンガの読者数と比べれば比べ物にならなかった

>アニメ化による爆発的跳ね方
鬼滅はじまったのはFGO後だから大人気作家になった後よ
今考えるとあの帯はアニメ化発表の直前だったな

>買ったけどファンにならなかった人は何を参照して?
だいたい何割かはいるだろう程度

>型月に限れば諸々が武内社長に起因するのは確かでないか?
うん、hollowあたりまではそれで確かだと思うよ

>大衆評価の基準不在ではなく自己主観
俺の主観だけでなく月姫発売時から買ってからずっと追ってた友人やネットの反応などを見た空気感だな
たぶんこれってどういうコミュニティにいるかでかなり変わるはずだ
今のXのファンコミュニティであれば新作が出たら絶賛ばかりになるのは当然だと思うがそれが正しい空気なのかは分からないだろ

>その作品の総体的な評価が定まり普遍性を担保されてる事になるが
サイトごとの偏りを考慮するのは中々難しいが、統計的には色んな特性の違うサイトを多数集めて200件以上の意見を抽出して標準化すればネットの普遍的な意見としては担保することはできる

>普遍化を目指したものとまで言ってしまうのは過言というか、そう定義づけてしまうのはそちらの個人的価値観(ロマン)によるものではないか?
映画祭で選出された作品について普遍性が挙げられる例や世界の映画祭で通用する普遍性とかいうような言説ならいくらでもありはするが、そもそも一人しか審査員がいない賞は存在しないぐらい審査員が複数人いるというのは前提になりすぎててその理由のエビデンスは出せそうにない
ともあれその国における重要な映画賞の審査において複数人による審査で個人のブレを減らして標準化すること自体が普遍化の手続きと呼んでおかしくないのでは?
くわえて世界中で色んな基準の賞を受賞することが国際的な普遍的な評価を受けたことを示すというのも当然の帰結ではなかろうか

>比較や引き合いの対象として持ち出される基準になっているのは否めないのでは?
つまり文化的影響力の話だな
それであれば俺は文化的評価という言葉とは分けてるものだが認める

>また、その視点から見ても
雑誌は売れるから取り上げてるのでは
奈須きのこ自身が第一人者として評価ができる側であることは認めるがきのこが評価を行った話、きのこの影響力の話、型月が評論対象となった話は区分しないとごちゃつくと思う
そのためもあって上記のように文化的評価と文化的影響力を分けている

>あと根本的に『社会的な視点から承認プロセスを取ったものだけが文化的評価』みたいなのもどうなんだ?
まず上に書いたように、文化的価値や文化的評価が他のプロセスでも認定されると主張するのであれば論点になる
ただし、混乱を生まないためには言葉を分けていきたい

>選ばれなかったものが優れていないとする根拠が無い
ある選出においての話をするのであればその相対的な基準のみがあり、その中で優劣がつけられる
(場合によっては点数評価によって該当なしもありえるが)
その選出の外での優劣となると違った話だろう

>身内賞とした時点でその社会に属する個人の価値観からの選出では?
アメリカで上映された作品だけをアメリカの映画業界が評価するから身内賞なんだ
ゆえにアメリカ社会による評価とも言える

>それが自分に見えないから指標足り得ないとするのは自己認識本位で基準として不確かではないか?
国などの社会的視点において売上が比較されるときにその裏にある個人の意見を一つずつを測る方法もないのに考慮はしないというだけだ
ここに俺などの個人の視点は関わってない

>だから無いものとして扱うのは自身の判断基準としてはいいかもしれないが他人にも適応されるものではないだろうと指摘している
それこそ鬼滅のヒットは心理描写によるものだという風に個人が位置付けることはできる
ただしそれが社会的に正しいかどうかは保証ができないだろ

>馬
サンデーについては日本に来てすぐシンジケートが満口になっているので当時の日本の馬産地はしっかりと評価をしているのだが
テソーロは別に芝重視だって話は知らないが、ウィルソンいるのにそうなんか?
俺は芝ダート適性の見極めが難しいからウシュバ芝走ってたと言ったのになぜ簡単だと言った扱いをされてるのか

>ちなみに具体的にどういう想定でどう近いの?
国際競馬統括機関連名(各国の競馬界が参加)してそこで加盟各国から集まったハンディキャッパーが馬のレーティングを定められて、これをもとに国際競争の格付けも行われる
国際的に選出された人たちが対象の評価を定めるという手続きが行われていて参加する各国もこれを承認しているということが近い

>その点で言うなら度々言ってるけどこちらの想定を勝手に決められては困るという話にも通じる
こっちはこう言ってる、そっちはそう言ってるというように一旦現状をまとめようとするのは状況整理には必要だと思っている
違ってたら指摘してくれてまったく構わない

>言い回しの問題として「国は関与している」では全てそうと受け取られかねない切り取り方になっていないか?という話
イマイチかみ合わないんだが、俺が言った部分って『文化芸術基本法改正の話は「専門家の判断に任せることを国が定めた」と理解した。最終的な決定自体はその専門家によるものであっても、専門家の選出は国によるものであり、この手続き自体は国が承認した流れと思える。この評価(助成を決定すること)の責任で言えば国にあると思うぞ』だよな?
「国は関与している」がどこを指しているかわからないんだが

>言うて会社としては他に会長とか相談役とかがいないとか、そもそも株式ですらないとかだと兼務せざるをえないのでは?
もはや社長は会社に指導されるクリエイターというポジションには立てないと思うのよ
一方で行政に会社として指導されるとしたら矢面に立たざるを得ないと思うが

>なるほど
なのでこういう視点に立って個人の価値観の大事さを検討してくれと言われれば助かる

>いや繰り返しになるが他人と比較されるものだから、同じ部分もあれば違う部分もあるからなのだけど
自分が他人と比較するとかの個人間では相互に価値があったりするだろう
でも万人の価値観という全体を見ると、Aさんの価値観はBさんにとって意味があっても、Cさんからしてみれば意味はなく、それが万人に広がるわけじゃん
そうすると意味は平準化されて上下も何もなくなるのではと思うんだ

>身も蓋もない話、物質としての金などの大きなコミュニティでも通じるものはある
そこは共通指標になっているかどうかが基準かと

>普遍性を問うなら人種や文化、国家等の枠組みに囚われない感性に訴えかけるものであるべきではないから寧ろ進んで国の枠組みに押し込むのは逆行ではないか?
>特定の文化に対する習熟性が高い方が楽しめる作品を否定はしないが普遍性という点では脆弱性でもあるという
確かに極論では国際社会だけが枠組みから脱した社会的評価の主体足りえるとは言えてしまう
一方でローカル性と普遍性とか、独自性と普遍性といった言葉は映画の評価ではよく使われる言葉と思える
むしろローカル性や独自性があるからこそ普遍性に繋がるという言説もあるし、特に近年はそうした視点で評価が下されることも多い
つまり各国における賞ではローカル性に基づいた特定の文化への習熟度を評価する視点が入ってしまう(というか深く読み解ける)ことは良しとされていて、それはやはり各国・各所での評価を得ることが前提なのではないだろうか

>クリエイターが感性(価値観)で決めるのと役人が公的立場からマニュアル的に審査するのとではまた違うのでは?
役人は法改正とかに寄与する話を想定していた
クリエイターは感性で評価する面はあるだろうし専門家は知見から評価することが多いんだろう
いずれにせよこの話は上でも書いているのでこれだけにする

>こちらの幸福の形を何でそちらが定義づけしようとしているんだ?
いや、ここで話してるのって人権における幸福の追求に不快が要素として含まれているかどうかの定義で、最大の尊重というのも幸福追求の権利あっての話だ
加えて「幸福を追求していい権利」には個人が考える幸福の条件がすべて位置付けられているわけではなく、何らかの基準があるはずだ
そこで人権に位置付けられている「幸福を追求していい権利」と同様に「不快にされたくない」という願望を権利に落とし込むなら言葉としては「不快にされない」権利か「不快要因を自分に接しない権利」とかになる
このうち後者が成り立つかを例で考えると、例えばバリバリ仕事をすることを幸せと考える男がいたとして、一方で同じ職場でその男が頑張り続けることで仕事が忙しくなって不快に思う同僚がいたとする
不快を要因とするのであればこの男か同僚のどちらかが人権を侵害されていることになる
さらに「不快要因を自分に接しない権利」があるのであれば同僚はその男と接しない権利を持つことになるわけだが、これは現実的にはおかしなことになる
また、論理でも「幸福を追求する権利を持つならば不快要因が自分と接しない権利を持つ」の対偶は「不快要因が自分と接しない権利を持たないならば幸福を追求する権利を持たない」となり、あまりにも範囲が広い
ゆえに幸福の追求には不快は要因として入りえないというのがこちらの主張だ

>それは逮捕・起訴されないなら人を殺してもいいと言うようなものだ
殺人は法に定められているから捕まるかどうか関係なくアウトだ
ポケカは「公共の福祉に反する」までいくか?
これは他者の人権に抵触するかどうかじゃないのか
あといかなる人間も法には守られるべきだ
それこそ殺人者であっても法に裁かれると同時に法に守られる権利はある

>相手が不快に感じる事を意図的にやろうとする時点で結果的に被害者がいないとかでもない限りは公共の福祉に反するだろ
この前の部分はだいたい幸福追求権と不快を繋げたものなので上記で反論している
表現の自由の文脈ではあるが、公共の福祉については「⼀定範囲の人々が不快に感じるという理由では表現の自由を制限することはできない」というのはあった

>だとしてもエスパー魔美のコマが他人を害して良い権利の根拠とはならんやろ
根拠とはしてないぞ
これに当てはまるとして挙げた流れから今に至る

>そもそも仕事での批評を個人のものとするなら先の型月の話に対して批判はあくまで個人だが成果は組織から切り離せないとするのは恣意的じゃないか?
仕事の批評は個人名義であれば個人だし、匿名の記者であれば会社名義だろう
なので先にも書いたようにテキストはきのこで絵は社長と明示されてる部分は個人評価の対象で作品全体は会社名義の評価の対象

>であれば個人の価値観が無意味であり社会的評価が構造上必ず上とも言えんやろ
社会的評価は個人に影響を及ぼすことはあるが、個人の価値観でどのように評価しようが社会的評価に影響を及ぼすことができないという一方通行なのも構造の上下に由来する
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252. 名無しのあにまんch 2024年07月29日 16:36:49 ID:U2MTIxNg=
>>251
>「文化的に良いもの」の定義を示さなければその話はできないと思う

売れたもの、好きと誰かが書き記したもの、良し悪しを議論されたもの、模倣と発展を生むもの、二次創作されるもの、自分ならより良く創れると糧になるもの
一時でも人の心を慰めるもの、いつも人の心に残るもの、あるいはいつか忘れ去られても人の心を揺らした事があるものは「文化的に良いもの」だろう
まだ挙げきれてないぐらいだ

>他の作品に影響を与えてフォロワーを増やしたものを良いものとしている気がするが

それも良いものの1つだ

>これは前にも文化的影響力として別途の社会的評価としたものじゃないか?

社会的評価と文化的価値を兼ねる事に何の問題が?
日本の紙幣が日本銀行券として社会的価値・評価と技術の粋を集めた文化的価値・評価を併せ持つように

>というか後追いを生むことはハイカルチャーでも同じでは

だから近年では混じり合っていると書いてある

>それこそヒットの再現性の為と言うのであれば複合ではなく要因の分解と分析が必要では

要因だけでは出せない、言い表せられない味がある
甘い、辛い、苦い、酸っぱいなど単体だけでなく組合せで生まれる味の分析が必要という事

>「概ねの傾向」の中の偏りは結構気になる

それを言うならそちらの挙げる文化的評価もその時の選出者という偏りが存在するが?

>作品評価がされることがこの時代の普遍的文化的評価じゃないか?

時代を限定する時点で普遍的ではないだろ

>背景については学術性と美術性のどちらでも扱われて、美術性でいえばその上での独自性が評価になりうるんだと思うぞ

いやもっと直接的に美術史という学術的な背景の掘り下げと、実際の作品への美術的評価が分けられるという話

>消費的経済評価による良し悪しの判断基準であればヒット分析であり大衆評価に近いものになる

それも文化的評価の1つでは?

>賞の審査で行われている忖度は評価基準のすり合わせなので必要な工程で、前作ヒットの話は消費にはつながっても作品単体の評価の工程に関わっていない

いや、前作の続き物として前作から続いた物語という前提があるので関わっていないとはできない
作品性として「前作でこういう事がありました」という前提が作品内容に内包されるから

>国際社会や国といった規模で指標となる作品評価のこと

そもそも極端な全体主義国家でもない限り作品を受け取る時点では個人では?

>社会視点においては個人的評価であったり小さな組織の評価よりも上に立っている

その社会視点を国家に当て嵌めるのが間違いでは?
特定の業界における権威として個人の評価より重視される事は認めるが、その評価が好悪の評価の上に存在するかはそれこそレイヤーが別では?

>不正を疑うのであれば個人の評価も信用できなくないか

信じるのは自身の感性だ

>歪められてない評価が出力されることの意味

自身の感性における評価の言語化に近いものと照らし合わせブラッシュアップする作業を繰り返す事で自身の作品評価の軸が定まる

>経済性=大衆からの文化的評価として扱うってことか?

それも指標の1つではある筈では?

>社会的価値の一つに文化的価値があって、これは社会が認めた文化的評価によって認定されると俺はしている

それ自体は否定しないがそれのみが文化的評価ではないだろ

>例えばレビューサイトでトップ評価とかファン投票のアワードは文化的価値になるのか?って話になると思う

なりえる。ただし繰り返すが万人による基準ではない

>築くことは別にどの段階かは問うてなくて承認が必要という例だ

いや築きあげてない未完状態では承認を得るのが難しいのは当たり前の話では?
どの段階でもいいと承認する側はならないっていう

>何かしらの承認をされないと社会的立場は得られないという話

そりゃ書類上の承認は必要で、逆に言えば社会的承認はそちらが言うような人々に認められるプロセスは必ずしも必要ではないという話でもある

>アカデミー賞は社会的評価であるし関わる個人も選出された人たち

だとしても個人である事は切り離せない筈だ
影響を受けた一万人のうちの一人である事と両立しうる

>「個人の価値観」の全体が価値を持つとも言い切れないが、一方で全てが無意味とは言えないわけで
>もはや表現の違いでしかないと思うんだがどうよ

まったく違う。そういう個人の価値観がどこでどう繋がるかは定かでないし、個人の価値観が反映される側に何が切っ掛けで立つか定かでないから

>その間には何らか認められることがあれば可能性は生まれる

だからこそ個人の価値観は無意味・無価値と一律に閉ざすべきではない
当然、まず関わらないような生き方を選択している人々もいるが無価値や無意味ではなく自身の価値観に対して無関心や無頓着である場合も否定はしないが

>影響を受けたことが何を成すことに繋がったのかが分からなければ文化的影響力がどの程度あるのかを測るのは難しくないか

だが無いとは言えない上で影響を受けたであろう部分は挙げたし、今現在の隆盛も否定できないのでは?

>ここで挙げられてる作家3人のなかでは菊地秀行の影響が圧倒的に大きくなると思うが、それは古くて源流に近いからと言えなくもない

その上で菊地秀行ときのこの間を繋いだ武内社長の個人の価値観も無意味とは言えまいよ

>この優れたってのも人によって異なるからこそ、よく売れたとか賞を取れたとかの指標が必要なんだとは思うが

その指標をそちらは賞に限定しすぎではないか?
とこちらは指摘している
それ自体は構わないが個人の価値観は無意味という否定の形で他者に押しつけるのであればこちらは拒否するしそれで尚、いいや自分だけが正しいと迫るなら否定せざるをえない

>あの頃はかなりニッチな人気であったと思う

あの頃が何時を指すかにもよるが一般書店でも月姫のアンソロが扱われ空の境界もワニブックスから出版され、メルブラもPS2で一般販売されていたのにニッチ扱いは流石にこちらへの反論ありきではないか?

>それこそ人気マンガの読者数と比べれば比べ物にならなかった

それは恣意的な比較では?

>鬼滅はじまったのはFGO後だから大人気作家になった後よ

いや鬼滅がアニメ化による爆発的跳ね方をしたが、それ以前から鬼滅がヒットはしていたという話では?

>だいたい何割かはいるだろう程度

そんな主観での人数許されたら言ったもの勝ちでは?

>うん、hollowあたりまではそれで確かだと思うよ

hollowに限る理由は?

>たぶんこれってどういうコミュニティにいるかでかなり変わるはずだ

であれば自身の感じたソレが正しいとも言い切れないのでは?
ニッチ側でなかったとする保証は何によるものなのか?

>サイトごとの偏りを考慮するのは中々難しいが、統計的には色んな特性の違うサイトを多数集めて200件以上の意見を抽出して標準化すればネットの普遍的な意見としては担保することはできる

その200件の基準は?

>映画祭で選出された作品について普遍性が挙げられる例や世界の映画祭で通用する普遍性とかいうような言説ならいくらでもありはするが

言説や論じたものの具体例を求む

というかその言い方だと映画祭で担保されたのではなく作品に元々そうした魅力があっただけの話ではないか?

>審査員が複数人いるから普遍性がある

いやだからその理屈が「自分はそう思う」以上の何に保証されているのかを聞いてるのもあるんだけど

>ともあれその国における重要な映画賞の審査において複数人による審査で個人のブレを減らして標準化すること自体が普遍化の手続きと呼んでおかしくないのでは?

普遍化ではなくある程度の平均化、あるいは均一化では?

というかそこから話さないとダメだったか
抜粋になるけど

>【普遍】

1 全体に広く行き渡ること。例外なくすべてのものにあてはまること。

>「普遍的(ふへんてき)」とは、以下のような意味があります。 「普遍的」とは、すべてのものに当てはまることを指し、 時代や場所を超えて、変わらずに当てはまる性質や価値観などに用いられます。 例えば、科学の原理や数字の法則、平和や人権といった道徳的な概念は、さまざまな文化や宗教を超えて共有されています。
>「普遍的」といっても、社会の変化に伴い評価が変わることもあります。
例えば文学・哲学・美術などは、時代や文化の変化に影響されず長期間受け入れられ、しかしその時の社会の情勢により評価を変えていく「普遍的」なものの1つです。価値観や道徳観にも同様のことが言えます

受賞した映画が高平均の作品の選出ではあっても、普遍的とまでするには映画祭を絶対的存在として過大に位置付けなくてはならなくなる

こちらがよく万人に値するのか問うのは「時代や場所を超えて、変わらずに当てはまる評価」と言えるのか?という疑問の提唱でもあったし、絶対性を求め脆弱性を追及したのも「普遍的」という言葉に該当するか疑問が生じるからでもあった

こう言ってはなんだが映画祭だけでそれを決めようというのが過言であろうと
普遍的と謳うならば映画祭に限らす大衆からの実際の支持も不可欠だ

>くわえて世界中で色んな基準の賞を受賞することが国際的な普遍的な評価を受けたことを示すというのも当然の帰結ではなかろうか

上記のように普遍的というのは例外無く全てに当て嵌まる場合を指す
その中でもより強く該当するのは時代を越えて評価されるような作品で、それ等間違いなく普遍的名作と言える
それを一時代の限られた人間の評価が生み出すというのがそも間違いでは?

賞の受賞が不朽の普遍的な名作を生むのではなく、それに値する作品へ当然のように高評価が為されるという話であって因果関係が逆では?

>雑誌は売れるから取り上げてるのでは

それも経済性から見た文化的評価ではあるのでは?

>まず上に書いたように、文化的価値や文化的評価が他のプロセスでも認定されると主張するのであれば論点になる

他のプロセスでもそりゃ認定はされるのでは?
映画祭ばかり引き合いに出すが世の全てが映画でもなし、同じシステムで評価が他の全てが決まる訳ではない

>その選出の外での優劣となると違った話だろう

そもそも選出した1~3にすら順位をつけない場合もあるのだからあくまで該当する優の抽出に留まるケースは劣の選出を伴わないのでは?

>ゆえにアメリカ社会による評価とも言える

なのに映画祭で最上位となる時点で万人の普遍性を映画祭が担保するというそちらの持論の脆弱性では?

>国などの社会的視点において売上が比較されるときにその裏にある個人の意見を一つずつを測る方法もないのに考慮はしないというだけだ

考慮しないと存在しないでは意味が全く違う
そうでなくとも何故売れたのか?何が評価されたのか?経済を動かす為、あるいは売れる作品を作れ為にそうした比較が起きるので考慮しないは過言だ

>ただしそれが社会的に正しいかどうかは保証ができないだろ

売れてファンの声が多数あるのであれば要因の1つである事を否定できるものではないのでは?
加えて売れた理由というのは調査されるものだ

>サンデーについては日本に来てすぐシンジケートが満口になっているので当時の日本の馬産地はしっかりと評価をしているのだが

いやそれに反して実際の交配依頼が初年度は全然こなかったの上で書いたろ

>ウィルソンいるのにそうなんか?

芝重視なのに先にダート海外GⅠとったり、『「テソーロはダート軍団」という認識をされている』のがネタとして扱われるぐらいには

ウシュバも凱旋門送りを危惧されていた

>俺は芝ダート適性の見極めが難しいからウシュバ芝走ってたと言ったのになぜ簡単だと言った扱いをされてるのか

元が『見分けるのが難しいぐらいの違い』と書かれていて程度の軽い、大した事がない。あるいは少ない事を強調する‘ぐらい’を元々は使っていたから
他の文脈での「ぐらい(くらいの変化)」として使用してるなら文法としては「見分けるのが難しいぐらい、~」等となる上に使われている「違い」という単語の用途が不明であるので

>国際的に選出された人たちが対象の評価を定めるという手続きが行われていて参加する各国もこれを承認しているということが近い

大枠の近さでレーティングを引き合いに出したのは了解した
芸術の批評と競技の採点では細部が異なる気もするけど「近い」なのでそのものと言っている訳でもないのも納得はしがたいが了解した

ただそういうレーティングや血統に現れない個人評価でSSは日本に来たよねという話にそれを持ち出して何が言いたかったんだ?

>違ってたら指摘してくれてまったく構わない

いやだからそもそも勝手に言い切らんといや
「~という事か?」とかあるやろ

>「国は関与している」がどこを指しているかわからないんだが

この評価の責任で言えば(文化助成費を出すか決める)国に(主導権が)あると思うぞ

この評価の責任で言えば(文化助成費を出すかどうかの決定権は)国にあると思うぞ

どちらとも取れる言い回しではないか?と指摘させてもらった

>もはや社長は会社に指導されるクリエイターというポジションには立てないと思うのよ

いるんだからしゃーないやろ
そもそも広い意味で言えばアシスタント抱える漫画家も個人事業主(社長/代表取締役)だしデザイナーなんかもその類いは結構いるんじゃないか?

>一方で行政に会社として指導されるとしたら矢面に立たざるを得ないと思うが

である事とクリエイターである事は反しないのでは?

>意味は平準化されて上下も何もなくなるのではと思うんだ

その平準化が起きて今現在の地球が「平和か?」というと大きな有事が2つ起きるぐらいには価値観の衝突である争いが起きているし、事実として異国間は勿論、国内ですら文化的断絶・差異も時に生じている

個人の価値観は持ち主の強弱の差異により強度が異なったり、ある程度共有できる部分で複数人が寄り集まって強度を発揮したりと平均的に均せるかがそもそも疑問であり
ある程度の共有はあっても
根本的に「個人の価値観が無意味化する規模で平準化が起きている」というのが持論成立の為の仮定の域を出ないのでは?

>そこは共通指標になっているかどうかが基準かと

といえ物質としてのゴールドは今だに経済的には共通指標足り得るんじゃないか?
株や国債等と違って金そのものに価値がありロンドンやニューヨークの金取引市場が世界中の指標になり、各国で金の値段が大きく違うこともないのだから

>確かに極論では国際社会だけが枠組みから脱した社会的評価の主体足りえるとは言えてしまう

その国際社会とは具体的に何を指しているか聞いても?
場合によっては互いの想定を違えていそうなので

>それはやはり各国・各所での評価を得ることが前提なのではないだろうか

であれば基準として評価する側に自分達の文化的価値観があってそれとの対比によるものだから、評価した側の文化圏と異なる者からすれば「共有される普遍化した評価」とは言い難くなるケースがあるのでは?
Aが自身の文化性から評価したBの作品の文化性を、AとBそれぞれに属するなら相互の形で取り入れる事もあれば両者とも異なるC
の文化圏ではAとBの共感と非共感で4パターンに反応が異なりうる上で、Cの文化圏からはAの評価と別解が生まれえる

>人権における幸福の追求に不快が要素として含まれているかどうかの定義で、最大の尊重というのも幸福追求の権利あっての話だ

不快と矮小化させずに他人を害する行為=侵害と書けば第12条、第13条に反するのは明白では?
都合良く「大して悪い事はしていません」とするのは恣意的だ

>加えて「幸福を追求していい権利」には個人が考える幸福の条件がすべて位置付けられているわけではなく、何らかの基準があるはずだ

ひろゆきみたいな事を言うのは不本意だけど「あるはず」っていう個人の感想ではなく具体的な反例は?
個人が考える幸福の条件に関しては思想の自由がある

保証される範囲があるというのならばそう
ただし

>そこで人権に位置付けられている「幸福を追求していい権利」と同様に「不快にされたくない」という願望を権利に落とし込むなら言葉としては「不快にされない」権利か「不快要因を自分に接しない権利」とかになる

持論の為に何の保証も背景もなく「~になる」とか言い出すのやめて貰っていいですか?
「不快にされない権利」や「不快要因を自分に接しない権利」なんて言葉を捏造するまでもなく

第十一条
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

この「第11条に反する行為」であり既に言葉も権利も存在している
他人を不快にさせる/害する行いを軽く考え軽く扱いすぎでは?
ようは繰り返すが

第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

の濫用にあたるのによしとはできないという指摘でもある

>このうち後者が成り立つかを例で考えると

第11条がありますね

>例えばバリバリ仕事をすることを幸せと考える男がいたとして、一方で同じ職場でその男が頑張り続けることで仕事が忙しくなって不快に思う同僚がいたとする

因果関係や状況設定が不明瞭過ぎる
具体性に欠けて結論ありきだ

忙しいと言っても一般業務の範疇なのか?
忙しさの因果関係は?
仕事をすることを幸せと考える男に同僚への害意はあるのか?
同僚は仕事をすることを幸せと考える男を排する以外の手段がある筈では?

>不快を要因とするのであればこの男か同僚のどちらかが人権を侵害されていることになる

人権の侵害になりうる要素は状況次第で普通にありえる例だが
パワハラ、業務妨害、労働基準法違犯などetc……

>さらに「不快要因を自分に接しない権利」があるのであれば同僚はその男と接しない権利を持つことになるわけだが、これは現実的にはおかしなことになる

状況設定がザックリ過ぎるのに「現実的にはおかしい」は結論ありきでは?
仕事をすることを幸せと考える男のやり方に問題があるなら「接しない権利」に類する権利は発生し得るし、問題がないなら配属を変えてもらうよう同僚が上と相談するなり転職するなり他にも手段があるのに相手の排除に限定するのもおかしい

仮に仕事をすることを幸せと考える男のやり方に問題が無いとしても、意図的に害しに来る者へ最初から接触を拒みたいという話へ意図せず害してる行為を同列に扱う例の提示も不適切だ

>また、論理でも「幸福を追求する権利を持つならば不快要因が自分と接しない権利を持つ」

まずこの前提が間違っている
『第13条の幸福追求権は第11条によって妨げられてはならないとされている』と言える

>対偶は「不快要因が自分と接しない権利を持たないならば幸福を追求する権利を持たない」となり

対偶は対偶言うがしかし根本的に、抜粋になるが
>自然言語(とくに日常語や文学・比喩表現)では、論理学における論理的関係が常にそのまま適用できるとは限らず、命題と対偶命題が異なる真理値を持つように見えることがある。

>命題「AならばB」に対し、対偶:「BでないならばAでない」の性質は古典論理におけるそれであり、非古典論理においては成立しない場合がある。例えば直観主義論理においては、必ずしも「AならばB」とその対偶「BでないならばAでない」の真偽は一致しない。

上記のようにこの問題は数学の数式を取り扱っていないので論理学的な定義においても異なる真理値である事は否定されないし真偽が一致しない事はおかしくない

故に『第13条の幸福追求権は第11条によって妨げられてはならないとされている』を論理学における論理的関係へ適用した構文にできない事が成り立つ

>ポケカは「公共の福祉に反する」までいくか?

いく。動機や方法によっては古物営業法違犯になるが「転売等の営利を目的とした商品購入を固くお断りしております。」と公式サイトにはっきり書かれているのでポケモンカードの転売目的での購入は禁止されているから

>これは他者の人権に抵触するかどうかじゃないのか

上記のように害意(悪質な動機/他人を不快にする目的)があるなら抵触する

>それこそ殺人者であっても法に裁かれると同時に法に守られる権利はある

あるが殺人の被害者の関係者が遵守しないリスクがある
だからそもそも他人を害するべきでないとこちらは延々と語ってきたが?

>表現の自由の文脈ではあるが、公共の福祉については「一定範囲の人々が不快に感じるという理由では表現の自由を制限することはできない」というのはあった

不快に感じた事の次第では軽犯罪法違犯やその他の罪に問える可能性があるので、表現の自由の権利を喪失しますね

どう言い繕っても「他人を不快にしていい」なんてのは自由ではなく「他者の権利の侵害」を言い換えて誤魔化し好き勝手やりたいという身勝手さだよ

>根拠とはしてないぞ
これに当てはまるとして挙げた流れから今に至る

その上で当て嵌まりはしない事を思想の侵害と作品の批評という行為の違いで不適切だと指摘している

>仕事の批評は個人名義であれば個人だし、匿名の記者であれば会社名義だろう
なので先にも書いたようにテキストはきのこで絵は社長と明示されてる部分は個人評価の対象で作品全体は会社名義の評価の対象

それが持論による選択的評価だと言っている
核となった個人の評価は会社と混合させようとしたり

>社会的評価は個人に影響を及ぼすことはあるが、個人の価値観でどのように評価しようが社会的評価に影響を及ぼすことができないという一方通行なのも構造の上下に由来する

個人の評価の総体である社会的価値観による影響で社会的評価が認められなかったりする例(宗教的な理由からの上映禁止や)や、そちら自身が社会的評価を個人が批判し否定する事が許されると認めているが?

加えて言えば仮に一方通行だとしても上下ではなく左右にある形の可能性も、互いに干渉しない別個の切り離された形態である可能性もある
上下の根拠が無いし仮に上下だとして下の可能性もある
0
253. 名無しのあにまんch 2024年08月01日 00:50:35 ID:IxMjYwMTY
>>252
まず最初に長すぎて一日で書ききる時間がない

>まだ挙げきれてないぐらいだ
それだとカルチャーの区分とか消費文明とか関係なく何かしらの影響を与えたものすべてが良いものだろう
少なくとも評価をするということとは異なる

>社会的評価と文化的価値を兼ねる事に何の問題が?
社会的な評価軸としての文化的影響力は結構前に認めているがこちらの定義の中では兼ねるという形ではなく社会的価値のなかの一つとなる
文化的影響力と並ぶ別の社会的価値

>要因だけでは出せない、言い表せられない味がある
味の分析においてもメカニズム化して要素を分析することは必要だと思うが

>それを言うならそちらの挙げる文化的評価もその時の選出者という偏りが存在するが?
偏りを減らすための選出がされていることと偏りをそのまま許容することは違う

>時代を限定する時点で普遍的ではないだろ
この話は3回目くらいじゃないか?
将来的な普遍性というのは観測不可能なので、普遍性の追求は現在に留まる以外はありえない

>いやもっと直接的に美術史という学術的な背景の掘り下げと、実際の作品への美術的評価が分けられるという話
例えばブギーポップの影響はこの場合は学術的な背景の掘り下げにあたる?それでらっきょの作品評価自体は美術的評価ということか?

>それも文化的評価の1つでは?
いや、だから混ざるので言葉の定義は分けたい
俺が言っている文化的評価は選出工程を挟んで文化を評価されることなので、文化を評価することではない
なのでどっちの言葉を変えてもいいが新しく言葉を定義して分けないと話がズレだす

>作品性として「前作でこういう事がありました」という前提が作品内容に内包されるから
それを含めるなら作品単体での評価ではなくシリーズとしての評価に入ってくる
ちなみにここで想定していた中にFFがあったんだがストーリー的な繋がりがない場合はどう考える?

>そもそも極端な全体主義国家でもない限り作品を受け取る時点では個人では?
個人の作品評価もあれば社会による作品評価もあり、個人が受け手であることと個人以外が評価を下すことの間に関連はない
ここでも色々と話しているような個人間では評価が定まらないものごとを社会にて評価を下すことに意義がある

>特定の業界における権威として個人の評価より重視される事は認めるが、その評価が好悪の評価の上に存在するかはそれこそレイヤーが別では?
まず特定の業界ごとで国は団体への認定を行っており、そうした組織活動と国の活動も連動しているので社会的視点は業界内に留まるものでもない
評価をレイヤーで見る場合には規模や社会構造で見ればこうした社会的評価は上になる
ただし実態として上にあるものであっても個人が上ではないとして扱うことは割と自由だ
あとちょっと思ったがレイヤーという言葉は層を指しているので上下がないことを主張するなら言葉は変えたほうがいい

>信じるのは自身の感性だ
それだと誰か個人の評価という話から自分の評価の話になっている

>自身の感性における評価の言語化に近いものと照らし合わせブラッシュアップする作業を繰り返す事で自身の作品評価の軸が定まる
別に歪められた評価であっても照らし合わせてブラッシュアップするものにはなるだろう

>それも指標の1つではある筈では?
>それ自体は否定しないがそれのみが文化的評価ではないだろ
つまり「文化的価値は他のプロセスでも認定されると主張している」ってことでいいんだよな?
俺は文化的評価という言葉を「専門性や知見に基づいた集合によって作品に与えられる評価」としている
なので大衆性によって評価されるものは大衆的評価等の別の言葉と考える
文化的価値だともっと広くて「文化としての価値を持つ」ことなので大衆的評価も文化への価値付けであるため当てはまる

>いや築きあげてない未完状態では承認を得るのが難しいのは当たり前の話では?
>逆に言えば社会的承認はそちらが言うような人々に認められるプロセスは必ずしも必要ではないという話でもある
どこまで築けば認められるということでもないので承認という手続きが必要という話をしているつもり
ホストの話の場合には森ビルだったが、基本的には社会的に認められた地位から更に認められるという手続きが必要

>だとしても個人である事は切り離せない筈だ
これは経済性の中の個人を見るかどうかという話と同じだな
商品を買った個人の価値観を見ることとアカデミー会員一人ずつの価値観を見ることは極めて近い

>まったく違う。そういう個人の価値観がどこでどう繋がるかは定かでないし、個人の価値観が反映される側に何が切っ掛けで立つか定かでないから
まずレイヤーが分かれていることを前提とする
上位レイヤーの個人の価値観は直接的に影響を与える
下位レイヤーの個人の価値観はどこかで上位レイヤーの個人に影響を与えるかもしれない
それは道端に生えている花がどこかで上位レイヤーの個人に影響を与えるかもしれないということでも同じだ
つまり万物のすべては影響しあうのだから全てに意味があるという価値観に立てば個人の価値観に意味はあるという話なんではなかろうか

>だからこそ個人の価値観は無意味・無価値と一律に閉ざすべきではない
このような未来を視野に入れた発言についても万物のあらゆる可能性を考慮する立場からすれば意味はあるだろう
ただし、それは「現時点」を捉えている俺の考えとは前提条件が異なっている
というか俺が想定出来てなかった個人の価値観に意味があると考えるための視点の位置はこれか?

>だが無いとは言えない上で影響を受けたであろう部分は挙げたし、今現在の隆盛も否定できないのでは?
>その上で菊地秀行ときのこの間を繋いだ武内社長の個人の価値観も無意味とは言えまいよ
影響は受けたことは確かであっても今現在の隆盛にどのように繋がったのかは証明できない
ゆえにこの部分の話は全て「可能性」の話でしかない
が、上記のあらゆる可能性を考える視点に立てば、この影響がヒットにも作品性の向上にも大きな変化を与えた可能性があることに意味は生じる

>その指標をそちらは賞に限定しすぎではないか?
社会的な指標が成立するものであれば他のものでもいい
俺が重視しているのは個人の好き嫌いとは別に何らかの価値の上下が示されるということだ
ただ売上はもう明らかに社会的指標であって論ずる余地もない

ここで確認だが売上という指標ではビジネスとしての上下が示される
様々なレビュー(最大規模はアニメならMAL、映画ならIMDb)ではネット評価の一部ではあるが上下が示される
同様に賞をとったかどうかで文化的評価の上下が示される
分野ごとにこうした指標は色々あって、アカデミックな評価なら学会誌への掲載であったり引用数が指標となり、企業価値とかの格付けという国際指標を作るビジネスもある
このように社会的な指標があることは問題ないんだよな?
そのうえで更に確認だが、これらの評価は個人の価値観よりも社会的に価値が高いとされることは問題なのか?

>ニッチ扱いは流石にこちらへの反論ありきではないか?
だいたい2000年代前半ぐらいの時期だが、当時エロゲやってた奴なんてコアなオタクだけで明らかにニッチだったことは単純に売上数=消費者数が示している
アニメでも種死が同時期に累計100万枚以上売れてるが、アニメの場合は視聴者数はかなり跳ね上がる
本屋に並んでる本にはアンソロとか比べ物にならないくらい売れないものも並んでいるのでニッチな売り物がそもそも成立している
今はFGOの累計ダウンロードが数千万でアクティブ200万いるのでニッチではなくなった

>いや鬼滅がアニメ化による爆発的跳ね方をしたが、それ以前から鬼滅がヒットはしていたという話では?
帯に推薦文書いたのがFGO後という話

>そんな主観での人数許されたら言ったもの勝ちでは?
FGO前でPC20万で、当初の実売は不明だが多くて15万、別に1/10に減らしてるわけじゃなかろう

>hollowに限る理由は?
それ以降は焼き直しか他社絡んでるから

>ニッチ側でなかったとする保証は何によるものなのか?
上に書いたように売上数
それで空気感では大衆評価の基準不在って話は間違ってないだろ?

>200件の基準は?
複数の対象に対しての標本数となることが割と多い数
本来は400件ずつ取る方が正統

>言説や論じたものの具体例を求む
そのままググれば5秒で出る
受賞作品が普遍性を持つということと普遍性を評価されたということは表裏一体だ

>いやだからその理屈が「自分はそう思う」以上の何に保証されているのかを聞いてるのもあるんだけど
>普遍化ではなくある程度の平均化、あるいは均一化では?
エビデンスは無理だって言ってるじゃん
カンヌ等の作品評価の基準で普遍性自体が評価されるという話があるとか、芸術性という普遍的な基準で優れた作品が選ばれるということまでだ
複数人による審査の手続きは基準に対しての標準化だな
これ自体は普遍化の手続きではないわ

>「普遍的」とは、すべてのものに当てはまることを指し、
普遍的ではこういうのも出たぞ
「広く行き渡るさま。極めて多くの物事にあてはまるさま。」
なので俺はこれを採用して国際社会においての普遍的な評価、つまり多くの国で当てはまる評価とする
なので大衆からの実際の支持はこの主張では不要だ
ちなみに言葉にこだわってるわけじゃないから主張とズレるのであれば普遍的という言葉を捨ててもいいぞ

>それを一時代の限られた人間の評価が生み出すというのがそも間違いでは?
上記ゆえ、多くの国で当てはまれば普遍的な評価だ

>賞の受賞が不朽の普遍的な名作を生むのではなく、それに値する作品へ当然のように高評価が為される
順序としてはその通りだ
ただしそうした名作に評価を与えて価値を付与することが賞の役割だ
仮にだが名作だけれど見ている人間も少ないので売り上げは全く上がらない映画はそれだけでは一部のユーザーが良いという作品に留まるが、賞などが社会的に評価を与えると見る人が増えずとも作品の価値を認定することができる

>それも経済性から見た文化的評価ではあるのでは?
ちょっと前に書いた定義では経済性から見た文化的価値となるものだな

>他のプロセスでもそりゃ認定はされるのでは?
俺も他のプロセスもあり得ると思う
文化的価値は上で言ったように広いし、文化的評価にも当てはまるものは色々あるだろう

>そもそも選出した1~3にすら順位をつけない場合もあるのだからあくまで該当する優の抽出に留まるケースは劣の選出を伴わないのでは?
ここ全く分からんのだが、選出3件、選外7件だと選出3件が優で選外7件が劣でなければ何なんだ?

>なのに映画祭で最上位となる時点で万人の普遍性を映画祭が担保するというそちらの持論の脆弱性では?
上の通り万人の普遍性を求めてないからな

>考慮しないと存在しないでは意味が全く違う
意味が違うので考慮しないだけで存在しないとは言っていない
何が評価されたのか?を測るのであれば個人の意見を一つずつみるのではなく、それこそ統計的な処理であったり専門家たちの意見聴取が必要だろう
ユーザー一人ずつに話を聞いて回ることはないというのを考慮しないと言っている

>売れてファンの声が多数あるのであれば要因の1つである事を否定できるものではないのでは?
調査にも正当性の担保が必要だ
10人のファンの声を聞いてきました、これがヒットの理由ですとはできんだろ
10人の専門家の意見を集めましたとか、属性ごとに200人ずつファンの声を集めて分析しましたとなる
0
254. 名無しのあにまんch 2024年08月01日 00:57:43 ID:IxMjYwMTY
>いやそれに反して実際の交配依頼が初年度は全然こなかったの上で書いたろ
リアルシャダイやトニービンがいたから多くは初年度に博打は嫌だったんだろ
初年度の目算を上に置き過ぎただけの話だと思うぞ
シンジケート満口の時点で一定以上の評価は得られている

>「テソーロはダート軍団」という認識をされている』のがネタとして扱われるぐらいには
なるほど
まぁ他のテソーロと比較してもウシュバの芝歴の長さは異常だった
言いたかったのは適正の差は細かな違いだからこそ見極めるのは難しいってことだ

>ただそういうレーティングや血統に現れない個人評価でSSは日本に来たよねという話にそれを持ち出して何が言いたかったんだ?
影響の話をしているが俺が主張している評価の話とは別だよねと
0
255. 名無しのあにまんch 2024年08月01日 00:58:47 ID:IxMjYwMTY
>「~という事か?」とかあるやろ
同じようなことがあった時に気付いたら直す
ただまとめるときはそれを前提に次の話に進めているときでもある

>どちらとも取れる言い回しではないか?と指摘させてもらった
どちらでもない
審査員が決めるという手続きの結果の責任が国にある

>その類いは結構いるんじゃないか?
>一方で行政に会社として指導されるとしたら矢面に立たざるを得ないと思うが
指導側と被指導側を兼ねることはなく立場が上の方の役職として扱われるんじゃないかってことよ
0
256. 名無しのあにまんch 2024年08月01日 01:10:35 ID:IxMjYwMTY
>根本的に「個人の価値観が無意味化する規模で平準化が起きている」というのが持論成立の為の仮定の域を出ないのでは?
個人の価値観の強弱によって平準化が起きないというのは俺の主張する形に近くないか?
その先にあるのは国による価値観が圧倒的に大きくて個人の価値観は極めて小さいという形だと思うが
これまでにそちらは例外的な価値観の個人もいるため社会的評価が個人の価値観よりも上に立つことは全面では認められないと言っていたが、強弱を問うのであればそうした例外的な数が少ない価値観の持ち主は重視できなくなるんじゃないの?

>といえ物質としてのゴールドは今だに経済的には共通指標足り得るんじゃないか?
言葉が足らんかったが、ゴールドなどの国際的に指標化されたものが基準になっているということに異論はない
一つの指標の内側であれば基準は共通する

>その国際社会とは具体的に何を指しているか聞いても?
OK、国際社会=他の多数の国家から相互に認められている国家を個としてその集合によって形成される社会

>評価した側の文化圏と異なる者からすれば「共有される普遍化した評価」とは言い難くなるケースがあるのでは?
パッと出てきた例が半地下の家族だけどあれは独自の社会問題を扱っていることが普遍的な資本主義の問題に繋がるとして評価された面があるわけで、違う文化圏への共感ができるように設計されたからこその評価と思える
まったく違う文化圏から見たときに理解が難しい作品が評価されることがあるのか?ということだと日本のアニメは国内の賞では日本アニメの独自性に則った作品も評価されているが、海外の賞ではそうした作品が受賞することはまずなく、ピクサー出身のトンコハウスとかが評価されたりしやすいのは違う文化圏への対応ができているかの差があると思われる

>不快と矮小化させずに他人を害する行為=侵害と書けば
不快にされることが人権侵害なのかが論点なので、侵害だと暴力などが含まれて範囲が大きく広がるので適切ではない

>個人が考える幸福の条件に関しては思想の自由がある
人権で定められた幸福追求の範囲を個人が自由に決められるってまずいことになりそうじゃないか?保証される範囲が人権の範囲だろう
むしろこちらから問いたいのは幸福追求権に不快さの排除を要因として認めたものがあるかだ
ちなみに衆議院の資料を見たが、幸福追求権の範囲というのはやはり難しいらしいが、幸福追求権に基づいて新しい人権として主張されたものは、プライバシーの権利、環境権、日照権、静穏権、眺望権、入浜権、嫌煙権、健康権、情報権、アクセス権、平和的生存権などで、このうち最高裁判所が認めたのは、プライバシーの権利としての肖像権ぐらいだそうだ

>持論の為に何の保証も背景もなく「~になる」とか言い出すのやめて貰っていいですか?
「不快にされたくない」だと権利ではないじゃん?
そちらで適切な言葉を用意してもらってかまわんよ

>この「第11条に反する行為」であり既に言葉も権利も存在している
>『第13条の幸福追求権は第11条によって妨げられてはならないとされている』と言える
不快はその人権に入るかどうかが論点なのに、人権は永久の権利だからと出されても順序がおかしい

>因果関係や状況設定が不明瞭過ぎる
忙しいと言っても一般業務の範疇、忙しさの因果関係はあると設定する、同僚への害意はない、パワハラ等の他の問題は発生していない
このときに排する以外の手段があるかどうかは問われず同僚が排する権利を持つかどうかが問題設定
不快さが人権侵害になるのであれば、同僚は「彼がたくさん仕事をするのは不快なので自分に接させるな、これは人権で保障された私の権利だ」とその一点で主張できる

>論理学まわり
自然言語の話はふわふわな言葉だと成り立たないこともあるって意味だよな?
あと直観主義論理って少し調べても難しすぎるんだがこれは数学的状況においての理論じゃないのか?
あと繰り返すが幸福追求権の中に不快が入っているかが主題なので、その成立を前提にするのは順序がおかしい

>「転売等の営利を目的とした商品購入を固くお断りしております。」と公式サイトにはっきり書かれている
知らんかったわ
それなのにあんだけ売られてんのな
発売元の禁止という購買のルールが設定されているのであれば道徳の例として出すのは適切ではなかったな

>他人を害するべきでないとこちらは延々と語ってきたが?
「規制されていないからやって良いは自分が法に守ってもらえないという事でもある」が間違っているという指摘だ
あと被害者が復讐したらそれも逮捕されるべきだ、基本的には私刑は法への冒涜だと考えてるんだがどうだろうか

>不快に感じた事の次第では軽犯罪法違犯やその他の罪に問える可能性があるので、表現の自由の権利を喪失しますね
それは不快が問題の主体ではなく「事の次第」の問題なんだよ
「事の次第」が付随すればそりゃ違う話になる
公共の福祉では不快自体は制限できないことは認めるだろ?

>その上で当て嵌まりはしない事を思想の侵害と作品の批評という行為の違いで不適切だと指摘している
それについては「作品への言及も価値観への言及も個人から発信されたものが否定されたという形は違っちゃいない」に対して「それを良しとするのは構わない」と既に回答をもらっている

>核となった個人の評価は会社と混合させようとしたり
それは個人の影響力が何に基づいているかという話だからだ
背景にあるものが分けがたいだろう
一方で批評や作品で個人名が明示されていれば個人のものであることに異論はでないが、会社の名義であれば個人の寄与の範囲は分けがたい
分けられるものと分けられないものというだけの区分だ

>そちら自身が社会的評価を個人が批判し否定する事が許されると認めているが?
まず個人が自身の価値観のなかで社会的評価を否定するのは自由だ
ただし社会的評価の内容(賞の評価など)を個人の評価が覆すことはできない
ちなみに個人の価値観と大衆の価値観は俺はずっと分けてて個人の価値観では一個人の話をしている

>上下ではなく左右にある形の可能性も、互いに干渉しない別個の切り離された形態である可能性もある
先に「構造の上下に由来する」といっている
なのでそういうのであれば社会構造において社会と個人の関係は上下か左右か切り離されているかを話す必要がある
0
257. 名無しのあにまんch 2024年08月01日 18:03:42 ID:U5NTkwNA=
>>256
>まず最初に長すぎて一日で書ききる時間がない

別に間隔空いてる事を指摘していないのに急にどうした?

>すべてが良いものだろう

大抵の物は誰かにとっては良いものという話では?

>少なくとも評価をするということとは異なる

人間の数だけ評価があるという話では?

>こちらの定義の中では兼ねるという形ではなく社会的価値のなかの一つとなる

その定義を否定はしないがそれだけが唯一の正答ではないのでは?

>要素を分析することは必要だと思うが

分析とは言うがそれを大雑把かつ単純化させすぎてはいないかと言っている
そちらが言っているのは例えるなら「チョコレートは甘いから美味しい」
「甘くて美味しい」だけでは他のお菓子と区別がつかない
呼吸法でのバトルが人気の漫画では鬼滅かもしれないしJoJoかもしれないように

苦甘い、甘辛い、酸っぱ辛い、酸っぱ甘い、甘じょっぱいetc……
とても甘い、けっこう甘い、甘い、少し甘い、ちょっと甘い
組合せと程度の2つの要素だけですら数多の可能性に至る

例えば「深い苦味にとろける甘さとチーズの酸味が加わったティラミス風味のチョコレートで美味しい」のように

より構成要素が多岐にわたる物語は言うに及ばず

>偏りを減らすための選出がされていることと偏りをそのまま許容することは違う

だが選出者の組合せで答えが異なるものになるのは否定できないのでは?

>普遍性の追求は現在に留まる以外はありえない

現在に留まざるを得ない時点で普遍性を追求できていないか、追求できるものが普遍性以外のものなのでは?

>例えばブギーポップの影響はこの場合は学術的な背景の掘り下げにあたる?

そんなものはないが、もし仮にラノベ学というものがあるとしたら講談社刊 『ファウスト』 2005 SPRING Vol.5 東浩紀(批評家) 『波状言論』 序文からの抜粋として「ブギーポップ以降・以前」という言葉が書かれたように影響を与えたとされる主な後進作家として西尾維新・時雨沢恵一・奈須きのこ・佐藤友哉が挙げられる事から空の境界へも言及はあるだろうし、発表時期の近さから空の境界へはどの程度の影響があったかの推察や空の境界以降との比較はなされるだろうね

>それでらっきょの作品評価自体は美術的評価ということか?
問題は空の境界は空の境界でファウスト系新伝奇と評した編集者(現・星海社の代表取締役社長)も居たり後の型月の隆盛を考えれば学術的評価もされるでもあろう作品という事
つまり社会的評価と文化(美術)的価値も兼ねる一例

>俺が言っている文化的評価は選出工程を挟んで文化を評価されることなので

一貫して「それも在るがそれしかない訳ではないのでは?」というのがこちらの主張なのでズレるも何もないが

>それを含めるなら作品単体での評価ではなくシリーズとしての評価に入ってくる

それは恣意的選択ではないか?
続く前提の上下刊とかなら合わせて評価すべきだろうが、例えばトップガンとトップガンマーヴェリックのように正統続編でこそあれ様々な要因から違いが多々ある場合は通したシリーズ評価も単品での評価も両立し得るのでは?

>ストーリー的な繋がりがない場合はどう考える?

その場合は程度にもよるのでは?
ドラクエは戦闘システムが大きく変わらず、次いでテイルズが戦闘システムに変化が現れ、ストーリー的には稀に繋がった続編も出るけどFFはちょくちょく戦闘システムが変化するなどで、ある程度の前作の評判がアテにならないナンバリングタイトルもある

ストリートファイターも特定のナンバリングに人気があってストリートファイターIII 3rdはクーペレーションカップと呼ばれる大会が2001年より開催されていて去年も開催された

一口に続編と言ってもどこからどこまで同じでどう違うかが作品毎に違いすぎるし特定の作品にコアな人気が出る場合もある

>個人が受け手であることと個人以外が評価を下すことの間に関連はない

個人が受け手の時点で社会評価をそもそも取り入れない可能性も選択肢もあるのでは?

>社会にて評価を下すことに意義がある

それに意義があるか、見出だせるかに個人差がある

>社会的視点は業界内に留まるものでもない

その社会的視点を摂取しない人間に取っては業界内を出るものではない

>評価をレイヤーで見る場合には規模や社会構造で見ればこうした社会的評価は上になる

いや上とは断言できんだろ
社会的に賞等を重視してる人間の比重が明らかではないんだから

>あとちょっと思ったがレイヤーという言葉は層を指しているので上下がないことを主張するなら言葉は変えたほうがいい

いやだから、上下外の話もあるがそもそも上に限らないんじゃないかって話もしてるんだが
加えて横並びの上に別の評価軸が乗ればそれも層では?

>それだと誰か個人の評価という話から自分の評価の話になっている

信じる信じないに関しては自分の評価を信じるという話と、それと並列してその自分の評価とは別に他人の評価があるというだけの話では?
その他人の評価も同様に信じるか決めるのは自分という話で

>別に歪められた評価であっても照らし合わせてブラッシュアップするものにはなるだろう

いやそういう問題ではなく社会的評価が歪んでいてはダメでは?
何の正当性も無くなるんだから

>俺は文化的評価という言葉を「専門性や知見に基づいた集合によって作品に与えられる評価」

その専門性や知見が何に基づくかで言えば「人間」では?専門家も大衆もなく広くあまねく、時に時代や文化も越えて「人間が良い」と感じるものが普遍性であり評価はその言語化であって先に存在する「良さ」を知覚できる形に加工したものであって「良さ」を創造するものではない筈だ
賞に良さを与えられるのではなく、どう良いのか表せない者への導きとなりえるのが賞ではないか?

そもそも特定の文化(映画)に対する意味合いにのみ拘泥して本来持つ言葉の意味合いを狭めすぎているように思うが
文化的評価という言葉なら日本文化とかローマ文化とか特定地域の文明に対する評価を指す言葉や、土木文化や石材文化と言った特定の材料を用いた木工や石工と言ったものも、特定宗教の様式に対する文化としても、「文化的評価」は本来用いられるべき言葉であるのにそちらの持論の為に芸術の更に一分野に限定した用いられ方をしているのが根本的な誤りではなかろうか?

>なので大衆性によって評価されるものは大衆的評価等の別の言葉と考える

そもそもそれが世間一般的な通念ではないのでそう定義するのは構わないが社会的にそうであるとする事に無理があるのでは?

文化的価値だともっと広くて「文化としての価値を持つ」ことなので大衆的評価も文化への価値付けであるため当てはまる
「文化」という言葉の含む範囲が本来は広いのだから

>どこまで築けば認められるということでもないので

それは事例毎に異なるというだけで認められる基準が無いという話ではないのでは?

>ホストの話の場合には森ビルだったが、基本的には社会的に認められた地位から更に認められるという手続きが必要

これは単にホストという職種のイメージが悪いという問題では?

>商品を買った個人の価値観を見ることとアカデミー会員一人ずつの価値観を見ることは極めて近い

なのにアカデミー賞は文化的評価で大衆のそれは違うとするのは恣意的では?

>つまり万物のすべては影響しあうのだから全てに意味があるという価値観に立てば個人の価値観に意味はあるという話なんではなかろうか

だからこそ、何でもありえるからこそ自他共にほぼ唯一無二だから個人の価値観に意味があるとこちらは考えている
何でもありえるとしすぎては推測もできないので、ある程度の形に押し込む為に

>ただし、それは「現時点」を捉えている俺の考えとは前提条件が異なっている

上記の理由からそれに関しては否定する理由は無い

>というか俺が想定出来てなかった個人の価値観に意味があると考えるための視点の位置はこれか?

それは断言しかねるが、自分は良くも悪くも因果関係による先読みを試みるので過去も現在も未来も考慮する場合がある

>このように社会的な指標があることは問題ないんだよな?

無い

>そのうえで更に確認だが、これらの評価は個人の価値観よりも社会的に価値が高いとされることは問題なのか?

万人にとってそうである、とするのが問題と言ってるのであってその認識自体が問題という事ではない

学術的裏付けのある言葉ではないが「最小単位の社会、それは家族。社会の最小単位、それは個人。」と提唱する者もいれば、孤独死問題も起きる現代ではもはや社会の最小構成単位として個人を挙げる者もいる

この場合、個人(社会)の価値観による好悪が社会的価値に直結し社会的評価が内包されない、上下ではなく横に並列、上下であっても社会的評価が下に来る等の多様性が生じえる

あにまんにもたまにいるだろ?売れてるから逆張りで貶すとか売れてるから見ないとか
あれのもっとずっとソフトなパターン

あとはそもそも売上げ賞や世間の評判に興味が無く最初から無関心の虚無で、見えないもの=測れないので個人(社会)的視点で考慮されるものにならないとして扱われるパターン

そちらに伝わりやすい言葉で言うなら観測されないから考慮しない、されないものとして扱われている可能性があるから万人に共通する真理ではないとこちらは主張している

>だいたい2000年代前半ぐらいの時期だが、当時エロゲやってた奴なんてコアなオタクだけで明らかにニッチだった

単なる偏見では?佐々木少年先生の漫画版は比較的大手の一般紙の月刊コミック電撃大王で数年連載続いて最低でも210万部売れてるし、MELTYBLOODに関しては下記の抜粋の通りよ

>リリース時期に他のアーケード格闘の新規稼動作品がなく、加えて稼動前よりPC版からの数多くの固定客がついていたことによって記録的ヒットを飛ばし、低迷気味であったビデオゲーム業界に追い風を巻き起こした。2005年8月には、セガ(後のセガ・インタラクティブ)公式の全国大会が開催されるほどの盛り上がりを見せた。また、対戦格闘ゲーム大会「闘劇'06」の競技種目の一つにも選ばれた

ただのエロゲみたいな認識されてたら売れてないって

>同人ソフトを源流としたゲームが家庭用ゲームに進出するという発表は『ひぐらしのなく頃に』に次ぎ、実際に発売開始した作品としては同年7月に発売された女性向けの『花帰葬』に次ぎ、史上2例目

>単純に売上数=消費者数が示している

何の売上数?

>アニメでも種死が同時期に累計100万枚以上売れてるが、アニメの場合は視聴者数はかなり跳ね上がる

アニメの真月譚の話がしたいならニッチ以前に出来が悪かったから売れなかったのでは?

というか上で「シリーズ物はシリーズで評価すべき」と言っているのに日本シリーズ物の極致の1つガンダムシリーズな上に前作SEEDから直接続いてる作品を持ち出すのは流石に笑うに笑えないんだが

しかも12話完結作品に対して全50話なんだからそら仮にアニメ月姫の出来が良くて互いに全話分買ったとしても話数分で差がつくし、ディスティニーはHDリマスター商法もやってんじゃん

加えてロボと伝奇(能力バトル)でジャンルも全然違うのに比較対象に持ち出して、数に差がある!は流石にそれでこちらを納得させられると思ってるならバカにしすぎじゃないか?

>本屋に並んでる本にはアンソロとか比べ物にならないくらい売れないものも並んでいるのでニッチな売り物がそもそも成立している

そういう売れなくても並んでいた本と類例と月姫関連の本がそうだったという因果関係が成立していないし

最低でも
一迅社スタジオDNAメディアコミックス
月姫コミックアンソロジーVol.1~24

マジキューコミック
月姫アンソロジーコミック6巻

ツインハートコミック
月姫アンソロジーコミック12巻

宙出版
歌月十夜 アンソロジー 4巻

一迅社スタジオDNAメディアコミックス
MELTYBLOODコミックアンソロジーVol.1~19

マジキューコミック
メルティブラッドアンソロジーコミック2巻

ツインハートコミック
MELTYBLOODアンソロジーコミック13巻

RCゲームコミックMELTYBLOOD2巻

ニッチで売れてなかったら約80種類のアンソロは出んしヒロイン別アンソロや月姫読本(副読本)なんかも出んよ
これにfate系列を加えれば優に100を越える訳だけど?

>帯に推薦文書いたのがFGO後という話

FGO後だと何の関係が?

>FGO前でPC20万で、当初の実売は不明だが多くて15万、別に1/10に減らしてるわけじゃなかろう

いやだから何に基づいて10万の見込みなん?
加えてPC版とPSP版片方しか買わなかったケースもあるから何の参考になるん?
Fate/unlimited codesもPS2版のみで13万。後にPSP版も販売している
タイコロもPSP販売なので具体的な数値は不明だが販売されていて、月姫系列・Fate系列は全年齢対象商品がガンガン出ていた訳だけど

というか10万ならニッチ側って何が根拠なんです?

>hollowに限る理由は?
それ以降は焼き直しか他社絡んでるから

他社が絡もうと肝心のストーリーは奈須きのこ主導では?
講談社からDDDも出版されている

あと魔法使いの夜の当時の反応見つけて来た

>AKIHABARAゲーマーズ本店では、出勤前に購入しようとする人が多数来店し、用意されていた一般販売分は2時間を待たずに売り切れたという。

まぁでも10万本は行ってるかどうかわからない
リメイク版に上書きされてよう調べきれん

>上に書いたように売上数
それで空気感では大衆評価の基準不在って話は間違ってないだろ?

恣意的な選出の仕方と10万ならニッチの根拠が見えないし、個人一人の空気感が基準不在の反証になるは流石に過言では?

>複数の対象に対しての標本数となることが割と多い数。本来は400件ずつ取る方が正統

門外漢なのでちょっと調べたのだけど

「統計学者ならば、サンプル数という言葉は使いません。素人はサンプル数をもって、統計学者が言うところの「標本の大きさ」を言っています。一番困るのは、統計学者(とおぼしき人)がサンプル数と言ったときです。 (1) 素人相手なので、標本の大きさのつもりで言っているのか、 (2) 間違って言っているのか、 (3) 自分が素人なのか、 (4)日本人、C国人、K国人というように複数の母集団から取り出した複数の標本だから、母集団の数(=標本の数)を言っているのか、わかりません。」

200とか400ってマジに何に根差した数字なの?
規定回数が正統となるようなものに思えないけど

>そのままググれば5秒で出る

出ないから求めているんだが?

>受賞作品が普遍性を持つということと普遍性を評価されたということは表裏一体だ

言いたくはないが進次郎構文で持論が正しいという前提ありきで「正しいから正しいと裏付けされてる」と言ってるだけで何の説明にもなっていないが

>エビデンスは無理だって言ってるじゃん

つまり正しくないのでは?

>カンヌ等の作品評価の基準で普遍性自体が評価されるという話があるとか、芸術性という普遍的な基準で優れた作品が選ばれるということまでだ

それはどこの何を調べれば保証されるの?

>「広く行き渡るさま。極めて多くの物事にあてはまるさま。」
>なので俺はこれを採用して国際社会においての普遍的な評価、つまり多くの国で当てはまる評価とする

その言い回しだと指摘されて今、改めて都合が良い解釈を定めたように聞こえるけど

>なので大衆からの実際の支持はこの主張では不要だ

極めて多くの物事/人物/大衆に支持されるであろう選出が不可欠では?

>上記ゆえ、多くの国で当てはまれば普遍的な評価だ

つまり多くの国に住まう多くの大衆にとって良いと当てはまらねばならない訳だけど

>ただしそうした名作に評価を与えて価値を付与することが賞の役割だ

まぁ実績というか映画社会での権威という意味でなら同意する

>仮にだが名作だけれど見ている人間も少ないので売り上げは全く上がらない映画はそれだけでは一部のユーザーが良いという作品に留まるが

そういうのはまずノミネートされないのでは?

>賞などが社会的に評価を与えると見る人が増えずとも作品の価値を認定することができる

正直、機能するか懐疑的ではあるけど保護の為の必要性は認める

>ここ全く分からんのだが、選出3件、選外7件だと選出3件が優で選外7件が劣でなければ何なんだ?

良く言えば良、好
悪く言えば凡、普、並
勿論、場合によってその中でも劣に分類しなければならない物も優に近いものもあるだろうけど

>上の通り万人の普遍性を求めてないからな

仮に国家を対象としても国家を形成する多くの国民/大衆に通じる普遍性が必要では?

>それこそ統計的な処理であったり専門家たちの意見聴取が必要だろう

せやからマーケティングがあるし必要言うたやん
あるいは出版社やアニメ会社が外部委託するんじゃないか?

>10人の専門家の意見を集めましたとか

それで売れるのができるなら100億単位で売れる作品がバンバン出てるんだなぁ

>属性ごとに200人ずつファンの声を集めて分析しましたとなる

それこそ個人で要因を調べているのか商業目的かによるのでは?
公的なものとして扱わずある程度の目安と前置くならおおまかにこういう傾向にあるとして示せないだろうか?

>シンジケート満口の時点で一定以上の評価は得られている
だとして質の良い繁殖牝馬をつけなかった周囲に反して吉田氏は質の良い繁殖牝馬をつけている
トニーピン等を選んだ周囲との価値観の相違が明らかでは?

>ただそういうレーティングや血統に現れない個人評価でSSは日本に来たよねという話にそれを持ち出して何が言いたかったんだ?
影響の話をしているが俺が主張している評価の話とは別だよねと

>ただまとめるときはそれを前提に次の話に進めているときでもある

それを勝手にされたらかなわん言うてんやろ

>審査員が決めるという手続きの結果の責任が国にある

それ以上でも以下でもなく、雇用責任に近いものというなら認める

>指導側と被指導側を兼ねることはなく立場が上の方の役職として扱われるんじゃないかってことよ

デザイナー兼社長とかだと寧ろ先にまず被指導側アーティストとして扱われないか?というか好き勝手やる為に自分のブランド立ち上げるんだし
流石に武内社長がそうとは言わんけど……いやでも理由つけて売れるって大義名分でセイバー顔描くからなぁ。武内社長の場合はやっぱ混在してんのか?解らん

>その先にあるのは国による価値観が圧倒的に大きくて個人の価値観は極めて小さいという形だと思うが

その方が楽で良いという人間もおそらくいる
逆にそんなもん知らんという人間もおそらくいる
そもそも『賞による裏付けに根差した国による価値観です』と言われても頼んでもないのに何してんねんうっさいわぁボケが何が良いかは自分で決めるわアホって押し付けがましさに却って価値観を先鋭化させる危険性もある
圧倒的に大きいなんて誰が決めた?専門家?オタク等が自分の何を知ってんの?
ってな具合に

>強弱を問うのであればそうした例外的な数が少ない価値観の持ち主は重視できなくなるんじゃないの?

ここでいう強弱ってのは先に書いたように持ち主の強度の話であり
価値観同士を比べた際の比較ではなくようはおそろしく強(こわ)い、硬い価値観と弱く、柔らかい価値観で強度に個人差があるから映画祭等の受賞による権威を無関心、あるいは寛容さからあっさり受け入れる層と自分の見たまましか受け入れる気がない、あるいは無関心から受け入れない層とで分かれるから一括して平均にはできないんじゃないの?っていう話
後者は納得無しに平準化に迎合しない(逆に映画見て気にいったらアッサリ迎合するのもありえる)

>OK、国際社会=他の多数の国家から相互に認められている国家を個としてその集合によって形成される社会

その国家も結局は大衆で構築されたものでは?

>まったく違う文化圏から見たときに理解が難しい作品が評価されることがあるのか?

例えばマイナスワンはお隣K国だと一時期何故か特攻讚美作品扱いされていた
バカな事言ってんなよゴジラ観たいよって人もいたようだけど

>ということだと日本のアニメは国内の賞では日本アニメの独自性に則った作品も評価されているが、海外の賞ではそうした作品が受賞することはまずなく

逆転現象だと、君たちはどう生きるかが珍しいケースか?国内の売上も決して少なくない、寧ろ高いがトップクラスという訳ではないが千とちひろ振りのアカデミー賞の長編アニメーション部門を受賞して国外の方が評価が高い

>不快にされることが人権侵害なのかが論点なので、侵害だと暴力などが含まれて範囲が大きく広がるので適切ではない

いや不快にさせる害意の時点で暴力なんだが。広がりはしない
結果的に不快にさせる過失と、故意に不快にさせる暴力には大きな隔たりがある
だから
過失傷害、過失致死、暴行、傷害、殺人未遂、傷害致死、殺人と段階を踏むには理由がある

>人権で定められた幸福追求の範囲を個人が自由に決められるってまずいことになりそうじゃないか?保証される範囲が人権の範囲だろう

だから公共の福祉に反するな=好き勝手を認めた訳じゃないぞ?と念を押して書かれてると言うたやん
他人に迷惑をかけていい(不快にしていい)権利なんてものはないしその解釈を実行したら権利を手放す

>むしろこちらから問いたいのは幸福追求権に不快さの排除を要因として認めたものがあるかだ

11条や12条書いたよね?
何で読んでないし何で何も答えてないの?
不快さなんて矮小化させないで、知ってか知らずか他者の権利侵害を自分が宣言した事をまず理解してくれ

>このうち最高裁判所が認めたのは、プライバシーの権利としての肖像権ぐらいだそうだ

それ以前の問題だって言ってるよね?
何にも根差さない他人を不快にする権利を捏造して「俺は捕まらない限り何をしてもいいんだ」って言い出したから「他人を害さない限りは捕まらない範囲で何をしてもいい、が正確だぞ。12条の濫用にあたる」って言ってるのに「いいや俺は他人を不快にしていいんだ」って言い続けてるのを自覚してくれ

>「不快にされたくない」だと権利ではないじゃん?

だから、他人を故意に不快にする=公共の福祉に反する他者の権利の侵害だから
第11条の権利としてこちらを不快にしようという行いは拒否すると言っている

>不快はその人権に入るかどうかが論点なのに

不快にしようとして不快にする故意が論点にするまでもなくそちらに存在するので、12条に書かれた公共の福祉に反する濫用なので第13条の権利を守る為に第11条の権利を行使する
何も順序はおかしくない

まさかと思うけど、第x条の数字の順番に適用されると思ってらっしゃる?

繰り返すけど「他人を不快にする権利」を主張する故意、悪意、害意の有無がメッチャ大事だからね?

>忙しいと言っても一般業務の範疇、忙しさの因果関係はあると設定する、同僚への害意はない、パワハラ等の他の問題は発生していない

であれば廃する行為に出る方が公共の福祉に反する
そちらに合わせて不快にされない権利と書いたが、相手の害意や悪意に権利を侵されない権利なのだから故意でもなく業務に反するものでもないなら排する権利はない

この害意や悪意の有無や実害の有無が貴方と例に出された仕事好きな男との違い

>このときに排する以外の手段があるかどうかは問われず同僚が排する権利を持つかどうかが問題設定

逆にパワハラやわざと多忙にさせる悪意があるだとか通常業務に差し支えが起きるとか不当な残業が生じるなら排する権利はある

>不快さが人権侵害になるのであれば、同僚は「彼がたくさん仕事をするのは不快なので自分に接させるな、これは人権で保障された私の権利だ」とその一点で主張できる

仕事好きな男と自分のケースを同じく見てるのがそもそも大間違い
「俺は何してもいいからお前が忙しくなる迷惑かけるなwww俺は楽しいから許されるんだwww」
ってこちらへの害意を宣言してるのが不快にしていい権利を宣ったそちら

>数学的状況においての理論じゃないのか?

そもそも対偶が元から数学の命題に対する使用を前提にしてるんだから「数学的状況においての理論じゃないのか?」って事に疑問を覚えるなら対偶的に~って繰り返し口にしてたのが根本的におかしいと気づいてくれ

>あと繰り返すが幸福追求権の中に不快が入っているかが主題なので、その成立を前提にするのは順序がおかしい

いやだからおかしくないんだって
故意に不快にしようという権利の侵害へ、権利を守る権利を主張してるんだから
結果的に不快にさせられるのと故意(悪意)をもって不快にしてくるのは天と地程も違う

>発売元の禁止という購買のルールが設定されているのであれば道徳の例として出すのは適切ではなかったな

例えば普通に1パック買って要らないレアカードを売るとかはグレーだけどまぁそうそう引っ掛からない
転売目的で買って不当に高額で売るのはアウト

故意の無い前者と転売で他人不快にする権利があるので釣り上げて売ります!と故意(悪意)を表明する公共の福祉に反する後者の違いよ

>「規制されていないからやって良いは自分が法に守ってもらえないという事でもある」が間違っているという指摘だ

いや普通に保険とか降りなかったりとかで守ってもらえないケースあるぞ
上記のポケカも逆に詐欺にあった時に自分も警察に駆け込めなかったり

>あと被害者が復讐したらそれも逮捕されるべきだ、基本的には私刑は法への冒涜だと考えてるんだがどうだろうか

それはそうよ>私刑は駄目だし逮捕されるべき
でも殺人犯が警察に駆け込めるか?と言うと状況次第で自分の余罪がバレるリスクが生じる
というか人を殺さなきゃ根本的に襲われなかったし

>公共の福祉では不快自体は制限できないことは認めるだろ?

ダメだと解っててやらかすバカがいるという意味でなら制限できない事は認める。バイトテロや醤油ペロペロとかのガキとか
自分はやっていいからやります!って表明した奴がいたら「事の次第」に当てはまるので制限が許されます

やってはいけない事を止める間もなくやらかすアホを物理的に止められないのと、やってはいけない事をやると事前に宣言した奴や宣言通りに実行した奴を排する権利が生じるのは全く別の話よ?

>それについては「作品への言及も価値観への言及も個人から発信されたものが否定されたという形は違っちゃいない」に対して「それを良しとするのは構わない」と既に回答をもらっている

なぁ、切り抜いて偏向報道もうやめないか?
構わないが、で後に続く言葉があったろ

「それではそちらの言う社会的評価・価値も個人的評価・価値で否定されうるのでは?
「作品への言及(社会的評価)も価値観(個人的評価)への言及も個人から発信されたもの(個人の価値観)が否定されたという形は違っちゃいない」になりうるのだから」

これが続いて一番下2つの話に続いてるのだけど、社会的評価・価値も個人的評価・価値で否定されうると認めたという事なのだろうか?

>背景にあるものが分けがたいだろう

であれば武内社長という個人の価値観が奈須きのこをきのこを突き動かしたのも、ホロウ以降もエクストラのシナリオの功績があるのも認めるので?
全シナリオ書いた奈須きのこも、奈須きのこからも分けがたいものなのだから

>ただし社会的評価の内容(賞の評価など)を個人の評価が覆すことはできない

敢えてそちらの言葉を借りるなら審査の場に立てる個人が覆しうる
あるいは昨今なら場合によっては差別的であるという難癖で覆る危険性すらある

>なのでそういうのであれば社会構造において社会と個人の関係は上下か左右か切り離されているかを話す必要がある

つまりはその個人の立場や価値観次第では?
0
258. 名無しのあにまんch 2024年08月04日 14:23:08 ID:EyNjU2NjQ
>>257
>別に間隔空いてる事を指摘していないのに急にどうした?
テキスト量が増えすぎてきついのでもっと間隔空きかねん
まぁ本題以外はまとめられる分はまとめていくわ

>すべてが良いものだろう
>少なくとも評価をするということとは異なる
それでもいいけど別にそれにカルチャーの区分とか消費文明とか関係なくね?って話

>その定義を否定はしないがそれだけが唯一の正答ではないのでは?
他の話のときには正答は色々あるだろうけどもこの話の中での定義はお互いに合わせときたい

>分析とは言うがそれを大雑把かつ単純化させすぎてはいないかと言っている
むしろ要素分析は細かく分解したほうがいいと思っている
味であればイノシン酸とグルタミン酸などの成分まで明確に出るが、物語の場合には感想の出力から探るしかないので、アクション要素に属するワード、心理描写に属するワードetcを分けて出現回数とネガポジ分析を合わせて分析するとかになんのかな

>だが選出者の組合せで答えが異なるものになるのは否定できないのでは?
審査員評価にも一定は偏りはでるだろうよ
ただし総体として見ればそれでも偏りが減らす手続きが取られていて、一方で特定サイトの中のレビューについては常に偏りがある状態という話
なのでその場所ではそういう声が多いというところまでは同意した

>現在に留まざるを得ない時点で普遍性を追求できていないか、追求できるものが普遍性以外のものなのでは?
過去を見ればインディジョーンズは傑作なんだが今の世の中では差別表現についての指摘も出てくるわけだし、もっと前なら西部劇の駅馬車とかもそう
なので過去においても共通する価値観ってのはかなり狭いし、さらに未来を考えたら共通する価値ってありえるのか?
例えば根源的な「生きる喜び」とかを描いた作品も未来では反出生主義が流行って批判されてるかもしれない

>つまり社会的評価と文化(美術)的価値も兼ねる一例
ブギーポップの影響と文脈が学術的に扱われるのは同意するんだが後半のらっきょ作品評価の考え方にはちょっと異論がある
編集者や後の型月に繋がる文脈は学術的評価であって、本一冊の中身についてのみ評価することは美術的評価というか作品評価として区分できるのではと思うのだ

>一貫して「それも在るがそれしかない訳ではないのでは?」というのがこちらの主張なのでズレるも何もないが
違う意味で同じ言葉使ったら分からなくなるから言葉分けないかってだけの話なのだが
なんならこっちが文化認定評価とかに変えるぞ?
社会的価値となる文化的評価(社会が認める形で文化を評価すること)の中の文化認定評価

>様々な要因から違いが多々ある場合は通したシリーズ評価も単品での評価も両立し得るのでは?
まぁそちらの言う通り繋がり方の程度問題なんだろうな
トップガンマーヴェリックぐらい離れていれば独立していると見ていいと思う
これが漫画だと完全に続き物なのでシリーズとしての評価が前提になっていて巻ごとの評価されることがない
単作が一つの話でありつつも明確にシリーズになっている場合(SW等)だとシリーズとして評価する部分と単作で評価される部分が切り離されている印象があるな
ゲームの話では基礎システム自体はシリーズの評価だがそのタイトルのシステムの独自性は単作としての評価対象なんだろうな

>ストリートファイターIII 3rdはクーペレーションカップと呼ばれる大会
昔ニュートン行ったりもしたがまだクーペ続いてるのは驚きだ

>個人が受け手の時点で社会評価をそもそも取り入れない可能性も選択肢もあるのでは?
>それに意義があるか、見出だせるかに個人差がある
>その社会的視点を摂取しない人間に取っては業界内を出るものではない
いずれも個人が何を取り入れるかは「個人の価値観」の自由だって話だな
そこらへんは既に合意している範疇だと思うが

>いや上とは断言できんだろ
まず社会構造において社会と個人は上下の関係にあるだろ?

>社会的に賞等を重視してる人間の比重が明らかではないんだから
問われるのは重視している人間がどれだけいるかではなく、国などの社会の単位が賞などの価値を認定しているかだ

>加えて横並びの上に別の評価軸が乗ればそれも層では?
その形なら上下があるんだから層だろう、この場合にどういう評価軸を載せる形なのかはわからんが
ただ上下がなければ階層構造はできない

>信じる信じないに関しては自分の評価を信じるという話
それも個人の価値観に取り入れるときは自由って話だ
嘘でも何でも取り入れることはできる

>いやそういう問題ではなく社会的評価が歪んでいてはダメでは?
まず「歪められてない評価が出力されることの意味」への回答としてはおかしくなっている
そのうえで回答するとループする
「不正を前提とするのであればあらゆる評価はできない」
「個人目線でこれを疑うことは自由だが社会的視点では指標の結果は受け止める」
とはいえ、歪められていたことが証明されたときには正当性はなくなって是正が必要になる

>「良さ」を知覚できる形に加工したものであって「良さ」を創造するものではない筈だ
まず万人に共通する価値観はないので「人間が良い」と感じるものに普遍性はありえないと思える
多くの人間が理解できる作品の良さもあれば、特定の知識や知見がなければ理解できない作品の良さもある
そのためあらゆる評価では万人に共通する良さを評価することはできず、賞の評価というのも特定の指標に基づいて「良い」を定めて認定することしかできないはずだ
結果として、そういう見方があると示す面はもちろんあるけども

>そもそも特定の文化(映画)に対する意味合いにのみ拘泥して本来持つ言葉の意味合いを狭めすぎているように思うが
だから言葉の定義を分けてくれればそれでいいんよ
お互いに使う言葉の意味が混ざらなければなんでもいい

>そもそもそれが世間一般的な通念ではないのでそう定義するのは構わないが社会的にそうであるとする事に無理があるのでは?
意味が双方で共通して理解されていることで議論の前提となることが重要なのであって言葉自体に意味はない
この場合であれば「社会を構成する大多数の個人が良いとする要素を集約した評価」という意味がお互いに通じているなら問題はない

>それは事例毎に異なるというだけで認められる基準が無いという話ではないのでは?
グラデーション的になっているので大体はあるけども明確な基準は多分ないぞ
例えば会社関係で有識者として認められるのは実績を示した企業の経営者、事業推進の担当者までで現場のアルバイトが認められることはないだろうとかは想定できるが、実績がどの程度から認められるというのは指標があるわけではない
ただしホストという職種のイメージが悪いから認められなかったというのは明確な基準があったのかもしれない(反社の可能性ありとの判断とか)

>なのにアカデミー賞は文化的評価で大衆のそれは違うとするのは恣意的では?
指標としてまとめられるなら社会的評価になると何度も言ってるじゃないか(文化的評価は前の定義だと意味が異なる)

>何でもありえるとしすぎては推測もできないので、ある程度の形に押し込む為に
それは元来すべてに価値があるとしたうえで特に価値があるものを個人が決めるってことだぞ?
唯一無二だから価値があると決めるのも個人だし他の尺度で価値をつけてもいいって話だ
そうすると唯一無二性の価値も俺が主張する社会的価値も尺度次第では無価値となる
これこそ平準化ではないのか?

>というか俺が想定出来てなかった個人の価値観に意味があると考えるための視点の位置はこれか?
これは違うとしたらどこが違うのか明言してほしいのだが

>万人にとってそうである、とするのが問題と言ってるのであってその認識自体が問題という事ではない
そちらが指す万人は全ての人であるが、俺は万人にとって社会的価値が上に立つとは言っていない
こちらが指す社会的価値は国や国際社会という視点に立った時の価値だ
なので最小単位の社会=個人というのは定義が異なる

>あにまんにもたまにいるだろ?売れてるから逆張りで貶すとか売れてるから見ないとか
そこら辺の話も上の方に書いたのと同じく全部個人の価値観に何を取り込むかは自由って話よ

>万人に共通する真理ではないとこちらは主張している
これも繰り返しだが万人に共通する真理は存在しえず、社会視点と万人視点は違うってだけだ

>単なる偏見では?
210万部売れてたならそこそこヒットしていると考えを改めるわ
メルブラは渡辺製作所込みだから考えてない

>というか上で「シリーズ物はシリーズで評価すべき」と言っているのに
その話の最初に「前作ヒットの話は消費にはつながっても作品単体の評価の工程に関わっていない」と言っている
つまり評価は作品評価の話で経済的な消費の話は最初から分けている
アニメ月姫はそもそも並べていなくて、比べたのは当時のFateファン数と種死ファン数(HDリマスター以前の数字)であって単純に数だけのことだ
ここで話しているトピックには人数の話以外は関係ないだろ?

>そういう売れなくても並んでいた本と類例と月姫関連の本がそうだったという因果関係が成立していないし
逆も同じで一冊当たりがどれだけ売れてたか俺は知らん

>FGO後だと何の関係が?
この頃はもう数千万ユーザーに認知された人気作家だってこと

>いやだから何に基づいて10万の見込みなん?
話してるのは発売当時のユーザー数なのでFGO前でPC売上20万をそのまま採用するのはおかしいだろう
だから当初の実売が多くて15万からファン数の割合で適当に引いて10万
その先の時代のことは話していない

>10万ならニッチ側って何が根拠なんです?
18~30代が当時のプレイヤー層だとして当時の20代がだいたい3400万人、エロゲという枠ではなくエンタメとしては別段当時の規模でとても大きいものではないんじゃないか?

>他社が絡もうと肝心のストーリーは奈須きのこ主導では?
前にも言った通り、それ以降は他社の力が個人のブランドに乗っかってる
それ以前については思ってたより漫画売れてたからヒット作家でいいけど当時の段階で超大ヒット作家というほどではない
といっても漫画の売上との乖離を考えると割れが広まってた時代なので実売とユーザー数に大きな隔たりがあった可能性は高いが

>個人一人の空気感が基準不在の反証になるは流石に過言では?
俺が言っているのは基準不在側ではあるが、この反証になるのは1に売上数、2に当時の確かな大衆評価
どちらも出ないだろ?

>統計学者ならば、サンプル数という言葉は使いません。
統計学者じゃないからサンプル取った回数ではなくサンプル数という意味で言ってる
実際は学者水準で厳密にはやらんので200とか400とるのはもうちょっとビジネスっぽいところ見てくれれば出てくる

>出ないから求めているんだが?
「映画祭 作品 普遍」とかで色々出ないか?
東京国際映画祭の審査員長コメント「私たちの世界を揺さぶるような作品でした。この世にあるいろいろな問題を普遍的に、いわゆるドキュメンタリーという手法ではなく、ただ悪いところを見せるというスタイルではなく、芸術的な形で描いている。」とか
カンヌだとパーフェクトデイズが現代社会に欠けた普遍的な価値を示した傑作だと評価されたとか
エビデンスもこういう断片であれば出せるがそれが限界だな

>その言い回しだと指摘されて今、改めて都合が良い解釈を定めたように聞こえるけど
普遍性を万人に当てはまる言葉だと言われなければ調べてないしな
意図としてもともと万人なんて言ってるつもりもないけどな

>極めて多くの物事/人物/大衆に支持されるであろう選出が不可欠では?
国という組織単位の視点でその価値の合意が広がればいいんだよ
大衆は価値の共有の範囲でない

>まぁ実績というか映画社会での権威という意味でなら同意する
映画社会の権威というか社会(国)が認めた実績だな

>そういうのはまずノミネートされないのでは?
鬼滅無限列車と同タイミングのスパイの妻は興収2.5億円くらいだけどヴェネツィアで銀獅子賞取ったとかそういうのは結構ある

>良く言えば良、好
それも優に比べれば劣なのでは
その認定の基準の中での相対評価の優劣は決まっているとしか思えない

>仮に国家を対象としても国家を形成する多くの国民/大衆に通じる普遍性が必要では?
国家という視点とそれを形成する国民は別では
賞自体の価値を認定するのは各国の団体でありそれを承認する国であってそこには国民が関与する手続きになっていない
というか万人に受け入れられることを目指すのであれば理解が難しい作品が選出されるわけがない

>せやからマーケティングがあるし必要言うたやん
>属性ごとに200人ずつファンの声を集めて分析しましたとなる
ゲーム会社やWEBTOON系は自社ユーザーデータを正確に取れるからユーザー分析で何が受けたかを測ってるというのは記事で見た記憶ががある
出版社やアニメ会社がそういうことをやってる話は見たことないけど、想像するに作品制作コストを抑えつつ競争させて育てる形だからマーケティングにあんまりコストかけてないんじゃないかと思うところがある

>公的なものとして扱わずある程度の目安と前置くならおおまかにこういう傾向にあるとして示せないだろうか?
たしかに公的なところが色んな出版社やアニメ会社にとって役に立つような目安をだせればいいだろうな

>だとして質の良い繁殖牝馬をつけなかった周囲に反して吉田氏は質の良い繁殖牝馬をつけている
ノーザンは売り手側だから周囲とはビジネス上のリスクの取り方が違うだろう
初年度実績が重要になるんだから買ってきた直後は価値を吊り上げるための努力は当然行うと思うが

>武内社長の場合はやっぱ混在してんのか?解らん
クリエイターであることは間違いないんだが、クリエイター管理する立場の社員も社長には指導できんとおもう

>逆にそんなもん知らんという人間もおそらくいる
それは個人の価値観の中の話だと思う

>ここでいう強弱ってのは先に書いたように持ち主の強度の話であり価値観同士を比べた際の比較ではなく
個人の影響の受けやすさの強弱に由来する個人の価値観の偏りの有無と「自分一人の個人の価値観」の価値が万人の中では平準化されてしまうということは関りがないのでは?
一方で「複数人が寄り集まって強度を発揮」ということについては考える必要はありそうだ
これは多くの人が共通して考えている価値、例えば鬼滅で言えば「心理描写」とかを評価する声が多いのであれば、この価値が強化されるという話だよな?

>その国家も結局は大衆で構築されたものでは?
大衆で構築されてるな
ただし大衆の価値観と国家の価値観はイコールにならない

>逆転現象だと、君たちはどう生きるかが珍しいケースか?
あれも英語圏でのIMDbなどでの大衆評価はそんなに高くなくて、アカデミー賞をはじめとした賞の審査、批評家レビューを集合したロッテントマトにおいては評価が高い
ということで日本と評価の方向はあんまり変わってないので特に日本でだけ理解しにくいという作品でもなさそうだ

>幸福追求権と不快について
根本的に論点がズレてる
俺が聞いているのは不快という要因が「幸福追求権の中」にどう位置付けられているかだ
「不快にされたくないのに不快にされること」が幸福追求に反するのであれば人権侵害となるが、現状ではこれが示されていない
なので第11条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」に当てはまるのかもこの位置づけ次第だし、第12条の公共の福祉では不快さを制限できないことは既に示した状態であり、これらは論拠となっていない
また、途中から単なる不快ではなく害意の有無を問うているが、もともと「不快にされたくないという主権の侵害」と言っているところへの反論がスタートだ
なので主権ってのが本当かということをそちらは示す必要がある

>同僚問題
とはいえせっかくなので思考実験として、その男に害意があった場合も考えてみる
・その男は働くことが幸せであり、同僚が不快に思っていることに気付いているが自身と目的を優先するので働くことをやめない
・その男は最初から同僚を不快にすることが目的で働いている
この2パターンが考えられる
これらは幸福追求権の侵害となって同僚がその男を排する権利を持つのか?ということが問題となる

>そもそも対偶が元から数学の命題に対する使用を前提にしてるんだから
対偶は論理学の初歩であり、論理学では弁証法などがビジネス思考で広く使われるんだから数学の命題だけ扱うわけじゃないぞ
直観主義論理は正しく理解できているか不明だが直観主義数学で認められる推論となっていたのでこれは数学だけじゃないのか

>例えば普通に1パック買って要らないレアカードを売るとかはグレーだけどまぁそうそう引っ掛からない
公式がルール出してるなら黒だけどそうそう引っ掛からないからグレー扱いされているが正しい気はする

>普通に保険とか降りなかったりとかで守ってもらえないケースあるぞ
そこは保険会社のルールがあるんでない?ポケカで詐欺にあったときに警察行けないのは古物商持ってなかったからとかあるかもしれんがようわからん

>というか人を殺さなきゃ根本的に襲われなかったし
そりゃあ人殺す奴が一番悪いに決まってる
そういえば創作だと追い詰められた犯人が警察に逃げ込む展開はオカルトものとかで何回か見た気がする

>自分はやっていいからやります!って表明した奴がいたら「事の次第」に当てはまるので制限が許されます
それは「寿司ペロをやる」と宣言したことが事の次第ではないか
偽計業務妨害とか器物損壊の予告

>これが続いて一番下2つの話に続いてるのだけど、社会的評価・価値も個人的評価・価値で否定されうると認めたという事なのだろうか?
その回答としては「作品への言及は個人である限り個人的評価だ」「あと別に社会的評価を個人が否定することもできる」と返しており、そちらは「だとしてもエスパー魔美のコマが…」とこちらの主張を否定せずに次の話に繋げている
で、そこから一周している

>武内社長という個人の価値観が奈須きのこをきのこを突き動かしたのも、ホロウ以降もエクストラのシナリオの功績があるのも認めるので?
きのこのシナリオの功績はずっとあるだろ
作品全体とは区分すべきであっても書いたテキストの評価はきのこ個人のものだ
一方で武内の個人の価値観をきのこ個人と分けがたいとするのはおもしろいな
「皆さんあっての私です」みたいな話で、誰がどのような実績を挙げようがすべて周りの人間たちの功績になる
それどころか環境とか教育とかあらゆる要素も個人を形作るものとして価値が生じる
俺は実績や影響力は個人を最小単位としてるけど、それ以上に分散させる考えを取るのであればその考えはありだと思うよ

>審査の場に立てる個人が覆しうる
>昨今なら場合によっては差別的であるという難癖で覆る危険性すらある
審査員個人が発した意見に他の審査員が同調して「合意」の上で覆ることはあるだろうな
個人の批判で覆される場合には大衆規模であれば理屈上は起きうる
あとはこの時には「差別的なのはダメだ」ということが映画の審査基準にあったか、もしくは社会通念としてより高い位置にあると判断されたから覆るのだろう
実際に国際的な賞でそんなことが起きた例があるかはわからん

>つまりはその個人の立場や価値観次第では?
個人の立場を問うということは社会の中の個人が階層化されていると捉えるということか?
であれば以前に話したように社会的な価値観はレイヤーの高い個人のみが影響を与えられるということから、高階層の価値観が集約したものと言えなくもない
0
259. 名無しのあにまんch 2024年08月05日 14:50:07 ID:Q4NjcyMA=
>>258
>それでもいいけど別にそれにカルチャーの区分とか消費文明とか関係なくね?って話

関係はあるよ。一部の知識階層(エリート)しか享受・判断できなかったハイカルチャーがサブカルチャーとの境目が曖昧になり消費文明に組み込まれた事で大衆からの評価も一般的になった事でそちらが主張する「上にある」という構造が文化形式の再構築によって崩れ必ずしも成立しなくなったという指摘なんだから

>他の話のときには正答は色々あるだろうけどもこの話の中での定義はお互いに合わせときたい

こうして現に定義が他人と合致しないというこの実情からしてそちらの主張と定義のみが正しいとは言えないんじゃないか?

>むしろ要素分析は細かく分解したほうがいいと思っている

映画ならカメラワーク・画・音楽・間・アクション・俳優・演技等
漫画ならコマ割り・絵柄・台詞回し・背景・擬音・表情等
アニメなら絵柄・カメラアングル・動きの流れ・SE・BGM・声優の演技等

結局は複合的なものに対してやたら複雑ぶって横文字並べて単調化できると言っているが、こちらへの反発心だけで言っていないか?

たまに極まったマニアが個人的にそういう分析をやる事はあるけどそちらが言うような審査等でそんな分析普段していないのでは?
なのにこちらへの反発心で極論を普段から行われていると言わんばかりに持ち込むの?

>一方で特定サイトの中のレビューについては常に偏りがある状態という話

それが正当な評価ではなく偏りとする根拠は?

>過去を見ればインディジョーンズは傑作なんだが

今も名作では?

>今の世の中では差別表現についての指摘も出てくるわけだし

だから名作でなくなった、とはならないし別問題では?

>なので過去においても共通する価値観ってのはかなり狭いし、さらに未来を考えたら共通する価値ってありえるのか?

モナリザが約500年前、源氏物語が約1000年前、ミロのヴィーナスが約2000

過去、現在、未来と永きに渡って価値を認められてきた作品なんて数多あるのでは?
その時その時の「現代では不適切な表現だが当時は一般的だったのでオリジナルに則します」なんてのも珍しい話じゃない

まぁそういう小難しい話を抜きにパッ見で理屈抜きで感動する美しさは、言葉で言い表せなかったり模倣にせよ抽出にせよ物質的再現が不可能だったり困難だったりして自分が感じたままに他者に伝えるのが難しいだけで存在するのでは?

>例えば根源的な「生きる喜び」とかを描いた作品も未来では反出生主義が流行って批判されてるかもしれない

その場合批判されるのは産まれる喜びを描くものや産む事を肯定的に描いたものでは?

百歩譲ってその時に一時的に普遍性が潰えたとして、流行りに乗らなかった人間やシステム的にその時までに普遍的な価値を認められていた期間が存在する普遍的な名作として保護しようとした人間が居た結果、反出生主義が廃れた後で再評価されるまで残る可能性もある筈だ
過去においては保存技術の問題により流行り廃りで闇に消えた作品もあるが現代ではまず残るだろうね

>編集者や後の型月に繋がる文脈は学術的評価であって、本一冊の中身についてのみ評価することは美術的評価というか作品評価として区分できるのではと思うのだ

いやだから兼ねるという話では?
仮に区分しようと一冊の作品の別側面として同居しているのだから
区分したら同作品の評価や価値が片方消失するかのような扱いは意味が解らないんのだが?

>違う意味で同じ言葉使ったら分からなくなるから言葉分けないかってだけの話なのだが

そもそも文化的評価が特定の定義がない、広い意味では造語であり字面のニョアンスで扱ってるんだからまぎらわらしいも何も最初から付き合わされていたこちらの方が文句を言いたいぐらいなんだが

>社会的価値となる文化的評価(社会が認める形で文化を評価すること)の中の文化認定評価

そもそもこうやって造語として新たに言葉を生み出せるのが一般的に浸透した共通の概念や理念とは言い難い事の証左では?

>まず社会構造において社会と個人は上下の関係にあるだろ?

某所からの抜粋になるが

>社会は個人が集まれば出来上がるものではありません。それはただの集合体であって共同体すなわち社会ではありません。社会は「個人の責任と努力」によって作られます

>具体的に言うと、個人がみな共同体のために責任を持って努力することで社会は作られます。そうすると、社会のほうでは個人の権利と自由を保障してくれます。簡単な言い方をすると、1人1人が日々みんなの為に頑張っていると、困った時にみんながその1人を助けてくれるようなシステムです。

>個人の「権利と自由」とは社会への「責任と努力」と引き換えに与えられる産物です。ですから、個人と社会の関係とは、実際は「ギヴ&テイク」の論理で展開しています

>社会とは上記したように「個人によって構成される共同体」「個人の権利と自由を保障するための共同体システム」

必ずしも上下関係であるというのが固定観念でありさも当然そうだと言うのならどういう理屈で上下なのか説明してくれ
構成する個人が互いに特定のルール(例えば国家を指して社会とするならその国の法律、会社を指すなら会社規定)を互いに守り合う前提の相互扶助により形成されているのが社会なのだから上下ではなく個々の結び付きによる内包や同化ではないか?

社会と個人はやや離れた視点から見ればご飯だが近づいて見れば米粒というか、総体と構成要素の関係であって上下ではなくないか?

>国などの社会の単位が賞などの価値を認定しているかだ

それに価値を感じない人間もいるしそれより特定個人の感想に感化されるケースもあるので国や社会が賞を設けて価値を認定している事と万人に対して機能しているかは別では?

>ただ上下がなければ階層構造はできない

先述のように横並びの上にあるケースや社会的評価を採用しているケースも個人の価値観としてありうるのでこちらはレイヤーという言葉を使用していた

>それも個人の価値観に取り入れるときは自由って話だ。嘘でも何でも取り入れることはできる

どうあれ良くも悪くも信じたいように信じるものだろ

>「不正を前提とするのであればあらゆる評価はできない」

それを払拭できないので必ずしも上とはできないのでは?と指摘している
個人的に不正は無いと信じる事は否定しない

>「個人目線でこれを疑うことは自由だが社会的視点では指標の結果は受け止める」

そうしなければならない義務はあるか?
賞を受賞した業界に関わる人間ならば上記の「(業界)社会を構成する個人が互いに特定のルールを互いに守り合う前提の相互扶助」の一環として指標の結果を受け止める努力と責任は生じるだろうけど

>まず万人に共通する価値観はないので「人間が良い」と感じるものに普遍性はありえないと思える

ではそちらの定義において映画祭の賞に意義など無いのでは?

>多くの人間が理解できる作品の良さもあれば、特定の知識や知見がなければ理解できない作品の良さもある

その理解できるできない含めて何が楽しめるかは個人の価値観の範疇という話になるのでは?

>そのためあらゆる評価では万人に共通する良さを評価することはできず、賞の評価というのも特定の指標に基づいて「良い」を定めて認定することしかできないはずだ

万人に共通する価値観はないというそちらの前提においてそれすら無理では?

>だから言葉の定義を分けてくれればそれでいいんよ

そういう話ではなく持論に都合が良い映画に話を限定しすぎじゃね?という指摘

>この場合であれば「社会を構成する大多数の個人が良いとする要素を集約した評価」という意味がお互いに通じているなら問題はない

大有りだよ
何かある度に「いや実はこうだ」でゴールポスト動くんだから

>グラデーション的になっているので大体はあるけども明確な基準は多分ないぞ

それ個人の憶測に過ぎないのでは?
なんで「多分」なのにそんなに自信満々なのか

>実績がどの程度から認められるというのは指標があるわけではない

いやそういうの抜きに書類上認められていれば社長だし、実績の話なら株式会社なら上場しているかどうかとか資産幾らかの規模の会社とか目安あるんでない?

>指標としてまとめられるなら社会的評価になると何度も言ってるじゃないか

売り上げという形で指標が示されてる話は何度もしたが

>そうすると唯一無二性の価値も俺が主張する社会的価値も尺度次第では無価値となる。これこそ平準化ではないのか?

それを広く沢山の他人が共有してくれるなら平準化と言えるかもしれないが、実際世の人々はそういう考えだと思う?違うから「そうである」と定義付けられてないんじゃないの?

じゃあ具体的に世の人々はどんな考え方なのかは当人起ちに聞かなきゃ解らん訳で、それと比較しはどう異なるのか形を比べて自分のそれを浮き彫りの形で見出だせるのではないか?という話ね

>これは違うとしたらどこが違うのか明言してほしいのだが

上記のように「こちらと比べてそちら─自分にとってはどういう意味になるのか」をこちらが勝手に定義付けしていい道理が無い

>こちらが指す社会的価値は国や国際社会という視点に立った時の価値だ

これも何度か言っているが擬人化でもないのに国や国際社会に対して視点等の主観性を付与してそれに国民は従うべきとしていないか?

>社会視点と万人視点は違うってだけだ

社会視点が特定の限定された集団内の共有事項ではなく、代表者個人みたいな扱いしていないか?という懸念があるのだけど

>つまり評価は作品評価の話で経済的な消費の話は最初から分けている

どうあれシリーズもの且つジャンルが大きく違うガンダム持ち出すのが根本的に間違いでは?

>アニメ月姫はそもそも並べていなくて、比べたのは当時のFateファン数と種死ファン数(HDリマスター以前の数字)であって単純に数だけのことだ

なんでそこで月姫じゃなくFateを持ち出すし、比較対象もジャンルも違えばRも違う種運命なん?

加えてファン数の勘定も雑な丼勘定じゃないか。数巻に渡るDVDの売れた枚数の累計=ファン数にはならんやろ。一枚に1年の全話詰まってるんじゃないんだから一人一枚ではなく、一人全50話の十三巻(枚+α)の累計で100万では?

と思ったのでちょっと調べてきたらHD以前で

DVD・BD売り上げ一覧表まとめの2000年代TVアニメ累計平均ランキングから抜粋
>機動戦士ガンダムSEED DESTINY(2006秋) 61,633枚

 他サイトで見つけのは
>2004年の売上No.1アニメは、6万8732枚を記録した『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』!

一方、当時のバンダイビジュアルは『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』のセルDVDの累計販売枚数が11月25日発売の第10巻までで100万枚を超えたと発表……これよく調べたら総集編(スペシャルエディション)含んだ数値の可能性が高いのでまぁ、うん

どの程度信憑性があるか不明だが見つけた中で最大値が13巻の約95.540枚

DVD買えない子供のファン層も相応にいたと考えれば最低で7~8万。最大限下駄を履かせて13巻の売り上げに+αしてかつバンダイヴィジュアルを信じて10万前後。後者にしろ売上げ15万から不当に引かれて10万扱いされたFateと大差無かった訳だが

>ここで話しているトピックには人数の話以外は関係ないだろ?

なのになんで得意気なん?
……もしかして俺の事をそんな誤魔化しにも気づかないアホだと思ってないか?

>逆も同じで一冊当たりがどれだけ売れてたか俺は知らん

売れてなかったらFateと合わせて100種類以上出んやろ

>この頃はもう数千万ユーザーに認知された人気作家だってこと

いやもうそれよりも遥かにとっくの昔に月姫時点で人気作家では?

型月作品を本当に昔から履修してた?

>適当に引いて10万

適当とは言わん。不適当かさもなくばいい加減、ないしぞんざい

>その先の時代のことは話していない

何で減ってる前提なんだよ

>エンタメとしては別段当時の規模でとても大きいものではないんじゃないか?

ちなみに2005年の売上げランキングから20万台前後をピックアップすると

ドラッグオンドラグーン2 -封印の紅、背徳の黒- 203,336
ワールドサッカー ウイニングイレブン9 ユビキタスエヴォリューション 202,176
実戦パチスロ必勝法!北斗の拳Plus 201,367
キャッチ!タッチ!ヨッシー! 197,337
GC スターフォックス アサルト 195,407
ロックマン エグゼ5 チーム オブ カーネル 194,472
NARUTO-ナルト- ナルティメットヒーロー3 194,372
テイルズ オブ エターニア 193,458
NARUTO-ナルト- うずまき忍伝 191,077
ワンダと巨像 190,916
ラチェット&クランク4th ギリギリ銀河のギガバトル 187,773
ワイルドアームズ ザ フォース デトネイター 186,221
大都技研公式パチスロシミュレーター 押忍!番長 184,440
機動戦士ガンダムSEED DESTINY GENERATION of C.E. 181,576
スーパーロボット大戦J 180,503

Rのハンデ有りを考慮しても大きくないとは言えないだろうね
この下には初代BASARAもあったし

>前にも言った通り、それ以降は他社の力が個人のブランドに乗っかってる

どちらかと言えば個人の力に他社が乗っかったのでは?

>超大ヒット作家というほどではない

とにかく反対しようと恣意的すぎるだろ

>1に売上数、2に当時の確かな大衆評価
どちらも出ないだろ?

2004年6月8日 講談社ノベルスより上下巻刊行、2007年時点で70万部の売上げ。 同日発売された5000部限定の愛蔵版は、9800円と高価にも関わらず予約開始から2時間で完売。単純計算愛蔵版だけでも約5000万の売上げになる

bookmeterの感想欄に幾らでも大衆評価が載っているが?

>200とか400とるのはもうちょっとビジネスっぽいところ見てくれれば出てくる

いや見当たらないから聞いているんだが
何が根拠で誰が言い出したんだ?

>「映画祭 作品 普遍」
>エビデンスもこういう断片であれば出せるがそれが限界だな

それ等は「映画祭の意義とは作品に普遍的価値を定義づける事」のエビデンスではなく
「映画祭の作品評価に普遍的という形容詞が使われた」エビデンスであって映画祭が付与したのではなく元々作品側に内包されていたものでは?

>普遍性を万人に当てはまる言葉だと言われなければ調べてないしな
>意図としてもともと万人なんて言ってるつもりもないけどな

いやもうなんていうかさ……よー知らん言葉をいい加減に使うのをやめるか難しそうな言葉使う時はまず調べてから使ってもらっていいかな?

>国という組織単位の視点でその価値の合意が広がればいいんだよ

その組織を形成しているのが大衆なんだが?
大衆の同意無き価値観の合意が大っぴらに罷り通るのは独裁国家や社会主義国家ぐらいなんだが?

>大衆は価値の共有の範囲でない

国を生き物か擬人化された存在か何かと思ってないか?
大衆が範囲外なら誰が対象なんだ?

>映画社会の権威というか社会(国)が認めた実績だな

いや別に国は国宝等や重要文化財等の保護を文化財保護法で指定する事はあっても余程の事がない限りは政治的関与はしないぞ
社会主義や独裁国家はまだしも少なくとも民主主義国家においては国ではなくその国に所属する業界の人員が認めるってだけで

三大映画祭ですら政府主導ではねーよ

主催 フランス国際映画祭協会:カンヌ国際映画祭
主催 国際映画製作者連盟:ベルリン国際映画祭
主催 文化機関ヴェネツィア・ビエンナーレ:ヴェネツィア国際映画祭

別に国が定めてる訳でもなきゃ正式採用してる訳でもないのでは?

>鬼滅無限列車と同タイミングのスパイの妻は興収2.5億円くらいだけどヴェネツィアで銀獅子賞取ったとかそういうのは結構ある

スパイの妻は元々ドラマで放映済みな上に製作NHKで知名度皆無だった訳ではないやん

まぁそれでも仮によしとして結構あるというなら他には?

>それも優に比べれば劣なのでは
選出基準による相対評価で何がなんでも劣にするつもりのようだが絶対値での劣とは言い切れないのでは?

では売上げという物差しで判断した際に映画祭により大きな賞を受賞した殆んどの作品は鬼滅の刃やコナン以下の劣に分類される作品として扱うべきなのか?
そちらの言う社会的評価とやらは大衆による経済性からの社会的評価以下になってしまう事も起こりえる事になるが?

>国家という視点とそれを形成する国民は別では

そもそも国家という視点を何か1つの生き物みたいに扱っていないか?
独裁国家でない限り個人の群体により形成された社会が国家であって某国家擬人化作品じゃないんだから『主体性・主観を持った国家』なんてのが独裁国家以外には存在しないのでは?

>賞自体の価値を認定するのは各国の団体でありそれを承認する国であってそこには国民が関与する手続きになっていない

いや国が承認する訳ではないのでは?
専門家は国民ではなく国家であるとでも言うつもりなのか?

この分野に関して自分は暗いので国家が承認しているという根拠を示してもらえると助かるのだが
まさか助成費が出ているから国が承認しているとか言い出さんよね

その辺りは芸術への過度な干渉はしないを事として上で内容不関与の原則の話も一度していると思うが

加えて某所からの抜粋になるが

>アームズ・レングスは、一般には、当事者間の「独立」した(「対等」な)関係、状態を指す言葉である。その原則とは、もともとは国際的な企業取引のルールである「独立企業原則」を意味していたが、現在では、政府の民間への介入や癒着・フ敗を防ぐために、政府と民間の間で距離を保つ方針を示す用語としても用いられている。さらに公共政策分野のなかで、この原則に独自の意味を付与しているのが、文化政策の分野である。同分野において、アームズ・レングスの原則は、芸術表現・創造活動への過度な政府介入を禁じつつ、資金面での政府からの支援を保証する考え方として理解され、文化支援の普遍的な原理として浸透している
>今日では、その考え方に沿って、アーツカウンシル(芸術評議会)など、政府・行政から一定の距離(独立性・政治的中立性)を保った文化支援機関の手で、芸術文化団体に対する支援が行われている

これちなみに海外で提唱され用いられてる話ね

>というか万人に受け入れられることを目指すのであれば理解が難しい作品が選出されるわけがない

だから普遍性を定義して作品に付与するのが映画祭の意義というそちらの意見にいやちゃうやろ言うて来たやん

>マーケティングにあんまりコストかけてないんじゃないかと思うところがある

想像の域を出ないのでは?

>たしかに公的なところが色んな出版社やアニメ会社にとって役に立つような目安をだせればいいだろうな

話が180°変わってない?
こちらはあくまで非公式と前置いた話でならこういう傾向もあるという程度に納めて示せないかと提案したのだけど

>ノーザンは売り手側だから周囲とはビジネス上のリスクの取り方が違うだろう

ノーザンが売り手側?
サンデーサイレンスの話なんだが

>初年度実績が重要になるんだから買ってきた直後は価値を吊り上げるための努力は当然行うと思うが

それと吉田氏は高評価していたのに他の馬産業者が初年度はまだ高評価していなかった事は当然両立しているが

>クリエイター管理する立場の社員も社長には指導できんとおもう

せやから社長という立場の人間次第でそういう事が起きる言うてたやろ

>それは個人の価値観の中の話だと思う

だから個人の価値観によっては上に来たりその他に位置したりした場合に外にすら作用するって書いてきたしデザイナー兼社長みたいな実例も挙げた訳だが

>これは多くの人が共通して考えている価値、例えば鬼滅で言えば「心理描写」とかを評価する声が多いのであれば、この価値が強化されるという話だよな?

概ねそういう話になる。ただ強化ではなく共通見解であるので話に挙がりやすい、軸になりやすいというものでそれだけが正しさを持つというものではない
故に当然、それに異を唱える者もいる
その上で異の唱え方も一様ではない
認めた上で自分の好きな所は違うとする場合や、実際の是非はともかく多数の評価よりも自身の評価する点が価値として上と主張する場合、あるいはそもそもの楽しみ方が他人と異なる者が独自の評価軸を挙げる場合などで

>ただし大衆の価値観と国家の価値観はイコールにならない

擬人化される訳でもなし、政治的なルールはまだしも芸術や娯楽作品への評価を国家が持つとしてもそれはそちらが言うような評価ではなく国宝や文化財への認定等の学術性や文化的背景を考慮したものであり、先に話した優の選出を文化史料的な面から行う事はあっても優劣の保証は無いと思うが?

>根本的に論点がズレてる
俺が聞いているのは不快という要因が「幸福追求権の中」にどう位置付けられているかだ

それを聞くのがそもそも間違えている
ズレてるのではなく、「不快にさせる」は権利の侵害じゃない!と強弁して不快にする権利を表明した為にその害意・悪意から権利の侵害に値すると指摘したのに大袈裟であると嘯き矮小化を試みる自己正当化でこちらの指摘からそちらがズラしている
不快にされたくないはそちらの不快にする権利に合わせた表現であって本質的には権利を侵害されたくないという事であるという話もしているのに

加えてそちらが言う「不快にする権利」が12条の濫用にあたるという指摘への回答も避けているのは過ちだと自覚しているからでは?

>「不快にされたくないのに不快にされること」が幸福追求に反するのであれば人権侵害となるが、現状ではこれが示されていない

いや何度もそちらの「不快にする権利の表明と実行が第12条の濫用にあたる為に人権侵害であるので第11条の権利をもって第11条の幸福追求権を守る」事を示しているが?

>第12条の公共の福祉では不快さを制限できないことは既に示した状態であり

いや示されてないが?
故意に不快にさせる権利を主張しての行使は人権侵害ではないと駄々捏ねてそちらが認めまいと無理筋通そうとして話ズラしてるだけだろ

>途中から単なる不快ではなく害意の有無を問うているが

最初から他人を不快にしていいだなんてそんな権利もなければ幸福追求権の侵害だと指摘しているが

結果的に不快になると不快にされるは大きく違う事も過失傷害から殺人で段階を踏む事でも先んじて示しているのに

>もともと「不快にされたくないという主権の侵害」と言っているところへの反論がスタートだ

そちらの言葉に合わせて不快という単語を使用しただけで本質的には人権を侵害されたくないって事だという話をしてきたはずだが

>なので主権ってのが本当かということをそちらは示す必要がある

いや散々示してきたが?

そちらこそ「他人を不快にする権利」の実在を示せるのか?第何条に保証されているんだ?
それがそもそも存在しないんだからこちらが示す以前の問題だろ

>・その男は働くことが幸せであり、同僚が不快に思っていることに気付いているが自身と目的を優先するので働くことをやめない

こちらは前にも書いたが他に業務に差し支えがあるかどうか
無いなら通常業務の範疇内で不快に感じる同僚側の方が公共の福祉に反しない範囲で解決を試みればいい

ただし働くことが幸せな男が結果として同僚を不快にさせているのではなく故意だと判明した場合や「忙しい状態が常態化」した場合は人事に掛け合うべきだろう。どちらかになれば業務への差し障りが出るので排する権利が生じる

ところで一応念の為に聞くけど、同僚側が我慢しなければならない場合もあるのを以て「不快にしていい権利はあるんだ!」とかアホな事言うつもりではないよね?
通常業務の範疇で不快に感じる方に問題ある事例で一般論かのように騙るバカな真似はしないと信じたいけど

>・その男は最初から同僚を不快にすることが目的で働いている

こちらは確実に排する権利がある。明確にハラスメントだ

>対偶は論理学の初歩であり、論理学では弁証法などがビジネス思考で広く使われるんだから数学の命題だけ扱うわけじゃないぞ

改めて調べて数学のみで扱うのはこちらの誤りだった
申し訳ない
ただ、だとしても上で既に一度述べたように

>自然言語(とくに日常語や文学・比喩表現)では、論理学における論理的関係が常にそのまま適用できるとは限らず、命題と対偶命題が異なる真理値を持つように見ることがある

とちゃんとそちらの言う対偶にならないから成立しないという主張が誤りだと書いていたんだが?

>直観主義論理は正しく理解できているか不明だが直観主義数学で認められる推論となっていたのでこれは数学だけじゃないのか

252にも書いていたけどそもそも

『>命題「AならばB」に対し、対偶:「BでないならばAでない」の性質は古典論理におけるそれであり、非古典論理においては成立しない場合がある。例えば直観主義論理においては、必ずしも「AならばB」とその対偶「BでないならばAでない」の真偽は一致しない。』
『上記のようにこの問題は数学の数式を取り扱っていないので論理学的な定義においても異なる真理値である事は否定されないし真偽が一致しない事はおかしくない』

って話をしていたので直観主義論理は当てはまらないが、自然言語(とくに日常語や文学・比喩表現)である『不快』という言葉で論理学における論理的関係が常にそのまま適用できるとは限らず、そちらが最初に挙げた例も命題と対偶命題が異なる真理値に見えたに過ぎないというこちらに該当しうると指摘していた

>公式がルール出してるなら黒だけどそうそう引っ掛からないからグレー扱いされているが正しい気はする

だから何度も言うように公共の福祉に反しないのが大事

>そこは保険会社のルールがあるんでない?

払わなくて済むなら払わずに済ませる為に調査員ってのがいて被保険者の既往歴を徹底的に調べて事実と異なることを告知して加入してた場合はそれを暴き出す

>ポケカで詐欺にあったときに警察行けないのは古物商持ってなかったからとかあるかもしれんがようわからん

繰り返すが相互扶助を受けられなくなるから/だから悪い事をすんなってのが社会を構成してる基本骨子よ?

>それは「寿司ペロをやる」と宣言したことが事の次第ではないか
>偽計業務妨害とか器物損壊の予告

それと同ベクトルの事言い出したんだといい加減自覚してくれ
意図して他人を不快にしますってのは相互扶助の放棄の宣言だと

>とこちらの主張を否定せずに次の話に繋げている
で、そこから一周している

だがまだ結論が出ていない以上はこちらが認めたとはならんやろ

>一方で武内の個人の価値観をきのこ個人と分けがたいとするのはおもしろいな

どこまで本気か解らんけどきのこはたまにいる野生の天才だが寧ろ武内社長の方が類例のない唯一無二と評する人間もいるぐらいにはちょっと奈須きのこの運命すぎる

>「皆さんあっての私です」みたいな話で、誰がどのような実績を挙げようがすべて周りの人間たちの功績になる
>それどころか環境とか教育とかあらゆる要素も個人を形作るものとして価値が生じる

そら成人前の学生時点で作風に影響与える作家の作品を紹介したり「そろそろ本気になれ」と言って成人男性一人を養って執筆に専念させて自分でイラスト書いてゲームも作って奈須きのこの作品を世に送り出してができる奴が他にいると思えねーんだもの

自分で言っておいてなんだが武内社長は例外とか極論の類いなんだよなぁ

>俺は実績や影響力は個人を最小単位としてるけど、それ以上に分散させる考えを取るのであればその考えはありだと思うよ

ただまぁ繰り返すが例外かつ極論ではある

>実際に国際的な賞でそんなことが起きた例があるかはわからん

知る限り実例はまだ無い筈
反証として挙げはしたが正直、そんな事態が起きてほしくはない

>であれば以前に話したように社会的な価値観はレイヤーの高い個人のみが影響を与えられるということから、高階層の価値観が集約したものと言えなくもない

そちらの言うレイヤー論に則ったとしても高階層に位置する人間が本来低階層に位置する人間の価値観に影響され迂回する形で、あるいは間接的に反映されている可能性は否定できないのでは?
0
260. 名無しのあにまんch 2024年08月09日 04:15:47 ID:Q4NjU3OTM
>>259
>大衆からの評価も一般的になった事でそちらが主張する「上にある」という構造が文化形式の再構築によって崩れ
文化的に良いものについて確認を取っていったら「大抵の物は誰かにとっては良いもの」「人間の数だけ評価がある」って回答があったのでそれは大衆化とか関係なくねと返したのだが
とくに構造の話もされてないぞ

>現に定義が他人と合致しないというこの実情からしてそちらの主張と定義のみが正しいとは言えないんじゃないか?
正しい定義なんて言ってないだろ
意味のすり合わせが出来てなければ会話の内容はずれるから先に合わせようってだけだよ

>なのにこちらへの反発心で極論を普段から行われていると言わんばかりに持ち込むの?
俺はここでは一貫してヒット分析で大衆の声を拾うのであれば要因の分解が必要だと言っている
大衆評価というのは現状で世の中に示されているものではないというのは繰り返していて、それを仮に指標化するのであれば上記のように要因に分解した分析が必要だと主張している
なぜなら個人の感じ方を含めた曖昧な評価を集計しても評価軸が定まらないため

>それが正当な評価ではなく偏りとする根拠は?
前にも言ったがアマレビュ等、サイトごとに評価の偏りがあるから

>今も名作では?
>今の世の中では差別表現についての指摘も出てくるわけだし
おれも名作だと思うけど差別という声もでるようになった
昔はそんな視点はなかった
南部の唄までいくと名作扱いされなくなり、見る方法もなくなってしまう

>過去、現在、未来と永きに渡って価値を認められてきた作品なんて数多あるのでは?
そりゃああるけども逆に価値が変遷して消えたものはないのか?
消えたものがあれば価値は変遷するのでは?
一方で価値が高まったもので言えばゴッホは生前と比べて価値がとても上がっている

>反出生主義が廃れた後で再評価されるまで残る可能性もある筈だ
つまりどちらの可能性もあるわけだ
評価が戻る可能性もあれば戻らない可能性もある
それって普遍的か?

>同作品の評価や価値が片方消失するかのような扱いは意味が解らないんのだが?
作品評価という言葉に対して外的な要因への評価(この場合は編集者等に関する学術的評価)が入っていたことが気になった
もともと聞きたいのは美術評価が何指してるのかの定義の確認だからそこを混ぜられているようにみえた
なので片方消失ではなく区分だ

>そもそも文化的評価が特定の定義がない
>そもそもこうやって造語として新たに言葉を生み出せるのが
どこに出すもんでもなくこの場の双方での共通認識が必要
お互いに使う言葉が違って会話が成り立たないのは直近で問題だろ

>必ずしも上下関係であるというのが固定観念でありさも当然そうだと言うのならどういう理屈で上下なのか説明してくれ
>上下ではなく個々の結び付きによる内包や同化ではないか?
まず総体であり内包というのはこれは確実にその通りだ
一方で同時にそうした個人を内包する社会自体がヒエラルキー構造を持っていて社会の主体がこのヒエラルキーの上位に立つため上下関係も成り立つ
そして社会の擬人化についての言及もここにまとめるが、この社会の主体を擬人化することについては既に話している
例としては会社を弊社と呼ぶ、国を我が国と呼ぶということは仮想的に社会という視点を設けると俺は述べたが、そちらは擬人化だとしており、それを前提にここまで話は進んでいる
そしてその時の組織や社会自体は独自の価値観を有しているという話もそこでしていた
そしてここで個人の捉え方が二つある
一つ目が個人=名もなき国民という考えがこれまで話してきたもので、この場合には国をはじめとした組織の傘下に個人はあり、上位は指導を行う権限を持っていることで発言の重みに差がでるという話をした
また、最小単位の個人が構成する小さなコミュニティから規模が大きくなるほどに個人の価値観の影響力は小さくなって規模の大きな組織の持つ価値観が大きくなっていくという構造からも組織規模に対しての影響力の上下構造も述べた
二つ目はレイヤーの高い個人が社会に寄与するという考えだが、
この場合には、単純に社会のヒエラルキー構造における上位の集合体と下位の個人という差を示せる

あと抜粋は多分ある先生の個人的意見だろうから相互扶助で社会が構築されるという意見とだけ受け取るが、相互扶助も対等でなく差は生じるのでそこに上下は生まれうる

>これも何度か言っているが擬人化でもないのに国や国際社会に対して視点等の主観性を付与してそれに国民は従うべきとしていないか?
>社会視点が特定の限定された集団内の共有事項ではなく、代表者個人みたいな扱いしていないか?という懸念があるのだけど
>国を生き物か擬人化された存在か何かと思ってないか?
>そもそも国家という視点を何か1つの生き物みたいに扱っていないか?
いずれについても擬人化している=社会の視点と社会の価値観があるというのはここまで前提としてきている

>政治的なルールはまだしも芸術や娯楽作品への評価を国家が持つとしてもそれはそちらが言うような評価ではなく国宝や文化財への認定等の学術性や文化的背景を考慮したものであり、先に話した優の選出を文化史料的な面から行う事はあっても優劣の保証は無いと思うが?
これはあとで映画祭のところで関わり方を書くがそれによる評価への承認が行われている
そちらの言う国宝や文化財などへの認定も別で行われているけども

>大衆が範囲外なら誰が対象なんだ?
国という組織単位の視点が対象

>その組織を形成しているのが大衆なんだが?
組織には個人に依らない独自の価値観がある

>国や社会が賞を設けて価値を認定している事と万人に対して機能しているかは別では?
だから万人向けではないという回答だが

>先述のように横並びの上にあるケースや
レイヤーという言葉が上下を含んで話すのであれば問題ない
横並びの上にあるケースはちょっとどんな例になるのか浮かんでいないが

>どうあれ良くも悪くも信じたいように信じるものだろ
個人の範疇ではそれも問題ないというのは同意だ

>それを払拭できないので必ずしも上とはできないのでは?と指摘している
だいぶそちらの考え方がわかってきた
これはスタンスの違いが出てるんだが、そちらはあらゆる可能性を考えて全て完璧じゃないと論は成り立たないと言っているように見えるんだが、こちらは不正があってはじめて正当性が揺らぐのでそれまでは正しさが維持されると考えている
現実的には不正の可能性を考えて世の中が仕組みづけられていないのでそうした立場に立っている

>そうしなければならない義務はあるか?
これも社会がそのように動いているという話であって個人に課せられたものではない
少し言葉を変えると「社会を構成する組織や国は互いに特定のルールを互いに守り合う前提の相互扶助」を行っていることで不正はないものとして機能している

>ではそちらの定義において映画祭の賞に意義など無いのでは?
特定の批評体系(エリート主義などと呼ばれるような評価)に基づいて価値を認めるということが意義

>その理解できるできない含めて何が楽しめるかは個人の価値観の範疇という話になるのでは?
何が楽しめるかは個人の価値観の範疇で相違ない

>万人に共通する価値観はないというそちらの前提においてそれすら無理では?
万人に共通せず特定の集団にのみ共通している評価基準であっても国際社会にて指標として認められているということは矛盾していない

>そういう話ではなく持論に都合が良い映画に話を限定しすぎじゃね?という指摘
俺が使った定義は「専門性や知見に基づいた集合によって作品に与えられる評価」だが、これは芸術分野であれば映画以外でも使える
話の流れが作品評価のことなんでそれだけを指す言葉として使っている
なので文化的作品評価と言い換えることは問題ない
ただし日本文化とか土木文化のような作品評価外の意味を内包することは訳が分からなくなるので好まない

>何かある度に「いや実はこうだ」でゴールポスト動くんだから
ゴールポストが動いたのはどこだ?
本来は双方の定義が定まっていれば動きようがない

>それ個人の憶測に過ぎないのでは?
先の例だが社長からアルバイトまでを並べたとして明確にどこからと基準があるものでなければグラデーションだろう
それ以外に適切な表現ができればそれを採用する

>実績の話なら株式会社なら上場しているかどうかとか資産幾らかの規模の会社とか目安あるんでない?
実績の話では何らかの委員に選ばれるとかの話

>売り上げという形で指標が示されてる話は何度もしたが
おれは最初は大衆評価を経済評価の一部としていたが、そちらの主張があったことから大衆評価に分ける形でここまで進めてきたので統合していいなら統合するぞ

>上記のように「こちらと比べてそちら─自分にとってはどういう意味になるのか」をこちらが勝手に定義付けしていい道理が無い
これは前提に立つためにそちらから提示されていた視点の話なので間違ったままに話を進めて後々に違っていたとなるのは嫌なのだが

>どうあれシリーズもの且つジャンルが大きく違うガンダム持ち出すのが根本的に間違いでは?
>なんでそこで月姫じゃなくFateを持ち出す
シリーズものでも問題ないことは説明しており、ジャンルが違うことも売上だけの話だと影響はない
並べたのはもともと話してたFateと同年であるためであってそれ以外の理由はない
とはいえ単巻10万枚なら対して違いなかったので適当すぎたのはすまんな
一応だが、アニメの場合にはゲームと違って無料ユーザーの比率が圧倒的に高いというのは前にも述べたがファンで比べるなら売上枚数で大差ない
ただ一方でそちらが挙げたゲームタイトルと並べてしまうとすごいヒットタイトルとは言えないのだが

>売れてなかったらFateと合わせて100種類以上出んやろ
種類出ていることが売れてる確証とはならない
多分ハヤカワSFとかは累計すればもっと出てるけどもっと売れてない

>いやもうそれよりも遥かにとっくの昔に月姫時点で人気作家では?
時系列で相対比較するなら今と比べれば人気は低い、当時のトップクリエイターと比べれば人気は低い、といっているだけだ
今が超人気作家であることや当時のエロゲ・同人界のトップであることは否定しちゃいない

>適当とは言わん。不適当かさもなくばいい加減、ないしぞんざい
いいんだよこれが適当で
だってこの数字が10万だろうが15万だろうが話の内容的には影響は小さい

>何で減ってる前提なんだよ
2005年頃から2015年の間に何本売れたかを考えると相当長いこと店頭にあったから結構な本数が売れてるはずだろう
ただし発売初期ほど売れているわけではない

>どちらかと言えば個人の力に他社が乗っかったのでは?
どちらとも言えるがFate自体はZero前に一度萎んでるからなぁ

>とにかく反対しようと恣意的すぎるだろ
じゃあ鳥山明、尾田栄一郎と比べて超大ヒット作家だった?
ゲームなら堀井雄二、小島秀夫と比べてどうよ
麻枝准と同じくらいじゃね?

>2004年6月8日 講談社ノベルスより上下巻刊行、2007年時点で70万部の売上げ
ここはまほよの話なのだが

>いや見当たらないから聞いているんだが
「サンプル数 400」とかで検索してくれ

>「映画祭の作品評価に普遍的という形容詞が使われた」エビデンスであって映画祭が付与したのではなく元々作品側に内包されていたものでは?
映画祭(一部の例ではあるが)では普遍性が評価対象とされたエビデンスとは言えるぞ
作品に内包されていないものは評価できないので内包されているのは当然だ
ちなみに映画祭の意義に普遍性があるかどうかということで言えば、また立ち戻った新潟の話がそのエビデンスになりえる
あれは欧米の文化的作品評価においてはエリート主義的評価が主流だという話だった
あとはキネ旬の評価について「教条的・啓蒙的なエリート主義が日本の映画評論(批評)の伝統でもあります」と書いた記事や、アカデミー賞とトップガンについて「一般感覚とズレたエリート主義との批判に危機感」という記事は出た

>よー知らん言葉をいい加減に使うのをやめるか難しそうな言葉使う時はまず調べてから使ってもらっていいかな?
先に挙げた映画祭の審査員コメントだって普遍を全ての万人に当てはまるという意味で使ってないだろ
つまり世の中は俺の使い方で問題ないんだ

>別に国が定めてる訳でもなきゃ正式採用してる訳でもないのでは?
めっちゃ関与あるぞ
まず映画製作者連盟とかの業界ごとの業界団体は国の認定が必要で管轄省庁がある
だから東京国際映画祭は経産省と東京都が共催
また挙げてきた映画祭は全て行政がらみだ
カンヌ:政府が立ち上げて現在も文化通信省がパートナー
ベルリン:主催に政府子会社とベルリン市が入っていて資金も政府提供
ヴェネツィア:ヴェネツィア・ビエンナーレはヴェネツィア市がはじめたもので組織役員には今も州知事が就任、併催される国際批評家週間は文化省映画総局が共催
このように国際的な賞は政府の承認のもとで機能している

>まぁそれでも仮によしとして結構あるというなら他には?
どちらかといえばスパイの妻は元々ドラマで放映済みでも売れなかったんだ
ジブリでもレッドタートル9400万円、パルムドールとったディーパンの闘い2800万円とかでもっと低い

>選出基準による相対評価で何がなんでも劣にするつもりのようだが絶対値での劣とは言い切れないのでは?
何度も言うが特定の基準内での相対的な優劣とその選出の外での優劣は違う話だ
当然、売上という基準の中では鬼滅の刃やコナンは優で賞を取った作品であっても売上が低ければ劣だ
それぞれの尺度が並び立つというのはそういうことだろう

>いや国が承認する訳ではないのでは?
上で賞に国が関わって承認していることを示したが、具体的に言えば主催、後援、協力、共催といった形でイベントに関与することや、その賞の活動を国の政策に位置付けていることなどが国による承認となる
また、賞の主催団体に対して国が認可・認定を行うことも同様
助成金については色々あって民間の活動を支援するために一部を補助するというものから全面的な資金提供まで幅があるので中身を見る必要はある
例に出していたアーツカウンシルは国の文化政策に準じるものだが、民間への支援が主な業務なので「誰に対して支援を行うか」という判断を担うため政府の直下に置かれることがないものだが、これも設置者である行政によって運営方針が定められている時点で実運営と距離があっても民間組織とは言いがたい

>だから普遍性を定義して作品に付与するのが映画祭の意義というそちらの意見にいやちゃうやろ言うて来たやん
普遍性の理解が違うから万人向けではないものが選ばれることもあるという話だ

>想像の域を出ないのでは?
そりゃあ実例がないからな

>話が180°変わってない?
すまん、公的なものとして「扱わず」が抜けてて読み違えてた
個人の目安ということであれば人気の要因として出てきた言葉を並べることはできると思う
商業的にヒットの再現性を目指してそうした声の量を比較するとなったら偏りとか見えない意見がどの程度あるかが気になってくるけども

>ノーザンが売り手側?
社台だったね

>それと吉田氏は高評価していたのに他の馬産業者が初年度はまだ高評価していなかった事は当然両立しているが
吉田と他の馬産では高評価に対してのアクションのハードルがかなり違う
近い例だと任天堂とかソニーが自社ハードにいいタイトル供給するのとサードがどこのハードに展開を選ぶかが同じくはできないようなもので成功時のリターンが大きく異なるのでリスクの取り方も変わる

>だから個人の価値観によっては上に来たりその他に位置したりした場合に外にすら作用するって書いてきたしデザイナー兼社長みたいな実例も挙げた訳だが
それは個人の価値観の中って言ったのは、まさしくそちらが言っている個人の内部で上下が変わる話であって、この前段にあった個人の価値観の強弱によって偏りが出るという話とは繋がりがないという意味だ

>ただ強化ではなく共通見解であるので話に挙がりやすい、軸になりやすいというものでそれだけが正しさを持つというものではない
量が多いから個人間で出現頻度の高くはなるけどその価値が高まるわけではないということだよな
しかしこれは価値で言えば平準のままだけど量では偏りがある状態
上の方で「実際世の人々はそういう考えだと思う?違うから「そうである」と定義付けられてないんじゃないの?」と問われたが、これも世の人々の価値観は数の面で偏りが生じるということだよな
こうした共通する価値観は数以外での偏りを生じさせるかについてはどう考える?

>高階層に位置する人間が本来低階層に位置する人間の価値観に影響され迂回する形で、あるいは間接的に反映されている可能性は否定できないのでは?
それは前にも述べたように道端に生えている花がどこかで上位レイヤーの個人に影響を与えるかもしれないということでも同じで万物のすべてに影響しあう価値があるという話だ

>幸福追求権と不快
まず発言や記述というのは表現の自由に含まれる
そのうえで公共の福祉において「⼀定範囲の人々が不快に感じるという理由では表現の自由を制限することはできない」というのは既に述べた
つまり俺の発言により不快にされたとしても俺の表現の自由は権利として保護されている
またちょっと刑法による感情の保護に関する論文をいくつか見てきたが、現状の日本刑法学においては不快等の感情の侵害を理由として刑法は適用されていない
またこうした感情侵害を刑法にて位置付けるべきだと主張して議論のきっかけとなったファインバーグにしても感情侵害が危害として制限されるべきなのは「後の日常生活の遂行に対する悪影響の有無」によると述べている
なので「他者を不快にすること」については法的にも制限がない

そちらは「幸福追求権の侵害だと指摘している」と言っているので幸福追求権の中に不快の排除が位置付けられていて権利が侵害されていることを示す必要がある

ちなみに12条の話は感情侵害が自由及び権利に含まれるとしてこれを濫用しているとの解釈?
それでも公共の福祉では不快を制限ができないのは上記通り
11条では何度も言うが幸福追求権の中に不快の排除が示されていなければ適用できない

>無いなら通常業務の範疇内で不快に感じる同僚側の方が公共の福祉に反しない範囲で解決を試みればいい
業務に差支えがなくとも人権侵害であれば不快であるだけで排する権利があるはずだろう
また、故意であるかや忙しさが人権侵害の要件に関わるのか?
業務への差し障りを理由とした排除は人権ではなく業務上の理由での排除だよな?

>通常業務の範疇で不快に感じる方に問題ある事例で一般論かのように騙るバカな真似はしないと信じたいけど
同一の行為で不快というか感情を害されるかは個人による
なので不快を制限するのであればそうした特殊な感じ方をする例であっても人権は守られることになるのでは?

>こちらは確実に排する権利がある。明確にハラスメントだ
割とハラスメント認定も一筋縄ではいかず、行政法では職場と労働者、人間関係などのルールがあるらしい
ただこの場合には職場の労働者問題なのでハラスメントにはなりうるな

>自然言語(とくに日常語や文学・比喩表現)では、論理学における論理的関係が常にそのまま適用できるとは限らず、命題と対偶命題が異なる真理値を持つように見ることがある
これは意味に曖昧さを持った言葉に対しては適用できない場合があるということのようなんだが、具体的に適用できない場合はどんな言葉でこの場合は当てはまるのか?

>繰り返すが相互扶助を受けられなくなるから/だから悪い事をすんなってのが社会を構成してる基本骨子よ?
理屈で言えば警察に行くこと自体は制限ないじゃん?
古物商持ってなければ捕まるから感情的に行けないというのは想定できる
ただ古物商持ってたとしたら詐欺にあっても警察行けないという理由はわからん

>それと同ベクトルの事言い出したんだといい加減自覚してくれ
それは犯罪と道徳の混同だ

>だがまだ結論が出ていない以上はこちらが認めたとはならんやろ
どちらの話の段階であってもボールを持っているのは俺じゃないってことだ

>きのこはたまにいる野生の天才
それはそう思う

>自分で言っておいてなんだが武内社長は例外とか極論の類いなんだよなぁ
そのうえで野生の天才であってもその周囲をどこまで寄与したと考えるかは難しい
実際、社長以上に親の影響(例えば本が家にあったとか買ってくれたとか)は大きいと思うがそれは語られなければわからん
まぁこの話はこれ以上掘り下げる要因もない
0
261. 名無しのあにまんch 2024年08月10日 06:54:54 ID:g1MDI0MA=
>>260
>大衆化とか関係なくねと返したのだが。とくに構造の話もされてないぞ

大衆化との関係問われたからどう関係あるか返答する過程で構造問題の方にまで話が伸びたので、最後の言及は言わばついでだよ

>意味のすり合わせが出来てなければ会話の内容はずれるから先に合わせようってだけだよ

その必要性が生じる時点でそちらの主張のみが正しいとする事はできないのではないかと言っている

>俺はここでは一貫してヒット分析で大衆の声を拾うのであれば要因の分解が必要だと言っている

それはあくまで「俺」の意見であって言わば個人の価値観を、賞等の社会的評価の方が上に在るとする当人が主張する事だろうか?
社会的評価のやり方に準ずるのではないか?

加えてそちらの提唱するやり方を極限まで突き詰めたら「面白かったから売れました」ではないか?
あるいは「アクションが良かった、家族の絆を描いたのが良かった、演出が良かったetc……」と続くと言いたいのかもしれないがそれではただの箇条書きだ

>前にも言ったがアマレビュ等、サイトごとに評価の偏りがあるから

であれば映画祭等の評価も選出者による偏りだろう
更に言えばサイトごとの偏りというがその中に偏りではなく正当な評価が無いと何故言える?

>おれも名作だと思うけど差別という声もでるようになった

再度書くが名作ではなくなったかとは別問題では?

>昔はそんな視点はなかった
>南部の唄までいくと名作扱いされなくなり、見る方法もなくなってしまう

抜粋になるが
>初公開時、全米黒人地位向上協会(NAACP)の事務局長であるウォルター・フランシス・ホワイトは、各マスメディアに以下の声明を発表し抗議した
> 全米黒人地位向上協会は、『南部の唄』での音楽、生きた俳優と漫画を組み合わせる技法における顕著な芸術的功績は認めています

芸術的功績を認めるの部分が「南部の唄までいくと名作扱いされなくなり」に反してないか?
加えて昔はそんな視点無かったと言いつつ南部の唄は1946年初公開で公開当初から問題視されていたから80年近い昔の話じゃないのか?というかそちらも生まれてないんじゃないか?

>そりゃああるけども逆に価値が変遷して消えたものはないのか?

例えば?世の廃り流行りで使われなくなった様式はそりゃあるだろうけど作品としては具体的に例えば?
無いとは言わないし、あったとしても変遷せずに残ったものが普遍性のあるものとして語り継がれているという当たり前の話ではないか?
そちらが出した反出生主義が流行ったとしてモナリザや(ヴィーナスの誕生は解らないが)ミロのヴィーナスが廃れるように思えないが

>消えたものがあれば価値は変遷するのでは?

そうならず残った物が「この作品には普遍性が在る」として現代も評価されている当たり前すぎる話では?

>評価が戻る可能性もあれば戻らない可能性もある
それって普遍的か?

評価が戻って残ったものが普遍的と呼ばれ続けるし、評価が戻らんでも学術的価値から保存されるのでは?

>なので片方消失ではなく区分だ

それこそきのこ以外で別作家がFate関連作品を書いたり、Fate以前にも偉人バトル物作品があったにも関わらずドリフターズや終末のワルキューレがFate後追い作品かのように扱われる場面もあるなどが明確に影響を与えている点なのと
ブルアカのメインライターは影響を受けた作家として挙げている

明確な因果関係の証明は難しいが呪術は可能性が高い

空の境界(奈須きのこ)に限った話ではないがいわゆるゼロ年代の一人として特殊・特異な状況や世界観、キャラクター設定のミステリーに影響を与えた一人と言ってもいい筈

プロではないがカクヨムの企画で、奈須きのことかに影響を受けて書いた作品を載せてくれ というものには23作品寄稿されている

>お互いに使う言葉が違って会話が成り立たないのは直近で問題だろ

そういう問題がある時点でそちらの主張は万人に適用されていない証左では?という指摘なんだが


>一方で同時にそうした個人を内包する社会自体がヒエラルキー構造を持っていて社会の主体がこのヒエラルキーの上位に立つため上下関係も成り立つ

その根拠を求めているのに「上位だから上」と小泉構文で結論だけ持ってこないでくれないか
では社会の主体とは具体的に何だと言うのか?
少なくとも現代の国際社会の国々はだいたい国民主権の国家だと思うが

>例としては会社を弊社と呼ぶ、国を我が国と呼ぶということは仮想的に社会という視点を設けると俺は述べたが

仮想的にというが内包・同化なのだから弊社(の社員達=○○社という社会)、我が国(の国民達=○○国という社会)というだけの話では?
では仮想的に社会の視点が存在すると仮定して我が国や弊社という言葉が使われる以外に具体例は?

>一つ目が個人=名もなき国民という考えがこれまで話してきたもので、この場合には国をはじめとした組織の傘下に個人はあり、上位は指導を行う権限を持っていることで発言の重みに差がでるという話をした

いや社会形成の仕組みを話して内包・同化に同意しているのに何を言い出しているんだ?
ヤクザとかならまだしも国家の話ならば組織の傘下ではなく国民が国という組織を形成しているのであって傘下であるはそちらの持論による結論ありきだ
上位は指導を行う権限を持っているのではなく選挙により選抜を経て代表として政治活動を委託されているのであって権限の所持であれば独裁国家ではないか

幾つかの抜粋を合わせて話すけど

>国会議員は、主権者である国民の信託を受け、全国民を代表して国政の審議に当たる重要な職責を担っています。 この職責を果たすため、国会議員の地位には、一定の身分保障が与えられており、法律の定める場合を除いては、国会の会期中は逮捕されず、また、議院で行った演説、討論または表決について、院外で責任を問われません。

>内閣総理大臣には、憲法上、国務大臣の任免権のほか、内閣を代表して議案を 国会に提出すること、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政 各部を指揮監督することなどの権限が与えられている。

以上のように政治家の持つ権限ってのは指導ではないし

>「国民主権=国民が統治権を持っていること」になりますので、「主権者=統治権を持っている人」ということです。 国民に主権があるということは、国民(有権者)による選挙によって選ばれた国会議員が法律を定め、裁判官等の公務員が権力を行使するにあたっては、その前提には 国民がいるということになります。

大衆=国民が下ってのが少なくとも国民主権の日本でそちらの言説は独自解釈の持論の域を出ないのでは?

加えて日本の三大主権は下記の通り

>1つ目は、国の政治のあり方を決める権利が国民にあるという原則。 国民主権ですね。 2つ目は、人間が生まれながらにして持っている権利、基本的人権の尊重です。 3つ目は、戦争をしない、戦力を持たないことを定めた平和主義です。

以上の理由から社会が上とは言い難く、かと言ってでは社会が国民の下かと言うと社会を大衆が構成する以上は言い難く
内包や混在の形で形成されているという話をこれまでしてきた訳だけど

何が悲しくて中学生の社会にまで遡って説明せにゃならんのだ……

>また、最小単位の個人が構成する小さなコミュニティから規模が大きくなるほどに個人の価値観の影響力は小さくなって規模の大きな組織の持つ価値観が大きくなっていくという構造からも組織規模に対しての影響力の上下構造も述べた

組織の持つ価値観ではなく構成する個人の要望として数が多い、あるいは生命の危機などから重要度が高いものが優先されるのであって「規模の大きな組織の価値観が在る」という仮定ありきの話だろ
加えて組織の形態によってはトップなどの個人の価値観が大きく作用するのはデザイナーが社長を務めるケースで実例も挙げたが

対してそちらは結局、根拠がどれも「仮定が正しいなら正しいのが根拠」であって何に保証されているんだ?

>二つ目はレイヤーの高い個人が社会に寄与するという考えだが、この場合には、単純に社会のヒエラルキー構造における上位の集合体と下位の個人という差を示せる

それは個人の上下であって社会が個人の上に在る訳ではないのでは?

>相互扶助も対等でなく差は生じるのでそこに上下は生まれうる

上に同じくそれは個人の上下であって社会が個人の上に在る訳ではないのでは?

>いずれについても擬人化している=社会の視点と社会の価値観があるというのはここまで前提としてきている

ようするに社会実在論なんだろうがあくまで「論」の域を出ず正しくはないとされている話なんだが

社会の視点と社会の価値観は、では誰がどう定めた?

>これはあとで映画祭のところで関わり方を書くがそれによる評価への承認が行われている

先んじて、そして繰り返し書くが国家が芸術への過度な干渉はしない事として内容不関与の原則の話を既にした上でそちらもに任命責任に限定されると同意したと思うが

加えて再びの抜粋になるが

>アームズ・レングスは、一般には、当事者間の「独立」した(「対等」な)関係、状態を指す言葉である。その原則とは、もともとは国際的な企業取引のルールである「独立企業原則」を意味していたが、現在では、政府の民間への介入や癒着・フ敗を防ぐために、政府と民間の間で距離を保つ方針を示す用語としても用いられている。さらに公共政策分野のなかで、この原則に独自の意味を付与しているのが、文化政策の分野である。同分野において、アームズ・レングスの原則は、芸術表現・創造活動への過度な政府介入を禁じつつ、資金面での政府からの支援を保証する考え方として理解され、文化支援の普遍的な原理として浸透している
>今日では、その考え方に沿って、アーツカウンシル(芸術評議会)など、政府・行政から一定の距離(独立性・政治的中立性)を保った文化支援機関の手で、芸術文化団体に対する支援が行われている

あくまで承認しているのは予算や誰を専門家として任命するかで芸術性の有無や優劣ではない

>国という組織単位の視点が対象

その実在は仮定による仮想の域を出ない

>組織には個人に依らない独自の価値観がある

独裁国家やトップがワンマンの組織ならばその例に限らず、国家であれば組織の独自の価値観も構成する個人達、大衆に影響を受ける以上は個人に由らない価値観は成しえない

会社や非営利団体ないし国家に所属する機構であれば個人の価値観よりも経営理念や存在意義が優先されるケースがあるのは認める

正確にはそれ以外にも個人の価値観よりも組織の理念が優先されるケースは多々あるだろうが全ての組織に適用される訳ではない

>だから万人向けではないという回答だが

だから個人の価値観は無意味と万人に断言すべきではないと言い続けてきたが

>横並びの上にあるケースはちょっとどんな例になるのか浮かんでいないが

例えば民衆と国家という横並びの積木の上に両方へ地球という積木が乗ってるようなものを想像してもらいたい

地球
個社
人会

みたいに

>そちらはあらゆる可能性を考えて全て完璧じゃないと論は成り立たないと言っているように見えるんだが

抜粋になるが
>論とは、ある事象に対し順序立てられた思考・意見・言説をまとめた物

本来は完璧でなくとも構わないがその場合は他人に強要すべきではない
強要するなら順序立て説明しきって納得させる必要があるのではないか?

>現実的には不正の可能性を考えて世の中が仕組みづけられていないのでそうした立場に立っている

いやいくらでも色々な物事で不正をそもそも防ごうとする措置はあるだろ
事前の検査だったり、隔離だったり

>少し言葉を変えると「社会を構成する組織や国は互いに特定のルールを互いに守り合う前提の相互扶助」を行っていることで不正はないものとして機能している

それを願ったり信じる自由はあるが信じなければならない義務もなければ不正がない証拠でもない

>特定の批評体系(エリート主義などと呼ばれるような評価)に基づいて価値を認めるということが意義

それと個人の価値観が無意味かは別では?
特定の批評体系に基づいた価値の定義は自由に、ありがたがってる人間達で勝手にやっていればいいがそれを免罪符に他人の価値観を侵害する権利は無いのでは?

>何が楽しめるかは個人の価値観の範疇で相違ない

それを侵害しないように言っている

>万人に共通せず特定の集団にのみ共通している評価基準であっても国際社会にて指標として認められているということは矛盾していない

国際社会というが国家は芸術性を保証しない
国という枠組みを抜きに指標にしている大衆、個人が居るという話だ

>俺が使った定義は「専門性や知見に基づいた集合によって作品に与えられる評価」だが、これは芸術分野であれば映画以外でも使える

それと国家が芸術性を保証するかは別の話だ

>ゴールポストが動いたのはどこだ?

数が多すぎて列挙が面倒な程度には「いやこっちの事だった」とか「いやこういう意味だったんだ」が割りとあるんだが

>先の例だが社長からアルバイトまでを並べたとして

そういう問題ではなく実績の積み重ねが足りない云々が憶測に過ぎないのでは?って指摘なんだが

>実績の話では何らかの委員に選ばれるとかの話

その基準だと社長だとかそういう会社での役職は端から関係ないのでは?

こういう所がゴールポストが動いてるようで嫌になると言っている

>おれは最初は大衆評価を経済評価の一部としていたが、そちらの主張があったことから大衆評価に分ける形でここまで進めてきたので統合していいなら統合するぞ

いや逆だろ
経済評価が大衆評価の指標の1つでは?

>これは前提に立つためにそちらから提示されていた視点の話なので間違ったままに話を進めて後々に違っていたとなるのは嫌なのだが

だからまずは疑問系で聞いたらいいのではないかと何度も書いたが

>ジャンルが違うことも売上だけの話だと影響はない

いや大有りだろ
ようは「100万だから楽勝できる。ニッチ扱いできる」って悪意ある選出だろそれ
たまたま似通った数値になっただけで、比較する場合は似たようなジャンルで比べないで何故参考になると思ったんだ?
あるカップラーメンとあるドーナツが全国で同じぐらいの割合で売れましたと言われてもそんな偶然あるんだね以上の何があるんだ?同じカップラーメンとなら売り上げの多寡を比べて売れてる売れないを論じる事も可能だが、ジャンルの違う作品を並べて何を対比させて何を明かそうとしたんだ?

>並べたのはもともと話してたFateと同年であるためであってそれ以外の理由はない

いや同年ってだけなら他にもあったろ。しかも同年が理由なら何で1作品だけなんだ?

>対して違いなかった

Fate側を相当甘く見積もってだけどね
2006年当時なら10万以上はほぼ確定なんだから

>一応だが、アニメの場合にはゲームと違って無料ユーザーの比率が圧倒的に高いというのは前にも述べたがファンで比べるなら売上枚数で大差ない

それ言うならFate側にも未成年ファン加算できるのでは?

>ただ一方でそちらが挙げたゲームタイトルと並べてしまうとすごいヒットタイトルとは言えないのだが

いや挙げたゲームタイトルとホロウで売上が並ぶって話なんだが
ナルトもロックマンもシードディスティニーもスパロボも、BASARAもウィニングイレブンもスターフォックスもヒット作じゃない扱いしたいんだったら流石に恣意的すぎないか?

>種類出ていることが売れてる確証とはならない

売れてなきゃ巻数出さんやろ
売れない商品を何故出版するんだ?

>多分ハヤカワSFとかは累計すればもっと出てるけどもっと売れてない

別タイトルの累計と比べるのがおかしいだろ

>時系列で相対比較するなら今と比べれば人気は低い

それはあるが

>当時のトップクリエイターと比べれば人気は低い

いや流石にこっちへの反意だけでそれ言うのは逆張りマンが過ぎる

>いいんだよこれが適当で
だってこの数字が10万だろうが15万だろうが話の内容的には影響は小さい

15万なら明確にシードディスティニーファン数上でニッチと言えん扱いなんだが

>ただし発売初期ほど売れているわけではない

いやこの……何?
2005年頃から2015年の間のファンの推移を計りたかったのならそもそも昔に発売されたゲームの売上を目安にするのが不適じゃないか?

>どちらとも言えるがFate自体はZero前に一度萎んでるからなぁ

そりゃ新作出さなきゃ段々廃れるものだろ

Zeroに限れば虚淵玄の実力によるものなのは間違いないし、FGOでも担当した2部3章の評判はなかなかだし

盛り返したのがZeroのおかげもあるのは確かだけどそれ以降は新作が出たからで、その際にきのこに周囲が乗ったのではなくどちらとも言えるとするだけの何がある?

>じゃあ鳥山明、尾田栄一郎と比べて超大ヒット作家だった?
>ゲームなら堀井雄二、小島秀夫と比べてどうよ

超大ヒット作家と言わせない為だけに相対評価でトップ オブ トップ持ち出すのは笑えるし笑えないよ
そりゃその辺りと比べたらそうだろうけどそういう目的ありきで事例持ち出したり極論を言い出すのが恣意的だと指摘したのにまさに繰り返すんだもの

そもそもこちらは「超大ヒット作家だった」なんて言ってないのに。まぁ大ヒット作家だったとは思うけど

>麻枝准と同じくらいじゃね?

一応調べたけど多分、麻枝准の方が当時はヒット作家扱いか?(正確な数値は不明だけどairが推定30万+α、リトバスやクラナドで10万越え。プラス一般化での普及分)
当時の最大風速と継続年数考慮で

>ここはまほよの話なのだが

そうやって主語抜きからゴールを動かしてくるから嫌なんだよ

1・ある程度の具体的な数値はFFやマイクラとの比較から割り出せるかもしれないが流石に手間なので今回は省くけど
BCN+Rの調査・市場分析による2010年代(2010.1~2019.11)のPCゲーム販売数ランキング

1位 ファイナルファンタジーXIV 新生エオルゼア
発売月(2013年8月発売)(スクウェア・エニックス)

2位 魔法使いの夜 初回版
発売月 2012年4月発売(ノーツ)

3位 Minecraft PC/Mac版
発売月 2017年8月発売(マイクロソフト)

4位 ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン
発売月 2013年9月発売(スクウェア・エニックス)

5位 Rewrite
発売月 2011年6月発売(ビジュアルアーツ)

6位 信長の野望・革新
発売月 2010年4月発売(ソースネクスト)

7位 ファイナルファンタジーXIV
発売月 2010年9月発売(スクウェア・エニックス)

8位 ファイナルファンタジーXIV コレクターズエディション
発売月 2010年9月発売(スクウェア・エニックス)

9位 信長の野望・創造
発売月 2013年11月発売(コーエーテクモゲームス)

10位 ドラゴンクエストX いにしえの竜の伝承 オンライン
発売月 2015年4月発売(スクウェア・エニックス)

少なくとも売れてないとは言えない数は売れているようだ

余談だけどあまりに割れが多く社長が苦言を呈する程だったという話もあるらしいので需要自体は間違いない
そうしてプレイした層をファンとは呼ばんが

2・2012年の日付指定で「魔法使いの夜 2012 感想」で調べてきたが概ね良好だったぞ
加えてアマゾンのレビューもPC版に当時の感想が残っている
当然賛否はあるが概ね賛と言っていい
0
262. 名無しのあにまんch 2024年08月10日 07:06:47 ID:g1MDI0MA=
>>261
>「サンプル数 400」とかで検索してくれ

確認取れたので一応は納得した

>映画祭(一部の例ではあるが)では普遍性が評価対象とされたエビデンスとは言えるぞ

だからと言って「普遍性の付与が映画祭の意義」とした主張にはそぐわないのでは?
全ての映画が対象であるかのように語っているのに無いものへも加えているかのような言説だから過言なのは変わらず、普遍性を内包しない作品が受賞した場合に反するのだから

>あとはキネ旬の評価について「教条的・啓蒙的なエリート主義が日本の映画評論(批評)の伝統でもあります」と書いた記事や、アカデミー賞とトップガンについて「一般感覚とズレたエリート主義との批判に危機感」という記事は出た

いや普遍性の付与がどうこうって話の何のエビデンスなんだ?
映画祭の批評がエリート主義による狭い範囲での評価であり、映画祭の主旨として作品を広めたい筈の大衆と評価が解離している危険性があるという話にしかならなくないか?

>先に挙げた映画祭の審査員コメントだって普遍を全ての万人に当てはまるという意味で使ってないだろ

使ってないって根拠は何なんだよ

>つまり世の中は俺の使い方で問題ないんだ

誤用で問題大有りだから突っ込んでるんやろがい!

>東京国際映画祭は経産省と東京都が共催

だとして公式で「第31回を迎える今年、東京国際映画祭は、映画を通して、映画を観る喜びを共有し、映画に関わるあらゆる人たちが文化交流を活発に行う場をより積極的に創出していきます」という理念や意義が語られるだけで芸術性の保証をするとは言っていないが?

>また挙げてきた映画祭は全て行政がらみだ

国が資金を提供するのはありうるってアームズ・レングスの原則でも触れたし一定距離を保ってる話もしたが

>カンヌ:政府が立ち上げて現在も文化通信省がパートナー

運営資金を融資してる言わばスポンサーってだけじゃねーか

>ベルリン:主催に政府子会社とベルリン市が入っていて資金も政府提供

これもスポンサーってだけだし
今年の2月レス チナのバセル・アドラ監督とスラ エルのユバル・アブラハム監督の発言に対して

> 2人のスピーチには観客から盛大な拍手が送られた。賞を手渡す女性審査員の背中には「今すぐ停戦」と書かれた紙がつけられていた。
 
> これに対して、ドイツ政府・ベルリン市当局や大手メディアが「反ユダ主義」だと非難し映画祭そのものを攻撃し、補助金支出を問題にする事態に発展している。受賞式に出席したドイツのロート文化相は両監督のスピーチが終わったあと拍手を送った。しかし、その翌日には「この拍手は2人に対してではなくアブラハム監督だけに送ったものだ」とX(旧ツイッター)で奇妙な弁明に努めた。

とあくまで政府が関わるのは補助金支出に関してというのが明らかにされてるやろがい

加えて後日に

>ベルリンのウェグナー市長もXで、「ベルリン映画祭で起こったことは容認できない見方だ。ドイツ政府は疑いなくスラ エルを支持する。スラ エルとガザ地区の深い苦難の責任は、すべてス ラム組織ハマにある。映画祭でこのようなことが二度と起きないことを保証すべきだ」と映画祭運営側の責任を求めた。

>イスラ エルのプロソル駐ドイツ大使も、アブラハム監督のコメントを「あからさまな反ユダ主義、反スラ エルの発言だ。映画祭は偏見をあらわにした」と発信した。

国家と映画祭とで意見割れてて芸術性の承認と、国家が金出して運営しているのは別問題ってのが明らかだろ
加えて
 
>閉幕式を期して映画祭の運営への非難が強まった裏には、他にも植民地主義を批判的に検証する作品が最優秀作品賞(金熊賞)を受賞し、幾人かの監督がスピーチでスラ エルのガ ザでの「ジェノサイド」を批判し、「パレス チナへの連帯」を示したことがある。

>最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した映画『ノー・アザー・ランド』
 マスメディアの論調は、「ベルリン映画祭の閉会式は、何よりも恥ずべきものだった。会場にいた聴衆からそのすべてが熱狂的に称賛された。戦争終結の発言はすべてラ エルに対して一方的に向けられたものだ」(ベルリンの日刊紙『ターゲスシュピーゲル』)、「異様な陶酔状態での映画祭の授賞式。何百万もの納税者のお金がこれに費やされたのは無責任だ。映画祭の資金を削減すべきだ」(日刊紙『ディー・ヴェルト』)などの発言に代表されるものとなっている。

マスコミが明らかにしたが政府と映画祭が定める芸術性に対する解離が運営への非難という形で現れてるだろ

というか政治劇の場になっていて映画の芸術性やらなにやらはどこ行ったよ?

>ヴェネツィア:ヴェネツィア・ビエンナーレはヴェネツィア市がはじめたもので組織役員には今も州知事が就任

審査員でも何でもなく運営に関わるだけやん

>併催される国際批評家週間は文化省映画総局が共催

共催であってもあくまで金出してるだけやん

あと抜粋するが
>イタリア政府が後援するNPOであるヴェネツィア・ビエンナーレ財団が主催し

いや結局、金出してるスポンサーというだけで国家が承認しているというのは過言ではないか

例えばNintendoの株主は作品の面白さを担保(承認)する立場にあるの?
いや無いだろ。間接的に金を出して支援した功績はあっても作品の良し悪しに関わるものではない

>このように国際的な賞は政府の承認のもとで機能している

前にも書いたがそれは任命責任に限る承認だ

「文化芸術基本法改正の話は「専門家の判断に任せることを国が定めた」と理解した。最終的な決定自体はその専門家によるものであっても、専門家の選出は国によるものであり、この手続き自体は国が承認した流れと思える。この評価(助成を決定すること)の責任で言えば国にあると思うぞ」
「それは助成に限定した話で全てではないだろ」

「文化芸術基本法改正のテキストを意訳しても「文化芸術の振興では表現は自由、自主的に自由に作ってね、それで国民は身近に感じてね、国は支援をするよ」ということなので評価には触れていない。なので評価については助成の話のみで返した」
「であればその一例が全体の全てに適用されるとはならない」

「助成の話に答えたのであって全体の話されていないのでそれはそうなる」
「であれば最初から助成金に限ればとなるのでは?」

「なので最初から「この評価(助成を決定すること)の責任で言えば国にあると思うぞ」と答えているぞ」
「であるのにその一例で全て国の関与下にあるかのように言ってしまえば過言ではないか?」

「ここでは例に出された助成の話しか回答してなくないか?全てとか言った記憶がないのだが」
「言い回しの問題として「国は関与している」では全てそうと受け取られかねない切り取り方になっていないか?という話」

「イマイチかみ合わないんだが、俺が言った部分って『文化芸術基本法改正の話は「専門家の判断に任せることを国が定めた」と理解した。最終的な決定自体はその専門家によるものであっても、専門家の選出は国によるものであり、この手続き自体は国が承認した流れと思える。この評価(助成を決定すること)の責任で言えば国にあると思うぞ』だよな?「国は関与している」がどこを指しているかわからないんだが」
「この評価の責任で言えば(文化助成費を出すか決める)国に(主導権が)あると思うぞ この評価の責任で言えば(文化助成費を出すかどうかの決定権は)国にあると思うぞ どちらとも取れる言い回しではないか?と指摘させてもらった」

「どちらでもない。審査員が決めるという手続きの結果の責任が国にある」
「それ以上でも以下でもなく、雇用責任に近いものというなら認める」

以上のやりとりから審査員の雇用責任に対する反論もなくあくまで国家の関与は助成と審査員の選出と雇用責任に限る以上は文化芸術基本法改正における内容不関与に於いて国家が芸術性を承認するものではないとそちらも既に認めている

加えてアームズ・レングスの原則においても距離を置くものとされており、良いか悪いか表面化したのが今年のヴェルリン映画祭だ

>ジブリでもレッドタートル9400万円、パルムドールとったディーパンの闘い2800万円とかでもっと低い

もっとと言っていたのに2作だけ?

加えてレッドタートルも調べたら一般公開より先にカンヌへ出品していて「興行収入が低いにも関わらず選ばれた」例ではないだろ

芸術性に振りきった作品が芸術性を評価されたのは喜ぶべきかもしれないが特例ではないか?

>何度も言うが特定の基準内での相対的な優劣とその選出の外での優劣は違う話だ

ではそも絶対評価もそうであるかのようにそちらが言っていたのが問題では?
あるいは絶対評価もその限りではないという話を理解していなかったか

>それぞれの尺度が並び立つというのはそういうことだろう

では受賞による社会的評価のみを優として個人の価値観を認めないのが間違いでは?
個人の価値観という尺度も並び立つ以上は無価値と断ずるべきではない


>上で賞に国が関わって承認していることを示したが

あくまで金出しただけで芸術性の承認とはならんやろ

>具体的に言えば主催、後援、協力、共催といった形でイベントに関与することや

間接的な関わりの域を出ていない

>その賞の活動を国の政策に位置付けていることなどが国による承認となる

具体的な政策とは?
仮にあってもそれはあくまで「芸術分野の発展を願う」ものでないのか?
政府の関与は内容不関与に反するのだから

>また、賞の主催団体に対して国が認可・認定を行うことも同様

あくまで任命責任にすぎない
加えて認可・認定は実施できるかできないかであり結果に干渉するものではない

>助成金については色々あって民間の活動を支援するために一部を補助するというものから全面的な資金提供まで幅があるので中身を見る必要はある

金出してるだけな事に変わりはない

>例に出していたアーツカウンシルは国の文化政策に準じるものだが、民間への支援が主な業務なので「誰に対して支援を行うか」という判断を担うため政府の直下に置かれることがないものだが、これも設置者である行政によって運営方針が定められている時点で実運営と距離があっても民間組織とは言いがたい

抜粋するが
>アーツカウンシル」とは 日本語では「芸術評議会」と訳され、研究者によれば「文化芸術に対する助成を基軸に、政府・行政組織と一定の距離を保ちながら、文化政策の執行を担う専門機関」と定義されている。

そちらが提唱する定義は一定の距離を保つという正式な定義に反する
民間組織と言い難い専門機関である事や何を対象とするか運営方針が定められているのと、その決定や発表が政府の見解となるかは別であり政府も結果を受け取る受動的な立場だ


>普遍性の理解が違うから万人向けではないものが選ばれることもあるという話だ

では映画祭はそもそもそちらの定義では意義を全うできておらず、社会的価値の評価として不適だ

>そりゃあ実例がないからな
件のBCN+R(主に電化製品のマーケティング)に、市場調査のデータ取得に役立つ無料・有料サイト22選なんて記事がある程度には実例あるんだが

自分が知らないなら存在しないという決めつけが多くないか?
0
264. 名無しのあにまんch 2024年08月13日 07:30:33 ID:QwMzIxMDE
>>262
>その必要性が生じる時点でそちらの主張のみが正しいとする事はできないのではないかと言っている
例えば「壁ドン」でお互いに考えている意味が違ったら話がズレるってのは主張関係なくどこでも起きることだろう

>賞等の社会的評価の方が上に在るとする当人が主張する事だろうか?
ここの話題はヒットの再現性を生み出すためという前提があったのでそれを目的として大衆評価をするには要素分解が必要と言うに留めている
単に社会評価となる大衆評価であれば年齢別とか国別でどれだけ面白いと思う人がいたかってだけで成り立つと思うよ
「面白かったから売れました」だけだと売上とほぼ変わらないからあまり良い尺度じゃないかもしれない

>更に言えばサイトごとの偏りというがその中に偏りではなく正当な評価が無いと何故言える?
その評価への承認がされていないため
IMDbとかなら得られてるのかもしれんが

>芸術的功績を認めるの部分が「南部の唄までいくと名作扱いされなくなり」に反してないか?
芸術的功績を認めるの記述は知らんかった
上映当初の時代であれば南部の唄は批判があっても上映はされたしスプラッシュマウンテンは次々できていったので社会が否とする状況はなかった
現在の風潮では完全に葬り去られて公の場で名作だと発信されることがありえなくなったという意味で挙げた

>変遷せずに残ったものが普遍性のあるものとして語り継がれているという当たり前の話ではないか?
ミロのヴィーナスの評価についても発掘後の目線であり、作られた当時の価値観として最高の一品だったのかはわからない
そもそも美醜の基準ですら平安時代は下膨れが美人というように変化があるものなので、文献や過去の基準を頼りとして時代を超えた普遍性ってのは難しいと思える(まったくありえないというわけではない)
あと価値観の移り変わりでよいものではなくなったものは消えているから挙げにくいが、人の評価が時代の価値観で二転三転している例はいくらでもある
最近だと炎上にも関係あるコロンブスとか

>評価が戻って残ったものが普遍的と呼ばれ続けるし、評価が戻らんでも学術的価値から保存されるのでは?
それを普遍的と呼ぶのはその時代の価値観じゃないのか?

>それこそきのこ以外で別作家がFate関連作品を書いたり
後続への影響は間違いなくある
そちらが挙げているようなバトロワ系や英雄系、加えて個人的には知名度の高いものを戦わせるという艦これ以降の擬人化系にも影響があると思っている

>社会の主体
政府、その周辺組織、大企業やその連合体、大学組織、文化人、知識人など
つまり国という組織の運営構造に寄与するもの

>仮想的にというが内包・同化なのだから弊社(の社員達=○○社という社会)、我が国(の国民達=○○国という社会)というだけの話では?
そもそもこの話一旦認められて進んだ前提で、後々になってひっくり返されたくないから社会視点を認めるかどうかをあれだけ話したのだが
その時にスルーして今になって掘り返すのはどうなんよ

我が国としては~と我が国の国民としては~まったく立ち位置が違う
具体例としては国の判断が国民が望む判断とは異なること、国民の価値観=国の価値観なら岸田は任期を待たずに即クビ

>上位は指導を行う権限を持っているのではなく選挙により選抜を経て代表として政治活動を委託されているのであって権限の所持であれば独裁国家ではないか
まず選抜は政治組織だけの話だ
日本の運営の根幹は官僚組織であり、これが政治が合わさった政府には行政、立法、司法の機能がある
行政の運営のなかでは前も挙げた行政指導や取り締まりを行う権限があり、企業や国民はこれに従う義務があって事実上として国民を管理下に置いている
立法については間接的に国民が影響を及ぼすことができるが、その影響は実態としては微々たるものだ
理念としては国民主権であっても実態の構造として国民が傘下にある

>「規模の大きな組織の価値観が在る」という仮定ありきの話だろ
個人の要望ではパブコメで反対意見が例にないほど多いけどこの国では生成AI進んでくぞ
「生命の危機などから重要度が高いものが優先される」ってのが国の価値観による判断で、そこには国民から見ておかしな判断だってある
例えば復興予算が足りないと言いながら万博進めるとか
社長の例は巨大組織でどこまでそういうことがあるかは分からんが、これを考慮するなら二つ目の高いレイヤーの個人の話にまとめていく

>対してそちらは結局、根拠がどれも「仮定が正しいなら正しいのが根拠」であって何に保証されているんだ?
いや、そちらが前に言っていたけど一例だけで反例になるん?しかも一部には寄与できるとしても社として全ての判断が社長個人に由来するかは証明もないが

>それは個人の上下であって社会が個人の上に在る訳ではないのでは?
段階を踏もう
上の個人の集合と下の個人の集合では上下になる、これはいいな?

>ようするに社会実在論なんだろうがあくまで「論」の域を出ず正しくはないとされている話なんだが
社会実在論も対になる社会名目論も視点の違いによる論であってどちらが正しいというものではないぞ
何が正しくないんだ?

>社会の視点と社会の価値観は、では誰がどう定めた?
それもまた前にスルーされたのが繰り返されるのは面倒なんだが
例えば政府内であれば様々決定された様々な基準があって、これに沿うことが個人の価値観以上の縛りとなる

>内容不関与の原則の話を既にした上でそちらもに任命責任に限定されると同意したと思うが
任命責任の話だけだったからそこにだけ同意したのであって限定されることに同意した記憶はない

>会社や非営利団体ないし国家に所属する機構であれば個人の価値観よりも経営理念や存在意義が優先されるケースがあるのは認める
これと同じものが国にもあるという話

>だから個人の価値観は無意味と万人に断言すべきではないと言い続けてきたが
これ何回目だ?万人じゃなくて社会視点で無意味としか言ってないぞ

>例えば民衆と国家という横並びの積木の上に両方へ地球という積木が乗ってるようなものを想像してもらいたい
具体的な価値観としてはどうなる?
民衆の価値観と国家の価値観が横並びでその上に国連の価値観とかが乗るかんじか?

>強要するなら順序立て説明しきって納得させる必要があるのではないか?
こちらは論旨が通っていればそれで否定されなければ成立する、否定されても修正すればいいという立場だな
更に言えば前提や視点が違えば論は両立すると考えているし、そちらの視点がだいぶわかってきたのでもはや「これ両立するな」と思っている状態ではある

>いやいくらでも色々な物事で不正をそもそも防ごうとする措置はあるだろ
そうした措置は当然ありそれで不正を排除できていることを前提に世の中は回っているだろう

>それを願ったり信じる自由はあるが信じなければならない義務もなければ不正がない証拠でもない
そのように社会が機能しているってこと

>特定の批評体系に基づいた価値の定義は自由に、ありがたがってる人間達で勝手にやっていればいいがそれを免罪符に他人の価値観を侵害する権利は無いのでは?
社会視点ではその方が価値があるとされているというだけよ
個人の価値観に基づいた独特で素晴らしい視点からの評価もいくらでもあるだろうけど大きな組織や国が重要視しないというのが実態

>それを侵害しないように言っている
人によって良さが違うのであればそれぞれが基準に基づいて楽しめなかったということもよいだろうし他人の基準に文句をつけてもいい

>国際社会というが国家は芸術性を保証しない
実態として主体として選ばずとも保証している
アームズ・レングスの原則においても「一定の距離」であって関与していないことが望まれるわけでもない

>それと国家が芸術性を保証するかは別の話だ
そりゃそうだろ、そちらの指摘の誤りを答えただけなんだから

>数が多すぎて列挙が面倒な程度には「いやこっちの事だった」とか「いやこういう意味だったんだ」が割りとあるんだが
それは文章での意思疎通の問題でのズレだろ
双方ともに意図が理解できてないことは多いぞ

>その基準だと社長だとかそういう会社での役職は端から関係ないのでは?
その実績の功労者として選ばれて表に出るときに会社構造は明確の上下があるが選出の地位の基準があるわけではなくグラデーション的に選ばれる幅があるという話だ

>経済評価が大衆評価の指標の1つでは?
俺はもともとは186で「個人が集合した大衆の評価はビジネス評価の一部たりえるが、これは収入という数値的な評価に内包されていてこれを超えるものではない」と言っていた
とはいえ補足すればどっちも見方次第で、経済評価(売上)が大衆の価値観を示しているとも言えるし、大衆の価値観によって経済評価が築かれているとも言えるのでどっちでもいい

>だからまずは疑問系で聞いたらいいのではないかと何度も書いたが
「視点の位置はこれか?」に対して曖昧に戻されたから聞いているのだが

>売れないを論じる事も可能だが、ジャンルの違う作品を並べて何を対比させて何を明かそうとしたんだ?
エンタメにおける作家のファン数の話だけ比べるんだぞ
ロボジャンルと比べるとおかしいって言うなら同じエロゲ内でもデモンベインとかマブラヴと比べてもおかしくなる
もともとエロゲ以外と比べようとしてる先でそのジャンルを問われる理由はよくわからん

>同年が理由なら何で1作品だけなんだ?
ぱっと出たのがそれくらいだったから

>それ言うならFate側にも未成年ファン加算できるのでは?
未成年も買ってた時代ではあった

>いや挙げたゲームタイトルとホロウで売上が並ぶって話なんだが
超人気作家という基準で見たら挙げたタイトルはそこそこのヒット程度じゃないか?

>売れない商品を何故出版するんだ?
ハヤカワSFも個別タイトルごとで平均して利益は出たから海外SFの出版を続けたようにすごく売れてなくても採算ラインを超えるだけで続きはでるんじゃないのか?
まぁこれはある程度以上は売れてたでいいよ

>それはあるが
言いたいのは正直これだけだぞ

>15万なら明確にシードディスティニーファン数上でニッチと言えん扱いなんだが
ていうかこうやって並べるとアニメは他のメディアと比べて売上枚数に対しての知名度がかなり違うな

>2005年頃から2015年の間のファンの推移を計りたかったのならそもそも昔に発売されたゲームの売上を目安にするのが不適じゃないか?
だから2005年頃の人気としてその当時の売上を想定して引っ張っただけだって
今に比べると影響力小さいってこと示すことだけが目的だぜ?

>それ以降は新作が出たからで、その際にきのこに周囲が乗ったのではなくどちらとも言えるとするだけの何がある?
俺はZeroアニメ以降からの継続的な展開自体がアニプレ(ソニー)主導のプロジェクトの成果と考えているが
継続的にアニメ作って他媒体も展開しながらブランド価値を高めてFGOで利益を得るビジネスが本体

>超大ヒット作家と言わせない為だけに相対評価でトップ オブ トップ持ち出すのは笑えるし笑えないよ
最初にニッチと言ったときに「人気マンガの読者数と比べれば比べ物にならなかった」とそもそもの基軸がここなんだが

>そうやって主語抜きからゴールを動かしてくるから嫌なんだよ
これをゴールずらしと言われても
「空気感では大衆評価の基準不在」って話にはずっとまほよしか絡んで話してないぞ

PCゲームとしての売上は確かにそこそこありそうだけども10万いってるのかどうかぐらいか?
むしろFFやマイクラこそ形態的に売上測るのが無理くさい気がする
感想については個人サイトと匿名ではかなり差がある
俺は当時は2chで感想見たけど反応はよくなかったぞ
今見てきたらまとめは生きてて「『魔法使いの夜』は何故型月ファンの間で酷評されるのか?」とかもあった

>だからと言って「普遍性の付与が映画祭の意義」とした主張にはそぐわないのでは?
それはわかってるって
だから映画祭の評価自体が普遍性を持つかという話では新潟の話くらいしかエビデンスはないとして、それを補強するためにキネ旬やアカデミー賞でも同様のエリート主義的評価が採用されているということを示した形だ
アカデミー賞はそれで引っ張った記事が大衆との乖離の話題だった

>使ってないって根拠は何なんだよ
「パーフェクトデイズが現代社会に欠けた普遍的な価値を示した傑作」、欠けた人もいるという時点ですべての人に当てはまらない

>誤用で問題大有りだから突っ込んでるんやろがい!
え、広く行き渡るさまという意味はないのか?

>映画祭
共催・後援などで名義を出している時点で国がその賞や映画祭についての選抜には寄与せずとも承認を与えていると言えるだろ
名義って資金提供以外にもその活動への賛同などの意義があるぞ
と言うか資金提供がされているということは政府の計画に位置付けられて予算が付けられて議会の承認を得ている
それを民間スポンサーと同じと考えるのはおかしい
というか政府が審査員に入らなければ承認していないと言うのか?

>国家と映画祭とで意見割れてて芸術性の承認と、国家が金出して運営しているのは別問題ってのが明らかだろ
まずその話は作品内容の批判ではなく、授賞式におけるスピーチとアクションへの批判に留まっていないか?
また次年度は新体制になることが決まっているとはいえ映画祭側は国に配慮するだろ
つまり基準自体に国が影響を与えることがあるというのも一定の距離の範疇と言える

>前にも書いたがそれは任命責任に限る承認だ
何の反論なのか
そもそも文化芸術基本法改正の話では助成の責任のみが焦点なので「国家が芸術性を承認するものか」は話されてもいないぞ
それを国家が芸術性を承認するものではないと認めた論拠とするのはロジックが成り立たないだろう

>もっとと言っていたのに2作だけ?
面倒、2作で十分だろ

>加えてレッドタートルも調べたら一般公開より先にカンヌへ出品していて「興行収入が低いにも関わらず選ばれた」例ではないだろ
そちらの意図を間違えて受賞したけど興行収入が低いと捉えていたが、そもそも世界上位の映画祭のコンペティション部門へのノミネートはほぼワールドプレミアが条件とされるのでノミネート時点では興行収入がない
賞取ったけど売れなかったものがあるだけ

>ではそも絶対評価もそうであるかのようにそちらが言っていたのが問題では?
もとが「国宝や文化財の選出で優を決めこそすれ劣を決めないケースもある」への反論なので、ずっとその選出の基準の中だけの話としてその中では優劣あるよね?って俺ずっと言ってるじゃん
絶対評価もそうであるように言ったのはどこよ?

>個人の価値観という尺度も並び立つ以上は無価値と断ずるべきではない
社会的視点に立った時に、売上という基準、賞の基準、田中さんの基準が並び立つのか?

>間接的な関わりの域を出ていない
そりゃあ直接入ってしまうと癒着の危険があるとしてらアームズ・レングスの原則があるんだろう
直接的関与でなければ承認していないとするのであれば、全ての芸術に対して政府は一切の承認を行っていない?

>具体的な政策とは?
そもそも映画祭への資金提供
それとフランスではCNCが映画売上の一部を徴収して育成費に転用できるように法整備されていて、このルールに準拠していることがカンヌの応募条件になっている
日本であればコ・フェスタとして各分野を相互連携させて発信力強化する政策とか
ちなみに俺が主張しているのは国による承認までだ

>加えて認可・認定は実施できるかできないかであり結果に干渉するものではない
中身の方針についてどの程度関与しているかは怪しい

>金出してるだけな事に変わりはない
その認識は間違っている
金を出している=責任が伴うので監査的なことは確実に求められるはずだ

>そちらが提唱する定義は一定の距離を保つという正式な定義に反する
そもそもイギリスのアーツカウンシルであっても結果的に政府に従属してきた歴史があるという記述があり、一方で政府と遠すぎることもよくないともあった
政府とイコールではなくとも政府の承認を得た組織だろう?

>映画祭はそもそもそちらの定義では意義を全うできておらず、社会的価値の評価として不適だ
どの定義に沿って意義が全うできていない?

>市場調査のデータ取得に役立つ無料・有料サイト22選なんて記事がある程度には実例あるんだが
作品評価についてのユーザーの声を集めて分析したデータに限った話をしてるんだぞ

あとここから後ろがまるっと欠けていたが追記の予定はあるか?
0
265. 名無しのあにまんch 2024年08月14日 01:14:12 ID:c0MTA1Ng=
>>264
>例えば「壁ドン」でお互いに考えている意味が違ったら話がズレるってのは主張関係なくどこでも起きることだろう

その例なら、そちらは「壁ドンは威嚇で壁を叩く意味しかない」と主張しているから「違う意味(壁際の相手を自分と壁で挟むようにして手で壁を叩いて囲う)も存在している」という話なんだから話のズレが生まれる時点で「しかない」は成立しないって話だよ

>「面白かったから売れました」だけだと売上とほぼ変わらないからあまり良い尺度じゃないかもしれない

だからどうしてヒットという化学変化(比喩表現)が生まれたのか組合せの検証が必要っ話

>その評価への承認がされていないため

それはそちらの持論が正しい前提で、それではそちらが否定している個人の価値観による主観でのジャッジと変わらない

そもそもそちらの言う偏りっていうのは具体的に実在するの?手間をかけさせて申し訳ないが実例を挙げてみてくれ

>社会が否とする状況はなかった
>現在の風潮では完全に葬り去られて公の場で名作だと発信されることがありえなくなったという意味で挙げた

抜粋になるが

>ジェンセンとスピンガーン、そして当時の評論家たちは、映画のトーンや似た映画のタイプによってドレイ制時代が舞台と勘違いしたと指摘している。コーキスはこうした誤解に基づく評論の例として、「南北戦争前の南部を描いた茶番劇」と評した当時のニューヨーク・タイムズの作品評を挙げた

そちらの言うエリートが当時から否定的立場であり、そちらが標榜する『社会』からは否定意見が出ていて

>アメリカでは、公開40周年記念でリバイバル上映された1986年以降、ディズニー側の自主規制により一度も再公開されていない

公開に関しても約40年前時点からそれ以降で既に非公開に追い込まれて1992年のビデオを最後にDVD化やブルーレイ化も避けられていたのに「最近(現在)の風潮のせい」というには『最近』の範囲が広すぎないか?

スプラッシュマウンテンにしてもディズニーは「人種差別的だとの批判を受けたのでリニューアルします」とは一言も言っていないんじゃないか?

>ミロのヴィーナスの評価についても発掘後の目線であり、作られた当時の価値観として最高の一品だったのかはわからない

だとしても発掘後の約200年の評価が消えるの?他に挙げた作品例の数百年や千年が無視されるの?

>平安時代は下膨れが美人

それは実物の人間、それも日本に限定されたものではないか?諸外国でも下膨れが美人だったの?人の心の在り方が感動をもたらす文芸作品に関係あるの?下膨れ美人の絵が芸術的でない、感動できないと断言できるの?

何度も言うが狭い範囲で限定的なものを全体的に適応されるかのように言い過ぎじゃないか?

>文献や過去の基準を頼りとして時代を超えた普遍性ってのは難しいと思える

それが仮に正しいなら美術館など存在しない事になるが、実際はどう?美術館は世に幾つある
文献や過去の基準を頼りとせず『美しいと感じる』個人の価値観により遺されてきた物、新たに創造された物の混在によって成り立っている

>人の評価が時代の価値観で二転三転している例はいくらでもある
>最近だと炎上にも関係あるコロンブスとか

反論の為だけに人物の所業への批判と美術的評価や娯楽への評価を同列にするのは幾らなんでも苦しいと自分でも思わない?

雪が暑いと溶けるのも、飴が舐めると溶けるのもどっちも同じ溶ける例って言ってるようなもので字面が同じだけで中身が違いすぎる

加えてコロンブスも業績が消える訳ではない。悪評も語られやすくなっただけで


>それを普遍的と呼ぶのはその時代の価値観じゃないのか?

だから時代を越えて『その時代の価値観』でなお通用する普遍性の証明が必要であり時間が必要と主張してきたのだが


>政府、その周辺組織、大企業やその連合体、大学組織、文化人、知識人など
つまり国という組織の運営構造に寄与するもの

様々な複合にせよ運営構造を成す人々も大衆に内包される為に、主体から個人や大衆を除外できない以上は「国民主権」の枠を出るものではなく
また、そうした「政府」と「国」とは別物だよ

勿論、社会主義や独裁国家に限れば国民主権とは言えないが、それはそれで個人が主体を担っている事にはなるのでそちらの主張に反する

加えて複合体であるなら一本化された主体性とは呼ぶには主体になる要素が複数にバラけている

抜粋になるけど
>本来「国」とは、国土の自然環境から風土、伝統文化や歴史、そして多くの先人の積み重ねの上に成り立ってきた我々の社会の総体を示す言葉

国や国家と法律と政府を混同して存在しない権威の怪物を創りあげて崇拝していないか?

>その時にスルーして今になって掘り返すのはどうなんよ

一旦、社会的視点がある前提で進めてくれというから一旦進んだ上でいや、やっぱりおかしいんじゃないか?って話だろ
完全に納得した訳ではないが「一旦」という前提がある中でひとまずは進めただけで

>我が国としては~と我が国の国民としては~まったく立ち位置が違う

そこまで区分するならそちらの言う「我が国としては」も正確には「我が政府としては」が正しく、「我が国家としては」を意味しない

>具体例としては国の判断が国民が望む判断とは異なること、国民の価値観=国の価値観なら岸田は任期を待たずに即クビ

だからアメリカでは大統領やK国では弾劾訴追決議が起きているんだが

日本の法律上、首相を弾劾する法令が無く罷免するにもかなり特殊な事例にならざるをえないから国民の意見が構造上反映されにくいのであって任期を待たずに罷免されていないからが理由とはなりえない。国や国民ではなく、政府の問題だからだ

というか国民の価値観=国の価値観になっていない時点で岸田総理個人の価値観が社会に意味を成してる証左ではないか
誰を大臣に任命するかなどで特に


>まず選抜は政治組織だけの話だ。日本の運営の根幹は官僚組織であり、これが政治が合わさった政府には行政、立法、司法の機能がある

つまりそちらは国と錯覚しているが実体は政府の話だろ。政治家が「我が政府は」とすべき所を「我が国は」と言ってるから生まれた誤解を受けて


>理念としては国民主権であっても実態の構造として国民が傘下にある

まず改めて説明せにゃならん事に複雑な気分ではあるが日本は法治国家であり
法治国家は、公務員も政治家もすべての人が法律に従わなければならない社会のことを言う
この時点でそちらの言う「実態の構造」は誤りで国民が従っているのは政府ではなく日本国憲法だ

政府の緊急事態での勧告等に従うのも強制力ではなく身を守る為のメリットからで

『社会を良くする為』の法律(ルール)を国会でを定め、国民はその法律(ルール)を守ることで安心して生活でき、環境を整えやすくなるメリットがあるので法律(ルール)に従いましょう
という話なんだよ

国民主権ではなく国民が傘下→法治国家の社会として機能していないので誤りでありそちらの主張は成り立たない
国民主権→根本的にそちらの主張が成り立たない

そちらが好きなロジックで言うなら上記の通り

ちなみに「理念としては国民主権であっても実態の構造として国民が傘下にある」これに類する主張や論文って貴方以外に存在するの?


>個人の要望ではパブコメで反対意見が例にないほど多いけどこの国では生成AI進んでくぞ

すまないがもう少し主語がある文章にしてくれないか?

>「生命の危機などから重要度が高いものが優先される」ってのが国の価値観による判断で、そこには国民から見ておかしな判断だってある

そりゃ政府が間違う事もあるだろ
ノーミスは現実的に無理だから、あるいは即効性のないプランもあるので本当に国民の意思に沿わないものかどうかすぐに断ずるべきでないものも

だから即クビにならず、本当に国の意見≠国民の意見なのかも日本は経過を確かめるべく基本的に任期制で、おかしな判断が続けば政権交代が起きるしあまりに酷い判断なら与党の判断で首相の交代も起きる


>いや、そちらが前に言っていたけど一例だけで反例になるん?

反例がある以上は証明が不十分だから「では何に保証されているんだ?」と重ねて聞いているんだが

>しかも一部には寄与できるとしても社として全ての判断が社長個人に由来するかは証明もないが

全てのケースが社長個人に由来するなんて極論ではないだろ
加えて由来しない証明も無い

>上の個人の集合と下の個人の集合では上下になる、これはいいな?

組織上は避けられない上下関係もある

>社会実在論も対になる社会名目論も視点の違いによる論であってどちらが正しいというものではないぞ。何が正しくないんだ?

正しく‘は’ない だぞ
故に社会実在論であるそちらの持論も全面的には正しくないという話だが


>例えば政府内であれば様々決定された様々な基準があって、これに沿うことが個人の価値観以上の縛りとなる

その基準は法律の事であって政府の下に民衆が在る訳ではないぞ


>任命責任の話だけだったからそこにだけ同意したのであって限定されることに同意した記憶はない

つまり任命以外の責任も関与も無い

>これと同じものが国にもあるという話

それが法律であって国(国家)を形成する国民として従う理由はあるがそちらの言う国(政府)の下に国民がある訳ではない

>これ何回目だ?万人じゃなくて社会視点で無意味としか言ってないぞ

社会視点であれ多々個人の価値観が作用する例をLBGT等で挙げてきたのになお無意味と言うからだろ

>民衆の価値観と国家の価値観が横並びでその上に国連の価値観とかが乗るかんじか?

国連はR国に無視されたり機能しない場合があるのに国連が上に必ずしも乗れるのか?は個人的には疑問だけど人によってはそういう構造も否定できないが

こちらが提示したものは一例に過ぎないがその例で言うなら
食い潰すにせよ保護するにせよ地球という資源があって、その上の区切られた一部地域が国家でその中で暮らすのが民衆

国家に不満がなく暮らすならその民衆はその国家を選んだ横並びだが、地球のもたらす気象や災害に関しては上から一方的に与えられるものだ
それに対して国家から支援を受けたり、ボランティアや募金等で直接的にしろ納税等で間接的にしろ同じ国家の人間を支援したり協力したりなど民衆がいるから実行可能であり、取り決めの制度を作ったり取り仕切っているのがそうしたものを国家の中で担当しているのが政府
災害でなくとも緑化や綺麗な状態に保つなど環境保護方面の取り組みで。地球という言葉では想像がつかないなら国家の枠を越えて人類でもいい

>こちらは論旨が通っていればそれで否定されなければ成立する、否定されても修正すればいいという立場だな

修正させられる立場としてはリソースの手間をかけさせられて文句の1つも出ようよ

>そうした措置は当然ありそれで不正を排除できていることを前提に世の中は回っているだろう
>そのように社会が機能しているってこと

できている前提で後は放置なら改めて見つかってメダル剥奪や不正発覚はなかろうよ
防止と実際に不正が無かったかのチェックの両方が必要


>社会視点ではその方が価値があるとされているというだけよ

それを個人の持論として持つのは勝手だが他人に無価値だと断じるのは余計なお世話ではないか?

>大きな組織や国が重要視しないというのが実態

同じように大きな組織や国が重要視している事に無関心な人間がいるのも実態ではないのか?

>人によって良さが違うのであればそれぞれが基準に基づいて楽しめなかったということもよいだろうし他人の基準に文句をつけてもいい

身勝手に文句をつけられた側はたまったものではない

>アームズ・レングスの原則においても「一定の距離」であって関与していないことが望まれるわけでもない

間接的な関与とも書かれているのに切り取っての偏向はやめないか?

>そりゃそうだろ、そちらの指摘の誤りを答えただけなんだから

指摘の誤りではないだろ
そもそもこっちはそんな事を言ってんじゃないって話なんだから

>それは文章での意思疎通の問題でのズレだろ。双方ともに意図が理解できてないことは多いぞ

そちらは主語が無くて後出しが度々あって、こちらに対しては「後で修正すればいいや」で不適当に勝手にそちらの想定する意図を持ち出されるのを双方共に扱いはちょっとこう、マジかよってなってる

>その実績の功労者として選ばれて表に出るときに会社構造は明確の上下があるが

それ実績の功労者なんだから役職が上の人間が選ばれるとは限らんのでは?

>選出の地位の基準があるわけではなくグラデーション的に選ばれる幅があるという話だ

いや単に実績があるかないかでグラデーションだのなんだの関係ないのでは?

>「視点の位置はこれか?」に対して曖昧に戻されたから聞いているのだが

それこっちに対しての問いかけのつもりだった事にそもそも驚きだよ
視点の位置はこれか?と自身の出した論にこういう事かな?って言い出したと思ったから「いやそれは自分で結論出すしかなくないか?」って返したんだが


>エンタメにおける作家のファン数の話だけ比べるんだぞ

であれば特定個人の作家中心ではなく、監督や脚本などが入り交じったディスティニーは尚の事「作家のファン数」比べに不適ではないか

>ロボジャンルと比べるとおかしいって言うなら同じエロゲ内でもデモンベインとかマブラヴと比べてもおかしくなる

百歩譲ってデモンベインやマブラヴとガンダムなら同じロボ系で比較したんだな、でまだ解るだろ
逆にFateとデモンベインやマブラヴなら前者はオカルト的なバトルものとしても比較できるし、後者もエロゲ発の一般化したノベルゲーとして共通項がある

ガンダムとFateで年代は一緒とかそれならじゃあなんで同年代からわざわざガンダムだけ選んだんだよって話だが

>もともとエロゲ以外と比べようとしてる先でそのジャンルを問われる理由はよくわからん

そんなん一見するとファン数で圧倒できそうなガンダムを恣意的に選択にしたようにしか見えないからだろ
比べるなら比較の基準が何かしら必要だからなんでも良いわけではないし、逆に何でもいいなら数が必要だろ

>ぱっと出たのがそれくらいだったから

だからって一作だけをジャンル問わずに選ぶなら極論、「2005にその年発行のワンピースより売れたのか?」すら言えるんだが
そういう類いの恣意的な選択に見える

>未成年も買ってた時代ではあった

極論な上に、R18は買わずに全年齢商品を買ってた真面目な未成年ファンがいない事にはならんやろ

というかその未成年は全体に影響する程いるの?
そんなにはいないと思うが、居たとそちらが言うならそれはそれで大人気だった事になるが

>超人気作家という基準で見たら挙げたタイトルはそこそこのヒット程度じゃないか?

結論ありきの極論じゃないか?
その上でホロウはノベルゲーという媒体で20万本というのも売れたと言われる要因だが

>言いたいのは正直これだけだぞ

それに何の意味があった。単になんでもいいからこっちの反対で売れてなかったと言いたかっただけで無意味じゃないか?

>ていうかこうやって並べるとアニメは他のメディアと比べて売上枚数に対しての知名度がかなり違うな

他メディアと比べてアニメの知名度が高いのは否定しない上でディスティニーはガンダム且つ前作がヒットしていたので他アニメと比べても知名度的に有利なのはある
今年20年近く経って新作映画が出たり根強い人気が「ガンダムだから」に限らず「SEEDだから」あるのは確か


>だから2005年頃の人気としてその当時の売上を想定して引っ張っただけだって。今に比べると影響力小さいってこと示すことだけが目的だぜ?

それがそもそも意味解らんわ
衰退したジャンルなら当時と現在で当時>現在は成り立ちえるし、衰退したと言えないなら現在>当時なのもそりゃそうだろって話で

Fateは後者だからそんなん例え必要だったか?
その例えを出してそれで、そこから、何が言いたいんだよって話

例えば
「昔より現在の方が影響力がある」「で?」

「昔より現在の方が影響力があるから昔は人気なかった」「それだけではそうはならんやろ」

って話なんだが
単にこちらの意見へなんでもいいから否定したかったようにしか思えん

>俺はZeroアニメ以降からの継続的な展開自体がアニプレ(ソニー)主導のプロジェクトの成果と考えているが

前も疑問に思ったが本当に型月履修してる?
EXTRAに関してはワダアルコ氏のイラストも貢献した点が外せないしZEROを始めとしてアポやFake、蒼銀、ラビリンスにレクイエム、アスラウグ。スピンオフ的な立ち位置としてプリヤに事件簿は別作家が外部や周囲にきのこ以外の成果がないとは言わんにせよ、きのこ主体ならエクストラやプロト。きのこが書いた以外ではアポクリファやフェイクやプリズマイリヤ、二世の事件簿はどう考えてもアニメ主導ではなく他媒体として売れてからアニメになったんだから「継続的にアニメ作って他媒体も展開しながら」では過言ではないか?

FateのアニメにしてもセイバールートをメインにしたDEEN版は評判は芳しくなく2006年放映でZEROを除けば、同じくDEEN製作のアンリミの映画(2010)まで4年、2014年のUFO版のアンリミまでに4年間あるんだから継続的に他のシリーズも出しながら合間でアニメも作ったでも通るぐらいにはアニメ以外の媒体も発売してたんだから明確にアニメのおかげと言えんやろ
継続的に出したと言えるHFの頃にはFGOのヒットもあってアニメのおかげでシリーズが人気と言えるか?

2011年のZEROのアニメとアンリミですら3年のブランクがあって、ZEROのアニメ化も原作完結の2007年から約4年の空きがあって継続的に出ているも嘘ではないが合間合間が空くのを考えるとアニメが主体で展開されてる、アニメで人気を維持してるみたいな意味合いで継続的であるかのように言うのは詐欺のやり口だろ

そもそもZEROのお陰の復調とそちらは言ったが第一作目もホロウ発売(2005.10月末)から約1年の2006.12月末でそこまで廃れていた訳でもなく、アニメのZERO(2011.10月)にしてもEXTRA(2010.7月)発売でZEROの合間に作品が無くて廃れきっていた事はなくないか?

ZERO以降が成果と言うが、であればZEROアニメ化以前の5年間を支えた作品達(アンリミコード、タイコロ、EXTRA、プリズマイリヤ、家庭版ステナイト)も評価されるべきでは?

アニメとそれ以外で言うなら
アニメZERO(11)―AP(12~14)―CCC(13)―蒼銀(13~16)―アニメUBW(14)―二世の事件簿(14~19)―Fake(15~)―LA(15)―エクステラ(16)―アニメHF(17,19,20)―APアニ(17)―テラリン(18)―LE(18.20)―アニメ2世(19)―アスラウグ(22)

プリズマイリヤ(7~)
アニメプリヤ(13~16)
映画プリヤ(20)

これに各種作品の漫画やぐだぐだ帝都等を加えるとアニメに支えられたとも言い切れないんじゃないか?

>ブランド価値を高めてFGOで利益を得るビジネスが本体

最初期のFate/Grand Order ver1.0とでも言うべき環境の劣悪さはコラも作られるレベルで最初の数ヶ月はクソゲーとまで言われたり寧ろ信用という貯金切り崩して型月というブランド価値を落としていたやろがい!
それをシナリオで何とか繋ぎ止めてゲーム性を改善してようやくプラスになったかと思えばこないだもアドベント関係で炎上したしゲーム性では色々ありすぎて寧ろきのこに頼ってる側やろFGO

>最初にニッチと言ったときに「人気マンガの読者数と比べれば比べ物にならなかった」とそもそもの基軸がここなんだが

人気マンガであってトップレベルとも超人気とも言ってないしワンピースとかDBとかっていう主語もなく「そもそもの基軸がここ」は後出しもいい所だしワンピースやDB以下はニッチな作品扱いは極論も良い所で様々な作品に失礼で最低最悪に過ぎるゴールずらしだろ

創作への敬意が一切合切、全く無い権威主義は吐き気を催す程に悪い

なんでこっちの意見を否定する為だけに世の数多の創作作品をそこまで貶められるんだ?

>これをゴールずらしと言われても

上記の件もあるが

>「空気感では大衆評価の基準不在」って話にはずっとまほよしか絡んで話してないぞ

ああいいよもうそういう事で
ならなんでらっきょだの何だの言い出したんだってのはあるけど

>俺は当時は2chで感想見たけど反応はよくなかったぞ
今見てきたらまとめは生きてて「『魔法使いの夜』は何故型月ファンの間で酷評されるのか?」とかもあった

どう反応が良くなかったかに関して記憶抜け落ちて自分に都合が良い印象だけで語ってないか?

抜き出すが

145:パッケージ全体で見たら佳作
映画で例えれば、シリーズ好きからすればようやく続編出たからクランクインと同時に見たけど最新VFXすげェ以外の感想がない。明らかな説明不足とか唐突な展開、連作と正式に発表してる訳でもないのにそれを匂わせて消化不良のままフェードアウト

奈須の年齢考えてそんなに後がないような気もする。

207:俺も演出とか背景、音楽にはいたく感激したが
こんなもんならそこらへん削って今までの文章量で出して欲しかったわ

853:というか4年かけてこれだけのボリュームしか無いっていうのがなぁ
きのこがちゃんとしとけば今頃2部目が発売されててもおかしくなかったはず

552:面白いからこそ物足りないって感じ

458:たたかれてる要因の半分以上は尺だろ。チュウ二楽しむには短すぎるんだよ


主に「開発期間(待たされたのがネック)」「分量(もっと読みたい)」「事前情報から解る事が多くネタが割れてる推理小説読んでる状態」「発展型の月姫やFateを先に読んだので薄味に感じる」などの批判であって酷評というタイトルだけで当時も否一色みたいに騙ってないか?


>それを補強するためにキネ旬やアカデミー賞でも同様のエリート主義的評価が採用されているということを示した形だ

エリート主義的評価だから普遍性を持つとはならんやろ
因果関係が無い

>アカデミー賞はそれで引っ張った記事が大衆との乖離の話題だった

大衆との乖離ならばそちらが言う「広く普及した」という意味合いにすら反するが

>使ってないって根拠は何なんだよ
「パーフェクトデイズが現代社会に欠けた普遍的な価値を示した傑作」、欠けた人もいるという時点ですべての人に当てはまらない

「‘現代社会に’欠けた」であって「過去には欠けていなかった普遍的な価値を改めて現代に示し直したパーフェクトデイズ」って事では?

>え、広く行き渡るさまという意味はないのか?

『普遍』自体にはあるが上記のように芸術方面での普遍性で使うには誤用って話なんだからそんな意味は無いって文脈にはならんやろがい
そういう意味なら普及など言葉が使われるから


>承認を与えていると言えるだろ

言えんわ。内容不関与やアームズ・レングスの原則にあるように作品そのものの承認という直接的な関わりは避けれてるのに

>名義って資金提供以外にもその活動への賛同などの意義があるぞ

映画を普及させたいという理念や芸術活動への賛同であって結果への賛同とは分ける部分やぞ
映画祭という映画、ひいては文化芸術の発展に寄与するのと映画祭の出した結論に寄与するのとでは意味が違う

>予算が付けられて議会の承認を得ている

芸術の発展の為に使っていいですよという承認やぞ

>政府が審査員に入らなければ承認していないと言うのか?

なんで前に国宝や重要文化財は別って言ったかと言うと国宝保存法、文化財保護法などで基準や国家で承認する正式なプロセスがあるからやで
審査員以前に法律で国家の承認が定められてないからやん

権利者が他国籍や複数人の可能性もあって、利権やイデオロギーを生む可能性がある映画作品の芸術性を国家が生みかねないから内容不関与やアームズ・レングスの原則で直接の関与を避けるよう言われてんねん


>まずその話は作品内容の批判ではなく、授賞式におけるスピーチとアクションへの批判に留まっていないか?

スピーチによる作品の意図への批判はあっても国家は受賞を取り消したりできないように、映画祭の活動を承認しているのと映画祭が評価した芸術性を国家が承認してるかは別問題って話やぞ

>映画祭側は国に配慮するだろ

何をどんな風に?
ベルリン映画祭を見るに良くも悪くも無さそうだが

>つまり基準自体に国が影響を与えることがあるというのも一定の距離の範疇と言える

基準に影響を与えるのが良くないから距離取れと言われているんだが


>そもそも文化芸術基本法改正の話では助成の責任のみが焦点

つまりそこに責任の有無がある、限定されるとそちらも認めているではないか

>それを国家が芸術性を承認するものではないと認めた論拠とするのはロジックが成り立たないだろう

任命責任しかないとそちらが言い出したんだが?


>面倒、2作で十分だろ

無数にある総数に対して2作しかない例外や外れ値なのか、幾つもある中の2作では話が違ってくるやん

>世界上位の映画祭のコンペティション部門へのノミネートはほぼワールドプレミアが条件とされるので

具体的な映画祭の名称は?


>ノミネート時点では興行収入がない

そういうレギュレーションって話なだけでこちらの聞いた主旨にはあってなくないか?


>絶対評価もそうであるように言ったのはどこよ?
「国宝や文化財の選出で優を決めこそすれ劣を決めないケースもある」に限定してそれを基準とした絶対評価であるかのように言うてるし、そもそもあくまで相対評価という言説を採用しても優の選出であって劣と言い切れないとこちらは言っているが?

>社会的視点に立った時に、売上という基準、賞の基準、田中さんの基準が並び立つのか?

並び立つ
売り上げという経済的基準。賞という権威的基準。個人に届いたか、刺さったか否かという創作/製品的基準。というかその総体が経済的基準では?


>直接的関与でなければ承認していないとするのであれば、全ての芸術に対して政府は一切の承認を行っていない?

例外的にミライトワとソメイティのデザインみたいにオリンピックなどの国家事業による製作や選定などであれば直接関与しないとも言い切れないが、ミライトワとソメイティはIOCへ権利譲渡されるなど扱いは特殊だ

とはいえ政権交代で権利者が変わりうる政府が芸術性を承認するのはほぼないんじゃないか?

あとは国宝や文化財の認定は国が関わるがこれは学術的な側面も大きい

なんにせよイデオロギーや利権の発生の問題から普段は距離を置いている


>そもそも映画祭への資金提供

芸術普及の一環やん

>それとフランスではCNCが映画売上の一部を徴収して育成費に転用できるように法整備されていて

文化の保護や振興に対するもので作品毎の保証が目的ではないやん

>日本であればコ・フェスタとして各分野を相互連携させて発信力強化する政策とか

抜粋になるが
>これによって日本のエンタテインメントコンテンツを国内外に幅広く紹介する、としている。

あくまで紹介であって評価は受け手に委ねてるやん


>ちなみに俺が主張しているのは国による承認までだ

目的に対する予算申請の承認と結果に対する承認は別問題では?

>中身の方針についてどの程度関与しているかは怪しい

そちらの主張を採用するなら中身に関与してないのに結果は承認して保証しているという無責任な話になるが?

>金を出している=責任が伴うので監査的なことは確実に求められるはずだ

予算を組んだ目的通りに使わされたかの監査があるのと、予算が予定通り使われた上で出資先の運営による行いに責任があるかと、予算が予定通り使われた上で出資先の出した声明を承認しているかは別の話だ

企業が何かやらかした時に株主にも責任があると言ってるようなものだぞ


>政府とイコールではなくとも政府の承認を得た組織だろう?

だから政府が芸術性を承認しているという結論は飛躍だ
「文化芸術に対する‘助成’を基軸に、政府・行政組織と一定の距離を保ちながら、文化政策の執行を担う専門機関」

アーツカウンシルは繰り返すが文化芸術に対する助成を基軸としている組織であって芸術性を批評したり保証する組織でなく、仮にその承認に責任があったとしてそれは文化芸術に対する助成が適切に行われているか否かに対してだ


>どの定義に沿って意義が全うできていない?

普遍性の付与を意義としているなら真っ当できていない

文化芸術の普及や作品の紹介、業界を盛り上げる事などが本来の意義じゃないのか?


>作品評価についてのユーザーの声を集めて分析したデータに限った話をしてるんだぞ

そういう条件で調査会社に依頼すればいいだけの話だろ
マーケティングリサーチャーによる市場調査を企業から受ける会社は存在している

>あとここから後ろがまるっと欠けていたが追記の予定はあるか?

アンカーミスで関係ないレスについてしまったが
>>263
なんだが見当たらないか?
アンカーですら見つけられないなら改めて書くが
0
266. 名無しのあにまんch 2024年08月16日 16:19:11 ID:g0MDY4MzI
>>265
ちょい時間ないので追加分だけ回答する
この次は前半含めてまとめる予定

>そこがあやふやで何で当時の事情を断言したの?
普段からまとめてノーザン扱いしてるから間違えたわ

>ハードルが違う事自体が馬産社会の価値観に反する個人の価値観が強く作用した事実に他ならない
他が見向きもせずと言うのは違うんじゃないか?サンデーのことはさすがに日高の馬産も全員存在ぐらいは知ってたと思うが、金の問題で社台以外は買付を考えるのが難しいのでは?
他が見向きもしないことをエビデンスとするのであれば海外から馬買ってくるときに日本から複数買付が争っていることが前提になるはずだ

>リスク回避の為説は最近だとコントみたいに初年度からバンバン申し込まれてる奴がいるって反例あるやん
ディープ独占一強の時代を経てからの後継争いで大本命の無敗の三冠馬じゃん
ディープ後継候補の実績馬への期待の高さはキズナも即満口だったことからもわかる
そもそも時代も違うので何とも言えん

>その例えと違って馬産は産駒や孫が自社種牡馬(ハード)に成り得る
そうしたリターンを失う可能性もあるからこそより慎重になるのでは?

>「社会的な正しい評価を持て」と勝手に押しつけて侵害していいとはならん
ここではそちらの思想に立った中で平準化が成り立つのか偏りが生じるのかを話しているのでその返答は一足飛びだ

>多数意見相手だろうと価値の高い低いは個人による
これは個人の中の話だな

>そもそも平準って平均的な意味合いで使ってるの?
平準は平らになるという意味で使ってる
全ての人がそれぞれの意見を持つとして、それは個人それぞれにとっては等しく自分の意見や周りの意見こそ価値が高くて他の人は低いという形になったときには全体(万人)を見たら価値は平らになる

>そもそも根本的に数の偏りだって極めて限定的であるか大雑把であるか普遍性が作品側にあるかでないと生まれにくいんじゃないか?
近づけば凹凸しているのは確かだと思うが、数の偏りで見るなら全体を見ても凹凸するんじゃないか?
この場合には重なった部分(例えば鬼滅全体であれば心理描写が良いとか)に集中してくることになると思うが

>社会ってそういうものだし一番上の理屈通りだから個人とその価値観に価値があるとこちらは主張している
その理屈だと一切のものごとに価値の差はつかないのではなかろうか?

>他人を意図して不快にしていいという保証は表現の自由に含まれていない
そう言っていない、表現の自由に含まれるのは発言や記述をすることだ
とはいえその次に「12条は表現の自由にも適用される」と言っているので意図は多分伝わっていると理解したが
あと微妙な違いだが俺は議論を目的とする中で副次的に相手を不快にしたのであって意図して不快にするだけの言動とは差があるぞ

>第十二条
「自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」「濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」が引っかかるとの主張だな
まず不断の努力については解説を見てきたが、国民が自分たちが持つ権利と自由を手放さないように努力せよという意味らしい
つまりこの場合には表現の自由を保持するように努力をすることを指している
次に濫用を含めた公共の福祉の解釈では一元的内在制約説が通説とされていて、現在は「二重の基準」によって精神的自由(ここに表現の自由が入る)は内在制約のみが課され、経済的自由は公共の福祉にて国家的利益や社会的利益を含めて解釈する傾向があるとのこと
なお公共の福祉による人権制約は法令によってのみ行われ、法令以外によっての公共の福祉による人権制約は許されないらしい
つまり表現の自由は公共の福祉では制限されないとなる(そちらの挙げた例との矛盾は下を参照)
ちなみにこの過程で第十二条は法的にはあまり重要ではなく心構え的なものという記述も見つけた

次に「人権の行使は他人の人間としての尊厳を傷つけるものであってはならないこと」という部分だが、尊厳とは曖昧な言葉らしいが人権の中に位置付けられている(人権は「人間の尊厳」に基づく人間固有の権利)
結局は表現の自由を妨げられるものは他者の人権のみとなるわけで内在制約が課されるということと同義

なので「他人を意図して不快にする言動は第二の要項に該当」するかは何の人権がどのように侵害されたのかを示す必要がある

>他人を不快にする言動は上記の12条に反する為に「表現の自由」を逸脱するので刑法に訴える事が可能
>他者の権利の侵害が本質だから感情の侵害を理由とした刑法の適用前例が無い事は何も保証しない
「他人を不快にする言動は他者の人権の侵害」というのが根っこの主張でいいか?であれば上の通りなので何の人権かを示してくれ
またハラスメントは法的な制限になる範囲とならない範囲が分かれているらしいので「他人を不快にする言動」だけでどのように制限されるか、軽犯罪法に引っかかるのであれば明確にどの条項に引っかかるかもだ

>「意図して他者を不快にすること」については
軽犯罪法は寿司ペロの話だよな?これは不快以外の要素で偽計業務妨害とか器物損壊として法に引っかかる話
性的発言による名誉毀損や侮辱罪は発言のみによるものなのでこの場合と近いが、他の例は「事と次第」であって意図して他者を不快にすることだけの部分ではない

>自分が言っている事が「セクハラだろうとパワハラだろうと誹謗中傷だろうと脅迫だろうと他人を不快にする権利で許された表現の自由の範囲内」であるとしている自覚はある?
違うね、法で規定された範囲に触れなければ表現の自由の範囲内であると考えている
例にしていることは法に触れてるもんだからそりゃアウトだ
更に言えば「相手の不快にされたくないという主権の侵害」という言葉が使われたので流石に主権は言い過ぎだろという反論からはじめている
これを撤回するならそれでいい

>ロ出による嫌悪(不快)を相手に覚えさせる事で軽犯罪法に引っ掛かるので他者を不快させることでの法的制限の事例もあるぞ
これ調べると思った以上に複雑なんだが、もともと社会の風俗を取り締まることが目的で嫌悪が主眼ではないな

>「憲法21条1項も,表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく,公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものである」とも判示した前例(最高裁判所第二小法廷・平成20年4月11日判決)があるのどのような表現行為でも常に許されるというものではなく
元の文章から確認してきたがこれは面白い
上に書いた通り、公共の福祉では精神的自由権を制限できないというのが通説的な判断で衆議院憲法調査会の資料にも載っていたんだが、そちらが出した法務省のテキストと判決では制限を行っているので政府内ですら矛盾が生じている
なので大阪の判決の主文を見てきたところ、日本が結んでいる条約や市民の人権保護を含んで公共の福祉としているので例外的な使い方をしているみたいであった
ただこのように条約や他の人権に引っかかる際には公共の福祉として制限される事例はあるというのは認識した
一方で「最高裁判所第二小法廷・平成20年4月11日判決」の方はちょっと怪しい
公務員宿舎にテント村から立ち入って政治ビラを投函したって話を管理権者の許可なく侵入したとして管理者と居住者の権利の侵害=公共の福祉に反するとしているので身内びいきな感じがする
いずれにせよ他の人権を侵害するということなしに公共の福祉による制限が使われることはなさそうだと判断した

>第十一条
表現の自由もここで尊重されるので他の権利と衝突してどちらが尊重されるかが決められる
なのでこれを引き合いに出すにもまずは何の権利がどのように侵害されたかを示す必要がある

>幸福追求権の中に不快の排除という一文が示されていなくとも「個別に規定された権利でないものであっても、憲法上の保障の対象になり得ると考えられている」ので適用される
調べてきたけど名誉権だけのことじゃん
侵害された権利は名誉権ということか?

>働きたい男と同僚
まず公共の福祉関連は上で答えたので置いとく
次に健康に影響が出たのであれば不快とは別の話だ
適正と言えない業務状態になった、セクハラ・パワハラとかというのも前提条件と異なるので考慮の必要がない
思考実験で別の要因足してその要因に問題があるとするのはおかしいだろ

>繰り返すが故意の侵害による不快と、過失や相手に落ち度のない言動で覚える不快感は全く扱いが違う
これは法的にはどこに書かれてるんだ?

>強いてなる形で言えば
論理に落とし込むと「第13条の幸福追求権ならば第11条によって妨げられない」で対偶は「第11条によって妨げられるなら第13条の幸福追求権ではない」になるな
けど今更だがこれって成り立つか?
第11条は「人権は生まれつき身について永久にある」のであって、第13条は「立法・国政は人権は最大に尊重しろ」なのでこの二つは論理で結べなくないか

>古物商持ってても悪用してたら警察に駆け込んだ件は解決しても悪用した件で逮捕され得る
それは悪用してたらだろ?どの程度で捕まるのか知らんが
それでも「助けてもらえる」けど「駆け込んだ方が損する」までだ
相互扶助が受けられないという主張が疑問だった

>情報開示請求をされているかされていないかで、され得る言動を自分がしている自覚をしてくれ
まず寿司ペロは業務妨害で犯罪だろ?
情報開示請求は民事上の請求権なので誰でもできる
そのうえで誹謗中傷とかであればプロバイダが応じるたり犯罪になるがそうでなければ道徳の範疇だ

>なのに何でボールを持っているかのようにこちらが認めたと言い出したのか
俺に対して「認めたという事なのだろうか?」と聞かれたが、どちらの件も答えてないのは俺じゃないってことよ
0
267. 名無しのあにまんch 2024年08月17日 09:10:15 ID:E1OTE2OA=
>>266
>普段からまとめてノーザン扱いしてるから間違えたわ

流石にちょっと無理くない?、ここ数年の活躍ならノーザンの方が多いにせよ社台から暖簾分けしたのがノーザンだし、何やかんや繁殖は社台スタリオン大正義なのに

>金の問題で社台以外は買付を考えるのが難しいのでは?

それは社台が買って日本に来た事で解決した筈なのになんで着けなかったの?

そもそも元の馬主が日本に向けて「この額で売ります」ってセールした訳じゃないから高額故に買えなかったのではなく
高額出してまで売ってほしいと持ちかけたのが当時の吉田氏だけだったという話

>複数買付が争っていることが前提になるはずだ

逆では?争いにならなかったのが他は見向きもしていなかった証明
もしかしてなんだがSSは積極的に売りに出されたと勘違いしてない?

>ディープ独占一強の時代を経てからの後継争いで大本命の無敗の三冠馬じゃん

つまりそちらの言うように本当に期待されてたなら関係無く素質ある母親を用意されたって話

>そうしたリターンを失う可能性もあるからこそより慎重になるのでは?

それならコントだって結果見てからつけてる筈では?
今まさにヤベー事になってる奴がいるように期待されてるなら自重するよりやったけどダメだったケースになる

>ここではそちらの思想に立った中で平準化が成り立つのか偏りが生じるのかを話しているのでその返答は一足飛びだ

そもそも何をもって平準化と言っているんだ?
作品に対する関心度すらバラつきがあるのに

>平準は平らになるという意味で使ってる

そういう後出しゴールポスト移動用に小泉構文使うのいい加減やめない?
後から「平らになるという事はこういう意味」で言い直せるようにあやふやにするの

>全ての人がそれぞれの意見を持つとして、それは個人それぞれにとっては等しく自分の意見や周りの意見こそ価値が高くて他の人は低いという形になったときには全体(万人)を見たら価値は平らになる

そちらの提唱したその価値観に準じた価値観の持ち主という保証がないのでは?
「等しく自分の意見や周りの意見こそ価値が高くて他の人は低いという形」の見方をすると決まってるものではない


>近づけば凹凸しているのは確かだと思うが、数の偏りで見るなら全体を見ても凹凸するんじゃないか?
この場合には重なった部分(例えば鬼滅全体であれば心理描写が良いとか)に集中してくることになると思うが

例えば「心理描写が良い」だと直線的に見える。同じ意見が横に連なって一直線に並ぶ
誰の、どんなシーンの、と細分化すると個別に好きな部分の差異で凹凸する


>その理屈だと一切のものごとに価値の差はつかないのではなかろうか?

だからあらゆる個人の価値観を良いものとこちらは言ってきたと思うが?
その上で他人に対しその人にすれば価値があるのだろうという理解と自分にとっても同じぐらい価値があるかの共感は別で
外貨と国貨の異なる通貨で高い安いが生じるように国(内心)が違えば扱いの差は生まれる

無論、相容れないものや理解はできても共感はできないもの、互いに争わざるをえないものもあるが等しく良貨ではある
0
268. 名無しのあにまんch 2024年08月17日 09:13:12 ID:E1OTE2OA=
>>267
>そう言っていない、表現の自由に含まれるのは発言や記述をすることだ

そもそも他人を不快にする‘発言’ではなく“行為”なのに何で表現の自由で保証されるんだ?
そちらが例に「出した働きたい男が他人を不快にしてまで働きたいから働いた」は表現の範疇なのか?


>あと微妙な違いだが俺は議論を目的とする中で副次的に相手を不快にしたのであって意図して不快にするだけの言動とは差があるぞ

であればそもそもそれは「してもいい」権利ではないし、「してもいい」と表現すべきではないという話
「してしまった」過失が許されないとはこちらも言っていない

ただし「してもいい権利があるから何を言っても許される。だから相手を尊重しない、気にしない。してしまおう」という故意に基づくなら濫用なので話は別だ


>まず不断の努力については解説を見てきたが、国民が自分たちが持つ権利と自由を手放さないように努力せよという意味らしい。つまりこの場合には表現の自由を保持するように努力をすることを指している

例え結果的にだろうと他人を不快にしていいという故意による権利の主張であればその事で「濫用による権利と自由を手放す行為」なので該当する


>なお公共の福祉による人権制約は法令によってのみ行われ、法令以外によっての公共の福祉による人権制約は許されないらしい。つまり表現の自由は公共の福祉では制限されないとなる

全く制限されないみたいに騙るのはよしなよ
それは健常な表現の自由に納まる発言の話であって公共の福祉に反する形で他人を不快にする事で法令に引っ掛かり得る事は多数の例で示して来たが?

加えて法令は日本国憲法を含む場合があり、この場合は12条を含む

>ちなみにこの過程で第十二条は法的にはあまり重要ではなく心構え的なものという記述も見つけた

一応聞くけど記述元は?
上記のように法令は日本国憲法を含む場合がある


>次に「人権の行使は他人の人間としての尊厳を傷つけるものであってはならないこと」という部分だが、尊厳とは曖昧な言葉らしいが人権の中に位置付けられている(人権は「人間の尊厳」に基づく人間固有の権利)。結局は表現の自由を妨げられるものは他者の人権のみとなるわけで内在制約が課されるということと同義

内在的制約を何だと思っているんだ?
抜粋になるが

>人権とわがままの違い
>義務を果たさない人に人権だけを認めれば、わがままや身勝手を認めることになるのではないか。こんな疑問が出てくるかもしれません。でも大丈夫。人権にも一定の制約は伴います。それは、「他の人の人権を侵してはならない」という制約です。このような制約を人権の「内在的制約」といいます。人権はすべての人に認められるべき基本的な権利ですから、誰であっても他人の人権を侵すことは許されません。例えば、いくら表現の自由があるからといって、他人の名誉やプライバシーといった人格権(憲法13条)を侵すことはできないのです。このように、人権は決して独りよがりなわがままを認めるものではありません。

>表現の自由は、内心の自由とは異なり本質的に社会性を帯びていることから、例えば、公然わいせつ、わいせつ物頒布等の禁止(刑法第174条、第175条)、他人の名誉の毀損、侮辱、信用の毀損の禁止(刑法第230条、第231条、第233条)、騒乱の禁止(刑法第106条)等「公共の福祉」を理由として一定の制限が課されているが、これらの制限は、いずれもこの条約第13条2の規定に合致する必要最小限のものである。

>「『公共の福祉』は, 人権の内在的制約,つまり・・・①他人の生命・健康を害する行為の排除, ②他人の人間としての尊厳を傷つける行為の排除,そして③人権と人権とが 衝突する場合の相互調整,を意味することになる。」

自由を履き違えた好き勝手や我儘の抑止と、他人の人権侵害をよしとしない他人への誹謗中傷等をはじめとした他人の人間としての尊厳を傷つける行為の排除
つまり他人を不快にして尊厳を傷つけるような行為はするなという話だろ

抜粋になるが
>「権利濫用」とは、権利の行使ではあるものの、社会常識や道徳に基づいて判断すると無効にするのが妥当な行為のことをいいます。

他人を不快にしていいなんて主張は社会常識や道徳に基づいて判断すれば無効にするのが妥当な行為以外の何物でもない
道徳的に他人を不快にしていいと習うだろか?社会的に許されているか?


>なので「他人を意図して不快にする言動は第二の要項に該当」するかは何の人権がどのように侵害されたのかを示す必要がある

それこそ思想の自由、言論を通じて自己の人格を展開するという個人的価値を示す自己実現への侵害という意味で表現の自由や、総体的な人格権への侵害だろう

その上で人格権の法的性質としての絶対権として抜粋すると

>妨害排除・予防。
人格権は,物権と同様,排他性を有する絶対権であり,天下万人に対して主張できる権利である。
その侵害に対して,妨害予防または排除(差止)の請求が可能である。

加えて人格権に関しては
>民法の占有訴権の解釈論において物権的請求権が認められ、その効果として差止請求権が解釈上認められているが、これに類似したものとして「人格権に基づく差止請求権」と称するものが認められてある。人格権に基づく差止請求は、不法行為に基づく差止請求権よりも、人格権の侵害という見地において不法性が大きく、それを放置することが社会正義に照らして許容されないレベルの場合にしか認められない。侵害者の故意又は過失について立証できないことを理由として放置することが、社会正義に照らして許容できないレベルのものに対して認められるものであるため、通常の不法行為に基づく差止請求権と異なり、侵害者の故意又は過失について立証責任を要しない。人格権に基づく差止請求は、基本的な根拠規定は不法行為に基づく差止請求であるが、人格権の侵害という見地において特別重大な不法行為においては、権利の濫用や信義則の法理によって、通常の不法行為に基づく差止請求とは異なる扱いとなるのである。

>現在では,憲法13条を根拠として,実体法上の権利とし認められているといえます。

>判例は,新たな人格権を承認する場合には,つねに憲法13条を引き合いに出しているといえる。
民法上の名誉権についても憲法13条に基礎をおいている。


これらを前提に幸福追求権(13条)を理由に「不快にされたくない」を侵害(不快)への妨害排除・予防(されたくない)としてこちらは主張している
侵害者の故意又は過失について立証責任を要しないので故意ではないからしてもいいともならない


>「他人を不快にする言動は他者の人権の侵害」というのが根っこの主張でいいか?であれば上の通りなので何の人権かを示してくれ

正確には「故意的に他人を不快にする言動は他者の人権の侵害」であり上記の通りだ


>「他人を不快にする言動」だけでどのように制限されるか、軽犯罪法に引っかかるのであれば明確にどの条項に引っかかるかもだ

程度が酷ければ何であれ引っ掛かるんだから一々あげるまでもなく、全て可能性としてありえる話では?

軽犯罪法以上のものもだ
軽い気持ちでやった事が取り返しがつかない事になってしまう可能性もあってその場合は故意でなくとも重い刑事罰が課せられる

その中で特に限定するならネット上ならば特に多いのは誹謗中傷による名誉毀損罪や侮辱罪、脅迫、信用毀損罪。偽計業務妨害罪

セクハラであればだし、強制性交等罪や強制猥褻罪。 身体接触等がなくとも言動によっては名誉毀損罪、侮辱罪その他、迷惑防止条例や軽犯罪に問える場合もある
パワハラであれば脅迫や強要、酷ければ信用毀損罪。偽計業務妨害罪、威力業務妨害罪やパワハラ防止法

自分の言動が許される範囲で納まっている保証がどこにある?


>他の例は「事と次第」であって意図して他者を不快にすることだけの部分ではない

繰り返すが相手が感じるのは不快程度となぜ断言できる?


>違うね、法で規定された範囲に触れなければ表現の自由の範囲内であると考えている
>例にしていることは法に触れてるもんだからそりゃアウトだ


故意に他者を害そうというのなら濫用により表現の自由の範疇には無い
加えて法で規定された範囲に触れない保証が無い
アウトになりうる可能性があるのを理解しながら実行に移すなら故意とみなされる


>更に言えば「相手の不快にされたくないという主権の侵害」という言葉が使われたので流石に主権は言い過ぎだろという反論からはじめている

言い過ぎなのは他人を不快にしていい権利だろ
幸福実現ではなく幸福追求権なのは常に一段上の幸福を追求し続ける権利だからであり、上であった

「幸福を追求=自分が幸せになろうとすること、幸せを目指すこと。不快にされない=感情を害されないこと であるので、不快な状態であっても幸せになろうとすることはできると思うのだが」
に対しても
「そもそも不快にされないという一段上の幸せを目指し追求する権利として主張している」
と答えられる

ただ、主権が言葉のチョイスとして誤用ではないかという意味ならおそらく当時眠くてやらかしたこちらのミスとして同意するし訂正するが、これまでそちらが論争の争点にしていたのはそういう意味ではないように思うがその辺りどうなん?

>これを撤回するならそれでいい

撤回するとしたら他人を不快にしていい権利があるというそちらのトンデモ主張なのに何でそんなに図々しく上から目線なんだ?

「あらゆることは禁止されていなければそうしてもよい権利は最低限あるという立場だ。なので定義で人権に引っかかるなら謝罪する」

そちらの言う表現の自由ではそんな権利は定義的に無い、存在しえないのは明らかなのに有言実行しないの?

>これ調べると思った以上に複雑なんだが、もともと社会の風俗を取り締まることが目的で嫌悪が主眼ではないな

とはいえ現在では主に男性から女性への不快感に留まる犯罪ではないか?
最悪、それ以上の被害にエスカレートする危険性含めて


>なのでこれを引き合いに出すにもまずは何の権利がどのように侵害されたかを示す必要がある

上記のように故意に基づけば総体的な人格権への侵害である


>調べてきたけど名誉権だけのことじゃん

なんで物事を自分に都合よくしか見ないんだ?

「個別に規定された権利でないものであっても、憲法上の保障の対象になり得ると考えられている」
から名誉権が絡む問題にも幸福追求権が適用されましたって事例の話であって名誉権に限り上記が適用されるなんて文言がどこにあるだろうか?


>侵害された権利は名誉権ということか?

ケースによっては名誉権の場合も当然ある
それ以外の人権だって侵し得る

>次に健康に影響が出たのであれば不快とは別の話だ
>思考実験で別の要因足してその要因に問題があるとするのはおかしいだろ

そちらこそ勝手に不快以上の問題だから該当しませんとか言い出すのはおかしいだろ
そちらは軽い気持ちでたかだか不快行為と言ってるかもしれないが
その行為がひいてはそこまでの被害を招きかねないという指摘に対して不快以上だから該当しませんは火は点けたが火事になると思わなかったので放火ではなく不快行為にすぎませんって言ってるようなものだぞ


>これは法的にはどこに書かれてるんだ?

刑法の38条1項本文からの抜粋になるが

第38条 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。 ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

要約すると刑法上の犯罪については故意犯が原則とされているが、一部の犯罪は過失による行為でも処罰されるので暴行や過失致死や過失障害や殺人未遂などで段階が刻まれる具体例を既に出しているが


>けど今更だがこれって成り立つか?

だから強いて言えばと言ったろ
そもそも「自然言語では、論理学における論理的関係が常にそのまま適用できるとは限らず」を要約すると、対偶が成り立つかどうかで言えば論理学上のそれと日常生活でのそれは必ずしも一致するものじゃないって話なのに世の全ての事象で成り立つと思って「対偶が成立しないから成り立たない!」って主張してたのはそっちなんだが

論理学上と現実での事象で齟齬が生まれる例は全てのカラスは黒いなどで示されている


>それは悪用してたらだろ?

だから最初から悪い事はするなと言っているが

>相互扶助が受けられないという主張が疑問だった

抜粋だが
>刑法第19条
次に掲げる物は、没収することができる。
犯罪行為を組成した物
犯罪行為の用に供し、又は供しようとした物
犯罪行為によって生じ、若しくはこれによって得た物又は犯罪行為の報酬として得た物
前号に掲げる物の対価として得た物
没収は、犯人以外の者に属しない物に限り、これをすることができる。ただし、犯人以外の者に属する物であっても、犯罪の後にその者が情を知って取得したものであるときは、これを没収することができる。


転売の程度によるが、悪質ならば金銭を犯罪行為によって得た物として判断された場合に転売ヤーへの返還ではなく国庫に没収され得る


>情報開示請求は民事上の請求権なので誰でもできる
そのうえで誹謗中傷とかであればプロバイダが応じるたり犯罪になるがそうでなければ道徳の範疇だ

つまり他人を不快にしていいなんて理由で他人の思想の自由や人格権を侵害したり誹謗中傷したりすれば開示請求を求められる理由になるし、道徳の範疇だろうと一般社会のそれに反するなら濫用と見なされて犯罪になりえる


>俺に対して「認めたという事なのだろうか?」と聞かれたが、どちらの件も答えてないのは俺じゃないってことよ

そもそも
>それについては「作品への言及も価値観への言及も個人から発信されたものが否定されたという形は違っちゃいない」に対して「それを良しとするのは構わない」と既に回答をもらっている
って勝手に一部を切り取って同意を得たと捏造してるのが問題だし

「認めたという事なのだろうか?」ってのはだとしても~で続く方に掛かってるのは文脈的に読み取れない訳じゃないだろ
ひいては「それ等を認めるから、それを良しとするのは構わないとこちらが言っているとしているのか?」って話に「答えていないのはそっちだ」は正当化の為に無理筋過ぎる話の逸らし方じゃないか?

その上で敢えて答えるなら「そうだと仮定したとしてもおかしくないか?と話を進めてるんだから答えていないっ扱いなのがまずおかしくないか?」
0
269. 名無しのあにまんch 2024年08月22日 03:59:58 ID:cxNTYyOTQ
>>268
>話のズレが生まれる時点で「しかない」は成立しないって話だよ
一つの言葉を同じ意味で双方が使わないと嚙み合わないのは当然だろ
同じ意味に揃える必要性を説いている

>だからどうしてヒットという化学変化(比喩表現)が生まれたのか組合せの検証が必要っ話
「俺はここでは一貫してヒット分析で大衆の声を拾うのであれば要因の分解が必要だと言っている」ので同じこと言ってる

>偏りっていうのは具体的に実在するの?
ONE PIECE FILM REDであれば映画.com 2.9、Ama 3、あにこれ 3.8、グーグル 92%

>そちらの言うエリートが当時から否定的立場であり、そちらが標榜する『社会』からは否定意見が出ていて
公開当時はその批判があっても1986年まで30年間は対応はなかった
「現在」というのは確かに幅広かったが、時代で言えばこの30年にキング牧師の活動が挟まっていたりしてアメリカの風潮はだいぶ変化している
スプラッシュマウンテンは報道を見る限りはジョージフロイド事件をきっかけとした批判と署名運動をうけての変更だな

>発掘後の約200年の評価が消えるの?他に挙げた作品例の数百年や千年が無視されるの?
んなことは言ってない
「だとしても」までで認められるまでの主張しかしてない

>それは実物の人間、それも日本に限定されたものではないか?
だから基準が時代で変化することの例だぞ
まず時代で基準は変わりうるかどうかということで言えば変わるだろ?
物の評価基準の変化で言えば織部好みとかはどうだ?
あれは当時のスタンダードから外れた現代アートみたいなものから本流になって一つの様式に落ち着いた

>それが仮に正しいなら美術館など存在しない事になるが、実際はどう?
学芸員・キュレーターこそ文化・芸術評価のエリートであり、まさにエリート的な基準で構成されているのが美術館だろう
個人の価値観ではなく美術館として収蔵するに足るという基準

>だから時代を越えて『その時代の価値観』でなお通用する普遍性の証明が必要であり時間が必要と主張してきたのだが
未来に対して証明されてないだろう

>そうした「政府」と「国」とは別物だよ
国は社会であり、主権と主体は違う
そして社会の主体なんだから政府が中心ではあるが、周囲と連動しているので単独だけではなく複合的である
実態としての組織構造だ

>「我が政府としては」が正しく、「我が国家としては」を意味しない
国家間の国際承認においても国は政府単位で承認を得ているので政府は国を代弁できるんだよ

>だからアメリカでは大統領やK国では弾劾訴追決議が起きているんだが
弾劾は不正を正すための制度だけどな
あとアメリカでは大統領の弾劾は議会によるものだが実際には罷免された大統領はおらず、むしろ裁判官=司法を正すものとして機能してる

>国民の価値観=国の価値観になっていない時点で岸田総理個人の価値観が社会に意味を成してる証左ではないか
国会の議決で選ばれた内閣総理大臣には内閣を指名する権利があるな
たしかに政党の組織的背景を考慮せずに判断すれば岸田の一存で選べることになるな

>つまりそちらは国と錯覚しているが実体は政府の話だろ
厳密に言えば確かに政府と国は分けられる
だが上記の通り政府は国を代弁できるし代表できる

>この時点でそちらの言う「実態の構造」は誤りで国民が従っているのは政府ではなく日本国憲法だ
まず憲法以外にも様々な法令や省令・政令を行政は定めて国民を従わせられるだろう(勧告であればその言葉の通り従う義務はないが)

>そちらが好きなロジックで言うなら上記の通り
日本は国民主権であり、その統治機構は日本政府である
これだけで別に矛盾しないが
ウェーバーは合法的支配として官僚制による支配形態を挙げている

>そりゃ政府が間違う事もあるだろ
そうでなく最初から国民の意思に沿うかどうかを問われていないこともあるって話

>反例がある以上は証明が不十分だから「では何に保証されているんだ?」と重ねて聞いているんだが
「規模の大きな組織の価値観が在る」は国家で言えばホッブズのリヴァイアサンの時点で既に人為的人格者と言う概念は提示されているし、適当に調べたら日本でも「組織における価値と論理」等の論文が色々あるようだ
それらでは組織による価値観が示されている

>組織上は避けられない上下関係もある
であれば政府の構成員をはじめとして高い集合に属する個人の集合は上の集合になる
そしてこの上の集合は国家・政府の価値観に強く影響する

>故に社会実在論であるそちらの持論も全面的には正しくないという話だが
どこが正しくはないのか指摘がないと答えようもないのだが

>その基準は法律の事であって政府の下に民衆が在る訳ではないぞ
どちらかというと前例に沿うとか組織内の慣習に沿うとかそういう話

>つまり任命以外の責任も関与も無い
それは話してなくね、つまり未定

>それが法律であって国(国家)を形成する国民として従う理由はあるがそちらの言う国(政府)の下に国民がある訳ではない
国民の話ではなく国(政府)にも価値観があるという話をしているつもりだ

>社会視点であれ多々個人の価値観が作用する例をLBGT等で挙げてきたのになお無意味と言うからだろ
LGBT関連では全部反論を返したと思うが
返せてないもの挙げれば返すが

>食い潰すにせよ保護するにせよ地球という資源があって、その上の区切られた一部地域が国家でその中で暮らすのが民衆
地球規模の自然現象というのは満遍なく降り注ぐというのはわかるが、そこから上に乗る価値観となるとよくわからん
また、その下で民衆も国家の区切りの中で暮らすのであれば横並びになるのもよくわからん

>防止と実際に不正が無かったかのチェックの両方が必要
チェック含めて不正排除であるというのは認識は一致している
ただしそのうえで出されている結果を不正ありきとはしないだろう

>それを個人の持論として持つのは勝手だが他人に無価値だと断じるのは余計なお世話ではないか?
個人の持論ではなく実際に社会はそうなってるだろ?

>同じように大きな組織や国が重要視している事に無関心な人間がいるのも実態ではないのか?
何度も言うがどんな評価も個人の中では自身の価値基準に則る自由があるということは双方で同意しているだろう

>間接的な関与とも書かれているのに切り取っての偏向はやめないか?
間接的な関与というか独立性についてはイギリスであっても実態として機能していなかったことを書いた

>そもそもこっちはそんな事を言ってんじゃないって話なんだから
使ってる言葉の意味を狭めるなというがこっちは初めからその狭めた意味以外で使ってないんだぞ

>双方共に扱いはちょっとこう、マジかよってなってる
同じよ同じ、俺も文章の意図わかんなくて困ること多いもの
それで勝手な解釈するなって言われて大変よ

>それ実績の功労者なんだから役職が上の人間が選ばれるとは限らんのでは?
チームで物事が進んでるなかでは功績は明確に決まるわけではないから当てはまる人間は多数いることは多い
なのでグラデーション的

>「いやそれは自分で結論出すしかなくないか?」って返したんだが
それならそれでいいが、合ってるかは答えてほしい
0
270. 名無しのあにまんch 2024年08月22日 04:02:23 ID:cxNTYyOTQ
>>269
>「作家のファン数」比べに不適ではないか
それは確かにその通りだ
SEED DESTINYは取り下げるわ

>極論、「2005にその年発行のワンピースより売れたのか?」すら言えるんだが
それは極論でもなく成り立つだろ

>というかその未成年は全体に影響する程いるの?
しらんがな

>その上でホロウはノベルゲーという媒体で20万本というのも売れたと言われる要因だが
いや、並べたタイトルが悪いよ
どれもそんなにヒットした感じしない
ウイイレ本体ならともかく移植版とかだと微妙な印象だ

>本当に型月履修してる?
してるしてる
ただ挙げている一連の作品群はその時点のファンに向けた展開に留まっていて新規ファンが大幅に拡大したのはアニプレ参加以降だろ
ただDEEN版は現在の隆盛においては流れが切れているので考えていなかったが、ファン拡大に影響はあったかもしれない
ただ最初の出来はどうであれ、最大の新規ユーザーを獲得したのは間違いなくFGOであり、そこに向けてアニメを通じたIP拡大の戦略をとったことがこの原動力

>単にこちらの意見へなんでもいいから否定したかったようにしか思えん
俺が「ニッチな人気」「人気マンガの読者数と比べれば比べ物にならなかった」と言ったことに噛みついてきたのはそちらだろう?
「そうだねワンピースよりはね」って返せばそれで終わってるんよ

>人気マンガであってトップレベルとも超人気とも言ってないしワンピースとかDBとかっていう主語もなく
俺がどんなマンガを人気マンガと思ってるか先に聞けばよかったんだよ
そしたらジャンプの人気マンガ、銀魂以上くらいって返したぜ
こちらの意図を確認せずにそっちが勝手にゴールを決めただけだろう

>ならなんでらっきょだの何だの言い出したんだってのはあるけど
遡ってきたがこの部分は249からまっすぐレス続いてるけど俺側ではらっきょなんて一度も出てきてないぞ

>どう反応が良くなかったかに関して記憶抜け落ちて自分に都合が良い印象だけで語ってないか?
わりと好意的なの抜き出しただろ
「ただあれだけ時間かけたのとどう考えても不完全燃焼なのと、いろいろ掘り下げたりないんじゃないって
主に内容方面で駄目なんだよ
仮に半額でも満足とはいかんだろ」
「大ブーイングは言い過ぎたかもしれんけど作品に肯定的な意見が全然見られない感じが
メーカーの人気下げそうな出来だったな」
というのもあったぞ
あとスレにレビューの平均点貼ってあったけど62点だった
そいつの生息域で評価はブレるんだ

>エリート主義的評価だから普遍性を持つとはならんやろ
>大衆との乖離ならばそちらが言う「広く普及した」という意味合いにすら反するが
エリート主義的評価が世界各地の賞などで普遍性があるということを示しているつもりだが

>「‘現代社会に’欠けた」であって「過去には欠けていなかった普遍的な価値を改めて現代に示し直したパーフェクトデイズ」って事では?
それ「例外なくすべてのものにあてはまる」ではないよな

>芸術方面での普遍性で使うには誤用
誤用の根拠を

>言えんわ。内容不関与やアームズ・レングスの原則にあるように作品そのものの承認という直接的な関わりは避けれてるのに
ここは承認のレベル感から話したほうがいいな
俺が「政府が審査員に入らなければ承認していないと言うのか?」と聞いて、法での承認のみが承認だとの回答を得たと認識した
俺は体制への協力を継続していることが承認であり、気にくわなければ離れるということが非承認だと認識している
つまり政府は金出していてそれを取り下げることができるし、金を出しているんだから基準に文句を付けることもできるし、運営団体に影響力を示すことで気に入らない運営メンバーを外すように働きかけることもできる
炎上した某アート展なんかは名目は当たり障りなくも補助金を不交付できたわけだ
これが非承認の状態であり、そうでなく政府が運営に寄与しながらそうした力を発揮することなく運営されているのであれば承認を受けた状態と考えている
ちなみに国宝や重要文化財は指定・認定であって承認はもっと緩い言葉だ

>スピーチによる作品の意図への批判はあっても国家は受賞を取り消したりできないように
待て待て、作品の意図への批判は推測だろ?
実際にあったのはスピーチの批判だけだ

>ベルリン映画祭を見るに良くも悪くも無さそうだが
ほんとのところは表に出るものじゃないから知らんが予算減らされたくないから配慮するだろうという記事を個々のテキスト書いたときに見た(もう探せないが)
結果、基準自体に国が影響を与えるというのはイギリスの話での実質的には支配下にあり続けたってことところと同じと思える
実際、財布握られてたら反抗は無理だろ

>つまりそこに責任の有無がある、限定されるとそちらも認めているではないか
俺は助成については国は審査員が決めるという手続きの結果責任、審査員を選んだ任命の責任を持つまでしか答えてないよな?
「任命責任”のみ”を持つ」とか言ってないし、それはそもそも国の責任がそれ以上にあるかどうかという話をしてないからだろ

>具体的な映画祭の名称は?
カンヌ、ベルリン、ベネチア、ロカルノ
ヴェネツィアはインターナショナルプレミアでもOK

>そういうレギュレーションって話なだけでこちらの聞いた主旨にはあってなくないか?
「興行収入が低いにも関わらず選ばれた」は成立しないということだ

>それを基準とした絶対評価であるかのように言うてるし
言ってる意味がわからんのだが「国宝や文化財の選出で優を決めこそすれ劣を決めないケースもある」のみに限った話をしてるんだろ?
そのうえで俺が「絶対評価であるかのように」言った具体的な言葉はどれ?
この基準が絶対評価であれ相対評価であれ、単純にある特定の審査のなかで優が決まったらそれに対して他のものは劣になるというのは当然の話だと思うのだが

>並び立つ
個人の総体ではなく、田中さん個人の基準よ?
これを社会的視点から見て、売上という基準、賞の基準に並ぶかを聞いている

>とはいえ政権交代で権利者が変わりうる政府が芸術性を承認するのはほぼないんじゃないか?
上にも書いたが承認で捉えている意味が違うな
そっちは直接的な認定のみを承認と言っているんだろう
俺は文句があれば予算化されないし名義も出さないことができるのでそうでなければ結果の承認としている
直接的承認ではなく間接的承認と言えば納得できるか?

>アーツカウンシルは繰り返すが文化芸術に対する助成を基軸としている組織であって芸術性を批評したり保証する組織でなく
イギリスのアーツカウンシルが隷属してきたことに触れたが、業界団体や映画祭の実行委員会組織であれば更に独立性が担保されてるわけでもないんじゃないか?

>普遍性の付与を意義としているなら真っ当できていない
エリート主義的評価(世界の芸術評価のスタンダード)での評価を付与できてるだろ?

>そういう条件で調査会社に依頼すればいいだけの話だろ
それが公開されていて社会的指標になるならそれでいいさ
だから現状でそういうデータはないのか見えないのかわからんがとにかく世に示されていない

>そもそも他人を不快にする‘発言’ではなく“行為”なのに何で表現の自由で保証されるんだ?
まずもともとの話題だった俺がやっているのは行為ではなく発言・記入だよな
まず俺は表現の自由で保障されるでよいか?
働きたい男はちょっとズレた例だったのかもな

>であればそもそもそれは「してもいい」権利ではないし、「してもいい」と表現すべきではないという話
厳密に言えば表現の自由を行使した結果、相手を不快にしても権利に抵触しないので許されるだな
このような状況は表現の自由の権利の範疇とは言ってもいいと思うが、してもいい権利と称するかどうかは微妙そうだ
これが故意であれば「濫用」に認定されるのは確実か?
権利濫用論と言うものを見てきたが、権利者の行為が社会的妥当性を欠き、これによって生じた損害が社会生活上一般的に被害者において忍容すべき程度を超えた場合には、権利の濫用として不法行為責任が生じるともいわれる、とのこと
この程度については受忍限度といって騒音や臭いなどの社会通念上がまんできる範囲であるかが判断基準とのことらしいぞ

>「濫用による権利と自由を手放す行為」なので該当する
不断の努力については認めるのでよいな

>公共の福祉に反する形で他人を不快にする事で法令に引っ掛かり得る事は多数の例で示して来たが?
そちらが示したのは不快が公共の福祉で引っかかったのではなく、付随した「事と次第」が業務妨害等の具体的な法律に引っかかったものだろう
他の法に触れずに不快のみで公共の福祉に引っかかった事例はあるのか?
俺が見てきた限りは公共の福祉で人権(精神的自由権)は制限されないが通説になっているぞ
「公共の福祉による人権制約は法令によってのみ行われ」で検索すればすぐ出る

>一応聞くけど記述元は?
「12条はどちらかというと人権の享有主体に対する心構え」で検索すると出てくる

>つまり他人を不快にして尊厳を傷つけるような行為はするなという話だろ
不快にして尊厳を傷つけるというのは「他人の名誉の毀損、侮辱、信用の毀損の禁止」とイコールではない
これに当てはまるというのであれば名誉権を侵害していることを示さなければ人権侵害だと断定できないはずだ
ちなみに「他人の人間としての尊厳を傷つける行為の排除」については人権侵害を指すことは既に示している

>それこそ思想の自由、言論を通じて自己の人格を展開するという個人的価値を示す自己実現への侵害という意味で表現の自由や、総体的な人格権への侵害だろう
表現の自由の侵害というのは発信が禁じられることだろう
人格権のなかにはいくつか権利があるが、氏名権などが侵害されるわけもないし名誉権が侵害された(つまり名誉棄損)と主張していることになるが、名誉棄損で法的に保護されるのは外部的名誉と名誉感情(個人差が著しく外から見えないのでよっぽどひどいとき限定)だ

>正確には「故意的に他人を不快にする言動は他者の人権の侵害」であり上記の通りだ
つまり人権ではなく、人権の中の具体的なこの権利がこのように侵害されているまで書かないと曖昧なんだ

>自分の言動が許される範囲で納まっている保証がどこにある?
俺は許される範囲に収めるためにいわゆる誹謗中傷は使ってないつもりだからな

>繰り返すが相手が感じるのは不快程度となぜ断言できる?
他の例は寿司ペロとかだろ
不快程度とかじゃなくてそもそも不快以外で裁かれてるよねと言う話をしてるんだ

>アウトになりうる可能性があるのを理解しながら実行に移すなら故意とみなされる
濫用については上記であり、法には触れないようにしているつもりだ
それなら問題ないんじゃないか?

>言い過ぎなのは他人を不快にしていい権利だろ
「表現によって相手を不快にするのは表現の自由の範疇」でよければそう言い換える

>「そもそも不快にされないという一段上の幸せを目指し追求する権利として主張している」
その後いろいろ見た結果、幸福追求権にはそういう解釈はなくて一般的行為自由説と人格的利益説があるが結局は自己決定権の保証っぽいのだが

>これまでそちらが論争の争点にしていたのはそういう意味ではないように思うがその辺りどうなん?
ぶっちゃけ感情という外から見えなくて受け手側が自由に決められるものが主権=人権なんてたまったもんじゃねーぞという気持ちだけが原動力だ
なのでそこさえ撤回するならこの話はどうでもいい
その過程で色々と調べて学べたのは有意義だった

>撤回するとしたら他人を不快にしていい権利があるというそちらのトンデモ主張なのに何でそんなに図々しく上から目線なんだ?
自分の主張が基本的に正しいと思っているしそれが間違っていることが示されたわけでもないので

>そちらの言う表現の自由ではそんな権利は定義的に無い、存在しえないのは明らかなのに有言実行しないの?
表現の自由の範疇という主張は覆されていないからな

>とはいえ現在では主に男性から女性への不快感に留まる犯罪ではないか?
これは本当に難しそうで、もともと江戸時代には日本には見せつける奴少なくて西欧には多かったらしく、それで西欧の社会風俗を取り締まる法律をそのまま輸入したところがベースになっているらしい
なので今の法律もその上に足されていったものらしく、そのうえで軽犯罪法で捕捉するとか色々やっててよくわからん

>上記のように故意に基づけば総体的な人格権への侵害である
人格権には色んな権利が含まれる

>名誉権が絡む問題にも幸福追求権が適用されましたって事例の話であって名誉権に限り上記が適用されるなんて文言がどこにあるだろうか?
名誉権以外の何に適用されるかが示されてないだろ
すべての権利に適応されることはこのテキストでは示されておらず、言及がある名誉権しかこの適応対象であることは確定していない

>そちらこそ勝手に不快以上の問題だから該当しませんとか言い出すのはおかしいだろ
不快さを与えることとその先、例えば誹謗中傷は続いていても法の基準があるので全く別物だろ

>一部の犯罪は過失による行為でも処罰されるので暴行や過失致死や過失障害や殺人未遂などで段階が刻まれる具体例を既に出しているが
聞いたのは故意の侵害による不快と過失や相手に落ち度のない言動で覚える不快感であって、あくまで不快の話だが

>「対偶が成立しないから成り立たない!」って主張してたのはそっちなんだが
対偶以前にそもそも11条と13条がならばで繋がらないと言う話をしているのだが

>転売の程度によるが、悪質ならば金銭を犯罪行為によって得た物として判断された場合に転売ヤーへの返還ではなく国庫に没収され得る
それはわかるが相互扶助は崩れてない

>開示請求を求められる理由になるし
相手の受け取り方次第だったらなんでも請求理由にはなるだろう

>勝手に一部を切り取って同意を得たと捏造してるのが問題だし
文脈では一旦認めたうえで別の角度から反論しているように読み取れるがそこを曖昧にしてるの分かってるから「こちらの主張を否定せずに次の話に繋げている」と書いてるんだけどな
なので同意を得たと捏造はしてないんだよ
文脈を明確にするためにも途中段階でも認めた部分はそうと示してくれ

>「それ等を認めるから、それを良しとするのは構わないとこちらが言っているとしているのか?」って話に
「認めたという事なのだろうか?」の質問にはそれ以前に回答を戻していることは示した
なのでこちらは答えているが、上記のように認めたか認めていないかを答えずに次の話に移っていることを指摘している
0
271. 名無しのあにまんch 2024年08月23日 07:38:06 ID:k5NTM5Mg=
>>270
>同じ意味に揃える必要性を説いている

それ以前の問題として別定義が存在するから「しかない」とはならないという指摘だが

>「俺はここでは一貫してヒット分析で大衆の声を拾うのであれば要因の分解が必要だと言っている」ので同じこと言ってる

分解して終わりと、何と何を組み合わせるかが重要かの割り出しでは別では?


>ONE PIECE FILM REDであれば映画.com 2.9、Ama 3、あにこれ 3.8、グーグル 92%

普段普通の映画見る層がだいたい3。普段からアニメ見てる層が1に満たないプラス
視聴者層の違いを考慮すれば偏りって程の差かは疑問なんだが

グーグル 92%はこれ何?ひとつだけそもそも基準すら違くないか?


>公開当時はその批判があっても1986年まで30年間は対応はなかった

だから問題になって無かった、その風潮が無かったとは言えんやろ

>アメリカの風潮はだいぶ変化している

より強まったという変化があった事と、30年前時点で既に映像化が止まる程の風潮が存在していた事は矛盾しないが?

>批判と署名運動をうけての変更だな

その根拠は?結びつけた主観での推測の域を出ないのでは?

>んなことは言ってない。「だとしても」までで認められるまでの主張しかしてない

だとすれば言葉が足りず指摘として不十分だ

>まず時代で基準は変わりうるかどうかということで言えば変わるだろ?

それでも残った普遍的な美に対しての話に「だから?」としか言いようがない脇道に逸らせるような事を言い出してるんだが

>物の評価基準の変化で言えば織部好みとかはどうだ?あれは当時のスタンダードから外れた現代アートみたいなものから本流になって一つの様式に落ち着いた

そうやって「普遍的」と言えるものが増える事にこちらが否定的だったとは思えないがそれを持ち出して何を言いたいの?

というか織部好みを調べてみたがそれこそ古田織部個人の好み、「個人の価値観」が一つの様式として社会に認められた例の1つなのでは?

>学芸員・キュレーターこそ文化・芸術評価のエリートであり、まさにエリート的な基準で構成されているのが美術館だろう

「普遍性」の言語化や説明を成す解説者としての学芸員・キュレーターというエリートが存在する事と、美術館がエリート的な基準で構成されている事は別件だよ。当時の人々という個人の価値観が何をどう美しいと感じていたのか言語化して現代へ残して普及する必要な人材が存在する事と、かつて個々人の価値観で美しいと多くの人間に称賛されたのと、そういう理屈抜きで鑑賞した際に美しさを覚える事が何か矛盾するのか?

より正確に言うなら国立や市立の美術館の選出基準がそちらの言うエリート的な基準が主流なのは否定しないが、それには美術的価値のみならず学術的価値も含まれるのに普遍的な美や芸術の話をしている時に持ち出すのがナンセンスという話。そんな話は今してなくないか?という

個人美術館もあるし、国立・市立にしてもスポーツカーの展示など特定コンセプトに沿って常駐のキュレーターの専門外分野の展示を期間限定でしたりもするのに美術館がすべからずエリート的な基準で‘のみ’構成されているかのように言うのは過言では?という話でもある

>未来に対して証明されてないだろう

時代を越える事に対しては過去から現代まで続いて来て実績で証明されているだろ
それを根拠に「未来へ遺すべき」として語り継がれる立ち位置に置いて経過観察される、未来でも評価対象の位置に据えられているからこその普遍性であり、普遍性を否定できる具体的で明確な根拠抜きでは「未来に対して証明されてない」は「今、普遍性が認められ今後もそうであると目されている事を否定しない」となる


ところでコロンブスの件は誤用という事でそちらが認めたと判断してかまわないか?

>国は社会であり、主権と主体は違う

そもそもじゃあなんで政府の機能が認められているのかの理由を2つ抜粋すると

>1つは、国のあり方を決める主体は国民であることを定めた「国民主権」です。 戦前の大日本帝国憲法では主権は天皇にありましたが、日本国憲法では前文に「主権は国民に存する」と明記されました。 天皇は国の「象徴」となって国政に関する権能を持たなくなり、国の政治は正当な選挙で選ばれた国民の代表が国会で行うことになりました。

>国民主権には、国民が主権の主体として、国の在り方を最終的に決定するという側面と、国家権力を正当化し権威付けるという側面とがある。前者は、国民自身が直接に政治的意思を表明する制度である直接民主制と、後者は、代表民主制ないし議会制民主主義と結び付くと言われている。


実態としての組織構造としても国のあり方を決める主体は国民(大衆、個人)であり、その代表・代理として政府が取りまとめているのであって上に立つものではない
そちらの言う政府こそ主体は「自分はそう思う」以外に根拠があるの?


>国家間の国際承認においても国は政府単位で承認を得ているので政府は国を代弁できるんだよ

前述のようにだとしても主体である国民の代理である事に変わりはない

>弾劾は不正を正すための制度だけどな

不正はクビにするだけの理由として正当では?

>実際には罷免された大統領はおらず
される前に自主的に辞めてるだけやん

>たしかに政党の組織的背景を考慮せずに判断すれば岸田の一存で選べることになるな

その上でそちらは岸田はクビになってなきゃおかしいと言ったが実質的に9月で辞任する事になった訳だけど、予言者かな?


>だが上記の通り政府は国を代弁できるし代表できる

政府が代表して代弁しているのは国民だよ実際的構造としてね
これを否定する場合、そも政府に代表・代理・代弁の資格が無くなる


>まず憲法以外にも様々な法令や省令・政令を行政は定めて国民を従わせられるだろう(勧告であればその言葉の通り従う義務はないが)

日本国憲法第10条を抜粋するが

>第十条. 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

「なぜ法律に従うか?」に関してはこれがあるので書き忘れたが、説明する上では知らない人間からすれば法律が抜けていると解りにくいかもしれないのでその点はこちらの手落ちで申し訳ない
とはいえ日本国憲法に従うという主張の中には法律に従うもそもそも含まれているのは理解していただけたか?

その上で

法令:抜粋するが

>法令とは何か?
>「法令」という用語は様々な定義で用いられますが、一般的には、 国の立法機関たる国会が制定する「法律」と、国の行政機関が制定する「命令」の総称 をいいます。 また、これらに加えて、条例及び地方公共団体の執行機関の規則を含める場合もあります(行手法2条1号)。

そりゃ法律なんだから従うだろ

条令:抜粋するが

>国内法体系上の位置付け
>日本国憲法第94条《地方公共団体は、(中略)法律の範囲内で条例を制定することができる。》を根拠とし、地方自治法の規定に基づき制定される。すなわち、条例は日本国憲法を頂点とする国内法体系の一部をなすものであり、かつ、法の形式的効力の意味において(単純な上下関係ではないが)、国法(法令)に違反できないものと位置付けられるものである。

そりゃ法律に含まれるんだから従うし、嫌なら違う場所に住めって話だろ


政令と省令:抜粋するが

>政令は内閣から発せられる命令のうち最上位に位置するルールで、法律から委任された事項について、委任の範囲においてこれを定めるとしています。 政令は、法律による根拠がない限り罰則や国民としての権利を制限したり、国民に義務を課したりする内容を定めることはできません。


>総理府令・省令(施行規則) 各省大臣が担当する行政事務について、法律・命令を施行するため、又は法律・政令の委任に基づいて定めるルール(国家行政組織法12条)。 政令と同じく、法律の委任がない限り、罰則や、国民の権利を制限し、又は国民の義務を課するルールを定めることはできません。


そちらの主張する「従わなければならない」という域に達するには法律からの委任を必要とする

政府ではなく、法律に従いなさいという日本国憲法に従うという構図に変化は無い

つまりどうあれ政府ではなく法律や憲法などのルールに従っている


>日本は国民主権であり、その統治機構は日本政府である。これだけで別に矛盾しないが

統治機構である事の担保として主体は国民にあるし、従っているのも憲法や法令である

あと「社会主義や独裁国家に限れば国民主権とは言えないが、それはそれで個人が主体を担っている事にはなるのでそちらの主張に反する。加えて複合体であるなら一本化された主体性とは呼ぶには主体になる要素が複数にバラけている」

これに関しては?


>ウェーバーは合法的支配として官僚制による支配形態を挙げている

挙げているから何?


>そうでなく最初から国民の意思に沿うかどうかを問われていないこともあるって話

具体例としては?

抜粋になるが
>政治家は有権者の利益や意向を議会に反映させるが、その方法は有権者の具体的な要望を忠実に実現する方法と、自らが信じる方法で有権者に有益な結果をもたらす方法の2つがある

例え後者だとしても国民から見ておかしいのであればどういう予定で利益という形で国民の意思に沿うかの説明責任はあるだろ


>「規模の大きな組織の価値観が在る」は国家で言えばホッブズのリヴァイアサンの時点で既に人為的人格者と言う概念は提示されているし、適当に調べたら日本でも「組織における価値と論理」等の論文が色々あるようだ
それらでは組織による価値観が示されている

では何故それらから具体例を引用しない?

というか
リヴァイアサン:人為的人格者と言う概念は提示されている

国家を集権による巨大な怪物にするべしと例えはしたが、では具体的な人格とは?
ホッブズ自身の思想に基づいたそれはホッブズ自身の個人の価値観・思想によるものではないか?それが人為的人格ならホッブズという個人の価値観が社会の価値観より上になりえるが


組織における価値と論理:抜粋になるが

>しかし現代社会では組織の行動原理が個人や国家を超えて優越しており、さらには社会一般の共同規範よりも組織固有の行動原理が優越している のではないだろうか

「個人や国家(政府)を超えて優越しており」の時点でそちらの言う組織による価値観を認めると国家(政府)や社会一般の共同規範(政府)よりも組織が上という事になってしまうが?

組織による価値観という概念の存在は解釈によっては認めるが
参照した限りでは既存のそれがそちらの主張と合致するかや、そちらの主張の正当性を担保するかは別ではないか?
加えて保証するとするにはどちらも「論」や「説」の域を出ないものではないか?

というかワード検索で引っ掛かったもの挙げてるだけで中身を確認していないのではないかもしかして?

>であれば政府の構成員をはじめとして高い集合に属する個人の集合は上の集合になる

「政府の構成員をはじめとして高い集合」これがそも「自分はそう思っている」以外に根拠がない
政府の構成員は政治家にせよ官僚にせよ職業に過ぎず法の下に平等だよ

加えて高い集合としても「政治分野に限るなら」という話。会社の社長が所属する会社内でなら偉いって話と似たようなものだ

>そしてこの上の集合は国家・政府の価値観に強く影響する

国政への影響力があるのと、だから国民の上かは別の話
それこそ国民次第で政治家は辞めざるをえないのだからその観点から言うなら寧ろ国民が上とも言える
だがそれで「国民は政治家より偉い」なんて言う奴はほぼいない。根本的にどっちが偉いかなんて話じゃないからだ


>どこが正しくはないのか指摘がないと答えようもないのだが

社会実在論へ説明を求めるでもなく応対したのならそれを習知していて、指摘するまでもなく何故「論」に過ぎないのか熟知していると思ったが違うのか?
それとも知らないのに知ったかぶりのオウム返しで応対しただけなのか?

後者なら面倒ながらも改めて書くが

>どちらかというと前例に沿うとか組織内の慣習に沿うとかそういう話

仮にそうだとして何が言いたいんだ?

>それは話してなくね、つまり未定

では具体的に「在る」という事例を挙げてくれないか
そもそも任命責任以外は無いなら挙がる筈もないのだから、話していないから未定とは言い切れないだろ

逆にあるなら「在る」事例を挙げればいい


>国民の話ではなく国(政府)にも価値観があるという話をしているつもりだ

国(政府)という括りならその時の総理大臣や内閣府によるカラー、価値観、独自性はあるだろうが、だからと言って国民の上かは別だろう


>LGBT関連では全部反論を返したと思うが
返せてないもの挙げれば返すが

LGBT‘等’であってLGBTに限定はしていない筈では?
その上で238にて

>ただその成立過程を無視して個人の価値観により発生する歪みを無いものとして扱うにはLGBT関連のトラブルのうち性自認問題の多くが個人毎のものという点は看過できなくないか?

>なるほど、問題視してる部分を理解した。国際的な承認された先の国ごとの問題については言う通りだわ。多くの国が曖昧な施策で進めてるせいで具体的ルールについては個人の価値観による歪みが取り入れられて問題が生じているのは認める(誰もやってきてないからすぐに最適なルールが作れないと言う面はあるが)
>そういう意味では方針自体は認められるべきだと考えるが、具体的ルールに対して民衆が声を上げるのはとても効果的だと思う

というやりとりが成立しているが?

>地球規模の自然現象というのは満遍なく降り注ぐというのはわかるが、そこから上に乗る価値観となるとよくわからん

実効性は兎も角として環境に対する議論は数多行われていないか?
国に関わらずそれを守るよう人類という枠組みで訴えかける形で

>また、その下で民衆も国家の区切りの中で暮らすのであれば横並びになるのもよくわからん

民衆は国家を選び得る
国家と必ずしもイコールではない
加えて違法滞在者や難民など、必ずしも住んでいるからといって一致するものでもない

どこの国とセットになるか、どの国を構成するかの選択の余地として横並びとして提示している


>ただしそのうえで出されている結果を不正ありきとはしないだろう

だから疑うべきでないとも言えない筈だろ
疑惑があるなら疑い続けた結果、後から判明するケースもある


>個人の持論ではなく実際に社会はそうなってるだろ?

なってないから言ってるんだが
そう信じるのは勝手だが他人に強制はよせやい

貴方が自分はそう思っているのを誰の何が保証している?
実際そうなら何故、同じように主張している他者の言説を引用できない?


>何度も言うがどんな評価も個人の中では自身の価値基準に則る自由があるということは双方で同意しているだろう

であれば最初から過干渉をそちらがよせばよいのでは?

>間接的な関与というか独立性についてはイギリスであっても実態として機能していなかったことを書いた

「機能していない」、と「機能していなかったこともある」では全く話が違うだろ

>使ってる言葉の意味を狭めるなというがこっちは初めからその狭めた意味以外で使ってないんだぞ

それが他人と共有できていないような自分にしか通じないものばかりなのに社会に通じて当然と言わんばかりだから言ってるんだろ
ローカルルールを知らない方が悪いなんて多責思考とはゲームが成り立たない

>同じよ同じ、俺も文章の意図わかんなくて困ること多いもの。それで勝手な解釈するなって言われて大変よ

「だから勝手に自分に都合よく解釈した意見で暫定的に進めます」
なんて表現の自由の侵害を許せる理由もなければ、納得できる道理もない
再三「~という事か?」と問うように書いてはどうかと具体的な対処法も添えているのに

上記のような雑さ、不適当さとどっちもどっち論で同列扱いされるのに納得しかねるという話だが


>チームで物事が進んでるなかでは功績は明確に決まるわけではないから当てはまる人間は多数いることは多い。なのでグラデーション的

実績に対する功績への貢献度や理解度が同程度とも限らんのでは?
仮に全て同程度としても偉い方が選ばれるとは限らずにスケジュールの問題等の他の選出基準が関わるかもしれへんやん

グラデーション的とするのならば相当に条件を限定するという前提条件つきが必要で、雑にグラデーション的というのが間違いでは?


>それならそれでいいが、合ってるかは答えてほしい

過去の経験が作用するかもしれないのだから未来に限定するのなら合っていない
過去の出来事から「いつかはこうしたい」のいつかに相応しい時勢になったから実行するのをある日急にとは言わない。端から見たらそう見えたとしてもだ
加えて過去というほど昔でなくとも、継続的に受けた影響で変質し得る

過去とか現在とか未来とかで区切るようなもんじゃない
0
272. 名無しのあにまんch 2024年08月23日 07:53:34 ID:k5NTM5Mg=
>>271
>それは極論でもなく成り立つだろ

ニッチという事にする為だけにトッブレベル持ち出すのはそれ以下がニッチという扱いになって、とてもニッチとは言えないような作品まで巻き込むんだから極論以外のなにものでもないだろ

>しらんがな

だったらそちらが最初から持ち出すなよ
影響するか定かでないと思っているのに

>どれもそんなにヒットした感じしない

主観の個人的価値観、印象論で難癖とは恐れ入る
それなら何とでも言い張れるものな

>新規ファンが大幅に拡大したのはアニプレ参加以降だろ

ファンの増加時期にアニプレがタイミング良く参加加入しただけ、あるいは相乗効果ではなくアニプレが理由とは何を根拠に?何のデータを理由に?

>最大の新規ユーザーを獲得したのは間違いなくFGOであり

まぁそれはそう

>そこに向けてアニメを通じたIP拡大の戦略をとったことがこの原動力

いやアニメがメインでFGOを支えたという根拠は何なん?

FGOの2015.8のサービス開始からUBWは一年前、HFは二年後、四年後、五年後の開きがあるしアニメとのコラボイベントもシナリオがあったゼロやAPと比べてHFはピックアップや配布、記念クエストぐらいで大々的とは言えんやろ

IP拡大戦略というならまだしもきのこ以外の作家も書いた外伝や各種漫画版とアニメで供給を切らさなかった相乗効果と言われたら頷くが、アニメのみをメインみたいに扱う理由は何をか教えてくれないか?

>俺が「ニッチな人気」「人気マンガの読者数と比べれば比べ物にならなかった」と言ったことに噛みついてきたのはそちらだろう?

事実ではないから、間違っているからデータまで持ち出して正すのを噛みついたと上から目線になれるのはいやはや呆れを通り越して困惑しかない
その上で後から極論を持ち出すなんて無理筋を使ってまで自己正当化をはかる卑劣さで何を言っているんだ?

>「そうだねワンピースよりはね」って返せばそれで終わってるんよ

何で不当に作品を貶めた加害者側が「被害者側が加害者側に配慮して我慢すればいい」なんてクソみたいな理論を振り回すんだ?

>俺がどんなマンガを人気マンガと思ってるか先に聞けばよかったんだよ

ニッチかどうかの基準として明らかにおかしいのを後出しする卑劣さは流石に考慮せんわ
そこまで見下げ果てた真似する相手とまでは普通思わん
一応はフェアな相手を想定していたのが間違いだと当人から言われるとは驚きだ

>こちらの意図を確認せずにそっちが勝手にゴールを決めただけだろう

特に注釈がなければ一般的に人気、ニッチと言えない程度を連想される物事に対して「トップレベルの」という注釈付きを持ち出して勝手にゴールを決めた扱いしてくるのは恐れ入る

だとしてもそちらが言っているのはニッチかどうかの基準をワンピースやDB以下ならニッチとか言い出した、控え目に言っても品性か知能のどちらかを貶さざるをえないような相手であると想定していなかった方が悪いと開き直っている訳なんだがそれでいいのか?


>遡ってきたがこの部分は249からまっすぐレス続いてるけど俺側ではらっきょなんて一度も出てきてないぞ

245
ブギーポップと同年に「空の境界」書いてるので

247
あとらっきょや月姫のときの文章力に比べると後々はすごく上手くなったと思う

249
アニプレ岩上の(ufotableを評価した)個人の判断があってらっきょができてそこからソニーグループとしての決済もおりて3社プロジェクトがはじまってFatezeroのアニメが当たってFGOが当たった

253
例えばブギーポップの影響はこの場合は学術的な背景の掘り下げにあたる?それでらっきょの作品評価自体は美術的評価ということか?

258
後半のらっきょ作品評価の考え方にはちょっと異論がある

いやメッチャ出てくるが


>わりと好意的なの抜き出しただろ

非の意見もあるのは事前に言っていた筈だが
その上でそちらが言うような非に満ちた状態でもなければ、そちらは「こういうのもある」程度だと自身で比率の程を認めているではないか

>あとスレにレビューの平均点貼ってあったけど62点だった

それに関してはやってもないのに低評価してる奴がいるっていう指摘がスレでされてるやん

>エリート主義的評価が世界各地の賞などで普遍性があるということを示しているつもりだが

貶すような事はできれば言いたくなかったが、映画好きでなければ宣伝しまくるハリウッドの大作か元々売り上げがデカいヒット作か自国の作品でもなければ世界各地の賞を受賞したからといって受賞した作品を知る事はまずないんじゃないのかでは?
たまたまニュースで見た人が記憶力の良い人間でもなければ認知や記憶がされないという意味ではそちらの定義ですら普遍性が受賞によってもたらされたとは言えないのでは?

正直な話、三大映画祭のここ3年の主要な賞に限定しても世間の人間が検索無しでどれだけ諳じられる?

そもそも映画が好きで映画祭で受賞せずとも知ってるような層にしか知れ渡らないなら映画祭が普遍性を付与したと言えるのか?


>それ「例外なくすべてのものにあてはまる」ではないよな

現代社会‘では’そうなっていないのを“過去には”例外なくすべてのものにあてはまっていた状態へ戻したという評価なのに何故違うと?

逆に問うがそちらの言っている意味で用いられているなら「現代では欠けた」という表現や形容詞がおかしくないか?

>誤用の根拠を

そちらの使っている意味でなら広まるとか普及とか他に言葉があって使い分けされてるからだが
普遍性を用いる場合は広めるよりも既に広まったり内在済みのものを指す場合が殆んどだ

いや「俺個人の価値観で社会がどうあれ俺はこういう意味で絶対使いたい」という拘りで使っているなら誤用は撤回するが、それでも一般的な使用とは言えなくないか?
0
273. 名無しのあにまんch 2024年08月23日 09:04:33 ID:k5NTM5Mg=
>>272
>ここは承認のレベル感から話したほうがいいな

ネット辞書からの抜粋になるが

>1 そのことが正当または事実であると認めること。「相手の所有権を承認する」
2 よしとして、認め許すこと。聞き入れること。「知事の承認を得て認可される」
3 国家・政府・交戦団体などの国際法上の地位を認めること。「国連に承認された国」

そちらの独自解釈をさも一般論、共有認識みたいに語るのが問題では?

>俺が「政府が審査員に入らなければ承認していないと言うのか?」と聞いて、法での承認のみが承認だとの回答を得たと認識した

「国家が保証する」という事をそちらは軽く考えすぎなんじゃないか?

>俺は体制への協力を継続していることが承認であり

誰が何を承認しているんだそれ?

>気にくわなければ離れるということが非承認だと認識している

そんな風に気分や政府で承認というラベルを着けたり剥がしたりされては国際的な信用に関わる

>つまり政府は金出していてそれを取り下げることができるし

そうやって芸術性へ介入するのは表現の自由の侵害だし、「現在の文化行政も芸術と行政が一定の距離を保ち,援助を受けながら,しかも表現の自由と独立性を維持する」精神に真っ向から反しているが?

政府が直接依頼した仕事なら話は別だが

>金を出しているんだから基準に文句を付けることもできるし、運営団体に影響力を示すことで気に入らない運営メンバーを外すように働きかけることもできる

こちらを散々ディストピア的だの何だの言ってたがそれこそ表現の自由を弾圧するディストピアだろ
日本政府を何だと思っているんだ?

>炎上した某アート展なんかは名目は当たり障りなくも補助金を不交付できたわけだ

それがどのアート展かは解らないので断言はできないがそのケースは単に利権絡みの汚職か、省庁側の調査不十分による不備ではないのか?

>これが非承認の状態であり

非承認ではなく弾圧や表現の自由の侵害や干渉ではないか?

>そうでなく政府が運営に寄与しながらそうした力を発揮することなく運営されているのであれば承認を受けた状態と考えている

であれば前まで言っていた、政府が承認している活動により認定された芸術作品の芸術性の保証も国家が担うという主張は破棄でよろしいか?
そちらの言う承認の定義と関係ないのだから

>ちなみに国宝や重要文化財は指定・認定であって承認はもっと緩い言葉だ

いや③の意味もあるから緩いとは限らんのだが
0
274. 名無しのあにまんch 2024年08月23日 09:22:14 ID:k5NTM5Mg=
>>273
>実際にあったのはスピーチの批判だけだ

だから政府は作品への干渉はできないと言ったのだが
作品ではなくスピーチ側にしか文句が言えない事からも

>ほんとのところは表に出るものじゃないから知らんが予算減らされたくないから配慮するだろうという記事を個々のテキスト書いたときに見た(もう探せないが)

こっちこそ「~だろう」という推測では?

>結果、基準自体に国が影響を与えるというのはイギリスの話での実質的には支配下にあり続けたってことところと同じと思える
>実際、財布握られてたら反抗は無理だろ

それこそ芸術の弾圧や言論の統制による、散々そちらが連呼したディストピアなんですよ
今の世の中はディストピアだと主張したいのか?

>つまりそこに責任の有無がある、限定されるとそちらも認めているではないか

流石に世界的にディストピア状態にあるというブッ飛んだ前提は共有しちょらん
何それ知らん怖……どこの世界線から書き込んじょるんじゃおんし

>俺は助成については国は審査員が決めるという手続きの結果責任、審査員を選んだ任命の責任を持つまでしか答えてないよな?
>「任命責任”のみ”を持つ」とか言ってないし、それはそもそも国の責任がそれ以上にあるかどうかという話をしてないからだろ

こちらへ反論する為だけに国に過大な責任負わせてディストピア化させるのは流石にドン引きだよ
なんで他人の意見に反対してマウントを取りたいという承認欲求だけで様々なものをそこまで考え無しに巻き込めるんだ?

>カンヌ、ベルリン、ベネチア、ロカルノ。ヴェネツィアはインターナショナルプレミアでもOK

詳しくないので聞きたいのだけど

カンヌ インターナショナル
ベルリン インターナショナル
ベネチア ワールドプレミア
ロカルノ インターナショナル

調べた感じそれぞれのプレミアがこちらはこんな感じになったのだけど、そちらはどこを参照したか聞いても?

ところで直接は関係ないが、ヴェネツィアとベネチアでそう離れていないのになぜ表記揺れしているの?

>「興行収入が低いにも関わらず選ばれた」は成立しないということだ

こちらの主旨には沿っていないが、ある程度は制度的に間違ってるとは言えないのは認める
0
275. 名無しのあにまんch 2024年08月23日 09:23:31 ID:k5NTM5Mg=
>>274
>言ってる意味がわからんのだが「国宝や文化財の選出で優を決めこそすれ劣を決めないケースもある」のみに限った話をしてるんだろ?

貴方は物事が優劣や善悪、闇光などの二極化のみで成り立っていると考える二元論者か?
そうでないなら何故、優でなければ劣しかないとなる
物事には段階がないと思っているのか?であればグラデーションという言葉を貴方が正しく認識しているかが疑問になってくるのだが

>そのうえで俺が「絶対評価であるかのように」言った具体的な言葉はどれ?

いちいち引用するまでもなく1つの基準で全ての優劣が決定するかのように言ってきてたのに今更何を

>この基準が絶対評価であれ相対評価であれ、単純にある特定の審査のなかで優が決まったらそれに対して他のものは劣になるというのは当然の話だと思うのだが

上にも書いたが善悪や優劣とかの二元論でのみ判断しているのなら貴方にとっては当然かもしれないが、世の中はそうでないという話だ

>田中さん個人の基準よ?
個人の総体として田中さん個人の基準を抜いていいって訳ではないだろ

>これを社会的視点から見て、売上という基準、賞の基準に並ぶかを聞いている

そうやって「○○さんは抜き」と自己都合で際限無く引いて行くのが認められない以上は、総体の一人として並び立つ
そちらは誰か一人を抜いた影響を正確に演算できるのか?それが不可能な以上は構成要素として並び立つ


>上にも書いたが承認で捉えている意味が違うな

せめて共通語で会話してくれないか
嫌味とかではなく字のままに話にならない
それともマジに違う世界線から書き込んでいるのか?

>そっちは直接的な認定のみを承認と言っているんだろう
>俺は文句があれば予算化されないし名義も出さないことができるのでそうでなければ結果の承認としている
>直接的承認ではなく間接的承認と言えば納得できるか?

そうやって政府の都合で承認をするしないを決めるのは言論弾圧や表現の自由の侵害なんだが?


>イギリスのアーツカウンシルが隷属してきたことに触れたが、業界団体や映画祭の実行委員会組織であれば更に独立性が担保されてるわけでもないんじゃないか?

一定の独立性が無いなら政府の意向や都合で芸術性を定義されうる為に不適となる
運営・実行の為の金はもらえど評価という点に関しては政府はノータッチが原則なのは弾圧や侵害を避ける為なんだが、そちらは現在進行形で世の国々の文化・芸術は弾圧を受けているという主張をしている自覚はあるか?

イギリスの状態はだから是正された

>エリート主義的評価(世界の芸術評価のスタンダード)での評価を付与できてるだろ?

それが普遍性であるという前提の証明が無い

>だから現状でそういうデータはないのか見えないのかわからんがとにかく世に示されていない

慈善事業じゃないんだからデータが必要なら対価を払うべきという至極正しい資本主義経済の在り方だろ
労力やリソースを消費するのにタダでやってもらって当然、無料公開されて当然みたいな態度の方が問題ではないか?


>まずもともとの話題だった俺がやっているのは行為ではなく発言・記入だよな
まず俺は表現の自由で保障されるでよいか?

「俺は表現の自由で保障される」という文法は大いに疑問だけど
「不快にしていい権利を保証されている」と表明せずに故意でなければ表現の自由で保障される
表明しなければ内的表現の自由、思想の自由で「不快にしていい権利を自分は保証されている」と思う事も保証もされている

今回は書き込んで故意をあらわにしたからその限りではない


>厳密に言えば表現の自由を行使した結果、相手を不快にしても権利に抵触しないので許されるだな

上記の通り「不快にしていい権利」と口にして故意を表明するのがよくない
どんなにクソみたいな思想でも故意が証明されていないなら過失として扱い、過剰に責めるた場合は相手側が人権侵害で公共の福祉に反しうる

今回がそれに該当するかは別だが


>これが故意であれば「濫用」に認定されるのは確実か?

例えば何かしらやらかして捕まっても程度によってはあるいは口頭注意等で済むかもしれないが、無用のリスクを侵す必要はないと思うが?

その上で何度繰り返したかも解らない大前提を抜粋するが

>憲法は国民が持つ最低限の権利を保障するものであって、それは“公共の福祉”や“公序良俗”に反しない限りにおいて認められるもの

相手を故意に不快にするという公共の福祉や公序良俗に反し、不快にされた相手に気分を害されるという迷惑をかけ、不断の努力を怠るような行為であれば保証の限りではない


>権利濫用論と言うものを見てきたが、権利者の行為が社会的妥当性を欠き、これによって生じた損害が社会生活上一般的に被害者において忍容すべき程度を超えた場合には、権利の濫用として不法行為責任が生じるともいわれる

それ引用元確認してきたが私法の話じゃん
加えて「忍容すべき程度」を何故加害者側の自分が決められると思っているんだ?

>この程度については受忍限度といって騒音や臭いなどの社会通念上がまんできる範囲であるかが判断基準とのことらしいぞ

こっちは民法709条じゃん
自分に都合が良さそうな言い分を継ぎ接ぎにしてさも一貫とした事例みたいに騙るのはよしなよ

私法に民法に憲法とバラバラな事例だ


>「濫用による権利と自由を手放す行為」なので該当する
不断の努力については認めるのでよいな

認めるからこそ、権利を手放す=不断の努力を止めるような他者への人権侵害をすべきではないという話でもある


>そちらが示したのは不快が公共の福祉で引っかかったのではなく、付随した「事と次第」が業務妨害等の具体的な法律に引っかかったものだろう

自身の言う不快が引っ掛からない範囲だと何が保証してくれる?
それを決めるのは被害者にしろ第三者にしろ他者では?
加えて何故不快かの何故の部分がそちらのいう付随要素なのだから不快と切り離せるものではない


>他の法に触れずに不快のみで公共の福祉に引っかかった事例はあるのか?

不快感に関わるものは迷惑防止条例違反などもあるが、そも根本的に不快感のみとか起きようがないだろ
何故不快に感じるのか?の何故の部分が「事と次第」にあたるんだから
それとも「絶対に不快感だけ生じさせる」魔法でも使えるの?


>俺が見てきた限りは公共の福祉で人権(精神的自由権)は制限されないが通説になっているぞ
>「公共の福祉による人権制約は法令によってのみ行われ」で検索すればすぐ出る。公共の福祉で人権(精神的自由権)は制限されない

それは他者の人権を侵害したり公共の良俗に反したり他人を傷つけたりしなければ、ザックリ言うなら「他人に迷惑をかけなければ」の話だろ
他人に不快感を与える、が迷惑以外の何だと言うんだ?

抜粋するが
>表現の自由
>精神的自由権における中心的地位を占めている。表現の自由は、自身の心の中で考える思想・良心の自由とは違い、外部への表現がある為、他者及び社会公共への影響力があり制約の対象となる場合がある。

繰り返すが
>他者及び社会公共への影響力があり制約の対象となる場合がある

続けて抜粋するが

>憲法で保障されてはいるが、表現の自由は他人の利益や権利との関係から制約が存在する。憲法第13条の「公共の福祉」による制限を受けるとするのが通説で、「プライバシーの権利」「肖像権」「環境権」などの権利を侵害してまで、表現の自由は保障されないといわれている。ほかにも、差別表現やヘイトスピーチ、名誉棄損、性表現をめぐる芸術性の問題なども、表現の自由の適応範囲なのか議論が続いている。

更に1つ

>Q3.公共の福祉により基本的人権が制限されることはある?
>あります。公共の福祉によって基本的人権が「合法的に」制限されるケースがいくつかあります。

更に書くと、改めて抜粋しなければならない事に頭を抱えているが

>日本の法令
>法令(ほうれい、英: laws and regulations)とは、一般に、法律(議会が制定する法規範)と命令(行政機関が制定する法規範)の総称。日本法における用語法としては、日本の法律と命令のほか、日本国憲法や条例、最高裁判所規則、訓令などを「法令」に含めて指す場合もある。

日本国憲法を「法令」に含めて指しての法令なんだが

この事は法令が適切か違憲審査制によって行われる事からも示されている

>一応聞くけど記述元は?
「12条はどちらかというと人権の享有主体に対する心構え」で検索すると出てくる

一応読んだけど穴埋め程度に数行、個人の所感に程度に書かれているだけで何等かの学説として書かれたものではなくないか?

>不快にして尊厳を傷つけるというのは「他人の名誉の毀損、侮辱、信用の毀損の禁止」とイコールではない

他の方向性で人権を侵害しない事も保証しない

>これに当てはまるというのであれば名誉権を侵害していることを示さなければ人権侵害だと断定できないはずだ

名誉権に限らないんだから事例次第だろ

>ちなみに「他人の人間としての尊厳を傷つける行為の排除」については人権侵害を指すことは既に示している

一応確認するが、まさかと思うが
「相手が、自身の人間としての尊厳を傷つけようとする行為を防いだり排除しようとするのは相手への人権侵害」
と言っている訳ではないよな流石に

だとしたらこちらに罵倒させて道徳的優位を取りたくて道義的にありえない事を言い出したのか?

>表現の自由の侵害というのは発信が禁じられることだろう

いや他にも検閲や芸術への政治的介入など様々な形で存在するが

>人格権のなかにはいくつか権利があるが、氏名権などが侵害されるわけもないし名誉権が侵害された(つまり名誉棄損)と主張していることになるが、名誉棄損で法的に保護されるのは外部的名誉と名誉感情(個人差が著しく外から見えないのでよっぽどひどいとき限定)だ

それは今の時点ではこちらに対してそのような事はしていないという言い訳か?

それと他人を不快にする権利が存在するかは別件では?

>つまり人権ではなく、人権の中の具体的なこの権利がこのように侵害されているまで書かないと曖昧なんだ

そりゃこっちは現在進行形で被害を受けていると訴えている訳じゃないんだから曖昧も何もないだろ

意図して不快にするという侵害行為に対しては断固として対処するという話だ

>俺は許される範囲に収めるためにいわゆる誹謗中傷は使ってないつもりだからな

資格がないと誹謗中傷による侮辱されたが
不快にしていい権利があるから不快にしてやると脅迫も受けた


>不快程度とかじゃなくてそもそも不快以外で裁かれてるよねと言う話をしてるんだ

自身の行為が不快感を与える程度に収まるという都合の良い前提な上に、‘どうして’不快かの“どうして”が裁かれる要因なんだから不可分だろ
それとも理由も原因も何もなく不快感だけを相手に覚えさせられる技術を持っているのか?


>濫用については上記であり、法には触れないようにしているつもりだ
それなら問題ないんじゃないか?

仮にだから故意に他人の人権を侵害していいと言う主張ならそうはならんやろ
そうした侵害の際に公共の福祉が問題になるのだが
法に触れないようにしているつもりで、転売したら実は触れてましたなんて事も起こりうるんだから「しているつもり」だから問題ないと断言できないのでは?

そうではなくて、気をつけてるんだからそれでも意図せずあくまで過失で不快にしてしてしまった場合は仕方ないよねという意味で言っているならそれは実際そう


>「表現によって相手を不快にするのは表現の自由の範疇」でよければそう言い換える

それも厳密には許されている訳ではない
過失により起きうる可能性として「表現の自由のによって相手を不快にするのはおきうる」と認められてはいるが不快にしていい権利としては認められていない
ここ数年ではヘイトスピーチに対して条例や誹謗中傷による侮辱罪・名誉毀損罪が適用されているように不快にする事が起き得るとしていいでは大きく違う


>その後いろいろ見た結果、幸福追求権にはそういう解釈はなくて一般的行為自由説と人格的利益説があるが

「そもそも不快にされないという一段上の幸せを目指し追求する権利として主張している」という言葉は一字一句そのまま他人から拝借した引用でも抜粋でもなく一般的行為自由説を基に要約しての言葉なのだが


>結局は自己決定権の保証っぽいのだが

それは幸福追求権の一部であって全てではない


>ぶっちゃけ感情という外から見えなくて受け手側が自由に決められるものが主権=人権なんてたまったもんじゃねーぞという気持ちだけが原動力だ

そもそもそちらから意図して不快にされる側だってたまったもんじゃないのに何故自分にだけ権利や自由があると?
相手(今回で言えばこちら)にだって人権はあるんだぞ

ってのがそもそもの始まりなのだから
真意としては意図して不快にするという濫用以外のなにものでもない一方的な権利の主張ではなく、あくまで気をつけはするが過失で不快にさせた時は許してほしい
という謙虚さを持つなら話は別だがその辺りどうなの?

権利があるんだから許して当然だろ?みたいな態度だとまた話は違ってくるが

>なのでそこさえ撤回するならこの話はどうでもいい
その過程で色々と調べて学べたのは有意義だった

人権を侵害されない権利は今まで示してきたように歴然と存在する
ただ、そもそもとして「不快にされない権利」等という言い回しになったのはそちらが「不快にする権利」を主張したからなのだから、撤回するとすればそちらが他人を不快にする権利の主張の撤回するのなら人権を侵害されない権利があるとこちらは言い換えてもいい


>自分の主張が基本的に正しいと思っているしそれが間違っていることが示されたわけでもないので

他人を不快にしていい権利などというものが存在しない事は示されている筈だが?
どこの誰が表現の自由は他人を不快にする事が許されると記した?

>表現の自由の範疇という主張は覆されていないからな

いや働きたい男を例に出していたのに相手を不快にするのは表現の自由で許されているとした時点で覆されていたろ
転売を不快の範疇であるかのように語った事でも自覚なく不快を越えて犯罪を侵す可能性が示唆された点で覆されてるだろ


>なので今の法律もその上に足されていったものらしく、そのうえで軽犯罪法で捕捉するとか色々やっててよくわからん

露出に限らないがその「よくわからん」で知らままに犯罪者にならぬように道徳や倫理を遵守しましょうというのが社会通念として浸透している


>人格権には色んな権利が含まれる

色んな権利のうちの1つを知らぬままに侵害しえるという話でしかない


>名誉権以外の何に適用されるかが示されてないだろ

名誉権にしか適用されないと示されていないという指摘に対する反論になってないだろ
名誉権に限ると書かれていないのだから名誉権以外の個別に記されていない権利全般に適応されると考える方が自然では?

>すべての権利に適応されることはこのテキストでは示されておらず、言及がある名誉権しかこの適応対象であることは確定していない

いや前の部分含めて抜粋するが

>憲法では、この規定を根拠に、「個人の人格的生存に不可欠の利益」または「広く一般的行為の自由に関する権利」を「幸福追求権」として保障しているものと考えられています(どちらであるかは、解釈によって分かれます)。そして、個別に規定された権利でないものであっても、憲法上の保障の対象になり得ると考えられているのです。

前後の文脈を足せば
①名誉権は個別対応するものがない
②幸福追求権は個別に規定された権利でないものであっても憲法上の保障の対象になり得る
③その為に名誉権‘も’含まれる

名誉権‘も’、であって名誉権‘は’ではないんだから他にも対応すると示唆されているが


>不快さを与えることとその先、例えば誹謗中傷は続いていても法の基準があるので全く別物だろ

転売の件もそうだが、その別物に気づかないまま踏み込むミスをそちらが侵していたのだから「やっぱり無し」なんて許されるとする方がおかしいだろ
現実でも何かやらかした時にその言い分が聞き受けられ過失として許される範囲である保証が無い

自身の行いが相手に対してあくまで不快に留まる保証などなく、だから他人を不快にしていい権利などというものは存在しない

道徳もその為に存在する

ネットの検索抜きで法令や憲法をそちらは網羅して理解し、諳じて口にできるか?
こちらは無理だ
だから道徳を可能な限り守ろうとしている。そうすれば知らぬ間に罪を犯す可能性が軽減されるからだ


>聞いたのは故意の侵害による不快と過失や相手に落ち度のない言動で覚える不快感であって、あくまで不快の話だが

上記で自分でも「続いていても」と自覚している筈では?
自分では「あくまで不快」のつもりでも「続いている」罪次第では過失だろうと罪に問われる


>対偶以前にそもそも11条と13条がならばで繋がらないと言う話をしているのだが

抜粋になるが

>日本国憲法 第11条(にほんこく(にっぽんこく)けんぽう だい11じょう)は、日本国憲法の第3章にある条文で、基本的人権の享有について規定し、第12条・第13条とともに、人権保障の基本原則を定めている。

ならば云々そちらが持ち出したものであってそれに対して敢えて、強いて言うならという話であって結び付きは明確だが?

その上で日本弁護士連合会の記述からの抜粋になるが

>1. 日本国憲法11条は「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」と規定し、同法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」と規定している。さらに、同法18条は、奴隷的校則及び苦役からの自由を、同法19条は、思想及び良心の自由を、同法20条は、信教の自由を、同法21条は、集会・結社・表現の自由を、同法31条は、適正手続の保障を、それぞれ定めている。

これら憲法で保障された基本的人権は、すべての人々に対して保障されているのであり、もとより子どもも例外ではない。

連動してる

>それはわかるが相互扶助は崩れてない

ではどう相互に扶助の関係なのだ?
転売という犯罪行為が社会へ何を扶助し
警察に逮捕や国庫の没取をされた上で何を扶助してもらえると?


>相手の受け取り方次第だったらなんでも請求理由にはなるだろう

だから自身に非が無い立ち回りが必要で、相手を不快にするリスクをわざわざ侵す理由もないのでは?と言っている


>文脈では一旦認めたうえで別の角度から反論しているように読み取れるがそこを曖昧にしてるの分かってるから「こちらの主張を否定せずに次の話に繋げている」と書いてるんだけどな

いやその反論の応酬終わってなかったやろ
なのに何で認めたという最終結論出たみたいに書いているんだ?

>なので同意を得たと捏造はしてないんだよ。文脈を明確にするためにも途中段階でも認めた部分はそうと示してくれ

途中段階でも認めた部分があるなら、それに関してはそうと書くのでは?


>なのでこちらは答えているが、上記のように認めたか認めていないかを答えずに次の話に移っていることを指摘している

いや返答もないし改めて書くが
「そうだと仮定したとしてもおかしくないか?と話を進めてるんだから答えていない扱いなのがまずおかしくないか?」



あとサンデーや社台関連まったくないがそちらに反論の余地なしという事か?
0
276. 名無しのあにまんch 2024年09月01日 04:03:33 ID:U2OTA4Nzc
>>275
>それ以前の問題として別定義が存在するから「しかない」とはならないという指摘だが
この話は文化的価値と言う言葉に文化的影響力の意味をそちらが含めた話をはじめたときに、これまでこちらが定義してきた言葉より意味が広がるので言葉を分けようというのがこちらの主張だ
「その意味しかない」と主張しているわけではなく話の中では分けようと言っている

>分解して終わりと、何と何を組み合わせるかが重要かの割り出しでは別では?
分解は必要までは共通するだろ

>視聴者層の違いを考慮すれば偏りって程の差かは疑問なんだが
グーグルは高評価の割合
その視聴者層の分布の推定は結構曖昧

>だから問題になって無かった、その風潮が無かったとは言えんやろ
時系列で比較すれば社会の価値観が大きく変わったことで上映禁止になるほどではなかったものが上映禁止になりアトラクションもなくなったという変化は見える
上映時点、30年前時点、現在の時系列変化だ

>その根拠は?結びつけた主観での推測の域を出ないのでは?
少なくとも英語の記事では批判と署名運動をうけての変更と書かれている

>だとすれば言葉が足りず指摘として不十分だ
俺は「作られた当時の価値観として最高の一品だったのかはわからない」と言ったんだ
これは普遍というのが時代を超えてすべて当てはまるものという主張の反論としてのミロのヴィーナスは2000年前の価値の証明がされていないという指摘だ
それに対しての「発掘後の約200年の評価が消えるの?」という問いは文脈に関係のないものだろう

>それでも残った普遍的な美に対しての話に
残った普遍的な美って誰が決めるの?
それこそ全くの美術的な教養がなければミロのヴィーナスの価値を読み解くのは難しいと思うが
美醜の基準が違えば美しいとも思えないんじゃないか?

>そうやって「普遍的」と言えるものが増える事にこちらが否定的だったとは思えないがそれを持ち出して何を言いたいの?
そちらが主張する普遍的な美って「理屈抜きで鑑賞した際に美しさを覚える」ものだろ
織部好みはその時代のトレンドからすれば美とは到底呼べないものだったが権威の中で価値を得て、その後庶民階級に広まるなかで普遍的な産品になったものなのでそちらの主張する普遍的な美とは異なるものだぞ
あとここで個人の価値観の話すると話題がぶれるから避ける

>「普遍性」の言語化や説明を成す解説者としての学芸員・キュレーターというエリートが存在する事と、美術館がエリート的な基準で構成されている事は別件だよ
キュレーターは収蔵も担当する業務も担っているのでその話をしていて、解説者としての機能の話をしていない
つまり学術的価値および芸術的価値の両方に対してキュレーターがエリート的な基準での選別を担っているという話
ナンセンスと言うが、そちらが普遍的な美がなければ美術館など存在しないことになると言ったことに対しての返答として、俺は美の普遍性はなくてエリート的な基準によって美の定義をしているのが美術館だと返している
ちなみに個人美術館ではその限りではないと思うし、特定分野の展示についてはそのジャンルの専門家に選抜を頼むことになっていると思うが基本的には美術館こそエリート主義と美術的権威の根幹的なイメージを俺は持っている

>時代を越える事に対しては過去から現代まで続いて来て実績で証明されているだろ
そちらが証明しなければいけないのは「理屈抜きで鑑賞した際に美しさを覚える」ことでいつの時代に誰が見ても共通する普遍性だぞ
美だとされた評価実績ではなく、また将来においても変化の可能性がある時点で普遍性ではない

>コロンブスの件は誤用という事でそちらが認めたと判断してかまわないか?
俺は基準が変わることによって人であれ作品であれ評価が変わることは共通すると考えているがトピック的には余計だと思ったので飛ばした
本当はもっと論点削りたい

>実態としての組織構造としても国のあり方を決める主体は国民(大衆、個人)であり、その代表・代理として政府が取りまとめているのであって上に立つものではない
それは国民主権とは国民が国家の行方の最終的な判断権限を持っていることを意味するものであって国家運営には触れておらず、また国民の代理も政治に留まっている
ここで話すのは「国民は政府の傘下にあるか」だ
国民が主権を持つ国家においても官僚組織を中心とした政府が行政主体として国家を運営するということはいいだろ?
これは政府が統治機構であるということだが、統治される側は傘下にならないのか?
また、こうした官僚組織についてはウェーバーの時点で合法的支配とされている
支配する・されると言う関係も傘下であると言うに足るはずだ

>前述のようにだとしても主体である国民の代理である事に変わりはない
統治機構としての政府単位で承認を得ているため、この統治が国民の持つものでなければ代理とは言えない

>不正はクビにするだけの理由として正当では?
不正でのクビは正当だが、それは国民と意見が違うからクビとは違う

>9月で辞任する事になった訳だけど、予言者かな?
ろくな候補がいねぇ

>とはいえ日本国憲法に従うという主張の中には法律に従うもそもそも含まれているのは理解していただけたか?
憲法というのは国民と共に政府を縛るルールであり法治国家では基本的には全てが法に書かれるように成立しているのだからそう言えるのは当然だろう
国民は憲法に従うことによって行政が定めた法令等に従うのだから統治されている構造に違いはないだろ?

>統治機構である事の担保として主体は国民にあるし、従っているのも憲法や法令である
統治機構である事の担保として主体というのがわからん
あと実際には明治政府から継続しており、戦後もGHQの指示に従いながら存続してきているので国民によって統治機構になったわけではないけどな

>これに関しては?
日本の話じゃないので本筋とは外れると判断してスルーした
あと複合体であるなら一本化された主体性…あたりが何言ってるかわからんかった

>例え後者だとしても国民から見ておかしいのであればどういう予定で利益という形で国民の意思に沿うかの説明責任はあるだろ
例えば円安、物価高政策を進めるにあたって事前に国民の了解は取っていないだろう
当然、これは国民にはメリットがありますよと説明するし、後になってからは効果測定はするだろう
ただしその是非は事前に国民には問われていないと言う話

>では何故それらから具体例を引用しない?
概念の具体例ってなんだ?
ホッブズの段階ですでに国家などの人格が示されていて、今でもそうした組織の人格に関する論文はあるって話でなんでホッブズ個人の価値観だということになるのかわからん
「規模の大きな組織の価値観が在る」ということが示されているという話での引用であり、それ以上の主張で持ってきているじゃないぞ
それと論文の抜粋の話については「組織の行動原理が個人や国家を超えて優越」しうるという仮説であって論文内で実証されているわけではない
ただし、行動原理として社会規範を上回る可能性があると言う話では論文中にあるように多国籍企業についてはすでに国の支配から抜け出つつあると思えるが
「組織による価値観という概念の存在は解釈によっては認める」のであればこのトピックはこれで終わりよ

>「政府の構成員をはじめとして高い集合」これがそも「自分はそう思っている」以外に根拠がない
ここまでで段階を踏んで、社会のヒエラルキー構造における上位の集合体と下位の個人の集合を示し、そのうえで「組織上は避けられない上下関係もある」として「上の個人の集合と下の個人の集合では上下になる」までは認められてきたと認識している
疑問を呈しているのは、政府の構成員等が高い集合に入るかどうかということか?
それと「政府の構成員は政治家にせよ官僚にせよ職業に過ぎず法の下に平等だよ」というのは法の下の平等と社会のヒエラルキーにおける上下が別のものだというだけだ

>加えて高い集合としても「政治分野に限るなら」という話。会社の社長が所属する会社内でなら偉いって話と似たようなものだ
ならば芸術業界においても高い集合と低い集合があると言ってよいはずだ

>国政への影響力があるのと、だから国民の上かは別の話
「国家の価値観」への影響があるから国民の上の集合とは言っていない
上の集合と下の集合があって上の集合が「国家の価値観」に影響があると言っている

>指摘するまでもなく何故「論」に過ぎないのか熟知していると思ったが違うのか?
こちらとしては視点を示した論であってどっちが正しいとか示されたものじゃないだろうと答えているが
何が正しくないとの指摘もなければ答えようがあるはずない

>仮にそうだとして何が言いたいんだ?
社会の視点と社会の価値観の決定手続きを聞かれたのでその中での認識ズレを正している

>というやりとりが成立しているが?
その話は段階的にそれは違うと否定を繰り返した先の最後のところで既に「LGBT個人の価値観が社会に影響を与えた」と言う話は終わってて「その先のルールの整備がまだできてないね」と言うことを俺が認めてるだけの話だな

>実効性は兎も角として環境に対する議論は数多行われていないか?
環境問題への対処とかは結局はそれに賛同する国ベースでの施策じゃないか?カーボンニュートラルの実現とか
なので国を移動できても区切りの中で生きる限りは下のイメージだが
  世 界
 国 国 国
個個個個個個個

仮に個人に情報伝達されるのは世界(国連)から国を通じての情報発信になるし環境問題とかは伝わらないのでは

>だから疑うべきでないとも言えない筈だろ
疑うのはできるが不正がでるまではそれは正しい結果として運用されるということよ

>なってないから言ってるんだが
すごい賞とったら政府がコメント出すじゃん
そのうえで政策ヒアリングとか委員で監督とか呼ばれだす
河瀨直美とか評価は高いがそんな売れてない

>であれば最初から過干渉をそちらがよせばよいのでは?
そも「個人の価値観に基づいた独特で素晴らしい視点からの評価もいくらでもあるだろうけど大きな組織や国が重要視しないというのが実態」というところにまだ回答をもらっていない

>「機能していない」、と「機能していなかったこともある」では全く話が違うだろ
元のテキストだと「必ずしも政治や行政からの自由と独立性が担保されているわけではなく、結果的に政府に従属しているのが実態だという」だな
もう少し調べてみると現在もイギリスのアーツカウンシルでは管轄省庁が評議員等を承認、政策の優先順位や業績評価指標等の指標化、組織や活動全体への評価を行っていて、実態としては政府の政策意図を反映しながらも緩衝材として機能するものとなっているとのことだ

>それが他人と共有できていないような自分にしか通じないものばかりなのに社会に通じて当然と言わんばかりだから言ってるんだろ
社会に通じて当然とは言ってないぞ
あくまで議論用に使っている言葉として、これまで定義については伝えてきている

>上記のような雑さ、不適当さとどっちもどっち論で同列扱いされるのに納得しかねるという話だが
俺もマジかって思うのは色々あるぜ
じゃあどっちがより悪いかって誰が決める?

>実績に対する功績への貢献度や理解度が同程度とも限らんのでは?
そっちが言っている貢献度も明確な基準があるわけではないので結局はグラデーションがあると言える

>過去の経験が作用するかもしれないのだから未来に限定するのなら合っていない
なるほど、あらゆる物事は他の物に影響して変質を与える(与えたかもしれない)という視点と言う方が近いか?

>とてもニッチとは言えないような作品まで巻き込むんだから極論以外のなにものでもないだろ
普通にワンピースよりは売れてない、じゃあ何よりは売れてたのか、どこからがニッチだって話せばいいんじゃないか

>だったらそちらが最初から持ち出すなよ
未成年もプレイしてる時代だったと言っただけだろ
数値的なものは誰も持ってないのは明らかだろう

>主観の個人的価値観、印象論で難癖とは恐れ入る
そうだなぁ主観はそれぞれ違うものな
別にこれを論拠にして反論してるわけではないが主観で判断して批判するのはいけないことだな

>相乗効果ではなくアニプレが理由とは何を根拠に?何のデータを理由に?
GoogleトレンドでFateと調べると2004年2月(原作)に大きな山があり2006年1月(DEEN版)にそこそこの山、しばらく低調を続けて2011年10月(ZERO)に再び大きな山、2014年10月(ufo版)の山を経て上昇傾向になり2015年8月(FGO)の山以降は水準が大きく上がって2017年10月(劇場HF)が最大
数値的に話題性の拡大に最も寄与しているのはアニメ展開

>その上で後から極論を持ち出すなんて無理筋を使ってまで自己正当化をはかる卑劣さで何を言っているんだ?
>何で不当に作品を貶めた加害者側が
>ニッチかどうかの基準として明らかにおかしいのを後出しする卑劣さは流石に考慮せんわ
人気マンガの基準が高すぎて極論だというのも、俺が貶めたとするのも、ニッチの基準がおかしいというのも全てそちらの主観ではないのかい
ゴールの位置を決めるのは最初に主張した俺の主観のなかにあったのだからそれを確認すべきであるのに、そちらは主観のみの判断によってゴールを設置して、そのうえで俺の認識が自分と違っていたことを人格批判によって非難している状態だ
ちなみに個人の認識には幅があると思うが、俺はジャンプであれば銀魂ぐらいの中堅がラインだし、マガジンだとあひるの空くらいか
世の中でもそれぐらいの認識の奴は多いと思うぜ
人気マンガはどこからかって質問をしてKADOKAWAとかのタイトル挙げる奴が大多数と思うか?
補足をするとFGOが跳ねた後のFateはジャンプの人気タイトルぐらいは人気だと思ってるのでそれぐらいの基準になった面はあると思う

>いやメッチャ出てくるが
それ全部他のツリーで、ここにレスが繋がってるツリーには出てこないぞ

>否一色みたいに騙ってないか?
否一色とは思っていないが全体的に評価は高くなかったという俺の印象には近い
レビューの低評価を未プレイ扱いは推測だしファンの悲しい性だと思うぞ

>世界各地の賞を受賞したからといって受賞した作品を知る事はまずないんじゃないのかでは?
それはその通り
エリート主義的評価自体は世界各地の権威的な場所では普遍的に機能するものの本来の消費者である大衆への影響力は弱く、賞を取っても興行収入が伸びないものもある
だからこそ映画祭自体も世界に作品を紹介するために色々と見本市をやったりして努力をしているがそれが十全に機能しているとは言い難い
エリート主義的評価ってのは世界中の芸術エリートのサロンの中での普遍性であって大衆の普遍性ではない
個人的にはそれはそれでよくて、エリート達の評価も大衆の評価も並び立っていてどちらが上とかではなくそれぞれの基準は違うものだと考えている

>現代社会‘では’そうなっていないのを“過去には”例外なくすべてのものにあてはまっていた状態へ戻したという評価なのに何故違うと?
ちょっとだけネタバレになるが、パーフェクトデイズで描かれる「現代では欠けた」ものというのは物質消費社会になって失われた単調に繰り返す日々の中の小さな幸せで、昭和時代かまたは産業革命以前の「過去にはあった」もの
この映画はその小さな幸せを提示したのであって現代社会では欠けている状態は続いているし、コメントも現代社会に欠けた普遍的な価値を「示した」と言っているんだ

>普遍性を用いる場合は広めるよりも既に広まったり内在済みのものを指す場合が殆んどだ
まぁ誤解を生みそうなケースでは言葉を変えるか
普及だとこれから広める的な意図を個人的には感じるので上の文を例にするのであれば「エリート主義的評価自体は世界各地の権威的な場所では普及していて共通的に機能する」ぐらいの意味で使っている

>2 よしとして、認め許すこと。聞き入れること。「知事の承認を得て認可される」
これで使っていてかつ承認と認可を分けている

>「国家が保証する」という事をそちらは軽く考えすぎなんじゃないか?
軽く考えていないからこそ国がある程度の従属をさせられるように色々と縛りを与えていると考えている

>誰が何を承認しているんだそれ?
政府が団体、これまでの結果を含めた賞等の活動そのものを承認している

>そんな風に気分や政府で承認というラベルを着けたり剥がしたりされては国際的な信用に関わる
>「現在の文化行政も芸術と行政が一定の距離を保ち,援助を受けながら,しかも表現の自由と独立性を維持する」精神に真っ向から反しているが?
>運営・実行の為の金はもらえど評価という点に関しては政府はノータッチが原則なのは弾圧や侵害を避ける為なんだが
先に述べたイギリスのアーツカウンシルがそうであるようにどこの政府も政策に沿って活動する範囲でのみ独立を認めていると言っていい
現在においてもイギリス政府が作品の選定には関わらないというラインは守っているものの、アーツカウンシルに対して資金・規約・監査などで実質的に縛りを与えていることこそが独立を認めていない証左だ
資金提供だけしてまったく関与しないのであればアーツカウンシルへの評価とそれによる事業や組織等の見直しをする権限が政府にあるはずがない

>それこそ表現の自由を弾圧するディストピアだろ
実際には上記の制限があっても政策に沿って進んでいる限りは何ら問題がない
そうした意向から外れれば某アート展(表現の不自由展)やヴェネツィアのように問題になることもあるが

>非承認ではなく弾圧や表現の自由の侵害や干渉ではないか?
弾圧や侵害であるかのようには振舞わない
あくまで手続きでの非承認であると示される

>政府が承認している活動により認定された芸術作品の芸術性の保証も国家が担うという主張は破棄でよろしいか?
作品の芸術性を審査して保証するのは賞の機能だ
その賞が「芸術性を正しく評価している」ことの価値・権威を担保するものは過去の実績と国の承認だ
国という大きな組織が資金や体制を整え、水準が低いとか基準がおかしいとなれば国が見直しを図って介入できる体制が確保されていることが価値・権威を支えている
つまりこの賞で認められる芸術性自体も間接的であるが国の承認の範疇にある

>作品ではなくスピーチ側にしか文句が言えない事からも
スピーチ以外に文句をつけると政府の正当性が揺らぐためスピーチにしか文句を言えないと言うのは確かだ
しかし、本当に文句があったのは作品なのかスピーチなのかは明らかではなくどちらとも言えない
ただスピーチに文句をつけて圧力をかけたということだけが外から見える事実だ

>こっちこそ「~だろう」という推測では?
だから表に出るものじゃないから知らんと言っている
事実は上の通りだけでそれ以上は推測にしかならない

>今の世の中はディストピアだと主張したいのか?
>そうやって政府の都合で承認をするしないを決めるのは言論弾圧や表現の自由の侵害なんだが?
基本的にはみんなうまいこと調整してるからディストピアにはならないんだ
というか団体側も金貰ってる相手と揉めるする理由があまりない
芸術の弾圧となるのは特定の芸術の禁止であり、言論の統制も公的な場に留まらない制限までいかなければディストピアとは言えない
ディストピアに繋がりうる方向性ということであれば否定はしない

>流石に世界的にディストピア状態にあるというブッ飛んだ前提は共有しちょらん
ディストピア的な要素があることによって今がディストピア状態にあるとするのは飛躍でしかない

>国(政府)という括りならその時の総理大臣や内閣府によるカラー、価値観、独自性はあるだろうが
行政組織内にも価値観がある

>そもそも任命責任以外は無いなら挙がる筈もないのだから、話していないから未定とは言い切れないだろ
他と話題が近いので移動した
資金を出すこと、運営・委員を任命・承認すること、規約を設けて縛ること、組織の活動を評価すること、組織・活動計画の見直しをすることのすべてに責任がある
つまり直接選ぶこと以外においては大きな責任があり、それが選択の基準にも影響を与えている
元祖たるイギリスのアーツカウンシルの場合にも政策に沿って戦略が建てられていて助成の基準にも「イギリスのためになるか」という評価基準が示されている

>なんで他人の意見に反対してマウントを取りたいという承認欲求だけで様々なものをそこまで考え無しに巻き込めるんだ?
文が繋がってないぞ
その話してないぞの返信としておかしい

>調べた感じそれぞれのプレミアがこちらはこんな感じになったのだけど、そちらはどこを参照したか聞いても?
適当にまとめてるところからコピペしてきたから表記揺れしている
とりあえずカンヌだけ調べなおしたらインターナショナルプレミアでもいいみたいだな
ちなみにカンヌのコンペティション部門では数年ぐらい前まではワールドプレミアのみを対象としていたので基準が緩くなったみたいだ
まぁプレミアであることが映画祭の応募に必要ぐらいに思ってくれ

>そうでないなら何故、優でなければ劣しかないとなる
二元論者とかじゃなくて、ある特定の一つの基準の中に限定すればその中に段階もあれば優劣もつくって話だろ
俺は一つの基準が世の中全体での絶対的な評価とも言っていないし、他の基準における優劣とは関りはないと言っている
「1つの基準で全ての優劣が決定する」と言ったところを引用してみろよ

>個人の総体として田中さん個人の基準を抜いていいって訳ではないだろ
ここでは個人の総体が並び立つかとは聞いていなくて、社会的視点から見たときに田中さん個人の基準が売上とか賞という基準と並び立つかしか聞いていないのだが

>そうやって「○○さんは抜き」と自己都合で際限無く引いて行くのが認められない以上は、総体の一人として並び立つ
総体については別途に並び立つかを話せばいいがここではその話をそもそもしていない

>それが普遍性であるという前提の証明が無い
これまでに色々とエリート主義的評価が賞や芸術評価において機能している言説を挙げたがどういうものを求められているのか

>慈善事業じゃないんだからデータが必要なら対価を払うべきという至極正しい資本主義経済の在り方だろ
そうではなくて世の中で指標化されるには公開されている必要があるという意味だ

>今回は書き込んで故意をあらわにしたからその限りではない
>上記の通り「不快にしていい権利」と口にして故意を表明するのがよくない
故意であることの意味は下の方で

>自分に都合が良さそうな言い分を継ぎ接ぎにしてさも一貫とした事例みたいに騙るのはよしなよ
私法における権利が私権であり、これに人格権などの人権も対象に含まれている
また権利濫用論から発展して受忍限度論が出てきているので一貫したものだ
また、権利の濫用が人権においての適応とそれ以外で意味が異なるというのであればその論拠は示すべきだ

>権利を手放す=不断の努力を止めるような他者への人権侵害をすべきではないという話でもある
不断の努力は自分の権利を国任せにしないでしっかり自覚的に保持せよって話だからそういう解釈はおかしい

>自身の言う不快が引っ掛からない範囲だと何が保証してくれる?
「公共の福祉に反する形で他人を不快にする事で法令に引っ掛かり得る」との主張は、例に出していた挙げた例(寿司ペロ等)が不快にするだけで法律に引っかかったことを示さない限りは成り立たない
保証とか切り離せるとか以前にそもそも実例になっていない

>そも根本的に不快感のみとか起きようがないだろ
人の内面次第で不快の基準なんていくらでも変わるんだから、顔が気に入らないから不快、黄色いシャツを着ているのが不快、声が不快、態度が不快とかなんでもありえるだろ
不快を理由に制限されるならそういう感じ方をする奴の不快感も尊重されるはずだ

>それは他者の人権を侵害したり公共の良俗に反したり他人を傷つけたりしなければ、ザックリ言うなら「他人に迷惑をかけなければ」の話だろ
ざっくり言っても人権同士で衝突しない限りは制限されない
そのため「迷惑」までレベルを落としたものは公共の福祉では制限されない

>抜粋するが
色々と挙げていたが、表現の自由が制限されうる、「公共の福祉」によって「プライバシーの権利」「肖像権」「環境権」と言った他の人権との衝突(差別やヘイトスピーチについては判例で述べた)した時に制限されうるということにしかなっていない
つまり俺が言ったことと何も変わってないぞ

>一応読んだけど穴埋め程度に数行
偉い先生っぽいけど俺もこの発言は重要視はしていない

>他の方向性で人権を侵害しない事も保証しない
もしかして「他人を不快にして尊厳を傷つける」が他のすべての方向性で人権を侵害しないことを示さなければこちらの主張は成り立たないって言ってる?

>名誉権に限らないんだから事例次第だろ
「他人を不快にして尊厳を傷つける」=「他人の名誉の毀損、侮辱、信用の毀損の禁止」として表現の自由の制限を主張していたのだから、これが名誉の棄損、信用の棄損を示さないと成り立たないだろ?

>一応確認するが、まさかと思うが
意図が伝わっているのかわからんが「②他人の人間としての尊厳を傷つける行為の排除」というそちらが述べた規定が人権侵害の排除とほぼ同義といっている

>いや他にも検閲や芸術への政治的介入など様々な形で存在するが
「他人を意図して不快にする言動は第二の要項に該当」と主張していることに対して表現の自由は当てはまらないと言っているのであり政府の検閲とかはこの場で関りがない

>それと他人を不快にする権利が存在するかは別件では?
そちらは上記の要項に該当するから不快は制限されると主張したから、そこで挙げられた権利が他人を意図して不快にする言動によって侵害されるものではないことを述べている
なのでそちらは再度の論拠を主張する必要がある

>意図して不快にするという侵害行為に対しては断固として対処するという話だ
人権を持ち出さずに個人的に断固として対処するだけなら別に何も問題がない

>資格がないと誹謗中傷による侮辱されたが
それを主張するのは自由だ
俺が誹謗中傷してないと考えているのと同様に

>‘どうして’不快かの“どうして”が裁かれる要因なんだから不可分だろ
業務妨害をすれば不快ではなくとも裁かれる
前も書いたが不快等の感情の侵害を理由として刑法は適用されていない

>仮にだから故意に他人の人権を侵害していいと言う主張ならそうはならんやろ
そう言うのであれば何の人権が侵害されたかを具体的に示してくれ

>ここ数年ではヘイトスピーチに対して条例や誹謗中傷による侮辱罪・名誉毀損罪が適用されているように不快にする事が起き得るとしていいでは大きく違う
まぁヘイトスピーチは判例のように人権侵害とされてるからな
不快とはちょっとレベルが違ってアウト

>「そもそも不快にされないという一段上の幸せを目指し追求する権利として主張している」
それってどういう文を要約したらそうなったんだ?
俺が見たところだと「幸福追求権を、 一般的行為の自由を保障したものと解し、 その保障範囲を基本的に限定しない」としていて自己決定の自由について規定されるとあったんだが

>あくまで気をつけはするが過失で不快にさせた時は許してほしいという謙虚さを持つなら話は別だがその辺りどうなの?
いや、申し訳ないが本音でそう思ってない
法を超えてアウトにならない限りは人間は自分の目的優先で行動してよくて他者の感情を考慮する義務はないと思っている
当然、他者サイドにもそれに対して怒る権利はあるので許して当然とは思っていないが

>そちらが「不快にする権利」を主張したからなのだから、撤回するとすればそちらが他人を不快にする権利の主張の撤回するのなら人権を侵害されない権利があるとこちらは言い換えてもいい
実質的には同じ意味だが「他者を不快にするだけでは人権侵害にならない」に変えるのでよければ「不快にする権利」は撤回する
人権を侵害されない権利は当然認める

>どこの誰が表現の自由は他人を不快にする事が許されると記した?
これまで書いてきた通り人権は他の人権と衝突しない限りは自由が保障されている
なので他人を不快にすることが人権侵害であるとされていない限りは自由の範疇に収まる
自由とは全てを指していて並べられるものではないので規定されたものだけが制限対象だ

>いや働きたい男を例に出していたのに相手を不快にするのは表現の自由で許されているとした時点で覆されていたろ
「覆された」というのは論の矛盾が示されたことを言うもので、この場合には不快にすることが表現の自由の範疇でないことを示さないといけないぞ
働きたい男は表現の自由と異なる例になるので分かりにくいから取り下げたんだ
男が働いて不快を与えることが他者の人権侵害にあたるとは示されていない
転売の話はもっと違って、そもそも公式が転売禁止ルール出しているの知らなかったのでそれを例とするのやめるってだけの話だぞ

>露出に限らないがその「よくわからん」で知らままに犯罪者にならぬように道徳や倫理を遵守しましょうというのが社会通念として浸透している
経緯や目的がよくわからんと言っているのであって公共の場で裸になるのが法にひっかかるのがよくわからんとは言っていない

>色んな権利のうちの1つを知らぬままに侵害しえるという話でしかない
第十一条を引き合いに出してきたので人格権のうちどれが表現の自由とぶつかるかを示す必要があると言っている

>名誉権に限ると書かれていないのだから名誉権以外の個別に記されていない権利全般に適応されると考える方が自然では?
何を指している文章なのか確定していなければ論拠にはならんだろ
少なくとも幸福追求権の中に不快の排除という一文が示されていなくとも幸福追求っぽいことは全てこの文で憲法上の保証対象にできるから不快の排除は憲法で保証されているってのは飛躍が過ぎる
幸福追求権を「個人の人格的生存に不可欠の利益」または「広く一般的行為の自由に関する権利」として、このいずれかの範疇において個別に規定された権利でないものであっても憲法上の保証の対象ならわかる

>現実でも何かやらかした時にその言い分が聞き受けられ過失として許される範囲である保証が無い
俺がどれで踏み込むミスしたかは知らんが、そもそも不快という心理と具体的な犯罪行為は別だって
故意・過失かどうかとかじゃなくて、そもそも行為が裁かれるのであって被害者の心理で裁かれるわけじゃない
犯罪であれば被害者は何も不快に思ってなくても裁かれるし、いくら不快でも犯罪でなければ罪にならん

>道徳もその為に存在する
道徳は社会がうまくまわるためのものでルールじゃなくてマナーだ
俺は法律を全部知っているわけのと同様に道徳を全部知っているわけでもなく、さらに法律と違って個人ごとコミュニティごとに道徳は異なる
法と道徳は明確にリンクしたものでもないので道徳を通じて法を守るなどせずにはじめから法に触れないようにすればいいし、道徳については自身の中の道徳に沿ってそれぞれが動けばいい

>自分では「あくまで不快」のつもりでも「続いている」罪次第では過失だろうと罪に問われる
もともと聞いていたのは「故意の侵害による不快と、過失や相手に落ち度のない言動で覚える不快感は全く扱いが違う」が法的にはどこに書かれてるのかってことだ
挙げてきた「第38条 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。 ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。」は法を犯したうえでの話だ
なので不快に留めた上で何処に書いているかを聞いている

>ならば云々そちらが持ち出したものであってそれに対して敢えて、強いて言うならという話であって結び付きは明確だが?
そういう意味ではなく『第13条の幸福追求権は第11条によって妨げられてはならないとされている』という文章が変でそもそも第11条が何かを妨げるものじゃないので…とここまで書いて気付いたが『第13条の幸福追求権が妨げられないことは第11条によって保証されている』という意味か
『第13条の幸福追求権は「第11条によって妨げられてはならない」とされている』と読んでた、すまない

>ではどう相互に扶助の関係なのだ?
詐欺犯を捕まえて一旦は金を取り戻してもらうことができる
警察に「お前も犯罪者だから詐欺犯は捕まえない」とは言われない
自分が犯罪を犯していたので逮捕されるとか金を没収されるとかあっても公共サービスを受けられる権利が失われるわけではない

>だから自身に非が無い立ち回りが必要で、相手を不快にするリスクをわざわざ侵す理由もないのでは?と言っている
そのリスクをどう考えるかは個人の自由だな

>なのに何で認めたという最終結論出たみたいに書いているんだ?
どこで「認めた」って俺が書いてるよ?
認めたように読めるけど曖昧にしているの分かってたから俺は「否定せず」としか書いてないと言ってるだろ

>いやその反論の応酬終わってなかったやろ
そりゃあ終わるわけない
既に回答済みのこと聞かれてループしてるんだもの

>途中段階でも認めた部分があるなら、それに関してはそうと書くのでは?
この部分もそうだが俺の反論を認めてるのか曖昧にしたうえで別の角度から否定すること結構あるだろ?
だとしても、だからと言って、とはいえ、とかで文章はじめるときのことだ

>「そうだと仮定したとしてもおかしくないか?と話を進めてるんだから答えていない扱いなのがまずおかしくないか?」
まずはループの流れをまとめる
A「(エスパー魔美の話から)意見の否定に対して怒ったうえで受け止めようではだめなのか」
B「なぜ侮辱された側が示さなければならない」
A「示さないのは自由、エスパー魔美の話をそのまま置き換えた、原作の本意に沿う」
B「否定されたのは創作物への出来であって個人の思想や人格ではない」
A「作品への言及も価値観への言及も個人から発信されたものが否定されたという形」
B「それを良しとするのは構わないが、社会的評価・価値も個人的評価・価値で否定されうる」
A「作品への言及は個人である限り個人的評価、社会的評価を個人が否定することもできる」
B「であれば製作に組織の手も加わっていようと個人が書いた作品も個人の評価とすべきになる」
A「批評家であっても誰か個人が評価したのは個人的評価、社会的な組織が連名で評価したら社会的評価になる」
B「だとしてもエスパー魔美のコマが他人を害して良い権利の根拠とはならん」
A「根拠とはしてない、これに当てはまるとして挙げた」
B「思想の侵害と作品の批評という行為の違いで不適切だと指摘している(2回目)」
A「作品への言及も価値観への言及も個人から発信されたものが否定されたという形(2回目、回答済を指摘)」
B「社会的評価・価値も個人的評価・価値で否定されうると認めたという事なのだろうか?(2回目)」
A「作品への言及は個人である限り個人的評価、社会的評価を個人が否定することもできる(2回目、回答済を指摘)」ここでループを指摘

たしかに「それを良しとするのは構わないが…」も「だとしても…」のところも回答はしているものの別の話になっているので反論になっていない
なので俺側にはボールがない状態と言っている

>あとサンデーや社台関連まったくないがそちらに反論の余地なしという事か?
分割されてたうちの一つ飛ばしてた

>流石にちょっと無理くない?
まぁ普通に間違えた以上は言いようがない

>それは社台が買って日本に来た事で解決した筈なのになんで着けなかったの?
種牡馬繋養牧場と繁殖牧場のリスクの取り方は違うからと述べた

>高額出してまで売ってほしいと持ちかけたのが当時の吉田氏だけだったという話
>争いにならなかったのが他は見向きもしていなかった証明
普段から社台以外がアメリカに買付に行っている前提でなければ、SSについても他がアメリカに行っているのに見向きもしなかったのか、それともそもそも誰も買付にいける環境でなかったのかが判別できない

>それならコントだって結果見てからつけてる筈では?
だからキズナも満口だったし時代も違うので何とも言えんと答えている

>そもそも何をもって平準化と言っているんだ?
意見の価値が平準化するって書いたじゃん

>後から「平らになるという事はこういう意味」で言い直せるようにあやふやにするの
そちらのいう近くで見れば凹凸だけど遠くでみれば水平な直線と近い言葉だぞ

>「等しく自分の意見や周りの意見こそ価値が高くて他の人は低いという形」の見方をすると決まってるものではない
そこは書いておいたほうがよかったかもしれないが、これまでの話でも個人の意見以外にもメディアの意見、権威の意見など、どの価値が高いかは個人の内面次第との話になっていた
なのでそうした個人の意見以外も含めたうえでの話だ

>例えば「心理描写が良い」だと直線的に見える。同じ意見が横に連なって一直線に並ぶ
一直線に並んだ部分は数の偏りが生じて盛り上がるのではないだろうか

>誰の、どんなシーンの、と細分化すると個別に好きな部分の差異で凹凸する
それも山のサイズは小さくなるものの数の偏りはあると思うのだがどうよ

>だからあらゆる個人の価値観を良いものとこちらは言ってきたと思うが?
いや、個人の価値観に限定した話ではなく、万物の価値の差がでないのではと
そうなると良貨である保証も難しく、ただ等しい
0
277. 名無しのあにまんch 2024年09月04日 18:39:58 ID:I4NDQxNg=
>>276
>「その意味しかない」と主張しているわけではなく話の中では分けようと言っている

いやだからそのそちらが掲げる意味であろうと「しかない」とはならないだろって話なんだが

>分解は必要までは共通するだろ

途中まで同じだから豆乳とトウフが同じ食品とはならんやろ

>グーグルは高評価の割合
基準が違うのにグーグル並べる意味ある?

>その視聴者層の分布の推定は結構曖昧

いやサイト名があにこれで明らかにアニメ普段見てる層では?


>上映時点、30年前時点、現在の時系列変化だ

つまり30年前時点で既に大きな問題と見なされていて、DVD化すらしてないのに最近大問題になったみたいには言えないだろ

マイフレンドフォーエバーもビデオしかなくて観れないってのに

>少なくとも英語の記事では批判と署名運動をうけての変更と書かれている

それ記者の推測ではないか?ディズニー社はそう回答していたっけ?


>俺は「作られた当時の価値観として最高の一品だったのかはわからない」と言ったんだ

少なくとも形が残る程度には大事にされていたようだが?
アンティオキアのアレクサンドロスが製作したのではないかという推察もされており、加えてルーヴルが紛失したが碑文の刻まれた台座も存在し美術品として親しまれていたのも間違いない

>これは普遍というのが時代を超えてすべて当てはまるものという主張の反論としてのミロのヴィーナスは2000年前の価値の証明がされていないという指摘だ

最高の一品という極論を持ち出して駄々捏ねてるだけじゃないか?
最高でなければ普遍性じゃないとどうせ言い出すのだろう?

当時から美術品として価値を認められていた事を否定できる要素をそれこそ、そちらが示してくれ


>それに対しての「発掘後の約200年の評価が消えるの?」という問いは文脈に関係のないものだろう

いや関係あるだろ
少なくとも発掘されてからの200年で築かれた普遍性がある


>残った普遍的な美って誰が決めるの?

もしかして美術品や漫画、映画を見て感動した事がないの?
美しいと感動した人々だよ
それが延々と続いた歴史に裏打ちされている

>それこそ全くの美術的な教養がなければミロのヴィーナスの価値を読み解くのは難しいと思うが

基本的には感動するしないに素養なんて不要だと思うが
あるいは余計な詮索で申し訳ないが感動を覚え価値を認める事を何がなんでも難しい事にしないと自分が感動できない事が劣ってるかのように錯覚するのか?だから他人の保証する権威にすがるのか?
仮にそうそう感動しないタチだというなら単に独特な感性というだけで優劣はないと愚考するが

もしくは素養による学術的背景でしか感動できない感性の持ち主もいるかもしれないが概ね例外側では?


>美醜の基準が違えば美しいとも思えないんじゃないか?

思えない個人がいるのと、多くの人を感動させた事は両立する


>そちらが主張する普遍的な美って「理屈抜きで鑑賞した際に美しさを覚える」ものだろ。織部好みはその時代のトレンドからすれば美とは到底呼べないものだったが権威の中で価値を得て、その後庶民階級に広まるなかで普遍的な産品になったものなのでそちらの主張する普遍的な美とは異なるものだぞ

広まってから良い物と認識されて普遍性を得たというだけでは?
広まった後に「良い物」と思われなければ別に現代に続く途中で廃れてもよかったはずだ

あと別に、理屈抜きで美しさを覚えるのが前提条件や必要条件って話ではないが

>あとここで個人の価値観の話すると話題がぶれるから避ける

いや普遍性によるかよらずか関わらずメチャクチャ織部某の個人の価値観で残ったのも確かじゃん


>つまり学術的価値および芸術的価値の両方に対してキュレーターがエリート的な基準での選別を担っているという話

その基準が学術的なものはともかく芸術的価値観であれば大衆と大きく解離するものは少ないように思うが?
加えて学術的なものを重視するならば博物館の方で展示するのでは?


>俺は美の普遍性はなくてエリート的な基準によって美の定義をしているのが美術館だと返している

そのエリート的な基準と美の普遍性は必ずしも切り離せるものではない
まさかその時代毎のエリートが毎日毎秒「美か否か」を定義し直しているとでも?

現時点では普遍性を得ていない現代アート等の若い作品や、特定のコンセプトに沿ってまとめられた作品群などの美の普遍性から切り離された評価で展示される作品こそあれど、エリート的な基準とやらが何に因るかと言えば人々が感じる普遍的な美を作品の何にどう感じているかの言語化による伝承伝達を為して学問として形成されてこそ成り立つものだからではないか?


>基本的には美術館こそエリート主義と美術的権威の根幹的なイメージを俺は持っている

国立や市立は概ねその傾向があるが、エリートがエリートたる所以は普遍性を言語化できるからではないか?
どう素晴らしいかの説明こそが権威と言える

>そちらが証明しなければいけないのは「理屈抜きで鑑賞した際に美しさを覚える」ことでいつの時代に誰が見ても共通する普遍性だぞ


個人のnoteから抜粋するが

>芸術作品の普遍性の根拠は、芸術に内在する本体からくるのではなく、精神的なものから、美的なもの、善きものを感受する人間の幻想的身体体制から現われるのであると言う。

ところが、芸術の判定には、絶対的な基準というものがないがゆえに、絶対的権威をもつ批評家の一存で決定する「権威主義」化、政治利用化、商品としての価格を重視する「サクセスゲーム」化する傾向にあるために、芸術ー批評ゲームには困難がつきまとうことになる。

そうなると、相対主義者は、芸術には何ら普遍的なものがなく、人々の幻想にすぎないのではないかと主張する。

これは、本質を取り違えたと言うべきだろう。芸術ゲームが商品ゲームになってしまうことと、芸術の普遍性の原理があるうることとは別問題だからである。

芸術は文化の一ジャンルでしかなくて、絶対的な必然性もなく、また存続し続けるべしということでもない。しかしながら、芸術の存在は、人間が生きていく上で、審美的なもの、人間的諸価値を存続せしめたいという人びとの集合的意志を表現している、と竹田は述べる。

われわれが芸術や文化や思想の自由な「活動」のテーブルをもつのは、われわれがたえず暴力原理と闘争原理に対抗する理由をもっていること、人間的価値審級なく人間の生活も精神の自由も存在しえないこと、したがってつねにそれを生み出し維持し続ける意志と努力が必要であること、これらのことの本質的理由を自らに知らしめるためなのである。
竹田青嗣. 欲望論 第2巻「価値」の原理論 (p.580). 講談社. Kindle 版.
身体的に生存してゆくためには、食物を欠くと餓死するしかないことは自明である。しかしながら、精神的に生き延びるためには、「人はパンのみにて生きるにあらず」と聖書にあるように、絵画、音楽、文学などの芸術を必要としていることも自明である。


そちらはまさに相対主義者にして権威主義者という訳だ

自分の言葉でも敢えて語るなら人間が滅亡とは言えないぐらいには人数が居る限りは普遍性は存在し続けると要約してもいい


>美だとされた評価実績ではなく、また将来においても変化の可能性がある時点で普遍性ではない

物理的な破壊など含めて普遍性が途切れる作品が存在しえる事と「普遍性の不在」は別問題だ
未来の観測ができない今現在においては評価実績に裏打ちされた普遍性を否定できる根拠を誰も持っていない


>本当はもっと論点削りたい

であればこちらへの反発だけで後先考えない事を言い出してツッコミ所を増やさないでくれ

>ここで話すのは「国民は政府の傘下にあるか」だ

国民も政治家も、政治家の集合である政府も法令の下にある

>これは政府が統治機構であるということだが、統治される側は傘下にならないのか?

「人民の、人民による、人民のための政治(政府)」 民主主義の基本だ
傘下を参加者という意味で使ってるなら一概に否定はできないが、支配下にあるという意味なら傘下ではない

支配されているのと一部として参加し、必要に応じて従うのとでは違う


>支配する・されると言う関係も傘下であると言うに足るはずだ

法令によって政府に従うべしとなっている点は従うべきというのと、全てを政府に直接支配されているかでは話が異なる


>統治機構としての政府単位で承認を得ているため、この統治が国民の持つものでなければ代理とは言えない

国民が持つのであれば政府が国民の上とは言えないのでは?


>不正でのクビは正当だが、それは国民と意見が違うからクビとは違う

言うてお隣のクネ大統領はインターネットや大学の学生や教授らからも弾劾要求が噴出した上に実現して、国民感情で本来以上にブチ込まれたりもした訳だが


>ろくな候補がいねぇ

まぁつまりは時間は掛かるが国民と意見が異なった上で代案もないなら辞める事になるという話

その上であくまで「実質的な辞任」なのは日本には首相を急いで強権的にクビする法律がないからできないという点からも国民の上にあるとすればそれが法令である事の証左よ


>国民は憲法に従うことによって行政が定めた法令等に従うのだから統治されている構造に違いはないだろ?

統治であればそう

そちらはそれにかこつけて政府の下にあるとか政府に支配されていると主張しているので違う


>統治機構である事の担保として主体というのがわからん

主権者である国民からの任せますよ、委任しますよという担保があるからこそ政府は必要に応じて国民へ従うよう呼び掛けられる
例えばSP(政府)と要人(国民)なら要人の方が主権を持つが緊急時の行動や平時で注意すべき点はSPに従う方が合理的であるから基本的には任せる事になるようなもの

ただSP(与党)の言動で不信感が累積すれば解雇して別のSP(野党)を雇う(政権交代)も起きうる

政府が国民の上にあって支配してるとしたらそれは一党独裁による社会主義国家か封建制度によう王政


>あと実際には明治政府から継続しており

その頃から変わらず同じ政党が支配している訳ではない

>国民によって統治機構になったわけではないけどな

だから?国民によって成立した訳ではないから何?
成立過程に関わらずアメリカの介入によって国民主権の制度になって、統治機構というガワの中身を国民が選挙で選ぶという話だが


>あと複合体であるなら一本化された主体性…あたりが何言ってるかわからんかった

ただでさえ三権分立してるのに、じゃあ国民を支配する政府の主体って何だ?
政府の意思とやらは何が主体なんだ?
国家の意思というフンワリとした実体の無いものをそちらは挙げたが、では主体の実体はどこにある?という話

複合化してバラバラにすることで権力が単一の機関に集中することによる権利の濫用を抑止し、権力の区別・分離と各権力相互間の抑制・均衡を図ることで、人民の権利や自由の確保を保障しようとするシステムが三権分立であり、国民の支配へのセーフティによって成り立っている日本政府へ
真逆の複合化した政府によって支配されている社会が日本政府であるという主張はは中学の社会科テストなら○をもらえない解答ではないか?という指摘

>ただしその是非は事前に国民には問われていないと言う話

意に沿わずとも是非を問われないのは結果論として成功すればだよ
失敗すれば結局は是非を問われ辞任する事になる


>概念の具体例ってなんだ?ホッブズの段階ですでに国家などの人格が示されていて

リヴァイアサンはあくまで「こういう考えもある、この考えに基づいた政治運営こそがより良い社会を形成するのではないか?」という政治哲学の域を出ていない話であり、単体で国家の人格を保証するものではないし政治的実績がある訳でもないぞ

抜粋するが
>内戦や対外戦争などの非常事態が起こり、国家が機能不全を起こしたときに、どのように平和と秩序を形成して維持していくかということを説明した本

であり

「こういう考えが有る」と「こういう実例が在る」では意味が異なる

あと当時の封建制度に基づいた思考の展開による教会の権力に対して政治的権力を高めようという絶対王政の成立の仮定を現代日本にそのまま当て嵌められる訳ないんだから、リヴァイアサンを引き合いに何か現代日本に適合する「国家などの人格」概念の具体例がそちらなりにあって引用したんじゃないのか?って話だったんだが何も無さそうで頭抱えてる

いや逆に聞くけどリヴァイアサンの示した「国家などの人格」って具体的に何?

>今でもそうした組織の人格に関する論文はあるって話でなんでホッブズ個人の価値観だということになるのかわからん

前述の通りリヴァイアサンはあくまでホッブズ個人の当時の情勢に基づく価値観で形成された「こうしたら良い政治形態になるはず」という哲学的思考を纏めた(政治)哲学書で
それを受けて書かれた組織の人格に関する論文に関してはリヴァイアサンを読んだ著者の個人的価値観に基づく意見であって国家に擬人化された人格がある事を説明したものでなければ証明したものでもないし保証したものでもない

ようは結論が出ていない


>「規模の大きな組織の価値観が在る」ということが示されているという話での引用であり、それ以上の主張で持ってきているじゃないぞ

在る、と示されたのではなく
在ったなら、という哲学的思考展開の開示なんだが
具体的にどう「規模の大きな組織の価値観が在ると示された」んだ?


>それと論文の抜粋の話については「組織の行動原理が個人や国家を超えて優越」しうるという仮説であって論文内で実証されているわけではない

その仮説にすぎない話がそちらの言説に倣うなら正しいという事になるぞ、という指摘だが


>「組織による価値観という概念の存在は解釈によっては認める」のであればこのトピックはこれで終わりよ

解釈によっては認めるが、でも多分そっちが提示する解釈に納得できる気がしないんだが


>ここまでで段階を踏んで、社会のヒエラルキー構造における上位の集合体と下位の個人の集合を示し、そのうえで「組織上は避けられない上下関係もある」として「上の個人の集合と下の個人の集合では上下になる」までは認められてきたと認識している

その例で言うなら「いやそっちが提示してるの上下関係にある組み合わせちゃうやん」「なんでそれとそれを同じ組織扱いすんの」って話なんだが


>疑問を呈しているのは、政府の構成員等が高い集合に入るかどうかということか?

いや根本的に持論ありきで何で上下確定みたいに話進めてんの?って話なんだが

>それと「政府の構成員は政治家にせよ官僚にせよ職業に過ぎず法の下に平等だよ」というのは法の下の平等と社会のヒエラルキーにおける上下が別のものだというだけだ

社会のヒエラルキーにおいても別に政府関係者が上って訳ではないぞ
利権が絡みやすいから「稼いでいる」という意味でなら上にいるだろうが


>ならば芸術業界においても高い集合と低い集合があると言ってよいはずだ

それ自体はあるにせよ、そちらはあくまで同じ業界内でならという前提を飛躍させる気じゃないのか?

>上の集合と下の集合があって上の集合が「国家の価値観」に影響があると言っている

そもそも「国家の価値観」が実在する前提なのがおかしくないか?
そういう考え方もあるというだけで世間一般の共通認識でもなければ通説でもないだろ
加えて言えば仮にあったとしてもそれは官僚や政治家として職務上の判断であって国民としての上下という話ではないだろ
専門家として職務上、意見を反映させやすい立場にあるという話であって


>こちらとしては視点を示した論であってどっちが正しいとか示されたものじゃないだろうと答えているが

あーつまり熟知していないが反射でとりあえず反発したと

「どちらも正しいとは示されていない」
「いや、どっちが正しいとか示されたものじゃないだろう」

こちらがどちらかが正しい、あるいはどちらも正しいと言っている訳でもないのにその返答は何を言ってるんだ?って話

>何が正しくないとの指摘もなければ答えようがあるはずない

いや中身知ってる上でそちらも正しくないという立場ならこちらが指摘するまでもなく答えようあるだろ

そちらが自分はどちらか、あるいは両方正しいと思っているというスタンスなら話は別でこちらはその点に関して否定しなければならないが

>社会の視点と社会の価値観の決定手続きを聞かれたのでその中での認識ズレを正している

では具体例は?
政府内では様々な決定と様々な基準があるというがそれを外部の人間のそちらが推測ではなく、正確に把握しているのか?

というかそれは組織内の慣習であって一般社会へ適用されるかは別じゃないのか?

>「LGBT個人の価値観が社会に影響を与えた」と言う話は終わってて「その先のルールの整備がまだできてないね」と言うことを俺が認めてるだけの話だな

いやだとしたらなにを勝手に自分優位の結論で終わらせてんねんって話だが
またそうやってゴールポスト動かす

>環境問題への対処とかは結局はそれに賛同する国ベースでの施策じゃないか?カーボンニュートラルの実現とか

だとしてもそちらが標榜する国連や国際社会とはそういう集まりだろ
賛同する・しないと集団に属してるかは別の話で

>なので国を移動できても区切りの中で生きる限りは下のイメージだが
  世 界
 国 国 国
個個個個個個個

だがそれでは違法で無い限りは従わない自由(道徳は強要されない)をそちらが掲げる以上は国が上とは言い切れないだろ。賛同国家に住みながら法律に反しない範囲で環境に悪い事を成したり、非賛同国家に住んでも自主的に環境に配慮したり
特に後者の存在は必ずしも国家が上に在るものではない事を示す


>仮に個人に情報伝達されるのは世界(国連)から国を通じての情報発信になるし環境問題とかは伝わらないのでは

いや別に今の時代、普通に外国の出来事だろうとネットで調べられるしそれこそ国ではなく個人の繋がりで情報を得る伝を持つ者もいるだろ
あるいは国を介さない多国籍組織の形成も現代だからこそおかしくはない。というか特にボランティア団体とかはそういうもんじゃないか?


>疑うのはできるが不正がでるまではそれは正しい結果として運用されるということよ

それ単体であればそうだが、それを理由に不正を疑うべきではないとするのは違くないか?


>すごい賞とったら政府がコメント出すじゃん

コメントが出たからどうなるものなのだ?
作品にとっては栄誉だとは思うが

>そのうえで政策ヒアリングとか委員で監督とか呼ばれだす

いや申し訳ないが、うんだから何?としかならんが


>河瀨直美とか評価は高いがそんな売れてない

こちらの勉強不足で申し訳無いが初めて知った名で、調べてみればなるほど凄い人物だとは思ったが社会的価値と言うには映画や映画業界に興味が無ければ伝わらないごく限られた価値ではないか?


>そも「個人の価値観に基づいた独特で素晴らしい視点からの評価もいくらでもあるだろうけど大きな組織や国が重要視しないというのが実態」というところにまだ回答をもらっていない

抜けてたのは申し訳ないがそれ抜きで「であれば最初から過干渉をそちらがよせばよいのでは?」という事には変わらんのでは
で、改めて書くと

大きな組織というのは業界や企業にとって金銭的な意味の価値はあるだろうがそれは経済的価値も社会的な価値として含むという判断において?
普遍性が無いなら再現性にも乏しく稼ぎ終わった作品を評価する事に意義などなくなってしまうが

国に関しては国益、産業として文化の振興としては価値があるという話だろうか?
だとした場合、普遍性が無いなら一過性に過ぎないものへ賞を送り残す意義が失われるのでは?


>元のテキスト

ソースというかテキストの参照元を調べてみたがそれは2021年発表時における過去の実態に関してではないか?

抜粋になるが
>アーツカウンシル・イングランドでは、2022年に芸術分野の民間資金に関する報告書を発表。それによると、民間からの資金額は7億9900万ポンド(約1600億円)で、その44%を個人の寄付が占めている。

他にもロンドンの一極集中から他の都市へ分散させて約1/5に予算が激減する事態になったりとそちらが口にしている状況と実態は異なるようだが?


>現在もイギリスのアーツカウンシルでは管轄省庁が評議員等を承認、政策の優先順位や業績評価指標等の指標化、組織や活動全体への評価を行っていて、実態としては政府の政策意図を反映しながらも緩衝材として機能するものとなっているとのことだ

現在も、とするソースは?
上記のそちらの参照元では

「アームズ・レングスの原則」が順守‘されてきた’という誤解である
イギリスのアーツカウンシルの‘歴史を’考察すると

いずれも過去形や歴史(過去)に対する言及のようだし、上記の記述は無かったが別の参照元があるのだろうか?


>社会に通じて当然とは言ってないぞ

いやつまり実社会ではそちらが言うような事にはなっていない証左ではないか


>じゃあどっちがより悪いかって誰が決める?

そんなものを決める決めない以前にそもそも他人を安易に否定しに近寄って来るなと言っているが


>そっちが言っている貢献度も明確な基準があるわけではないので結局はグラデーションがあると言える

いや明確に貢献度に差が見える可能性はあるだろ
例えば営業成績なり利益なり数値だったり、骨子や中心部を担っていて換えの利かない作業を担当したりとかで


>なるほど、あらゆる物事は他の物に影響して変質を与える(与えたかもしれない)という視点と言う方が近いか?

過去の行いが未来に作用したり、未来で互いに現在進行形で作用したり
与える、与えた、与えるかもしれない、与えたかもしれない
それこそ平行世界や未来の観測でもできない限り何が無意味かは結果論でしか語れなくないか?
0
278. 名無しのあにまんch 2024年09月04日 18:42:00 ID:I4NDQxNg=
>>277
>普通にワンピースよりは売れてない、じゃあ何よりは売れてたのか、どこからがニッチだって話せばいいんじゃないか

その話をそちらがニッチではないと例に出したディステニーを対象にしていて
数値でニッチではないと示した途端に「なら撤回して比較対象をワンピースにします」なんて卓袱台返しをしたから最悪だと言っている

・種運命に関しての資料集めや話をしていた時間を無為にされた
・間接的に種運命を初め多くの作品をニッチ扱いに貶める
・初めからDBやワンピースが基準ならそれを具体例に出す筈なのに「人気漫画」として特定の作品ではなくある程度の売上げや知名度のある作品全般かのように言った上で、最初は種運命を引き合いに出しておきながら白々しく「いやこっちは最初からワンピースやDBが基準だったから」なんて言い出すのを通せる程度の知能とこちらを侮る

これだけこちらをコケにしながら、改めて話せばいい?
それはちゃんと議論する気がある相手でないと成立しない


>未成年もプレイしてる時代だったと言っただけだろ
数値的なものは誰も持ってないのは明らかだろう

だったら何の為に言い出した?
印象操作狙いか?

>別にこれを論拠にして反論してるわけではないが主観で判断して批判するのはいけないことだな

だったら最初からグチグチ言わず数字のままに受け入れていれば良かったのでは?


>数値的に話題性の拡大に最も寄与しているのはアニメ展開

それ単にグーグルでアニメ化の宣伝含めて企業もネットに繰り返し話題を出した事に反応があった事を示すだけでファン層が拡大された証左ちゃうやん
加えてアニメ以外にも作品出続けてるんだからそっちへの反応ではないと言えんやろ

というか元々のファン層が反応したらそりゃ数値出るに決まってるだろ
因果関係考えて喋ってくれ。一週間以上考えた末の言い訳がそれは聞いてて悲しくなる

あと加えて抜粋するが

>嚙み砕いて説明すると、グラフ上に表示されるデータは、あるキーワードの検索数(ユーザーがキーワードを入力した回数)ではなく、Google全体の検索に対するそのキーワードの検索の割合を相対的に表したもの、ということです。

また、割合はパーセント等ではなく、最も割合の多かったときを100として、0から100の間で示されます。

仮に、あるキーワードの「人気度の動向」が、ある時点で100あり、その1か月後に80に下がっていたとしても、決して検索数が20%下がったわけではないことになります。むしろ検索数としては増えている可能性もあります。データは、地域や期間、カテゴリなどの指摘した条件におけるGoogle検索全体の利用度によって調整されるためです。


要約するとGoogleトレンドは単純な検索数の推移を示すものではない為に、そもそもそちらの主張に用いるには数値の有用性に疑問があるので参照に値すると言い難い点と、データがアニメによる影響のみを観測できるものではない点と、検索割合がアニメによるファンの増加を示すとは限らない点の三点を理由に違う根拠の提示を求める


>人気マンガの基準が高すぎて極論だというのも

基準点が高すぎて比較対象の範囲や割合がおかしくなるのは主観ではなく客観的事実だが

「映画は映画祭でどんな賞を受賞しようと鬼滅の無限列車以下の売り上げ作品はニッチ」が許されるならそちらの掲げる社会的価値なんぞ等しく無意味で無価値で無意義になる暴論だがよろしいか?

加えて上記にも記したが、なら最初からワンピースやドラゴンボールと書けばいいものを不特定多数を指す人気漫画と書いたそちらの不手際か、最初からいざとなれば卓袱台を返すつもりか追い詰められて咄嗟に卓袱台を返したかのいずれかでしかないだろ

>俺が貶めたとするのも

多くの作品を敬意無くニッチなものとする暴論で貶めているのは客観的事実だぞ

>ニッチの基準がおかしいというのも全てそちらの主観ではないのかい

ニッチかどうかなんて個人の感覚で決められるようなもんでもないものへ個人の主観を持ち出して暴論を振り回すのはおかしいというのは客観的事実だぞ

メルブラやホロウ発表前後の当時に、世間から見てニッチだったかどうかの話をしていたのに「世間とか関係無い!俺からすればニッチ!」って言い出したら何もかもおかしいだろ

>ゴールの位置を決めるのは最初に主張した俺の主観のなかにあったのだからそれを確認すべきであるのにそちらは主観のみの判断によってゴールを設置して

いやそっちが種運命を最初に挙げてゴールを設置したろ
それに対してデータで種運命に月姫やFateが比肩していたのを示したのにゴール移動させたんだろうが

加えてニッチかどうかってのは個人の主観ではなく世間に浸透しているか否かで判ずるべきでは?

再三言うが不特定多数を指す人気漫画ではなく特定の漫画を想定していたのなら最初からそう明示しなかった自身の不手際を「確認しなかったそっちが悪い」と責任転嫁するな
さもなくば最初から卓袱台返す気だった不義理か、そちらの文章構成力に疑問の余地が生じる事になるが真相はどれなんだ?


>そのうえで俺の認識が自分と違っていたことを人格批判によって非難している状態だ

認識の違いではなく種運命という明確な物差しを「あ、これでは言い負ける」と撤回してワンピースを再配置した上にニッチかどうかを個人の采配で決めようとするという批難されるだけの事をしているからなのを、なんでそこまで棚上げできるんだ?


>世の中でもそれぐらいの認識の奴は多いと思うぜ

何に基づいて、何に裏付けされて、何に保証されて「世の中でもそれぐらいの認識の奴は多い」と言えるんだ?

>人気マンガはどこからかって質問をしてKADOKAWAとかのタイトル挙げる奴が大多数と思うか?

それタイトルや出版社じゃなくて「これぐらい売れていたら人気漫画だと思う」という数値の方が大事な話だろ。論点ズラしにも程があるというかニッチか否かと人気マンガかどうかではニュアンスが違うんだからそれも含めて論点ズラしだろ

あと出版社に関わらず売れさえしてりゃ大多数が挙げる可能性があるというかKADOKAWAは寧ろ少年エース系列になろう系コミカライズ、電撃文庫コミカライズ、その他ラノベコミカライズ(ハルヒ系列等)、エヴァやエウレカ、多重人格探偵サイコを初めとした大塚英志原作作品、文豪ストレイドックス、Fate系列、ケロロ軍曹、ガンダムエース掲載作品などで寧ろ挙がる可能性高くないか?


>補足をするとFGOが跳ねた後のFateはジャンプの人気タイトルぐらいは人気だと思ってるのでそれぐらいの基準になった面はあると思う

それは単に自身のイメージの話で実際そうかはまた別の話では?
流石にデータ取る気も失せて数値が手元にないからFGO前からそうだったとも、FGO後もそれに達していないとも、イメージ通りともそれ以上に売れてるとも言えんが


>それ全部他のツリーで、ここにレスが繋がってるツリーには出てこないぞ

レスの流れからおそらく
258
後半のらっきょ作品評価の考え方にはちょっと異論がある

この「後半を」、が同258での大衆評価に掛かってると勘違いして作品評価という言葉に結びつけていたようなのでこの点はこちらの認識の誤りで、言い掛かりをつけて申し訳ない。すまない


>否一色とは思っていないが全体的に評価は高くなかったという俺の印象には近い

いや文句のつけどころがボリュームや発売延期が重なった所、続編がいつ出るか解らんってのが殆んどで評価が高くない訳ではないだろ

現にボリュームに対する事前情報があったりタイパが重視され短い事が厭われない近年でのDL版販売は好評だった

>レビューの低評価を未プレイ扱いは推測だしファンの悲しい性だと思うぞ

低評価だから未プレイ扱いではなく添えられた感想がプレイしてのものとは思えない内容だからとスレ内で言及されているが?

加えて低評価に同調するのではなく、低評価へ批判的な立場に周る者がいたり低評価の内容への批判に強く異を唱える者がいなかった事実からも「全体的に評価は高くなかった」とも言い難いんじゃないか?


>世界各地の権威的な場所

具体的な場所はどこでどんな場面の話?

>エリート主義的評価ってのは世界中の芸術エリートのサロンの中での普遍性であって大衆の普遍性ではない

世界中の芸術エリートのサロンってどこにあって誰が所属してるんだ?
仮にあったとして映画は鑑賞対象だと何故言えるんだ?
さも事実であるかのように話を進めず、本当に事実であるなら具体例を出してくれ


>この映画はその小さな幸せを提示したのであって現代社会では欠けている状態は続いているし、コメントも現代社会に欠けた普遍的な価値を「示した」と言っているんだ

つまり映画祭が普遍性を付与したのではなくパーフェクトデイズという作品の内容に内在していたものだし

広く普及させたという意味で普遍性という言葉は用いられたとは言えない訳で

「つまり世の中は(広めるという意味で普遍性という言葉を用いる)俺の使い方で問題ないんだ」

に対する反証そのものである訳だ

>普及だとこれから広める的な意図を個人的には感じるので上の文を例にするのであれば「エリート主義的評価自体は世界各地の権威的な場所では普及していて共通的に機能する」ぐらいの意味で使っている

映画業界等の特定社会で継続的に機能しているという点に関しては異議は無い


>2 よしとして、認め許すこと。聞き入れること。「知事の承認を得て認可される」。これで使っていてかつ承認と認可を分けている

ひとまずは了解した

>軽く考えていないからこそ国がある程度の従属をさせられるように色々と縛りを与えていると考えている

その為の手段が国会による法改正で法律の増減や改正によって、法令へ従う事を国民に求め、内閣が実際の行政を行使するという流れであって縛りとか支配によるものではない

>政府が団体、これまでの結果を含めた賞等の活動そのものを承認している

2 よしとして、認め許すこと。聞き入れること。
この意味では
活動を認め許す は成立する。活動の要望を聞き入れるという意味でも
結果を認め許す は団体側が提示した目的を果たした、活動過程や結果に問題がなかった等の意味なら成立する

受賞を認め許す は成立せんやろ。受賞に値すると認め、賞に値する作品だと世に示すのを許すのは審査した団体側なんだから。政府が承認しているとは言えない
結果を認識するという意味では認めるとは言えなくもないがそれは言葉遊びみたいなものだしそちらが選んだ承認の定義からも外れる

>どこの政府も政策に沿って活動する範囲でのみ独立を認めていると言っていい

根拠やソースは?
「自分の考えだとそうなる筈だから」ではなく客観的事実として何で示されている?


>現在においてもイギリス政府が作品の選定には関わらないというラインは守っているものの、アーツカウンシルに対して資金・規約・監査などで実質的に縛りを与えていることこそが独立を認めていない証左だ

・資金:財源には限りがあるんだからどれぐらい出すかの限度があるのは当たり前では?
・規約:税金での活動だから一般常識内のルールは守るように、公共の福祉に反しないようにという規約があるのは当たり前では?
・監査:別にアーツカンシルに限った話ではなく公的機関で金の流れに不正が無いか確認するのは当たり前では?

縛りではなく当然必要な対応に対して独立を認めていないは過言だろ
というか強制加入ではないんだからそれが気に入らないなら助成抜きでやればいいんだから、縛られてもなければ独立が認められていないとも言えない


>資金提供だけしてまったく関与しないのであれば

いやそもそもアームズレングスの話でも‘一定の距離’でまったく関与していない、関与するべきでないとは言われてないが
加えて助成という資金提供にルールがある事自体は芸術分野に限った話ではない
公的予算の申請や後日の監査がクッッッソ面倒なのは仕事で関わった事がある人間なら実感できるレベルだ

>アーツカウンシルへの評価とそれによる事業や組織等の見直しをする権限が政府にあるはずがない

予算に対する成果で判断するぐらいの距離(権限)があるのと、内容に関して社会性を欠かないのであれば干渉しない事は両立するが

>実際には上記の制限があっても政策に沿って進んでいる限りは何ら問題がない

いやそれ政策に沿ってるんじゃなくて公金で製作する作品を反社会的な内容にはしないだけの理性や良心が芸術家側にあるってだけの話だろ

ある意味では政策に沿ってるとも言えるがそれは公共良俗を守るという方向性の話で
社会性や道徳・倫理観、もしくはシンプルに打算から生じる判断であってプロパガンダや思想に支配されたり縛られている訳ではない

イカれてないから政府に縛られているは自由と好き勝手を履き違えていやしないか……というかそちらは権威主義の陰謀論者なのか?


>そうした意向から外れれば某アート展(表現の不自由展)やヴェネツィアのように問題になることもあるが

そういうのやりたきゃ公金でやるなって話だぞ
国民の税金使うなら相応しい使い方をしろっていう

>弾圧や侵害であるかのようには振舞わない。あくまで手続きでの非承認であると示される

いや申し訳ないけどその物言いは弾圧や侵害が裏に実在するという陰謀論を振りかざしてるか、自由を好き勝手にやっていい権利と勘違いしてるかのどちらかにしか思えないんだが

ではそちらの言が真実そうであると何を参照すれば示されている?


>作品の芸術性を審査して保証するのは賞の機能だ

審査して、だと進行形でおかしいと思うが
審査された芸術性の保証として受賞結果が在るという意味でならまぁそれはそう


>その賞が「芸術性を正しく評価している」ことの価値・権威を担保するものは過去の実績と国の承認だ

過去の実績:催しの継続性からくるものという意味ならまぁはい
国の承認:国がメインで組織運営した催しでもない限りは国が審査員してる訳じゃないんだぞ


>国という大きな組織が資金や体制を整え

国がメインなら兎も角、あくまで資金の援助に限るなら体制を整えるとは具体的にどういう事だ?

>水準が低いとか基準がおかしいとなれば国が見直しを図って介入できる体制が確保されていることが価値・権威を支えている

その水準は何に対しての水準なんだ?
何に対する基準がおかしいとの判断なんだ?

国がそんな事できるなら民間組織を助成しないで自分だけでやってるし、助成ではなく国の事業として扱われてるだろ

国が見直しを図って介入した実例はあるのか?

国によって体制が確保されていることが価値・権威を支えていると何を参照すれば事実であると言い切れる?

そういう国が主体のケースが無いとは言わないがそちらが想定するような映画祭は該当しないように思うが

>つまりこの賞で認められる芸術性自体も間接的であるが国の承認の範疇にある

それが頭の中だけの空論でなければ国の事業として国が承認したとも言えるが実際は予算を出して民間に任せている以上は範疇と言えないだろ

1つ2つそういうケースがあるというのではなく、恒常的にそうであるという実例があるなら示してくれ

>ただスピーチに文句をつけて圧力をかけたということだけが外から見える事実だ

つまりそちらが言うような実効的支配は存在せず、そういう迂遠な方法を取らざるをえないという点から良くも悪くも政府が関与できる点は限定的だ


>だから表に出るものじゃないから知らんと言っている。事実は上の通りだけでそれ以上は推測にしかならない

推測にしかなっていないものを事実とは言わん
そちらにとっては「自分の中の真実」でこそあれ、証明できないなら推測の域を出ないのならそれを他人と共有可能な事実扱いするべきではない
「表に出ていないから証明できないだけで事実なんです」
が通るなら反ワクだろうがなんだろうがどんなものも事実になってしまう

>基本的にはみんなうまいこと調整してるからディストピアにはならないんだ

そもそも支配されても縛られてもいないだけでは?

>というか団体側も金貰ってる相手と揉める理由があまりない

揉めない為にお互い共有すべき前提としてのルールが規約で、税金だからそれに反しない使い方を求められているのが資金で、それが滞りなく全うされたか、不正がないかのチェックが監査なんだよ

>芸術の弾圧となるのは特定の芸術の禁止であり

表現の自由により公共の福祉に反しない限りは「特定の」と限定されずあらゆる芸術が禁止されるべきではない

>言論の統制も公的

表現の自由により公共の福祉に反しない限りは公的な場であれ制限されるべきではない

>ディストピアに繋がりうる方向性ということであれば否定はしない

そちらが想定している状態が事実ならば表現の自由が侵害されているディストピアだが

>ディストピア的な要素があることによって今がディストピア状態にあるとするのは飛躍でしかない

そちらが縛られ支配されていると言っているんだからその通りであるなら要素があるに留まっていない

寧ろ今がディストピア状態でないからこそ、そちらの言説が事実ではないのでは?という指摘である

>行政組織内にも価値観がある

いずれにせよ国民が下にあるというものではない

>他と話題が近いので移動した

それを指摘するまでは黙って勝手にやられていたのでは話にならない

>資金を出すこと、運営・委員を任命・承認すること、規約を設けて縛ること、組織の活動を評価すること、組織・活動計画の見直しをすることのすべてに責任がある。つまり直接選ぶこと以外においては大きな責任があり、それが選択の基準にも影響を与えている

公金の使用として適切か判断する大きな責任はあれどそれが作品の評価にまで及ぶとするのは過言だ。越権と言ってもいい

前にも例として出したがやらかした会社の株主まで責任が追求されるか?されない
大谷の偉業はドジャーズのスポンサーの偉業か?世間はそう思わない

あくまで主体となる組織や個人に責任があるように作品への評価の責任は主催組織や審査員によるもので、それを国が承認したものとするには隔たりがある


>元祖たるイギリスのアーツカウンシルの場合にも政策に沿って戦略が建てられていて助成の基準にも「イギリスのためになるか」という評価基準が示されている

そりゃ芸術の振興が目的であり公金なんだから援助を受ける側を選ぶ権利が国の側にもあるって話だろ
どうせならイギリスの為になる事に使いたいって国の側の事情であってそれで縛っている訳じゃない。世話になりたいからその条件でも大丈夫ですよと利害が一致すれば援助を受けたいって話であって

ところでその話のソースは?


>文が繋がってないぞ。その話してないぞの返信としておかしい

それ以前の問題の荒唐無稽な事をそちらが言っている
という指摘だが
そんな話はしていないとする為だけに任命責任以外の責任はこんなものがありますと挙げた中で百歩譲って規約や監査に関してはいいが、それを理由に芸術を弾圧してるなんて陰謀論に飛躍して巻き込んだ事にドン引きだと言っている

>適当にまとめてるところからコピペしてきたから表記揺れしている

裏取りもせずに万事この調子で、ツッコミ所ばかり増えてそちらの主張の説得力に疑問しかないが

>まぁプレミアであることが映画祭の応募に必要ぐらいに思ってくれ

了解した

>二元論者とかじゃなくて、ある特定の一つの基準の中に限定すればその中に段階もあれば優劣もつくって話だろ

段階抜きで優と劣でしか語らないから二元論者か確認したのだが

>俺は一つの基準が世の中全体での絶対的な評価とも言っていないし、他の基準における優劣とは関りはないと言っている

であれば優でなければ劣であるかのような今までの語り口が極論では?

>「1つの基準で全ての優劣が決定する」と言ったところを引用してみろよ

優じゃないなら劣と何度もそちらは言ってきただろ


>ここでは個人の総体が並び立つかとは聞いていなくて、社会的視点から見たときに田中さん個人の基準が売上とか賞という基準と並び立つかしか聞いていないのだが

だから並び立つと答えただろ
それを抜きにした時に何にどう影響しないか計測できない以上は

>総体については別途に並び立つかを話せばいいがここではその話をそもそもしていない

考慮しなかった場合の影響を判断できない以上は並び立つとこちらも答えているが

>これまでに色々とエリート主義的評価が賞や芸術評価において機能している言説を挙げたがどういうものを求められているのか

普遍性は作品の側に内在するもので評価に付与されるものではないという話だろ

>そうではなくて世の中で指標化されるには公開されている必要があるという意味だ

公開されておらずとも指標として使用したい人間が対価を払って得ればいいだろ
得たデータは契約内容によっては公開・公表すればいい


>私法における権利が私権であり、これに人格権などの人権も対象に含まれている
>また権利濫用論から発展して受忍限度論が出てきているので一貫したものだ

それは私法が民法の中に含まれる、民法が大前提としてあるという話であっていっしょくたに繋がる話ではない
こういう話が前提としてあって、こういう話もあるというなら百歩譲って解らなくもないが
いずれにせよ混ぜて語るものではない

>また、権利の濫用が人権においての適応とそれ以外で意味が異なるというのであればその論拠は示すべきだ

私法における権利の濫用に関してはこう

第1条【基本原則】
① 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
② 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
③ 権利の濫用は、これを許さない。

憲法における権利の濫用は既記である12条

刑法であれば職権の濫用を指す

民法と刑法で「脅迫」の意味合いが異なるように、違う法制度や憲法に対して「同じ字面だから同じ意味だろう」で安易に継ぎ接ぎにして適用されるかのような断言はよせと言っている

また、いずれにせよ民法だろうと「公共の福祉に適合しなければならない」「権利の濫用は、これを許さない」と記されている以上は他者を意図して害していいなどという事は決して認められていない


>不断の努力は自分の権利を国任せにしないでしっかり自覚的に保持せよって話だからそういう解釈はおかしい

自覚的な保持の手段の1つとして、他者を害して権利を手放す事をすべきでないという話だぞ
他人を害したり自由の度を越えた好き勝手は許されていない


>「公共の福祉に反する形で他人を不快にする事で法令に引っ掛かり得る」との主張は、例に出していた挙げた例(寿司ペロ等)が不快にするだけで法律に引っかかったことを示さない限りは成り立たない

寿司ペロは示談決着で家裁送りになってるんだが
民事・刑事責任両方発生していて法律に引っ掛かっていないは異次元すぎる見解では?

不快→株価が下がる。食べに行くのを控える空気が形成される→営業妨害って流れなのに


>保証とか切り離せるとか以前にそもそも実例になっていない

いや寿司ペロが他の要素と切り離せずに裁判にまで発展した実例だし
知らずに働く男や転売を合法の範疇に挙げたそちらの言説そのものが、実際にリアルでも自分ではこの程度は大丈夫と思った行動で事件に発展しない保証が無い実例だが


>顔が気に入らないから不快、黄色いシャツを着ているのが不快、声が不快

正直、相手に対する難癖としか思えないが確かにそれならば相手に非が無くとも不快に感じるケースがあるのは認める
ただそれは不快と感じた側が能動的に不快感を与えようとしたものじゃない。その違いがある

>態度が不快とかなんでもありえるだろ

これに関しては態度に実際問題がある可能性があるのでは?

>不快を理由に制限されるならそういう感じ方をする奴の不快感も尊重されるはずだ

仮に上記3つのような相手に非がない理由の場合は公共の福祉に反しない範囲の折り合いのつけ方を不快に感じた側にも求められるだけで尊重はされるというだけの話だぞ
自由は許されているが好き勝手が許されていないとはそういう話だ

顔やシャツなら見ないように顔を逸らすなり目を瞑るなり移動するなり、あるいは相手に少し距離を置いてくれないかと頼むか
声なら自分が耳を塞ぐか離れるか、喋らないか小声で話してくれるよう相手に頼むか

そういう感じ方をする奴の不快感も尊重されるから公共の福祉に反しない範囲で相手に頼んだり、自分で身を守る為に離れたりの防衛手段を講じる自由がある

ただし今回問題になったそちらの不快にしていい権利の表明に関しては意図した加害をそちら側からわざわざ突っ込んで来て行うからそんな権利は無いと指摘した


>ざっくり言っても人権同士で衝突しない限りは制限されない。そのため「迷惑」までレベルを落としたものは公共の福祉では制限されない

迷惑レベルである保証がないし意図して迷惑レベルで加害しているという表明が故意であり人権の侵害に繋がり得る
やっていい加害などない

>つまり俺が言ったことと何も変わってないぞ

それ等は判例であってそれしか保証されていない、ではないぞ
寧ろそちらが挙げたのは新たらしい人権として認められて増えた事例そのものだ

抜粋するが
>日本国憲法の明文上は規定されていないが、社会の変化にともなって主張されるようになった権利。日本では憲法第13条(個人の尊重、幸福追求権)や第25条(生存権)などを根拠に裁判などをとおして確立されてきた。 環境権、プライバシーの権利、知る権利、肖像権、自己決定権などがその例

でありそちらが挙げた例に含まれていないから問題がないという保証は無い


>一応読んだけど穴埋め程度に数行
偉い先生っぽいけど俺もこの発言は重要視はしていない

だったら何故書いた

>もしかして「他人を不快にして尊厳を傷つける」が他のすべての方向性で人権を侵害しないことを示さなければこちらの主張は成り立たないって言ってる?

それが可能なら是非ともそうしてほしいが
実質的にほぼ不可能だからそもそも根本的に故意の表明はすべきでないし、可能な限り他人を不快にすべきでもないという話だ

>これが名誉の棄損、信用の棄損を示さないと成り立たないだろ?

そもそも尊厳の意味を抜粋するが
>尊厳とは個人の存在や価値を尊重し、人間らしさを保ちつつ、自分らしい生き方をできるようにすることを指します

でそちらが思っていた以上に重い意味があって
「他人を不快にして尊厳を傷つける」≠「他人の名誉の毀損、侮辱、信用の毀損の禁止」
「他人を不快にして尊厳を傷つける」≒「他人の人権を侵害する」
だから名誉や信用の棄損に限らない

>意図が伝わっているのかわからんが「②他人の人間としての尊厳を傷つける行為の排除」というそちらが述べた規定が人権侵害の排除とほぼ同義といっている

人権侵害(に対する行為)の排除か?
人権侵害の(過剰な)排除か?

>「他人を意図して不快にする言動は第二の要項に該当」と主張していることに対して表現の自由は当てはまらないと言っているのであり政府の検閲とかはこの場で関りがない

直接の関わりではなく発信の禁止に限らない事例の提示であり、また意図してか本当に知らずかは解らないがそちらが尊厳の意味を狭く解釈して主張しているので、その前提で主張する発信の禁止に限らないという話だが

>なのでそちらは再度の論拠を主張する必要がある

上記のように「尊厳を傷つける=名誉権を傷つける」ではない

>人権を持ち出さずに個人的に断固として対処するだけなら別に何も問題がない

意見を違えただけなら「個人的に断固として対処するだけ」の範疇だが「他者を不快にしようとする行為」に対しては話は別だ
何故、相手を不快にするような行為をしていけないかは人権の侵害だからだ

抜粋になるが

>直接殴ったり、蹴ったりなどして身体を傷つけたわけじゃなくても、 言葉の暴力で人の心を傷つけてしまうと、それは「傷害」という罪にあたることがあります。 傷害罪の罰則は15年以下の懲役又は50万円以下の罰金です。 「名誉毀損罪」も「侮辱罪」も「傷害罪」も、警察に捕まる犯罪です。

不快にさせるだけと言うが、言葉の暴力による不快さで人の心を傷つけてしまっての傷害も成立する

繰り返すが「他人に迷惑をかけない。好き勝手しない」。権利の保証はこの大原則あってこそだぞ

>それを主張するのは自由だ。俺が誹謗中傷してないと考えているのと同様に

自分が罪ではないと思えば罪にならないのなら、捕まる人間などごく僅かだろうさ

>業務妨害をすれば不快ではなくとも裁かれる

直接の被害に合わなかった第三者が不快さで店に行くのを避けたり、株価に影響が出たりして営業妨害になるんだぞ

ありえるかは解らないが、不快でない営業妨害(まさか、不快より大事だから不快におさまらない事例だからとか言い出さないよな)があるから、不快による営業妨害が無いとはならない

>前も書いたが不快等の感情の侵害を理由として刑法は適用されていない

不快等の感情の侵害を理由に発生した加害に刑法が適用されるんだが

>そう言うのであれば何の人権が侵害されたかを具体的に示してくれ

人格権

>まぁヘイトスピーチは判例のように人権侵害とされてるからな。不快とはちょっとレベルが違ってアウト

レベルが違うで勝手にカテゴリーを分ける権利が何故そちらにある?
不快と異なるなんという感情だ?
当事者が感じたのが不快ではなくそれだと何故断言できる?

>それってどういう文を要約したらそうなったんだ?
俺が見たところだと「幸福追求権を、 一般的行為の自由を保障したものと解し、 その保障範囲を基本的に限定しない」としていて自己決定の自由について規定されるとあったんだが

それは自己決定権が幸福追求権の一部というだけで自己決定の自由しか幸福追求権は規定されてないって話と全然ちゃうやん

抜粋になるが
>「幸福」という漠然とした価値を追求する権利の内容については、さまざまな議論がある。たとえば、規定の置かれた位置とも関連して、具体的内容をもたない人権の総則規定と解する説に対しては、人権宣言のカタログに未登載の新しい権利を保障するための規定と解する説が対立する。裁判所は、後説により、幸福追求権をプライバシー権・肖像権・環境権などの根拠法条としてとらえることが多い

上記にもあるが13条によって保証される権利が増えているように、アップデート(一段上の幸福の追求)によって不快(侵害)の排除は実例として重ねられて来た事を要約しての言になる
それをそちらに表明したのは在り方の説明や、そちらの挙げた例がアップデートされたものに引っ掛かる可能性もあるという話であってそちらの行為が新しい事例でなければ対象にならないと言っているのとは違う

そもそも不快というのはそちらに合わせた単語の選出であってこちらがよくないものとしているのは「不快に限定した話」じゃないぞ

>いや、申し訳ないが本音でそう思ってない。法を超えてアウトにならない限りは人間は自分の目的優先で行動してよくて他者の感情を考慮する義務はないと思っている

であれば上にも書いたがその思想自体を持つ事自体は許されているのでこちらからは繰り返すが「故意による害意と受け取られかねない以上は口に出したり書いたりするべきではない」というのが個人的所感だ。流石にないと思うが、リアルでその思想で殺人に発展した場合は未必の故意に問われる考え方でもあるから
その上で、その思想に従って生きるなとも言えないが

ただしそちらは「不快」に限定してるが、受け手側の感情由来で発生する人権は名誉権やプライバシー権・肖像権などで精神的苦痛を除く為に発生する客観的事実が存在する。受け手側にだって自由がある。その自由には発信した側、受け手側双方に公共の福祉という制限が存在する
それを自分(そちら)だけが「たまったもんじゃない」で無視していいなんて事はないんですよという指摘をこちらは今までしてきた。「たまったもんじゃない」という感情由来の自由はそちらにもあれど他人の感情由来の自由と衝突する場合があって、その時に折り合いをつける為に公共の福祉が存在する

「法を超えてなければアウトじゃない」のアウトか否かを判定するのは自分じゃないというのも忘れてはならない
その判定者が自分でなければ許せないというのであればそれはもう、遵法精神の欠如なので表に出さない方がいい

>許して当然とは思っていないが

その点は立派だと思う

>実質的には同じ意味だが「他者を不快にするだけでは人権侵害にならない」に変えるのでよければ「不快にする権利」は撤回する
人権を侵害されない権利は当然認める

こちらはそもそも何度も繰り返してきたが最初から程度や方法、故意か否かによると言ってきたように「他者を不快にするだけで(無条件に)人権侵害になる」とは言っていないので、そちらが撤回するのであればこちらも人権を侵害されない権利に言い換える


>これまで書いてきた通り人権は他の人権と衝突しない限りは自由が保障されている

不快にされた側の人権と衝突し得るだろ。不快に留まっているとも限らないんだから
こちらはそもそも、論ずる資格が無いと誹謗中傷を受けてここまできている


>なので他人を不快にすることが人権侵害であるとされていない限りは自由の範疇に収まる

他人を不快にして精神的苦痛を与えれば人権侵害になりうるから、公共の福祉に反しない自由の範疇かを自分(そちら)が決められはしない
不快という言葉選びを自分がしているからと言って不快という言葉が意味する範疇や、精神的苦痛に対する言葉の選択で他者が「不快」を採用していると限らない以上は本質的に精神的苦痛である為に、言葉遊びじゃないんだから「精神的苦痛は与えましたが不快にさせただけです」ではすまない。「肉体的苦痛は与えましたが不快にさせただけです」なんて言い訳で傷害や殺人が許されないように

>自由とは全てを指していて並べられるものではないので規定されたものだけが制限対象だ

いや他者へ意図して精神的苦痛を与えるのは規定に反しているので言い換えの言葉遊びをしようと本質的な部分で制限対象だ

>「覆された」というのは論の矛盾が示されたことを言うもので、この場合には不快にすることが表現の自由の範疇でないことを示さないといけないぞ

上記のように不快にする(精神的苦痛を与える)事は表現の自由の範疇でない

>働きたい男は表現の自由と異なる例になるので分かりにくいから取り下げたんだ

異なるというか、当てはまらないのに表現の自由で許されていると主張した時点でそちらが表現の自由を履き違えている証左だ
というか当てはまらないものを当てはまるとした矛盾がである

>男が働いて不快を与えることが他者の人権侵害にあたるとは示されていない

いや普通に程度次第で労働基準法に引っ掛かりかねないし

抜粋だが

>最高裁判決において、職場において自由な人間関係を形成する自由があることが認められました。

これを認めず同じ相手に働いて不快を与え続ければ人権侵害になるし

>労働者の知識、経験、能力、適性にふさわしい処遇を受けることも、人格権の内容の一つです。
>といった人格権があります。従って、これらの人格権に対する侵害行為は、違法な行為なのです。

対象にとって忙しく感じるオーバーワークを強いるのは労働者の知識、経験、能力、適性に相応しいとは言えない労働環境下に置き続ける処遇なので人権侵害になりうる

続けて抜粋するが

>人事権を行使して行われる場合には、人事権行使には使用者に一定の裁量が認められることから、違法性の判断が難しいケースもあります。この場合には、次のいずれかに該当する場合には、違法であると考えられます。
>その業務命令が、業務上の必要性に基づいていないもの。

もろに「働きたい男が自分が仕事を楽しむ為に同僚へ業務上の必要性に基づいていない業務命令を行っている」該当するケースでは?

>転売の話はもっと違って、そもそも公式が転売禁止ルール出しているの知らなかったのでそれを例とするのやめるってだけの話だぞ

間違った主張を指摘されたから撤回しようが、そちらが間違っている事を正しいと認識して主張していたのは事実では?
それを撤回だけで知らなかっただけで間違えていないが通るなら世の中なにをやらかしても「それがダメだと知らなかったから無罪」がまかり通ってしまう

>経緯や目的がよくわからんと言っているのであって公共の場で裸になるのが法にひっかかるのがよくわからんとは言っていない

露出が風紀を乱すからだろ
男性の露出は女性や子供への精神的加害(精神的苦痛、嫌悪、不快)になりえ、女性側の露出は男性の理性を乱して身体的加害や精神的加害を誘発しかねないなど様々かつ余計なトラブルを生みかねないからそもそも最初からトラブルの元を断つ(外部での露出を禁じる)という解りやすい目的だと思うが

>第十一条を引き合いに出してきたので人格権のうちどれが表現の自由とぶつかるかを示す必要があると言っている

ケースバイケースなのだからどれであれぶつかり得る


>何を指している文章なのか確定していなければ論拠にはならんだろ

上にも書いたが

>憲法では、この規定(憲法13条)を根拠に、「個人の人格的生存に不可欠の利益」または「広く一般的行為の自由に関する権利」を「幸福追求権」として保障しているものと考えられています
>そして、個別に規定された権利でないものであっても、憲法上の保障の対象になり得ると考えられているのです。

「個別に規定された権利でないものであっても、憲法上の保障の対象になり得ると考えられている人権」に対する「幸福追求権」指している文章なのが確定している

追記するが
>名誉も、人が社会の中で生きていくうえで、自分らしさを発揮したり確認したりするために必要とされる、とても大切なものだと考えられます

であって「名誉‘も’」と記されているように名誉権以外も対象なのは文脈から明らかなのだが

>少なくとも幸福追求権の中に不快の排除という一文が示されていなくとも幸福追求っぽいことは全てこの文で憲法上の保証対象にできるから不快の排除は憲法で保証されているってのは飛躍が過ぎる

不快の排除と書かれていないだの、嫌悪ではなく不快だのと言葉遊びでの言い逃れができないように「個別に規定された権利でないものであっても、憲法上の保障の対象になり得ると考えられている」とされているんだぞ
言い回しの問題ではなく実害で判断しますと

その上で不快(人権の侵害)の排除に関して公共の福祉で考慮しますと「この規定(憲法13条)を根拠に」と書かれていて無条件の排除でない事も示されているが?

>幸福追求権を「個人の人格的生存に不可欠の利益」または「広く一般的行為の自由に関する権利」として、このいずれかの範疇において個別に規定された権利でないものであっても憲法上の保証の対象ならわかる

何を言っているんだ
それがこちらの主張とどう違うと言いたいんだ?


>俺がどれで踏み込むミスしたかは知らんが、そもそも不快という心理と具体的な犯罪行為は別だって

それは言葉に対する自分の程度認識の問題であって、本質には精神的加害/嫌悪/不快が犯罪になりえるという話なので自分がセーフと思ってる事が社会的にもセーフと限らない、誤認している可能性がある事はそちらの転売に対する認識の誤りが実例として在る

不快に感じるだけで実害は無いと思ったやらかしが、精神的加害やそこから連なる実利への被害を生むのはバイトテロやヘイトスピーチなど数多の実例としても存在する

だからこちらは上でも「『不快にしていい権利がある』という意見を撤回するなら、『人権を侵害する権利は無い』に言い換える」と言っているように「不快程度だからいい」というように本質的に他者へ精神的苦痛を与える権利があるかのような言説を問題にしている
言葉選びで不快程度だからセーフとはならないと

ただしその上で
不快を与えたが故意ではない、とか
不快を与えたが相手が自衛できる範疇、とか
程度の問題や相手側にも公共の福祉に則った対応が求められる(無条件・無制限なものではない)という話も併せてしている筈だが?


>故意・過失かどうかとかじゃなくて、そもそも行為が裁かれるのであって被害者の心理で裁かれるわけじゃない

故意や過失かで罪かどうかで不快にされた側にも不快にした側へ求められる限度が生じるから無関係ではない
ただし、不快を与えた側の認識で不快を与えた側が許される訳でもない


>犯罪であれば被害者は何も不快に思ってなくても裁かれるし、いくら不快でも犯罪でなければ罪にならん

その程度を決めるのは不快にした側じゃないんだから「不快にした程度だから許される」が言い訳にはならないって話だぞ


>道徳は社会がうまくまわるためのものでルールじゃなくてマナーだ

だから、社会を上手く回す為に犯罪が少ない事に越した事はなくて
法律を網羅して把握している訳ではない多くの大衆が犯罪者にならぬようマナーや道徳を守っているという話だ
残念ながら犯罪者は発生し続けているが可能な限り少なくしようと努力を続けている人達が数多いる

自分が守らないのは勝手だが、世の皆がそんな事も解っていない無法者の同類みたいに言うのはよくない
道徳やマナーを守って社会の維持に努めている人達に失礼だから


>俺は法律を全部知っているわけではないのと同様に道徳を全部知っているわけでもなく

それが理由なら知ってる範囲は最低限、可能な限り守ればいいだけだろ
だから守れとは言えないがそちらの解答は守りたくない好き勝手したいという感情ありきで論理的解答とは言えない。それが悪いという話ではないが

>さらに法律と違って個人ごとコミュニティごとに道徳は異なる

上記に同じく明らかな違法性がない限りは個人やコミュニティに準じた道徳を可能な限り守ればいいだろ、それ等が明らかに問題のある反社会的なものでない限り
上に同じく守れとは強要できないが

>法と道徳は明確にリンクしたものでもないので道徳を通じて法を守るなどせずに

そちらは「法は最小限の道徳」という言葉を用いて以前にリンクを認めているが?

加えて抜粋するが

>法と道徳の関係
>法は道徳と密接な関係があり、誰でも守れる道徳が法と結び付いている。すなわち、法が強制力を持ち社会の秩序を保つためには、その法規範の内容が社会から支持・是認されて、人々の心に深く根ざす根源的なものでなければならない。もしも法が人々の支持を得られなければ、人々から遊離した法となり、法は暴力でしかない

独裁政権でもない限りは悪法にならぬよう法律は道徳性を考慮されているし、時代に合わせて改正もされる

>はじめから法に触れないようにすればいいし、道徳については自身の中の道徳に沿ってそれぞれが動けばいい

その「最初から法に触れないようにする」方法が道徳に従うというやり方であるという話なんだが
民法・刑法に精通して把握しているから道徳を守らずとも触れないラインが解ると言える人はそうすればいいが、少なくともそちらはこのケースに該当しないようだが

>挙げてきた「第38条 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。 ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。」は法を犯したうえでの話だ
なので不快に留めた上で何処に書いているかを聞いている

例えばそちらが挙げた「顔が不快」「声が不快」は相手を傷つけるつもりのない生まれ持ったものなら罪を犯す意思がない行為だ
だが意図して特定の店舗で周囲に聞こえるような大きさで耳障りに聴こえる「不快な声」を喚いたり、性的文言や汚い言葉を顔に書き込んだ「不快な顔」を見せて周り、客足を遠退かせれば法律に特別の規定がある場合(営業妨害)なので、この限りでない

>『第13条の幸福追求権は「第11条によって妨げられてはならない」とされている』と読んでた、すまない

了解した

>詐欺犯を捕まえて一旦は金を取り戻してもらうことができる

いや警察はそこまでせんよ
詐欺犯の逮捕はするが返金までは保証しない
逮捕時点で全て使われていた場合に返しようもない

>警察に「お前も犯罪者だから詐欺犯は捕まえない」とは言われない

それは相互性を保証しない
警察が労働の義務を果たしているだけで一方的だ
転売者は何を社会貢献しているんだ?
というかそんな風に言われる状況なら「お前も犯罪者だからまずはお前を捕まえてから詐欺犯は捕まえるか考慮する」ってなるんじゃないか?

>自分が犯罪を犯していたので逮捕されるとか金を没収されるとかあっても公共サービスを受けられる権利が失われるわけではない

一方的に公共のサービスを受ける事を相互とは言わない
寧ろ自身の義務を犯罪で放棄しながら不当に権利を受給している

>だから自身に非が無い立ち回りが必要で、相手を不快にするリスクをわざわざ侵す理由もないのでは?と言っている
そのリスクをどう考えるかは個人の自由だな

自由だから被害を被る側はたまったものではない

>今回は書き込んで故意をあらわにしたからその限りではない
>上記の通り「不快にしていい権利」と口にして故意を表明するのがよくない
故意であることの意味は下の方で

これは結局どれに掛かっていたんだ?
0
279. 名無しのあにまんch 2024年09月04日 18:42:33 ID:I4NDQxNg=
>>278
>どこで「認めた」って俺が書いてるよ?認めたように読めるけど曖昧にしているの分かってたから俺は「否定せず」としか書いてないと言ってるだろ

いや下記のようにそちらが言い出したんだろ

>それについては「作品への言及も価値観への言及も個人から発信されたものが否定されたという形は違っちゃいない」に対して「それを良しとするのは構わない」と既に回答をもらっている

認められたと回答されたかのように抜き出して書いてるのに何を言っているんだ
本来なら「構わないが~」と続く文を意図的に削っておいて

仮に「否定せず」でも文脈がおかしいだろ
その意味なら回答を貰っているとはならんやろ

>そりゃあ終わるわけない
既に回答済みのこと聞かれてループしてるんだもの

ループをそちらが意図してさせてるだけだろ

>だとしても、だからと言って、とはいえ、とかで文章はじめるときのことだ

曖昧にしてるんじゃなくてそもそも認めていなくて仮にそうだとしたらこういう点がおかしくないか?って話なんだから「認めている」とされたら「いや認めてないよね。それならここがおかしくないか?って議論の最中だよねまだ」って応酬の筈では?

>まずはループの流れをまとめる
A「(エスパー魔美の話から)意見の否定に対して怒ったうえで受け止めようではだめなのか」
B「なぜ侮辱された側が示さなければならない」

ここがまずちゃうやん
正しくは
B「それを何故、侮辱された側が他人を不快にしてもいいと思っている相手に示さなければならない。であればそちらがしているのは不道徳の強制ではないか」

論旨で重要な後半部分を意図的にそちらがはしょってる

A「示さないのは自由、エスパー魔美の話をそのまま置き換えた、原作の本意に沿う」
B「原作で貶した側は仕事での批評であってそれこそ、そちらの言う社会的評価の話だ。個人の悪意や害意からでもましてや思想の違いからでもない。加えて否定されたのは創作物への出来であって個人の思想や人格ではない(思想やらを多分に含む創作物もあるにはあるが)。そちらは社会的立場でこちらを批評しているのか?」

更にはしょられてるし「社会的立場でこちらを批評しているのか?」という問いも無視しているし本来続くのはそちらが提示したものではなく

A「たんに置き換えているだけではあるんだが作品への言及も価値観への言及も個人から発信されたものが否定されたという形は違っちゃいないんじゃないかというだけだ」

であり、置き換えているだけを抜かし、形は違っちゃいないんじゃないかというだけという程度の話をなかった事にして

B「それを良しとするのは構わないが、社会的評価・価値も個人的評価・価値で否定されうるじゃないか?「作品への言及(社会的評価)も価値観(個人的評価)への言及も個人から発信されたもの(個人の価値観)が否定されたという形は違っちゃいない」になりうるのだから」

でまた後半はしょてるやん
そんで次の解答も

A「いや、作品への言及は個人である限り個人的評価だ」
B「それは流石に選択的すぎないか?であれば型月の例で言うなら発刊や製作に組織の手も加わっていようと個人が書いた作品も個人の評価とすべきになる」
A「あと別に社会的評価を個人が否定することもできる。例えば審査の結果を個人が否定することもできるし、審査に寄与した審査員が怒ることもできる」
B「であれば寧ろ社会的評価に何の意味も無くなってしまうのでは?個人の否定で覆る決定に何の普遍性があるのか?」

そちらは2つの意見を纏めたのにこちらの意見は片方を省いて度重なる偏向した記述をし意図して2つに分かれたにもかかわらず

A「なんか食い違ってる気がしているが。こちらが言っているのは批評家であっても誰か個人が評価したのは個人的評価だということで、社会的な組織が連名で評価したら社会的評価になるということだ。型月の例に置き換えると、テキストはきのこで絵は社長というように役割が明示されていればその部分は個人を評価できる部分であり、作品全体は組織によるものとして評価の対象になる」
B「だとしてもエスパー魔美のコマが他人を害して良い権利の根拠とはならんやろ。害された側に「個人感同士の話でそっちは怒ったんだから相子ね」とする道理が無い。そもそも仕事での批評を個人のものとするなら先の型月の話に対して批判はあくまで個人だが成果は組織から切り離せないとするのは恣意的じゃないか?」

前半だけ持ち出して後半の流れを切り離してループ主張はどうなん?

後半の流れも並行して存在している中で

A「根拠とはしてない、これに当てはまるとして挙げた」

で、ループしてるとしたらそちらがこれだけを言って、もう既に提示したまま意見は変わらないものとして2回目の提示をしたのが始まりで

B「その上で当て嵌まりはしない事を思想の侵害と作品の批評という行為の違いで不適切だと指摘している」

とそちらの1回目にこういう意図で指摘したんだがとそちらの2回目に対して「その上で当て嵌まりはしない事」へ反論があるか確認したら

A「それについては「作品への言及も価値観への言及も個人から発信されたものが否定されたという形は違っちゃいない」に対して「それを良しとするのは構わない」と既に回答をもらっている」

とか言い出したから
その上で当て嵌まりはしない事に対する返答として不十分だから

B「なぁ、切り抜いて偏向報道もうやめないか?構わないが、で後に続く言葉があったろ。「それではそちらの言う社会的評価・価値も個人的評価・価値で否定されうるのでは?「作品への言及(社会的評価)も価値観(個人的評価)への言及も個人から発信されたもの(個人の価値観)が否定されたという形は違っちゃいない」になりうるのだから」。これが続いて一番下2つの話に続いてるのだけど、社会的評価・価値も個人的評価・価値で否定されうると認めたという事なのだろうか?」

そちらが書いた前半部分を消したB「社会的評価・価値も個人的評価・価値で否定されうると認めたという事なのだろうか?(2回目)」ではこちらの意図とまったく異なってんだろ
尚も「その上で当て嵌まりはしない事」への反論がないがこちらの主張を認めるのか?って確認と、下2つ(そちらがループ主張しているものと省いた「であれば寧ろ社会的評価に何の意味も無くなってしまうのでは?~」の2つ)を統合してこちらの意見を認めるのか?であってループじゃないだろ

A「その回答としては「作品への言及は個人である限り個人的評価だ」「あと別に社会的評価を個人が否定することもできる」と返しており、そちらは「だとしてもエスパー魔美のコマが…」とこちらの主張を否定せずに次の話に繋げている。で、そこから一周している」

が正確で

B「だがまだ(「その上で当て嵌まりはしない事」への反論がなく)結論が出ていない以上は(「それを良しとするのは構わない」と)こちらが認めたとはならんやろ」

って話なんだから勝手にループ始めたのもそちらなら、勝手に回答をもらったとしてこちらの言っている事を決めつけて話を打ち切ろうとしているのもそちらでは?

>たしかに「それを良しとするのは構わないが…」も「だとしても…」のところも回答はしているものの別の話になっているので反論になっていない

いやそちらの言う別の話の観点から正しいとは言えないだろうという指摘を反論になっていないと言うにはそちらは答えきれていないだろ

>なので俺側にはボールがない状態と言っている

「その上で当て嵌まりはしない事」へ反論がないから
そちらにボールがある


>まぁ普通に間違えた以上は言いようがない

信じがたいがそう言われれば追求はしないが、間違えようがないものを間違えているのがそちらの言説が疑わしいものである証左だろうよ

>種牡馬繋養牧場と繁殖牧場のリスクの取り方は違うからと述べた

いやトニービンが種牡馬開始1989年でブライアンタイムズが1990年開始。サンデーが1991年開始で3年の開きも無いんだが
それでなんで実績によるリスクヘッジになるんだ?
より期待してる種牡馬につけるだろ

>普段から社台以外がアメリカに買付に行っている前提でなければ
SSに価値を見いだしていたなら普段行ってなくても交渉に行くだろ

>SSについても他がアメリカに行っているのに見向きもしなかったのか、それともそもそも誰も買付にいける環境でなかったのかが判別できない

サンデーが初のアメリカからの輸入馬じゃないし、買い付け以前に売りに出されていた訳じゃないのにわざわざ買いに行ったという話はした筈だが


>時代も違うので何とも言えんと答えている

時代の違いでどう変わるんだ?

>意見の価値が平準化するって書いたじゃん

それがどういう理屈でそう帰結するかを聞いているのだけど

>そちらのいう近くで見れば凹凸だけど遠くでみれば水平な直線と近い言葉だぞ

いや違くないか?というか真逆じゃないか?
遠くから一見、平ら(平準化)に見せて近くでよく見れば個別の意見毎に異なるという話なんだから


>なのでそうした個人の意見以外も含めたうえでの話だ

その含めた上での判断も個人毎に異なるから凹凸になるとこちらは主張している


>一直線に並んだ部分は数の偏りが生じて盛り上がるのではないだろうか

いや「………………」みたく横並びなら遠目からは直線に見えるという話でドット絵やピクセルアートのような並び想定しての例えだが


>それも山のサイズは小さくなるものの数の偏りはあると思うのだがどうよ

そちらがどんな想定をしているか解らないのでなんとも言えないが、こちらの想定では遠目からは同じ高さの横並びに見えて実はそれぞれに高さの違いがあるという話をしたかったのだが


>いや、個人の価値観に限定した話ではなく、万物の価値の差がでないのではと

寧ろ千差万別で混沌としていると思うが
個人毎で価値の差の上下が異なっているのを平準化と言えるのだろうか?
0
280. 名無しのあにまんch 2024年09月17日 02:20:14 ID:IzNTYxMDk
>>279
>いやだからそのそちらが掲げる意味であろうと「しかない」とはならないだろって話なんだが
そもそも260の時点で「正しい定義なんて言ってない」と述べているし、そのあとも俺は「壁ドンは威嚇で壁を叩く意味しかない」とは主張していないが、なぜか俺がその主張をしているとされている
俺が言っているのは「この話の中では壁ドンは威嚇で壁を叩く意味に揃えようぜ」という話だ

>途中まで同じだから豆乳とトウフが同じ食品とはならんやろ
どちらにせよ分解は必要だよねというのは一致している

>基準が違うのにグーグル並べる意味ある?
出力方法は違っても高評価の基準の一つとしては並べられる
別に並べんでもいいが

>いやサイト名があにこれで明らかにアニメ普段見てる層では?
それがアニメ普段見てる層の中では評価が高いとの確証にできるほどじゃない

>つまり30年前時点で既に大きな問題と見なされていて
最初から問題はあったが世の中が段階的に変わる中で問題をスルーできなくなったというべき

>それ記者の推測ではないか?ディズニー社はそう回答していたっけ?
そこまではわからん
批判と署名があってアトラクションが変わった一連の流れの記事は色々あるがディズニーサイドのコメントが取り上げられてない

>少なくとも形が残る程度には大事にされていたようだが?
土の中でバラバラになってて組み立てられたんだ
まず美術品であったのは間違いないが最高の一品だったのかわからないという主張は通るだろう

>当時から美術品として価値を認められていた事を否定できる要素をそれこそ、そちらが示してくれ
そりゃあ美術品じゃなくて当時は置物だったんだとは言えないな
ただし当時の美術品としての価値レベルが不明
それを今と同等の価値があるものと言い切るのはおかしいだろうという話だぞ

>少なくとも発掘されてからの200年で築かれた普遍性がある
だからその発掘後については俺の指摘自体が触れてないんだって
会話が飛躍してるんだよ

>それが延々と続いた歴史に裏打ちされている
二つ前で「時代で基準は変わりうるか?」とを聞いて否定はされず、それを受けて「残った普遍的な美」を決めるものを聞いた
つまり、時代ごとの美のトレンドと本質的な美の区分をどうやって切り分けるの?ってこと

>基本的には感動するしないに素養なんて不要だと思うが
>思えない個人がいるのと、多くの人を感動させた事は両立する
色んな芸術や作品を対象にした話ならそれでいいぞ
だけどミロのヴィーナスには「ないものの想像を掻き立てる美しさが」とかの言説もあるがそれは難易度高いぞ
あと多くの人を感動でいいなら普遍は「広くあてはまる」で使っていくということでいいな

>広まってから良い物と認識されて普遍性を得たというだけでは?
時代の流れを追うと中国のストレートな美しさを経て利休が華美を省いた美しさを示し古田織部は失敗作に見えるひしゃげた器とそれを好む方が目が肥えているという価値観を示した
今でもあることだがスタンダードを経験した後に様式を外れたほうがよいという半周した先でなければ成立しない価値観
そうして一時代を席巻して焼き物の一つの様式になったけども現代の目から見て理屈抜きに美を理解できるかというと難しく、個人的には破袋までいくと初見で美術品と認識するのも無理だ

>あと別に、理屈抜きで美しさを覚えるのが前提条件や必要条件って話ではないが
そちらの言葉に「理屈抜きで感動する美しさ」「理屈抜きで鑑賞した際に美しさを覚える」とあったから、これを普遍的な美として話しているのだが

>その基準が学術的なものはともかく芸術的価値観であれば大衆と大きく解離するものは少ないように思うが?
そこの中身での比重はわからんが、美術史的な美、現代の美術界の美、大衆から見た美、自身が感じる美を照らし合わせて選択はしてるんだろう

>そのエリート的な基準と美の普遍性は必ずしも切り離せるものではない
俺も切り離せないと思う
ゆえに普遍的な美とは「誰もが理屈抜きに感動する美」ではなく、時代ごとに作られるものだと述べている
まさに現代アート等の若い作品なんて前の評価もないところでどうやって選ぶのかわからんわ
そうした評価も人々が個々に感じる美とは食い違うだろうからこそ言語化によってこれはこういうところがすごいんだと伝えてるのでは

>どう素晴らしいかの説明こそが権威と言える
普遍性があるかはともかくどう素晴らしいかの説明が必要だということには同意する

>そちらはまさに相対主義者にして権威主義者という訳だ
少し書籍内容拾ってきたがそのまとめかた微妙だぞ、というか他と比べると解釈間違ってる可能性が高い
直弟子の哲学者によればその本で語られる芸術の普遍性とは芸術-批評ゲームであるから成立するというもので、個々の批評によって作品が比べられてどれが「真正性」に達しているかどれがより優れているか「確言」される言説のゲームのなかで対象が芸術作品と呼ばれていくというものだ
そもそも批評が芸術を作るし、その価値づけを行っているというもので割と俺の主張と近い
相対主義についてはそちらの個人の価値観による解釈の重視の方が近い
権威主義はこの場合は一人の権威的な批評家に従う話なのでそれも俺には当てはまらないな

>自分の言葉でも敢えて語るなら人間が滅亡とは言えないぐらいには人数が居る限りは普遍性は存在し続けると要約してもいい
なのでおそらくこの本では人類滅亡付近までの美の普遍性を示してはいない

>未来の観測ができない今現在においては評価実績に裏打ちされた普遍性を否定できる根拠を誰も持っていない
元々俺は「過去においても共通する価値観ってのはかなり狭いし、さらに未来を考えたら共通する価値ってありえるのか?」と問いかけていたわけで、未来で途切れても普遍性、未来の観測はできないから過去からの評価実績で普遍性と言われるとまったく別の前提になるぞ

>であればこちらへの反発だけで後先考えない事を言い出してツッコミ所を増やさないでくれ
だってそのボール無視したら反論しなかったて言われるぜ
俺はしょうがないから本筋以外はあまり意味がないと思いながらも返しているしまとめようとはしている

>国民も政治家も、政治家の集合である政府も法令の下にある
それはそう

>支配されているのと一部として参加し、必要に応じて従うのとでは違う
>法令によって政府に従うべしとなっている点は従うべきというのと、全てを政府に直接支配されているかでは話が異なる
>国民が持つのであれば政府が国民の上とは言えないのでは?
関与不可能な支配を受けることと法に則った合法的な支配の傘下にあることは違う
国民は国家の参加者であるとともに政府の統治下にあるし合法的な支配構造の中にあるともいえる

>言うてお隣のクネ大統領はインターネットや大学の学生や教授らからも弾劾要求が噴出した上に実現して、国民感情で本来以上にブチ込まれたりもした訳だが
お隣は生き延びただけでマシだから
1987年まで軍事国家なのでしょうがない部分はあるけども

>まぁつまりは時間は掛かるが国民と意見が異なった上で代案もないなら辞める事になるという話
一応は任期満了ではあるけどな

>そちらはそれにかこつけて政府の下にあるとか政府に支配されていると主張しているので違う
政府の下は統治下という意味で同じだぜ
あと支配についてはそういう構造分類があるんだからしょうがないだろ

>例えばSP(政府)と要人(国民)なら要人の方が主権を持つが緊急時の行動や平時で注意すべき点はSPに従う方が合理的であるから基本的には任せる事になるようなもの
平常時においても多くの方針を政府が決めてるので要人による変更を聞かざるを得ず、場合によっては付けないことも選べるSPの例はちょっと変だ
例にするなら船の乗客(国民)が投票で船員(政治家)を決められるぐらいなもんだ
実際のところ船員が選んだ船長が舵取りをして、船員を選ぶ時には話されてもいなかった進路に進んでいるようなもんだ
統治の役職は中の人が入れ替わるが、その地位自体は変わらんからこそ統治機構が機能している

>その頃から変わらず同じ政党が支配している訳ではない
あそうは大久保利通の子孫だしあべも長州藩士の子孫だ
完全に別物というには明治維新後の体制が残っている

>成立過程に関わらずアメリカの介入によって国民主権の制度になって、統治機構というガワの中身を国民が選挙で選ぶという話だが
国民ではなくアメリカが統治の方法を決めて、方針を決める政治家は国民主権のもとで選挙で選びましょう、行政の実際の運営は官僚がやりましょうと定めた
つまり主権者であるとされた国民はその制度に関与する余地がないまま統治構造に組み込まれている

>主体の実体はどこにある?という話
そりゃあ実体はない組織の価値観があるって話しただろ
政府全体での価値観となるとかなり複合的で、政治派閥での分断や各省庁等の組織ごとの縦割り価値観もある
中学の社会科テストだったら文科省が定めたとおりの額面通りの答えを書けないと×だけども、中学卒業して理想通りではない社会を生きてるんだから実態を見ていかないと

>失敗すれば結局は是非を問われ辞任する事になる
実態としては個別政策の是非ではなく総体としての支持率いかんでしかない
大体20%台になれば慣例として総理の交代は見える

>政治哲学の域を出ていない話であり、単体で国家の人格を保証するものではないし政治的実績がある訳でもないぞ
>国家に擬人化された人格がある事を説明したものでなければ証明したものでもないし保証したものでもない
>具体的にどう「規模の大きな組織の価値観が在ると示された」んだ?
まず概念自体は多くの論文等で普及してきたことから学術においては「あるもの」としての正当性は示されている
そうした組織の価値観の表出は、組織としてのふるまいや多くの構成員のふるまいにて共通する偏りが表出しているからこそ外部からの観測がされている
先に挙げた論なんかはその構成員のふるまいにおける優先順位について触れていたものと理解している

>その仮説にすぎない話がそちらの言説に倣うなら正しいという事になるぞ、という指摘だが
論理がわからん
「個人や国家を超えて優越しており~」自体が仮定であることはその論文内の話で完結しているので、俺の言説がその仮説に関与する余地がない

>解釈によっては認めるが、でも多分そっちが提示する解釈に納得できる気がしないんだが
まぁ俺は組織の価値観的なものを主張の中で使っていくだけだ

>その例で言うなら「いやそっちが提示してるの上下関係にある組み合わせちゃうやん」「なんでそれとそれを同じ組織扱いすんの」って話なんだが
なんか巻き戻りそうだからまず確認する
社会のヒエラルキー構造において上位の個人の集合と下位の個人の集合には上下が生じるかどうか

>社会のヒエラルキーにおいても別に政府関係者が上って訳ではないぞ
中央政府を担うのは政治家713人、キャリア官僚1万5000人、一般職含めて全体で28万人、大企業が1.2万社で役員が平均10人ほどなので大企業役員が12万人、教育機関では教授が7万人
いて、ここらへんまでは割合的にも迷わず社会のヒエラルキー上位だと思うが

>それ自体はあるにせよ、そちらはあくまで同じ業界内でならという前提を飛躍させる気じゃないのか?
では芸術業界とはどこまでを指すよ
ぱっと考えても芸術家、評価機関、流通事業者、コレクター、批評家、研究家が存在するよな

>そもそも「国家の価値観」が実在する前提なのがおかしくないか?
先に述べたように国家の価値観はふるまいから観測されたものとして成り立つ
個人の価値観が観測された実態から読み解けるのと同じだ

>仮にあったとしてもそれは官僚や政治家として職務上の判断であって国民としての上下という話ではないだろ
ヒエラルキー構造のなかで「国家の価値観」に上の集合は関与する、下の集合は関与しないという形だけを示している
具体的にどのように関与しうるかとかはこの段階では挙げていないし、このヒエラルキー構造のなかでも全員が国民であることには変化もない

>そちらが自分はどちらか、あるいは両方正しいと思っているというスタンスなら話は別でこちらはその点に関して否定しなければならないが
そっちは「社会実在論なんだろうがあくまで「論」の域を出ず正しくはないとされている話」から「故に社会実在論であるそちらの持論も全面的には正しくない」と繋げてる
つまり社会実在論は正しくはないとされてるから社会実在論に当てはまる俺の主張は正しくないという主旨だ
当然、俺としてはまずは社会実在論の何が正しくないとされてるの?って聞くよな
何でこれを答えないのか

>政府内では様々な決定と様々な基準があるというがそれを外部の人間のそちらが推測ではなく、正確に把握しているのか?
官僚の前例主義とか有名だろ
多領域で指摘したものでは官僚制の逆機能がある
こうした内向的な組織で一般社会に波及する新しい政策案がうまれている

>いやだとしたらなにを勝手に自分優位の結論で終わらせてんねんって話だが
読み返してこいよ
俺が問題として認めてるのは曖昧な施策が進んでいることによる歪みの問題だけだから

>だとしてもそちらが標榜する国連や国際社会とはそういう集まりだろ
その単位が国じゃないのか

>賛同国家に住みながら法律に反しない範囲で環境に悪い事を成したり、非賛同国家に住んでも自主的に環境に配慮したり
区切りの中、その法に従うのであればいやがおうにも環境関係の施策に従うことになる
面倒だが日本ではレジ袋に金払わないといかんわけで

>いや別に今の時代、普通に外国の出来事だろうとネットで調べられるしそれこそ国ではなく個人の繋がりで情報を得る伝を持つ者もいるだろ
言葉が足りなかった
国連での環境問題に関する決議案のようなものは国が対応を求められるものが多く、個人に向けた発信はその達成に向けて国が国民に向けて出していくのではないかと思ったんだ
もちろんメディアや環境団体が発信するものもあるだろうし、国際的企業が対応を求められて世界各国の社員がその指示に従うことが今の時代だと普通にあるというのはわかるがスタンダードなのは国を経由して個人に届く形じゃないか?

>それ単体であればそうだが、それを理由に不正を疑うべきではないとするのは違くないか?
不正は疑ってもよいけど公的な場では不正があると認められていなければ不正前提に扱われない

>コメントが出たからどうなるものなのだ?
>いや申し訳ないが、うんだから何?としかならんが
>社会的価値と言うには映画や映画業界に興味が無ければ伝わらないごく限られた価値ではないか?
国という権威が推すことで数多に影響を与える力が与えられる
河瀨直美について言えば委員としての意見が映画業界に影響を与えるだけでなく東京五輪の公式記録はこの人の視点だし万博でもテーマ館を作ることになってる
映画監督の範疇を超えたものが与えられているのは「文化的に評価されたから」と見える

>大きな組織というのは業界や企業にとって金銭的な意味の価値はあるだろうがそれは経済的価値も社会的な価値として含むという判断において?
大きな組織は経済的にも社会的にも影響力を持つ立場で国については産業・文化の振興も国益とした立場だろう
無名の個人によるものでも作品の優れている点をうまいこと表現した言説なんて至るところにあると思っている
こうした言説は少なくとも社会に作品の良さを伝えてブランド化に活かすとか文化の振興のためには拾われてもよいはずだが、面倒だからかそうはなっていないという話

>ソースというかテキストの参照元を調べてみたがそれは2021年発表時における過去の実態に関してではないか?
2021年発表時に「従属してきた」ではなく「従属している」と現在形で言っているのでこの時までを含むと読んだ
2021年が過去で2024年には解消されていると主張するなら分からん

>そちらが口にしている状況と実態は異なるようだが?
どれについて実態と異なると言っているかわからんが、イギリスの文化予算はその記事では一人当たり260ドルとあって人口が6697万人で2022年の平均為替が1ドル132.43円だから全体では約2.3兆円あることになる
個人の寄付はかなり小さい割合だ

>現在も、とするソースは?
「アーツカウンシル調査報告 ~イングランド、スコットランド、オーストラリア、日本の事例から~」を読んだ

>いやつまり実社会ではそちらが言うような事にはなっていない証左ではないか
実社会では明確な定義をもって文化的評価という言葉が使われていないというだけだろう

>そんなものを決める決めない以前にそもそも他人を安易に否定しに近寄って来るなと言っているが
それって反論もだめなのか?批判と否定の間はどこにあるよ

>いや明確に貢献度に差が見える可能性はあるだろ
可能性だろ、ケースバイケースでしかないから明確に功績がある場合にはその人が順当に選ばれるというだけでは

>それこそ平行世界や未来の観測でもできない限り何が無意味かは結果論でしか語れなくないか?
なんというか価値を定めないという思考に見えるな
売上等の結果論の価値は認めるけども、数値的な結果によらない評価があらゆる可能性を考慮することによって無意味化している

>数値でニッチではないと示した途端に「なら撤回して比較対象をワンピースにします」なんて卓袱台返しをしたから最悪だと言っている
ワンピースが出てきたのは極論としてそちらが取り上げてきたからだぞ
だから俺はワンピースやDBがニッチラインとも言ってないし、そこから下げてラインを探る動きをすればいいと言ったんだ

ディステニーはメディアが違い過ぎて比較としてよくなかったわ、すまんな

>だったら何の為に言い出した?
未成年ファン加算できるのではとか言うから俺の感想を返したまでだ

>だったら最初からグチグチ言わず数字のままに受け入れていれば良かったのでは?
俺の主観ではと付けるべきではあったな

>それ単にグーグルでアニメ化の宣伝含めて企業もネットに繰り返し話題を出した事に反応があった事を示すだけでファン層が拡大された証左ちゃうやん
宣伝含めた展開があるからこそ新規は参入するし検索が行われる
アニメ以外の作品による反応であれば山ができるタイミングが違うだろ
というかアニメの反応で山ができてるのに他の展開のタイミングで大きな山が出てないってのは少なくとも既存ファン+新規を合わせた反応としてアニメが他メディアより大きかったことが確実となる
システムについてはFateの検索を検索全体からの割合という指標でブレがないように把握しているので各メディア展開による話題性の創出を測るうえでの有用性に疑問はないぞ
Googleの検索回数は年ごとに増加してきてたんだから絶対値の検索回数でカウントするほうが公平性がない

>基準点が高すぎて比較対象の範囲や割合がおかしくなるのは主観ではなく客観的事実だが
個々の認識に依存するものを扱って客観的事実にはならん

>「映画は映画祭でどんな賞を受賞しようと鬼滅の無限列車以下の売り上げ作品はニッチ」が許されるならそちらの掲げる社会的価値なんぞ等しく無意味で無価値で無意義になる暴論だがよろしいか?
そう言ってきたなら俺はちゃんとニッチラインを探るけどな

>不特定多数を指す人気漫画と書いたそちらの不手際か
人気漫画と比べてニッチと書くことに何の不手際がある?

>多くの作品を敬意無くニッチなものとする暴論で貶めているのは客観的事実だぞ
別にニッチは貶めた表現じゃないだろ
作品の出来を貶したわけでもあるまい

>ニッチかどうかなんて個人の感覚で決められるようなもんでもないものへ
そんなもん個人の主観だよ
感覚次第で変わる範囲を客観的にどうやって決めるんだよ
ニッチの反対はマスかメジャーだぜ
漫画がメジャーなメディアかどうかすら怪しいだろ

>「世間とか関係無い!俺からすればニッチ!」って言い出したら何もかもおかしいだろ
んなこた言ってない
俺が世間でのニッチを思ったところを示してるんだ
そこがどこにあたるのかという前提を確認しようぜ

>いやそっちが種運命を最初に挙げてゴールを設置したろ
>種運命という明確な物差しを「あ、これでは言い負ける」と撤回して
種死については最初から「アニメの場合は視聴者数はかなり跳ね上がる」と言っている
結果、売上が色々と出てきたら比較には不適切すぎたんで取り下げてんだ
それに人気漫画って言った方が先だぜ
あとワンピース配置したの俺じゃない

>加えてニッチかどうかってのは個人の主観ではなく世間に浸透しているか否かで判ずるべきでは?
世間への浸透ってどう測るのよ
2005年時点ではテレビならメジャーと言い切れるが上記のように漫画すらメジャーかどうかわからんしエロゲは俺の主観ではニッチジャンルだ
だから人気漫画と比べたらと言ったわけだしその範囲を一般的な人気漫画を想定していることに何の落ち度がある
「確認しなかったそっちが悪い」というよりも「確認せずに勝手にゴールを決めたうえで非難するのは悪い」だ

>何に基づいて、何に裏付けされて、何に保証されて「世の中でもそれぐらいの認識の奴は多い」と言えるんだ?
だから思うって言ってるじゃん
なんなら来週あたり何人かに質問してくるか?

>出版社に関わらず売れさえしてりゃ大多数が挙げる可能性があるというか
俺はそこで挙げられた作品のうち世の中の大多数が知っていたタイトルはエヴァだけだと思う
当然、一般的には部数とか知ることない(俺も挙げられたタイトルだとわからん)し、数値があってもどこからがメジャーでどこからニッチなのかってラインが明確にあるわけじゃない

>それは単に自身のイメージの話で実際そうかはまた別の話では?
だからその自分のイメージ次第でしかないんじゃないかってことよ
まぁFGOは2000万ユーザーはいたわけだしソシャゲ全体でみてもトップレベルなのは間違いない
あと今の世の中ではソシャゲはメジャーな娯楽だと思ってる

>この「後半を」、が同258での大衆評価に掛かってると勘違いして作品評価という言葉に結びつけていたようなので
了解した

>評価が高くない訳ではないだろ
この読み取りも人それぞれだ
俺個人とその周囲で言えば過去作より満足度が低く、そのうえでネットの反応も芳しくないと受け取っていた

>低評価だから未プレイ扱いではなく添えられた感想がプレイしてのものとは思えない内容だからとスレ内で言及されているが?
元のレビューが見れないので推測にしかならんので何とも
低評価に対しては(長さのことも含めて)同調も批判もあると読み取れる
というか比較はやっぱり過去作なんでそんときはもっと絶賛されてたイメージは強い

>具体的な場所はどこでどんな場面の話?
政府、他の映画祭、映画雑誌、プロ批評家たち、学術など
少なくとも映画は総合的芸術として扱われていて国立映画アーカイブのような文化展示施設もある

>世界中の芸術エリートのサロンってどこにあって誰が所属してるんだ?
芸術について言えば「批評家がエリート主義者となり、芸術的価値の大規模な合意を生み出している」という記述などこれまでにも何回か例は挙げている
映画についていえば映画祭自体の参加者の多くは業界人や批評家であり、ここで価値の共有が行われている
こうした基準についてはキネ旬の記述など断片的ではあるが示している
そちらの言葉を借りれば「映画業界等の特定社会で継続的に機能している」程度だ

>つまり映画祭が普遍性を付与したのではなくパーフェクトデイズという作品の内容に内在していたものだし
論点はパーフェクトデイズのコメントの中の「普遍」が万人に当てはまるという意味で使われたかだ
映画祭が付与したとか内在しているとかは関係なく、ここでは「普遍」は現代社会以前には広く行き渡っていた価値を示した程度でしか使っていないだろ

>その為の手段が国会による法改正で法律の増減や改正によって、法令へ従う事を国民に求め、内閣が実際の行政を行使するという流れであって縛りとか支配によるものではない
金とか監査とかで制限されてたら実態として縛られるのはしょうがなくねーか

>受賞を認め許す は成立せんやろ
賞を出していった結果を含めて承認してると捉えている
実際は起きえないだろうけど差別的作品を選びまくったとかなるとその結果自体は覆されずとも運営や審査員は交代させられると思われる

>どこの政府も政策に沿って活動する範囲でのみ独立を認めていると言っていい
先に挙げた報告書ではイギリスだけでなく他の国も国が活動評価を行ってる

>縛られてもなければ独立が認められていないとも言えない
ある程度縛られてるのは確かだろ
そちらの前の主張に沿えば表現の自由と独立性を維持する精神に真っ向から反している状態ではある

>加えて助成という資金提供にルールがある事自体は芸術分野に限った話ではない
>予算に対する成果で判断するぐらいの距離(権限)があるのと、内容に関して社会性を欠かないのであれば干渉しない事は両立するが
金のことだけならまだいいが「イングランドのためになるか」まで測られるんだぜ

>いやそれ政策に沿ってるんじゃなくて公金で製作する作品を反社会的な内容にはしないだけの理性や良心が芸術家側にあるってだけの話だろ
そこはどうなんだろうな
助成金を申請する段階で計画書はかなり細かく書かされると思うけど実制作時にどれだけ変える余地があるのかはわからん
少なくとも助成対象の選定時には政策に沿った申請かは一つの判断基準になるだろ

>そういうのやりたきゃ公金でやるなって話だぞ
表現の自由を制限しないことを芸術家支援の至上命題とするのであれば政治的要因で助成取り消しするのはかなりヤバいと思うぞ
俺も税金使って勝手すんなやとは思うけども

>その物言いは弾圧や侵害が裏に実在するという陰謀論を振りかざしてるか
だって「表現の不自由展」の助成金不交付の理由は「手続上の不備」だし一時中止の理由も「脅迫や電話による抗議のため」だぜ

>国の承認:国がメインで組織運営した催しでもない限りは国が審査員してる訳じゃないんだぞ
なんだかんだで権威がついていたほうが他国からも認められやすい

>国がメインなら兎も角、あくまで資金の援助に限るなら体制を整えるとは具体的にどういう事だ?
政府が関わる映画祭では理事や運営の選出に関わる部分も多かったので

>その水準は何に対しての水準なんだ?
基本的には応募数が少ないとか応募が特定の国やジャンルに偏るとかだろうな
基準は上記のような政治的なものが理由としては浮かぶ
直接やらんのは支援の原則に反するからだし支援先に対して表から見えるように弾圧まがいのことはそう簡単にはやらんだろ
だからこそ表現の不自由展のときはすごい批判も起きたわけだがこれ自体が文化庁は政治的な理由で金を取り上げるという実例になっている

>実際は予算を出して民間に任せている以上は範疇と言えないだろ
俺なら金出してもらってる相手に逆らえんし成果測られるとかなり縛られそうに思えるが
表現の不自由展とかヴェネツィアのように表出する機会ってまずなくねーか
当然、政府サイドは表現の自由を弾圧なんてしてないよというポーズとるわけで

>つまりそちらが言うような実効的支配は存在せず、そういう迂遠な方法を取らざるをえないという点から良くも悪くも政府が関与できる点は限定的だ
表面上で迂遠な方法であることと実効的支配であるかどうかは関係がない
俺の主張は金出して監査・評価されてる状態自体が一定の影響下にあり完全な独立ではないというものだ
支配の程度はともかく縛られてはいるだろう
ただしこの程度の縛りではディストピアとは思わん

>いずれにせよ国民が下にあるというものではない
だからすぐ先の話いくなし
まずはあるってだけの話だ

>公金の使用として適切か判断する大きな責任はあれどそれが作品の評価にまで及ぶとするのは過言だ
それが及ばないとする方が無理じゃないか
金だけじゃなくて人の任命や活動評価までやってるんだからスポンサーとは違う

>どうせならイギリスの為になる事に使いたいって国の側の事情であってそれで縛っている訳じゃない
いや、それは政府の事情による縛りだろ
芸術の普及のために国が関与せずに金だけ出す形で独立しているのであれば支援先は芸術性のみによって選ばれるべきだ

>段階抜きで優と劣でしか語らないから二元論者か確認したのだが
>であれば優でなければ劣であるかのような今までの語り口が極論では?
>優じゃないなら劣と何度もそちらは言ってきただろ
なんか俺が一つの基準の中の優劣だけですべての優劣が決まると主張しているように言われてるんで、だったらそう言っている場所を示してくれと言っているのだが
繰り返すが「優じゃないなら劣」って一つの基準の中だけの話してるんだぞ

>それを抜きにした時に何にどう影響しないか計測できない以上は
「それを抜きにした時」ってやっぱり総体の話してるじゃん
総体ではない田中さん個人の基準って存在しえないのか?
田中さん自体は自分の中で何が良いと考える基準を持っている、これは多くの個人の基準をとりまとめた総体とは関係なくそれ自体が一つの基準となるだろ
この田中さんの基準だけについて聞いているんだから総体を考慮するのはおかしい

>普遍性は作品の側に内在するもので評価に付与されるものではないという話だろ
言葉を変えるが、色々とエリート主義的評価が賞や芸術評価の場で普及している言説を挙げてきている

>公開されておらずとも指標として使用したい人間が対価を払って得ればいいだろ
得たデータは契約内容によっては公開・公表すればいい
ある程度は公開されてなければ社会的には指標にならないんじゃないのか
多くの人が知っていて同じものを尺度と捉えていなければ共通する指標としては機能しない

書き終わらんからとりあえずここまで
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